呂蒙

登録日:2011/09/11(日) 19:34:21
更新日:2024/02/02 Fri 10:26:59
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呂蒙(りょ-もう 生没年178年-220年)とは後漢~三国時代まで活躍した孫呉における武将である。字は子明。

[経歴]

汝南郡出身で、孫策配下だったトウ当が義兄だった為にそのまま孫家に仕える。
孫策死亡後は、なんかいつの間にか死んでたトウ当の軍勢を引き継いで孫権に仕える。
その後は数々の戦いに従軍し、武官としての頭角をメキメキと現す。
また、江陵の戦いでは追い込まれた甘寧を救出するために献策したり、
周瑜に敵退路の破壊を提案したりなど、後の知将としての鱗片も見せている。

ちなみに若い頃は、トウ当配下の官吏から小馬鹿にされたのでブッた斬ったりと、主君一族ばりのDQNぶりを見せていた。

[呉下の阿蒙にあらず]

元々猪武者という側面が強く、「呉下の阿蒙*1」呼ばわりされていた。
周瑜死後、バリバリの脳筋武人だった彼を見かねた孫権から「オメー訓練ばっかじゃなくてちっとは勉強しろよ、この脳筋」と提案される。
最初は「軍事関係の方が忙しいから無理だっつの」とか言って断っていたが、渋々ながら蒋欽とともに学問を修練し始めた。
渋々始めたくせに、元々凝り性だったのか猛勉強していき、どんどん知識を吸収して何時の間にか孫呉屈指の知識者となっていた。
孫家参謀である魯粛との対面ではいくつもの難解な質問をあっさり答え、
アレ?コイツ脳筋じゃなくね?」=「呉下の阿蒙にあらず」と評されている。
更に魯粛に向かって「士別れて三日ならば、即ち更に刮目して相待つべし*2」と自信満々に言い放っている。
尚、この際に魯粛に対関羽用の策をいくつも述べて大いに感心させている。
ちなみに魯粛は親劉備派だったのだが、これを無碍にしなかった辺り、劉備と対立した場合の事を予見していたのかもしれない。魯粛が親劉備派だったのは戦略上、孫呉の戦力の消耗を押さえて劉備と曹操を争わせるという考えからで、別に劉備に肩入れしていたわけではないのだ。

[216・7年の濡須口の戦い]

212・3年の濡須口の戦いと215年に張遼がリアル三国無双をやった合肥の戦いはこちらを参照。
216・7年の濡須口の戦いでは曹操自ら軍を率いて進軍。
主だった魏の武将達やチート張遼も参加しており、一説には赤壁よりも投入戦力が多かったとのこと。
また、山賊を嗾けるなどの絡め手も使っている。
対する孫呉は呂蒙を指揮官に任命。
弩兵一万を配備・活躍させ敵の先鋒部隊を撤退に追い込んでいる。
更に先鋒陣営の再編を許さず、追撃を仕掛けることで打ち破っている。蒙ちゃん凄い!
結果的には流石に国力・兵力ともに魏との差がデカかったからか、
孫権が使者を使って降伏を申し出、曹操もこれを受け入れた事で両軍手を引いている。
また、これにより生じた利害関係は後の「夷陵の戦い」まで続くこととなる。

[荊州攻略]

益州侵攻戦の通り、約束を反故にしやがった劉備にプッツンした孫権の命により、魯粛とともに荊州に攻め入る。
一度は諸葛兄弟のやり取りとかで鞘に納まったのだが…。

孫権が曹操と「揚州北部と徐州をよこせ」「やなこった」みたいなやり取りしてた頃、
前任の魯粛は荊州に居座ってた関羽の戦力を当てにしていたのだが、
病死した魯粛の後継者となった蒙ちゃんは「髭なんぞいらねー、武力・謀略使って裏切ってやがるし」と進言している。
蒙ちゃんは関羽と表向きは仲良かったが、まぁ蒙ちゃん元々反劉備派だし。

あと孫権から申し出た、関羽の娘と孫権の子の政略結婚による和睦話を関羽が蜀本国に報告もせずにブッチして孫権の顔に泥塗った。
当然孫呉と蜀の仲は更に険悪化。オイ蜀の軍神

