ジル・ド・レェ(ジルドレ)

登録日:2011/11/16(水) 02:10:37
更新日:2024/03/11 Mon 10:20:21
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ジル・ド・レェ(Gilles de Rais 1404年9/10~1440年10/26)とは、フランス王国ブルターニュ地方ナントの貴族。
ジル・ド・レイ、もしくはジル・ド・レと表記される事もある。

「レェ」は所領の名前で、本名はジル・ド・モンモランシ=ラヴァル。
あのジャンヌ・ダルクと共にフランスを救った『救国の英雄』として知られる。

11歳の時に両親と死別。祖父に引き取られ甘やかされて育ち、後に近隣の領地の息女であるカトリーヌ・ド・トアールと結婚。

成長すると軍に志願し軍人になり、百年戦争のオルレアンの戦いにおいてジャンヌ・ダルクの神々しさに魅了されて彼女に協力*1

数々の武勇伝を立て戦争の終結に貢献し、英雄としてもてはやされ、その功績を称えられフランス軍元帥に任命される。

その容姿は気立ての優しい、人を誘い込む魅力的な顔立ちに、軍人らしさ溢れる堂々たる体躯を誇るというイケメン。
頭髪はブロンドだったがあご髭は黒々としており、それは光の加減で青く輝いて見えたという。この為、通称『青髭』とも呼ばれている。

また武術に長け、情熱的で献身的かつ敬虔なキリスト教徒、語学文学を筆頭に教養も豊かで、更に芸術にも深く精通していた。

おまけに広大な領土を所有する当時のフランスの屈指のエリート貴族で、祖父の遺産によりあり得ないレベルの大金持ち。

まさに、『救国の英雄』の名にふさわしい完璧超人であろう。




追記・修正お願いします。

















   *   *
 *   + 一応本当です
   n ∧_∧ n
+ (ヨ(*´∀`)E)
   Y  Y  *



しかし、その後の彼は上記の完璧っぷりがまるで嘘かのように豹変。歴史上でも稀に見るような、

変態性的倒錯を持つ背徳者かつ大量殺人鬼

へと変貌してしまう。

彼が変貌した最大の理由は、かつての自分の憧れであり最大の心の支えであったジャンヌ・ダルクが処刑された事…という説が有力視されている。

ジャンヌが異端審問に掛けられ、尊厳を奪い尽くされた上に、火炙りの刑に処されるという無残な最期を迎えたことで精神を病み、
更に軍が解体され、ジルは自らの存在意義を失ってしまった。
彼は完全に空っぽの存在となり果てた。
その後、彼の人生はそんな空っぽの自分を満足させる為だけに費やされた。

…そう、ここからが悪夢の始まりである。
彼はその莫大な財産をまるで湯水のように浪費し、昼間は数々の芸術品を買い漁っては宴を開いて遊び惚けていた。
この時の彼は周りから見るとまだ普通であった。
浪費自体は貴族の間では珍しいことではないからである(まぁ、彼の場合は度を越えたレベルだったらしく、シャルル王が直々に禁治礼を出した事もあったとか)。

しかし、夜になると彼はなんと幼い少年を拐っては家に連れ込み、

凌辱の末に殺害、死後もその遺体を玩弄する

という非道を繰り返したのだ!

最初は普通に触れ合うだけ…だが、少年が安心しきったところで首にナイフを突き刺して虐待を開始する。
首を裂いて死にかけの少年の姿に興奮しては勃起に射精を繰り返し、死後も腹を裂いて臓物を取り出しては恍惚、
最後にはかつてそれが少年であったのが嘘のような肉片が散乱していたという。

更に彼は殺害した少年の生首をコレクションする事も趣味としており、
挙句の果てには従者に対して生首の品評会を開き、「この中で一番美しいのはどれだと思うか」と問いかけたそうな。
時に、その生首を枕元に置いて寝ていた事まであったという。

そのような醜悪極まりない行為を彼は何度となく繰り返したのだ。

彼の部屋では吊り上げる為の滑車や、殺害に使われた短剣など様々な拷問器具が見つかったという。


彼には元々少年愛好の気があり、一般女性には一切興味がなかった。
つまり重度のショタコン(因みにこれは育ての親である祖父の影響が強いとか)。

そのような性癖が、精神を病んだ事により歪んだ形で爆発したのであろう。

上記の通り彼には妻がいるが、これは領地目的で祖父に無理矢理結婚させられただけであり夫婦間の仲は完全に冷めきっていたという。
ジャンヌに魅了されたのも、彼女の中性的・少年的な魅力に惹かれたからだという説がある。


