ダルビッシュ有

登録日:2011/08/13 Sat 13:03:59
更新日:2024/02/21 Wed 07:14:21
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ダルビッシュ有とは、メジャーリーグ・ベースボールのナショナルリーグ西地区のサンディエゴ・パドレスに所属するメジャーリーガーである。
ポジションは投手。背番号は11(ドジャース時代のみ21)。
出身は大阪府羽曳野市。
父親がイラン人、母親が日本人のハーフ。
フルネームは「アリファリード・ダルビッシュセファット」・「ダルビッシュ・セファット・ファリード・有」*1


来歴-
04年のドラフトにて北海道日本ハムファイターズが後述の理由で一本釣りで1位指名に成功して入団。

端正な顔立ちで高校生時代から女性ファンも多い。

高校生時代・プロ入り当初は未成年にもかかわらず喫煙しているところを2度週刊誌に掲載されたりと素行の悪さ、プロ意識の低さが目立ったが、コーチや監督達の指導により改善される。


入団1年目は怪我の影響もあり出遅れるも、初登板で勝利を挙げるなどまずまずの成績を残し、2年目はシーズン10連勝を挙げるなど頭角を現す。
日本シリーズでは第1戦とこの年引退する新庄剛志のラストゲームとなる第5戦で先発。
第1戦は6回3失点にまとめるも敗戦投手になったが、第5戦は7回1/3を1失点に抑え第1戦のリベンジを果たし44年ぶりの日本一を勝ち取る原動力になった。
3年目の07年からエースへと成長、シーズン防御率1点台を記録すると、2011年までの間に日本プロ野球新記録の5年連続防御率1点台を達成という他の一流選手とも一線を画す次元の違う選手へと成長してしまった。
基本ダルの登板日で先に2点取られたら諦めるしかありません。

日本での最後のシーズンとなった2011年は肉体改造で平均球速が前年から3km/h増加
キャリアハイの18勝6敗、防御率1.44、10完投(内6完封)、投球回数232.0、奪三振数276、WHIP0.83とか言う異次元成績を残す。
更に46回と2/3イニング連続無失点を記録するなど無双状態。
しかし惜しくも最後は対阪神戦にて暴投で終わることとなる。
この記録は現役選手では引導を渡す男に次ぐ2位の記録となった。
この年のリーグ平均からの突出度は昭和の多くの大投手と肩を並べるという分業の進んだ現代野球ではおよそありえないことをやってのけた。

そしてオフ、例年メジャー移籍が取り沙汰されていたが、本人の口から行きたいという明確な意思は無かった。しかしついにメジャー移籍を公式に表明。
ポスティングでテキサス・レンジャーズが史上最高額の5170万3411ドルで交渉権を落札。
交渉が難航していたが交渉期限ぎりぎりで契約合意に達し、テキサス・レンジャーズへ移籍する。
※落札額は松坂を超えたが、円高のためUS$だけの話であり日本円では超えていない。
ちなみに英語のヒアリングは問題ないという元々ハーフなので英語には困らないのだろう
20歳の頃にはメジャーに行くなら野球を辞めるとまで言ったが、
あまりに実力が突出しすぎた事と、低反発球と広がったストライクゾーンが球界を投手有利にしたことが重なり、
相手チームの選手から「もう打てない」「このカード投げないで」等の声が聞こえてきた事(相手も本気ではなく冗談半分で言ったと思われる)が、
自身のモチベーションを保つこと、凄い勝負がしたい、フェアに勝負がしたいという野球選手としての本望が叶わなくなったのがメジャー移籍の理由だった事と、
アメリカで日本人選手の評価が下がり日本野球が下に見られるのが嫌だったことも加えている。

子供の頃からの憧れや野球選手としての憧れでもなく、ただ真剣に勝負出来る場所が欲しいが為にメジャーリーグへ行く。
こんな事を言うのもやれるのもダルビッシュだけだろう・・・・と思われていたが、弟分の田中将大もそうなった。

