M4中戦車

登録日:2011/10/07 (金) 14:15:51
更新日:2024/02/13 Tue 21:35:49
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M4中戦車(通称シャーマン)とは第二次大戦中においてアメリカ合衆国によって開発・製造された中戦車である

全長 7.47m
車体長 6.19m
全幅 2.62m
全高 2.67m
重量 32.3t
乗員 5人
武装 76.2mmM1
12.7mm M2機関銃×1
7.62mm M1919機関銃×2

他、ロケット砲搭載のシャーマン・カリオペやイギリスが改良したファイアフライ等様々なバリエーションが存在する


さほどミリタリー物に詳しくない諸兄も結構な人数の者が映画やゲーム等で見たことや聞いたことがあると思われる

第二次大戦中の戦車と言ったら何かと聞かれたら大半がドイツのティーガーかソ連のT-34、そしてコレを挙げるだろう

その圧倒的な知名度のせいでM26パーシング重戦車の影がだいぶ薄くなっているのはご愛敬(せめてもう少し登場時期が早ければよかったのだが)
また、イギリス、カナダ、オーストラリアを始めとするイギリス連邦加盟国やソビエト連邦に数千輌。
その他、自由フランス軍やポーランド亡命政府にも(棺桶等と共に)レンドリースされている


開発経緯

WW2前夜の1936年当時、アメリカは中立姿勢をとっていた事等により装甲車両の開発に積極的ではなかった。

それでも欧州の戦乱の空気を感じ取り、1939年にM2中戦車を開発。
M2中戦車は37mm砲搭載、最大装甲厚51mm、重量19t弱。
総じていえば開発当時で世界水準~世界水準チョイ下といった程度の性能だった。
が、そんな性能でもそこそこ満足していた様で、米軍は小改良したM2A1中戦車を1,000両量産する計画を立てた。

だが1940年5月に始まったフランス戦の戦訓によりM2中戦車では予想される戦場で生き残ることはできないと判断。
M2中戦車の量産計画は中止され新型戦車開発が開始された。

まずつなぎとして1941年4月からM3中戦車(グラント/リー)が生産開始、1941年10月にはM4中戦車が正式採用、1942年2月には量産が開始された。

性能(初期型)

火力:37.5口径75mm戦車砲M3を搭載、1,000yard(914.4m)先の傾斜角30度=撃角60度における装甲貫徹力は以下の通り
弾種 初速 弾頭重量 装甲貫徹力
均質圧延装甲
(RHA)
表面硬化装甲
(FHA)
M72 AP
(徹甲弾)
618.7440m/s 6.323077kg 63mm 53mm
M61 APCBC-HE
(低抵抗被帽付徹甲榴弾)
618.7440m/s 6.785741kg 60mm 67mm
T45 HVAP
(高速徹甲弾※試作のみ)
868.6800m/s 3.810176kg 97mm
速力:路上時速40km/h 不整地20km/h 他国戦車に引けを取らない速力。
装甲:車体前面51mm(34°乃至43°) 砲塔前面76mm乃至89mm 他国戦車と比較して同程度か多少劣る。
信頼性:構成部品の堅牢さから40時間の戦闘行為が可能とされた。(ソ連戦車で15時間程度)
生産性:生産性を確保する為にM3中戦車に引き続き、複数メーカー・複数エンジンでの生産体制を構築。
___||メーカーにより車体の製造方法や搭載するエンジンが異なる。
___||大抵こういう事をすると互換性に問題が出るのが相場だが(例:チハ戦車)互換性を維持することに成功。

こうして開発されたM4は米軍内部で実施されたテストで優秀な成績を収め、高い評価を得ることとなる。    

戦中の活躍

こうして完成したM4戦車を装備した米軍第1機甲師団は満を持して北アフリカ戦線に投入され、ドイツ軍と戦闘!

壊滅的な被害を受けた!・・・アレ?

