ウラジーミル・プーチン

登録日:2012/01/05 Thu 16:23:55
更新日:2023/10/09 Mon 19:23:43
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それ以降に関しては現在進行中の事象に関連したものであるため現状では本文への記述を見送っています。
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Владимир Владимирович Путин(ウラジーミル・ウラジーミロヴィチ・プーチン)は、ロシア連邦第2代大統領及び9代首相、『ヨーロッパ柔道協会名誉会長』にして、『ロシア格闘技マスター』、そして現第4代大統領である。

身長168cm。
趣味は釣りと競馬観戦。煙草は吸わず、酒も殆ど飲まない。
11歳からサンボと柔道に親しみ、柔道五段を持つ腕前。
柔道は今でも続け、体は政治家とは思えないほどの筋肉質。
元ソ連国家保安委員会(以下、KGB)の経歴や強権的な政策からおっかないイメージが強いが、素顔は冗談大好きで親しみやすい犬好きのおじさんらしい。自分に柔道の技をかけさせる最高指導者は多分彼ぐらいだし。


経歴

1952年、旧ソビエト連邦レニングラード(現サンクトペテルブルク)の労働者の家に生まれる。

家は貧しく、成績も悪く、喧嘩ばかりの問題児だったが、映画や小説からKGBに憧れ、14歳で支部に訪問。
職員にスパイになる方法を尋ね、「法学部を卒業すると有利」「自ら志願する者は絶対に採用されない」など、アドバイスを受けて猛勉強し、レニングラード大学*1法学部に入学。

在学中は接触を避けながら、しかし憧れのKGBからスカウトを受け、卒業後に就職。
下積みと訓練を経て1985年から旧東ドイツ・ドレスデンに派遣され、スパイ活動に従事する。
ベルリンの壁崩壊時にもそのままドレスデンのシュタージ本部におり
壁の崩壊の勢いで押し寄せてきた暴徒に「 入ってきたら殺すぞ! と一喝して黙らせる。
当時のシュタージはソ連のスパイについての重大資料が山ほどあって焼却している真っ最中であり
プーチンも本当に入ってきたら射殺するつもりだったが本気でシュタージの資料を狙うプロが暴徒の中に混じっていたら
手持ちの銃弾を使い切った後に殺されていたので助かったと述べている。

1990年、東西ドイツ統一後に帰国。KGBを退職。
1991年、ツテで故郷の副市長に就任。日本を初訪問。*2
1996年、知り合いのツテで大統領府に異動。
1998年、エリツィン大統領(当時)の信頼を得てロシア連邦保安庁(以下、FSB)*3長官に就任。

そして、2000年。

ソビエト崩壊以降メチャクチャになったロシアを建て直すために「強いロシア」を標榜し、ロシア大統領に就任。
わずか8年で経済・財政・軍備・国際的地位などを劇的に回復させたため、ロシア国民からの評価は概ね高い。
ただし、チェチェンへの武力弾圧、新興財閥の強引な国有化、政権批判したジャーナリスト暗殺疑惑など、強権的なやり方に批判は多く、経済の好転は資源価格高騰の時期だからたまたまだった、という考え方をされる場合も有る。

2008年、ドミトリー・メドベージェフに大統領職を譲り、首相に就任。*4

2011年末からモスクワを中心に大規模な反プーチンデモが頻発する。

2012年、大統領選出馬、同年5月7日、返り咲く。


エピソード

3匹の大型犬の飼い主
  • 最長老のラブラドールレトリバー、『コニー』*5
  • 佐竹敬久(秋田県知事)から贈られた秋田犬「ゆめ」
  • ボイコ・ボリソフ首相(ブルガリア)から贈られたカラカハンドッグの「パフィ」。
外国要人(犬嫌いのメルケル首相(独)含む)との会談にも同席させるほどの犬好き。