-メジャー時代-

制球に不安を抱えたまま4月9日のシアトル・マリナーズ戦で初先発を果たすも、初回に4失点を喫する。
その後はなんとか立て直し、5回2/3を8安打、5失点、5奪三振、5四死球まで持ち堪える。
打線が奮起して勝利を挙げ、初回4失点以上でのメジャー初登板初勝利は、
1910年にセントルイス・カージナルスのビル・スティールが達成して以来、102年ぶりという珍記録も達成。
24日のニューヨーク・ヤンキースに先発、もしかして炎上するんじゃ・・・と思う人も少なくなかったと思われたが、
黒田博樹と投げ合い8回1/3を7安打、無失点、10奪三振、2四球で最速156km/hを記録。
ヤンキース、レンジャーズの両ファンともを唸らせ、ニューヨークメディアはダルビッシュの獲得に積極的じゃなかった事を批判した。
ダルビッシュを一番欲しがったトロント・ブルージェイズ戦での初先発では好投してトロントファンを悔しがらせた。
その後も勝ち星を重ね続け、前半戦を10勝5敗、防御率3.59、WHIP1.36で終えた。
オールスターも最終投票で選ばれたが先発せず。
後半開始から以前から懸念されていた制球難に陥り、キャリアワーストの1イニング6失点を喫したりどん底にまで落ちていた。
しかし監督との面談、マイク・マダックス投手コーチの弟でありGM補佐でもある大投手グレッグ・マダックスの助言も受けたことと、
クラブハウスでレイズの左腕投手デービッド・プライスの投球を見ていたところあるところに気付き参考にしてフォーム改良に成功。
そのレイズ戦に先発し7回無失点で勝利、しかもこの日の前日の新フォームを物にするなど修正能力の高さを見せつけた。
この試合では東日本大震災の被災地の野球チームの少年たちを招待していた。
最後の7試合では与四球率1.77と制球が安定、9月は4試合に登板して30回を投げ防御率1.80と本来の姿を取り戻しつつあった。
オリオールズとのワイルドカードをかけての1発勝負の試合に先発、初回に味方のエラーによる失点で出端をくじかれるも、
6回1/3を5安打3失点の好投も打線の援護が無く敗戦投手となり、メジャー1年目が終わった。
降板のベンチに下がる際には、漸くレンジャーズに現れたエースピッチャーに鳴りやまない拍手と、
ユーイング(ダルビッシュへの声援、ブーイングに聞こえるがユーと呼ぶダルビッシュへの応援)が送られた。
1年目は16勝をあげたものの防御率は3.90 WHIP1.28とまずまずのものであった。
しかし被打率・奪三振数ともにリーグベスト3に名を連ねており、持っているボールの質の高さを証明した。

そして2年目の2013年。
初登板から9回2アウトまでパーフェクトピッチングを見せていたものの、27人目の打者のマーウィン・ゴンザレスにヒットを許し完全試合を逃したところで降板。しかし9回途中無失点・自己最多の14奪三振・最速156km/h記録しシーズン初勝利を挙げた。
19日のマリナーズ戦では日米通算1500奪三振を達成。
5月5日のボストン・レッドソックス戦でアメリカン・リーグでは2000年のペドロ・マルティネスとマイク・ムシーナ以来となるシーズン2度目の14奪三振を記録。
この時多くの人が見ていたのは制球の苦しみながらも何とか抑えていた1年目とは違い、明らかに打者を圧倒する日本時代のダルビッシュの姿だった。
そして16日、遂に現役最強との名高いデトロイト・タイガースのジャスティン・バーランダーとの投げ合いが実現。
これには日米ともに多くのファンが興奮し息の詰まる投手戦が期待された、が・・・・・
まさかの乱打戦になり、打線がバーランダーをキャリアワーストの3回途中8失点でKOさせ、
ダルビッシュは4失点ながらも8回を投げ、なんとかメジャー最強の重量打線相手に凌いだ。
ちなみにバーランダーはそれまで防御率1点台だったが、ここからシーズン通して不調になり防御率も3点台で終えた。

そのまま驚異的なペースで三振を奪い、一時は2000年以降ではランディ・ジョンソン、カート・シリングら以来の300奪三振も期待された。
6月直前から少し調子を落とすも8勝4敗、防御率3.02、WHIP1.05、リーグ1位の157奪三振の成績で折り返し、
オールスターも選手間投票で2年連続の出場を果たすが、直前の2週間の故障者リストに入ったことで登板機会も2年連続で無かった。
オールスターでは同じく登板の無かったバーランダーと終始笑顔で会話する姿が見られじゃれ合う仲までになった。
バーランダー曰く「彼が何を考えて投げているのか知りたかった。」と向こうから話しかけていたことが解った。
ちなみに同じく選出された岩隈さんはシャーザーと喋っているシーンもあったもののほぼぼっちでした・・・・・

