東北楽天ゴールデンイーグルス

登録日:2012/10/24(水) 19:36:07
更新日:2024/03/05 Tue 21:05:27
所要時間:約 10 分で読めます




東北楽天ゴールデンイーグルスは日本のプロ野球の球団の一つ。
パ・リーグに所属し、宮城を拠点としている。一般的には楽天、イーグルス、鷲(厳密にはイヌワシ)などと呼称される。

2005年シーズンから参入した、現在NPBで最も新しい球団である。

基本データ

  • リーグ優勝 1回(2013年)
  • 日本一 1回(2013年)
  • Aクラス入り 5回(2009年、2013年、2017年、2019年、2021年)
  • 最高勝率 .582(2013年)
  • 最低勝率 .281(2005年)

一軍本拠地は宮城球場(楽天生命パーク宮城)。
また二軍本拠地や練習場、合宿所として、以下の施設を保有・使用している。

●荘内銀行・日新製薬スタジアムやまがた
●利府町中央公園野球場
●東北楽天ゴールデンイーグルス泉グラウンド

▼歴史

オリックス・ブルーウェーブと大阪近鉄バファローズの合併により起きた球界再編問題では、当時IT大手のライブドアを率いていたホリエモンこと堀江貴文氏と、現在のオーナーである三木谷浩史氏が率いる楽天が新規参入を表明。両社とも当時NPB空白地帯*1であった宮城県を本拠地とすることを明らかにした。

両者審査の結果、楽天側の新規参入が決定し、近鉄の穴を埋める形で設立された。
ちなみに当時の世論はライブドア側を推す方が多かったが、ライブドアおよびホリエモンがその後どのような道を辿ったかを考えるとこの決断ほど正解だったことは無いだろう。

2004年11月8日にオリックスと近鉄の選手を、楽天と前述の合併で出来たオリックス・バファローズに振り分ける分配ドラフトを実行。
礒部、福盛、藤井、中島など40選手が楽天に入団する。

そしてその後、ドラフト会議や戦力外通告を受けていた選手の雇用、主に中日ドラゴンズにいたベテラン勢等を無償トレードで引き受ける(山崎や小山はこちら。この他岩隈もオリックス入団を拒否した結果金銭トレードで楽天入り)で選手の頭数を増やし、2005年シーズンを迎える。
なお、基本的にはここまでで楽天に入団していた選手が、創設当初のメンバーである。
よく誤認されるがこの人創設当初のメンバーでは無い(創設の1年後にやって来た)。

当初は嘗ての横浜DeNAベイスターズ以上に弱く、初年度は100敗ペースで負け続けるも、他チームの強さに揉まれる中で着々と力を付けていく。
球団5年目のシーズンとなる2009年には2位となり、初のAクラス入りを果たした。

2011年、星野仙一が監督に就任するも開幕直前に東日本大震災の発生により球場施設にダメージを受け開幕が遅れることとなる。その後も震災による身体的・精神的な不調はチーム全体に及び終盤に失速。結果として5位に終わってしまった。

2013年、WBCでは不調だった田中は日程の関係で裏ローテに回ったがそこから覚醒。24勝0敗1セーブというマンガを遥かに超えた活躍によりついに悲願の優勝。
田中以外にも新人ながら先発ローテ入りし新人王を獲得した則本、銀次が3番に固定され首位打者を獲得など若手や中堅選手の活躍が光るシーズンとなった。
巨人との日本シリーズを4勝3敗で制し日本一となり、未だ震災の傷跡が癒えない東北に歓喜の渦を湧き起こした。

2014年は打って変わって低調。則本が新エースとして気を吐くものの田中の作った24勝の穴は如何ともしがたくチームも失速、西武が全日程を終え、楽天は残り5試合のうち1勝でもすれば最下位脱出・・・となるはずだったのだがそこから連敗し最下位となってしまった。

2017年は則本とFA移籍してきた岸のダブルエースにより開幕から好調で首位をキープするものの8月に失速。SB、西武に追い抜かれ3位で終えた。CSではfinalで敗退。

2018年は開幕から連敗を重ねるとGW頃に2005年よりも早く自力優勝が消滅。梨田監督がシーズン途中で休養し平石ヘッドコーチが監督代行を務めた。
楽天キラーである菊池雄星対策としてマウンドの改修を行ったのだが、その旨が楽天投手陣にも伝えられていなかったため本拠地でありながら勝率が悪化し最下位となった。
この他作戦室の過剰な現場介入が報じられるなど首脳陣とチームの間の軋轢が浮き彫りとなるシーズンとなった。

▼チームの特徴

前述の分配ドラフトによりオリックス、近鉄の主力は殆どオリックス・バファローズに行ってしまっているので、
草創期は「岩隈と礒部以外は1.5軍」と評された事も。
※これ自体はオリックスが『近鉄から球団譲渡を受けた側』なので、オリックス有利になるのは仕方がない。

その為選手層が凄く薄いが、言い換えると若手に数多くのチャンスを与えられるとも言える。
年を経るにつれてドラフトで取った生え抜きの選手が台頭。
特に2006年ドラフトは田中将大、永井怜、嶋基宏、渡辺直人ら大半が主力となり、屈指の当たりドラフトとしてターニングポイントの一つに挙げられる。

