カスケード(マキバオー)

登録日:2011/06/07 Tue 00:36:13
更新日:2024/04/01 Mon 22:22:34
所要時間:約 6 分で読めます





内ラチギリギリに黒い旋風が吹き荒れる!!

そう!この風は見知らぬ風ではない!!

もう今年3度目だ!!

その風の名は…


黒き帝王カスケードオオオオオ〜〜!!


カスケードは『みどりのマキバオー』と続編の『たいようのマキバオー』に登場する競走馬・種牡馬。
モデルはフジキセキ。
名前の由来は同名のコンピューターウィルス。

※馬齢、レース名などは全て当時のもの。

●目次

【データ】

毛色:青鹿毛
父:サンデーサイデンス
母:ヒロポン
母父:ダンキチ
生産:本多リッチファーム
馬主:本多平七郎
調教師:榊原康夫
主戦騎手:服部政人
通算戦績:9戦7勝(内海外2戦1勝)

主な勝ち鞍
朝日杯3歳ステークス
皐月賞
NHKマイルカップ
日本ダービー

受賞歴
1995年JRA賞最優秀3歳牡馬
1996年JRA賞年度代表馬・最優秀4歳牡馬

【レーススタイル】

レーススタイルは追い込み型。
道中は最後方から進め、直線末脚を全開にするという戦法で勝ちを重ねた。
4歳春までは競り合い時の勝負根性に欠ける面が見られ、この戦法を取っていたのもそれをカバーするために「強いカスケード」を演出するための策のひとつであった。しかし、この弱点もマキバオーとの戦いを通して完全に克服している。
常にマキバオーたちの一歩先を歩み、競馬界を牽引した王者であった。
その堂々とした態度と圧倒的な強さはファンからも支持され、「理想的なライバルキャラ」として彼の名前が挙がることも多い。

【誕生】

父は日本競馬史にその名を刻む歴史的大種牡馬。
母はGⅠエリザベス女王杯を制し、有馬記念でも2着に入るなど活躍した名牝ヒロポン。
ヒロポンは外国産馬であったためにクラシックレースへの出走権がなく、同期の桜花賞馬ミドリコを一蹴するほどの実力を持ちながらも、それに見合った栄光を掴む機会に恵まれなかった*1

ここで第一の悲劇が彼を襲う。
ヒロポンは難産であり、医者は「母馬の健康を考えたら堕胎させるべきです!」と本田オーナーに進言して薬を注射しようとするが、
当のヒロポンが医者の腕に噛みついて拒否、本田オーナーを睨み付けて「どうしても産む」という覚悟を見せたのだ。
本田オーナーはそれを察し「わかった、絶対にいい子を産め!そしてお前も生きろ!」と言い、自らカスケードを引き出しにかかった。
しかし、この世に生を受けたカスケードが初めて見たものは、落胆する人々と動かなくなった母の姿だった。
カスケードを出産したことによってヒロポンの身体が深刻なダメージを受けてしまい、そのまま命を落としてしまったのだ。
彼は母の偉大さを証明する唯一の存在として、矢尽き刀折れるまで戦い抜かねばならない宿命を背負ったのだった。

以来カスケードは感情を捨て去り、最強の座を目指してひたすらに調教へと取り組む。
そうした中で、彼はかつて母の前に敗れ去った桜花賞馬ミドリコの仔、ミドリマキバオーと運命の出会いを果たす。
ここでは一蹴してみせたものの、これは後々まで続く激しい戦いのゴングに過ぎなかったのだった。

【戦歴】

無事3歳となり、デビューを控えたカスケードは1歳上の2冠馬*2ピーターⅡとのマッチレースに臨む。
ここでは敗れてしまうが、この戦いで力を使い果たしたピーターⅡは次のレースにて骨折し引退。
自らのポテンシャルの高さを示すことに成功するも、その敗北感は後々まで彼を苛むこととなった。
その後10月に東京の新馬戦でデビュー。1番人気に応え勝利する。
翌週なぜか連闘*3で京都での500万下に出走。
こちらも勝利し2連勝を果たすが、タイム等は平凡でありファンを落胆させる。
が、実のところこれは翌年のダービー・菊花賞のリハーサルとして中盤を流していたためであり、すでに翌年を見据えての競馬を行っていたのだった。

