うたのおにいさん(おかあさんといっしょ)

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&font(#6495ED){登録日}:2013/06/19 Wed 10:43:08 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 38 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- 1959年に始まり、今や50年以上の歴史を持つNHKの子供向け番組『おかあさんといっしょ』。 その番組の顔としてお馴染みなのは「&font(red){うたのおねえさん}」と「&font(blue){うたのおにいさん}」なのは言うまでもないだろう。 実はその歴史を辿ると、番組が始まった当初は「うたのおにいさん」というポジションは存在せず、1970年代以降から始まっているのである。 この項目では、皆様の思い出に残っているであろう歴代&font(blue){うたのおにいさん}を、時代を追って紹介していく。 ---- #contents() ---- *幻の元祖: 高橋元太郎(ゲンちゃん) -担当年代: 1965年4月~1967年3月 ……いきなり冒頭の説明を覆す時代、それもまさかの人物が「うたのおにいさん」を務めていた事で「&big(){!?}」となった人も多いだろう。そう、あの『[[うっかり八兵衛>水戸黄門]]』こと高橋元太郎がうたのおにいさんだったのだ。 1976年3月までは、現在と違って曜日ごとに異なったコーナーが設けられていた。彼は1965年4月から毎週水曜日に放送されていた「うたいっぱい」というコーナーを担当していたおにいさんである。相方のおねえさんは『うたのえほん』の初代うたのおねえさん、真理ヨシコだった。 1980年代に登場した「たいそうのおねえさん」以外のおにいさん・おねえさんは、元々は別番組だった『うたのえほん』から代数カウントが始まっている為、別コーナーのおにいさんである元太郎さんは代数にはカウントされていない。 またこの当時は放送用VTRの再利用が一般的だった為、NHKにも当時の映像が残っておらず、人々の記憶から消し去られていたが、2014年に高橋自身が録画していたコーナー最終回のビデオテープの存在が判明したことにより、おにいさんとしての活躍が再確認された。 *初代: 田中星児お兄さん -担当年代: 1971年11月~1977年3月 『[[森永チョコボール>チョコボール(森永製菓)]]』のCMでお馴染み。 幼い頃から音楽に触れる事が多く、その中でめきめきと歌の実力を上げ、様々なコンクールを総なめにする実力派となっていた。 その実力が買われ、1971年から『おかあさんといっしょ』初の「うたのおにいさん」として登場する。番組内では自慢の歌唱力やギター演奏も行っていた。 ちなみに、うたのおにいさんのオーディションを受けた当時、同じくNHKで放送されていた若者向け音楽番組『ステージ101』の番組内グループ「ヤング101」のメンバーとして既にテレビ出演経験があり、うたのおにいさん在任中の1974年3月に『ステージ101』が終了するまで「ヤング101」メンバーとしての活動も行っていた。 2つの番組で活躍していた星児お兄さんは、子供達の人気者であると同時に、当時の若者の憧れの存在でもあったと言えるだろう。うたのおにいさんオーディションを受けたきっかけも、『ステージ101』の収録の為NHK局内に居た際に貼られていた募集案内を見た事であったという。 当初は森晴美おねえさんの後任という形で登場し、うたのおねえさんと隔週出演だったようだが、その後現在のおにいさん&おねえさんコンビでの登場となっている。 出演当時の映像も、この当時のVTR事情から現存するテープは全て家庭用ビデオデッキで録画された提供映像で、その一部は彼の母親が録画したものを後年本人がNHKに提供した物。 前述のゲンちゃんの紹介でも触れているが、1970年代も相変わらず放送用テープが高価な時代であり、漸く販売され始めた家庭用ビデオデッキ・テープも同様に当時としては相当な高級品だった。 その為、当時の家庭用ビデオデッキの機種の中には安価なタイプとして白黒映像でしか収録できない仕様になっている物も多かった。 出演当時、番組自体は既にカラー放送となっていたものの、こうした事情から白黒映像で録画された物が多く、彼の母親は少しでも多く息子の活躍を残す為、彼の出演していないパートは別の回や「ステージ101」等の他番組を上書き録画するなどして、彼の出演シーンを寄せ集めたテープにして保管していた為、番組としては断片的な映像になっている物が多い。 ちなみに、[[みんなのうた]]のイメージが強い「北風小僧の寒太郎」だが、実は初出は『&u(){おかあさんといっしょ}』。 「うたのおにいさん」登場に伴い、男性の低音ボイスで歌える「子供向けの演歌」として創られたと言う。 卒業後も抜群の歌唱力は健在で、現在もなお子供向けのコンサートなどで精力的に活動中。50周年記念コンサートでも北風小僧の寒太郎を歌いながら登場した。 『おかあさんといっしょ』以外では、『ビューティフル・サンデー』が著名だろう。 他にも『みんなのうた』で「ジャガイモジャガー」「エトはメリーゴーランド」などを熱唱しており、 作曲の「中山竜」というのは実は田中星児さんではないかとも言われている。 他にも、『[[GANTZ>GANTZ(漫画)]]』の「[[田中星人>田中星人(GANTZ)]]」のモチーフになったとのもっぱらの話。さすがにアニメ版では名前が変わっている。 なお、あの[[グッチ裕三>ハッチポッチステーション]]は従弟である。 *2代: [[水木一郎]]お兄さん -担当年代: 1976年4月~1979年3月 ……「&big(){!?}」となった人も多いだろう。そう、あの『アニキ』こと水木一郎が二代目うたのおにいさんなんだ&font(b){ゼェェェット!}((この書き出しだと、この頃からあのキャラなのかと思われそうだが、勿論この当時は後年のバラエティー番組で見られるような「ゼェェェット!」を連発する様なキャラでは無く、所謂爽やか系のお兄さんだった。)) 登場時から1977年までは上記の星児お兄さんと、それ以降は後述のたいらいさおお兄さんと並行して活躍していた。 1000曲を超える歌のレパートリーには「ちょんまげマーチ」などおかあさんといっしょの楽曲も含まれている。 アニキバージョンの「ちょんまげマーチ」は現在と比べてかなりテンポが速いのが特徴。また、時には自作の遊び歌をギター片手に披露することもあった模様。 