そのドラフトは投手重視の傾向にあり、初回となる2004年秋から2014年秋までずっと、希望入団枠や1位指名は投手に注ぎ込んできた
特に2011年秋までは、2009年の菊池雄星を除いて希望枠&1位は大卒、社会人の投手を指名している*2
その菊池をくじで外し、外れ1位で戸村健次投手(当時立教大)を獲得している為、結果的に2011年秋までのドラ1は高卒ドラフトの3人*3除いて全員大卒or社会人の投手である
しかし2012年秋に高卒左腕の森雄大投手を1位指名し抽選で獲得すると、13年秋は松井裕樹、14年秋は安樂智大と高卒投手を立て続けにドラ1指名している。
そして3年続けて抽選で当たりクジを引き当てている
そしてきたる2015年ドラフト、満を持して1位指名を公言していたド地元のスター高校生内野手平沢大河を指名するも、直前で方針転換したロッテと競合し敗れてしまった。
ちなみにこの時の外れ1位がオコエ瑠偉で、いずれにしても1位指名が野手となった初のドラフトであった。
ドラフトのクジ運自体はかなりいい方なのだが、何故か地元の目玉選手は外れるというジンクスがある。

2013年には遂に球団創設9年目で日本一を達成!

前述の様に他球団との無償トレードなどで選手をかき集めた為、創設時程ではないが他球団出身(所謂外様)の占める割合が他球団と比べると大きい。
また、トレードで楽天に来てレギュラーになった選手は、準生え抜きとでも言える様な扱いになる事もしばしば。鉄平はその最たる例である。
また、創設メンバーはオリックス側に入れなかった『帰れる出身球団』がない流浪の民だったので、その辺の意識が薄いとも噂されている。

基本的に歴史が無い為、他球団よりも有力選手やOBによる派閥争い等の噂も極端に少なく、良くも悪くも仲良し集団となっている。
また、球団発足当時は近鉄や中日出身者が多かった事もあり、オリックス出身の選手は気まずく感じながら行動を共にしていた様だが、
大島公一等、オリックス・近鉄両球団を経由した選手の働きでその様な球団意識を取り払ったとの事。

なお、今は無き近鉄と青波の血がいつ絶えるかもファンの心配事にして関心事の一つであったが、2016年に牧田明久が引退した事により楽天所属の創設メンバーは全員いなくなった。
因みに、梨田は監督就任時に「楽天は近鉄の生まれ変わり」と強くアピールしたが、この発言はオリックス側の旧近鉄ファンを中心に大きく賛否両論。

設立当初から背番号10を『グラウンドの9人と共に戦うファン達の背番号』として永久欠番にしている。

▼現所属選手

投手

  • 田中将大
球界のエースの一人。
2011年には27試合226と1/3投球回で防御率1.27という超人的な成績を残す。

2013年は最早マイライフでも厳しい成績を残す。
開幕から24連勝無敗(日本シリーズでその年初めて負けたがポストシーズンなので記録に残らない)、
年跨ぎは28連勝、世界記録を塗り替える。
その他最多奪三振以外の記録で1位を取り十冠を達成。
球速は156kmを出して自己記録を更新。

この年はピンチでとにかく強く、特に満塁での被打率は1割未満という異常な強さを見せた。
優勝が決まる9月26日では9回裏で抑えとして登板。
ワンアウト2、3塁のピンチで2者連続三振で優勝を決める。
この2者に投げた8球は全てストレートでしかも全て150km以上
正に球史に残る投球を見せ、優勝した。

優勝、日本シリーズ進出、日本一の全てで抑えを務め、最後は全て三振で締めた。
ポスティングによりヤンキースに移籍していたが、2021年から電撃的に楽天に復帰した。

  • 則本昂大
現エース。
2013年は新人ながら開幕投手・二ケタ勝利・日シリ初戦投手をこなし、2013年新人王を獲得。
2014年は勝利数と防御率では沢村賞の金子千尋に負け越したもののイニング数と奪三振で最多奪三振のタイトルを獲得。
17年には完投サヨナラ負けを喫し崩れ落ちたこともあったが7試合連続2桁奪三振の新記録も達成。
2024年シーズンから投手キャプテンに就任。

  • 岸孝之
西武の代表的エースが、地元帰還を希望したが為に2016年末にまさかのFA獲得。
西武ファン・楽天ファンの双方に大きな衝撃を与え、西武ドームでのシーズン初登板やCS登板の際は節度を守る概念が欠落している極一部の悪質極まりない西武ファンから終始大ブーイングを食らってしまった…。
楽天に移籍してからも、スペ体質からかシーズン前半や間に離脱はするものの怪我から復活したら好投する事から不死鳥王子なんて呼ばれたりしている。実際に2020年はシーズン始めは出遅れたものの7勝0敗。2023年に至ってはトラブルで試合開始が遅れたにも関わらず首位オリックスに対して楽天先発陣では唯一の完封を果たしている。(このおじさん凄すぎる…)

  • 塩見貴洋
2011年のルーキーイヤーに9勝するも、翌年は不調に陥り6勝10敗、2013年には肘の怪我に苦しみ一軍出場無しに終わる。2014年も開幕して数週すると打たれだし一度二軍に落ちたが、最終的には8勝した。

