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&font(#6495ED){登録日}:2011/09/23(金) 19:53:58
&font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red)
&font(#6495ED){所要時間}:約 4 分で読めます
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アレックス・ラミレス・ジュニアは、[[東京ヤクルトスワローズ]]にとって悪い夢以外の何物でもない人物である。
2004年シーズンオフ、スワローズは四番として活躍する[[アレックス・ラミレス]]と残留交渉を行うが難航。
移籍の可能性が浮上する中、球団は一つの決断を下す。
ラミレスの息子、アレックス・ラミレス・ジュニアの支配下登録である。
ジュニアの入団が決め手となり、ラミレスは3年契約を結ぶ。
ジュニアも3年契約となり、背番号49を与えられた。
&font(#ff0000){将来の夢はメジャー最高左腕}ランディ・ジョンソンと語る左腕投手ジュニアの実力は、&font(#ff0000){素人同然}であった。
ストレートは130km/hに届かず、まともな変化球もない。おまけにノーコン。[[ダメ外人>ダメ外人(プロ野球)]]どころではない。
村田兆治(現役引退後も130km/h超のストレートと落差のあるフォークを投げる)や室伏広治(2005年の始球式で素人の投げ方で131 km/hのストライク投球)が投げたほうがはるかにマシと思える驚異の能力である。
球団幹部によると&font(#ff0000){「いざとなれば右投げで二塁を守れる器用さを買って選手登録を決めた」}ということであったが、あまりにも苦しい言い訳である。
2005年の春季キャンプでは、&font(#ff0000){運動不足による筋肉痛}により2日目でダウン。
[[「野球の経験は皆無だが、成長の可能性は無限大」>宮城ひでお]]という[[ロマン]]すらないことが露呈した。
また、極度の偏食家でもあったため、プロに通用する身体作りという点でも問題を抱えていた。
2005年は二軍のある戸田で練習をしつつ、試合では&font(#ff0000){ボールボーイ}として活躍。
2006年にようやく二軍公式戦初登板を果たすが1/3回を2失点、以降の出場はなく防御率54でシーズンを終える。
しかし2007年、二軍戦で初の奪三振を記録。
球速が130Km/hを超えるなど、戦力には到底なりえなかったが意地を見せた。
そしてオフ、三年契約が終了しラミレスとスワローズの交渉がもたれたが条件が折り合わず決裂。
ラミレスは[[読売ジャイアンツ>読売ジャイアンツ/読売巨人軍]]へと移籍する。
存在価値の無くなったジュニアは自由契約となった。
3年間の二軍の通算成績は3試合、0勝0敗、防御率10.80という、論ずるに値しないものであった。
2008年、ジュニアが所属したのは父のいるジャイアンツではなく&font(#ff0000){四国・九州アイランドリーグの高知ファイティングドッグス}であった。
どうやらラミレスとジャイアンツの契約条件にジュニアは入っていなかったようである。
しかし6試合に登板してこの年限りで退団。
その後ジュニアは母国に帰国し結婚、休学していた大学に復学しビジネスの勉強も始めたという。2010年には長男が誕生した。
スワローズは長嶋一茂(長嶋茂雄の息子)、野村克則(野村克也の息子)と二世選手によって&font(#0000ff){&u(){&font(#ffffff){自ら進んで}}}痛い目に遭ってきたが、両者ともにアマチュア球界ではそれなりの実績を残しており、また二人共人間性に関しては高く評価され、特に克則は引退後もコーチとして球界に携わり続けており、将来性はあったが大成しなかったといった見方も出来た。
また、野球経験に乏しくともプロとなった人物としては[[飯島秀雄]](元ロッテオリオンズ)や藤瀬史朗(元近鉄バファローズ)が挙げられるが、両者ともに代走として戦力となることを期待されていた(飯島は話題性を狙った面が大きかったが、藤瀬は純粋な戦力としてバファローズの初優勝に貢献。通算代走盗塁の記録も作った)。
ドラフト会議の際に有力選手の囲い込みやアマチュア球界とのパイプ作りなどの意図をもって指名される選手がいるということも昔から語られている。
しかしながら、ここまで露骨に契約のためだけにプロとなった選手は、おそらくジュニアくらいではないだろうか。
とはいえ、責めるべきはジュニアではなく、交渉に行き詰った挙句無茶な要求に一も二もなく飛びついた球団であろう。
