翔鶴(航空母艦)

登録日:2009/05/26(火) 19:45:02
更新日:2023/01/07 Sat 16:10:34
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読み しょうかく

竣工1941年8月8日
戦没1944年6月19日
除籍1945年8月31日

全長257.5m
速度34.2n
排水量25.675t


大日本帝国海軍が保有していた航空母艦。翔鶴型航空母艦の一番艦(ネームシップ)。
翔は「羽ばたく」鶴は吉獣を表す。
二番艦の瑞鶴と共に縦横無尽に太平洋を駆け、マリアナ沖で沈むまで大日本帝国海軍機動艦隊の中核を担い、
姉妹艦の「瑞鶴」と作戦行動すると、「瑞鶴」が被弾0なのに対して「翔鶴」は被弾したため、妹の分まで攻撃を受ける「不運艦」と呼ばれたりもしたが、太平洋戦域屈指の武勲艦として名を馳せた。


建造経緯

マル3計画において計画され、1930年代における空母赤城加賀飛龍蒼龍の運用実績などを取り入れて造り上げられた。
マル3計画と言えば水雷戦の究極を目指した陽炎型駆逐艦や、戦艦の極北を目指した大和型戦艦の建造が決まった計画であり、傍から見ると「やっぱり空母軽視じゃないか!だから負けるんだ!」みたいに思われるかもしれないが、1935年時点での"最新の"艦載機は魚雷艇を撃沈するのがやっとの複葉機。
今後新型艦載機が開発製造されるのは確実だが、それが「敵の主力たる数万tある戦艦を撃沈できるか」と問われた時に「できます!だからもっと空母造りましょう」などと言える者などあの当時にいよう筈もない。

「航空機不要論」に負けず戦った加賀龍驤、鳳翔らの活躍により索敵が主任務とされたただの一補助艦ではなく立派な戦力となり艦隊内の地位も良くなっていたが、この当時はまだ大艦巨砲主義的な思想の方がやや強かったのだ。
 また当時、太平洋艦隊だけでも米戦艦は9隻で16インチ搭載のコロラド級が3隻も居る状態。
対して帝国海軍は、10隻で内4隻は巡洋戦艦金剛型で高速なものの、絶対的な砲戦力で不利であった。条約明けに米戦艦が増強される事を考えれば、とりあえず数の上では優勢に立てた空母はひとまず翔鶴型2隻とし、米戦艦を凌駕できる戦艦、つまり大和型戦艦を建造するしかなかったと言える。

そもそも空母が主力の一角としてはっきりと認められたのは1941年、開戦の半年程前に第一航空戦隊が編成されてから、中核でもない空母の戦力であるパイロットの育成(とにかく莫大コストが掛かる)にあまり力がいれられていなかったので空母だけ量産しても意味がなかった。空母は優秀なパイロットと艦載機がなければ大戦後期の日本戦艦以上の無用の長物、ただの箱である。
※なお大戦時においても重要な戦力である筈のパイロットの育成(機械に録に触れた事のない者に機体の仕組みから叩き込む、正に0からの育成である)や戦闘機の増産にはあまり力がいれられていない。訓練は一機に十人以上並んで順番に行い、燃料の都合もあり、1日に一時間飛行出来れば良い方。日本が終戦までに製造した戦闘機は500機程度、米国は2万機程度。(ミッドウェーの敗走から慌てて育成強化に乗りだすも遅すぎた為、仕方なく育成期間を短縮、大して訓練を積んでない新兵を実戦に出し当然戦死、空いた穴を新兵で補うの悪循環に陥った。)

 上記の通りどこの国も空母(と言うか航空戦力)にそこまでの可能性を見出だしていなかったので制限枠がなくなり、結果、排水量こそ少ないがバランスのとれた能力を持つ空母として建造され、