  • 辛島航
2012年に8勝を挙げ、美馬と共に先発として台頭。2013年は怪我もあって3勝に終わったが日本シリーズ第5戦で好投する等、日本一に貢献。2014年にはローテを守りまた8勝を挙げるも、その反面13敗してしまった。
そして2015年は二桁勝たなければ引退と宣言するも、故障によって出遅れた。

  • 松井裕樹
2013年秋ドラ1。
1年目の2014年は先発に中継ぎにと一軍で経験を積み、116イニングでリーグ5位の126奪三振を記録する。
そして2015年は楽天に新しく加入したミコライオの故障でペナント開幕から守護神に任じられると、順調なスタートを切る。
まだ若いがおでこが妙に広いので選手やファンを装ったクズ共からもハゲ認定されており、チームメイトの辛島からは「頑張れハゲ」と言われた事も。

捕手

  • 太田光(ひかる)
2018年ドラフト2位。
某お笑い芸人と同姓同名だが、あちらは「ひかり」で、こちらは「ひかる」である。

  • 炭谷銀仁朗
2021年シーズン途中に巨人からトレードで獲得されたベテラン捕手。
西武時代から再び岸や涌井とのバッテリーが実現することになった。

内野手

  • 赤見内(あかみない)銀次
1001命名「泥んこ三兄弟」の1人。生年月日的に多分次男。楽天2回目のドラフトたる2005年秋の高卒ドラ3。
なお、ドラフト後に両親の再婚に伴い、宇部から赤見内に苗字が変わっている。
2012年に一軍に定着し.280と結果を出すと、2013年からは2年連続.300越え。
岩手出身という事もあり、楽天の顔として定着しつつある。
ポジションは当初捕手で入団したが内野転向し、一塁メインに二、三塁も時々守る。2019年にはベンチの捕手を使い切ってしまったため、一軍公式戦で初めて捕手を務めた。

  • 浅村栄斗
山賊打線の一角として楽天を苦しめてきたが、2018年末に西武からFAで楽天に入団。
この人が不調だと楽天打線全体も不調になるくらいには打線の鍵を握る打者。2020、2023年の本塁打王で、2024年から野手キャプテンに就任。

  • 茂木栄五郎
大学トップクラスとの触れ込みで入団した遊撃手。実は高校時代夏の県予選で松井裕樹と対戦したことがある。
脅威の俊足を誇り1シーズン2ランニング本塁打を記録したことも。
パンチ力もあり、楽天生え抜き初の二桁本塁打を達成した。
\もぎ!/\もぎ!/\もぎえいごろう!/というコールは一度聞いたら耳に残る謎の中毒性を持つ(応援歌は別にある)。

外野手

  • 島内宏明
生え抜き2桁本塁打達成者その2。
「今江さんに隠された」発言に代表されるような走塁ミスも多いが、脚も速い。
2021年に打点王、2022年に最多安打を獲得。
独特な思考による発言がネタにされる選手だったが、2022年の契約更改にて物凄い発言をしたことで野球ファンを唖然とさせてしまう。
某オリックスファンの全力絶叫Youtuberが島内の応援歌の大ファンで、「ここで島内はないやろぉぉ」というワードは有名。

  • 岡島豪郎(たけろう)
2012年、嶋の離脱をチャンスとしてのし上がったルーキー捕手。抱き枕愛用者。
2013年途中から1001に志願し外野手に転向、結果を出し定着する。
その後は不振気味で、2016年は春先から大きく活躍するが、夏以降は滅茶苦茶な勢いで下降していった。
2021年にまさかのレギュラーへの返り咲きを果たす。

  • 田中和基
生え抜き2桁本塁打達成者その3。2016年ドラ3のスイッチヒッター。
2年目に1番センターでスタメンに定着し、チーム全体としては3人目、野手としてはチーム史上初の新人王に選ばれた。
新人王を獲得して以降は攻略されてしまったのか打撃が壊滅的となり、どうもパッとしない。
「GO!GO!カズキ!GO!GO!カズキ!」と適当な歌詞の応援歌がよくネタにされている。

  • 辰己涼介
2018年ドラフト会議で阪神・巨人・ソフトバンクとの4球団競合で楽天が獲得。
指名後のインタビューで「まずは楽天カードを作るところから始める」などと笑いを誘うコメントをしたところ、指名挨拶時に石井GMから特大楽天カードがプレゼントされた。

  • 西川遥輝
俊足と驚異的な出塁率で知られる名手。2021年に「ノンテンダー」と名付けられた衝撃の戦力外を受けたことで、楽天へと移籍してきた。
「ハルキスト」と呼ばれる熱烈なファンを抱えており、そちらの多数の層も楽天ファンへと転身したと噂されている。

監督

  • 今江敏晃(年晶)
2016年にロッテからFAでやってきた。
しかし度重なる怪我等で全盛期の輝きは取り戻せていない。
2017年に謎の登録名変更。蔑称はクリスタルゴリラ
2019年に右目の病気に悩まされたことが原因で引退、以後はコーチとして楽天に貢献していたが、2023年オフの石井監督の退任により監督へ。

