McLaren-MP4 > 4

登録日 :2012/02/27(月) 02:02:36
更新日 : 2015/05/04 Mon 18:38:31
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McLaren-MP4/4は1988年F1選手権に出場したマシンであり、 16戦15勝 を挙げたマシン。
アイルトン・セナが初めてドライバーズタイトルを獲得したマシンでもある。


  • ドライバー
カーナンバー11 アラン・プロスト
カーナンバー12 アイルトン・セナ


  • マシン解説
マクラーレンがホンダと組んだ最初のマシン。デザイナーは前年までブラバムに在籍していたゴードン・マーレイ。
彼の開発コンセプトは「徹底した低重心化」と「ロードラッグ」だった。
86年のブラバムのマシン「BT55」で彼はそのコンセプトを具現化したが、非常にピーキーな上にトラブルばかりの駄作マシンとなってしまった。その時とは違い、マーレイはマクラーレンの当時最新鋭の設備と時間を多く使い、マシンの開発を進めた。
結果、ドライバビリティの向上。セッティングの幅も広がった等、後の結果でこのコンセプトが失敗で無い事を知らしめた。
しかしマシンの完成は大幅に遅れ、プレシーズン最終テストの最終日にようやく走らせることになったが、全体を通じて誰よりも速いタイムを出したのである。

シーズン中も絶え間無くアップデートを施し、レースでこのマシンの前を走るのは奇跡に近いとも言われた。

搭載された、ホンダのRA168Eも傑作と言われるエンジンである。
ポップオフバルブ(ターボの吸気を抑える目的の部品)の義務付けにより抑えられながらも最大出力は680馬力(対して倍以上の排気量の自然吸気エンジンでもせいぜい600馬力前後)を誇り、150リットル分の燃料をレースで使い切る事無く完走出来る燃費の良さ、信頼性の向上や部品の軽量化等によるトータルパフォーマンスが素晴らしく、フェラーリやメガトロンといった他のターボエンジンを過去の物へと押しやる程だった。


  • 88年の成績
16戦中15勝。ポールポジション15回。ファステストラップ10回。ちなみに二人合わせてである。

開幕から破竹の11連勝、前述したセナの初戴冠マシンである。しかしこの強さは後に物議を醸す程だった。


  • エピソード

好成績ながらも批判の槍玉に挙げられたのはエンジンを供給していたホンダである。
ホンダはマクラーレンのジョイント前からウィリアムズやロータス等にエンジンを供給し連戦連勝と言ってもおかしくない状況を作り上げた。
そこに立ち上がったのがFISA(現FIA)である。FISAはヨーロッパの文化に日本が勝つ状況は(ヨーロッパ圏において)面白くないと、半ば理不尽な理由(ましてや当時の日本はバブル景気だった為、多数の企業が進出していた背景)から、翌年のターボ付きエンジンの開発禁止を決定。ホンダの一人勝ちを阻止しようと躍起になる程だった。

噂ではこの決定に反対したのはあの、エンツォ・フェラーリ唯一人だったと言われている。
その反対の理由は「ターボエンジンを禁止しても、ホンダはそれに負けないエンジンを作り上げるに違いないから。」というものだった。
そして、エンツォの予測は見事に的中した。

彼らの思惑とは裏腹にNAエンジンとなった89年シーズン以降もホンダは快進撃を続けることになる。



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