もうちょっと詳しく話せ?
1942年佳境を迎えていた北アフリカ戦線にて英国軍と米軍に配備されたのがM4戦車の初陣でだった。
この戦線に投入された米軍第1機甲師団は一部旧式のM3戦車を装備するなど完全な編成ではなかった事もあるが、戦闘によってしばしば小さくない損害を受けた。
また1943年のドイツ軍の攻勢作戦【春風作戦】では撃退に成功するも壊滅的な被害を受けた。
第1機甲師団自体はある程度補給を受けた事もあり、残余の少数のM4とM3を駆使して北アフリカ戦線を戦い抜いた。

この様に大戦中期に対独戦線に投入されたM4戦車は大損害を出す事が少なくなかった。

どうしてこうなった?!

大損害の理由


A.対戦車大隊ドクトリンの失敗
WW2初期にドイツ軍が披露した電撃戦ドクトリンに世界は震撼した!
装甲部隊が突破口を開き、その後梯団がドカドカ投入されるこの戦術を防ぐのにどうしたら良いのか?!
という難題に米軍が出した答えの一つが対戦車大隊ドクトリンだ!

機動力のある対戦車部隊が敵装甲部隊に先回りして有利なポジションを占有!
火力を集中させ敵の攻勢を頓挫させる!!

米軍の戦闘車両はこのドクトリンに基づいて
  • 偵察→軽戦車(M3/M5スチュアート)
  • 対戦車→戦車駆逐車(M10/M18/M36)、
  • 歩兵支援→M4
と分業を想定していた。
結果的にM4の性能は歩兵戦車寄りの性格が滲むものと成っており、バランスはよいが戦車と戦闘するには微妙に不安の残る性能となった。

実戦においてこのドクトリンは
  • ドイツ軍の戦闘単位がより細分化された(大規模な対戦車部隊を一か所に集中して先回りとか無理)
  • 対戦車ドクトリンは機動防御を主眼においた物であり、軽装甲の戦車駆逐車で攻撃はちょっとキツイ
  • ほしい場所に必要な対戦車部隊がいるとかご都合すぎ
などの理由により、結局の所機能しなかった。
その結果、M4も対戦車戦闘に駆り出される事となり大損害をうけた。

上記のドクトリンはルイジアナ演習における対戦車部隊運用の成功に気を良くしたレスリー・マックネアが推し進めたのだが、ご覧の有様となってしまったのである。
ちなみに砲兵出身の同軍人はM26パーシングの配備にも悪影響を及ぼしており、ミリオタからは無能な働き者扱いもされている。

B.ドイツ軍戦車の超進化
M4中戦車の性能自体は標準的、と言うに相応しいものであり、ソ連のT-34中戦車とおおむね同程度の性能だった
(装甲貫徹力と信頼性はM4、装甲防御力と機動性はT-34に分はあったが、朝鮮戦争では錬度の差で北朝鮮陸軍のT-34に勝利した)。

しかし魔女の大釜 東部戦線 の戦訓をもとに巨大化した新型のティーガーIやパンター等の重戦車に張り合うには性能が不足していた。

それら重戦車との性能差は相当酷く、装甲、攻撃力、射程等全て劣った。
機動性もシャーマンの履帯幅が狭く接地圧が高い事から、軽いシャーマンがしずむ泥地をより重いパンターが走行するなど、負ける事もあった。

遠距離砲戦では火力と装甲の差が非常に色濃くでた。
正面から装甲を抜くには接近する必要があり、接近するまでに一方的に狩られる事も珍しくなかった。
装甲の薄さに悩んだ前線兵士は予備の履帯や土嚢、コンクリート片、撃破された戦車から引っぺがした装甲板等を貼り付けて
装甲を少しでも厚くしようとする者が続出した。

C.米兵が下手くそ
北アフリカ戦線で英国M4部隊が大打撃を受けたって聞かない。
多分戦闘童貞の米軍が(zapzapzap


D.燃料や弾薬の防火対策が拙い
対地攻撃機からの攻撃を受けやすい部分の装甲が薄かった上に、其処を貫通されると一気に炎上する構造になっていた。
Hs129の搭乗員によると、「バレンタインチャーチル歩兵戦車は被弾しても中々炎上しないが、M4はあっさり炎上して楽だった」とのこと。