後半戦に入るとランサポート(援護率)が前半戦は8点台近くあったのが3未満になり、
ダルビッシュ自身も援護を貰った直後に失点して同点、逆転される場面が目立った。
0-1で負けた試合が4度もありメジャーでは24年ぶり、リーグでは68年ぶりの珍記録を達成してしまう。
加えて去年は14本しか浴びてなかったホームランも4月は1本も浴びていなかったが、5月に入って被弾が増え始め前年の倍近くの26本のホームランを打たれた。
最後の試合に登板し何とか試合を作りワイルドカード(WC)争い2位までチームを導いた。
1ヵ月以上勝ち星が無い状態もあったが、最終的に13勝まで勝ちを挙げる。
チームもWC同率2位のレイズに敗れ、2年連続でプレーオフを逃し自身の2年目のシーズンも終了した。

2年目は、防御率2.83(リーグ[AL]4位 メジャー[MLB]9位)、13勝9敗 209と2/3イニング(AL13位)、
277奪三振(MLB1位)、被打率.194(AL1位、メジャーMLB2位)、WHIP1.07(AL4位 MLB11位)など、
イニングを除いてほとんどの成績で上位につけるなどエースとして活躍した。

また、日本人史上初のサイ・ヤング賞受賞とはならなかったが、バーランダーやヘルナンデス、ウィーバーなどリーグを代表する並居る好投手達を抑え、
マリナーズの岩隈と共に最終候補に残り、投票では歴代日本人最高となる2位に入る快挙を達成。

更にロッキーズのクアーズ・フィールドに次ぐ打者天国の球場と知られるホーム球場でこの驚異的な成績を残し、
オーナーでもあった大投手ノーラン・ライアン(2013年10月にCEOを退任)が持っていたチーム選手の防御率2.91を大きく更新した。
防御率1点台を記録し始めたのもプロ3年目からだったから3年目の2014年も大いに期待したい。

と言いたいところだが終盤に入るころから右足の神経が麻痺していたことも終盤終了後に監督が明かした。
故障していてこの成績なのだから万全な状態ならどうなっていたのだろう・・・・・
来季に影響が無いことを願いたい。

そんなこんなで迎えた2014年。
自身初の開幕投手に抜擢されるも、首の寝違いのため開幕は故障者リスト入り。
4月6日のレイズ戦で復帰し7回7安打無失点と盤石の初勝利を挙げ、メジャー通算500三振を達成。
5月9日のレッドソックス戦ではまたしても完全試合及びノーノーをしかけるも、オーティズの打席での右翼エラー及びヒットでMLB史上3人目となる9回2死からノーヒッターを2度以上逃した投手となった。
6月11日のマーリンズ戦では9回6安打無失点とメジャー初完投兼完封を実現した。
チームのエースとしての活躍もあり、3年連続で選ばれたオールスターではついに初登板。無難に三者凡退で終えた。
なおこの直前の会見ではトミージョン手術の多さの原因としての中4日登板に対し批判的とも取れる発言をして議論を引き起こした。相変わらず意識の高いことで…
7月28日のヤンキース戦では球団史上初のデビューから3年連続2桁勝利を達成した。日本人としても野茂英雄以来のことであった。
8月中盤には右肘炎症によりまたも故障者リスト入りしそのままシーズン終了。ただ、ダル以外もかなりボロボロの状態であり、チームは地区最下位で終わることとなった。
やはり怪我のためもあり、登板が伸び悩んだ感はあるがチームのエースとして目立って活躍したといえる。
最終的には10勝7敗、防御率3.06、182奪三振、WHIP1.26。
オフにはTwitterで筋肉おばさんことレスリング選手の山本聖子との交際も発表し、充実したメジャー4年目に迎えるはずだった…が

2015年、3月のオープン戦中に帯右肘の内側側副靱帯を損傷していることが判明した。
トミージョン手術を受けることになり、丸々1年棒に振ることになってしまった。
やたら高い専用の会員制SNSを開いたり筋肉教に目覚めたりリハビリがてらいろいろ挑戦していたようでもある。
なおチームはしれっと地区優勝を達成した。
10月には弟のダルビッシュ翔が野球賭博で逮捕されるというとんでもないニュースも発覚した。

