平等

登録日:2011/05/23(月) 20:37:47
更新日:2023/09/09 Sat 14:35:34
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「LIFE IS NOT FAIR」
――J・F・K



平等-びょうどう

「平」も「等」と同じく、ひとしい意]その社会を構成する、すべての人を差別なく待遇すること、様子。


新明解国語時点第六版より。







つまり誰もが差別や迫害などのいわれのない危害を加えられることがまったくない、誰もが同等の評価を受けること。
世間ではよく「男女平等」という言葉を聞くことができる。
これは要するに、男だからこんな仕事くらい簡単にやれ、女だからこの仕事は任せられない、といった差別をなくすことが目的で始まった。

現在は若干女性が優位にいるが、それはここでは関係ない。






もっと身近な平等といえば、人間関係だろうか。
例えば、あいつは話しにくいから嫌いだが、あいつは話しやすいから好きだ、というのも他者に対して平等ではない。

平等である、平等に扱うことは難しい。
公平と似たような使い方にもなるが、単純に感情によって気に入る気に入らないと他者を区別すると、その区別された状態は平等ではない。
そもそもなにをもってして平等といえるのかも不明瞭であるといえる。
明確な基準が設けられているのならよいが、そうではない。平等である環境は、一定ではない。

例としてAとBの人間がいるとして、前者は二時間、後者は一時間だけ働き、互いに千円の報酬を得たとする。このとき、果たして彼らは平等だろうか。


これだけ見たらきっとBが得をしていると答えるかもしれない。しかし環境しだいで答えはかわる。
明言されていなかった背景を設定する。
Aは比較的簡単な事務仕事を、Bは比較的重労働な営業をしていたとすれば、仕事の質を比べた結果として平等と言えるかもしれない。
あるいは、AもBも同じ量、同じ質の仕事をこなし、Aはだらだらと、Bはてきぱきとこなしたのなら、仕事の能力として平等と言えるかもしれない。




基本的に平等であると法律の上では言われているが、本当に平等であるかと言われたら閉口してしまう。
確かに社会という広い視点で見れば隣近所の人たちと自分も、町中で見かけただけの赤の他人でさえ平等であるかもしれない。
だが自分という狭い視点で見ると平等とは思えないだろう。

あいつは成功してるのに、なぜ自分は失敗するのか。

という感情を覚えない人間はまずいないだろう。いるとしたら、その人はきっと幸せだ。


社会的に見て平等であるならば問題はないのだが、人間である以上理屈でわかっていても感覚で理解できなければ、それは理解しにくいというものだ。



平等であろうとすればそれだけ平等からかけ離れていく。
社会主義がよい例だろうか。社会主義と一言に言ってもいくつもの派生があるため一概に同様とは言い難いが、
それは国民に貧富の差をなくして平等の社会にしようとしたものだ。


持つものから奪えば単純な損失であり、持たざるものに与えれば一方的な利益であり、すべてのものから奪えばただの略奪である。
社会主義の失敗は多くの国が証明してきた。




冒頭の話を蒸し返すが、男女差別の問題でいうとまず思い付くのは「男女雇用機会均等法」だろうか。
余談だがこれはもとより男女差別でなく女性差別をなくすことが目的である。
つまり「きみは女性だから、不採用」ということをさせないことが目的だった。なので「きみは男性だから、不採用」は容認されていた。

会社などのポジティブアクションはともすればこの法律を犯す事となる。
(なお、「女性に不利な状況を改善するためにテコ入れする」ことは、男女雇用機会均等法で認められると定められている)



さて、その男女雇用機会均等法は男性のみ、女性のみの募集をせず、男女関係なく募集することを要求する法律である。確かに男女の差別はそこにはない。


が、例外として、その法律の効力が発揮されないことがある。

例えば巫女。これは女性しかなれない。他にも風紀的理由において女性更衣室の清掃など、男性にやらせるわけにはいかない。

守衛や警備の面において、体力的に勝る男性を最優先に採用するのは当然の処置であるともいえる。




このように、平等とはある条件下において言うことはできても、日常的に平等を体感することは難しい。





法学に於ける法の下の平等は法哲学の分野で今なお大きな論争のタネである。


遵法義務は悪法に対しても言えるのか、などが最たるもので、悪法であっても守るべきかは個人の判断に委ねられるというのが現状。
当然裁判で刑罰を科せられた時には従う事で真摯さを持って抗議できる訳だが。

また、憲法上の精神の自由と経済活動の自由は平等なのかなども頻繁に議論される。

アニメの中すら、ふとした拍子に強烈な論評がされる事がある。



人は平等ではない。生まれつき足の速い者、美しい者、親が貧しい者、病弱な体を持つ者、生まれも育ちも才能も、人間は皆、違っておるのだ。
そう、人は差別されるためにある。だからこそ人は争い、競い合い、そこに進化が生まれる。不平等は悪ではない。平等こそが悪なのだ!
権利を平等にしたEUはどうだ。人気取りの衆愚政治と坐しておる。富を平等にした中華連邦は、怠け者ばかりだ。だが、我がブリタニアはそうではない。
争い競い、常に進化を続けておる。ブリタニアだけが前へ、未来へと進んでおるのだ。我が息子クロヴィスの死も、ブリタニアが進化を、続けているという証。
闘うのだ!! 競い、奪い、獲得し、支配しろ、その果てに未来がある!!
オール・ハイル・ブリタニア!!!




君たちは歴史を勉強したことがないのかな? 有史以来、世界が誰に対しても平等であった事なんて一度もないよ?





追記・修正は平等に。

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最終更新:2023年09月09日 14:35