コーチ

  • 渡辺直人
岩隈の出戻りで金が無くなったからと、理不尽過ぎる金銭トレードで横浜へ。
その後更にトレードされて埼玉西武ライオンズに入団、対楽天打撃成績が恐ろしい事になっていて、最近は楽天ファンから嫌われつつあったが2017年に戦力外、楽天復帰へ。
2020年に兼任コーチとなった後に引退、2021年からはコーチに専念する。

  • 永井怜(さとし)
岩隈田中に次ぐ先発三本柱だった。復活が期待されていたが、二軍での炎上が毎年の風物詩になっている節もあった。
結局復活出来ずに引退した。引退後は育成コーチや二軍投手コーチを担当。

  • 牧田明久
秋になると打てる人。その事から名前を明(あき)久から常久に変える事を推奨された程(一応春先にも打つ)。
西武→パドレスに在籍していた牧田和久投手が居り、名前が紛らわしい。彼は田に濁点が付く(まき)のに対し、元西武の牧田は田に濁点が付かない(まき)である。
なおその投手の方の牧田も2020~21年に楽天に在籍した。
最後の楽天創設メンバーだったが、16年に引退。ジュニアコーチを経て2020年より二軍や育成の外野守備走塁コーチを担当。

マスコット

  • クラッチ
  • クラッチーナ
名前の由来は勝負強い打者「クラッチヒッター」から。

当該項目参照。

▼元所属選手・首脳陣

監督

  • 田尾安志
2005年シーズン監督。中日で活躍し、五打席敬遠でも有名な人物。
初代楽天の監督を務めるが采配以前に戦力的にどうしようもなく案の定最下位となり、球団とのコミュニケーションのすれ違いもあって1年で退団になる。
半ば戦力外の寄せ集めのような選手層を率いた末に1年で解任されたことには同情する声も多かったが、退団後の一部の発言などから批判する意見もある。

  • 野村克也
2006~09年度シーズン監督。かつてはヤクルトに黄金期をもたらし、星野の前任だった阪神監督時代も3年連続最下位だったものの後の強豪阪神への礎を築いた名将。そして楽天でもチームを初のAクラスに導いた。

2011~14年度シーズン監督。楽天を初の日本一に導いた。当該項目参照。

  • 大久保博元(デーブ大久保)
2015年度シーズン監督。西武・巨人OB。
2012年に一軍打撃コーチ、2013年からは二軍監督に就任。2014年に一度一軍監督代行を任せられ、オフシーズンに内部昇格。
過去に色々とあったため不安視されていたが最下位に終わり1年で退任。

  • 梨田昌孝
2016~18年度シーズン監督。近鉄・日本ハムの二球団でのリーグ優勝経験を持つ実力派監督。
楽天を近鉄の生まれ変わりと自負しているが、彼自身が最大の近鉄亡霊ではないかという説も。
かなり性格は温厚で、選手に手を上げたのも二軍監督時代に一度だけ*4と言われるまでの聖人にしてダジャレおじさん。
当然例外はあり、楽天ではリズとオコエに切れている(前者に至っては滅茶苦茶に罵倒した)。
2017年にチームをAクラスに導くものの翌年2018年は開幕から成績が低迷し、シーズン途中に辞任した。

  • 平石洋介
楽天初の生え抜き監督。2018年シーズン中に梨田監督が辞任したため監督代行を務め、2019年度から正式に監督に就任した。
選手としてはキャリアハイが打率.254 1本塁打 8打点と大きな活躍は無かったが、何気に創設期から長きにわたって選手・コーチ・監督と、何らかの形でチームに所属し続けた。
2019年に3位を記録するも球団の方針と噛み合わなかったようで退団、以後はソフトバンクや西武をコーチとして渡り歩く。

2018年に楽天のGMに就任。FAやトレードによる外様の大物選手の獲得による補強路線を推し進め、かつて所属していた西武から人材を引き抜いた。
GMのはずだったのだが、2021年からはGM兼監督として現場に立つ事態になり、2023年からは専任監督となった。
2024年からは球団取締役シニアディレクターに就任。

コーチ

  • 高須洋介
近鉄時代は正二塁手であった水口栄二の壁と怪我で満足いく活躍はできなかったが、楽天で開花しレギュラーに定着。
二度の3割を記録するなど活躍し、2013年に引退して2018年に打撃コーチに就任。2019年からは育成総合コーチとなった。

  • 栗原健太
嘗ては広島を代表する四番だったが、その後は怪我(とイップス)に苦しみ、2015年末に別球団での挑戦を希望して楽天に移籍。
しかし一軍に上がる事無く一年で引退し、二軍打撃コーチに就任、2018年に高須と入れ替わりで一軍打撃コーチに昇任した。2019年に再び二軍打撃コーチとなるも同年で退団、2022年にスカウトとして復帰するが結局同年で退団した。

  • 小谷野栄一
日本ハム・オリックスで活躍した名内野手。
楽天との接点は全くと言っていいほど無かったが、何故か2019年に一軍打撃コーチとして招聘された。
1年きりでオリックスに出戻りし以降こちらで打撃コーチを務める。