そうして復活も期待される中2016年。
リハビリ登板を経て5月28日のパイレーツ戦で1年9か月ぶりに登板し、5回を1失点7三振と上々の復帰を飾った。
6月半ばにはまたもや故障者リスト入りしてまわりをやきもきさせるも再復帰。
8月24日のレッズ戦ではプロ入りしてから自身初となるホームランを放った。筋肉の成果だろうか?
筋肉のおかげか球速も上がり、それでいて四球率も下げると器用な投球もできるようになっていった。
最終的には7勝5敗、防御率3.41、WHIP1.12。レンジャースの地区優勝を十分に引っ張ったと言えよう。
ポストシーズンの地区シリーズ第2戦の先発に任じられるも5回5失点で敗戦投手となってしまった。しかも自身初となる1イニング3本塁打1試合4被本塁打。
ある意味で飛翔の年ということなのだろうか…
オフには山本聖子との正式な結婚が発表された。

なぜか2月にYoutuberデビューした2017年。
メジャー6年目にして初の開幕投手となるが6回4安打4失点とほろ苦いデビューとなった。
5月16日のフィリーズ戦では日本人最速の109試合目で50勝を達成。
6月23日のヤンキース戦ではメジャーでは初の田中との投げ合いとなり、7回2安打無失点10奪三振の好投を見せる。しかし田中も甚だしい好投であり、最終的にはお互い降板後の延長戦でチームは敗北した。
3年ぶり4度目のオールスター選出もチームでの先発のため辞退やら日本人投手最多の32回目の2桁奪三振試合やらメジャー自己最多の10失点試合(ちなみにマーリンズ戦でイチローも打った)やらよくも悪くも印象的な投球が続く中、
7月31日にロサンゼルス・ドジャースに3選手と引き換えに電撃的トレードされる。優勝を狙い好投手がほしいドジャースと衰えがないわけでない高年俸選手を節約したいレンジャースの思惑が一致した模様。
9月8日のロッキーズ戦ではメジャーデビューから最速の128試合でメジャー1000三振を達成。なお自責5点で敗戦投手でもあった。
9月19日のフィリーズ戦では4年ぶりの200奪三振を達成。
最終的には合計10勝12敗、防御率3.86、WHIP1.16、奪三振209。
レンジャースのローテ埋め、およびドジャースの地区優勝に十分貢献したといえる。
ただ、被本塁打27は自身のワースト記録であり、炎上するときは手ひどいことも多く、波の激しいシーズンでもあった。
原因は筋肉増強による高速化に対して劣化する変化球と制球(四死球はそんなでもないけど)と思われるが、Twitterでは詳しい素人からの変化球のアドバイスをほんとに受けてたりもする。
そして迎えたポストシーズン。
地区シリーズではダイヤモンドバックスとの第3戦を5回2安打1失点7三振とそこそこまとめあげてPS初勝利。
優勝決定戦ではカブスとの第3戦では初回本塁打を与えながらも6回6安打1失点7三振で抑えPS2勝目と好調。
結局ドジャースは29年ぶりのWS進出となった。
ここまではよかったのだが…

ヒューストン・アストロズとの第3戦にて先発を任されたが1回2/3を6安打4失点と大暴発。敗戦投手となってしまった。
なおこの時、本塁打を打たれたアストロズのグリエル(元DeNA)に人種差別的煽りを受けてとんでもない騒ぎになってしまった。
世論はおおむねダルビッシュに同情的であり、落ち着いた対応をした彼は3勝3敗で迎えた第7戦で今度こそヒーローになるはずだったが…
結果は先発して1回2/3を3安打5失点。
両試合とも防御率21.60とおぞましい成績で終わってしまった。はっきり言って大戦犯である。
まあシーズンと違う滑る球やあまり意味のない回またぎ起用のせいかもしれないが。
ちなみにWSで先発投手が2イニング未満で2試合降板したのは57年ぶり。
WS最終戦で先発投手が5失点以上で2イニング持未満で降板したのは111年ぶりだそうである。
はえ~すっごいメモリアル(白目)

オフにFAでシカゴ・カブスに6年総額1億2600万ドル(約162億円)で移籍。
しかし移籍1年目の2018年はWSダルビッシュをそのまま引きずったかのような炎上を繰り返し、しかも5月後半に肘の故障で離脱した。
結果的には8登板で1勝3敗防御率4.95と登板のなかった2015年を除けばキャリアを通じて最低の成績に終わり、史上最悪の契約やら死刑囚やらと散々な評価を受けた。