  • 機関馬力は大和すら凌ぐ16万馬力
  • 速力は大和にも採用されたバルバスバウを採用するなどして陽炎型駆逐艦に比肩しうる高速・34ノットを実現*1
  • 航続距離は18ノット航行で最長9700海里
  • 艦載機は最大84機の運用が可能

と、素晴らしい性能となっている。ただ、航空機の進化に伴い強化が必要と考えられていた飛行甲板の装甲化は諸々のデメリットを勘案された結果されず、その他の防御面でも機銃の配置なども不満が残る仕上がりではあったようである。
艦橋配置も計画当初は赤城飛龍に倣った配置だったのを変更して右舷前方配置に変更したため、飛行甲板がやや狭くなり竣工まで6ヶ月余計にかかるなど決して誰もが満足の行くものにはなり得なかった。だからといって駄作というわけではない。
普通に当時の世界最強空母の一隻だったと言えるだろう(一航戦相手に後れをとっていたのは搭乗員の総合練度の話である)。

建造時で分かった反省などを取り入れ、翔鶴型航空母艦の設計を装甲空母としてリファインした大鳳が計画されたのだから無駄ではなかったのである。
どっちにしろ、大鳳は一発で轟沈したし無駄と言われたら返す言葉もないが…

 翔鶴が配備されたのは新編の第五航空戦隊なのだが、長門から大和に連合艦隊旗艦の座が明け渡されたように、通常は最新鋭艦に艦隊司令部が乗り組み中心的存在(この場合一航戦旗艦)になる。実際、編成案では翔鶴が旗艦になる予定であったようなのだが、何故かこれは実現しなかった。理由として挙げられるのは、

  • 翔鶴・瑞鶴は開戦間際の竣工で慣熟訓練や航空隊の訓練に多忙で、以前から編制されていた第一航空戦隊の旗艦任務どころではなかった。※既に真珠湾攻撃の準備もあった。
  • 開戦後しばらくも、他の水上艦と行動を共にするには速力が不足気味の赤城加賀は特設空母5隻と共に第一艦隊(戦艦部隊)で敵戦艦の攻撃を主任務とする「決戦夜戦部隊」に、蒼龍飛龍・翔鶴・瑞鶴大鳳は特設空母4隻と共に第二艦隊(巡洋艦部隊)で敵空母の撃破を目的とする「機動航空部隊」*2、残った龍驤・鳳翔・龍鳳などは主力艦の直衛を主任務とする直衛部隊とし、集中運用から再度分割して運用するような考え方も残っており(空母集中運用までの道のりについては赤城参照)*3、その為、序列では赤城もしくは加賀が旗艦である第一航空戦隊のほうが適当であった。
  • 開戦以来、これらの6隻の空母は立て続けに真珠湾攻撃・ウェーク島攻略支援・ラバウル攻略支援・ポートダーウィン空襲・セイロン沖海戦とそれぞれ投入されたり、仮に上記のような編制や用法に替えるとしてもほぼ不可能な状態。二航戦の中で旗艦が蒼龍から飛龍に交替した程である。
といった、状況がそれを許さなかったとするもの。或いは、

  • 翔鶴を視察した一航艦たちの評価が芳しくなかった管制能力やローリング特性の悪さから、赤城や加賀の代わりは務まらないと判断された。
  • 翔鶴型の建造は艦制本部(造船屋)が主体となって進めた為、航空本部の要求があまり叶えられていなかった赤城加賀が「艦載機を飛ばせる艦に改装」されたのに対し、翔鶴型は「まず高性能な艦を造ってそれに艦載機を載せる」と言う思想の違いがあり、最新鋭空母として期待されていた(運用する側が求めていた)能力を持っていなかった。上記されているように飛行甲板の幅が狭く(同時発着艦数=空母としての攻撃力に悪影響)、動揺の激しい船体(発着艦が難しい=パイロットへの負担、着水事故などの増加)で30knを越えると艦内が空爆を食らったかの如く激しく揺れたと言う証言もある*4。特に空母の安定性はパイロット達からすると極めて重要な要素であるため、やや扱い難い空母だったのかもしれない。
といった、翔鶴型は艦としては高い性能を持つが=空母としての能力が高いと言うわけではない、とするものがある。
実際に大鳳が就役したら直ちに第一航空戦隊に編入され第一機動艦隊旗艦(第三艦隊旗艦と第一航空戦隊旗艦を兼ねた)となり、代りにそれまで居た瑞鳳は第三航空戦隊に編入されている。


