1994年 F1世界選手権 第3戦 サンマリノGP

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&font(#6495ED){登録日}:2009/12/28 Mon 23:24:14 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 4 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- #center(){&font(#ff0000){「おおっと、セナだ!セナだ!セナが何と、ウォールにクラッシュ〜!!」}} #center(){&font(#ff0000){「またか!またか!またもクラッシュ、破片が飛び散っている〜!!」}} #center(){&font(#ff0000){「アイルトン・セナに何が起こったんだ!?大波乱のサンマリノ、アイルトン・セナにも、イモラは牙をむきました!!」}} 開催地…イタリア・イモラ コース…アウトドローモ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ・サーキット 開催日…4/29〜5/1 F1ファンにとっては、おそらく一生忘れられない3日間だったであろう。 それはまさに&font(#800080){「悪夢の3日間」}であった。 *予兆 1993年、モータースポーツの規則を作成しているFIA(国際自動車連盟)は、F1の競技性を高めるための方針に沿ったレギュレーション変更を行おうとしていた。 具体的には、当時のF1で採用されていたいわゆる「ハイテクデバイス」を禁止するというものだった。 このハイテクデバイスとは、マシンの姿勢を自動的に制御するアクティブサスペンションや、ブレークロックを防ぐABS(アンチロックブレーキシステム)、タイヤの空転を防ぐトラクションコントロールシステムなどが該当した。 これらのデバイスを禁止する狙いは大きく分けて2つあった。 まず、チームの実力差を拮抗させること。 当時、ウィリアムズ、マクラーレン、ベネトン、フェラーリ等の自動車メーカーや大手スポンサーががバックに付き、資金力に優れた上位チームと、それらを持たない中堅・下位チームの差が年々広がる一方になっていた。その原因の一つは、開発に大量の資金が必要となるハイテクデバイスの完成度に差が生まれてしまっていることであると、FIAは考えていたのである。 次に、ドライバーの実力差を明確にすること。 ハイテクデバイスは、ブレーキやアクセルの踏み加減など、本来ドライバーが操作すべき要因に介入し、速く安定した走行を可能にするという側面を持っていた。これは裏を返せば、F1マシンの運転が以前より容易になり、ドライバーの運転技術がスピードに反映されにくくなることを意味していた。 よって、ハイテクデバイスを禁止にすれば、ドライバーはそれに頼らず自分の運転技術のみでマシンを走らせる必要が出てくるため、その差が顕著になるはずだとFIAは考えていたのである。 しかし、それらの決定が93年のシーズン途中に突如行われたこともあり、チームからは不満が続出。特に安全性が問題視された。 結局チームの不安を考慮したFIAは、93年中の規則変更を撤回し、翌1994年に適応することでチームと合意した。 ***相次ぐ事故 ところが、規則変更を先延ばしにしたにもかかわらず、1994年にはチームが抱いていた不安が次々と的中してしまう。 まず、開幕戦・ブラジルGP前のテストでベネトンのJ.J.レートが大クラッシュ。レートは脛骨を骨折する重症を負ってしまう。 さらにブラジルGP後のテストで、フェラーリのジャン・アレジが負傷し、2レースを欠場することになってしまう。 この年から3度のワールドチャンピオン、アイルトン・セナはウィリアムズに移籍。天才セナと、最強マシンウィリアムズの組み合わせならば、4度目のチャンピオンは確実だろうと誰もが思った。 しかしこの年のウィリアムズのマシン・FW16は、ポテンシャルこそ非常に高いものの、繊細かつ神経質な挙動を持った不安定なマシンとなってしまい、この年のセナは序盤の2戦でポールポジションを獲得したものの、決勝はいずれもリタイアと、苦しいシーズンを送っていた。 *「呪われた週末」 【予選1日目】…ルーベンス・バリチェロ(ジョーダン)が最終シケイン手前の<バリアンテ・バッサ>でコースアウト、タイヤバリアにクラッシュ。マシンはコーナー出口の縁石で大きく跳ね、ノーズからタイヤバリア上に落ち、金網のフェンスに激突しながら1回転して止まった。 