カーネル・サンダース

登録日:2011/10/07 Fri 05:35:35
更新日:2024/04/12 Fri 00:27:31
所要時間:約 7 分で読めます




ケンタッキーフライドチキン


知らぬ者は居るまい
世界に轟くその名前を





箱を開ければ立ち上る湯気

食欲をそそるスパイスの香り





サクッという衣の食感

ホロリと崩れる柔らかな鶏肉





肉の旨味を引き立てる衣

じゅわっ、と溢れる肉汁と脂





嗚呼、なんという至福

なんという甘美な響き




鏡に映る己が表情の、
なんと幸福そうなことか






我らを魅了して止まぬ、
その至高の組み合わせを

この世に生み出した偉人は誰か

皆様は、ご存知だろうか




彼は没後30年を経た今でも尚、店の入り口で我々に微笑んでいる


彼はカーネル・サンダース

世界的有名企業ケンタッキーフライドチキンの創始者たる実在した人物
そしてカーネルおじさんの名でマスコットとしても親しまれているヒゲ&眼鏡おじさんその人である。






ケンタッキーフライドチキン(以下KFC)の創始者であるカーネル・サンダースは、本名をハーランド・デーヴィッド・サンダースという。



彼は1890年、インディアナ州ヘンリービルに生を受ける。
6歳のときに父を亡くし、10歳から農場へ働きに出ていた苦労少年だった。


彼は成長すると貧しい家計を助けるため、鉄道の車掌を皮きりに、軍隊、消防士、保険外交員、船員、タイヤ売り、ガソリンスタンドなど、
実に40を超える職業を経験。


なおカーネル(大佐)の称号を持つものの、これは軍籍とは全く関係の無いものであり、軍人であった頃の階級は一兵卒であった。

そんな彼は40歳のとき、ケンタッキー州コービンにてガソリンスタンドの一角を借り、わずか六席の小さなレストラン「サンダースカフェ」を開く。


店は大いに繁盛した。目玉商品はフライドチキン。これが今日に至るまでKFCが提供し続けるチキンのオリジナルである。
そのレシピは1939年の時点で既に完成していた。



サンダースカフェは順調に店舗を拡大。サンダース氏はケンタッキー州から前述の称号「カーネル」を贈られ、ケンタッキー州名誉大佐となった。




しかし順風満帆に見えたそれも束の間。


1950年代。高速道路が開通したことで人の流れが変わり、客足は激減。65歳にしてほとんどの財産を失い、サンダース氏は己の店を手放さざるを得なかった。








だが、それでも彼は諦めようとはしなかった。


自分の作ったフライドチキンは多くの人を幸せにできると、彼は信じていた。




そこで彼は『チキンの製法と独自に編み出したスパイスのブレンド方法を教える代わりに、その売り上げの一部を貰う』という、
今日におけるフランチャイズ契約の元祖とも言うべきアイディア商法を考え出す。


そして御歳65でありながら、目玉商品であったフライドチキンをワゴンに積んで各地をまわり、自慢のフライドチキン宣伝を始めたのである。


訪ねた会社は、驚くなかれ1009件

しかしその全てに断られる



だがそれでも諦めず、遂に1010件目で契約が成立。
これが世界に名だたるKFCの始まりである。







その後、KFCは今日に至るまで在り続ける大企業に成長し、様々なメニューも増えた。

だがそのフライドチキンの製法は、今でも変わっていない。



サンダース氏は74歳を期に経営の一線から退いたが、顔が知れ渡っていた自身を利用した店のプロモーションに余念がなかったという。


更には独自の製法が守られているかを確かめるために各店舗を訪問するなど、一線から退きながらも非常に精力的に活動した。


余談だが、日本には三度来たことがあり、最後の来日は亡くなる前年の1979年であったという。







1980年12月16日、急性白血病―――併発した肺炎が原因とも言われる―――により、逝去。享年90歳。
家族のため、人々のために働き続けた苦労少年サンダースの人生は、多くの人の笑顔というかけがえのない実を結び、静かに幕を降ろした。



だが、彼は没後30年を経た今でも尚、店の入り口で我々に微笑んでいる。



「人生は自分でつくるもの。遅いということはない」


「人間は働きすぎてだめになるより、休みすぎてサビ付き、だめになる方がずっと多い」


「他の人に一生懸命サービスする人が、最も利益を得る人間である」



「いくつになったって、自分の人生をより価値あるものにするための努力をするべきだ。
何の問題も起こらない人生が、素晴らしい人生なわけがないのだから」








ちなみにカーネル像はどうやら日本独自のものらしいのだが、来日し自身の似姿との対面が実現した際、サンダース氏は絶賛したとか。

そもそもこのカーネル像、日本進出の際に全く客足が伸びなかったため、招き猫をヒントに作られたもの。実際、設置してから売上が伸びたらしい。




















余談だが、日本で有名なカーネル・サンダースと言えば、恐らく道頓堀に投げ込まれたアレであろう。


事の始まりは1985年。
阪神タイガースが21年ぶりにリーグ優勝を果たした。
当時の道頓堀には興奮した阪神ファンが集まっており、熱狂のあまり近くにあったカーネル・サンダース像を胴上げし始めた。


実はこのカーネル像、優勝の立役者たるランディ・バースにそっくりな体型をしていたため、代わりに胴上げされていたらしい。

だがしばらく続いた後、あろうことかカーネル像は道頓堀へとダイブ。

そしてそんな事件があった1985年以降、日本シリーズまで制した阪神は実に18年もの間、リーグ優勝から遠ざかることになり、
阪神の不調はカーネル像の呪いだと大阪の一部では噂されたという。

また、ドラフトのくじも1985年以降、阪神は実に27年もの間、外れ一位を除き当たりくじを引くことはなかった。

この呪いとも言える阪神の不調を打破するためにテレビの力(探偵!ナイトスクープ)を使って今までに3回道頓堀を探したのだが、結局見つからなかった。



そして月日は流れ…



2009年に24年ぶりに発見された。


この見つかった像は最低限の修繕がされ、現在甲子園球場最寄り店舗の「阪神甲子園店」に常設展示されていたが
流石に老朽化したために2024年に大阪住吉神社で人形供養をした上で処分された。50年にわたる勤務ご苦労様でした。

これは阪神タイガースが件の1985年以来38年ぶり 2度目の日本一に輝いた、年を跨いでほんの数ヶ月後のこと。
それをきっかけとして処分が決まったのか、たまたまそこで限界が来た奇妙な偶然なのかは定かではないが、まるで呪いの終焉を見届けるかのような形となった。


ちなみにPSP専用RPG『ファンタシースターポータブル2インフィニティ(PSPo2∞)』にて、
宇宙を舞台にステッキを片手に華麗に戦うカーネルおじさんを拝むことができる。
種族は当然ヒューマンで職はフォース。


なんでも世界中のチキンの品質を確かめる為だとか。まさか空の上でも精力的に活動していたとは。
もう脱帽する限りである。


さらに余談、カーネル像は店舗ごとに地域や時期によって様々な格好をしていることがあるのだが、
秋葉原でメイド服を着せた時は日本法人から中止の要請が出された。
また、よく見てみると眼鏡には度が入っており、老眼である。





追記・修正は、フライドチキンと幸福な笑顔と共にお願いします

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最終更新:2024年04月12日 00:27