ラインハルト・フォン・ローエングラム

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&font(#6495ED){登録日}:2012/09/26(水) 22:21:28 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 8 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- #center(){&color(gold){&bold(){&big(){卿らに誓約しよう!}}}} #center(){&color(gold){&bold(){&big(){卑怯者がローエングラム王朝において至尊の座を占めることは決してないと!!}}}} CV:[[堀川りょう]](OVA) 、[[緑川光]](黄金の翼)、[[宮野真守]](TVアニメ) ラインハルト・フォン・ローエングラム(帝国暦467~新帝国暦003)は[[銀河英雄伝説]]の登場人物。 ゴールデンバウム・ローエングラム朝銀河帝国における君主・軍人・政治家。 ローエングラム朝銀河帝国の開祖であり、その類稀な軍事・政治的才覚によって銀河連邦以来5世紀ぶりとなる銀河統一政権を誕生させた。 *&font(#ff0000){■[来歴]■} 帝国暦467年(宇宙暦776年)3月14日、帝国の首都星オーディンに下級[[貴族]]セバスティアン・フォン・ミューゼルの長男として生まれる。 幼い頃、事故で母クラリベルを失い、5歳年上の姉アンネローゼにより育てられる。 また、この時期に唯一無二の親友となるジークフリード・キルヒアイスと出会い、暫くは平穏な少年時代をすごす。 しかし、10歳の時、アンネローゼが宮内省の役人に見いだされ、皇帝[[フリードリヒ四世>フリードリヒ4世(銀河英雄伝説)]]の後宮に召されたことが彼のその後の人生を決定づける事となる。 姉を奪った皇帝への憎悪、そして姉を取り戻す為、銀河を手に入れるという自らの覇業の為に[[ゴールデンバウム王朝]]の打倒をキルヒアイスと共に決意。 その後、キルヒアイスと共に帝国軍 幼年学校に進学、幼年学校卒業後は特別待遇で少尉から軍歴を開始する。 その後、数々の戦役に参加し武勲を重ね、軍人として栄達していくと共に自らの陣営を拡大させていくことになる。 帝国暦487年には[[アスターテ会戦>アスターテ星域会戦(銀河英雄伝説)]]における勝利の功積により帝国元帥、同年の[[アムリッツァ会戦>アムリッツァ星域会戦]]での功績で宇宙艦隊司令長官・侯爵と軍の実権を掌握。 この時、生涯溺愛したという新造艦のブリュンヒルトを受領している。 ゴールデンバウム王朝最大にして最後の内乱となった[[リップシュタット戦役>リップシュタット戦役(銀河英雄伝説)]]では帝国軍最高司令官となり門閥貴族勢力を打倒。 同時に帝国宰相[[リヒテンラーデ公>クラウス・フォン・リヒテンラーデ(銀河英雄伝説)]]も排除し、帝国宰相も兼任、国政の実権を掌握し、事実上の支配者となる。 その後、行われた同盟領侵攻作戦「[[ラグナロック作戦>ラグナロック作戦(銀河英雄伝説)]]」においても自ら総司令官として全軍を指揮し、フェザーン自治領と自由惑星同盟を制圧・併呑を果たす。   翌年の宇宙暦799年/帝国暦490年/新帝国暦1年にはゴールデンバウム朝から皇帝位を禅譲される形で、23歳にしてローエングラム王朝を建国、初代皇帝ラインハルト1世として即位する。 新帝国暦2年には当時、首席秘書官兼大本営幕僚総監であったヒルデガルド・フォン・マリーンドルフを皇后に迎え、翌年には後のアレク1世となる長子、アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラムを得ている。 その後の帝国内での反乱や動乱おいても常に陣頭指揮を執り続けるも、その激務の為か「変異性劇症膠原病」後に「皇帝病」と呼ばれる奇病に冒され、急激に容体を悪化させる。 その後容体が好転することなく、新帝国暦3年(宇宙歴801年)7月26日、25歳で崩御。 在位は満2年余であった。 臨終の言葉は、 #center(){&font(#ff0000){「宇宙を手に入れたら……みんなで……」}} であったという。 *&font(#ff0000){■[人物・能力]■} その軍事及び政治的才覚や、5年という短い月日の間に銀河統一政体であるローエングラム朝を創り上げた功績から、&font(#ff0000){「銀河の覇者」}として多くの歴史家から高く評価されている。 