この当時は日本コロムビア専属という事もあり、当時の「おかあさんといっしょ」関連レコードの中でも日本ビクター版だと星児お兄さん、コロムビア版だとアニキみたいな具合に収録内容を聞けばどこのレコード会社の物かわかる様な状態だった。((この状態は坂田おさむお兄さん・神崎ゆう子お姉さん時代まで続き、速水けんたろうお兄さん・茂森あゆみお姉さん時代にポニーキャニオンと日本コロムビアの2社に集約され、次の杉田あきひろお兄さん・つのだりょうこお姉さん時代に「うたのおにいさん・おねえさんの楽曲はポニーキャニオン、人形劇関連は日本コロムビア」と棲み分けが確立する様になった。おさむお兄さん・ゆう子お姉さん時代までの楽曲にアレンジ違いが多いのはこれが原因である。)) その関係で、当時の体操「スイッチ・オン!」のコロムビア版のレコードにはアニキ歌唱版が収録されており、それ故に「アニキ版が放送で使われていた」という誤った情報が拡散される遠因にも繋がっている。 卒業後も、30周年記念コンサートやETV(教育テレビ)50周年特番などで番組に関わっている。 それ以外での活躍は言うまでもないが、担当していた時期はちょうど『超電磁ロボ コンバトラーV』や「がんばれ!ロボコン」のOPなどを歌っていた頃である。 なお、前者のコーラス(V!V!V!V!の部分)を担当しているザ・ブレッスンフォーは、おかあさんといっしょ内でも「ぞうさんのあくび」「パジャマでおじゃま」でお馴染み。 2022年12月6日、肺癌のため74歳で逝去。最晩年は癌の転移の影響で満足のいく歌唱ができない中ステージに上がり続け、亡くなる9日前までコンサートに出演し、文字通り生涯現役を貫いた。 *3代: たいらいさおお兄さん -担当年代: 1977年4月~1979年3月 ポップス歌手としてデビューした1年後、うたのおにいさんに選ばれた。担当期間は上記の水木一郎アニキと並行している。 卒業後も様々な節目に登場し、2013年5月のコンサートでは大々的にゲスト出演を果たしている。 たいらお兄さんの出演当時の映像は、紹介される機会が少なかった事もあってか、2010年代までは「へんてこ通り三番地」を歌っている映像と最終出演回の映像の2本以外が取り上げられる事が皆無だった。 その為、前後のお兄さんたちに比べ、残っている本数が更に少ないと見られていたが、2020年にBSプレミアムの『ワンワンパッコロ!キャラともワールド』で「うたのおにいさんスペシャル」と銘打った回が放送された際に「ええとええとのうた」と「ミスタージャガイモ」の2曲が紹介され、貴重な映像が再び日の目を見る機会を得ている。 卒業後はアニソン歌手としての活動を開始、『[[復活のイデオン(伝説巨神イデオン/OP)>伝説巨神イデオン]]』『[[銀河旋風ブライガー(銀河旋風ブライガー/OP)>銀河旋風ブライガー]]』『最強ロボダイオージャ(最強ロボダイオージャ/OP)』『&del(){猪}渚にひとり(魔境伝説アクロバンチ/ED)』など多数の曲を歌い上げている。 『[[超時空要塞マクロス]]』のOPも最初は彼が担当する予定だったと言う。 1986年からは童謡歌手としても活躍するようになり、後任のうたのおにいさんたちの楽曲をカバーする事も多い。 その功績を称えられ、1995年には日本童謡賞特別賞を受賞した。 2023年4月には、[[ホロライブ>ホロライブプロダクション]]所属VTuberの戌神ころねの4周年記念ライブにゲスト出演し、『銀河旋風ブライガー』と『復活のイデオン』をコラボ歌唱。実写でVTuberと同じステージで共演した事や、その衰えない歌唱力で話題となった。 *4代: 宮内良お兄さん -担当年代: 1979年4月~1981年3月 現在の目で見てもかなりの美形と美声の持ち主で、在任中の2年間は奈々瀬ひとみお姉さんとの美男美女コンビで人気を博した。 就任当時の彼は20歳で、就任当時の年齢が歴代最年少のうたのおにいさんであった。 ちなみにこのペア、『おかあさんといっしょ』のうたのおにいさん・おねえさんペアとしては珍しく、おねえさん側がおにいさんより年上という組み合わせになっており、ひとみお姉さんの方が2歳年上だった。 しかも、当時のたいそうのおにいさんの瀬戸口清文さんも年上、番組進行役だった元たいそうのおにいさんの輪島直幸さんも年上なので、「全出演者の中で最年少者がうたのおにいさん」というそれ以前も以後もあまり見受けられない布陣が取られていた事になる。 その就任時の若さと自身の後任お兄さん達が3人続けて年上((林アキラお兄さんは良お兄さんと同学年だが、良お兄さんが早生まれのため僅差でアキラお兄さんが年上))だった事から通常なら当時現役のお兄さんが当てはまるであろう「うたのおにいさん経験者の最年少者」が、就任から卒業を経て8代目の速水けんたろうお兄さんが登場するまでの14年間に亘り良お兄さんだったという珍しい記録を持つ。 ここからうたのおにいさんとおねえさんの交代時期が同じという場合が多くなっており、ひとみお姉さんとは同時登板し、同時降板した。 この頃より放送用VTRが一部ではあるが保管されるようになっているようで、本放送当時の画質で映像が現存している最初のうたのおにいさんでもある。 当時の代表曲には「ジャングルポケット」や「わらいねこハッピネス」など後々まで歌い継がれるものも数多い。&s(){「ジャングルポケット」は後に[[競走馬>ジャングルポケット(競走馬)]]の名前の由来となり、そこからから芸人・[[ウマ娘>ウマ娘 プリティーダービー]]にも派生したのは別の話} 卒業後も引き続き様々な番組に出演、「みんなのうた」でも自慢の歌声を披露している。 現在も歌手として活躍する一方、ミュージカル俳優や得意のタップダンスを活かした演技指導や歌唱指導など多方面で活動している。 また、2007~2009年にディズニー・チャンネルで、オーストラリアの人気お子さま向けバンドThe Wigglesが主演の子供向け番組『ザ・ウィグルス』『ウィグルス放送局』が放送された。 この日本語吹替え版ではグループのメインボーカル、要は現地版うたのおにいさんとも言えるグレッグ・ページ氏役を担当。 大柄な白人男性であるグレッグから良お兄さんの声というインパクトもさることながら、番組内の楽曲も原則吹替えだったため実質宮内良アワーとなっていた。 おかあさんといっしょ以外のアニメ楽曲では『黄金戦士ゴールドライタン』のOPが有名だろう。ほかに『タイムブックの歌(アニメ親子劇場/OP)』も代表作。 *5代: かしわ哲お兄さん -担当年代: 1981年4月~1983年3月 担当当時は後述の林アキラお兄さんや、歌のお姉さんのしゅうさえこさん(さっこおねえさん)と言うトリオバンド形式で番組の進行を担当していた。 