セガサターン

登録日:2010/10/03 Sun 14:38:51
更新日:2024/04/09 Tue 16:24:39
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脳天直撃 ⚡ セガサターン



1994年11月22日にセガから発売されたゲーム機。略称はSS、サターン。


【概説】

セガが発売した中では、互換機等を含めて6代目のゲーム機であり、「サターン」という名前は、太陽系6番目の惑星である土星になぞらえて命名された。
互換機を除外すれば4代目であり、ディスク媒体のゲーム機としては2代目。
発売当時はNINTENDO64プレイステーションと販売競争していた時期で、
この時代から一気にゲームの形態が変わったこともあってか、いわゆる「次世代ゲーム機戦争」と呼ばれるようになった。

セガ信者の中ではコントローラが操作性が良い事から評価が高く、後にPCに接続出来るUSBタイプも販売された。
このコントローラの最大の特徴はメガドライブ後期パッドと同じくメインボタンがABCXYZの6ボタン形式であること。
大雑把に縦2×横3で並んでおり、これは当時のゲーセンによく並んでいたアーケード格ゲーに近い配置で、実際格ゲーに適した配置だった。

コントローラーの高い評価に対し、容量が少ない本体補助の為のバックアップ用のカートリッジ式のパワーメモリーがとにかく消えやすかったことでも有名。*1
ライバルのPSのメモリーカードがデータが消えるという悲劇をほとんど解消させたのとは対照的で、この辺の仕様の考え方が如何にも昔からの老舗メーカーという感じがしないでもない。
本体機能としてボタン電池を使った時計機能・セーブ機能があり、特に内蔵時計機能を使った斬新なゲームも見受けられた。
なので、現在購入した場合は先ず電池残量を確認しよう。ただのボタン電池なので思ったより早く無くなるし。


発売当初のゲームジャンルは前機であるメガドライブと同じく、硬派なアクションゲームやシューティングゲームが多い。
共に高いシェアを誇っていたPSとのマルチ作品もあったが、
現在のPS3やXB360のように同時発売のゲームは少なく、発売日が少しずれていた作品が多かった。
過去のノウハウから2D表示に長けていた為に、2Dが苦手なPSよりも高いレベルの移植が実現できた。
後には移植格ゲーは拡張RAM付きで発売されるようになり、2D格闘の二大ブランドであるCAPCOM、SNK系のゲームはほぼアーケードのままのレベルで遊ぶことが出来た。
前述のコントローラーの形状から、とにかく格ゲーに適したハードでもあった。

一時はというか、スタート時は当時のゲームセンターで大きな話題となり、新たなゲームの在り方の扉を開いた、自社の『バーチャファイター』の移植といった注目作があったことから、最初は特に注目作の無かったプレイステーションと競り合っており、寧ろ優勢であったと言われる。
少し高かったが、最初に100万台を達成したのもサターンである。

業界の盟主であった任天堂が次世代ゲーム機戦争に大きく出遅れ、後に発表されたNINTENDO64の発売も遅れていたこともあってか、次世代ゲーム機戦争はこの2機種の一騎打ちとなった。

セガ・マークIIIファミコンに遅れをとり、メガドライブスーパーファミコンに及ばず、ゲームギアゲームボーイに敗れ…と、つねに任天堂の後塵を拝してきたセガが、ついに業界首位の座をつかみ取るかと、ファンは固唾を呑んで見守っていたが、『FINAL FANTASY Ⅶ』がプレイステーションで発売されるとわかるや否や、趨勢は一気にPSに傾き、哀れセガはまたしても二番手に甘んじることになる。
……まあ、実際には『鉄拳』や『バイオハザード』の様に、それ以前からPSで大きな話題に挙がるようになったゲームは登場していたために、最終的なトドメを刺される形になったというのが正しいのかもしれない。
サターンは移植に強かったが、それを喜ぶのはゲーマーのみであり、PSはポリゴンで3D視点を利用した新しいゲームが多く、普段はゲームをやらなかった層にまで、ちょこちょことヒットに繋げたのがユーザー層の拡大の差に繋がったのかもしれない。
CMのセンスは流石のSONYという感じで、PSの場合はクソゲーも面白そうに見えたとの意見も。……せがた三四郎の登場はまだまだ先である。

最終的にセガサターンそのものの総合的な売り上げは悪くなかったのだが、
末期に染み付いた「負け組」というイメージが、ドリームキャストの販売戦略にも影を落としてしまうこととなる。
それでも国内売上は最終的に500万台を余裕で越えており、セガで一番売れたゲーム機だった。
何だかんだで日本国内では一番セガハードのユーザーが多かった時期という事でもあり、セガのハードと言えばセガサターンのイメージが強い人も多いだろう。