  • 佐藤義則
魔球・ヨシボールの使い手にして言わずと知れた名コーチ(但し育成に限る)。
2014年秋に解雇、福岡ソフトバンクホークスへ行ったが、今度はそれを倒したいと出戻りした。

  • 伊藤智仁
全盛期はパワプロの如きえげつない変化のスライダーを投げていた元ヤクルトのガラスのエース。
2019年度から一軍投手チーフコーチに就任した。

投手

草創期を支えた楽天のエースにして球界史上初のポスティング出戻り選手。
マリナーズで活躍した後は巨人で日本球界に復帰するも2020年に引退。

2009年の守護神。……CS行けたのは彼のおかげ、です。

  • 松崎伸吾
キャッチボールで背筋を痛めた男。2011年オフに阪神タイガースにトレード移籍も1年で解雇された。

  • 土屋朋弘
この人の名字をややこしくしていた人物。

  • 長谷部康平
初回四球→四球→四球→四球→本塁打(その日相手チーム最初のスイング)→三振→三振→三振の5失点という衝撃のピッチングを見せた事のある2007年秋ドラ1。
2013年の後半に勝ちパターンの一人として活躍するも、その後は一軍に定着しきれず2016年シーズン末に戦力外となり、その後は球団の営業マンとして働いている。

  • ケニー・レイ
2013年に入団し、日本シリーズでも登板はしたが戦力外に。
しかし2014年秋のオフシーズンに改めてハウザーと共にテスト入団すると、2015年には40歳以上の投手では村田兆治を上回る開幕4戦4勝の新記録を作ってみせた。
2016年も時偶に先発を担当していたが、高齢なのもあって二度目の戦力外になった(球団スタッフの打診交渉をしているとする報道もある)。
因みに獲得時はケンレイ等と報道された。

横浜マシンガン打線時代のエース→中継ぎ転向→遅咲きながらメジャー地区優勝経験のある「アレ様」。

  • 山村宏樹
阪神にいた頃にイジメの影響で自律神経失調になり戦力外、梨田に拾われて近鉄に来た。
因みにドラフト同期には後に近鉄でもチームメイトになる北川博敏、近鉄だけでなく楽天でもチームメイトの川尻哲郎のほか、こちらは阪神に残って代走要員として活躍した秀太と個性の強い選手が揃う。
近鉄では優勝前後こそ活躍するもその後は低迷し楽天へ。ベテランとして活躍するも怪我で引退した。

  • 西宮悠介
松井と同じく2013年のドラフトで入団した、大卒の左腕投手。
2014年は開幕から中継ぎで定着し46試合に登板したが、2015年は不振気味のスタート。
四球癖が最後まで抜けずに2019年に引退となった。

  • 小山雄輝
巨人では2014年に活躍するも、その後は今一つの所で柿澤貴裕と交換トレードで2016年に移籍。
150キロを出せる直球とかなり落ちるフォークが武器だが、長くは保てないのが欠点。
移籍後は一軍登板が僅か5試合と活躍できず、2018年末に引退した。

  • フランク・ハーマン
2017年に加入した、ハーバード大卒のインテリ投手。
中継ぎで活躍していたが、2020年からはロッテに移籍した。

  • 戸村健次
ルーキー時にコーチが岩隈と比べて評価した為、量産型岩隈と呼ばれる。
2015年、日本テレビ系のスポーツ番組「Going!」に出演する江川卓から何故か目を付けられる。
それなりに困ったときの便利屋枠ではあったが成績は基本的によろしくなく、2019年に現役引退。

  • 一場靖弘
彼を取り巻いた栄養費騒動のほうが有名かもしれない。色々とあって楽天初のドラフトの自由獲得枠で入団。
岩隈やバワーズの不調により2006年には開幕投手を務めたが伸び悩み、ヤクルトに移籍の末に引退。
決して輝かしい成績ではないが、選手層の薄い楽天草創期を支えた一人であることは間違いない。

主に左の中継ぎとして活躍。
一時は先発も務め、12回188球完投(試合は引き分け)という記録も残したタフガイ。

  • 小山伸一郎
  • 青山浩二
  • 片山博視
スリーマウンテンズの項目参照。

  • 美馬学
「避けようとすれば避けれる」
美馬は169cm、上記の辛島が173cmと小柄で、内村などと併せてちっちゃいものクラブ要員。
2012年に8勝、2013年には6勝を挙げ日本シリーズMVPにも輝く。2017年には11勝で初の2桁勝利。
肘を何度も故障している。またプロ野球屈指の死球ピッチャーで、上の発言は日ハム・中田翔へのデッドボールについてある番組で評した発言。その中田とはデッドボールで乱闘になり掛けた事も…
2019年オフに鈴木大地と入れ替わるような形でロッテに移籍して球団を去ったが、実は楽天生え抜きとしては初のFA流出だった。

2017年に伝説の事件「コラレスショック」として晒された人。当該項目参照。

  • 涌井秀章
岸の前の西武のエース。
ロッテにFA移籍した後、2019年オフにトレードで楽天入り。
2020年には開幕から8連勝など1年間ローテを守り切り、西武、ロッテ時代に続く4度目の最多勝に輝いた。
2022年に中日の阿部寿樹との電撃トレードで中日に移籍。