うたのおにいさんになる前はシンガーソングライターとして活躍していた経歴を持ち、「きみのなまえ」「どんなかお」「スズメがサンバ」などの楽曲の作詞・作曲を手掛けている。 通称「てっちゃん」と呼ばれており、「〇〇お兄さん」と呼ばれる事の多いうたのおにいさんの中ではかなり珍しい、ニックネームが呼び名となっているお兄さんだった。 番組卒業後もロックバンドのメンバーなど精力的に音楽活動を続け、『[[みんなのうた]]』へ曲を提供した事もある。 おかあさんといっしょ50周年記念特集では久々に3人が集まっている。 2020年8月、番組に久しぶりに楽曲提供した。タイトルは「ブー!スカ・パーティ!」。2021年に同楽曲の登場人物の被り物をした特集が放送された際に顔出しで出演もしている。 *6代: 林アキラお兄さん -担当年代: 1981年4月~1985年3月 上記のてっちゃんと同時に登場。 最初はトリオ編成だったのだが、1983年以降は新任の森みゆきお姉さんとのコンビ体制となった。 代数カウントの際には、かしわ哲さんと同時就任である事から5代目を2人としてカウントし6代目を欠番とするケースと、卒業時期が後であるアキラお兄さんを6代目とするケースが見受けられるが、周年記念の特別編成やコンサートではアキラお兄さんを「6代目うたのおにいさん」として扱うケースが多い為、本項でも6代目として扱うこととする。 幼い頃からエレクトーンやミュージカルなど様々な音楽の分野に携わっており、『おかあさんといっしょ』の楽曲の作曲を多数担当している。 「こねこのパンやさん」「ほしぞらカーニバル」「ブラボー!ブレーメン」「そよかぜスニーカー」など現在でも有名な曲もアキラお兄さんの作品である。 卒業後も引き続きミュージカルや歌唱指導、そして歌手など多方面で活躍中。 現在は演じる役柄の傾向などもあり口髭がトレードマークになっているが、うたのおにいさん当時のイメージを守る為、卒業後の番組へのゲスト出演など「うたのおにいさん」要素が絡む仕事の際には髭を剃った姿で出演している。 直近では、2020年度にファミリーコンサートが新型コロナウイルス感染症拡大防止の為に全公演中止になった事で、代替として企画されたスタジオライブで楽曲のピアノ編曲を担当。 4回目からは自らピアノ伴奏として出演して当時の歌のお兄さん、お姉さんのゆういちろうお兄さん・あつこお姉さんペアと共演しており、翌年度のファミリーコンサート再開後の最初の公演のゲストとしても登場するなど、再び番組との関わりが深くなっている。 ちなみに現在恒例になっている引退時の引き継ぎ出演は、このアキラお兄さんの発案によるものだと言うが、4代目うたのおねえさんである水谷玲子おねえさんも同様のことを行っていたとする見解もあり、元祖であるかは不明である。 しかし、アキラお兄さんの卒業以降は出演者交代の際に引き継ぎ出演が定型化したのは確かな様で、以降の出演者交代があった年度では、最終日やファミリーコンサートなど、何らかの形で新旧出演者の共演が行われている。 そして、彼から「うたのおにいさん」を引き継いだのは…… *7代: 坂田おさむお兄さん -担当年代: 1985年4月~1993年3月 「うたのおにいさん」と聞いてこの人を思い浮かべる方はかなり多いのではないだろうか。 足掛け8年の担当期間は&bold(){歴代2番目に長く}、その後も楽曲提供など様々な形で「おかあさんといっしょ」に関わり続けている。 87年までは森みゆきお姉さん、それ以降は神崎ゆう子お姉さんとコンビだった。 ちなみに、おさむお兄さん本人が後年聞いた話によると、みゆきお姉さん卒業の際、就任から2年しか経っていないおさむお兄さんも同時に卒業する案があり、一度はその方向で大筋が決まりかけた。 しかし、その話し合いの場に同席していた作曲家で、当時うたのおにいさん・おねえさんの選考オーディションや歌唱指導を担当していた福田和禾子先生が「坂田君はまだ2年目だし、もっと伸びるはずだからもう少し歌ってもらいませんか」と進言した事により続投が決定。最終的にそこから6年間続投する事になった。 これがきっかけとなったかは不明だが、それまで2〜3年おきに行われていたうたのおにいさん・おねえさんの交代がこの時期を境に交代までのスパンが長くなり、4人のおにいさん・おねえさんの組み合わせが同一メンバーで5年前後続く事も増えている。 この頃から収録VTRの保管が一般的になり始めた為、出演当時の映像がほぼ全放送回現存する最初のうたのおにいさんであるが、全てが放送用VTRというわけではない。 出演初期の1985年4月からの3ヶ月程度の一部放送、及び1990年度以降の全放送回とファミリーコンサートなどの一部特別版等を除くと、当時の送出状況確認用に使用していた家庭用ビデオでの録画映像から抜粋という形での全編現存という形になっている為、一部は当時のニュース速報テロップが重畳されていたり、番組自体の休止で欠落している可能性がある放送回もあるとみられる。 その一方で、出演末期の1年半においては、ファミリーコンサートが試験放送用にハイビジョン映像での収録が実施されている為、30年以上前のおさむお兄さんの映像が当時としては異例の高画質で現存していたりもする。 なお、卒業後もBSの姉妹番組『あさごはんだいすき!』でうたのお兄さんを担当。 [[ニャンちゅう]]が登場する番組にもおにいさん時代を含めて2年間レギュラー出演し、以降も2005年春頃まで時々出演していた。 また、50周年記念コンサート「星空のメリーゴーランド」では自称&b(){真打}など、偉大さは大きい。 そして、テレビ放送こそ無い為ファミリーコンサート程の知名度は無いのだが、「おかあさんといっしょ」には現在放送中の人形劇キャラクターと「おかあさんといっしょ」や他のステージショー・子供向け番組の歴代おにいさん・おねえさんが登場するステージイベントツアーが長年存在しており、おさむお兄さんは&b(){2020年現在でも}うたのおにいさんとして参加してるバリバリ現役のうたのおにいさんなのである。 その為、見方によってはおさむお兄さんを知る世代は潜在的には今現在の子供達も…と言う事にもなり得るのだ。 一方で50周年時に放送された特別番組では隕石にぶつかり記憶喪失になり、歌が好きということ以外すべて忘れたため、どーもくんと共犯して歌のカプセルを窃盗したことがある。 このときは[[じゃじゃまる、ぴっころ、ぽろり>にこにこぷん]]に「どこかで見たことある」と言われていた。 元はシンガーソングライターであり、現在に至るまで多数の楽曲を提供している。 