幸い生命に別状はなかったが、鼻骨の骨折と左腕の打撲という重傷を負った。   【予選2日目】…ローランド・ラッツェンバーガー(シムテック)が<ビルヌーブコーナー>の手前でフロントウイングが脱落、マシンは曲がり切れずにコンクリートウォールへ激突、マシン左半分が大破。マシンは惰性で次の<トサ・コーナー>まで滑り、ドライバーのヘルメットが力無く揺れていた。 すぐにレスキュー隊の処置を受けるも、事故発生約1時間後の午後2時15分、搬送先の病院で死亡。 【決勝】…スタート直後、エンジンをストールさせたJ.J.レート(ベネトン)にペドロ・ラミー(ロータス)が激突。ドライバーは無事だったが、飛散したパーツの一部が観客席に飛び込み負傷者が出る。その後4周に渡ってセーフティーカーの先導が行われる。 レース再開後の7周目、高速コーナー<タンブレロ>で、1位を走る[[アイルトン・セナ]](ウィリアムズ)が右サイドからコンクリートウォールに激突、マシン右半分が大破。一瞬頭を動かすも、その後は微動だにせず。 レースはすぐに赤旗中断となり、セナはレスキュー隊の応急処置の後、マジョーレ病院に運ばれる。   午後2時52分30秒、5周目の順位のまま残り53周の2ヒート制として再スタート。 まず[[ゲルハルト・ベルガー]](フェラーリ)が先行し、[[ミハエル・シューマッハ]](ベネトン)を7周にわたって抑える(ただし、順位は2ヒートのタイム合計のため、実際はシューマッハが1位)。その後ベルガーを抜いたシューマッハがピットイン。 ベルガーもそれに続くが、その2周後にリタイア。セナのクラッシュ時に飛散したパーツを踏んだことで左後輪にダメージを負ったことが原因であった。 ピットインの間に見かけ上の順位は1位[[ミカ・ハッキネン]](マクラーレン)、2位ニコラ・ラリーニ(フェラーリ)となるが、24周目にラリーニをシューマッハがパス。その後ハッキネンがピットインし、2位になったラリーニと3位に下がったハッキネンとの間には20秒以上の差がついていた。 ハッキネン以下は接戦で、4位カール・ベンドリンガー(ザウバー)、5位[[片山右京]](ティレル)、6位ジャンニ・モルビデリ(アロウズ)と続く。 右京は一時3位を走るも、残り15周あたりから、水漏れによるエンジンの水温上昇でタイムが落ち、7位に後退。 55周目、6位のクリスチャン・フィッティパルディ(アロウズ)がコースアウトして右京は6位、さらに[[デーモン・ヒル]](ウィリアムズ)を抜いて5位に再浮上した。 残り10周、ダメ押しの事故がピットロードで発生する。ピットアウトしたミケーレ・アルボレート(ミナルディ)の右後輪がはずれ、フェラーリとロータスのメカニック4人を負傷させたのだ。 レースはミハエル・シューマッハが開幕3連勝を達成。 2位に初表彰台となったラリーニ、3位ハッキネン、以下ベンドリンガー−右京−ヒルがそれぞれポイントを獲得した。 レース終了後の午後6時3分、セナは脳死状態に陥り、6時40分、セナの心臓は停止した。 アイルトン・セナ・ダ・シルバ、享年34歳 ローランド・ラッツェンバーガー、享年31歳 合掌 **なおも相次ぐ負傷事故 しかし、この次であるモナコGPでもカール・ベンドリンガーが一時昏睡状態になる大クラッシュが発生。 さらにこの次のスペインGPでは、ラッツェンバーガーの代役のアンドレア・モンテルミーニがクラッシュして負傷。 スペインGP後のテストではペドロ・ラミーが大クラッシュし、両足複雑骨折で全治一年の重傷を負った。 また、第9戦ドイツGPでは、レートの代役のヨス・フェルスタッペンが給油中に火災に巻き込まれ、フェルスタッペンとピットクルーが火傷を負う事故も発生している。 **事故後の安全対策 このレースを含む1994年に発生した複数の負傷事故により、それまでの安全神話が完全に打ち砕かれ、安全性を向上させる大規模な規制変更が行われることになった。 その結果、F1走行セッションにおける死亡事故は2015年(ジュール・ビアンキ)まで21年間起こることはなかった。   **レース結果 ・予選 PP [[アイルトン・セナ]](3回) 2位 [[ミハエル・シューマッハ]] 3位 [[ゲルハルト・ベルガー]] 4位 [[デーモン・ヒル]] 5位 J.J.レート 6位 ニコラ・ラリーニ ・決勝 優勝 ミハエル・シューマッハ 30P(3勝) 2位 ニコラ・ラリーニ 6P(2位1回) 3位 [[ミカ・ハッキネン]] 4P(3位1回) 4位 カール・ベンドリンガー 4P 5位 [[片山右京]] 4P 6位 デーモン・ヒル 7P(2位1回) (当時のポイント制は1位から6位まで順に10-6-4-3-2-1と振り分けられる) ※成績は全て1994年シーズンのみ。 