魏延

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更新日:2024/04/15 Mon 12:24:55
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魏延(ぎ えん)とは、三国志における蜀漢の猛将。字は文長。
始め劉表に仕えるが、劉備に南郡の主権が移る頃に劉備配下となる。



【経歴】

【劉備時代】

生年は不明だが、荊州は義陽郡の出身。

正史における初登場は211年、劉備の蜀入りの際。
龐統黄忠法正らと共に劉備に随行して益州に入った。この時は私兵を募って劉備軍に参加したという。
そしてこの劉璋戦で目覚ましい活躍をしたため、牙門将軍に昇進する。

続く漢中攻防戦でも活躍し、大幹部の張飛を差し置き漢中太守となった。
人々は重鎮の張飛が漢中太守に起用されると思っており、張飛や当の魏延もそう思っていたのにである。
既にこの頃には最古参の趙雲よりも階級が高く、劉備の寵愛ぶりがうかがい知れる*1*2

ただ、漢中は魏の南下を防ぐ防衛拠点であるとともに、北伐のための攻撃拠点でもある。
つまり北伐を行う上での兵站の整備や情報収集などが求められる場所なのだ。
もし漢中太守を北伐司令官としてしまうと、その負担が余りに大きくなってしまう。
従ってこの人事については「魏延を張飛や趙雲よりも重視した」というより、「張飛を北伐司令官とし、魏延にはその後方支援をさせる」という人事であったと思われる*3

もっとも、その北伐は関羽の死ですべて破綻してしまうのだが……


劉備が蜀漢の皇帝となってからも重んじられ、鎮北将軍に任命されている*4


【諸葛亮時代】

223年に劉備が死去すると、丞相の諸葛亮が蜀漢の実権を握ることになる。
その諸葛亮は魏との戦争、すなわち北伐を企画しており、その前線拠点である漢中の太守を務めた魏延は蜀軍の中で重きをなしていく。

魏延と諸葛亮は折り合いが決して良くはなかったが、同じく問題児の楊儀との仲の悪さを嘆くぐらいで武人として評価しており、対立していたわけでもなかった。
既に蜀漢の退潮は始まりつつあり、特に有力武将は夷陵の戦いでの戦死で元々数が少ない上に、寿命による死亡もしくは高齢化の波を食らっており、
数少ない実戦経験豊富な猛将である魏延は、諸葛亮といえども除ける存在ではなく重用は続いた。

そして、地理に明るく北伐企画にも参画していた魏延は、北伐でも予想通りに活躍。
230年には呉懿と組んで羌族の領域まで遠征し、費耀・郭淮を撃破したりと活躍。この戦功で前軍師・征西大将軍・仮節・南鄭侯と急速に昇進した。
さらに翌年231年には司馬懿をも撃退し、その軍団をズタズタに引き裂いたという。


【陣中不和】

ところが魏延は第一次北伐にあたり、涼州方面(西北)へと勢力を伸ばそうとする諸葛亮に反対して、
諸葛亮が本隊を率いてゆっくり前進し、魏延が別働隊を率いて関中(東北方面)を攻略し、潼関で合流しようという「長安奇襲策」を進言していた。
しかし諸葛亮はそれを却下。それも一回ではなく、魏延は北伐のたびに提案し、諸葛亮はその都度却下したという。
それで魏延は不平を唱え、「臆病な大将の下じゃあ、能力も尽くせないぜ、クソッタレめ」と公言していた。


この作戦については、諸葛亮とて魏延が嫌いだから取り上げなかったわけではなく、
魏の第三都市であり西方の要である長安を奇襲で容易に落とす事は困難、成功しても維持することはさらに難しいと判断していたからである*5
また戦地的に戦線をかなり一点突出させる必要があり、失敗すれば北伐それ自体が破綻するリスクも大きかった。

