宦官

登録日 :2010/06/08(火) 10:51:14
更新日 : 2017/07/16 Sun 14:53:05
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「おめーら、それでもチ○コ付いてんのかァ!」




宦官 [読み:かんがん]

古代中国やローマなどにおける官僚。

彼らは自身の男根、つまり チ○コ を切り落とし、その代わりに後宮に入ることを許された。
金玉ごと切断されることが多い。
ちなみに日本は家畜を含めても「去勢」という概念がなかったためほぼ存在しない。
中国から輸入されてもおかしくはなかったが。

昔は刑罰を受けたり他国の捕虜となってチryを切られた者が宦官となっていたが、
宦官が権力を握るようになると自ら進んでryを切る者も出てきた。

特に中国・唐代では、官僚になるには科挙に受かるか切るかしかなく、
前者の合格率は司法試験もびっくりの倍率なので、官僚になるために自ら切っちゃった者も少なくない。
うち3割は傷口が化膿して死んじゃったらしいけどね(´・ω・`)
ちなみに、清代末期になると西欧から外科手術法が取り入れられて、ずいぶん安全になったとか……。

また、科挙も勉強用に書物をしこたま読んだりする時間とカネ、官僚となった後も勉学中に築くコネが出世に必要な面があるので、
学はないけど媚びへつらいとかそういうのが得意という貧農出身者にとっては一発逆転を狙う唯一の方法という面があった。
五代十国の藩鎮国家の一つ、南漢では総人口100万の内宦官人口が 2万 もいたという。

勿論、宦官同士の足の引っ張り合いや権力争いの余波、仕える者の気まぐれで理不尽に殺されたりする事もあるし、解雇される=ほぼ野垂れ死になので官僚とはいえかなりハイリスクな役職ではある。


宦官を登用する主な理由としては、

  • 後宮の女性に手を出せないので身の回りに置ける

  • 子孫を残せないので権力が集中しても一代限り、皇帝の座を一族に乗っ取られる心配が無い


この二点であろう。


一方で、皇帝に権力が集中する政権では、裏で宦官が実権を握る事例が少なくなく、
国を乱す悪宦官というイメージがつくようになった。


よく誤解されるのだが、 チ○コを切っても性欲は無くならない。
宦官は おとなのおもちゃ を使って性欲をぶちまけてたらしいよ!
決して 永続的賢者モード になるわけじゃないから絶対チ○コ切るなよ! お兄さんとの約束だぞ♪


また歴史の中では女王に仕える者はまとめて宦官と呼ぶ文化もあり、
実際にはチ○コがついたままの僕も宦官と呼ばれていたケースもあるらしい。


【有名な宦官】

  • 嫪毐(ロウアイ)
初っ端からなんだが、こいつは宦官ではなくニセ宦官。つまり切ってない。秦王政=後の始皇帝の母親・趙太后に仕えた。
呂不韋に チ○コのでかさ を見込まれて食客となり、
呂不韋の代わりに太后 *1 の性奴隷になって出世。
得意技は勃起したアレに車輪を通して回す芸。デカすぎィ!

おい、チ○コ切れよ。
最期は太后に子を生ませてその子に秦を乗っ取らせようとして反乱を起こすが、政に敗れて車裂きの刑。ヒエッ……。


  • 趙高
秦の始皇帝に仕えた宦官にして悪宦官の代名詞。
といっても始皇帝の生前にはあまり悪事を働いていない。というより始皇帝は自分にも周囲にも厳しい皇帝だったので、悪事を働く余地がなかった。
しかし始皇帝が行幸先で死亡したときに素早く策謀を巡らせ、宰相の李斯を脅して自分に都合がいい胡亥を皇帝に擁立して実権を握り、大暴れ。
正統な皇位継承者の扶蘇と、始皇帝の一番の側近だった蒙毅、その兄で最大の名将蒙恬を殺し、他にも皇族・大臣・役人を冤罪を押し付けて虐殺。
世界中から兵士となる若者や労働者を掻き集めて食糧危機を招き、それを補うべく首都周辺の人民には作った穀物の自家消費を禁じ、
あげくは自分が宰相になりたいからという理由で李斯まで切ったり(チ○コじゃないよ!)とやりたい放題。

最期は胡亥を殺して子嬰を擁立しようと企み胡亥を殺すが、子嬰に先手を打たれて殺された。
ついでに言うと本当は自分が 皇帝になりたかった が、さすがに周囲の反対が強すぎてひっこめざるを得なかったようだ。