初のGⅠ挑戦となった朝日杯3歳ステークスでは、別路線ですでに重賞を勝利していたミドリマキバオーに次ぐ2番人気に甘んじる。
そして3番人気はピーターⅡの弟であるアマゴワクチン
後に最強世代の3強と呼ばれる名馬たちの初対決*4であった。

レースは完全に3強の独壇場となる。
最後の坂で一旦は他の2頭にリードを許すも、後に彼の代名詞となる「地を這う走り」を発動させ逆転。
見事レコードタイムでの勝利を飾り、最優秀3歳牡馬に輝いた。
この頃には競馬に対して母の偉大さを証明すること以上のものを見出したようで、マキバオーをライバルと認めるようになる。



年が明け4歳になったカスケードは、日本の世代最強馬としてドバイに遠征。
海外の強豪馬達が続々と脱落してゆくほどの過酷な調教に耐え切り、世界の10傑へと選ばれる。
そのまま海外で走ることも考えられたが、カスケードは日本に帰る道を選択。
世界最強馬であるエルサレムに「弱いヤツを相手に走るのか」と非難されるも、日本にいるライバルとの決着をつけなくてはならないと一蹴。
無敗のままで世界の舞台に戻ってくることを約束し*5、帰国の途に就く。


クラシック初戦となる皐月賞では、遠征と調教の影響によって肋骨が浮き出る程に馬体重が減少。
それでもマキバオーに次ぐ2番人気に推される。
レースは同じく骨折により万全でないアマゴワクチンの策を只一頭見破り、先行するマキバオーをワクチン・サトミアマゾンと共に直線強襲。
一度は抜き去って先頭に立つも、マキバオーの脅威の勝負根性に臆し、逆転を許してしまう。
しかしマキバオーはチュウ兵衛が落馬したことで失速、再度逆転し勝利を果たした*6


次レースにはこの年から新設されたGⅠNHKマイルカップを選択。
馬体重と体調を戻し、並み居る外国産馬たちを1頭で迎え撃つこととなった。
重賞4連勝と本格化していたニトロニクスに対し一度は先頭を譲るも、
皐月賞で露呈した勝負根性の低さは完全に克服されており、再度差し返し逆転。
最終的に着差以上の実力差を見せつけ完勝。ダービーを完全に視界に捉えた。


無敗のまま迎えた日本ダービーは単勝1.6倍の1番人気。
レースはいつも通り後方から進めるも、王者のプライドから大外一気でマキバオーの闘志を空回りさせる作戦を拒否。最内に進路を取る。
直線に入ると内ラチに身体をこすり流血しながら追い込み、他馬をごぼう抜きして先頭に立つ。
ほぼ勝利を決定づけたかに思われたが、マキバオーの故障も厭わぬ大ジャンプにより追いつかれそのままゴール。
レースは皐月賞に続き写真判定となる。
そしてゴールから17分と11秒後、GⅠ史上初*7となる同着が確定。
無敗のダービー馬となった。


しかしレース後、命を賭してマキバオーを同着勝利に導いたチュウ兵衛が死亡したことを知る。
勝利の余韻も吹き飛び、ピーターⅡとのマッチレース以来となる「二度と覆せない敗北感」を再び味わう事になった。


その後はファン投票で選ばれた宝塚記念を回避し渡仏。
海外初戦となるニエル賞*8を制し、日本競馬関係者の目標である世界的大レース凱旋門賞へと挑戦。
約束通り無敗のままエルサレムとの対決に望んだ。
しかしレースは最後の直線で伸びず6着。初の敗北を喫してしまう。

この時すでに、彼の身体を第二の悲劇が襲っていた。
凱旋門賞の直線でまったく脚を伸ばせなかった原因、日本ダービーの時から見せていた身体のふらつきは、
治療法の確立していない奇病「マリー病」*9によるものだったのである。
陣営は引退して種牡馬となる道を勧めるが、ライバルたちとの決着を望むカスケードはそれを拒否。
調教すらろくにできない状態の中、年末の総決算レース有馬記念への出走を決める。