確かに長安を得られれば大きいし、漢中太守として下調べをしたうえでの提案なのだから、それなりの勝算はあったのかもしれない。
国力差を考えればある程度のバクチ戦略もやむを得ないという面もある。そもそも北伐そのものが国力差をひっくり返すための博奕なのだ。
それでも、丞相の立場からすればハイリスクハイリターンが過ぎる戦術は取れないのが普通だろう。
更に相手はあの曹真司馬懿であり、その上で堅牢な長安を落とせる可能性があるかと考えると、バクチにしてもリスクが大きすぎると諸葛亮が考えるのも無理はない。

もっとも、魏との国力差・戦力差が絶望的であった以上、ある程度の博奕をしないと勝機は永遠に掴めなかったのも事実。
正攻法・安全運転で勝てるのは国力なり戦力なりが優位である場合のみだし、しかも歴史には、圧倒的に強大な側が、弱小国の攻撃で敗北した例もある*6
リアルタイムで生きる彼らにとっては尚のこと、どちらが正しいかの判断は困難だったことだろう。


とはいえ、それで魏延が「諸葛亮め、なんて臆病な野郎だ。あんな奴が司令官だってんじゃあ、勝てる戦も勝てやしねえぜ」と批判したというなら話は別である。
諸葛亮はそれでも北伐軍の司令官で、蜀軍の実質的元帥であり、蜀漢政府の首脳である。
そして人々は諸葛亮に能力があり、彼の指揮下なら勝てると信じるからこそ従うのだ。
魏延という、蜀軍のナンバーツーである大幹部が、事もあろうに総帥に対して能力不足と公言するのは、蜀軍の綱紀どころか指揮系統さえ混乱させかねない重大行為なのである。
ぶっちゃけ、これだけでも処刑されたって文句は言えない

しかし諸葛亮にとって、魏延の漢中太守を長く務めたゆえの見識や、豊富な実戦経験と能力は他の人物では替えられないものであり、放置せざるを得なかった*7


また、諸葛亮の幕僚である楊儀との不仲は絶望的で、
魏延が発言すると楊儀が噛み付き言い争いになり、そうなると魏延が剣を抜き脅迫して楊儀が泣く、という風景が蜀漢軍の軍議の風物詩となっており、諸葛亮の頭痛の種を増やしていった。

このようにして魏延は蜀漢軍にて孤立していってしまい、後の悲劇を招くこととなる。



【諸葛亮死後】

234年の北伐の折、陣中にて魏延は自分の頭に角が生える夢を見て、趙直という人に相談した。
趙直はとっさに誤魔化し「角は麒麟の象徴。魏軍が戦わずして壊滅する前兆です」と教え、魏延は喜んで帰ったが、
魏延が帰った後に趙直はそこに居た人(正史では不明、演義では費イ)に
「角という字は刀を用いると書く。頭から角が生えるのは頭に刀が置かれるということ、つまり不吉な夢だ」と言ったという。
そのとおり魏延は破滅の道へと進んで行く。

そしてほどなく諸葛亮が五丈原にて病に倒れ、姜維、費イ、楊儀らに伝言を託し急逝した
その内容とは「自分が死んだら全軍撤退、その際は魏延に追撃を断たせ、従わぬようなら放置しろ」といったもの。
魏延の性格からしても、諸葛亮が死んだならば自身が北伐を引き継ぐと言い出す可能性が高く、流石にそれは危険すぎ、撤退するしかない。
不仲ではあったが自分であったからこそ操縦出来た魏延も、姜維らの手には余り、独断専行を始めかねないと判断したからであろう。
何より、蜀軍のすぐ前面ではあの司馬懿が睨みを利かせている。司馬懿の追撃を受ければそれこそ蜀軍は全軍瓦解しかねず、追撃を断たせるためには魏延に頼るしかないが、その魏延は不満分子になりかねない…というのがこうした指示の背景だったと思われる。

費イは遺言に従い魏延を説得するが、
諸葛亮に次いで自陣中の序列二位であるから「俺が指揮を執って北伐を続ける。お前らこそ指揮下に入れ」と魏延は拒否。
楊儀らは遺言に従い、魏延を放置して撤退を開始した。
ちなみに予想通り司馬懿は追撃を仕掛けてきたが、これは姜維が反撃の構えを見せてビビらせ、無事に追撃断念させた。

