宮城ひでお

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&font(#6495ED){登録日}:2011/05/19(木) 04:47:39 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 3 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- 宮城ひでお(1980年9月28日-)はタイ出身の野球選手。 身長169センチ、体重63キロ、右投げ右打ち。 2004年のドラフト会議で[[横浜ベイスターズ]]に四巡目指名され、ある事情から話題になった。   【事の発端】 2004年のドラフト会議において、自由獲得枠で染田賢作と那須野巧を獲得していた横浜ベイスターズは四巡目で宮城を指名する。 ファンはもちろん、他球団のスカウトが完全にノーマークだった宮城の指名は大きな波紋を呼んだ。 インターネット上でも 「スカウトのジョー古河氏が発掘した」 「足は赤星、パワーはウッズ」 など様々な情報が引っ切り無しに飛び交った。 ログを探せばこの指名がいかにセンセーショナルであったかひと目でわかるはずだ。 ──しかし、どういうわけか、出てきた情報のいずれにも確証はなく、憶測の域を出ないものばかりであった。   【どんな選手?】 横浜ベイスターズの公式ホームページなどで公表された情報によると、宮城は当時24歳でタイ・バンコク大学出身、守備位置がダメという選手。 コメント欄には「野球経験は皆無だが、成長の可能性は無限大」と評されていた。   【急転直下】 ドラフト史上に残る電撃的な指名を受けた宮城であったが、その実態はベールに包まれていた。 なぜなら彼は決して人前に姿を現すことはなく、いずれの報道機関も彼の指名について取り上げなかったのだ。 そんな中、前代見聞の事態が発生する。 宮城が指名を受けたという事実自体がなかったことにされたのだ。 どういうことかというと、NPBや球団が発表したドラフト指名選手の公式リストに彼の名前が載っておらず、ベイスターズが四巡目に指名した選手は藤田一也(当時近畿大学)ということになっていた。 (ドラフト会議の映像、音声も宮城の指名時の部分のみが存在せず、あたかも最初から藤田が指名されたかのような状態となっている) 指名選手が入れ替わることはドラフト制度を否定するものである。 にもかかわらず、NPBやベイスターズは一切の説明を行わず、他の11球団、報道陣、ファンも全く糾弾しない「異常事態」となった。   【その後】 結局、宮城の行方は現在に至るまでわかっていない。 宮城は一体何者であったのか。 どうしてベイスターズは一旦宮城を指名したにも関わらず、後になってから指名した事実そのものを闇に葬ったのか。 何故一連の不可解な出来事に対して疑問の声一つ上がらないのか。 球史において例を見ない「謎」は、現状において解明は極めて困難であると言わざるを得ない。 ただ一つ言えるのは、宮城が指名を受けたという事実だけは確かに存在する、ということのみである。 (ネットの海を探せば、宮城をドラフトで指名した選手として紹介する当時のベイスターズ公式サイトの画像が残されている)   以下ネタバレ   実は、WEBデザイナーのミスが引き起こした珍事である。 彼はベイスターズ公式ページにテストページを間違ってアップしてしまい、そこに宮城ひでおが載っていたのだ。 なので、実際には──むしろ当然というべきか──ドラフト指名なんてされていない。 これを2ちゃんねらーが見つけて話が大きくなって、挙句は専用スレまで出来てしまった。恐るべし。 しかし、依然としてある「謎」は残っている。 「宮城ひでお」はWEBデザイナーの名前なのか、適当につけた名前なのか、本当に実在するのかしないのか──誰の知るところでもない。   追記・修正よろしくお願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,6) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 宮城ひでお(ダメ) -- 名無しさん (2019-08-04 21:32:02) #comment #areaedit(end) }
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