関羽が樊城の戦いに掛かりきりになってた頃、同時に呉の領土からも略奪とかアレな行為に走っていた。オイコラヒゲ野郎。
あと于禁を投降させたり水攻めとかで調子こいてた。
そこで呂蒙は関羽を刺激せず、「病気で動けない」と仮病で油断させたり、当時無名だった陸遜を推挙したり、
関羽陣営の人間を周りから降伏させる形で切り崩したりしている。
領内に入る際には商人のコスプレ等をして、関羽に察知されないように進軍して守備部隊を騙し討ちした。
また、占拠した城の城下からの略奪を一切禁じ、それどころか領民への医者・食料・衣類などの手配なども行っていた。
蒙ちゃんマジ天使
更に同郷の兵士が民家から傘をかっぱらってきたことに「同郷の人間といえども法を変えることは出来ない」と言い、斬首している。
これだけ軍律を徹底させ、領民には兎に角気を使って善政を敷いている。
これによって関羽の統治体制を瓦解させることに成功する。
そして関羽軍は樊城で徐晃軍に敗れた挙句、蒙ちゃんの善政のお陰で兵の士気もガタ落ち。
麦城で孤立無援の篭城もジリ貧だと見極め、なんとか打破しようと画策するが、当然蒙ちゃんは逃さない。
関羽の退路にも念のため布陣しており、関羽は決死の覚悟で中央突破を試みるも流石に無理ゲー。
伝説の武神もあえなく斬首に至ったが、捕らえたのは別に呂蒙本人ではない

[最期]

かの周瑜や魯粛のように、天は呂蒙にも寿命を与えなかった。
関羽討伐・荊州占領後、間もなくして持病を悪化させ、病に伏せる。
孫権は賞金を掛けてまで呂蒙の治療に専念させており、容態を聞く度一喜一憂してたとの事。
それだけ孫呉において呂蒙の存在は大きかった。
しかし治療の甲斐なく死去。享年42歳という若さだった。
その際、孫権から賜った品は全て返却し、葬儀も質素に行うように遺言を残したとか。

…まぁ、呂蒙だけじゃなくて、関羽死亡後に三国共にバタバタ人が死んでるけど。

尚、病床において後継者に陸遜を指名。勇将と評価されていた朱然を後任にしなかったのは「内政関係に弱かったから」だとか。
陸遜の夷陵での大戦火や後の活躍を見る限り、諸葛亮と違って人物眼にも優れていたと思われる。

三国志の著者・陳寿からは「勇敢であるとともに軍略を知る、単に武将であるだけに留まらない人物」と評されている。
武勇のみにとどまらず、策謀術を身に付ける学習能力の高さや上昇志向・内政能力といい、姜維とは偉い違いである。

[その他のアモー]

●三国志演義

とにかくディスられっぷりが酷い。これは本作品が蜀寄りの内容、それも関羽殺しの件もあってのことだが、
この所為で「狡猾」とか「残虐」とか「卑怯」とかそんなイメージが付いて回っている。
実際は蜀と関羽の自業自得なのに。
曹操・周瑜・魯粛・劉禅魏延等に並ぶ演義の被害者と言える。
その最期は酒の席で関羽の霊に取り付かれて、孫権の胸倉を掴んだ後に「我、関羽なり!!」と叫び、全身の穴から血を吹いて狂死
ホラーである。
この事もあって各種創作で呂蒙の扱いは基本的にややこしく、関羽を卑怯な策で追い詰めた極悪人か、関羽を追い詰めるほどの実力と気概の持ち主かの二分である。

●横山三国志

知勇兼備と思えないくらいゴツい
意外にもかなり好意的に描かれており、関羽からもその将器を称賛されている。
最期は普通に病死している。
ちなみにテレビアニメ『横山光輝 三国志』には未登場。

●まんが三国志シリーズ 諸葛孔明伝

小学館の学年別学習雑誌にて連載されていた作品。
基本的に諸葛亮ageの内容の為に他のキャラクターがデバフを食らっている中、呂蒙は少しヘタレくらいに留まっている。
しかし彼はなんと逃げようとする関羽と一騎打ちするという見せ場が与えられた。まぁ一刀で真っ二つにされてしまったが。

蒼天航路

史実にかなり近い設定だが、三つ以上物事を考えると鼻血を噴出す萌えキャラ
呉の要となり魏と戦っていくが、見事にかつての主君・孫策の血吹き芸を引き継いでいる。

●真・三国無双

1作目から登場し、武器は戟。モブ将と共通モーションが多くいまいち地味だが、攻撃範囲はかなり広く、なかなか攻撃力もある。しかし地味。
演義ベースのゲームではあるが、性格は史実寄り。無精髭の渋いインテリオッサンキャラ。でも美形が多い呉軍ではやっぱり地味かも。
無双OROCHI魔王再臨での「陣太鼓を叩いてくれ!」が有名。

●一騎当千

CV:甲斐田裕子
南陽学院*3四天王、眼帯をつけたメイド少女*4。典型的な関節技使い。色々設定があるが割愛。あだ名は蒙ちゃん。
主人公の孫策とは悪友、ただし蒙ちゃんの方が学年は1コ上。
登場当初はドSだったが徐々にクールなツンデレに。
得意技は関節技。アニメではその特技で多くのサービスカットを視聴者に与えた。
主人公サイドということもあって出番も多く、読者の人気も高い。

