大韓航空機爆破事件

登録日:2012/02/26 Sun 16:38:19
更新日:2024/03/10 Sun 10:18:03
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大韓航空機爆破事件とは、1987年11月29日(ロンドン国際標準時)に発生した国際テロ事件である。


発生地点はビルマ(現在のミャンマー)のラングーン(現在のヤンゴン)の南、約220キロのインド洋上空。
テロの対象となったのは、大韓航空858便(ボーイング707-320B型機)
当機はイラク・バグダッド国際空港発、アラブ首長国連邦アブタビ国際空港、タイ・バンコク国際空港経由、韓国・ソウル金浦空港行きを予定していたが、
北朝鮮の工作員が機内に仕掛けた爆弾によって空中分解を引き起こして墜落した。
搭乗していた乗員乗客に関しては、117人全員が死亡したと韓国の裁判所が認定。

以下に事件の経緯を紹介するが、時間系列はロンドン国際標準時とビルマの現地時間(国際標準時+7時間)を、国名と地名は事件発生当時のものを使用する。



11月29日午前0時1分、858便は定刻よりやや遅れてアブダビを離陸、バンコクに向け順調に飛行をしていた。
858便はインドの領空を通過したあと午前4時31分、ビルマの管制空域との中継点にて同国の管制官とやりとりをした。
「現在当機は、高度37000フィートを飛行中、次の連絡ポイントには午前5時1分(現地時間午前11時1分)、
ビルマ本土到達予定は、そちら時間の午前11時21分に到達予定です」
と交信。
これが858便からの最後の交信となった。

ビルマ時間午前11時22分、定刻よりやや遅れ間もなくビルマ本土上空に到達する寸前だった858便は、機内に仕掛けられたプラスチック爆弾により爆破されてしまう。
機体は自身の与圧により空中分解し、四方八方に機体が散らばりながらインド洋に墜落。乗員は全員が即死したと見られる。

事件直後の初動捜査ではインド、ビルマ、タイの航空レーダーが当時まだ貧弱だったために墜落予測地点が誤認された。
(タイとビルマの国境付近、という結果が出ていたらしい)
その周辺での両国の調査が進められる中、12月に入ってビルマ、タイ、インドネシアなどに機体の一部や遺留品などが流れ着いたことが判明。
さらに洋上で機体の残骸が発見された為、墜落地点はインド洋上だったことが確実となった。
ビルマ政府の調べにより、残骸から翌年に開催される予定であるソウルオリンピックのロゴが描かれていたことから、858便と確認された。


実はこの事件、発生当初は機体の老朽化もしくは故障を原因とした事故ではないかとの見方もされていた。
当機は韓国大統領専用機に指定されるほど酷使されていたうえ、度重なる事故や故障を抱えたまま運用されていたためである。

しかし、ビルマ捜査当局による機体調査後はその推測が覆る。
機体内部には高熱で溶けている箇所が多数あり、搭乗者とみられる遺体や遺留品からも爆発物による損傷が確認された為だった。
最終的に、858便は巡行飛行中に爆破された可能性が高いと韓国政府に伝えられた。

これを受けて韓国政府は犯人の捜索を開始。アブダビで858便を降りた日本人二人に不審な目を向ける。
二人は父娘二人で旅行しており、アブダビからバーレーンへ向かいイタリアのローマに行くところであった。
韓国政府はこの二人の記録をイラクとバーレーンの両政府から提供を受け、すぐに日本政府に照会。
二人のパスポートのうち、男性の方は日本国内にいる事が確認されたため、すぐに偽造パスポートと断定された。
なお、当時バーレーンの日本大使館大使であった元航空自衛隊員は当時隣国のオマーンの日本大使館に出張中で、
韓国よりも早く「858便はテロ行為により墜落させられた」という推理を立てていた。
理由は、パイロットが緊急事態を出す前に消息を絶ったこと、当時現場海域でどこの国の軍も動いていなかったことが該当したためだという。
そこから「韓国政府に反発する日本赤軍かそれに近い左翼系ゲリラによるテロ」とみて、バーレーン政府に二人の身柄の確保が要請される。

バーレーンの税関・入管当局は、日本大使館の要請に従って二人を空港ロビーに足止め。
危機を感じた二人は、バーレーン側当局の隙をついてタバコに仕込んでおいた青酸カリ入りのアンプルを噛み砕いた。
男性の方は死亡。一方、女性の方はアンプルを完全に噛み砕くことが出来なかったため中毒にとどまっている。
生き残った女性は日本政府が刑事訴追権を韓国に譲渡したため、ソウルに移送された。
移送中のエピソードとして、舌を噛み切らないように口の中に異物を入れられ、絆創膏でぐるぐる巻きにされていた(猿轡を噛まされているのを思い浮かべればいいだろう)……というのはあまりにも有名だろう。
そして、すでにこの時、自決した際に傍にいた日本大使館員の証言やバーレーンの捜査により二人は北朝鮮工作員である疑いが濃厚と韓国側は判断していた。

その後、ソウルに移された女性の尋問が始まる。女性は当初日本人、あるいは日本在住の中国人と言い張っていた。
……のだが、「日本に住んでいたときに使っていたテレビのメーカーは?」という質問に北朝鮮のメーカーと答える凡ミスを犯す。
さらに、居室で布団をたたむ時にやたらビシッとした畳み方をするなど立ち居振る舞いも軍隊に準じる(=規律正しい)訓練を受けたことが丸わかりであった。
そこで韓国当局は彼女を韓国の市街地に連れ出し、祖国で教えられているのとあまりにも違い、貧しい北朝鮮よりも遥かに豊かな韓国の状況を見せつけた上で、二人が殺したのが罪の無い出稼ぎの市民であることを教えた。

祖国に騙されていたことに気づいた彼女は女性捜査員に「お姉さん、ごめんなさい」と自分の本名「金 賢姫(キム ヒョンヒ)」をついに告げた。
死亡した「父親役」の男性も金 勝一(キム スンイル)という、この任務にあたってコンビを組まされた間柄である赤の他人であることを全面的に自供。
日本人になりすますための工作員教育係として、「李恩恵」という名をつけられた日本人拉致被害者が当てられていたことも一連の自供で判明している。
この「李恩恵」は間も無く身元と本名が判明し、兄と息子が拉致問題解決を求める運動に参加している。
後に死刑判決を受けるも特赦され、韓国に亡命した。

供述された動機は、韓国のソウルオリンピック妨害とのこと。
東側諸国をボイコットさせるために北朝鮮の金正日が仕掛けたとされたがこれがソ連の怒りを買い、中国も不快感を露骨に顕にしたため、
逆に北朝鮮が孤立し、外交的には何ら意味のない事件に終わった。

だが何の罪もない多くの乗客乗員の尊い命が失われた事を我々は忘れてはならない。

エピソードとして、実は858便は当日になって、DC-10型からボーイング707に変更されていた。
大韓航空によると、当日の機体のやり繰りの関係であったためという。
ただ爆弾を使っているため、どんな機材でも結果は同じであるが…

この事件は後に、「真由美」というタイトルで映画化され、1990年6月9日に韓国で公開されている。日本では劇場公開はされず、同年7月25日にTBS『水曜ロードショー』にてテレビ放送されている。
ラストシーンは、裁判の直後に犠牲者の遺族らの罵声を浴びた賢姫が、飛び降り自殺を図ろうとする…というものとなっている。


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最終更新:2024年03月10日 10:18