再起を期した2019年、4月のマーリンズ戦で約1年ぶりの勝ちをあげる。以後は尻上がりに調子を上げしっかり試合を作れるようになる。8月27日に日米通算2500奪三振を達成。しかし勝ちに恵まれず規定投球回に到達しながら6勝8敗という成績でシーズンを終えた。

短縮シーズンとなった2020年は本人曰く「もっとやれた」と語りながらも前年後半の好調を維持し完全復活。特に前半戦は7戦7勝、全て1失点に纏めるという圧巻の成績を残し、最終的に12試合に登板して8勝3敗、防御率2.01と圧巻の成績を残し、日本人初となる最多勝を獲得。サイ・ヤング賞投票にも再び名を連ね、またも獲得を逃すも2位にランクイン*2した。
この頃になるとアストロズの一大スキャンダル(詳しくは「ゴミ箱」で検索)が発覚したことでWSでの炎上についても同情されるようになっていたり。

オフに2対5の大型トレードでパドレスに移籍した。ちなみに古巣レンジャーズファンからは「いらないならうちにくれ」とボヤいたとか何とか。

2021年は移籍初年度から開幕投手を務める栄誉を手にしたもののシーズンを通して調子はあまり良くなく、フルシーズンだったにも関わらず勝ち星は前年と同じ8勝(11敗)で、防御率はキャリアブービーの4.22に終わった。とはいえムエンゴで勝ちに恵まれなかった側面もあるほか、MLB通算1500奪三振を史上最速(197試合・1220と1/3イニング)で達成している。

2022年は前年と異なり終始好調で、防御率こそ3.10だったが、勝ち星はキャリアハイに並ぶ16勝(8敗)、WHIPは2020年を超えキャリアハイの0.95を記録してチームのポストシーズン進出に貢献。5年前に煮え湯を飲まされたポストシーズンでも好投し雪辱を果たした。オフには36歳ながら6年1億800万ドルにトレード拒否条項付きという長期契約を結んだほか、栗山監督のラブコールに応えWBC日本代表へ参加することとなった。



【プレースタイル】
最速99mph(約159.3km/h)の速球に、変化球バイブルを一人で作れるくらい多彩な変化球で打者を圧倒している。変化球は変態的な曲がり方をするものもあるので必見。

現在の主な球種は以下の通り。

  • フォーシーム・ツーシーム/シンカー(米)・ワンシーム
いわゆる速球。日本で言うストレートであるフォーシームのほか、様々な軌道のものを数種類投げ分ける。

ジョン・スモルツ(※90年代のアトランタ・ブレーブスを支えた名投手)以来最高と評される、ダルビッシュ最大の武器。これも様々な軌道のものを数種類持っている。

  • カッター(カットボール)
以前から多彩な球種の一つとして投げていたが、2016年頃から通常のカッターに加えてこれに縦変化を付けた、いわゆるスラッターと呼ばれるものも投げるようになった。
この球自体が現代MLBで魔球と評されており、現在のダルビッシュにとっての新しい武器になりつつある。
ちなみに、2010年のオールスターで見せた浮き上がるカットボールだが、抜け気味のスラッターであった可能性がある。

  • カーブ(スローカーブ・パワーカーブ・ナックルカーブ)
速球と最大60キロ前後の緩急を付けられるスローカーブも用いる。バッターが完全にタイミングを狂わされ手が出ないことがほとんどであり、三冠王ミゲル・カブレラも思わず強引に振りに行ったがバッターボックスからはみ出されるなど大きく体勢を崩させられる格好となった。
一方で浮き上がってから落ちる様な軌道のパワーカーブもあり、右打者にとっては自分の方へ来るような感じのためか、屈強なメジャーリーガーがのけ反ることもある。
2012年5月6日(日本時間7日)のインディアンス戦にてカーブの落差が最大40cmであることが判明した。
その試合をほぼカーブだけで奪三振を量産して敵の4番のデーモンに間違いなく現役No.1のカーブと賞賛された。
2019年からは同年よりチームメイトになったクレイグ・キンブレルから学んだナックルカーブを投げだし、早速新たな武器になった。