また、上記のような浪費を続けていた為かその莫大な財産も尽きかけて、
借金を繰り返しては領地や金品等を底値で担保にかけたりとだんだん金銭面がヤバくなっていく。その頃に金を作る為に錬金術にまで没頭。
更に一流の魔術師錬金術師を自称(当然嘘)する詐欺師の美少年(ここ重要)フランソワ・プレラーティの入れ知恵により、
悪魔崇拝や黒魔術にまで手を染め、贄として更なる子供を殺害したという。

余談だがこのフランソワ・プレラーティはクトゥルフ神話だと本物の魔術師とされており、魔導書ルルイエ異本のイタリア語訳版を持っていたらしい。


そのようなジルの狂気によって、大勢の少年が行方不明になっている事実に近隣の住民たちが不審がらないわけはなく、
ジル・ド・レは人喰いだ」という旨の噂が絶えず流れたというが、誰も彼の権力に逆らえず告発出来ずにいた。

しかし1440年。

彼が所領を巡る争いによりサン=テティエンヌの聖職者を拉致・監禁したことで教会の逆鱗に触れ、ついに告発され捕らえられてしまう。
罪状は幼児誘拐や殺害、悪魔交信と、神に対する冒涜…どれも弁明の余地無く死罪にされるレベルの物であった。
犠牲になった子供の数は最低でも800人に及ぶと言われているが具体的にはわかっていない。

ちなみに、このような行為については、「ジャンヌ・ダルクを救済しなかった神を冒涜し汚す為」だったとも言われている。


公開裁判では、彼は全てを告白して泣きながら懺悔してその場にいた人間達に許しを請うたという。
その際にあまりの懺悔のすさまじさに陪審員として呼ばれていた子供たちの家族にも涙を流すものがいたと伝えられている。

だがそれでも、彼がしてしまった罪が許されることはなく、死刑となる運命は変わらなかった。
せめてもの情けとして、ジャンヌのように生きたまま火刑にかけられるのではなく、ジルは絞首刑に処されて死亡した後、
その遺体が火刑にかけられることとなった(当時、死体を焼却することは死者に対する冒涜を意味していた)。

しかし腐っても『救国の英雄』。
ジルの刑が執行された1440年10月26日、改悛の情が斟酌されたようで、絞首刑となった後の遺体の焼却だけは免れた。
その場に集まった民衆は、ジルの魂が救われるようにと祈りを捧げたという。


ただし、現代に伝わるジルの「悪徳行為」については、少なくとも一部は彼の財産を狙う司祭達により故意に誇張されて伝わった可能性は否定できず、
その内容のどこまでが本当にジルが行ったものなのかは分かっていない。

また、自身の領民である少年の虐殺に関しても、当時の貴族の感覚では自らの領民はペットも同然であり、
例え貴族が領民を殺したとしても、罪に問われることはあまりなかったとされる。
ただしそれについては、日本でも似た時代があったので比較的分かりやすいが、領地の問題は貴族の問題になる。
つまり領民一人二人に対して且つそれなりの理由があったならばともかく、領民相手に悪逆行為をやりたい放題していたのならば、実際の判決通りに当然処刑コースである。

付け加えると仮に人道的配慮を度外視しようが*2、貴族は領民を保護しているからこそ彼らから税を取って活動できるという関係なので、
そんなことする人に領地経営を任せられないという話である。


童謡『青ひげ』は一般的にジル・ド・レとその大量殺人をモデルとして作られたとされるが、確かな論拠は存在しない。
ただし、「ジル・ド・レがモデル」というのは上述の通り一般的なイメージとなっているため、
『青ひげ』を主題とした作品群の中では、青ひげにジルのイメージを重ねた脚色がされることもある。


現在でも彼の城のあった地域では、民話としてジルの活躍と狂気的な人格が語られているらしい。


「彼の元領地で発掘調査を行った所、史伝に数倍する量の遺骨が発見され関係者一同の顔が曇ったらしい」という話が、
ここ数年、特にインターネット上でまことしやかに囁かれていたが、フランス側のソースが見つからないこと、
噂の出どころとなったツイート以外にそれらしい資料がないなどの理由から、『デマ』だったという見方が強い。
「ジルならやりかねない」という先入観が、デマの拡散を加速させたのだろう。



追記・修正は百年戦争に参加していた方に御願いします。

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最終更新:2024年03月11日 10:20

*1 当初は政治的対立者からの監視目的で近づいたとも言われているが

*2 貴族が罪に問われにくいのは本当であっても、領民はペットの様な扱いというのは当時でも当然の話ではない。更に言えばジル・ド・レェの時代のヨーロッパは中央集権が強化された代わりに貴族の没落がいよいよ深刻になり支配階級には変わりないが領民の権力が増してきている時代である