一方、置き去りにされた魏延は激怒。
素早く先回りをして道路を破壊。楊儀たちが進めぬようにした後で、劉禅に「楊儀のクズヤロウが反乱しました」と上表。
しかし楊儀もさるもの、すばやく道路を修復しつつ「魏延のクソッタレめが反乱を起こしました」と追うように上表していた。

二つの相反する上表にもちろん劉禅は困惑。
留守番を一緒にしていた董允と蒋エンに相談すると、魏延の操縦は困難だが楊儀の失脚は容易と判断した二人は
「魏延が悪い、多分」と楊儀の肩を持ち、王平を先鋒とした討伐軍が魏延に接近。

王平が「丞相の骸が冷えぬうちに貴様ら何をやっておるか!」と一喝すると魏延に従う兵は離散。
追撃してきた馬岱に「わしを殺せるものがおるか!」する余裕も無く討たれる。
一連の行動が謀反とみなされたため、魏延の三族も皆殺しにされた。

なお、首だけになった魏延をみた楊儀はその首を踏みつけ「ドクズめ、思い知ったか、また悪いことが出来るならやってみろ!!」と威張り散らすも、諸葛亮が魏延とは別にその狭量すぎる性格を問題視し、自らの後継者には彼ではなく蒋琬を密かに指名していた事から程なく失脚してしまう*8

ただでさえ人材が欲しい状況だというのに、こんな諍いで2人を喪ってしまったことは言うまでもなく大きすぎる損失であった。


【魏延の謀反?】

ただ魏延の名誉の為に言いたいのだが、彼は決して蜀漢に背く気はなかったというのが陳寿の見方である。
もし本当に蜀漢から離反するのであれば少なくとも魏か呉の協力を得ねばならず、積極的な魏延の性格からすればとっととそちら方面に軍を進めるはずである。
もちろん魏延はそのような動きは見せていない。
陳寿の考察によると、魏延が北に逃げて魏に投降しようとせずに五丈原から南に行ったのは、ただ政敵の楊儀さえ排除すれば皆自分に従うはず、と期待してのことだった。
魏延の本心はそれだけであって謀反を起こそうとしたわけではない、と。

ただし陳寿は、魏延の反乱は否定し、その能力も高いものであったと認めつつも、性格の狭量さや諸将に対する傲慢さも指摘し、「その挙措言動や事跡を規則に照らしてみれば、破滅したのもやはり自業自得だろう」とも言っている。
独断専行が過ぎたのも事実であり、ストッパーだった趙雲が死んでからは肩を並べられる人物がいなかったのも増長の一端となっている。
まあそれだけ蜀漢に人材がいない、上位の人材が夷陵の戦いで戦死してしまったことの裏返しであるが。

それを踏まえてか魏延の死後、劉禅は彼の謀反疑惑の冤罪を取り消し、名誉を回復させたという話がある。
現在では何の因果か墓が壊されるほど嫌われている者同士かつ再評価が進んでいる者同士である。

また余談であるが、名前に敵国である「魏」が入っているという理由で蜀漢国内でかなり迫害されていたらしい。
偏諱や占い、迷信などが当たり前に存在する西暦200年代のことなので仕方ないかもしれないが、しょーもないことである。
とはいえ出自が不明瞭な割に高い立場にいてこのような性格なので、その辺りでやっかみがあったと思われる。



【三国志演義の魏延】

出番は正史よりもいささか早く、曹操が荊州に進出するべく南下し、劉備が新野から襄陽へと逃げ込もうとしたときのこと。
この時、故劉表政権の大幹部・蔡瑁が劉備一派に矢を射かけたことに激怒して、反乱を起こした親劉備派武将として初登場。
だが、劉表軍随一の勇将・文聘に阻まれたことや、劉備が襄陽入りをあきらめて南下したため、魏延は出奔。
その時点では劉備には合流できず、曹操軍に降伏したものと思われる。

その後長沙太守の韓玄を頼り、その配下として再登場*9
関羽と黄忠がごちゃごちゃやってる内に韓玄を斬り、降伏。
諸葛亮がこの時難癖付けて魏延を斬ろうとしたが、人物眼に定評のある劉備のとりなしによって配下に加えられる、というのが演義の流れ。

ちなみにこの時の諸葛亮の発言はかなり謎で、「反骨の相がある」つまり人相学的に謀反するヤツだ、とお前は何を言っているんだ的な因縁。
で、その魏延の顔だが、「顔が干したナツメのように赤い」「ひげが長い」……そう、我らが関公にソックリなのだ!!