  • スプリッター(SFF)・フォークボール
日本時代はフォーク、MLBではSFFが多め。
SFFは簡単に打ち取れるからつまらないという理由で日本時代は余程の大舞台以外では封印していたが、メジャー1年目のスランプを脱出する転機となったレイズ戦から多投するようになり始めた。
レイズのR.ロバーツのコメントを要約すると、
「140キロ中盤で急に落ちてきよる謎の球、何なんやアレ。ワンバウンドするボールやのに皆振ってまうわ。
だから今度は振らんと見送ったら低めにフォーシームを決めまくってきよる。」とのこと。
最近ではヤンキース戦でイチローに投げた時に150キロ超えも記録するなど段々と魔球染みてきている。

  • チェンジアップ
たまに折り混ぜる球種。使用頻度が少ないから完成度が低いかといえばそんなことはなくMLBの並の投手程度の質はある。
140km前後出る高速チェンジアップもある。

高校時代〜プロ入り一年目まではストレートの球速は最高でも145km/h程度で、寧ろシンカーを中心とした変化球中心のピッチングだった。

この他にナックルボールなども投げられる事が判明しているが、腕への負担を考慮して現在は封印中。
2014年のオールスターではイーファスピッチも使用した。


更にどの球種でも腕の振りが同じという衝撃的な事実が発覚、ファンが映像を重ねてGIFを作ったところ発見したようである。
これと球種の多さがダルビッシュを打ち崩せない理由に挙げる選手も少なくない。


制球力に関してはコントロール(ゾーンに投げる力)は高いが、コマンド(狙った場所に投げられる力)は平均的であり、本人も認めている。しかし圧倒的な球質で制圧していくスタイルのためか与四球はそんなに多くない。

スタミナもかなりあり、中4日が中心のMLBではめっきり減ったものの、NPB時代には10完投を4度記録している他、マダックス*3も幾度か達成している。


打者から見えづらいフォーム(成瀬、唐川等)の研究も兼ねてサイドスローで投げることもある。

実戦では使わないが、左投げもできる。体幹トレーニングの一貫らしいが、左でも140km代の速球と複数の変化球が投げられる


フィールディングの評価も高く、日本時代は2度のゴールデングラブ賞を獲得している。一方で盗塁阻止に対する意識は薄く、走られても抑えればどうということないというスタイルを貫いている。
2017年途中から2019年までの2年弱を除き、DH制のあるチームでプレーしているため打席に立つ機会は少ないが、打撃もそれなりに得意。2016年にはインターリーグのレッズ戦で打席に立った際にセンターにホームランを放っている。


前述の通り1年目の夏場にかつてないほどの制球難に陥っていたが、
サイ・ヤング賞左腕のプライスの投球フォームを見ていたところ、自分と踏み込む方の足の地面へのつき方違う事に着目。
ダルビッシュ自身は左足の外側から踏み込んでいたが、プライスの右足は全体で踏み込んでいてこれが体に伝わる力やバランスに違いが出ていることに気付く。
こうしたことによりスランプを抜け出した。

メジャーに行ってからは4度の200奪三振を記録し、2013年には日本時代も含めキャリア最多のシーズン277奪三振を記録。
13年度は14奪三振以上で無四球の試合を3度も達成、これは97年のロジャー・クレメンス、01年のランディ・ジョンソンに続き史上3人目の記録となった。
更に209回と2/3イニングに対して277奪三振の奪三振率11.89は歴代メジャー9位を記録。
このシーズン歴代奪三振率はあの大投手ランディ・ジョンソンがトップ10の半数以上を占める中のランクインで、
地上最強投手と言われたペドロ・マルティネスの全盛期とも名高いレッドソックス時代でキャリア2番目の奪三振率11.78を上回ってのランクインでもある。
加えて209回と2/3イニングに対して被安打が145と奪三振の多さと共に投げる球の質が世界最高峰レベルであることを証明している。

日本時代に4度、MLB時代に3度シーズンのWHIP(1イニングあたり与四球と被安打数の合計の割合)1.00未満を記録しており、日本時代については通算のWHIPが0.98となっている。
中でも2010年には往年の大投手・稲尾和久に匹敵する活躍をしていたことが統計学的に明らかになっている。


【エピソード】
  • メジャーリーガーにして日本のエースダルビッシュ有とtwitter芸人faridyuは別人。

  • Twitterで平野綾を誉めただけでダルビッシュ綾誕生!とか某巨大掲示板でスレッドが立つ。

  • DQNだった高校時代のドラフト前に学校へマスコミが押し掛け、その日はだらしない格好だったため撮影拒否をしたが、取材陣が勝手に写真を撮ったため、
    やめてくださいよ!殺すぞ。ムカつくんじゃ!」と言い放つ。