経歴

1941年の8月に半年遅れで完成すると、即座に連合艦隊に編入され、9月末に完成した瑞鶴と第五航空戦隊を結成している。
なお、五航戦は乗員の練度が低いとよく言われたが鳳翔、加賀龍驤の3空母が日華事変や日中戦争で暴れる際の酷使に次ぐ酷使の中で世界最狂レベルにまで仕上がっていただけであり*5
五航戦も空母搭乗員としては平均以上、あるいはそれ以上に仕上がってはいる。
後のゼロ戦虎徹こと岩本徹三(瑞鶴戦闘機隊所属)らエース格のパイロットもいる。

と言うか、他の空母や基地航空隊から五航戦の育成のため異動してきたエース格や、指揮官などのベテラン以外は訓練開始からまだ2~3ヶ月程度の新兵、比べられても困るんですが…

1941年11月、正規空母6隻勢揃いとなり当時太平洋に配備されていた米軍空母を数で越えたここが仕掛ける大チャンスであり、外交でも手詰まりになった日本は開戦を決意。正規空母6隻勢揃いの大艦隊を組織し択捉島・単冠湾に集結。米軍太平洋艦隊の根拠地・真珠湾へと向かったのであった。
この真珠湾攻撃の詳細は省くが、五航戦の緒戦としては十分な活躍を見せ意気揚々と日本に帰国したのであった。
なお、本来であれば航続距離に余裕のある翔鶴・瑞鶴加賀に一航戦と二航戦の搭乗員を載せて行く予定だったのだが
???「おう、ワシの二航戦の母艦を軽視すんのかワレ!(壁ドン首絞め)」
と武闘派提督が迫ったため、空母六隻に艦船燃料である重油も積んで出撃となった。
空母の配置を知られて反撃されたら早速空母を喪失する危機となっていた。

迎えた1942年。新年早々に南太平洋に出撃しラバウルを爆撃。一旦横須賀に帰還した後再び3月に南太平洋セレベス島に向け出撃するが、途中本土に米軍機動部隊が向かっているとの報を受け引き返すも発見できず、再びセレベス島へ移動。
南雲機動艦隊と合流し、シンガポールから逃げた英国東洋艦隊の根拠地であるセイロン島コロンボを空襲。
英国東洋艦隊が反撃に出て来るが、逆に空母ハーミーズや重巡ドーセットシャーなどを沈め、セイロン島に退避していた東洋艦隊をマダガスカルなどアフリカインド洋岸にまで後退させる戦果を挙げた。
しかし、東洋艦隊主力の空母インドミタブルや空母フォーミダブルを発見し仕留めることは出来なかった。

その後、5月のMO作戦に南雲機動艦隊から引きぬかれ、瑞鶴と共に参戦。米軍も要衝ポートモレスビー防衛のため空母レキシントン・ヨークタウンの二枚看板を投入。かくして、ポートモレスビーを巡って始まった珊瑚海海戦は空母機動艦隊同士による世界初の戦いとなったのである。

しかし、5月7日の海戦では翔鶴所属の偵察機の索敵ミスから油槽艦を空母と誤認し全力攻撃を仕掛けたり、そんなことをしていたら独立行動中だった軽空母祥鳳がレキシントンとヨークタウンに捕捉され滅多打ちに遭い撃沈され
ミスを取り返そうと薄暮攻撃隊を出すがこれが完璧な迎撃を受け大損害と散々な目に遭った。