引退レースとなった有馬記念。
カスケードの病気に気付いたことで戦意を喪失し、勝負の仕切り直しを願うマキバオーに失望の眼差しを向ける。
「貴様は最低の競走馬だ」と罵り、残る力を振り絞って直線先頭に立つ。
しかし復活したマキバオーが他の馬をごぼう抜きし強襲。安堵したかのような表情を浮かべて力尽き、先頭を譲った。
そのまま失速して最終的には6着でゴール。その短くも濃い競走馬生活に幕を降ろした。


【引退後】

有馬記念こそ敗れたものの、GⅠ3勝や海外重賞制覇などが評価され、この年の年度代表馬と最優秀4歳牡馬に選出。
母ヒロポンの偉大さを証明し、その血を繋ぐ唯一の存在として種牡馬入りを果たす。
引退セレモニーの際には駆けつけたマキバオーと並走。共にゴールインすると「俺はここまでだ」と言い残し、
先へ行くマキバオーを見送った。
ドバイでの戦いには当然参戦できなかったが、ちょくちょく話には登場。
エルサレムから彼に抱いていた期待や万全な状態での勝負ができなかったことへの悔いが語られるなど、
引退してなお存在感を示していた。

続編の『たいようのマキバオー』では種牡馬として登場。同世代ではプレミアと共に種牡馬として成功している描写がなされており、
トータルケイオス・フラットビッキー・ブラックレイン・ファムファタール・ダイナスティなどが産駒として登場している。

またジャパンカップのレース前に東京競馬場に登場。引退し調教師になった服部と「お互い老けた」と軽口を叩きあったり、
偶々その場に居合わせた主役馬ヒノデマキバオーにミドリマキバオーの面影を感じたりしていた。
また、自身と同じく無敗でGⅠを勝ち抜いてきたフィールオーライの心の葛藤を敏感に感じ取り、その行く末を心配していた。
+ ちなみに
実はヒノデマキバオーの母マキバコ(ミドリマキバオーの半妹)と前作に登場した彼女の弟ブリッツもサンデーサイデンス産駒なので、競馬の慣習的にそう扱われることはないが*10一応彼もヒノデマキバオーの伯父だったりする
余談だがミドリマキバオーは海外に移住し、ブリッツのその後は不明なため、実はヒノデマキバオーの「伯父・叔父」としてはフィールオーライの次に彼と縁があったりする。お正月編で羽根つき対決してたし。
また2作合わせて末っ子のフィールオーライ等サンデーサイデンス産駒は他にも登場していたり(母系の兄弟でなくかつ年齢も離れているせいかフィールからは呼び捨てか「さん」付け)。

その後は『たいようのマキバオーW』にてファムファタールとヒノデマキバオーを指導する師匠ポジションとして活躍を見せている。
だが競走馬業界の繁殖システムの都合上種牡馬は子供達と直接会うことが滅多に無いため、ファムファタールとの初対面時には割ときついジョークをかまされ無言になっていた。
また『たいようのマキバオーW』後半では彼の子の一頭ダイナスティがヒノデマキバオーと仲良くなり、最終巻では2頭揃って凱旋門賞に出場。
「カスケードの仔」と「マキバオーの甥」が「後輩」と「先達」という関係性をも築き、レースで競争相手として対峙することになる。
ちなみにたれ蔵(ミドリマキバオー)はドバイで海外馬たちに持ち前の根性論を教えこむ師匠ポジションとなっており、彼らとファムファタールやヒノデマキバオーは度々対戦している。
ライバル関係は世代を超え、弟子たちへと引き継がれているのだ。

【主要産駒一覧】

  • フラットビッキー
佐賀競馬所属の競走馬。
カスケード産駒であるにもかかわらずパッとしない自分の居場所など、割とコンプレックスを抱えていたが、かしわ記念でカスケードと同じ「地を這う走法」を会得したことで佐賀競馬でもトップの競走馬へと成長した。

