気仙沼市

登録日 :2012/01/19(木) 07:48:40
更新日 : 2016/06/17 Fri 07:13:17
所要時間 :約 6 分で読めます




気仙沼市とは宮城県の市区町村の内の一つである。
地図上で言うと、宮城県の一番右上の角の部分である。
想像するとわかると思うが、岩手県のすぐ下にあり、岩手県の市の一つの陸前高田市とは最早ご近所さんである。

ここからは気仙沼市の特徴を紹介しよう。


★市章
「け」をモチーフにデザインされている。
丸いデザインは渦や波を表しており、共生、協働、市の限りない発展、太平洋と活力あふれる町の姿を表現している。
青と緑の色は海と大地の恵みを表現している。
何と素晴らしいデザインだろうか。


★物産
日本一の水揚げを誇るカツオ、サメ、メカジキの他、サンマも日本有数の水揚げ実績を誇っていた。
気仙沼市のフカヒレは世界一と言っても過言ではないほど美味であり、有名である。



フカヒレ料理


内湾ではカキ、ホタテ、ワカメ、ホヤの養殖も行っていた。
また柚子や松茸など山の幸も抜かりない。


○観光・名所・イベント

★魚市場
国内最大級の354mの見学テラスがあり、活気ある市場を見る事が出来た。
また、毎年行われる気仙沼港祭り(後述)の際にも花火を見る際のベストスポットとして多くの市民に使用されていた。

★潮吹岩
断じてエロい方の潮吹きではない。
気仙沼市の海岸の一つ、岩井崎にある。
悠久の年月を重ね、岩が波に打たれ続けて出来た、奇跡の岩。
波が来るとその特殊な構造で岩の中から突然海水が吹き出る。干潮時の荒れた状態が一番ダイナミックに吹き出る。
エロい方ではないと言ったが、エロいかもしれない。

★安波山(あんばさん)
標高239m。
山名の由来は
「航海の安全と大漁を祈願する」
という願いを込めて名づけられた。気仙沼のシンボルである。

山頂からの気仙沼湾の眺め


すごくいい眺めである。もとい、すごくいい眺めだった。
山頂から見る初日の出は最高である。

★秀ノ山雷五郎銅像
江戸時代に活躍した力士であり、気仙沼出身の第九代横綱である。
歴代横綱で最も背の低い力士であったにもかかわらず、幕内通算成績は112勝21敗で、6回優勝を果たした名横綱である。

★大谷海岸
気仙沼のハワイ。
すごく綺麗。
毎年多くの人が訪れ、楽しんでいた。
また、小さくて見えないが世界一海に近い駅があった。

★気仙沼港祭り
気仙沼市民の生きがいであり、最大最高のイベント。
学生はもちろん大人も子供もみんな楽しめる素晴らしいお祭りである!
気仙沼魚市場周辺の港を使い、港沿いに出店が建ち並ぶ。

  • 日中から夕方
気仙沼の様々な企業や団体(学校、市、会社等)が「はまらんや踊り」に参加し港沿いに踊り進みどこが一番良い踊りが競う。
また、港近くでは七夕祭りが行われ、出店が建ち並びバンド演奏も行われる。

  • 夕方から夜
最早レッツパーリィ!であり、出店の値段が安くなったり、出店が増えたり、DQNが見えない所で熱いファイトを繰り広げ警察に御用されたりする。

  • 締め括り
船を出し、海からたくさんの花火を打ち上げる。
魚市場のテラスは毎年満員になる。
最高に綺麗である。
これを見ないと夏は終われない位大事なイベントである。 2011年はなかったが…


○マスコットキャラクター
  • ホヤボーヤ
文字通りホヤの子。
余談だが建て主は気仙沼は鮫のイメージなので下の鮫の方が良かった…


○気仙沼出身の有名人
  • マギー審司(マジシャン)
実家が気仙沼にあり、時折帰って来ては実家の電気屋の駐車場で小学生にマジックを披露したり、綿あめを配るいい人。

  • 菅原智恵子(フェンシング選手)
日本の五輪代表。

  • 金村曉(プロ野球選手)

もっといると思うんで知ってる人追記お願いします。


追記修正お願いします。



















2011年3月11日14時46分


悲劇は起こった

やっと冬も終わりかけ、季節が変わる頃。
いつものように平和な昼間の気仙沼。
少し違うのは合格発表前のそわそわしている中学生達。

グラ…グラ…

市民A「何か少し揺れたな」

市民B「最近地震多いな」

そんな事を思った瞬間だった!

グラグラグラグラ!ガシャン!ズシン!ズシン!グラグラ…!
車はエンジンもかけてないのに動き、家具が倒れる。

電柱や街灯は規則正しくも左右に不自然に大きく揺れる。

不安と焦りと混乱の6分間の揺れ。
少しして市内に聞き慣れた市長の声が鳴り響く。
内容は今でも忘れない。
「大津波警報!大津波警報!沿岸部の市民は直ちに避難してください!大津波警報!大津波警報!…」

沿岸部では落ち着いて行動出来る人は少なく、必死に車で逃げる市民。
当然大渋滞に陥る。逃げ道が多くあるが故に交差点は上手く進まず決して進まない渋滞が始まる。車を捨てて走る者が出てきた。

地震から約20分、津波が来た。
粘るドライバー。今になって気付き車を捨て走る市民。津波なんて来るはずないと家を出ない老人。逃げた高台にまで押し寄せた津波。
無惨にも津波は建造物と人と車を黒い渦を巻きながら呑み込んでいった。
津波の威力はジャンボジェット機が250機同時に追突するのと同じだった。もうよくわかんないね……

そして夜には船の燃料が 引火 。一部の沿岸部は業火に包まれガスタンクに引火した事で更に勢いは増し、町を黒に染めていった。
また気仙沼湾から少し離れた島の大島まで火事に。
地震1日目は空が不気味に赤いまま夜を迎える事になった。

消防団員である友人の父曰く、
「焼け跡からは死体すら残らず、一家族分の骨だけがあった。」
  • 火事の様子



消火も終わり、生き残った市民が見た気仙沼は気仙沼じゃなかった。



  • 大谷海岸付近の被災前後(写真は拾えてませんが、ある意味幸せかもしれない・・・)


ビフォー



アフター……

  • 気仙沼港付近の被災前後


よく見ると屋根の色が見える

もはや言葉も出ない


どうして気仙沼が…

だが震災から約4年たった今、気仙沼はみんなの募金や応援、外国や全国の支援で完全復興とはまだまだ言えないが、徐々に復興して来ている。
スーパーや本屋、ゲームショップ、カードショップ、レンタルショップやカラオケ、飲食店等一通り揃い気仙沼の市民やアニヲタに再び平和は訪れた。
みんな本当にありがとう!

問題はまだまだ山積みだが気仙沼は諦めずに頑張ってここまで来れたから絶対に完全復興出来る!

がんばっぺ!気仙沼!


俺 た ち は ま だ や れ る !

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