坂本 九

登録日 :2011/08/27(土) 00:30:36
更新日 : 2017/08/02 Wed 18:27:42
所要時間 :約 6 分で読めます




坂本 九(本名・大島 九(おおしま ひさし) 1941/12/10~1985/8/12)は、日本の歌手・俳優・司会者である。
妻は女優の柏木由紀子で二人の娘に恵まれている。



【来歴】

1941年12月10日神奈川県川崎市川崎区に生まれた坂本は、当時「九ちゃん」の愛称で親しまれていた。
「九」と書いて「ひさし」と読ませる本名は、再婚した父にとって9番目の子供であったことから名付けられた。
誕生日の1941年12月10日は、 第二次世界大戦 のマレー沖海戦が起こった日であり、坂本は第二次世界大戦中に幼少期を送った。
戦争中は母の実家のある茨城県笠間市に疎開、川崎在住時代に松あきら一家が坂本家の近所に転居・在住してきた時期があり、よく遊んであげたりしていたらしい。

高校生の時に両親は離婚。
しかし互いの家が近所で家族での交流はほとんど変わらなかった。九など幼い兄弟は母親側に引き取られ、それから姓は坂本から大島に変わる。
また、この頃から エルヴィス・プレスリー に憧れており、特に物真似は他の人より抜きん出ていたらしい。
1958年5月に ザ・ドリフターズ *1 へ加入した坂本はギターを担当していたが脱退。
グループ移籍の後にダニー飯田とパラダイス・キングの一員としてビクターと契約した。
そして1959年6月にデビュー曲「題名のない唄だけど」を出すが不発に終わる。
また無名時代に平尾昌章、ミッキー・カーチス、山下敬二郎などが出演した日劇ウエスタンカーニバルに出演。
事務所には無断で出演しバックでギターを弾いていたが、全く知られる事は無かった。


1960年7月に東芝レコード(当時は東芝音楽出版、現EMIミュージックジャパン)へ移籍。
その年の8月、移籍後初のシングルとして発売した 『悲しき六十才』 が10万枚の売り上げを記録、坂本は初ヒットを掴んだ。


【世界へ】

1961年に出した 『上を向いて歩こう』 *2 が海外で異例の大ヒットを起こし、坂本の名前を世界へ広げた。
1963年には、『SUKIYAKI』というタイトルでアメリカでもっとも権威あるヒットチャート誌【ビルボード】の【Billboard Hot 100】で3週連続1位を獲得した。
なお、この【Billboard Hot 100】で1位を獲得した日本人(東洋人)アーティストは、2014年までで坂本だけである。


この曲は後に英語歌詞が付いたが、1位を獲得したのは九が歌う日本語版だけであり、これまで唯一の例。

尚且つ、1964年には米国でのレコード累計販売枚数が100万枚を超えたために、日本人初の「ゴールドディスク」を坂本は受賞した。
こうして『上を向いて歩こう』のヒットにより坂本は、日本だけでなく海外までにもその名を広げる。

それにより国際的活動も増え、1964年の 第18回オリンピック東京大会 にはウェルカムパーティーへゲスト出演し、『サヨナラ東京』『君が好き』を歌う。

1970年の日本万国博覧会(大阪万博)の若手芸能人で万国博委員に起用され、さらに読売テレビ『クイズEXPO'70』の司会にも起用されるなど、
タレント・司会者としても活躍したのだった。
そして1971年に結婚し、その年の紅白(奇しくも坂本が出演した最後の回となった)にも妻が応援に来てくれたりした。
また『上を向いて歩こう』ヒット後ひょんなことから北海道を中心としたチャリティー活動もする様になり、晩年は北海道に冠番組「ふれあい広場・サンデー九」も持つようになっていた。


しかし、そんな坂本の最期は余りに呆気なかった。











1985年8月12日、あの520名が死亡した、日本航空123便墜落事故に遭遇し、同行していたマネージャーと共に 死亡 。享年43歳。


シングル『懐しきlove-song/心の瞳』を発売して、まさに歌手活動を再び本格化させようとしていた矢先であった。

当時の坂本は国内移動の際には、日本航空ではなく必ず全日空を使っていた。
(俳優の古谷一行は生前の坂本から「飛行機で怖い思いをした」という話を聞いたことがあり、
妻は「夫は以前から日本航空の企業体質などに不満を抱いており、日本航空の便には乗ろうとしなかった」と語っている)
友人の選挙応援の為に大阪へ向かうその日も本来は全日空を使う予定だったという。
しかし当日はお盆の混雑の影響で全日空便が満席となり、どうしてもチケットを取ることができず、仕方なく使用したのが日本航空123便。
そんな中で起きた事故であった。
ちなみに、日本航空123便墜落事故は世界航空史でも単独事故では最悪の死亡事故である。
犠牲者の遺体の例に漏れず坂本の遺体も損傷が激しく、
愛用品であった笠間稲荷神社のペンダントが遺体の胸にめり込むような形で残っていたことからようやく身元が特定された。
(坂本は幼児の頃母と共に鉄道事故に巻き込まれ九死に一生を得ており、
それ以来「笠間稲荷の神様が自分たちを救ってくれた」として笠間稲荷神社を篤く信仰していたという)

坂本 九の突然の死は音楽界のみならず、世の中に多大な衝撃を与えた事は想像するにたやすい。


そんな坂本の残した曲は後世にも強い影響を与えており、遺作となった 『心の瞳』 は横山潤子などにより編曲された。
また、ウルフルズによる『明日があるさ』はオリコン1位を獲得、坂本 九の楽曲を再び有名にさせる結果となった。

日本は惜しい人物を失ったものである。



【シングル曲(主な物のみ)】

  • 題名のない唄だけど(1959年10月)
  • 悲しき六十才(1960年8月)
初のヒット曲。
  • ビキニスタイルのお嬢さん
  • 夢のナポリターナ(1960年12月)
  • 遙かなるアラモ
  • 砂漠の恋の物語(1961年1月)
  • GIブルース(1961年1月)
  • 九ちゃんのズンタタッタ(1961年3月)
  • 見上げてごらん夜の星を(1963年5月)
同名ミュージカルのテーマ曲。
  • 明日があるさ(1963年12月)
  • 東京五輪音頭(1964年1月)
  • 上を向いて歩こう(1961年10月)
代表曲。
  • ボクの星(1962年8月)
映画『九ちゃん音頭』主題歌。
  • サヨナラ東京(1964年7月)
  • 君が好き(1964年7月)
上2曲は、東京オリンピックのウェルカムパーティーで坂本が各国選手団・外交使節団の前で歌唱したもの。
  • 世界の国からこんにちは(1967年3月)
  • 何かいいことありそうな(1976年10月)
  • 懐しきlove-song/心の瞳(1985年5月)
3ヶ月後の日本航空123便墜落事故で結果的に遺作となった曲。



【余談】

2005年8月『上を向いて歩こう坂本九物語』というタイトルで単発ドラマが放送された。九ちゃん役はTOKIOの山口達也。

最新技術を駆使し平井堅が九ちゃんと当時の音源でデュエットした『見上げてごらん夜空の星を』を発売。PVや歌謡祭ではCGながらも共演を果たしている。




上を向いて歩こう
涙がこぼれないように
泣きながら歩く一人ぽっちの夜

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