  • 福山博之
横浜では活躍できず戦力外になりトライアウト経由で楽天に。北島三郎似の顔から愛称はサブ。
2014年にはオールスターに出場しこの年から4年連続60試合登板、2017年は36試合連続無自責など便利屋ながらも活躍したが、2022年についに限界を迎えて現役引退。
実は身体能力が高く、横浜を戦力外になったのも野手転向を拒否したから。実際フィールディングに定評があり、代走としても1回出場した事がある。

  • 釜田佳直
化け物ルーキーだった一人。2012年に高卒ルーキーながらも7勝したが、翌年肘を怪我してしまった。
しばらくは期待されていたが、やがて一軍で通用する光景の方が珍しくなった末に気が付けば二軍のイニングイーターと化した後に2022年に戦力外通告、トライアウトに参加するも獲得球団はなく引退を決意し、球団スタッフに転身。

  • 安楽智大
2014年ドラフトでヤクルトと競合の末に入団。当初は先発だったが2020年シーズンから中継ぎに転向して安定した成績を残していた。
ところが、2023年シーズンオフの契約更改時に複数の選手からパワハラを訴えられ、時勢的なこと*5もあり事態を重く見た楽天は氏の契約を解消。
この件で国内はもちろん、国外でも手を出すチームはない・・と思われたが、2024年はメキシカンリーグのメキシコシティ・レッドデビルズとの契約が発表された。


捕手

  • 藤井彰人
岩隈専任捕手として活躍した創設メンバー。2011年に阪神にFA移籍し、2015年に引退。イケメンネタの人。

  • 河田寿司
「寿司(すし)」ではない。2012年に一軍で頑張って首の皮を繋いだ(はず)。8月29日には楽天18代目の4番の座に着いた事も。
ハーレム大会に出場した事がある(※地名です)。
2013年引退し、楽天のブルペン捕手に。

  • 中谷仁
阪神では井川の女房役として二軍で活躍し期待された。
しかし目に携帯を投げつけられるというケガで失明寸前になり、見事復活するも捕手の層が厚くなった事から楽天へ。
しかし楽天では2009年に藤井や嶋のバックアップとして活躍した以外は活躍出来ず、巨人に移籍し引退。現在は母校の智弁和歌山でコーチをしている。
なお、ネット上では「山村をいじめた人物」と「中谷に携帯を投げつけた人物」はどちらも阪神時代のある同僚の所業と語られる事が多い。

  • カツノリ
本名野村克則。ヤクルト→阪神→巨人と渡り歩いてきた野村克也の息子。
これまでは父・克也が監督就任→カツノリが入団という流れだったが、楽天では逆になった。
長年捕手として活躍した父を持つも、父ほどの野球の才能には恵まれず、特に引退試合はロッテ野手陣の「最後ぐらい盗塁を刺させてやろう」という気遣いに応えられず6個もの盗塁を許してしまった話は有名。
しかし、非常に面倒見が良い人格者であり、また父であり監督でもある克也に対しても臆せず意見していた。
引退後はバッテリーコーチになるが、持ち前の性格のみならず、父譲りの頭脳もあって重宝され、野村克也の退任と共に楽天を退団した後もキャリアは途切れる事無く古巣でコーチを続けている。

  • 細川亨
球界屈指の畜生選手。青森出身。ソフトバンクの三軍コーチ就任要請を拒否→戦力外になって楽天に来た。
余談だが、細川がソフトバンク時代に徹底的にお得意様としていたのは古巣の西武と楽天である。
2018年に戦力外となり、ロッテへ移籍。

  • 嶋基宏
「見せましょう、野球の底力を」
2006年のドラフトで入団。田中とは同期で、最優秀バッテリー賞も2度受賞した。
選手会長も務め、東日本大震災後に行われたチャリティー試合でのスピーチにおける上記の言葉は語り草となっている。
2019年オフに出場機会を求めて自由契約となりヤクルトに移籍。2022年に現役引退し、ヤクルトのバッテリーコーチ兼作戦補佐に就任した。

  • 足立祐一
2016年から社会人経由でプロ入りした遅咲きの捕手。
怪我しがちな嶋の代役として、ルーキーながら伊志嶺・小関・当時ロッテから戦力外で入団したベテラン川本を退け、第二捕手の座を獲得した。
だがそのルーキー年がピークと言えるような状態に入り、2021年に現役引退。球団のアマチュアスカウトになった。

内野手

  • 山崎武司
Xムランの年以来低迷し、三振が多く打率も低かったものの楽天で復活してみせた長距離砲。
2011年オフにコーチ要請付きの引退勧告を拒否して現役を希望し、古巣中日へ。
2014年のオープン戦にて引退セレモニーを行い現役引退。
なお、山崎は2004年オリックスに在籍していたが、分配ドラフト前に戦力外を受けているので分配にはかけられておらず、飯田・関川浩一などと同様再雇用組である。

  • ホセ・フェルナンデス
2005年オフに西武から移籍したパワーヒッター。
活躍した際に発表する哲学的なコメント(通称:ホセ語録)も話題に。
打力と明るいキャラクターで人気だったが、守備に致命的な難があったため中村紀洋のFA入団と入れ替わりに退団。
その後2011年に復帰するもその年限りで退団となった。

