馬良

登録日 :2010/06/09(水) 19:19:57
更新日 : 2017/05/21 Sun 14:24:25
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馬良(ばりょう)
字 季常
出身 荊州

187年~222年


後漢末期の人物。
荊州の名家である馬家の出身。
字に「常」が付く四人の兄弟がおり、
また、眉が白いその容貌から
「馬氏の五常」「白眉最も良し」
と評された名士。



現代でも作品群の中で一際優れた物を「白眉」と賞するなどとしてその名を留めている。


赤壁の戦い後、劉備軍は孔明天下三分の計 の要とも言える荊州南部を平定。
広く人材を募る。

当然 馬氏の五常 に目を付けると馬良、馬謖を招聘し、幕下に加えた。
(演義では伊籍の推挙による)

211年、要地である荊州を孔明、関羽に任せ劉備軍は蜀へ進駐。

後、孔明も蜀へと移動するが、この時馬良を関羽の補佐として残している。



馬良は兄弟共々孔明に重用されており、馬良が出した孔明宛ての手紙では
尊兄 は気運に応えて世の立て直しを(ry
のように孔明を兄の如く慕っていたようであり、馬謖もまた父親のように慕っていたようである。



その後、孫権への使者として何度も呉へと赴くが、関羽の暴走により孫呉との関係が悪化。

臨沮にて関羽が討たれると、激興した劉備は呉討伐軍を編成。
馬良もこれに従軍。



蜀軍は三峡にて呉軍と対峙。
所謂 夷陵の戦い である。


この戦いで馬良は 沙摩柯 等武陵蛮と交渉し、蜀に呼応させたりと活躍するも、陸遜率いる呉軍の火計や伏兵により本陣が壊滅。

馬良らは劉備を白帝城へと逃がすため殿軍を率いて剣を取り、討ち死にした。




  • 余談
正史では馬良伝なのに馬謖の記述の方が多かったり、
演義では
「毎度毎度間に合わない奴」
「あれ?パシり?」
「何となく死んでた」

と、正史・演義共に扱いが微妙に悪く、
さらに、
「死に様が演義の方が地味」
という希有な人物でもある。



その他の馬良

  • 北方三國志
夷陵で撤退する劉備に背中で語る。


  • 三国志大戦
ver1
コスト1槍
武1知8
計略は士気8で味方陣地の敵に落雷を五本落とす「守護の落雷」。
三本当たれば知力9も落とせるが、如何せん使いづらい。


ver3
コスト1.5槍
武3知8
計略は士気4で撤退中の味方を撤退した場所に復活させる「戦線復帰」。
計略は中々強力だがスペックが微妙と専らの噂。

  • 天地を喰らう(FC)
いらん子。

  • 天地を喰らう2(FC)
コウメイの使えない暗殺の計が使える。
それだけ。

  • 三国志(アニメ)
典葦・弁慶もびっくりする死に様を見せる。

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