そもそも、おさむお兄さんと「おかあさんといっしょ」の繋がり自体もうたのおにいさん就任前の1983年、知り合いの作詞家(番組で長年放送された体操「ぞうさんのあくび」を作詞した遠藤幸三氏)の紹介で、当時の「おかあさんといっしょ」番組プロデューサーに楽曲の売り込みに行った際に楽曲提供を勧められた事から始まっている。 その為、前任のアキラお兄さんや共演者となるみゆきお姉さんとは、うたのおにいさん就任以前に楽曲提供者の「坂田修先生」としてレコーディングスタジオで対面したのが最初の出会いだった。この時はその「坂田先生」ことおさむお兄さんが、アキラお兄さんの後任のお兄さんとなるとは誰も思っていなかったはずなので、まさに運命の不思議さを感じさせるエピソードであると言えるだろう。 就任後、そして番組卒業後も数々の曲を書き下ろしては番組に提供しており、「どんな色が好き」「ぼくらのロコモーション」「にじのむこうに」「あしたははれる」「公園にいきましょう」など、現在童謡のスタンダードになっている曲も数多い。 詳細は&font(b,u){[[単独項目>坂田おさむ]]}を参照。 *8代: 速水けんたろうお兄さん -担当年代: 1993年4月~1999年3月 こちらもうたのお兄さんの代表格として思い浮かべる人はかなり多いだろう。 長身の爽やかなスタイルと、それに負けない美声で、茂森あゆみお姉さんと共に数多くの曲を歌い上げた。 特に「[[だんご3兄弟]]」は爆発的な人気を博した事でも知られている。卒業直後にはこの歌で紅白に出場。 ほかに人気だった曲は元祖「[[おかあさんといっしょのトルコ行進曲]]」、卒業直前の今月の歌で、自身が作詞作曲した「あつまれ!笑顔」といったところか。 一方でこの頃からダンスも本格化し始め、歌のPVにおいて様々な着ぐるみを着たり、コスプレしたりする機会も多くなっている。また、体操のお兄さん、ダンスのお姉さんがバックダンサーとして踊ることも増えた。 中でも「イカイカイルカ」はもはや伝説だろう。((この伝説はだいすけお兄さん、あつこお姉さんペアおよび、ゆういちろうお兄さん、まやお姉さんペアで再現された。)) 同期の茂森あゆみお姉さんや佐藤弘道お兄さん、1年遅れて1994年から登場した松野ちかお姉さんの4人組の中で最も年上だった事から、現役当時は地方コンサートのミニミュージカルで弘道お兄さんから「若年寄」と呼ばれるなどの年長者イジリネタが織り込まれたりもしていた。 しかし、実際には公私共々頼れる兄貴分として慕われている様で、後述のTwitterでは現在も芸能活動をしているけんたろうお兄さん・あゆみお姉さん・弘道お兄さん間で度々仲睦まじいやり取りが繰り広げられている。 元は「谷本憲彦」名義で歌手として活動しており、デビュー当時はムード歌謡歌手、後にアニソン歌手に転向した。しかし、なかなかヒット作に恵まれない時期を過ごしていた中で1992年に歌手デビュー当時にお世話になったレコード会社の宣伝マンに再会。 その方は「おかあさんといっしょ」のプロデューサーとの付き合いが有り、同時期にうたのおにいさんの選考オーディションの予定がある事を聞かされていた事から、けんたろうお兄さんにその話を勧めてきた。 丁度この時期にけんたろうお兄さんの息子さんが番組を視聴していた事もあって、父親として番組の存在を認知していたけんたろうお兄さんは「こういう歌の世界もあるのか」とオーディションに参加し、見事うたのおにいさんに合格。 余談だが、これと前後して息子さんの為にと番組収録に応募していたハガキが当選するミラクルが発生しており、時期がもう少しずれていたら前代のおさむお兄さんに続き2代連続で「就任直後に自身の子供とスタジオ共演」という珍事が発生する所であった。 当選ハガキに書かれた収録日はおさむお兄さんとゆう子お姉さんが卒業目前の時期だった事からこれは実現しなかったものの、同時期に新しいお兄さん・お姉さん達は研修期間としてスタジオに来た子供達のお世話係を務めていた((この研修は歴代おにいさん・おねえさんが必ず通る道らしく、歴代出演者が卒業後にこの研修を当時のエピソードとして語るケースも少なからずある))為、収録現場には父親であるけんたろうお兄さんも居合わせており、その時の事を覚えていた息子さんが、新年度の放送でおさむお兄さんに新しいうたのおにいさんとして紹介される父親の姿を見て「パパだけまた行っててズルい」と怒っていたと言う何とも微笑ましいエピソードがあったりする。 なお、けんたろうお兄さんの在任中にもう1人息子さんが産まれており、大人になった現在は「隆成」の芸名でシンガーソングライターとして活動している。 隆成さんのYouTubeチャンネルでは、一般人である兄と父親であるけんたろうお兄さんの3人で撮影した動画もアップされている。 就任初期の頃は「うたのおにいさん」と「アニソン歌手」との棲み分けを考えていた節があるようで、うたのおにいさんは「速水けんたろう」、アニソン歌手としては「谷本憲彦」と2つの名義を2年ほど使い分けていた期間がある。 実際にうたのおにいさんの初期と並行して放送されていた『[[疾風!アイアンリーガー]]』では後者名義で主題歌を歌っていた。 その後、うたのおにいさん就任から2年経った1995年に放送された『超力戦隊オーレンジャー』や、番組卒業直後の1999年放送の『燃えろ!!ロボコン』などではお馴染みの「速水けんたろう」名義で統一している。 2010年11月のコンサートではかまだみき共々ゲスト出演した。 2011年7月に交通死亡事故を起こしたため、2011年7月から2012年4月の間は活動を自粛していたが、その直前までは声優としてアニメ出演もしていた。 復帰後は舞台や各地のコンサートで顔を見せている。なお現在の所属事務所は[[れっしー>中尾隆聖]]やガタラットの中の人達がいる81プロデュース。 元々声優以外の活動はお兄さん当時から個人事務所で行っており、81プロデュースとは声優活動のための「声のみ預かり」の形での所属となっていたが、復帰に先駆けて2011年時点で正式な所属となっている。 2015年からは本格復帰となり、2015年5月のコンサートではポコポッテイトのメーコブのそっくりさん、ダンの声を担当したり(なお、メーコブの声もひなたおさむお兄さんなので、このペアは歌要素が強かった)、2016年4月の歌「あおうよ!」の作曲を担当したりするなど、再びおかあさんといっしょに関わっている。 前代のおさむお兄さん同様に、歴代おにいさん・おねえさんが出演するステージイベントにも出演しており、その時にコンビを組むうたのおねえさんは、これまた知名度抜群、歌唱力抜群の[[はいだしょうこ]]お姉さんなので、見応えはお墨付きと言っていいだろう。 