  • ジャフェット・アマダー
NPB歴代最重量選手。力士と間違う程の見た目だがこれでもメキシコ代表。
1ヶ月で8本塁打を放つなど貫禄のパワーを持つがやや怪我がち。
2018年は低迷するチームをけん引する打撃を見せていたが…。

  • 内村賢介
球界一小さかった163cmの野球選手。
この人もまたトレードでDeNAへ行くが、トレード相手の藤田と比べあまり活躍出来ず、戦力外となる。

  • 中村紀洋
中日からやってきた、楽天初のFA獲得選手。
一応そこそこの活躍はしたが、高額の年俸と比較して期待通りでなかった事や黒い噂(後輩へのパワハラ・近鉄派閥結成)も多く、戦力外になった…ものの2年目は割と持ち直しておりノムさん2009年限りと並び「あっさりしすぎ」と言われた。
その後ロッテから今江を獲得した際の球団発表から察するに、公式でも素で忘れられていた模様。

  • 岩村明憲
嘗てヤクルト、MLBで活躍したメジャー帰りも、膝の後十字靱帯断裂により精彩を欠いた。
復活の予兆は有ったものの、若手の台頭もあって2012年戦力外。
ヤクルトに拾われるもまたもや戦力外。現在独立リーグ・福島ホープスの監督兼選手兼球団代表に。2017年引退。

  • 草野大輔
おっさん。
2012年には岩崎(ソフトバンク)から満塁弾。が、その年に引退しアンバサダーに転身。そして2014年からは二軍打撃コーチを務めた。

  • 西村弥
守備職人。
今まで良くて.214(48打席)だった打率が2012年は.289(42打席)。

  • 阿部俊人(としひと)
1001命名「泥んこ三兄弟」の1人。1人だけ学年的には1学年下ではある。大卒で、2010年ドラ3。
2012年は4月だけ打撃好調だったが、以降は打撃は苦しんでいる。二塁を中心に遊撃、三塁も守るユーティリティー型の選手。
引退後はとんでもないことになってしまった。ある意味黒歴史の一人。

鉄平との電撃トレードでオリックスから移籍(契約途中だった為、残り契約金は楽天が全部負担)。
1年目は大不振に終わり、楽天の日本一からの没落とオリックスの躍進もあって不幸の象徴とされた時期も。
2015年は遊撃手として奮闘し、2016年は代打の控えとして活躍するが、高齢とコスパの悪さから戦力外に。
トライアウトを受けるも獲得されず、その時期に立花球団社長から球団職員にスカウトされ引退。

  • 西田哲朗
期待の若手内野手。2014年は131試合に出場し.250、7本塁打と高い打率ではないものの結果を出す。
しかし2015年は春先に負傷。殆ど毎年怪我しているような…。
2017年終了後、トレードでソフトバンクへ移籍。

  • ケーシー・マギー
ジョーンズの後を打つ5番として日本一に貢献した内野手。
しかし、子供が障害持ちな事もあってかメジャー志向が強く1年で海の向こうに戻っていった。
しかし2017年巨人に入団して日本球界復帰、首位打者争いを繰り広げた他、セ・リーグの二塁打記録を作った。

  • ゼラス・ウィーラー
5000万円という低価格で来日したパワーヒッター。山崎以来の楽天30本達成者(外国人初)。
トイストーリーの「ポテトヘッド」に似ているので、愛称はポテト。最近はハクション大魔王似ともいわれ本人も気に入っている模様。
2020年シーズン途中に巨人にトレード移籍して大活躍。

  • 藤田一也
2012年、内村とトレードで楽天へ。
当時銀次二塁、稼頭央遊撃とポジションがある程度固定されていた為、二塁遊撃三塁全てを守れる点を買ってのトレード(一方の内村は脚が速く代走でも使える代わり内野は二塁しか出来なかった)だったはずだが、結果として楽天にて二塁のレギュラーに定着、プロ野球屈指の守備をしばしば魅せてくれる。
横浜時代からの愛称として藤田プロと呼ばれる事がしばしば。これは達川光男に嘗て「打撃はアマチュア」と称されていたのが、打率を残す様になってファンから「プロに昇格した」と称された形である。
2021年に戦力外通告を受け、古巣DeNAに復帰することに。

ロッテ、巨人で活躍した、地元宮城が生んだ守備の名手。
2008年オフに巨人からトレード移籍。球団初の宮城県出身選手となった。
いぶし銀の活躍を見せつつも2010年に引退しコーチに就任。
その後はコーチとして日本ハム、巨人を渡り歩き、2018年より13年ぶりに古巣ロッテに復帰した。

外野手

  • 聖澤諒
盗塁と夏バテの天才。
2011~12年に2年連続50盗塁達成(2012年は盗塁王)。

  • 枡田慎太郎
1001命名「泥んこ三兄弟」の1人。命名当時は内野手だったが、遊撃で1イニングに拙守3連発(記録上ヒットのものもある)で一軍初登板の釜田の足を思いっ切り引っ張るなどやらかしが酷く、外野手転向。
泥んこ三兄弟の長男だと推測される。2005年秋の高卒ドラ4。
2013年夏にひたすら打ちまくり、楽天初のリーグ優勝の原動力の1人となった。
2014年以降は打撃不振に陥り代打での起用が主となるが、2018年オフに戦力外となり、合同トライアウトに参加したものの他球団から声はかからず引退した。