大戦後半

戦争後半になるとM4戦車は、自分より火力・防御力に優れたドイツ軍重戦車をその生産性と米軍全体の物量と連携で圧殺するようになった。

  • 数量が囮に、残りが迂回して装甲の薄い側面・後方に回り込んで仕留める
  • 戦車駆逐車、戦闘爆撃機、重砲などの戦車キラーの部隊に支援を要請する

といった感じ。米兵の練度も上がり、戦争後半にはより格上のパンター部隊と戦闘し勝利するケースもでてきた。

戦車の性能も改良が実施され
  • 主砲の強化(37.5口径75mm戦車砲M3→52口径76.2mm戦車砲M1)
装甲貫徹力は、距離1,000yard(914.4m)・傾斜角30度(撃角60度)・均質圧延装甲(RHA)の条件だと88mm(M62 APC)乃至92mm(M79 AP)で、
同条件で60mm(M61)乃至63mm(M72)だった37.5口径75mm砲M3を上回り、実はT-34-85の85mm戦車砲(※BR-365 APCBC-HE使用時)よりも優秀だった。
高初速砲の導入で、榴弾の炸薬量減少(弾殻を厚くする必要があるので内部容量が減る)とマズルブラストの増大(射撃後に砂塵を巻き上げてしまう)を招いたため、
当初は戦車兵の間でも賛否両論だったが、バルジの戦い以降は評価されるようになり、M4A3E2ジャンボや朝鮮戦争に投入される車体も後日換装されている。
  • 高速徹甲弾の配備(ただし対戦車部隊に優先された影響で一両あたり数発)
初速1,036m/sに達する76.2mm M93 HVAPの装甲貫徹力は、距離1,000yard(914.4m)・傾斜角30度(撃角60度)の条件だと135mm(※均質圧延装甲)。
ティーガーIの正面装甲やパンターの砲塔前面装甲を中距離以遠でも貫通できたので好評だったが、一月における割り当ては1両につき僅か1発のみ。
  • サスペンションの変更(垂直渦巻懸架式(VVSS)水平渦巻懸架式(HVSS))やダックビル装着による幅広キャタピラの導入
VVSS車の接地圧は1.0kg/cm2前後で、パンターやIV号戦車よりも高く、ティーガーと比較してマシな位だった。
軟弱地における踏破性はそのティーガーにさえ劣る例もあり、成形炸薬弾対策で土嚢や金網などを載せた場合は更に深刻化した
(パンターが横切った泥濘地に踏み込んだらスタックした、ティーガーがM4の走破出来なかった軟弱地を易々と通過して襲撃してきた、
北アフリカ戦線で砂漠に嵌って行動不能になるという苦情が寄せられた、硫黄島の火山灰地ではダックビルを取り付けないと車体が沈むetc)。
破損し易いという欠点はあったものの履帯にダックビルを装着する事で、接地圧は0.843kg/cm2まで改善されている。
HVSS車では0.773kg/cm2に下がり、攻防力強化の影響で0.64kg/cm2から0.8kg/cm2前後へ悪化したT-34-85と並ぶ程度には良くなった。
  • アップリケ・アーマーや湿式弾薬庫の導入
ドイツ戦車兵からトミー・クッカー(イギリス人調理器)やストーブと陰口を叩かれる程、被弾時に燃え易いことで有名だった。
アップリケ・アーマーの効果は限定的で成功とは言えなかったが、湿式弾薬庫の導入後は炎上率が60~80%から10~15%までに改善されている。
  • 現地改造による追加装甲(これは他国でも行われている) 
等、質的向上は継続して行われた。

それでもパンターに対して性能面で劣っていたが、戦争終盤では戦車兵の練度差と運用の工夫が功を奏してキルレシオでは勝っていた。
そしてドイツの重戦車がその自重で自滅し、多種多様な戦車により補給に負荷をかけていたのとは対照的に、
その高い信頼性と潤沢な補給パーツにより常に前線に多数のM4戦車を稼動状態で配備することに成功。
連合軍の勝利に貢献した。