●恋姫†無双

ツリ目片眼鏡。勉強苦手。袖ち○こ。真・恋姫†無双で初登場*5
元々は槍働きの戦士だったが、周瑜と陸遜が揃って孫策に推挙して頭脳役として取り立てられた。
あの周瑜が「あの子はモノになります」と断じるほどに智将としての素質を持つが、本人は自分の頭への自己評価が低く、必死に勉強して睡眠や視力に歪みが出ている頑張りすぎ。
一刀との出会いと交流でようやく肩の力が抜け、文武両道の本領を見せるようになっていく。呉国後半の展開では、否応無しに…

●白井式三国志

白髪(金髪?)のおっさん。
余りにバカなのを他武将からバカにされ、努力した結果ムキムキになった*6

BB戦士三国伝

CV:森田成一
「孤高の智将」呂蒙ディジェ。
水軍の荒くれ者だったが、甘寧ケンプファーと共に孫権ガンダムに仕えてからは江東強襲水軍を束ねる智将へと成長していく。
コミックワールド版とアニメ版で扱いが全く異なり、CW版ではキットが甘寧や船とのセットで取説の紙面が大きかったため扱いも大きく、
「かつては荒くれ者だったが敗北と亡き恩師の教えから兵法家を志す」というカッコいいバックストーリーも語られていたのだが、
アニメ版では「呉下の阿蒙」時代しか描かれなかったため、脳筋荒くれ者止まりになってしまった。
ネタ的な意味では何故か土佐弁に現地出身者*7の本格的な監修が入っていた相方の甘寧の方が目立っていたまであるかもしれない。

●三国志大戦

徐々に強くなったり、呂布並に強くなるけど徐々に弱くなったり、麻痺矢の大号令だったり、弓射程距離強化or防柵復活の軍師だったり。
しかもロケテの時は伏兵と防柵で最初にいる場所がモロバレというネタ武将だった。
リブート後は徐々に強くなるのはそのままに軍師が弓でゴリゴリ削れる大号令を持って来て、麻痺矢の大号令は丁奉に取り上げられた。
他は自軍の強化と敵軍の弱体が一緒にひっついたりなんとか4度使えると大火力の弓が動きながら打てるピーキーな号令とか、ケンカで負けたことがないギャングとか。
とにかく常に癖の強い計略ばかり持たされる。

●人形劇 三国志

呉ファンの黒歴史
見せしめに荊州の領民を斬り、投降した関羽を騙し討ちにかけて哄笑しながら斬るという、史実と真逆の糞ド外道になっている。
その最期も、私欲を優先した行動を取った挙句の自業自得の末路が描かれた*8
これは勧善懲悪を強調するための大幅な変更点であるが、これには多くの呉ファンがキレた。というか銀英伝の作者の田中芳樹もキレた。

●ヒーロー戦記 プロジェクトオリュンポス

モロボシ・ダンの台詞内で語られる。
名前は中国語読みでルー・メェン表記。

●三国志(アニメ映画)

CV:阪脩
1994年の「完結編」に登場*9
しかし登場シーンは樊城の戦いでの作戦会議のみ。しかも白髭のご老体である。ただし性格は知勇兼備そのもの。

●コーエー三国志

孫権に学問を勧められるイベントが起きたり、後期シナリオで知力政治がぐんぐん伸びてたりする。
勉強イベントは知力が低い時期でないと起きないので、イベ起こすより後期スタートの方が強いが
その時期には寿命が残り少なくなってくるのが困りもの。


追記・修正は「アニヲタ下の阿篭にあらず」といわれるくらい猛勉強してからお願いします。

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最終更新:2024年02月02日 10:26

*1 「阿」は日本語で言えば子供に呼びかける時の「〜ちゃん」といったニュアンス。つまり「呉の蒙ちゃん」という意味だが、同時に「進歩の無い馬鹿」という罵倒でもある。

*2 「日々鍛錬している者は三日も会わなければ見違えるほど変わっている」という事。転じて、「いつまでも同じ先入観で物事を見ずに常に新しいものとして見よ」という意味。

*3 この漫画における呉の立ち位置にあたる。

*4 眼帯なのは三国志の知識が薄かった作者が夏侯惇と間違えたという説がある。

*5 無印でも名前こそ出ていないが、呉軍の旗の中にあった「呂」の文字を見て関羽と張飛が苛立つ場面があり、それに対し北郷が史実の二人と呂蒙との因縁を独白しており、存在の可能性が示唆されていた

*6 そっちの方面で努力してどーする、と突っ込まれている。

*7 ちなみに関平の中の人にして無双貂蝉の人

*8 赤兎馬を自分のものにしようとした結果、赤兎馬に道連れにされるがごとく谷底に落下して死亡した。

*9 1992年に「第一部」が公開され、1993年に「第二部」が公開されている。