実は関羽は諸葛亮のことをあまり好んでおらず*10、諸葛亮も赤壁直後の曹操討伐で関羽を「果たせないであろう任務」に就かせている。
独特の切り口で知られる安能務氏の版では、関羽の扱いで手を焼いている諸葛亮が「関羽は一人で沢山だ、二人も要らない、と思って斬首を言い渡したのと違いますか?」と書いたりする*11


ともかく、それ以降は劉備軍の猛将として活躍。
しばしば独断専行に走るなどの問題児として描かれはするが、五虎大将軍に並ぶほどの活躍を披露し、
漢中攻防戦ではなんと曹操の顔面に矢を命中させて前歯をへし折るという「むしろ何でこれで曹操死なないの!?」といいたくなるような大殊勲を挙げたりしている。

さらに、五虎大将亡きあとは姜維と並ぶかそれ以上の猛将として活躍し続け、諸葛亮も正面撃破をあきらめた猛将・王双を討ち取り、
南蛮戦でも北伐戦でも陰に陽に大活躍する。

しかし演義では諸葛亮との不仲がより強調されている。
例の長安奇襲策の却下を始めとして、諸葛亮の時に非活発な動きを批判したり、陳式とともに諸葛亮をバカにしたり、その結果罠にハマると責任を押し付けあったり*12という性格の悪さが描かれている。
まあ、その諸葛亮も「わざと負け続けるフリをさせる」「街亭守備を任せなかったばかりか馬謖の支援に回す」*13「魏本陣の前で子供じみた挑発をさせる」あげく「囮にしたと思ったら、司馬懿もろとも焼き殺そうとする」などなど、「そりゃ魏延も恨むよ!!」と言いたくなるような指示をしているから何とも……

ちなみに、楊儀との不仲は諸葛亮への不満に一本化されたのでほとんど描かれない。
ていうか、演義の楊儀はただの地味なモブ文官的な扱いである。史実の性格の悪さが無くなって喜ぶべきなのか、空気になったことを嘆くべきなのか。


そして運命の五丈原の対陣中、「延命のための儀式を行う諸葛亮」に対して、「魏延が踏み込んで儀式を台無しにしてしまう」という結果となり、
何の因果か「諸葛亮と魏延は相克の関係*14であった」ということで、初対面からの長い長い不満と鬱積の原因が、これ以上ない形で明かされている。


その後は諸葛亮の死と魏延の死につながるのだが……



「演義でのわしの末路を言えるものはおるか!」

\ここにあるぞぉ!/

「何ッ!」

ドカッ!



【各作品での魏延】

●横山三国志
演義での行動を基本忠実に再現。
ここにいるぞ!が馬岱の名台詞になることからこの作品の影響力がうかがい知れる。
趙雲と特に仲がよかったらしく、南蛮討伐時は抜け駆けを行い共に戦果を挙げたり一緒に諸葛亮に抗議しにいったりしていた。
「魏延 もう我慢ならんぞ」「俺もだ」の台詞はこの時のシーンである。

蒼天航路
戦場では勇猛、だが極端に上がり症である。なぜか土佐弁。
『立ち向こう敵が間違うちょるぜ!』

●天地を喰らう
本編には出てこない。
天地を喰らうⅡ諸葛孔明伝で初登場。長沙で、黄忠と共に韓玄の配下として劉備軍の前に立ちはだかるが、韓玄を討って長沙に入ると降伏して劉備軍の一員となる。孔明や登場すらしない楊儀との確執、離脱イベントも無く、最後まで主力になってくれる。斧を武器としている。兜を被っているので、ハゲかどうかは不明。
天地を喰らうⅡ赤壁の戦いにも登場。ハゲでヒゲだが趙雲よりも若い。
年代的にまだ劉備陣営にいない*15馬超を差し置いて五虎将になっている。
得意技はサマーソルトキック。