ファンの念願かなって、懐かしのNHKの出演者やキャラクターがゲストとしてやってくる「ワンワンパッコロ!キャラともワールド」にも出演し、あゆみお姉さんとも久々の共演が実現した。 60周年記念コンサートにもゲスト出演し、この時は過去の周年記念で定型となっていた直近の歴代おにいさん・おねえさんから順に登場する形ではなく、あゆみお姉さん共々、歴代おにいさん・おねえさんの先陣を切って最初のゲスト出演者として登場。 かつて子供時代にけんたろうお兄さん・あゆみお姉さんを見ていたであろう客席のお父さん・お母さん達から歓声が上がった。 2020年からは出演時期が異なる「おかあさんといっしょ」のおにいさん・おねえさん4人(たいそうのおにいさんの天野勝弘お兄さん、けんたろうお兄さん、うたのおねえさんのつのだりょうこお姉さん、「ズーズーダンス」・「ゴッチャ!」のおねえさんのいとうまゆお姉さん)で『みんなで健康になる』事をコンセプトとしたYouTubeチャンネル「けんこうらんど」を立ち上げた。動画内では様々な企画で身体を張っている姿を見せている。 また、同じ2020年にTwitterを始めたのだが、時折「こんなん出てきた。」という一言と共にうたのおにいさん当時の懐かしい写真やグッズを撮影して投稿することがあり、往年のファンを懐かしくさせてくれることがある。 特にその第1弾で『虫歯建設株式会社』の実写版クリップを撮影した際の虫歯菌コスの写真を投稿した時には、それを見たあゆみお姉さんが便乗して同じクリップでの自身の写真を投稿。更にそれを見た弘道お兄さんは毛色を変えて、このクリップ撮影から数年後にゆうぞうお兄さん・しょうこお姉さん時代の地方コンサートでやったミニミュージカルで演じた虫歯菌の写真を投稿し、1993年就任の同期兄姉3人による「虫歯建設株式会社」リレーが実現して話題となり、ネットニュースに取り上げられる事態となった。 2020年4月、新型コロナウイルスに感染してしまうが、5月上旬に無事回復。 2024年1月にはフジテレビの昼の生番組「ぽかぽか」にあゆみお姉さん・あつこお姉さんと共にゲスト出演。民放バラエティに久方ぶりの出演だったが、お兄さん時代のエピソードで盛り上げたのはもちろん、カラオケ採点で、1コーラス歌って何点取れるのかを出演者と観客が予想する企画では、桑田佳祐の「明日晴れるかな」を歌い、点数が低くなりがちな1コーラス歌唱で91.435点という高得点をマークし、うたのおにいさんとしての面目躍如ぶりを見せた。 *9代: 杉田あきひろお兄さん -担当年代: 1999年4月~2003年3月 劇団四季出身というミュージカル肌のお兄さん。 歴代でも珍しい低音ボイスが特徴的で、それを活かした曲も多い。 この頃には「かっぱなにさま?かっぱさま!」や「たこやきなんぼマンボ」などがヒットしている。 卒業後も各地のコンサートやミュージカルで自慢の美声や演技力を披露しており、同期だったつのだりょうこお姉さんとの共演も多い。 あきひろお兄さんが登場した1999年は、「おかあさんといっしょ」の放送開始から40周年を迎える事を受けての大規模リニューアルが敢行された年。 このリニューアルによって、うたのおにいさん・おねえさんの出演時間が従来より激増し、オープニング後から歌のコーナーが始まる編成がスタートすることになった。 さらに2000年には、1997年以降段階的に行われた放送時間の前倒しにより、従来の「こんにちは〜!」の挨拶が時間帯的に合わない(当時の本放送時間は朝8:30~8:59)事から、「みんな、元気〜?」とテレビの前やスタジオに来た子供達に呼びかけるスタイルの挨拶((あきひろお兄さん・りょうこお姉さん当時は現在と若干異なり、あきひろお兄さんが「やっ!みんな」と声をかけてから2人で「元気〜?」と呼びかけるかなり気さくな形式で、後任のゆうぞうお兄さん・しょうこお姉さん時代前期の2004年度辺りまではこの形が踏襲されていた。))がスタートし、おにいさん・おねえさんが進行役を務める日替わりコーナーがスタート。 就任前期に、2021年現在の「おかあさんといっしょ」の形式を確立させたお兄さんでもあるのだ。 ちなみにかなりの&font(b){色黒}であり、卒業後に「VS嵐」にゲスト出演した際は[[嵐>嵐(アイドルグループ)]]の面々にも突っ込まれていた。 当初は他のお兄さんを意識した姿だったが、色黒になったりさらに髪を伸ばして茶髪になったりするなど、チャラいお兄さんとなった。ただ、チャラそうなのはあくまで見た目だけであり、番組内での振る舞いは自然体そのものだったことも追記しておく。 なお、この頃からコンサートも歌のみならずミュージカルやダンス要素もかなり多くなってきたためか、あきひろお兄さん以後のうたのおにいさんはBS勢も含めて「劇団」経験者が続いている。 2016年4月14日、覚せい剤を所持していた疑いで逮捕されてしまった。先代のけんたろうお兄さんとは罪のレベルが違いすぎるため、NHKの復活は難しいのではないかと思われていた。 しかし、2019年の60年スペシャルではゲスト出演こそ無かったが、ゲスト出演したりょうこお姉さんの自己紹介や当時の映像であきひろお兄さんの事が紹介されており、60周年記念のCDアルバムにも歌唱曲が収録されてジャケット写真にもおにいさん当時の写真が使われるなど、あきひろお兄さんがうたのおにいさんだったと言う事が「無かった事」扱いされなかったのは救いと言える。 裁判で執行猶予付きの有罪判決が出た後は、依存症リハビリの為、長野県の依存症回復施設「長野ダルク」に入所しリハビリを行いながら、長野県内でコンサートを行うなど歌手活動を再開した。 2019年には執行猶予が明けた事から長野ダルクを退所。引き続き長野県内に生活拠点を置き、自身の経験を活かして依存症予防教育アドバイザーとしての活動も行う一方、介護士の資格取得に向けて介護施設でも勤務し、歌手活動も継続する二足の草鞋ならぬ三足の草鞋で活動。 2019年6月からTwitterを始めた。また、2021年3月の厚生労働省の生配信ライブの際に久しぶりに相方のつのだりょうこお姉さんと再会し、ニュースにもなった。 この再会がきっかけで、りょうこお姉さんのYouTubeチャンネルでリモートコラボの形で「銀ちゃんのラブレター」を歌う動画がアップされ、あきりょうコンビの復活が実現した。 同年には生活拠点を再び東京に戻し、歌手活動を本格化させた。 活動再開以来無所属での活動だったが、2022年8月に事務所所属となった事、同時に喉頭癌を患っていることをTwitterで告白。 