因みに、セナの命日となった決勝当日は「稀代の快速馬」と呼ばれた[[サイレンススズカ>サイレンススズカ(競走馬)]]の生まれた日でもある。   追記・修正お願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,4) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - ラッツェンバーガーは結婚前だった… -- 名無しさん (2014-01-31 19:34:10) - もうすぐあれから20年か…。 -- 名無しさん (2014-04-08 22:34:58) - R.I.P. セナ、ラッツェンバーガー -- 名無しさん (2014-05-01 21:25:33) - サンマリノのサーキットって、そんな『牙をむいた!』と言われるほど、危険なサーキットだったんだろうか? -- 名無しさん (2016-08-27 11:15:21) - あの時は週末を通して事故が続いたからな。ただ過去にもベルガーが炎上したりピケが後遺症抱えたりと問題はあった -- 名無しさん (2016-08-27 12:04:09) - サンマリノは超高速サーキットだったのもあるかも (危険) -- 名無しさん (2017-03-15 19:26:08) - 三宅アナのインタビューが今もこびりついてる。夢であって欲しかったなあ.... -- 名無しさん (2021-11-17 18:38:43) - コースの前半部はアクセル全開で左右に揺さぶる形になるから足回りにかなり負担が掛かる。それに前年まで使えたハイテク装備が軒並み禁止されて、殆どのマシンが空力微妙な大パワー車になって操縦性が悪化してた。 -- 名無しさん (2022-03-11 18:20:25) #comment #areaedit(end) }
&font(#6495ED){登録日}:2009/12/28 Mon 23:24:14 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 4 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- #center(){&font(#ff0000){「おおっと、セナだ!セナだ!セナが何と、ウォールにクラッシュ〜!!」}} #center(){&font(#ff0000){「またか!またか!またもクラッシュ、破片が飛び散っている〜!!」}} #center(){&font(#ff0000){「アイルトン・セナに何が起こったんだ!?大波乱のサンマリノ、アイルトン・セナにも、イモラは牙をむきました!!」}} 開催地…イタリア・イモラ コース…アウトドローモ・エンツォ・エ・ディーノ・フェラーリ・サーキット 開催日…4/29〜5/1 F1ファンにとっては、おそらく一生忘れられない3日間だったであろう。 それはまさに&font(#800080){「悪夢の3日間」}であった。 *予兆 1993年、モータースポーツの規則を作成しているFIA(国際自動車連盟)は、F1の競技性を高めるための方針に沿ったレギュレーション変更を行おうとしていた。 具体的には、当時のF1で採用されていたいわゆる「ハイテクデバイス」を禁止するというものだった。 このハイテクデバイスとは、マシンの姿勢を自動的に制御するアクティブサスペンションや、ブレークロックを防ぐABS(アンチロックブレーキシステム)、タイヤの空転を防ぐトラクションコントロールシステムなどが該当した。 これらのデバイスを禁止する狙いは大きく分けて2つあった。 まず、チームの実力差を拮抗させること。 当時、ウィリアムズ、マクラーレン、ベネトン、フェラーリ等の自動車メーカーや大手スポンサーががバックに付き、資金力に優れた上位チームと、それらを持たない中堅・下位チームの差が年々広がる一方になっていた。その原因の一つは、開発に大量の資金が必要となるハイテクデバイスの完成度に差が生まれてしまっていることであると、FIAは考えていたのである。 次に、ドライバーの実力差を明確にすること。 ハイテクデバイスは、ブレーキやアクセルの踏み加減など、本来ドライバーが操作すべき要因に介入し、速く安定した走行を可能にするという側面を持っていた。これは裏を返せば、F1マシンの運転が以前より容易になり、ドライバーの運転技術がスピードに反映されにくくなることを意味していた。 