ちなみに馬鹿の語源でもあるらしい *2


  • 司馬遷
史記を書いたえらい人。
漢の武帝に仕えたが、匈奴征伐に遠征して降伏した友人・李陵をかばい、

せんちゃん「いや李陵は頑張ったからwww援助が足んなかっただけだしwww」

ぶてー「はあ? 何お前、朕(チン)が悪いって言うわけ? おい誰かこいつを切れ」

せんちゃん「え、何を!? ナニを!?」

ぶてー「首だバカヤロオオオオ」

せんちゃん「冗談じゃねえスwwwwww」

ぶてー「金を出せば減罪してやらなくもないんだからね!」

せんちゃん「ウチビンボウナノ(´・ω・`)」

ぶてー「じゃあチンポとサヨナラだな」
※司馬の遷ちゃんが書いた史記には史書としては珍しい貨殖伝(金儲けが巧い人物伝)が載っている。
これは貧乏故に減刑を購えなかった遷の「金さえあれば……」という無念さの表れとも云われている。


  • 蔡倫
後漢和帝期から安帝期にかけて宮廷に仕えた宦官。当時絹などの屑を使って不織布を作る技術があったのだが、それを応用することで
繊維くずや樹皮から実用に耐える初の紙・蔡候紙の製造技術を開発したことで有名。

この技法を洗練させ、材料も検討していくことで現在に通じる紙漉きという手法が生まれた。
紙の普及は、木簡などではなかなか出来なかったことを可能にした。
例えば、懐から取り出してその場で詩を書き留めたり、戦場では伝令を使った即興での作戦変更の伝達をより簡単にした。
三国時代の建安七子の誕生や、諸葛亮司馬懿の縦横無尽の策の巡らせ合いを生み出したのは彼の技術あってこそ。 まあ当時はまだまだ高価だったので実際には木や布が主だったようだが
他にも武器製造など様々な技術開発に従事した超優秀な技術屋であった。


  • 梁商
後漢の順帝に仕えた名宦官。順帝の即位に尽力、その後も国をよく支え続けた。
皇帝の秘書官として考えればメッチャ優秀。

しかし順帝がその功を称え、 宦官に養子を許す というとんでもない大ポカをやらかし、しかも養子に貰ってきた梁冀は悪代官という最悪の事態。
おかげで梁一族が後漢の実権を握り、権威は失墜。三国時代到来の原因を作ってしまう。
よくやった順帝。


  • 曹騰
梁商と共に順帝に仕えた名宦官。以後も影ながら後漢を支え続けた。
彼の養子の子供、つまり孫があの曹操
マジで順帝よくやった。


  • 十常侍
後漢の霊帝に仕えた10人の宦官。実は十人以上いる。
民から搾取→黄巾の乱。
少帝擁立→清流派の反乱→董卓やってくる→大将軍の何進を暗殺。
など、三国時代の幕を開いたのはあるいは彼らなのかもしれない。
しかし大将軍の暗殺はさすがにやりすぎ。この機を逃さなかった袁紹のクーデターで、物理的に消されることとなった。

三国志大戦は…1では武将として、3では軍師として登場した。

1では伏兵と防柵を持っているので 伏兵なのに開幕から初期位置がバレている という意味の分からないことをやらかしている。


蜀のバカ殿さ(ry……劉禅に仕えた宦官。
三国志演義では、まさに国を滅ぼしたイエスマンな悪宦官として描かれている。
生姜を追放したり、巫女のお告げとか言って魏が攻めてるのに酒宴しまくったり。
だいたいあってるけどね!

コーエー三国志では何故かネコミミ帽子を被っている。

三国志大戦2でも登場。
愚かな転身と言う武力の一番高い味方を城に戻すという微妙な計略を使う。

これで生姜 *3 を戻したりできる。やったね。


  • 高力士
武周の則天武后・唐の玄宗に仕えた宦官。
彼自身は慎み深く忠義心と理知に溢れた人材であり、高句麗出身の名将高仙芝ら有能な人材を多数推挙した。
仕事熱心で宮廷で寝起きするほどに熱中しており、
玄宗曰く「高力士がいるからこそ安心して眠れるのだ」と言わしめるほどの大量の仕事を捌いていた。
しかし、彼が推挙した楊国忠・安禄山が世界帝国・唐の終わりの引き金を引いてしまう。
彼は楊国忠と安禄山の間に立って調停に尽力したりはしていたのだが……。