……しかし、日本市場では大健闘したが、海外市場では自社製品であるメガドライブと競合する形になってしまい、世界的に見ればセガの歴代ハードで最も失敗した商品となってしまった。

PS、NINTENDO64と比較すると、国内売上では辛うじて2位となったが、世界的には上記のように北米市場で失敗したのが響き、北米市場で伸びたNINTENDO64にも敗れてしまうことになった。
スーパー32Xの存在によるサターンの戦略への影響や本体の発売日の前倒しによる周辺の混乱なども原因となった。
メガドラ時代を牽引し、北米市場では一時期にはマリオをも脅かす程だったソニックの新作が何故か出なかったことも痛かったとも。


【性能】

セガサターンは32bitCPU2機による並列処理をメインに、都合7つものチップを組み合わせて高度な情報処理を実現している。
このため、某ジャガーの如く最初期のCMでは“64bit級”を謳っていたが、後には使われなくなった。

2Dの表示機能に関しては当時のハードの中でも群を抜いており、アーケードゲームからの移植の再現度がNEOGEOに並んで評価が高い。
前述の様に後年に出たものは拡張RAMによりロードのストレスがほとんど感じる事無くプレイ出来る作品が多い。
中でもサターンの象徴となった、自社の「バーチャファイター」の移植は世間を驚かせ、家庭用ゲームに「ポリゴン」を一般化させるという功績を果たした。

だが「バーチャファイター」は終わりの始まりでもあった。
3D表現で話題を呼んだ同作だったが、実はサターンは元々2Dのみしか想定していなかったこともあって本来3Dは不得手であり、専用チップも積まずにソフト任せという仕様だった。
逆に最初期デモの時点で3Dへの強さをアピールするほど3D表現が得意なPSなどと比較すると大きく劣っていた。
その割にセガ自身が出したゲームは3Dばっかりだったのが何とも。グラフィックはともかく名作も多かったのが無念。
バーチャファイター3を移植しようとした当時は拡張RAMを使ってもセガサターンでは移植が難しく、後のドリームキャストを開発するきっかけになった。

バーチャファイター移植で3Dの可能性を切り開いてしまったばっかりに、最終的には自滅する羽目になった悲劇のハード、それがセガサターンである。
……ついでに言うと、この時期のSONYは3D表現の面白さをゲーム業界に伝えるのに苦闘していたのだがバーチャファイター移植によって前述の通り、可能性が開かれた。
セガのライバルであったナムコが危機感を抱いてSONYに接近したという点でも、まさに敵に塩を送るというかなり悲惨な結果になっている。
この対立路線の結果、namcoの『鉄拳』シリーズが『バーチャファイター』の対抗馬と見なされることとなり、互いに『2』に移るころにはゲーセンでもシェア争いをするまでになったとのこと。
これが無ければ『鉄拳』は初期の色物的なゲームのままで終わっていたかもしれない。

また、上述の複雑な構造は、セガ内製ばかりでなく他社の部品にも頼っていたためにコストダウンに向いておらず、
試供品として購入・分解したSONYの技術者は内部構造を見た瞬間「勝った」と確信したという話も伝わっている。
その複雑な構造からサードパーティーにも敬遠され、ポリゴンが苦手であったことから上記の様にFFも来なかった。
元々ドラクエ7の方はサターンで出すことを検討していたが、スクウェアがエニックスに大容量でRPGに適しているとしてPSを薦めたために二大タイトルは揃ってPSに……。そのドラクエがPSソフトで最高売上となっているのが何というか。

後に、PSは当初から見込んでいた本体の低価格化を実行していくことになるが、サターンもこれに対抗するために不可能な値下げに応じた。
しかし前述の通り構造上コストは削れず、結果、売れば売るほど赤字が出るというジレンマにも陥ることになった。
値下げ戦法はNINTENDO64も可能だったために、ここでもサターンは一人だけ割を食ってしまったのである。
最終的には皆で値下げしたので、二台、ないしは三台とも所有する家も結構出る中で、格ゲー専用機として割り切られたとかなんとか。
とはいえコアゲーマー向けだった事で、硬派なゲーマーを自認する人間はみんなサターンが好きだったのである。
……もっとも後にギャルゲー・エロゲー御用達になるとは思ってもみなかったであろう、皮肉な話である。