よって、ハイテクデバイスを禁止にすれば、ドライバーはそれに頼らず自分の運転技術のみでマシンを走らせる必要が出てくるため、その差が顕著になるはずだとFIAは考えていたのである。 しかし、それらの決定が93年のシーズン途中に突如行われたこともあり、チームからは不満が続出。特に安全性が問題視された。 多くのハイテクデバイスを取り付けて走らせる事を前提に開発されたマシンからそれらを取り除けば、マシンは全く予想することができない挙動を示すこととなり、ドライバーの能力だけで解決できないほど不安定で操作が難しくなってまう。そしてそれが大きな事故を誘発してしまうと考えていたのだ。 結局チームの不安を考慮したFIAは、93年中の規則変更を撤回し、翌1994年に適応することでチームと合意した。 ***相次ぐ事故 ところが、規則変更を先延ばしにしたにもかかわらず、1994年には前年にチームが抱いていた不安が次々と的中してしまう。 まず、開幕戦・ブラジルGP前のテストでベネトンのJ.J.レートが大クラッシュ。レートは脛骨を骨折する重症を負ってしまい、開幕戦を欠場することとなってしまう。 さらにブラジルGP後のテストで、フェラーリのジャン・アレジが負傷し、その後の2レースを欠場。 そんな中で、今年のワールチャンピオン最有力と考えられていたのは、今年のウィリアムズに移籍した3度のワールドチャンピオン、アイルトン・セナだった。ウィリアムズのマシンは、過去2年圧倒的な強さでダブルタイトルを獲得しており、このパッケージに他のチームやドライバーが勝つことは難しいと考えられていた。 しかし、この年のセナは序盤の2戦でポールポジションを獲得したものの、決勝はいずれもリタイアと、苦しいシーズンを送っていた。ウィリアムズの新型マシン・FW16は、ポテンシャルこそ非常に高いものの、繊細かつ神経質な挙動を持った不安定なマシンとなってしまい、セナはその扱いに苦労していた。 実は、ウイリアムズがここ2年圧倒的な強さを見せていたのは、積極的にアクティブサスペンションやトラクションコントロールといったハイテクデバイスを開発し、どのチームより有効に活用していたことが要因だった。今年のレギュレータでそれらをもぎ取られてしまった影響を、どのチームより大きく受けていたのだ。 *「呪われた週末」 【予選1日目】…ルーベンス・バリチェロ(ジョーダン)が最終シケイン手前の<バリアンテ・バッサ>でコースアウト、タイヤバリアにクラッシュ。マシンはコーナー出口の縁石で大きく跳ね、ノーズからタイヤバリア上に落ち、金網のフェンスに激突しながら1回転して止まった。 幸い生命に別状はなかったが、鼻骨の骨折と左腕の打撲という重傷を負った。   【予選2日目】…ローランド・ラッツェンバーガー(シムテック)が<ビルヌーブコーナー>の手前でフロントウイングが脱落、マシンは曲がり切れずにコンクリートウォールへ激突、マシン左半分が大破。マシンは惰性で次の<トサ・コーナー>まで滑り、ドライバーのヘルメットが力無く揺れていた。 すぐにレスキュー隊の処置を受けるも、事故発生約1時間後の午後2時15分、搬送先の病院で死亡。 【決勝】…スタート直後、エンジンをストールさせたJ.J.レート(ベネトン)にペドロ・ラミー(ロータス)が激突。ドライバーは無事だったが、飛散したパーツの一部が観客席に飛び込み負傷者が出る。その後4周に渡ってセーフティーカーの先導が行われる。 レース再開後の7周目、高速コーナー<タンブレロ>で、1位を走る[[アイルトン・セナ]](ウィリアムズ)が右サイドからコンクリートウォールに激突、マシン右半分が大破。一瞬頭を動かすも、その後は微動だにせず。 レースはすぐに赤旗中断となり、セナはレスキュー隊の応急処置の後、マジョーレ病院に運ばれる。   午後2時52分30秒、5周目の順位のまま残り53周の2ヒート制として再スタート。 まず[[ゲルハルト・ベルガー]](フェラーリ)が先行し、[[ミハエル・シューマッハ]](ベネトン)を7周にわたって抑える(ただし、順位は2ヒートのタイム合計のため、実際はシューマッハが1位)。その後ベルガーを抜いたシューマッハがピットイン。 ベルガーもそれに続くが、その2周後にリタイア。セナのクラッシュ時に飛散したパーツを踏んだことで左後輪にダメージを負ったことが原因であった。 ピットインの間に見かけ上の順位は1位[[ミカ・ハッキネン]](マクラーレン)、2位ニコラ・ラリーニ(フェラーリ)となるが、24周目にラリーニをシューマッハがパス。その後ハッキネンがピットインし、2位になったラリーニと3位に下がったハッキネンとの間には20秒以上の差がついていた。 