  • カルロス・ペゲーロ
2500万円という低価格で来日。
Kスタ場外、京セラセンター5階席にぶち込む恐ろしいパワーの持ち主。
意外と脚も速い。
2017年シーズンは2番に座り超攻撃的2番として活躍。

嘗てトリプルスリーも達成したメジャー帰り。当該項目参照。
元は遊撃手だが年もあり外野になった。
2017年に現役続行を希望し自由契約、古巣西武にコーチ兼任で復帰、2018年からは西武の二軍監督を務める。

  • 中村真人
「spiritって何だ? ……スプライト?」
※この人大学を卒業してます。
育成入団から支配下登録。悪球打ちの名手として定評があった。
現在はスポーツバーオーナー。

当該項目参照。オリックス・バファローズに移籍するも、戦力外で浪人状態になった16年初めに引退。

  • アンドリュー・ジョーンズ
メジャーのスーパースターながら未だパワーは健在。特技は抜群の選球眼で四球をもぎ取る事(通称:散歩)。
2013~14年の2年間所属し、チームの日本一に貢献した。
現在はオランダ代表のコーチに就いているが、親日家で将来的にはコーチや幹部等、何らかの形で戻ってくるのではないか?と言われている。

  • 礒部公一
岩隈と共に志願して近鉄から楽天に来た、近鉄最後の選手会長にして得点圏の鬼兼ゲッツーロボ。
創設時の主力メンバーで、本拠地初のホームランはこの人である。
一軍打撃コーチも務めた。

  • 鷹野史寿
  • 川口憲史
磯部と同じく志願組で、いてまえ打線を支えた強打者。
近鉄で中村ノリ・ローズ・礒部の後ろを打っていた吉岡雄二も志願している為、分配だけでもオリックスに行ったノリ・水口・北川・的山以外の近鉄の主力野手の多くやオリックスを長年支えた大島公一と名前だけならかなりの戦力が楽天に集まった事になる。
しかし両名とも近鉄時代程の活躍は出来ず終わった。

  • リック・ショート
「イイダサン、ガンバルカラ」
2006~08年と3割をマークし、2008年にはチーム初となる首位打者に輝いたアベレージヒッター。
守備においてもレフト、ファーストを中心にセカンドやサードもこなしたユーティリティープレーヤーだが、名前に反して「ショート」は守ったことがない。「楽天のショートといえば?」という話題では(ネタ的な意味で)よく名前が挙がる。
2006年の最終戦では、あと1人塁に出れば引退する飯田に打席が回るという9回2アウトの場面で代打で登場。打席に向かう前に上記の言葉を飯田にかけた。

  • 飯田哲也
あのケイン・コスギをも破った、超人的身体能力を持つ彼も晩年は楽天で過ごした。
打席は少ないながらも3割を打つなど健在をアピールし、また経験豊富なベテランとして重宝されていたが、創設2年目の2006年にヤクルト時代同僚だったカツノリと共に引退した。
ラストゲーム最終回のリックの言葉は感動モノ。
結果的にリックはセカンドゴロに倒れ、飯田の最終打席は幻となってしまったが、後の引退会見で「もし打席が回ってきたとしても涙で打てなかっただろう」と語っている。

代走のスペシャリスト(?)当該項目参照。

  • オコエ瑠偉
日本人とナイジェリア人のハーフ。2015年のドラ1。
身体能力の高さ、特に足の速さは本物だが、打率や走塁・守備のミスなどまだまだ課題が多い。
マスコミや球団関係者に野球の姿勢を責められることも多かった選手だが、メディアからの批判は面白おかしく適当に言われている部分もあり、素行と言うよりは怪我をしやすい体質が最大の問題の選手でもあった。
2022年オフに初開催された現役ドラフトによって読売ジャイアンツに移籍する形で退団。





共に、追記・修正へ…

この項目が面白かったなら……\ポチッと/

+ タグ編集
  • タグ:
  • 野球
  • プロ野球
  • NPB
  • パ・リーグ
  • 東北楽天ゴールデンイーグルス
  • 野球チーム
  • プロ野球チーム
  • チーム
  • 球団
  • 狗鷲
  • 新規参入
  • 宮城県
  • 杜野まこ
  • 仙台市
  • 東北地方
  • 宮城球場

このサイトはreCAPTCHAによって保護されており、Googleの プライバシーポリシー利用規約 が適用されます。

最終更新:2024年03月05日 21:05

*1 1973年から77年までの間、当時本拠地の無かったロッテオリオンズが準本拠地として使用していたことがある。

*2 ただし、2005年秋~2007年秋はドラフトが高卒と大卒社会人で分離されていた。

*3 ちなみに彼らも全員投手である。

*4 その梨田に手を上げさせた選手というのが「契約更改は11月31日だと思っていた」というとんでもない発言で知られる前川勝彦。

*5 この年は宝塚歌劇団ジャニーズ事務所と閉鎖された環境におけるパワハラ問題が多数発生していた。