後年の話になるが、この複雑怪奇なシステムが影響して、SSのソフトは非常に移植しにくいというのが明らかになっている。
もちろん移植先に合わせてプログラムを書き直せば…というのは割と出来る話だが(サンダーフォースVとか)、その書き直しで微妙な差異が発生するのを嫌ってエミュレーションでとなるととたんに難易度が跳ね上がる。
Xbox360でもマシンスペックが足りず、箱版のレイディアントシルバーガンは「サターン独自機能が多用されすぎてるので、ほぼ新作同様の手間がかかってる」とまで言われている。
グラフィック系にはやはり移植ミスが生じているようで、PSミニは出来たのにサターンミニが出来ないのはその辺りに影響されていると推測されている。

【CM】

マスコットキャラは黒時代はチンパンジーのセガール&アンソニー、白時代はせがた三四郎藤岡弘、)を起用。
特にせがた三四郎はゲーム化もされたり、「セガサターン、シロ!」という名台詞等インパクトの高いCMを毎回視聴者に提供した。


【年齢規制による表現】

日本のコンシューマゲーム機としては珍しく残酷シーンやHなシーンなどの表現が、年齢制限はあったもののPSやN64と比べるとあまり厳しくなかった。
例を上げると、『天地を喰らうII 赤壁の戦い』はアーケード版と同じく、首や胴体が真っ二つになるなどの残酷な描写が再現されていたり、『ときめき麻雀パラダイス』ではヒロインの裸体描写があった。
そのためエロゲや脱衣麻雀などのゲームも多かったが、エロゲーマーの間ではSSのエロゲは完全移植ではないので評価は低い。
中にはおしゃぶり音声が収録されていたり、AV女優をCVに起用した作品まである。
この規制のゆるさを利用し、サターンは中期から後期にギャルゲーやエロゲーが大量に発売されることになる。
ただし初っ端から18禁PCエロゲーの移植を敢行してきたPC-FXと比べれば、せいぜい乳首が出てる程度のものであった。

しかし発売から二年後そのような表現等が厳しくなり、自主規制を止む無くされていく。
さらにポケモンショックが追い討ちを掛けゲームやアニメの表現が一度見直さるようになり、年齢制限のあるゲームでもそのような描写がかなり自粛されるようになった。
このような描写を目当てでSSを買っていた当時のユーザーはとても残念な思いをしたと言う。
特に後期はギャルゲーやエロゲーが主力だった事もあり、これによる勢いの失速、そしてPSやN64との明確な客層の差別化が維持できなくなった事はサターンの売上に大きく響く事になった。
売れば売るほど赤字になる本体値引き競争のダメージも深刻化し、サターンは幕引きを余儀なくされたのであった。


【主な作品】

(ゲームをやらず、同梱されているメモリーバックアップの為に買う人が多い)

【主な作品 (美少女ゲーム系)】


【次世代のドリームキャストに及んでいなかった販売戦略】


セガサターンの初期のスタートダッシュが悪かったのは、ディスクドライブおよびPS比較でコストダウン困難な煩雑設計による高価格と、キラータイトルの欠如からも大きい。メガドライブのドル箱星だったソニックは、今機では後手な上にオムニバスソフト『ソニックジャム』(スーパーマリオコレクションみたいなもの)、続けてリリースは『ソニックR』でレーシング(?)で、ソニック本編はサターン発売は中止となる。(ソニックR風に試作されたものがドリームキャストへ切り替えられ、3DアクションRPGとして『ソニックアドベンチャー』となった。)
いちおう、後日開発するソニックアドベンチャーに全然引けを取らない『ナイツ』が新規IPで開拓されたが、PSの牙城を崩す威力にはおよばなかった上、サターンのコストダウン非対応な煩雑設計とナイツのフルアセンブラ(汎用の機械に対処するC言語やJavaと違い、その機械に100密にプログラムするため他基板で互換性不可)プログラミングにより、PS2などに移植してもサターンほどフルを活かせず、サターンもコストダウンで部品減らしで初期ソフトと互換性を犠牲にするハメとなる。
インターネットオンライン有線はメガドライブから一旦停止し、インターネットオンラインはドリームキャストで再開。インターネットがらみで不採算沙汰はサターンにはなかったが、ドリームキャストにはオンライン用にサーバーも投資の博打うちの泥沼化の羽目となる。
同時期にはNECもPCエンジンの新型PCFXを出したが、サターンと同じく2D特化により、2000年代後半に二次元再ブームへは時代が早く、3DのPSどころかN64にも場違い感となる。