ちなみに、ジュニアはラミレスの当時の結婚相手の連れ子であり、ラミレスとの血縁関係は無い。
追記・修正よろしくお願いします。
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アレックス・ラミレス・ジュニアは、[[東京ヤクルトスワローズ]]にとって悪い夢以外の何物でもない人物である。
2004年シーズンオフ、スワローズは四番として活躍する[[アレックス・ラミレス]]と残留交渉を行うが難航。
移籍の可能性が浮上する中、球団は一つの決断を下す。
ラミレスの息子、アレックス・ラミレス・ジュニアの支配下登録である。
ジュニアの入団が決め手となり、ラミレスは3年契約を結ぶ。
ジュニアも3年契約となり、背番号49を与えられた。
&font(#ff0000){将来の夢はメジャー最高左腕}ランディ・ジョンソンと語る左腕投手ジュニアの実力は、&font(#ff0000){素人同然}であった。
ストレートは130km/hに届かず、まともな変化球もない。おまけにノーコン。[[ダメ外人>ダメ外人(プロ野球)]]どころではない。
村田兆治(現役引退後も130km/h超のストレートと落差のあるフォークを投げる)や室伏広治(2005年の始球式で素人の投げ方で131 km/hのストライク投球)が投げたほうがはるかにマシと思える驚異の能力である。
球団幹部によると&font(#ff0000){「いざとなれば右投げで二塁を守れる器用さを買って選手登録を決めた」}ということであったが、あまりにも苦しい言い訳である。
2005年の春季キャンプでは、&font(#ff0000){運動不足による筋肉痛}により2日目でダウン。
[[「野球の経験は皆無だが、成長の可能性は無限大」>宮城ひでお]]という[[ロマン]]すらないことが露呈した。
また、極度の偏食家でもあったため、プロに通用する身体作りという点でも問題を抱えていた。
2005年は二軍のある戸田で練習をしつつ、試合では&font(#ff0000){ボールボーイ}として活躍。
2006年にようやく二軍公式戦初登板を果たすが1/3回を2失点、以降の出場はなく防御率54でシーズンを終える。
しかし2007年、二軍戦で初の奪三振を記録。
球速が130Km/hを超えるなど、戦力には到底なりえなかったが意地を見せた。
そしてオフ、三年契約が終了しラミレスとスワローズの交渉がもたれたが条件が折り合わず決裂。
ラミレスは[[読売ジャイアンツ>読売ジャイアンツ/読売巨人軍]]へと移籍する。
存在価値の無くなったジュニアは自由契約となった。
3年間の二軍の通算成績は3試合、0勝0敗、防御率10.80という、論ずるに値しないものであった。
2008年、ジュニアが所属したのは父のいるジャイアンツではなく&font(#ff0000){四国・九州アイランドリーグの高知ファイティングドッグス}であった。
どうやらラミレスとジャイアンツの契約条件にジュニアは入っていなかったようである。
しかし6試合に登板してこの年限りで退団。
その後ジュニアは母国に帰国し結婚、休学していた大学に復学しビジネスの勉強も始めたという。2010年には長男が誕生した。
スワローズは長嶋一茂(長嶋茂雄の息子)、野村克則(野村克也の息子)と二世選手によって&font(#0000ff){&u(){&font(#ffffff){自ら進んで}}}痛い目に遭ってきたが、両者ともにアマチュア球界ではそれなりの実績を残しており、また二人共人間性に関しては高く評価され、特に克則は引退後もコーチとして球界に携わり続けており、将来性はあったが大成しなかったといった見方も出来た。
また、野球経験に乏しくともプロとなった人物としては[[飯島秀雄]](元ロッテオリオンズ)や藤瀬史朗(元近鉄バファローズ)が挙げられるが、両者ともに代走として戦力となることを期待されていた(飯島は話題性を狙った面が大きかったが、藤瀬は純粋な戦力としてバファローズの初優勝に貢献。通算代走盗塁の記録も作った)。
ドラフト会議の際に有力選手の囲い込みやアマチュア球界とのパイプ作りなどの意図をもって指名される選手がいるということも昔から語られている。
しかしながら、ここまで露骨に契約のためだけにプロとなった選手は、おそらくジュニアくらいではないだろうか。
とはいえ、責めるべきはジュニアではなく、交渉に行き詰った挙句無茶な要求に一も二もなく飛びついた球団であろう。
ちなみに、ジュニアはラミレスの当時の結婚相手の連れ子であり、ラミレスとの血縁関係は無い。
追記・修正よろしくお願いします。
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