大震後第一春の歌

登録日 :2012/01/01(日) 02:15:53
更新日 : 2015/09/22 Tue 14:03:55
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1923年(大正12年)9月1日11時58分32秒関東は未曾有の震災に見舞われた。
推定での被災者は190万人。10万5千人余が死亡あるいは行方不明になったとされる。
当時麹町区富士見町に居を構えていた戦前を代表する女流歌人、与謝野晶子も例外ではない。
彼女は源氏物語研究として現代語訳本の製作作業を行っていたが、震災により原稿を紛失、研究を断念せざるを得ない状況となった。

「大震後第一春の歌」は晶子が被災翌年の元日に発表した詩である。
震災を挑発し、捩じ伏せようとすら感じられる晶子の苛烈な気性と、当時の人の力を信じた強い意志が見て取れる詩であり、今でも多くの人の共感を呼んでいる。


以下、全文

「大震後第一春の歌」
 与謝野晶子

おお大地震と猛火、その急激な襲来にも我々は堪えた。
一難また一難、何でも来よ、
それを踏み越えて行く用意がしかと何時でもある。
大自然のあきめくら、見くびってくれるな、
人間には備わっている刹那に永遠を見通す目、
それから、上下左右へ即座に方向転移の出来る飛躍自在の魂。
おおこの魂である、
鋼の質を持った種子、火の中からでも芽をふくものは。
おおこの魂である、
天の日、大洋の浪、それと共に若やかに燃え上がり躍り上がるのは、
我々は「無用」を破壊して進む。
見よ、大自然の暴威も時に我々の助手を勤める。
我々は「必要」を創造して進む。

見よ、溌剌たる素朴と未曾有の喜びの精神と様式とが前に現れる。
誰も昨日に囚われるな、
我々の生活のみずみずしい絵を塗りの剥げた額縁に入れるな。
手は断えず一から図を引け、
トタンと荒木の柱との間に、汗と破格の歌とをもって
かんかんと槌の音を響かせよ。
法外な幻想に、愛と、真実と、労働と、科学とを織り交ぜよ。
古臭い優美と泣き虫とを捨てよ。
歴史的哲学と、資本主義と、性別と、階級別とを超えたところに、
我々は皆自己を試そう。
新しく生きる者に日は常に元日、時は常に春。
百のわざわいも何ぞ、千の戦いで勝とう。
おお窓毎に裸の太陽、軒毎に雪の解けるしずく。

『晶子詩篇全集』より

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