最上大業物

登録日 : 2011/12/14(水) 23:49:44
更新日 : 2017/08/30 Wed 16:56:15
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最上大業物とは、江戸時代後期にしるされた名刀の番付表「懐宝剣尺」「古今鍛冶備考」に記された、最も優れた刀及びそれらを制作した刀工の評価の事である。



「無礼者め!」
とズカッとを抜き放ち、町人を切り捨てるなんて光景は時代劇では良く見られるものである。



実はもし無礼討ちをやらかした場合、なんと侍のほうに「武道不覚悟」として

市中引き回し
そして死罪
という厳罰がかせられていた。
大名行列を無暗に妨害したとか、正当防衛やそれに準ずる事情でもあればまた話は別だが(幕末の「生麦事件」が分かりやすい例で、実行者は英国等の抗議からも庇われた)、
やはり無暗矢鱈に人斬り包丁を振り回すマジキチなど何時の時代も鼻つまみ者である。
世は太平、江戸時代。侍達は自身の刀の試し切りすら満足に出来なかった。

そうなると気になるのは自身の愛刀の切れ味。
果たしてなまくらなのか?いやいや、もしかしたらとんでもない名刀なんじゃないか?
ああ試しに斬ってみたい!でも斬れない!
そう世の侍達が悶々している中に唯一、自由に刀で人を斬れる者達がいた。


御試御用
山田浅右衛門一族

御試御用とは文字通り刀の御試し… 刀の試し切り をおこなう仕事である。

太平の世になんでそんな仕事が出来るかといえば彼らは 代々、罪人の首切りを請け負っていた為
つまり首切るついでに試し切りもしていたのだ。
ただし山田一族の場合は御試御用がメインであり首切りは副業であった。

御試御用は首を落とした後の罪人の死体を用い、土壇に据えて胴を断つ形で行われる。胴のどの部分を断ち切れたかで刀の切れ味を見定めるのだ。


刀の斬れ味をみたいのはそのあたりの侍だけでなく藩をあずかる大名や上流武士の旗本も同じ。こぞって刀を持ち寄った。
山田一族が試し切りした総数たるやなんと軽く 20000 を越える。


この経験から元に記されたのが前述の「懐宝剣尺」「古今鍛冶備考」である。
因みに懐宝剣尺がはじめて世に出されたほうで古今鍛冶備考はそれに追記・修正をしたもの。



なので今回はその番付の四段階評価 業物良業物大業物 とわけられていった中の最高位


最上大業物
について記す。系15工



長船秀光
備前国

通称「右兵衛尉」。
鎌倉初期を写した華やかな作風が特徴である。




陸奥守忠吉(三代)
肥前国




孫六兼元(初代)
孫六兼元(二代)
美濃国
名の縁起良さからか日本の刃物の代名詞と名高い。
焼き刃の三本杉で知られる。
ちなみに三島由紀夫の佩刀も「関孫六」と称されていたが、制作時期が江戸時代だった可能性が高いという。
だが『帝都物語』終盤では三島の孫六を加藤保憲が入手し斬りまくっていた。




三善長道(初代)
陸奥国

通称「藤四郎」。
会津虎徹とも称えられた。




長曽祢興里入道虎徹
武蔵国

新撰組局長、近藤勇の愛刀。
しかし勇のものは偽物であったといわれる。
それでも彼と共に時代をかけた刀は間違いなく名刀であった。




長曽祢興正
武蔵国

虎徹の養子。通称は「庄兵衛」。
二代虎徹とも。




肥前忠吉(初代)
肥前国

人斬りと名高い岡田以蔵の愛刀…一介の人斬りの刀としては凄まじすぎるが。
元は坂本龍馬が所有していたとされる。




三原正家(初代)
備後国




多々良長幸
摂津国

通称「四郎兵衛」。




仙台国包(初代)
陸奥国

伊達家の至宝。
武芸に優れた伊達政宗らしい実践向きの剛刀がそろう。




長船元重
備前国

貞宗三哲の一人。




ソボロ助広(初代)
摂津国

通称「弥兵衛尉」。
ソボロの由来には常にボロい服を着ていたからという説がある。
ホームレス最上大業物。




長船兼光(初代)
備前国

斬れ味凄まじく 波遊ぎ兼光 等の異名がある。




和泉守兼定(二代)
美濃国

定の字をウ冠のしたに之と書くという独特の字体であるため 之定 と通称される。
…まるで書き順からかう小学生みたいな通称である…。
これが有名過ぎてかの土方歳三の愛刀であると流布される事もあるが、歳三の愛刀は十一代兼定(幕末生まれ)。
兼定=二代のイメージが強すぎ司馬遼太郎の小説『燃えよ剣』で二代と設定された事もありこうなってしまった、それほどの名刀。





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