ハッキネン以下は接戦で、4位カール・ベンドリンガー(ザウバー)、5位[[片山右京]](ティレル)、6位ジャンニ・モルビデリ(アロウズ)と続く。 右京は一時3位を走るも、残り15周あたりから、水漏れによるエンジンの水温上昇でタイムが落ち、7位に後退。 55周目、6位のクリスチャン・フィッティパルディ(アロウズ)がコースアウトして右京は6位、さらに[[デーモン・ヒル]](ウィリアムズ)を抜いて5位に再浮上した。 残り10周、ダメ押しの事故がピットロードで発生する。ピットアウトしたミケーレ・アルボレート(ミナルディ)の右後輪がはずれ、フェラーリとロータスのメカニック4人を負傷させたのだ。 レースはミハエル・シューマッハが開幕3連勝を達成。 2位に初表彰台となったラリーニ、3位ハッキネン、以下ベンドリンガー−右京−ヒルがそれぞれポイントを獲得した。 レース終了後の午後6時3分、セナは脳死状態に陥り、6時40分、セナの心臓は停止した。 アイルトン・セナ・ダ・シルバ、享年34歳 ローランド・ラッツェンバーガー、享年31歳 合掌 **なおも相次ぐ負傷事故 しかし、この次であるモナコGPでもカール・ベンドリンガーが一時昏睡状態になる大クラッシュが発生。 さらにこの次のスペインGPでは、ラッツェンバーガーの代役のアンドレア・モンテルミーニがクラッシュして負傷。 スペインGP後のテストではペドロ・ラミーが大クラッシュし、両足複雑骨折で全治一年の重傷を負った。 また、第9戦ドイツGPでは、レートの代役のヨス・フェルスタッペンが給油中に火災に巻き込まれ、フェルスタッペンとピットクルーが火傷を負う事故も発生している。 **事故後の安全対策 このレースを含む1994年に発生した複数の負傷事故により、それまでの安全神話が完全に打ち砕かれ、安全性を向上させる大規模な規制変更が行われることになった。 その結果、F1走行セッションにおける死亡事故は2015年(ジュール・ビアンキ)まで21年間起こることはなかった。   **レース結果 ・予選 PP [[アイルトン・セナ]](3回) 2位 [[ミハエル・シューマッハ]] 3位 [[ゲルハルト・ベルガー]] 4位 [[デーモン・ヒル]] 5位 J.J.レート 6位 ニコラ・ラリーニ ・決勝 優勝 ミハエル・シューマッハ 30P(3勝) 2位 ニコラ・ラリーニ 6P(2位1回) 3位 [[ミカ・ハッキネン]] 4P(3位1回) 4位 カール・ベンドリンガー 4P 5位 [[片山右京]] 4P 6位 デーモン・ヒル 7P(2位1回) (当時のポイント制は1位から6位まで順に10-6-4-3-2-1と振り分けられる) ※成績は全て1994年シーズンのみ。 因みに、セナの命日となった決勝当日は「稀代の快速馬」と呼ばれた[[サイレンススズカ>サイレンススズカ(競走馬)]]の生まれた日でもある。   追記・修正お願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,4) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - ラッツェンバーガーは結婚前だった… -- 名無しさん (2014-01-31 19:34:10) - もうすぐあれから20年か…。 -- 名無しさん (2014-04-08 22:34:58) - R.I.P. セナ、ラッツェンバーガー -- 名無しさん (2014-05-01 21:25:33) - サンマリノのサーキットって、そんな『牙をむいた!』と言われるほど、危険なサーキットだったんだろうか? -- 名無しさん (2016-08-27 11:15:21) - あの時は週末を通して事故が続いたからな。ただ過去にもベルガーが炎上したりピケが後遺症抱えたりと問題はあった -- 名無しさん (2016-08-27 12:04:09) - サンマリノは超高速サーキットだったのもあるかも (危険) -- 名無しさん (2017-03-15 19:26:08) - 三宅アナのインタビューが今もこびりついてる。夢であって欲しかったなあ.... -- 名無しさん (2021-11-17 18:38:43) - コースの前半部はアクセル全開で左右に揺さぶる形になるから足回りにかなり負担が掛かる。それに前年まで使えたハイテク装備が軒並み禁止されて、殆どのマシンが空力微妙な大パワー車になって操縦性が悪化してた。 -- 名無しさん (2022-03-11 18:20:25) #comment #areaedit(end) }

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