最期は玄宗の死を知り、慟哭して死亡したという。


  • 鄭和
明の航海王子。別に王子じゃないんだけど、どっかのエンリケ航海王子にならってこう呼ばれる。
元々、元に仕えた雲南の貴族で、捕虜になってチ○コ切られて永楽帝に仕えたとかそんな感じ。イスラム教徒である。
南シナ海やインド洋を股にかけ、アフリカ大陸のモガディシュや聖地メッカ巡礼に至る大航海を敢行し、
キリンなどアフリカの文物を持ち帰り、明の勢威を各地に広めるなど活躍した。


  • 魏忠賢
明の天啓帝に仕えた邪悪宦官。
財を蓄え、配下の都合の悪いことも賄賂を貰って握りつぶすなど万暦帝が殺した明に死体蹴りを敢行した人間の屑。
党争を利してライバルも恩人も出世の邪魔になるならば容赦なく葬り、絶対的な権勢を得ると、
自身を尭天舜徳至聖至神と称し、聖人であると言わせ、九千歳 *4 と唱和し讃えさせた。
彼と彼を留められない天啓帝の悪政の中、民の怨嗟は危険水域に高まり、
満州でヌルハチの勢威はもはや明にも手を付けられないレベルになった。
だってヌルハチに負けても賄賂で勝った体に出来ちゃうんですもの、まじめに戦うはずがないわな。

最期は天啓帝の後に即位した崇禎帝により、逮捕される前に自殺した。
明特有の代替わり時の佞臣粛清システムはここでも機能はしたのである。

崇禎帝は必死に明を支えようとしたが、既に満身創痍の明は立て直しが利かず、
崇禎帝も洪武帝並に猜疑心が強く後金の攻撃を防いでいた袁崇煥を殺してしまうなどミスも多く、最後の皇帝となってしまった。


  • 王承恩
明最後の皇帝であった崇禎帝に仕えた宦官。
既に李自成の反乱軍が北京に迫り、多くの宦官が寝返りと逃亡している中、ただ一人最後まで皇帝の側で仕えた。
皇帝の王子・王女の逃亡先を全て仕切り、皇帝と心中した。

朝鮮半島や海を越えた江戸幕府にもこの話は伝わっていたようであり、忠臣としてその生き様を現代まで評価されている。
ぶっちゃけ、世間一般的に考えられる宦官の悪評とは完全に無縁な忠臣である。
いつまでも皇帝に仕えられるようにと、墓もすぐ側に作られたとか。


  • 李蓮英
清朝の高級宦官で、中華帝国最後の宦官と呼ばれている。
子どもの頃から52年間清朝に仕え、清朝の事実上の支配者だった西太后の下で宦官のトップにまで上り詰める。
清王朝が滅び中華民国が建国されると、民衆から搾り取って貯めた金で広大な土地を手に入れて豪邸を建て、もう無用だとばかりに自らの官職を銀1万両で売り飛ばした。
彼の所有する財産は、各種の動産まで含めると諸王に匹敵するほどの巨万の富であったという。


  • ナルセス
東ローマ帝国のユスティニアヌス1世に仕えた宦官。本職は官僚だが軍隊も指揮する。
宦官なら独立して自分の王国建てたりしないだろうと、イタリア遠征軍を率いて出陣、
イタリアを領有する東ゴート王国軍を粉砕した後、返す刀で火事場泥棒狙いのフランク王国軍を撃退。
20年近くかかったイタリア戦争を勝利で終わらせた名将。ちなみにイタリア征服時御年75歳。

そもそもユスティニアヌスがベリサリウスを猜疑心から何回も解任したり呼び戻したりしなけりゃご老体のナルセスを起用せずにすんだのは内緒だ。



  • 清の下級宦官
ぶっちゃけ何をしたわけでもないが世界史の教科書、資料集に引っ張りだこ。
一般に宦官のイメージと言えばこの人。


  • カストラート
欧州においてボーイソプラノを保つため、男性ホルモン抑制を目的としてタマを切った歌手。
ルネサンス期より一般化したらしい。
成人男性の胸郭の広さと強靭な肺活量を持ったまま、ボーイソプラノやアルト声を出せるため、女性が声を出せない事になっていた教会の聖歌隊で重宝された。
ナポレオンが禁止令を出しても後を絶たなかったが、1878年に時の教皇による禁止令が出てようやく沙汰止みとなった。
最期のカストラートは1922年まで生存していたらしい。声を録音した音源も残っているが、全盛期過ぎだとか。

現在、カストラート前提で作られた楽曲はソプラノ歌手やボーイソプラノ、あるいはソプラニスタやカウンターテナー(米良美一さんのパート)で代用されている。
一応今でもカストラートに準じた存在はちょくちょく出るが、切ったわけではなくホルモン分泌異常でカストラート状態になっただけである。




追記・修正はチ○コを切ってからお願いします。

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