  • 成人式の日に「これで堂々と煙草が吸えます」と言い放つ。
    ただしこれは冗談で言ったものである。

  • 移動中はゲームに没頭。モンハンソロプレイやフォートナイトをしていたりする。

  • 近年はプロ野球スピリッツAにドハマリし、自身のYoutubeチャンネルもプロスピAに侵食されすぎて分割してしまった。特に新型コロナウイルスの影響でなかなかMLBが開幕しなかったこともあり、3月~6月ごろは 本業そっちのけでプロスピしかしてなかった 。公式とのコラボ企画も行われている。

  • 野球選手Youtuberとしてもある意味先駆者みたいな存在。2019年頃になるとOB選手などがYoutuberを始める機会も多くなったが、ダルビッシュは知名度・歴史もあって頭一つ抜けたチャンネル登録数を持っている。更新頻度もなかなか高く、オフシーズンはほぼ毎日投稿されるし、シーズン中ですら2~3日に1本上がったりする。なお、ほとんどプロスピAの投稿である。

  • 元妻は元タレントのサエコ。
    できちゃった婚をしてしまい第二子が生まれるも離婚を発表。
    サエコはなんとダルビッシュに養育費として毎月1000万円を要求してる。

  • 楽天の田中を可愛がっており「まさお」と呼ぶ。
    08年北京オリンピックでは打ち込まれた次の日に頭を丸刈りにし、田中も巻き添えにしたりしている。
    また、田中は第2回WBCの取材で「次は背番号18を狙う」と言わされている。
    因みに「まさお」の名付け親は藤川球児

  • 本名はダルビッシュ・セファット・ファリード・有
    名前までかっこいい。
    ちなみにTwitterのアカウント名のfaridyuは本名のファリード有からとっている。

  • 2009年日本シリーズ第二戦。
    左腰、左臀部痛と右手人差し指を骨折しているにも関わらず、チームのために痛みを隠して登板。
    小笠原道大、アレックス・ラミレスを擁して当時07~09年までセリーグ3連覇を達成した巨人相手に6回2失点で勝利している。

  • 不思議とよく似た人がホモビデオに出演している。
    調子こいて相手を煽っていたら逆上されて窓際でシコる等あまりいい役ではない。

  • 上記の通りプロ入り当初までは素行が悪く、ダルビッシュの獲得を目指した球団は他にも居たが喫煙報道で断念した球団もあるようだが、
    「その年一番良い選手を指名する」というファイターズの方針でドラフト指名された。
    入団後に2度目の喫煙報道がされて球団から謹慎を命じられ流石に落ち込んでいたが寮長に支えられ、
    初登板時にファンに暖かく迎えられた事により完全に改心してファンを大事にしている。
    メジャー移籍の誤報があった時も行くならまず最初にファンの皆様に伝えますと言うほど。

  • パワプロでは弱体化補正がかかっている。もともとパワプロでは球種が削られやすいという特徴があり、特に使える変化球の多いダルビッシュはその被害を受けやすい。また彼の能力を忠実に再現すると強すぎてバランス崩壊を招くからか何故かマイナス特能も付けられている。
    それでも三振の山を築くなどリアルダルビッシュ伝説を地でいく状態。
    一方でプロ野球スピリッツシリーズではコントロールの値は低めなものの複数のストレートを含む10球種(現在は8球種)を使用でき、クイック以外はマイナス特能もないため相変わらず無双状態だが、本人によれば「微妙に自分の想像と違う」らしく、上述のプロスピAコラボでは本人監修版が登場した。

  • トレイ・ヒルマン元監督と佐藤義則元コーチと故菅野寮長はダルビッシュの頭が上がらない数少ない人物である。
    特に菅野寮長はダルビッシュにとって自分をしっかり叱って面倒を見てくれた人物で、今のダルビッシュ有があるのもこの人のおかげでもある。
    後に本人が語った所によれば2005~2008年頃の日ハム名外野手である坪井智哉、新庄剛志、森本稀哲の3人にもかなりお世話になったとか。