軍事面においては常に自軍の優位な状況を創り上げ戦闘に臨んでおり、常に優位な立場で戦場を構築する戦略家であったが、戦術面においては攻勢を主とする勇将という一面も持っていた。 その為、生涯において常に勝利を手にしてきた彼を当時の自由惑星同盟軍の宿将であった[[ヤン・ウェンリー]]と並び&font(#ff0000){「戦争の天才」「常勝の英雄」}として当時や現在においても高い評価と共に現在においても軍事研究における対象となっている。 反面、彼を含めた上級大将以上の幹部がなまじ有能過ぎて積極的に(悪く言えば出しゃばりすぎと言える)指揮や陣頭に立ち続けたために大将級以下の将兵たちが経験や能力不足のままとなってしまい、大きく精彩を欠き失態を犯すことが多くなってしまった。 また、&font(#ff0000){「戦う前から勝利はほぼ確定済みで後はほぼ消化試合同然」}という極端すぎる優位性は上記の若手士官たちの経験不足だけでなく&font(#ff0000){「帝国軍に敵はいない。敵は全て弱い」}という錯覚や敵対者に対する慢心、門閥貴族とは異なる方向性で自己過信を抱かせることにも繋がり、不測の事態などで窮地に陥れば瞬く間に機能不全を起こして醜態を晒すようにもなってしまい、ミッターマイヤーは&font(#ff0000){「勝ち慣れて逆境に弱くなったようだ」}と苦言を零すほどである。 この難点が得に表れたのがリップシュタット戦役であり、完勝同然であったはずが最後の最後でラインハルトを含めた幹部たちまでもが取り返しのつかない大失態を犯してしまったほどである。 結果、最終的な勝利を得ることはできてもラインハルトが望む&font(#ff0000){「完全な勝利」}は一度として手にすることはできなかった。 一方で、私生活においては質素倹約を旨とし、ある一つの事柄を除いて特定の趣味もなく、異性に対しても興味のなかった彼を、後に彼の義父となるフランツ・フォン・マリーンドルフをして、 #center(){&font(#ff0000){「異常な才能はその代償としている分野における欠落を強いるものかもしれない」}} と評している。 事実、彼とヒルダとの結婚とアレク1世の誕生は全くの偶然にすぎず、「これこそがローエングラム朝における最大の危機であった」という歴史家は少なくない。 *&font(#ff0000){■[後世における評価]■} 後世における彼の評価は彼の偉業を以って&font(#ff0000){「歴史上屈指の覇者であり支配者」}という評価で一致している。 一方で、彼の対しての批判もまた少なくない。 それは特に人格面に起因するものが多くを占めている。 それは彼の唯一の趣味であった&font(#ff0000){「戦争」}であった。 彼の好戦的な性格によって合理的に考えれば不要であったはずの戦いも少なくなく、特に自由惑星同盟軍のヤン・ウェンリー提督との間で行われた「[[回廊の戦い>回廊の戦い(銀河英雄伝説)]]」が最もたる例で、この戦いは当時の軍務尚書であったオーベルシュタイン元帥から、 #center(){&font(#ff0000){「皇帝の誇りによって数百万将兵の白骨を朽ちさせる結果を生んだ」}} と痛烈に非難されている。 その為、後世の一部の歴史家からは #center(){&font(#ff0000){「皇帝の人となり戦を嗜む」}} という言葉で痛烈に批判されている。 また、彼が在位当時において行われたその施政は民生よりも軍事に関するものが多くを占め、その武断的な政治姿勢や軍部独裁体制はローエングラム王朝の政治体系を軍事色の強いものと決定づけることになる。 無論文官からも優秀なものはためらわず登用し重用もしたが、それでも最高意思決定における御前会議の出席者は軍部側のみだったところは、バランスを欠いた統治だったと言われても仕方がないだろう。 彼の支配した旧同盟領においては軍高官による統治が行われたが、最終的に暴動やローエングラム朝初となる内乱が発生し、その鎮圧にあたって武力を以ってしか臨まなかった事や、その鎮圧後の対処も決して十分とはいえず動乱の火種を後世に残したまま舞台を去った彼を、一部の歴史家からは、 #center(){&font(#ff0000){「カイザーラインハルトは征服者でとしては比類なかった、しかし統治者としては三流であった」}} #center(){&font(#ff0000){「皇帝ラインハルトはその早世によって名君となった」}} と痛烈に皮肉られている。 *&font(#ff0000){■[係累]■} ・ヒルデガルド・フォン・マリーンドルフ ラインハルトの首席秘書官にして皇妃。 快活な性格と先見性のある知見を持ち、男として生まれ育っていたのなら旧王朝でも順当に出世ができたと見込まれる程の才女。 ラインハルトとは当初「フロイライン」「閣下」と、婚姻後ごく僅かな時期に「ヒルダ」「ラインハルト」、その後は「皇妃(カイザーリン)」「陛下」と呼び合うようになった。 ・アレクサンデル・ジークフリード・フォン・ローエングラム ラインハルトが唯一残した自らの子供。 実は一緒に過ごした期間は僅か一週間で、その間に親友の名前と生涯の友となる存在のみを遺している。 ・アンネローゼ・フォン・グリューネワルト ラインハルトの姉にして、彼が全銀河系を支配するきっかけとなった存在。 ラインハルトとは共依存に近しい関係にあったがキルヒアイスの死に伴い強く突き放し、以後結婚に至るまで直接対面する事はなかった。 ・セバスティアン・フォン・ミューゼル 父。 下賜金を受け取ってアンネローゼを皇帝へ受け渡した時は、強くラインハルトから罵倒され、以後生涯に渡って恨まれる事となる。 回想では常に飲酒している状態でマトモな描写が無い。 *&font(#ff0000){■[余談]■} ・常勝の王者 皇后ヒルダはラインハルトと婚約前に一夜を共にしておりその際に皇太子を身ごもっている。 その為一部の者からは、 #center(){&font(#ff0000){「カイザーラインハルトは昼においても夜においても常勝の王者である」}} という冗談がまことしやかに囁かれていたという。 ちなみに、この一夜の原因は、かつてのヴェスターラントの惨劇の生き残りが、あえてそれを見逃したラインハルトを暗殺しようとしたことによる。 彼のラインハルトを激しく糾弾する言葉に、見逃した責任を痛感したラインハルトは自分を強く責める。 それを見かねたヒルダが彼を慰めたところ…… #center(){&color(gold){「余は一人でいることに耐えられそうにないのだ。頼む、余を一人にしないでくれ」}} #center(){&color(green){「……はい。陛下がそう望むのであれば……」}} かくしてベッドインへ……というわけである。 なお、ヒルダと寝た翌日、ラインハルトは責任を取るべく、ミッターマイヤーに相談して買い求めた花束を持って、求婚に訪れたのであった。 この時のラインハルトの顔や表情は必見。 破壊力抜群である。 ・スカートの中の大将 ラインハルトは帝国暦482年に少尉として任官し、487年に元帥号を授与されている。 これは彼が&font(#ff0000){わずか6年の間に11階級昇進した}ことになり、これは当時のゴールデンバウム王朝においても異常な昇進速度であった。 その為、当時の門閥貴族や軍上層部においては彼を&font(#ff0000){「スカートの中の大将」}と揶揄していたという。 これは皇帝の寵妃の弟という立場からの妬みや嫉妬の類であったが、一方で彼の栄達に対して皇帝の寵妃であった姉の影響が全く働いていなかったという意見に対しては否定的な意見も多い。 それは彼の近代的軍事組織においては異常な昇進速度だけではなく、盟友であったキルヒアイスが一度もラインハルトの下から転属する事がなかった事からも明らかであり、これを以って「スカートの大将」という彼らの評はある意味で的を射ていたという評価も少なくない。 しかしその評価によってラインハルトの実力は、実績を重ねてもことさらに低く見られていた。 この過小評価が、彼を帝位を簒奪できる位置にまで到達させた一因となったのもまた皮肉な事実である。 #center(){&color(gold){&bold(){&big(){「項目を追記・修正したら……みんなで……」}}}} #center(){&big(){&bold(){&font(#ff0000){アニヲタの歴史が、また1ページ。}}}} #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,49) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #lsd() #comment_num2(num=30) }
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