同月末より入院・通院で放射線と抗癌剤による化学療法での治療を開始し、公表時点でステージⅢに進行していた癌であったものの治療の甲斐あって10月から活動再開できるまでに回復し、再び精力的に活動している。 また、2023年には前年に所属した事務所がある兵庫県神戸市に生活拠点を移す事を公表。新たな地で更に活動を活発化させている。 そして同年9月、恒例の秋のNHKホールのコンサートにてあきりょうコンビがゲスト出演する事が発表。流石に声のみでの参加となるが再びおかあさんといっしょへ携わる事になり、往年のファンを喜ばせた。 *10代: 今井ゆうぞうお兄さん -担当年代: 2003年4月~2008年3月 [[はいだしょうこ]]お姉さんと合わせて美男美女コンビ(とはいえ、髭面の眼鏡姿も目撃されており、オンとオフのギャップが大きい)。 元は劇団四季やディズニーランドのパレードダンサーとして活躍していただけあって、ダンスなどの動きが非常に綺麗。 宝塚出身のしょうこお姉さんと合わせて、PVやコンサートなどでその腕前を存分に発揮している。 独特の歌声や良くも悪くも自然体なスタイルは色々と賛否両論のようだが、歌に関してはあの「[[地球ネコ>平沢進]]」をお姉さんと一緒に歌い上げたと言う実力を忘れてはならない。 現在の番組を代表するナンバー「ぼよよん行進曲」は、ゆうぞうお兄さん・しょうこお姉さん時代の初出で、2019年の60年スペシャルにゲスト出演した際にも自己紹介でその事に触れ、各地のイベントでも度々歌っていたりと、出演当時の代表曲として知られている。 &font(10,l){ちなみに絵は[[かなり上手い>スプーのえかきうた事件]]。} 卒業後はドラマなどに多数出演し、各地での舞台やファミリーコンサートでの活躍もしていたが、2020年12月、脳出血により43歳という若さでこの世を去った。 亡くなる2週間前、地元の徳島で開催されたコンサートの最中にステージから転落するハプニングが発生しており、更に亡くなる数日前にはブログで目の充血といった不調を記してブログの更新を控えると投稿していた矢先の訃報だった。 他のおかあさんといっしょのお兄さん、お姉さんともプライベートで交流があり、多くの仲間達はもちろん、ゆうぞうお兄さん時代の番組を見て育った当時の子どもたちや、親たちが追悼コメントを出すほど愛されていたお兄さんだったことが伺える。合掌。 逝去後の2021年4月にはメモリアルブック「ありがとう 今井ゆうぞうお兄さん」が出版された。 *11代: 横山だいすけお兄さん -担当年代: 2008年4月~2017年3月 子供の頃から音楽が好きで、合唱団や音楽学校などで少しづつ腕を上げる中で、子供たちに音楽の楽しさを伝える「うたのおにいさん」を目指すようになった。 その後も音楽大学や劇団四季などに在籍したり、自らうたのおにいさんのなり方を調べてレポートを書いたりと、絶え間ない努力を続けた結果、見事に夢を叶えたと言う凄い人である。 また、うたのおにいさんの&b(){一次募集を見落としてしまった}が、ダメ元でNHKに確認を入れたら、&b(){ちょうど追加募集が決まった}ところだったという強運の持ち主でもある。運も実力のうち。 同じくおかあさんといっしょファンだったと言う三谷たくみお姉さんとの名コンビは、2015年度まで8年間続き、2016年4月からも続投したためその任期はおさむお兄さんを超えた&b(){歴代最長の9年間}となった。 また、たくみお姉さんとの共演記録も、歴代お兄さん&お姉さんコンビでは最長。 2016年4月からは小野あつこお姉さんという、新しいうたのおねえさんとのコンビとなり、うたのおにいさんとしては、坂田おさむお兄さん以来となる2人のお姉さんとペアを組んだお兄さんとなった。 あつこお姉さんとのペアは、翌年のだいすけお兄さんの卒業で1年限りとなったものの、これ以降も60周年コンサートや映画「おかあさんといっしょ」の第2作目などでだいすけお兄さんがゲスト出演する形で時折復活している。 「ドンスカパンパンおうえんだん」が着うたを中心に大ヒットを記録した他、「ドコノコノキノコ」など様々な名曲が生まれている。 なお後者の曲では、ビューティフルサンデーで現役最終年度の1976年に出場した星児お兄さん、番組を卒業した1999年にご存知だんご3兄弟で出場したけんたろうお兄さんに次ぐ、3度目のうたのおにいさんの紅白出演となった(但し、番組内企画コーナーへの出演の為正規出場としてはカウントされていない)。 -「リンちゃんどうする?」でリンに正体を見破られて妖怪の着ぐるみ姿になったり(たくみお姉さんも同様) -「シンデレラのスープ」でスープを飲んでシンデレラになってしまっただけでなくガラスの靴がぴったりなのがまさかの自分だったというオチがあったり -「歌い亭だいすけ」という高座名を持っていたり((この高座名は、2013年新春特別編で番組に長年レギュラー出演していた落語家の古今亭志ん輔師匠を司会に迎え、[[笑点]]の大喜利のパロディ企画を敢行した際に名乗ったもの。因みに、だいすけお兄さんはその5年後、番組卒業翌年の2018年正月に本家本元の笑点お正月スペシャルにて振袖大喜利の座布団運びを務めており、本家笑点メンバーとも共演した。特に、本家座布団運びの[[山田隆夫]]さんは1980年度に『どんどんどん』と言う土曜日の『おかあさんといっしょ』で放送されていた野外遊びコーナーのお兄さんを務めていた経歴がある為、本編では触れらていないが密かに『おかあさんといっしょ』のお兄さんOB同士の共演が実現していた。)) …と、同期の体操のお兄さんである小林よしひさ共々、ネタ路線も強い。 ただ、出演当時あまりにその路線が強すぎた故に、「おかあさんといっしょのお兄さんお姉さん=変顔」というステレオタイプ染みた印象が持たれてしまったらしく、番組卒業後の民放バラエティ出演の際、度々変顔を要求される事態にも陥っていた。 2013年4月から2017年3月まで、『かぞえてんぐ』とか言うお兄さんそっくりの謎の天狗が番組内で目撃されていた。特徴としては数を数えることが大好き、「てんにちは」と挨拶する、「ナ~ッハッハッハ!」と笑うとの情報が寄せられている。 よくミーニャと数を数えていたが、2016年4月からはイメチェンしてチョロミーと数を数えているようだ。 なお、彼の家庭生活も公開されていて、家でも数を数えまくっているらしい。 2017年2月に同年3月いっぱいでの番組卒業を発表し、かつ他のレギュラー陣は続投するため、この番組では珍しく独りだけで巣立つことになった。同時に先述の謎の天狗も旅に出てしまったらしく、番組から姿を消した。 