  • 日本ハム時代によくバッテリーを組んだ鶴岡慎也を尊敬している。メジャーに渡ったあとも鶴岡とバッテリーをもう一度組むことを密かな夢にしていた。上述のプロスピAコラボで12球団から選手を選ぶ際にも日本ハム枠には鶴岡を選び、「せめてゲーム内でバッテリーを組みたかった」と語っている。

  • 現在は千賀滉大・石川柊太と親しくしている様子が多い。二人揃ってアメリカのダルビッシュの元を訪れるなど交友は深く、ある意味ダルビッシュの教え子のようになっている。

  • ダルビッシュが4点以上の援護点をもらった時の勝敗は、日本では49勝0敗、メジャーでは10戦10勝だったが、
    1年目の7月27日のホワイトソックス戦で初めて敗戦した。

  • 「凄い勝負がしたい」という理由でメジャーに行った事を象徴するように、
    貧打の弱小チームを抑えて好投しているよりも強打者に粘られながらも勝負を楽しみ笑顔になる場面も見受けられた。
    バーランダーを投げ合った試合でも10球粘って打ち取ったビクター・マルティネス、
    コースも変化も完ぺきだったと自画自賛したツーシームを裁いたミゲル・カブレラに打たれた時がそうだった。

  • 完全試合を達成しかけたアストロズ戦で最後の最後でヒットを打ち阻止したマーウィン・ゴンザレスのWikipedia(米版)が荒らされるという事態が発生した

  • メジャー移籍後は体調管理、特に食事に関しては「体を作るための作業で味を感じる事はない。マズくても体に良ければ食べるし、おいしくても体に悪ければ絶対に食べない」と語るほどのストイックさで徹底している。パワーのあるMLBの選手に負けない体作りのために膨大な量の食事を1日数回に分けて摂取してトレーニングを積み重ねた事で、かつてはヌードモデルを務めたほど細身だった肉体が見事にパンプアップされている。この辺りは同じく一流選手だが偏食家のイチローとは真逆である。ただ、元々食が細く食事という行為そのものが苦手だったらしく、肉体改造中はかなり無理をしており、ステーキを何枚も平らげた後にいつも吐きそうになりながらプレーしていたとも語っている。

  • これだけ書くと人物をどうイメージすればいいのか解らない人も少なくないと思うが、社会貢献活動にも取り組んでいる。

・2005年1月、自身が所属していた少年硬式野球チームのオール羽曳野にマイクロバス購入の為に200万円を寄付。

・2007年からは開発途上国への水の支援を行うためダルビッシュ有 水基金を設立、1勝する度に日本水フォーラムと協力して寄付している。

・2008年からは同じく1勝する度に生まれ育った羽曳野市に10万円の寄付を行っている。

・「子どもの福祉に役立ててほしい」との希望で、市が同年5月に「ダルビッシュ有 子ども福祉基金」を設立、
羽曳野市立中央図書館内に野球をはじめスポーツ関連の書籍31冊を集めた「ダルビッシッュ有文庫」が2009年12月18日に開設。

・「故郷への恩返しのため、グラウンドの建設費用を出したい」との申し出により、羽曳野市がダルビッシュからの寄付金を基に硬式野球専用グラウンドを整備し、
2013年度内の完成を目指すことを2010年発表、硬式野球場建設の費用についてはダルビッシュ側と今後協議を進めていくとのこと。

・2010年、元妻のサエコの実家がある宮崎県が家畜伝染病・口蹄疫の被害を受けた時に地元の畜産農家に300万円の義援金を送り、
更に6月19日の登板から1アウト毎に3万円を社会福祉法人宮崎県共同募金会へ寄付を発表、計981万円を寄付。

・東日本大震災が起きた際は義援金として日本赤十字社を通じ5000万円を寄付。

・2010年にはそれまでの活動が評価され2010年度ゴールデンスピリット賞(日本プロ野球選手による社会貢献活動優秀者を表彰する賞)を受賞。

・・・・イケメン、高身長、高収入、メジャーリーガーで1流プロ野球選手と最早聖人の様である。




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最終更新:2024年02月21日 07:14

*1 前者がアラビア語名、後者が日本語名。日本語名ではアラビア語名の「アリファリード」を分割し、「アリ」→「有り」→「有」と置き換えている。

*2 賞はトレバー・バウアーが獲得。ちなみにバウアーとダルビッシュで1位票2位票の合計は同じであり、実質2人に投票が二分されていた。

*3 100球以内の完封のこと。グレッグ・マダックスが13度達成した事からこう呼ばれる。