  • トータルケイオス
芝からダートに転向して名を上げた競走馬で、「砂のカスケード」の異名を持つ。

  • ファムファタール
65年ぶりの牝馬によるダービー制覇という快挙を成し遂げた。

  • ダイナスティ
日本競馬史上唯一の凱旋門賞馬。

【余談】

カスケードのイメージモデルは、本作が連載開始した1994年にデビューしたサンデーサイレンス初年度産駒「フジキセキ」とされている。
父馬の名前・「青鹿毛」の毛並み・最初に制したG1レースが朝日杯3歳ステークスと共通点が多いが、現実のフジキセキはその素質から次代の3冠馬を期待されるも1995年皐月賞直前に屈腱炎を発症し引退・種牡馬転向を余儀なくされており、
サンデーサイレンス初年度産駒クラシック勝者の名はジェニュイン(皐月賞)・ダンスパートナー(オークス)・タヤスツヨシ(日本ダービー)に譲ることとなった。
そのため「もしフジキセキが故障することなくクラシック戦線に挑んでいたら?」というIFがカスケードとも見ることが出来る。
『たいよう』時代の産駒傾向はSS系でもマイル・短距離系産駒が多いフジキセキより、某英雄やドバイ・香港で産駒初海外勝利を飾った某黄金旅程の方に比較的近めだが。
ちなみにサンデーサイレンス産駒からは本作後二冠馬2頭(皐月・菊花と皐月・ダービー)や牝馬三冠馬、無敗三冠馬(血統図等からフィールオーライのモデルとも)、牝の白毛馬が登場し、
ついでに生後すぐ母を亡くしたダービー馬(偶然にも彼をモチーフにしたアニメでは同名主人公がカスケードと同じくダービーで同着勝利)もいるが、NHKマイルカップを征した仔は存在しない(孫の代で制覇)。
このせいで、2001年に天才と謳われた皐月賞SS産駒の故障引退後日本ダービーを征した「ジャングルポケット」(トニービン産駒)が、フジキセキと同じ厩舎・騎手な事もあり一部ではリアルマキバオーと呼ばれているとか。
またその強さ等は、一部ファンから80年代の無敗三冠馬シンボリルドルフを連想させるとの声もあがっている。
「たいようのマキバオー」では「戦績や破天荒なローテはウオッカを彷彿させるが、血統はそのライバルのダイワスカーレットをモチーフにしている」牝馬、ファムファタールが自らの産駒として登場している。この事から、現在ではフジキセキをベースとした「サンデーサイレンス産駒全体」が彼のモチーフとなってる模様。

余談ながら、カスケードの血統構成は現実に日本のGⅠを勝った牡馬がいない。*11
マキバオーの血統構成がダービー馬ウイニングチケットと一致しているのとは対照的である。
また、カスケードのとった皐月賞→NHKマイルカップ→日本ダービーのローテーションに挑み全勝した馬は歴史上存在しない。*12
そもそも、皐月賞を使わない「松国ローテ」*13ですら2000年代に2頭の成功例しかなかったりする。
主な理由としては下の2つが挙げられる。
  • 現実の90年代NHKマイルカップは「クラシック競走に参加不可能な外国産馬の代用クラシック」要素が強めなため2001年までの優勝馬は皆外国産で、マイルカップ勝者で最初にダービー挑戦したのは外国産馬参戦が解禁された2001年のクロフネから。
  • マイルカップで日本産馬勝利が殆どになった2000年代以降だと今度は負荷や距離適性を考慮して「春クラシック2戦」or「マイルカップ直行」or「春クラシック一個とマイルカップ」のどれか一つを選ぶことが増え、3連戦する馬自体が少ない。
それに加えて4歳(現表記:3歳)でドバイとパリ双方に遠征するハードスケジュールながら、マリー病以外では目立つ故障が見受けられなかったカスケードの強さと耐久力がいかにずば抜けているか分かろうというものである。
さらに余談だが、実は現実で皐月賞・日本ダービーを征した「二冠馬」はそれこそレースに出走不可能な程の故障がない限り確実に菊花賞出走を選んでおり*14、病魔によるタイムリミットがあったとはいえかなり異例の戦歴と言える。また、古馬として二度凱旋門賞に挑み、二回とも二着となった三冠馬オルフェーヴルは「斤量を考えると、カスケードのように菊花賞を無視して凱旋門賞に出ていれば制覇できていたのではないか」とする声もある。

