登録日:2010/08/09(月) 23:34:50
更新日:2023/07/12 Wed 17:22:57
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くぅ―に苦学いたい





































.





































無 と は 斯 く の 如 し















決して何も産まない



何物も存在しえない

つまり
存在しえないのである
未知なのだ

無そのものは
存在しないのではないか

無が存在しない


しかし言い換えると

何もない無が存在している

何も存在しない空間に無が産まれたのである

なかなか
哲学的ロマンが溢れる言葉である










全てのものは終わって完成します…
良き終末を迎えなければ完成しません…
良き終わりを…




















無へと還ろう
無へと還ろう
それは、優しさに満ち満ちたところ
そこは、真実の痛みのないところ
心の揺らぎのないところ

無へと還ろう
無へと還ろう
無へと還ろう
無へと還ろう……









「無」という概念は必ず「有」の概念とセットになっている。
"何かが有る"という事態を想定および過去に経験していなければ「無」は存在し得ない。
すなわち「有」を否定することが「無」なのである。
文法的にもそれが現れている。
There is A.
There is not A.
否定文は平叙文に not をつけることで"無いこと"を表す。
すなわち平叙文の存在が前提にあり、それを否定することで成り立つのである。

Aがある。
Aがない。
日本語にすると一見否定文単独で叙述できているようにも見えなくもない。
しかし、当然ながら日本語でも同様で、Aという語を発話した時点でその存在が話題に上がる(想起される)。
Aの存在(Aがあること)を話題に出してから、そのAが"無い"と否定することによって成立するという構造は同じ。

真の意味での「無」とは、その有無すらも意識されないものを指すのかも知れない。
むしろ「無」という名詞で安易に(概念化して)語ってしまうことこそ「無」に対する無知の成せる業なのかも知れない。
ウィトゲンシュタインに言わせれば「無」はまさしく"語りえぬもの"だろう。


逆に「有」ではなく「無」を前提にして考えてみると、今度は「有」という事態そのものが怪しくなってくる。
なぜ存在しているのか、なぜ有ると認識するのか、といった疑問が湧いてくる。
言語的なアプローチで見れば、単語=概念とは世界を言葉(認識)によって区切った結果であり、その実態の一部分を表すに過ぎない。
語られた物事は全て、言わば人が作り出した"フィクション"なのである。
言語(認識)によって語られずに実際にあるといえるのは、漠然とした、あるいは混沌とした、"世界"のみである。
生まれたばかりの赤ん坊が見ている景色を想像してみると把握しやすいだろうか。
(もっとも、赤ん坊の見ている世界も大人とは異なる認識に規定されたフィクションなのだが。)
認識によって何かが「有」ると認めてしまった時点で、もうそこは人が作り出した"有無の概念が存在するフィクションの世界"なのだ。


余談だが「虚無」とは「非存在という存在」という別の概念。同一視されることが多いが「全く何もない」無とは別物なので注意。

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最終更新:2023年07月12日 17:22