一方の太平洋戦域では・・・

日本軍戦車が旧式で小型だった為、(95式軽戦車→7トン、97式中戦車→15トン、M4→30トン)
M4無双状態で日本軍戦車隊を圧殺した。やったねシャーマン!
確かに日本軍から見れば重戦車そのもの。真っ向勝負で敵うはずもない。

だが決して全くの無傷ではいられなかった。

日本軍は待ち伏せによる速射砲(対戦車砲)での至近砲撃やソ連兵も真似しないトンデモ兵器で対抗した。

刺突爆雷

対戦車自爆蛸壺もあるよ!!

そんな我が身も顧みない戦法に戦車兵達は戦慄し、少なくない損害を出した。
そしてまた土嚢やコンクリートで防護力強化に走るのである。
オマケに車長用12.7mm砲塔機銃も飛び乗ってきた日本兵がこれで後続の味方歩兵部隊に乱射するケースが多発、取っ払われる羽目になった。

戦後

朝鮮戦争にも後継のM26パーシングと一緒に参戦。
戦争初期は対戦車戦闘に秀でたM26の方が歓迎されたが、
北朝鮮戦車隊が摩耗しきってからはM26の路外機動性が悪かった事もあり、軽快で信頼性のあるM4が好まれて一線で戦い続けた。
M26の改良版で機動力が改善されたM46も投入されたが、整備性の面では敵わずM4の人気は衰えなかった。

朝鮮戦争後は米国の装備としては退役を開始したが、基礎設計の優秀さからM24チャーフィー軽戦車等と共に世界中の西側諸国に配備された。
紛争地帯では博物館から引っ張り出される事もある。
軽武装の歩兵攻撃にはこれで十分なのかもしれない。

自衛隊にも配備され、専守防衛や怪獣退治に使用されるが、70年代末には61式戦車と交代する形で全車引退している。

バリエーション

・M4
溶接製の車体に航空機用星型エンジンを搭載したタイプ。

・M4A1
鋳造製の車体に航空機用星型エンジンを搭載したタイプ。

・M4A2
溶接製の車体にトラック用ディーゼルエンジン2基を搭載したタイプ。

・M4A3
溶接製の車体に戦車用エンジンを搭載。

・M4A4
溶接制の車体にトラック用エンジンを5基押し込んだ狂気のタイプ。
整備が他のM4と比べて面倒くさかった為、レンドリースに回された。
ただし、クライスラー製のエンジンは意外と信頼性と動作安定性が良好で、供与された英国兵は「素晴らしい信頼性の戦車だ!!」と感涙を流した

M4~M4A4はすべて並列生産された。
基本5型 × 前期中期後期 × 生産工場の差 × 搭載砲の違い × 戦地での改造と、バリエーションが非常に多い。
本が数冊必要なレベルで派生・改造機が多く、T-34と並んでマニア泣かせである。

・M4 Duplex Drive(シャーマンDD)
DDはDuplex Drive(複合駆動)。つまり履帯とスクリューを装備した水陸両用戦車。
通常のシャーマンに上陸用舟艇から洋上を航行して上陸地点を目指すための展張式浮揚装置を付けたタイプ。
上陸作戦に投入されたが結構沖合で沈没するケースも少なくなかった。

・M4 Beach Armoured Recovery Vehicle(シャーマンBARV)
BARVはBeach Armoured Recovery Vehicle(沿岸装甲回収車)。
砲塔を取り外し、海中で作業するために防水加工された船体のような構造物を取り付けた車両。
沿岸で動けなくなった揚陸艇や戦車の回収などをサポートする。

・M4 CRAB(シャーマン・クラブ・フレイル)
地雷撤去用の車両。地面に回転するチェーンを接触させて起爆処理する、マインフレイルと呼ばれる処理装置を装着している。