翌日は翔鶴の偵察機が燃料切れ覚悟で米軍機動部隊の元へ攻撃隊を誘導。その決死の行動は実り、当時世界最大の空母であったレキシントンを撃沈、ヨークタウンを大破に追いやった。
しかし、レキシントンとヨークタウンも攻撃隊をすでに出した後であり、翔鶴に向け80機を越える攻撃隊が殺到。
翔鶴は3発の爆弾を受け大破した。なお、瑞鶴はスコールの中にいたため見逃され無傷であったという。
爆撃を受け大破した翔鶴は艦橋や飛行甲板はメッタメタだったが機関は無事であり、駆逐艦の護衛の元退避予定だったが
駆逐艦をぶっちぎって後方退避し、護衛に向かった駆逐艦から「翔鶴さんどこ行ってしまうん?僕達必要ないの?(´・ω・`)」という通信が送られたとか。
なお、駆逐艦の乗員によれば40ノット近い高速で逃げていたとか。速すぎィ!(まあ事実誤認の可能性大だが)

聯合艦隊と早期講和論者山本五十六の見た悪夢ことミッドウェー海戦後、
加賀・赤城を失った一航戦再建をするべく転属となり瑞鶴・瑞鳳を率いる旗艦となった翔鶴は戦訓を元に改装を受けるとガダルカナル島を巡る泥沼の攻防戦に参陣。
8月の第二次ソロモン海戦ではミッドウェーでも大活躍した空母エンタープライズを大破させたが、艦載機29を失ってしまう。

10月の南太平洋海戦では米軍攻撃隊が例によって瑞鶴ではなく翔鶴に殺到し4発の爆弾を受けるなど再び大損害を被る。幸い機関は無事であった。
攻撃隊は好調であり、飛龍蒼龍亡き後の二航戦を背負う隼鷹の攻撃隊と共同でエンタープライズを再び大破させ、空母ホーネットを撃沈することに成功。
これで米軍はレキシントン・ホーネット・ワスプを失い、エンタープライズとサラトガはドック送りにされて一時的に太平洋で動ける空母を喪失。1942年の海軍記念日は「史上最悪の日」となった。
しかし日本側も翔鶴が大損害を受けた他に艦載機を多数失っており、翔鶴は赤城から転属になっていた「雷撃の神様」こと村田少佐を失うなど、連合艦隊全体でベテラン搭乗員の損耗が大きかった。
米軍も大損害を受けていたが、翌年以降に護衛空母群やエセックス級空母が大挙して配備される予定だったことを考えれば、連合艦隊にとってはピュロスの勝利としか言えない辛勝であった。

1943年は海戦に駆り出されることはなかったが、艦載機搭乗員を基地航空隊に送られるなどして損耗。一年間で搭乗員の練度がみるみるうちに下がっていった。

1944年、追い込まれた連合艦隊は第一機動艦隊を編成。旗艦には翔鶴が任命されたが、4月には翔鶴型の設計をリファインして建造された新鋭空母・大鳳が配属されたため旗艦を大鳳に譲り、米軍と戦う準備を整えた。
6月、サイパン・グアムに侵攻した米軍を迎え撃つべく第一機動艦隊はマリアナ沖へ進出。6月19日に米軍と会敵。戦闘に突入。マリアナ沖海戦である。
しかし、艦載機の航続距離の長さを活かすために立案されたアウトレンジ戦法は不発に終わり、航空戦で惨敗。
米軍艦載機の猛攻に晒されながら奮闘した翔鶴であったが、11時20分にガバガバの対潜網をかいくぐった米軍潜水艦カヴァラの雷撃4発を浴びエレベーターを吹き飛ばされるなど致命傷を受け、14時20分に轟沈した。
こうして、太平洋戦争の緒戦から機動艦隊の柱として戦い抜いた武勲艦・翔鶴は散った。
アメリカ最高の武勲艦であるエンタープライズを相手に二度の勝利を得ながら、最後に彼女の力を奪ったのは搭乗員の練度不足であった・・・

