明神電車(一円電車)

登録日 : 2012/10/31(水) 19:53:15
更新日 : 2015/03/25 Wed 19:02:46
所要時間 :約 4 分で読めます




1円で何が買えるだろうか。小さな布切れやネジ、小型の歯車、時には1円だけで株も買えてしまう場合がある。
しかし実は、1円だけで列車に乗る事が出来る路線が、かつて兵庫県に存在していた。それが「明神電車」、明延鉱山にあった鉱山鉄道である。


★概要

明延鉱山(あけのべこうざん)は、1987年までスズや銅、亜鉛など多数の鉱物を採掘していた鉱山。特にスズは日本一の採掘量を誇っていた。
平安時代から続くというかなり長い歴史を有していたが、円高に伴う市場での鉱物価格の下落に伴って大幅な赤字となってしまい、閉山を余儀なくされてしまった。
現在もまだ山の中には採掘可能な鉱脈が眠っている。

そこで採掘された鉱物を輸送し、種類ごとに選別する「神子畑選鉱所(みこはたせんこうじょ)」まで結んでいたのが「明神電車」である。
初期は貨物用のロープウェイを使っていたが、輸送力の増強のために鉄道への転換が計画された。
だが中間にあるトンネルが難工事を余儀なくされ、完成したのは1929年のことである。
当初は線路幅500mmと鉱山内の鉄道と同じものであったが、輸送力の増強のために1941年に762mmと少し線路幅が広くなった。
ただ輸送量は大幅に増大する事が出来たと言う。
1945年以降、鉱山関係者の足として旅客列車(鉱山鉄道では「人車」と呼ばれている)が運行された。
当初は無料であったがその後運賃を設け、1952年からは運賃1円となる。
これら以外にも登山客の利用もあり、最初の頃は10円の運賃だったのだがこちらもその後1円に統一された。これがいわゆる「一円電車」である。


だが、この事をマスコミが取り上げてから興味本位でこの列車に乗る者が増え、中には運行を妨害する輩まで現れてしまった。
そのため、 部外者の乗車を禁止する という事態にまでなってしまったと言う。昔からこういう事は問題になっていたのだ。
その後人車輸送は1985年10月まで行われ、貨物列車の運用も1987年の閉山まで行われ続けた。


★車両

  • 電気機関車
電車であるあかがね号やしろがね号を除く人車や貨物列車は、電気機関車によって牽引されていた。
運用を効率よく行うため、前と後ろの両方に機関車を連結する「プッシュプル方式」が採用され、無線操縦による総括制御も行われていたと言う。
その際に機関車に入りきれなかった機材は有蓋車に搭載していた。

  • あおば号
定員15名の小型客車。車体の端に扉がある。主に「わかば号」とコンビを組んで活躍していた。
名称は鉱山関係者からの応募で決定したとか。

  • わかば号
定員17名の二軸客車。あおば号と違い、扉は中央に設けられている。

  • くろがね号
定員23名の大型ボギー客車。中央部に扉を持つ。

  • しろがね号
鉱山役員の専用電車。文字通り凸形車体で、定員はわずか6名のVIP用車両。小さい車体にはぎっしりと機械が詰め込まれている。
末期の塗装は下半分が 黄色 、上半分が 青色 、中央に白帯という派手さ。

  • あかがね号
こちらは一般職員向けの電車。外部の人も許可を得れば乗車可能であった。
定員12名の小型の車体に、前面は一つ目小僧を思わせる中央の一枚窓が特徴。車輪はしろがね号同様二軸だが、こちらは何故か左右で車輪の直径が違っていた。
末期の塗装は下半分が 黄色 、上半分が 青色 、中央に 赤帯 というこちらも派手な色使い。


  • 貨車
鉱石輸送用の貨車以外にも、沿線の人々へ物資を運ぶ有蓋車なども在籍し、時に客車と同じ編成に組み込まれる事もあった。

なお、鉱山内の鉄道との兼ね合いで500mm・762mmの二つの線路幅を共有していた路線も一部存在し、それぞれ専用の機関車や貨車が走っていた。


★保存

個性豊かな車両たちは、閉山後も数多くが保存され、上記の名称付き車両は今も全て沿線各地に保存されている。
中でもくろがね号は定期的に動態保存運転が行われ、イベント時には体験乗車も可能となっている。

それ以外にも、現役当時のレールが今も保存されていたり、鉄橋は今も歩道用に使用されている。また、当時の鉱山跡には「探検坑道」として入る事も可能。

日本を代表する鉱山鉄道であった「一円電車」。
鉱山としての歴史は終わってしまったが、車両たちに受け継がれたその歴史はまだまだ終わらないようだ。



追記・修正は無料です。

この項目が面白かったなら……\ポチッと/