なおDDやBARVも合わせた特殊工作車両群は、連合軍のヨーロッパ上陸作戦が多数の被害を出して失敗に終わったことを受けて英国が改造して作られたものである。
これらの車両の活躍によりノルマンディー上陸作戦は成功したのだが、米国は面倒臭がって逆輸入を見送っていたため多数の被害を出し国内で非難を受けた。
このためシャーマン・クラブだけを仕方なく採用することにしている。

・M4A3E2(シャーマン・ジャンボ)
M4A3の改造機種。後に砲塔を換装して、主砲と同軸機銃を強化した車両もあった。
装甲厚が、砲塔防楯は89mmから177mm、砲塔前面は76mmから152mm、砲塔側面は51mmから152mm、
車体前面上部は51mmから102mm、車体前面下部は51mmから140mm、と大幅に強化されている。
正面装甲はティーガーIやFlak18といった8.8cm砲弾(アハトアハト)に耐える程で、切り込み役として重宝された。
重量が増したため、最終減速機の改修やダックビルの標準搭載で機動力の低下を軽減させている。

・M4A3E8(シャーマン・イージーエイト)
M4系列の米国決定版。
戦争中の改良をすべて実施されており、戦争後期から投入された。
自衛隊が装備したのもこの機種。

・M4VC / M4IC / M4IICシャーマン・ファイアフライ
主砲を英国製17ポンド対戦車砲に換装したもの。
ファイアフライは西洋ホタル(肉食で凶暴)を指す。

長口径と砲搭背部の出っ張り(通信機兼カウンターマス)が特徴。
条件さえ整えばティーガーやパンターも喰えるため、ドイツ戦車兵の最優先目標になった。
かの有名なエース、ヴィットマンにトドメをさしたのもこいつ。

装甲貫徹力は、距離1,000yard(914.4m)・傾斜角30度(撃角60度)・均質圧延装甲(RHA)の条件だと、
Mk.VIII T APCBC(低抵抗被帽付徹甲弾)の場合は130mm、SVDS/APDS(装弾筒付徹甲弾)の場合は192mmに上った。
高初速(1,204m/s)のAPDS使用時はティーガーIIの8.8cm Kwk 43のPzgr 40/43 APCRにほぼ匹敵する威力を発揮したのである。
APCBCは初速こそ884m/sで7.5cm Kwk 42の925m/sを下回っていたが、弾頭重量が同砲の6.8kgに対して7.7kgと重く、貫徹力は凌いでいた。

・M50 / M51(スーパーシャーマン)
仏戦車AMX-13やAMX-30の主砲を装備したユダヤ的シャーマン。
なお同国では、76.2mm戦車砲M1搭載型のM4中戦車もM1の附番でスーパーシャーマンと呼ばれている。

M50は口径こそ75mmと通常のシャーマンと変わらないが、AMX-13の75mm砲SA50は長砲身(61口径)かつ高初速で、威力は段違い。
POT-51徹甲弾(初速1,000m/s,弾頭重量6.4kg)使用時の装甲貫徹力は距離1,000m・撃角60度の条件だと118mmで、
同条件で111mmだった7.5cmKwk42(パンターが装備する70口径砲)のPzgr39/42徹甲榴弾(初速925m/s,弾頭重量6.8kg)を上回っていた*1
エジプト軍のシャーマン(こちらはAMX-13の砲等を乗せている)と交戦した。

M51はAMX-30に搭載されていたCN-105-F1の短砲身・初速低下版(砲身長56口径→44口径,初速1,000m/s→800m/s)であるD1504に換装している。
G弾(高初速に対応した成形炸薬弾で、撃角90度だと360mm貫通可能)を発射可能で、M48パットンなど当時の主力戦車に混じって活躍したそうな。
余談だが、アルゼンチンのM4もAMX-13の輸出型に搭載されていた同一口径(44口径105mmライフル砲)のCN-105-57に換装されてたらしい。