そしてグッドエンディングでは蜀が三国を統一したため創作でも珍しい勝ち組に。出番すらもらえなかった馬超や楊儀は泣いていい。

●光栄三国志シリーズ
呂布程ではないが裏切りやすい武将。
特に三国志Ⅱでは戦場で金100出せばコロコロ寝返る。
しかし寿命が長い為、長期間に渡り活躍してくれる貴重な人材。
韓玄やその周辺の勢力では彼と黄忠の活用が存亡を左右するといっても過言ではなく、
蜀漢にとっても人材が激減する劉備死後から孔明死没までのシナリオ間ではエース級の武将である。
相性面でも劉備に近く、作品にもよるが劉備や劉禅が君主の場合は意外に裏切らない。特に劉備は親愛武将になっている事が殆ど。
逆に諸葛亮とは相互に嫌悪し合っている作品が多く、作品によってはいらん影響を及ぼし合ったりする(特に北伐辺り)のが面倒。

能力面ではさすがに五虎将や諸葛亮には及ばないものの、統率80強、武力90前後と北伐シナリオの頃にはトップクラスの武将。
彼の武力は貴重なので、間違っても史実のように討ち取ってしまうなんて愚は避けよう。
ここにいるぞ!されるイベントは実装されておらず、それでいて不自然死扱いなので、孔明の死後も数年は活躍が見込める。
ちなみに近年の作品では「わしを殺せる者はいるか」も喋ってくれるが、
シチェーションは特技使用時だったり一騎討ちだったり処断時だったりと作品ごとにばらばら。

●無双シリーズ
片言で話し、戦場での獰猛な戦ぶりで敵味方を問わず恐れられる。偏見を持たずに自分を重用してくれた劉備に心酔し、彼の死後も諸葛亮に従い南蛮平定は北伐で活躍した。
→個別項目

●三国志大戦
3までは味方を斬り強化の「唯我独尊」、安定スペックの「大車輪戦法」、兵力が下がると超絶強化の「寡兵の咆哮」、排出停止には味方一体斬り強化の「反逆の狼煙」とその復活版である槍兵可変号令の「鬼槍の極意」がいる。
なぜかどれにも勇猛がついてない。
4からは「唯我独尊」と「反逆の狼煙」が続投し、遂に勇猛も手にした。
特に「唯我独尊」は武力上昇値が固定化されたためかなり使い勝手が良い。
コラボカードは「先導者」と「槍舞・黒揚羽」がいるが、どちらも非常に微妙。

群雄伝においては基本的にかっこいい魏延。
蜀、そして劉備へ忠義を最期まで貫き通している。

●白井式三国志
カニみたいな髪型。孔明のことを心の底から嫌っており、あらゆる方法で難癖をつけたり無茶振りを行ったりする。

●恋姫†無双
真名は焔耶。
桃香が好きだがレズかは不明。原作で殺されたためか、馬岱とは犬猿の仲となっており、主に馬岱から一方的に弄られる間柄。一刀とも当初は桃香の件もあり折り合いが悪かった。犬が苦手。

●三極姫
1〜3までは男として登場。
プライドが高く負けず嫌いな性格であるが、義理に篤い。
基本的に粗暴に振るうが自分よりも強い黄忠には頭が上がらずにいたり、自分を怖がらない純真無垢な阿斗に苦手意識を持っている。
4からは女体化して無双のような仮面を着けている。

BB戦士三国伝
黄忠の相棒として3部より登場。演者は相棒と同じくガンダムMk-Ⅱ(ティターンズカラー)。
相棒とは色とヒゲの造形くらいしか違いが無いコピペ武将な上に目立った活躍は殆ど無く、コミックワールド版に至っては出番すら皆無という不遇の侠。
というのも、本作は兼ねてより本場中国でも大々的に展開する事が決まっており、そのため本国で不人気の魏延は活躍させないという事前の取り決めがあったのである。
そんな事情もあってキットは出ていないが、演者が同じなので黄忠を改造してできないこともない。
そもそも演者が同じなのも「活躍させないなら新規にデザイン起こすの面倒だし流用でいいよね!」という妥協の産物らしいが。

