中島敦

登録日:2012/09/23 Sun 04:42:17
更新日:2022/01/24 Mon 14:24:21
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中島(なかじま)(あつし)は、日本の小説家。

【来歴】

1909年(明治42年)5月5日、東京都四谷区(現・新宿区)で、江戸時代より続く儒者の家系に生まれる。

東京帝国大学(現・東京大学)文学部国文科を卒業後、教師となり、教師生活の中で『かめれおん日記』『悟浄歎異』を執筆。
のちに辞職し、南洋庁の書記官として、委任統治領であったパラオ島に赴任。この間『山月記』などを執筆する。

1942年(昭和17年)、持病の喘息が悪化し帰国。『光と風と夢』が芥川賞候補になるが入賞せず。
同年12月4日、喘息のため死去。享年33。直前に発表した『李陵』が遺作になった。

【作風など】

漢文調の格調高い文体が特徴で、中国古典に取材した作品が多い。
その他にも『光と風と夢』のような、赴任したパラオ島に関係するものもある。
生前はほとんど無名だったが、死後高く評価された。
また『山月記』がよく高校の国語の教科書に採用される。

【主な作品】

『臆病な自尊心と、尊大な羞恥心』

自らの性情の為、虎になってしまった男の話。
中国の「人虎伝」という変身譚が元になっている。
前述の通り、国語の教科書に採用された。
上記の言葉や、冒頭の「性、狷介、自ら恃むところすこぶる厚く…」など記憶に残るフレーズが多い。


『ああ、夫子が、――古今無双の射の名人たる夫子が、弓を忘れ果てられたとや?ああ、弓という名も、その使い途も!』

師匠を越え、仙人の元で「不射の射」を習得し真の名人になるも、執着心を無くし、最後は弓を忘れてしまった弓の名人の生涯を描く。
こちらも中国の古典がモデルだが、『山月記』と比べ道徳的な要素が少ないせいか教科書には載らない。


  • 李陵
実際にあった「李陵の禍」という事件が題材。
前漢・武帝の時代、奮戦しつつも匈奴の捕虜となった武将李陵と、彼を弁護して武帝の怒りを買い、宮刑に処された『史記』の著者司馬遷。
立場・境遇は違えど、屈辱的な災難に見舞われながら信念を全うする二人を描いている。


  • 弟子
任侠無頼の身から弟子入りした子路と、師匠孔子の物語。
真っ直ぐな性格から、儒教・孔子に反発するも、彼の深い人間性を愛した子路、
軽率な言動を咎めつつ、子供のように真っ直ぐな子路を愛した孔子を、人間臭く描く。


他にも
  • 芥川賞候補にもなった中篇『光と風と夢』
  • 西遊記の沙悟浄が主人公の『悟浄出世』『悟浄歎異』
  • 古代オリエントが舞台の『木乃伊』『文字禍』
  • 南洋諸島の伝承がモデルの『幸福』『夫婦』
などがある。

ここで紹介したものは、一通り青空文庫で公開されている。どれもあまり長くなく読みやすいので是非読んでみてほしい。

【モチーフにしたもの】

中島をモデルとした同名のキャラクター「中島敦」が主人公として登場する。
特殊能力や台詞等にモデルの中島を想起させる内容が散見される。

中島をモデルとした同名のキャラクター「中島敦」が登場する。
性格等の設定が『山月記』の李徴を思わせる内容になっている。

  • 『ラヴヘブン』
中島をモデルとした同名のキャラクター「中島敦」が登場する。
「明るく楽しく生きる」という志を掲げており、それはストーリーでの行動にも現れている。

【余談】

1948年(昭和23年)から1949年(昭和24年)にかけて、筑摩書房から『中島敦全集』(全3巻)が刊行され、毎日出版文化賞を受賞している。
この毎日出版文化賞の受賞を皮切りに、1950年(昭和25年)から『山月記』が教科書に採用されるようになったという。


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最終更新:2022年01月24日 14:24