・M60
元は1970年代にチリへ渡った M50 / M51 で、主砲やエンジンが換装されている。1984年に採用されて1989年まで就役していた。
主砲はイスラエルのIHIが開発した70口径60mmライフル砲HVMS60で、原型は傑作で知られるロイヤル・オードナンス51口径105mmライフル砲L7だという。
APFSDS(装弾筒付翼安定徹甲弾)で撃った際の初速は1,620m/sで、距離2,000m・撃角30度の条件だと120mm貫通できる。
これはソ連の戦後第一世代型主力戦車であるT-54/55やT-62の車体前面装甲(装甲未強化の場合は傾斜角60°の100~120mm)を貫徹しうる数値である。

余談

  • 愛称「シャーマン」はイギリス側の呼び名であり、米軍からの呼び名は、【M4中戦車】である。
  • M4の戦闘力不足が露呈してからは後継のM26が前線から要望されたが、
    陸軍装備元締めの陸軍地上軍管理本部(AGF)の横やりで投入はヨーロッパ戦線終結直前にまで遅れた。
  • 現地改修の定番であった「土嚢装甲」は、ある者は「デメリットしかない」と言い、
    またある者は「パンツァーファウスト等の貫通力を弱められる」と言ったらしいが、原理的には効果が特に見込めるHEATが主流になっていた時期ですら流行っていない点から実用性の方はお察しください。
  • 改修の定番のその2である側面の追加装甲(写真でときおり側面装甲に張り付いている四角いアレ)もあった、…が早々に撤廃されている。そもそも機銃は貫徹しないし戦車砲はたかだが数十mmの厚さ増えたところで変わらない、どころか「ここに弾薬庫がありますよ~」と教えているに等しくドイツ兵にあっさり看破。被害が続出したので急遽撤廃することに。何故付け足し
  • M4中戦車向けのエンジンとしてクライスラーがW型30気筒の「A57」というトンデモエンジンを作っていた。
    どんなもんかと簡単に説明すれば「直列6気筒エンジンを5セット扇型に組み合わせた」というゲテモノ。
    構造はむちゃくちゃだが一部では「変な形だけど整備はそんなに難しくないよ?」とも評されている奇っ怪なエンジン。
  • WW2後に未使用車両も込で大量に余った為、あちこちに半ば放置される事状態となった。
    朝鮮戦争時には稼働できるシャーマンを相当少なくなっており、かき集めるのに苦労した。
  • 76㎜砲の装備は結構初めのほうから試験が実施され開発も完了していた。
    しかし
    ・弾薬の種類が増える事
    ・75㎜砲を過信していた事
    ・対戦車ドクトリンとの兼ね合い
    などから、配備を渋られた結果76㎜砲シャーマンの投入は結構遅れてしまった。
    ただし1942年に試験搭載された76mm砲はM1よりもカートリッジがコンパクトに設計されていないM7(※M10GMCで採用された50口径3インチ砲)で、
    砲塔もT23中戦車からの転用品では無く既製品の改造で火砲の規模に比して狭小だったため、操砲や内部容積の面で問題があったとされている。
  • パラグアイ陸軍は2018年まで現役に就かせていた。
  • 1945年春、ライン川渡河に成功した米軍戦車部隊がプファルツ地方へ進撃した際に反撃に遭い、M4中戦車を置き去りにして退却した事があった。
    現地のドイツ人農家がそのM4中戦車を干草で埋めて隠してしまったのだが、
    20年経って厄介払いする時にキーを回したらエンジンはちゃんと稼動して何のトラブルも無く自走できたという。
    ただし、この逸話は実話であるか定かではないという。



追記・修正は戦車を5万台生産してからお願いします

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最終更新:2024年02月13日 21:35

*1 7.5cmKwk42よりもやや砲身の短い75mmSA50が初速を凌いでたのは、弾頭重量が僅かに軽いだけでは無く、装薬の成分も絡んでいる可能性もある。ナチスドイツの火砲やロケット兵器には主として、生産資源上の問題からニトロセルロース系やニトログリセリン系よりも燃焼効率の劣るジグリコール系やニトログアニジン系の装薬が採用されていた。