その翔鶴轟沈の12分後、雷撃を受けていたが軽微の損害と思われた大鳳も突然大爆発を起こし16時28分に沈没。戦闘開始して1日経たずに第一機動艦隊は壊滅状態に陥った。
そして、この海戦で瑞鶴はついに損害らしい損害を初めて受けた。翔鶴は瑞鶴にとって守り神であったのだろうか…

ちなみに武勲艦ではあるが、ディープな軍ヲタくらいにしか知れ渡っていなかった艦でもある。

フィクションでの活躍

同期の大和型に比べると知名度で劣り、世界最高とかそういう要素もないせいか、武勲艦の割には能力が低かったり目立つことがない。
仮想戦記であれば翔鶴型どころか大鳳もすっ飛ばしたトンデモ空母や戦艦に役目を食われがちではある。

艦これにも最初のイベントに合わせて報酬として登場し、後に建造落ちした。
バランスがよく、全般的にマイルドで制空権奪取能力は高めなのだが、
最大能力では赤城や加賀、実際は搭載数で劣っていたはずの大鳳にも制空能力や火力で負けてしまうというけっこう酷目の扱いである。
翔鶴には瑞鶴のような並外れた運もないので少々立場が辛かった。

だが、2015年9月の改二実装に伴い、見違える程に高い制空力や攻撃力を兼ね備え、一気に空母最強候補に躍り出た。
詳細は五航戦/翔鶴型航空母艦(艦これ)を参照していただくが、日本機動部隊の中核を担った武勲艦に相応しい実力者となった。
瑞鶴をヒロインにした艦これラノベの著者である内田弘樹は、「解説文が涙でよく読めない」と最大級の賛辞を贈っている。


ついでに、ドラゴンクエストⅥ 幻の大地にも翔鶴型に由来すると思われる中ボス「ショウカク」が「ズイカク」と共に登場する。
軍事に詳しくない人なら、むしろこっちを知っていた人の方が多いのかもしれない。
ラスボス前最後の中ボスというかなり重要な役割・・・といいたいところなのだが、強さとキャラはお察しください。

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最終更新:2023年01月07日 16:10

*1 この速力は全力で撤退する重巡の足についていくために空母にはこれくらい必要とされていたのだが、空母に限らず最大戦速というのは出すことがあまりなく(なにせ燃費が極悪と化す)、ようするに逃げ足の速さである為、あった方が良いがなくてもいい。後にマル5計画で航空本部が空母に求めた最大戦速が28knであった辺りからも空母としての能力にこの高速力は影響しないようである。

*2大鳳」新造計画では、予算の関係で一万七〇〇〇トン型空母一隻が削除され、戦時急造計画に移行された。これが蒼龍型三番艦「雲龍」で、そのため「機動航空部隊」の初期構想は、空母八隻だったものが「雲龍(うんりゅう)」欠となり、対策として優秀船舶助成施設中の特設巡洋艦用船体二隻分か、特設空母用に追加充当されたものと思われる。

*3 山本五十六長官は空母集中運用に否定的であったようである。分散運用にしろ集中運用にしろメリット、デメリットの両面がはっきり認識されているので一概にこちらの方が良いと言えるものではないが、ミッドウェーでは被害が誘発しやすいデメリットの方が発揮されてしまった。

*4 この証言は珊瑚海海戦で撤退する際のもので、この時はやや荒天であり海面が荒れていたことも考慮に入れなければならないが

*5 この時点でまともに実戦経験のある空母は鳳翔、加賀、龍驤、辛うじて赤城もという感じで、特に加賀に関しては海面状況の悪い冬季の作戦は一隻でこなさなければならなかった為、その酷使っぷりは他の空母とは一線をはくすものであった。