なおアニメ版で声を担当した玄田氏は、後に人間キャラでも黒い強者を演じているが、同時に黒は黒でも黒いセールスマン暗闇の怪人なんてあまり縁が出来たくないキャラを先人から引き継いでいたり。

2018年7月14日に発売されたジャンプ第33号における(当時の)連載陣がお気に入りのキャラクターを挙げるという企画で、
ハイキュー!!』の作者・古舘春一はカスケードを挙げており、本誌の表紙には主人公・日向翔陽を背に乗せたカスケードが描かれている。
単行本40巻の折り返し部分にも同イラストが掲載されている。



カスケード時代の終焉か!!黒い伝説もここまでか!!


終わらないさ…終わらない!こんなもんじゃない…こんなもんじゃない!

もう忘れたのか!!あのカスケードを…あのカスケードを忘れたっていうのか!!!


見えないのか!?

感じないのか!


伝説はここにある!

黒い風は吹いてる!


これがカスケードだ!!
僕達が命懸けで
追いかけて来たカスケードだ!!



ここで追記・修正すれば…! オレには恐れるものがなくなるという事だ!!

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最終更新:2024年04月01日 22:22

*1 当時はヴィクトリアマイルが存在せずエリザベス女王杯も現在の秋華賞にあたる旧4歳限定G1だったため、古馬になってからは牡馬と走るほか道がなかった。基本的に牡馬のほうが速いのは競馬界では常識であり、特に古馬になるとその傾向はますます強くなる。混合レースで牝馬が勝つのは『余程展開に恵まれる、超実力馬』でなければまず無理なのだ。

*2 皐月賞と日本ダービーを制した世代最強馬である。

*3 2週連続の出走。馬への負担が大きいため、よほどの事情がない限りは行われない。

*4 そして、彼ら3強が万全な状態で戦ったのはこのレースのみである

*5 このとき、もし負けたならその馬が自分の代わりに世界へと挑むだろうことを予言している。

*6 もっとも、チュウ兵衛の落馬がなければ負けていただろうことを悟っており、笑顔なき勝利であった。

*7 現実では2010年オークスが初。

*8 凱旋門賞のトライアルレースである。

*9 現実では欧州最強馬ダンシングブレーヴが罹患したことで有名。

*10 父系だと下手したら兄弟が数百頭以上になることがありキリがないため、基本競走馬の兄弟姉妹関係では母親が同じな子供達のみをきょうだいとしている。

*11 重賞3勝のミレニアムバイオが獲得賞金額筆頭となる。牝馬も含めればビリーヴが高松宮記念とスプリンターズステークスを勝利している。

*12 2002年にタニノギムレットが3着→3着→1着したのが最高。牝馬だと桜花賞14着→マイルカップ勝利→オークス5着のピンクカメオがいる。

*13 提唱した調教師の名をとってこう呼ばれるが、同時に最初に達成したキングカメハメハ、及び同じ調教師で先行してこのローテに挑んだクロフネ・タニノギムレットが3歳期のみで早期引退を余儀なくされたため「死のローテ」とも呼ばれている。

*14 「ダービー馬や皐月賞馬が菊花賞でなく海外遠征を選ぶ」事自体はあり、ダービー馬では80年代のシリウスシンボリや2010年代にパリ遠征に進んだキズナ・マカヒキ、皐月賞馬では2010年のヴィクトワールピサ等の実例が存在。また1999年のエアシャカールは皐月賞1着→ダービー2着→イギリス遠征5着→菊花賞1着→ジャパンカップ14着とある意味カスケード以上のハードローテを転戦している。