【本体の種類】

セガから販売していた白と黒のSS以外にも他社からもSSが出されていたりする。
他社から販売されたものは今で見たら魅力的かもしれないが、当時の人にとっては誰特な機能を積んだ物が多い。
この事から「セガは未来に生きていた」と言っている人もいる。

  • 初期型
最初期の物。通称黒サターン。基板が二枚で左側に丸型の通風孔がある。
後の拡張性を見越した設計をしていたが、そういった展開をする事はなく後継機でオミットされた。
因みに、販売価格44,800円として記憶されているが実際にセガが予定していた適正価格は49,800円で44,800円というのは初めの6ヶ月間のみの値下げ価格のつもりだった。*2
しかし、売れ行きの好調や約2週間後に発売されて任天堂の新型機が発売されるまでのライバルと目されたプレイステーションの当初の定価が39,800円であった事情等から、値上げすることに意義を見出だせないとして定価は据え置きとなった。
……尚、実際の店頭ではPSに対抗してか更に−5,000円程されて販売されるのが主だったそうで、後の低価格競争以前よりコスト対価に対する採算で損をする形になってしまっていたようである。

  • 中期型
1995年前半より出回り始めた。基板を一枚に最適化してコストダウン。

  • 後期型(白)
通称白サターン。廉価版で20,000円。
コストを徹底的に削ったせいか一部ソフトの互換性がない。それでもサターンの構造上の理由から赤字。

  • スケルトン
白サターンのガワが半透明になったタイプ。

  • Vサターン
ビクターから販売された。
色や起動時のロゴが違うだけで他は変わらない。

  • Hiサターン
日立から販売された。
ビデオCDやフォトCDが再生可能。

  • ゲーム&カーナビハイサターン
上記のHiサターンにカーナビ機能を搭載したSS。誰が使うんだ。カーナビに使い易いように小型化されている。
2009年頃にヤフオクで¥149,001で落札された事で話題を呼んだが、コレの新品は¥150,000だった。

  • サムスンサターン
HiサターンやVサターンの部品が使われている。
サムスン製品でやはりというか不具合が多い。

  • セガサターン アドレスチェッカー
開発者用のSS。
一般販売はされていない。

  • ST-V
業務用のSS。


【パワーメモリー】

セガサターンは本体のバックアップ以外に外付けのバックアップROM「パワーメモリー」でセーブが出来る。
PSのメモリーカード同様にメモリバックアップ方式を採用しており、FCやSFCのような電池切れによるデータ紛失は起こらない。
しかし本体の仕様上メモリーの端子の接触が悪く、データが消える事故が多発しやすかったので、涙を飲んだユーザーも多かった。
その為カセットフーフーをやってはいけない周辺機器とも言われており、出来るだけ抜き差ししない方が良い。
また拡張RAMが必要なゲームをする時にパワーメモリーと取り替える事があり、それで消えるパターンも多い。


【セガサターンモデム】

サターンに電話回線を繋ぎ、インターネット通信を行うことができる拡張機能。
今の時代を先取った『通信対戦』にいち早く対応したハードなのだった。
しかしISDN時代にはあまりにも早すぎた機能であり使いこなせたソフトはほとんどなく、ネット通信機能の発展はドリームキャストの時代を待つこととなる。
ある意味、未来に生きていたセガサターンの象徴とも言えるかもしれない。


【フロッピーディスクドライブ】

外付けで接続するドライブ機器で、セガサターンで3.5インチのフロッピーディスクを使用出来るようにする物。
フロッピーディスクをデータの保存に利用した場合、その容量はパワーメモリーの約1.5倍となるが、利用するには対応ソフトが必要。







セガは、倒れたままなのか?


11月X日
逆襲へ、Dreamcast



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最終更新:2024年04月09日 16:24

*1 複数のセガマニアのブログ等の検証や証言では、パワーメモリー端子と本体の差込口に微妙な隙間があって接触不良を起こしやすい構造になっていたのにそのまま販売・改善しなかった為と言われている、また名称やデータ表記がおかしい不良データが出来てしまうとそのパワーメモリーは使い物にならなくなるとも

*2 もっと前に出ていた3DOや全世代のCD媒体のゲーム周辺機器の定価を考えれば、コスト面から見てもメーカー側から見れば決して高過ぎる設定では無かったと思われる。実際、セガは先代のメガドライブ、後継機のドリームキャストではコスト面に気を配った結果、販売当初からの低価格販売を実現しているメーカーである。