●反三国志
さすがに蜀の武将に超絶補正がかかる作品。
蜀軍に加わったときは山賊上がりで黄忠を襲ってやられてついていくという噛ませ臭い登場であった。
しかし劉備陣営へのその後は堅実に武功を上げていった。
「魏」の旗印を見て魏軍に協力していた異民族がビビるという演出もある。


●三国志 Three Kingdoms

おおむね演義に準じ、配下になった経緯が経緯なので諸葛亮からは智勇を買われてはいたが冷遇されている。五丈原で灯明を消してしまった後に諸葛亮から自分の後任に適した人材について質問され、後任の大将にえらばれた…
と思われたが実際は「全軍を自分のものとみなしている」とみなされ、陣を引き払う直前に謀反人とみなされ副官の馬岱に斬られた
吹き替えは機動戦士Ζガンダムヤザン・ゲーブルNARUTO自来也などでおなじみの大塚芳忠氏が勤め、視聴者からも好評だった*16



【余談】

現在、彼の墓の真上に線路が建っているとかいないとか。




楊儀「追記、修正が出来る者はおるかと三回言ってみろ」

魏延「追記、修正が出来る者はおるかー!」


(冥ω殿)\ここにあるぞぉ!/

「何ッ!」

アッー!

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最終更新:2024年04月15日 12:24

*1 張飛は死の理由からも分かる通り兵卒からの人気がなく、守備が主な役目である太守から外されたとも言われる

*2 ただし張飛にせよ、趙雲にせよ、黄忠にせよ劉備旗下の軍属である。本社の大幹部と支社の社長のどちらが良いかは当人の性格にもよるだろう

*3 実際、この人事には張飛含めて驚きこそされ、異を唱えたとか不平を抱いたとかいう話は無い

*4 これは夷陵の戦いで已む無く降伏した黄権の後任人事

*5 漢中から長安を急襲するには高度3000メートル、距離数百キロの秦嶺山脈を超える必要がある。山中では補給もままならないし長安にたどり着けるかどうかすら危うい

*6 例えば、春秋戦国最弱といわれた燕国が、楽毅の指揮の下で東の大国であった斉国を滅亡寸前に追い込んだ件。なお燕が韓・魏・趙・秦と諸国連合を組み、斉軍を打ち破ったのも一因だが、諸国連合は最初の一戦で引き上げ、その後の占領は燕単独で行われた。

*7 余談だが、尚書令の李厳も「兵糧輸送の任務を放棄したあげくに遠征軍を引き返させ、しかもその責任を諸葛亮に擦り付ける」という族誅待ったなしの行為に出ているが、諸葛亮はそんな彼を族誅どころか隠居にとどめざるを得なかった。それさえ、群臣の間で過半数の署名を得てやっとだったということである

*8 ほかにもいろいろやらかしている。特に、諸葛亮死後の階級が低いのを恨んで「諸葛亮の死後、全軍連れて魏に寝返ってりゃあ、もっと高官になれたのに!!」と叫んだのが致命的であった

*9 韓玄は正史でも旧劉表配下の武将を預けられている

*10 特に序盤は顕著。それでなくても、首脳となった諸葛亮と最古参の関羽は折り合いが悪かった

*11 割と冗談めかして書いているが

*12 といっても、魏延は何とか陳式を包囲から救っているので、咎められはしなかった

*13 実際史実でも馬謖が街亭でやらかす→蜀軍総崩れ・総撤退→西北部で魏を裏切り蜀に味方した者が全員処刑・処罰される→以降の西北部の攻略が非常に困難になるとなっているので、この件に関しては相当根に持っていたらしい

*14 お互い相容れることなく、組み合わさるとお互いに破滅する関係

*15 年代的に言えば魏延と黄忠も陣営にいなかったのだが

*16 大塚氏は94年の三国志演義の吹き替えでは姜維、09年に放送された蒼天航路のアニメ版では董卓を担当されている