狩りを行ったときボディーガードが熊に襲われたので代わりに熊を射殺

視察のため国立公園を訪問していた際、カメラマンに向かってきたトラに麻酔銃を撃ってカメラマンを救出。

選挙活動としてハーレーにまたがり、革ジャンでロックコンサートに出現

格闘技として柔道をたしなんでいたというわけではないらしく、柔道家の心も持つ。

私は少年時代、ワルだった。街で喧嘩ばかりしていた。相手をやっつける力をつけるためにボクシングやレスリングをやった。
その中で柔道に出会った。柔道のセンセイがよかった。
まず柔道は礼だと教えられた。何のことか分からなかった。
次に柔道は相手に対する敬意だと言われた。これも分からなかった。
しかし練習を重ねるうちに分かってきた。
力を見せるには畳の上で鍛錬し、畳の上で相手を負かせばいい。街で喧嘩をしなくてもいい 。
私は柔道に出会って助けられた。柔道のセンセイに出会っていなかったら今そうなっていたか分からない。*6

講堂館から名誉段位として六段を授与するという話が出た際は自分は段位を貰うまでには至ってないと断った。

森喜朗元首相の自伝によれば2000年の訪露で各地を移動する際に立派な大統領専用車と国賓送迎車を用意していたが
プーチンは後ろにあるライトバンに乗り込んで「ヨシ、君もこっちに乗るんだ」と誘った。
車中で「なぜこちらの車に乗ったかわかるか?」と聞くプーチンに「わからない。大統領の車は前だろう」と返すと
「そうさ。私を 暗殺したい奴はあの車を狙うだろう 」と言って車中で大笑いしたそうだ。

これら故か、インターネット上では前ローマ教皇や、どっかの将軍様並にカルトな人気がある。


名言録

国歌演奏中は行儀良くするように。歌詞を知らないなら、せめてガムを噛むな
自国代表選手の行儀の悪さに業を煮やして、電話で指令を送った。容赦ない

おとぎ話に本気で期待しない方がいい。ソ連時代には「誰も助けてくれない。神も皇帝も英雄も。」という歌があっただろう。私たちはいつでも、自らの手でやらなければならないんだよ。
「願いが3つだけ叶うとしたら、どんなお願いをしますか?」という11歳の女の子の質問に。
子供にも容赦のない

中世のように(汚職する者の)手を切り落としてしまえばいい。そうするだけで、賄賂を要求するような手はすぐになくなるさ
汚職官僚がはびこっていると報告*7を受けて。野党党首は「国の半分の官僚の手が無くなってしまいます」と答えた

我々は交代で寝ているから大丈夫。心配は無用
「大統領も首相も寝るときは、誰がこの国を治めるのか」と問われて。

イスラム過激派になりたい、割礼を受けたいというのなら、モスクワに招待してやる。良い専門家がいる。二度と使えなくなるような手術を頼んでやろう
「チェチェンを弾圧しているのではないか」と問われて。

それは素手で、という意味で聞いてるのか?
記者に「あなたは人を殺したことがありますか?」と聞かれてこう返した*8。続けて、
我々の敵はテロリストでなく、ジャーナリスト


余談

自分で働ける肉体や気力が永遠に続くわけがないのだからいつかは後進に譲ることになる。
好き勝手やってきた権力者というものは引き際を考えることも重要である。
後を継いだ人間が政敵側であれば、自分がやってきたことを倍返しにされる可能性が高い。
だからこそ自分に好意的で、なおかつ自分が死ぬまでの間つつがなく務められる有能な後継者を前もって育てておく必要がある。

エリツィンはその通りに後継者に仕立てた。*9
ならば、プーチンも同様に後継者を考える必要があり、メドベージェフがその役になるはずであったが…………その役割を果たせたかはどうかは推して知るべしである。




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最終更新:2023年10月09日 19:23

*1 現サンクトペテルブルク大学

*2 日本が主催するイベントの折衝のためで、(はなるべく印象に残らないように振る舞っていたため、その後に応対した日本の役人はかつて会ったことを覚えていなかったそうな。

*3 KGBの後継組織

*4 プーチンが与党を担っているので実質独裁に近い

*5 近年は表に出ることがなくなってきた

*6 日本人ジャーナリスト小林和夫によるインタビューより。なおセンセイは日本語で呼んでいたそうな。

*7 過激派が官僚の腐敗体制に移行していた

*8 但し、この発言は一時的なソースはなくコラ画像の物という説も。

*9 プーチンが大統領就任直後にやった仕事は「エリツィンに刑事的な責任が恒久的に及ばなくなる法案を通すこと」でエリツィンは退任から病死するまで大きなトラブルもなく平穏な年金生活者として死んだ。