しかし、コーナー終了後に実際にいろんな場所で数えながら旅をしている様子がDVD化され、以降も事あるごとに年1ぐらいのペースで何かしらの形で目撃されるなど、だいすけお兄さんに負けず劣らずな人気者ぶりを見せている。 卒業時はおそらく、ほかのどの歌のお兄さんよりも惜しまれたであろう。卒業直後にAmebaで公式ブログを始めたが、本人も驚くほどアクセスが集中し、読者も爆発的に増えた。 また、たくみお姉さんに次いで卒業アルバム「だいすけお兄さん、ありがとう、また会う日まで」が発売された。 卒業直後の仕事としては舞台版「[[魔女の宅急便]]」でオキノ役を務めたり、2017年の映画「[[トムとジェリー]] 夢のチョコレート工場」でウィリー・ウォンカの声を担当したりしている。 また、バラエティ番組にも引っ張りだこ状態。最近ではスペシャルキャスターとして月1回、日本テレビの「news every.」にも出演しており、ニュースからバラエティまで幅広くこなすファミリー層向けマルチタレントの地位を確立。 本業の歌手・俳優としてもCDリリースや舞台出演など、出来る仕事はなんでも来いと言わんばかりの活躍を見せている。2022年にはAmazonプライムの動画「The Masked Singer 2」にも出演した。 卒業会見の際に、番組60周年(2019年)を控える中で新しいお兄さんに引き継いでいきたいと番組の今後を考えての申し出だった事を明かすなど番組への想いは現役当時から強く、その60周年イヤーの特別編成の収録の席で5代目の哲ちゃんことかしわ哲さんが何気なく発した一言を実現する為に奔走し、2021年に哲ちゃん、おさむお兄さん、けんたろうお兄さん、だいすけお兄さんの4人で「Oh!23's」なるユニットを組んで「うたのお兄さん'sファミリーコンサート」を開催。 元々歴代出演者の繋がりが深い「おかあさんといっしょ」の中でも、一際それを大事にしている様子が窺われる。 *12代: 花田ゆういちろうお兄さん -担当年代: 2017年4月~ 2023年9月末現在のうたのおにいさん。 引き継ぎ式に登場したときは、だいすけお兄さんたちと「にじのむこうに」を歌った。 初めての今月の歌「そよかぜスニーカー」で早速ロケをする、就任初日から早速日替わりコーナー「しりとりれっしゃ」の新人車掌として活躍と、早速視聴者に強い印象を残した。 1年先輩であるあつこお姉さんとのハーモニーは、年数を重ねるごとに魅力を増し、童謡や番組発祥の歌に留まらず、2020年度に放送されたスタジオライブでは普段の放送では流れないようなJ-POPのナンバーも歌い上げるなど、まさにベストマッチと言えるレベルにまで進化している。 2021年度からは、6年間出演した番組を卒業するあつこお姉さんに代わって登場するながたまやお姉さんとペアを組む事になり、先代のだいすけお兄さん同様、最初にペアを組んだお姉さんを見送って新たなお姉さんと共に続投している。 ルックスの爽やかさと表情豊かな語り口で人気な一方、番組内では少々ヘタレキャラな一面を見せる事があり、お化けが絡んでくると物凄く怖がってしまうというシーンが多々見られる。親近感が求められるうたのおにいさんとしては、それもまた良さだったりする。 だいすけお兄さんと同じ国立音大声楽科を卒業((先述のながたまやお姉さんも国立音大出身で在学中にオーディションを受け、就任直前に同大学を卒業している為、大学の先輩後輩同士のペアとなっている。))後、戦前から続く劇団文学座の研究所に在籍していたことから、歌唱力に加えて演技力もお墨付きであり、うたのおにいさん就任前までは舞台・ミュージカル・ソロライブなどマルチに活躍していた経歴を持つ。 番組内では坂田おさむお兄さんが作った「すてきな言葉」を自らピアノ伴奏仕様に編曲し、弾き語りで披露するという曲作りの才能が垣間見える一面を見せた事もあるので、もしかしたら歴代先輩達同様に番組の為に曲を作って披露してくれる日が来るかもしれない。 なお、このクリップは最新ソングブック「ブー!スカ・パーティ!」に収録されている。 登場早々、ゆういちろうお兄さんそっくりの不審者の目撃情報が寄せられた。 シルクハットに眼鏡をかけ、ちょび髭を生やした男とのことで、影が大好きだという。そしてその男は「シルエット博士」と名乗っている。 目撃者であるムームーの証言によると、「突然這いつくばって僕の影を見てきた」とのこと。 そのムームーは彼との交流を重ねるにつれ、博士のトリコになり、博士もまた彼の熱意を認めたのか、出会って1年程でムームーは弟子となり、博士のシルエット博物館の合鍵を預けられる程の信頼を得た後、ガラピコぷ〜終了目前の2021年度最終回でとうとうムームーも博士になった。 2022年度からは、ファンターネ!のメインキャラクター3人が交代で博士のところにやってきている。 2022年度からゆういちろうお兄さんに声がそっくりなピンク色の知りたがりなカエルの「けけちゃま」なるキャラクターも登場しているが、こちらとの関係性は不明らしい…。 彼は非常に知りたがりで、週替わりでまやお姉さん、まことお兄さん、あづきお姉さんとトークしている。 なお、2022年8月に三人と同時にトークした時は、「ゆういちろうちゃまとはまだお話したことがない」と語っていることから、一応けけちゃまとゆういちろうお兄さんは別人扱いである模様。2023年1月のお正月スペシャルで遂に共演が実現。『はじめて はじめまして』をデュエットした。 *BS版: ひなたおさむお兄さん -担当年代: 2002年4月(番組開始)~2010年3月(番組終了) かつてNHK BS2で放送されていた『BSおかあさんといっしょ』のうたのおにいさん。 幼い頃から少年合唱団に所属していた実力派で、大学時代には抜群の歌唱力が買われてあの劇団四季から直々にスカウトされたほど。 その後も多方面で活躍を続ける中、憧れであった「うたのおにいさん」のオーディションに見事合格した。 番組内では「うたのおねえさん」であるかまだみきお姉さんを始め、「たいそうのおにいさん」恵畑ゆうお兄さんと共演する事も多く、実質トリオ体制で活躍していた。 特にゆうお兄さんは元々うたのおにいさん志願だった事もあり、男声デュエットで歌いあげる事も多かった。 卒業後も活躍を続けているが、特に有名なのは人形劇「ポコポッテイト」のメーコブ役だろう。 歴代うたのおにいさんがこういう形で再登板するのは初の出来事で、メーコブとしても美声を披露し続けた。 各地の地方コンサートではもう一人の「おさむお兄さん」である坂田おさむさんとの共演も多い。 *◆うたのおにいさんのリアル 「うたのおねえさん」は、一部例外はあるが現役音大生や音大卒生と言った新人声楽家がオーディションで選ばれる傾向があるが、「うたのおにいさん」については、これまでの歴代おにいさんの紹介で述べてある通り、就任前の経歴が「うたのおねえさん」に比べ多種多様に及ぶ。 まず、応募者を募る際には「うたのおねえさん」同様音楽大学やミュージカル劇団に募集がかかる場合が多い。このパターンの例としてはアキラお兄さんが該当し、大学4年当時にオーディションを受け大学卒業と同時にうたのおにいさんに就任した。 その一方で、一郎お兄さんやおさむお兄さんのように、既に歌手として活動している人にオファーが来ることもあり、音大卒の学歴を有しているお兄さんでも、だいすけお兄さんやゆういちろうお兄さんの様に劇団で活動してキャリアを積んだ状態でオーディションを受けた例も存在している。 こうした事情もあってか、けんたろうお兄さんまでのうたのおにいさんの中には「おかあさんといっしょ」出演中に他の芸能活動を並行していたおにいさんも多かった。 募集が数年に一度、合格枠はそれぞれ1人分だけということを鑑みれば予想はつくが、大変な難関であり、その倍率はおよそ&font(b){600倍}と言われている。((因みに『サラリーマン金太郎』や「特命係長 只野仁』で知られる俳優の高橋克典は、かつてうたのおにいさんのオーディションを勧められて受けるもあっさり落ちたというエピソードを明かしている。年齢と芸能活動のキャリア等から恐らくけんたろうお兄さんが合格した1992年頃のオーディションの話だった模様。)) 更にそれだけの志願者がありながら、交代記者会見まで出演者の交代予定は秘匿にされる為、一般向けにオーディション情報が公にされる事はまず無い。「うたのおにいさん オーディション」とかでネット検索かけたら募集要項が見つかるなんて事は100%あり得ないのだ。 もし「うたのおにいさん」を目指すなら、恐らく募集案内が来る可能性が高い歴代出演者の出身音大に進学して情報を得るか、歌手・俳優として芸能事務所所属になった上で、事務所からオーディションの情報を斡旋してもらうか、だいすけお兄さんのようにNHKに問い合わせを入れ続けて運良くスタッフルームに繋いでもらい直接情報を得る位しか情報を得る方法が無いのである。 その為、ただでさえ狭き門なのにそのスタートラインにすら立てない志願者も多数いるのは想像に難くないと言える。 そんな狭き門をくぐり抜けて選ばれた後も大変なハードスケジュール、かつ制約の多い生活であり、 -&font(b){3ヶ月で歌のレパートリーを1000曲に増やす} -恋愛禁止 -運転禁止 -海外旅行禁止 -&font(b){他番組(特にバラエティ)への出演禁止} …など、なまじのアイドルより禁欲的な生活を求められる。((ただ、これらの縛りは噂の範疇を出ないものも多い。恋愛禁止にしても、うたのおにいさんに関しては就任前から既婚or子持ちというケースが複数あり、海外旅行に関してはだいすけお兄さんが制限されていなかったと否定している。この中で実際に言われているのは事故等の不祥事に繋がりやすい運転禁止程度であるらしい。)) また、出演中はNHK以外の放送局に出演する事が事実上不可能など、『おかあさんといっしょ』外での活動にも(多忙故か)制約が多い。 在任中に「超力戦隊オーレンジャー」やリメイク版「マッハGOGOGO」の主題歌を歌ったけんたろうお兄さんを最後に、在任中NHK外での芸能活動を行ったお兄さんが存在しないのもこうした事情故な面が多い((そのけんたろうお兄さんですら、就任と同時期にオファーが来た「疾風!アイアンリーガー」の主題歌では、うたのおにいさんとアニソン歌手とのイメージ両立と言った面や様々な事情が重なり、就任前に名乗っていた谷本憲彦名義で歌唱している。どうやら、両立すると言っても案外一筋縄では行かない部分があった模様。))。 ここまでやっても、月収はわずか30万円程度、しかも彼らは&b(){契約社員扱い}である。つまり、代替わりすれば何の保証もなく無職に戻るのだ。 月給取りの一般人から見ればどう考えても割に合わない仕事であるが、そもそも彼らは芸能人であり、もとより安定とは無縁のフリーランスである。 むしろ、ラジオ英会話の講師などのように「&font(u){NHKの番組を任された}」という経歴は非常に高いステータスになるので、その後の活動にも大きなプラスとなる。 やりがいやあこがれだけではなく、実利面を鑑みても、目指すだけの価値はある仕事なのだ。 12代目のうたのおにいさんについて重点的に、追記・修正をお願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,10) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 杉田あきひろお兄さんの「くれよんロケット」という歌が好きだった。 -- 名無しさん (2013-11-06 11:55:55) - けんたろうお兄さんが地元に来てコンサートやってたなぁ -- 名無しさん (2013-11-06 19:29:17) - うたコナ -- はいだしょうこ今井ゆうぞう (2013-11-12 07:30:33) - ゆうぞうお兄さんマダムキラーww -- 名無しさん (2015-01-22 21:33:09) - ネッキー………いや、何でもない -- 名無しさん (2015-01-22 22:06:09) - マグナム兄さん &br()み、みちひろおにいさ~ん!! -- 名無しさん (2015-01-24 18:30:33) - 前々から思うけど何故運転禁止ですか -- 名無しさん (2015-12-06 12:02:50) - 万が一にも事故でも起こして、出演できなくなる事態がないように、ということらしい。 -- 名無しさん (2015-12-10 12:03:05) - 所で今の二人って人気あるのですか? -- 名無しさん (2015-12-10 12:10:13) - だいすけお兄さんがおさむおにいさんを抜いた。ただし、ひなたお兄さんはメーコブと合わせて13年間だね。 -- 七誌さん (2016-04-04 14:42:28) - 何でお姉さんの項目が無いのですか? -- 名無しさん (2016-04-14 20:48:46) - 打ったのお兄さん?(すっとぼけ) -- 名無しさん (2016-04-15 20:24:29) - けんたろうお兄さんしかよく知らない・・・。丁度その世代だったこともあるけど、あの渋さと爽やかさ、そして優しさを兼ね備えた声が今も強く印象に残ってる。 -- 名無しさん (2016-12-06 22:00:40) - 今のゆういちろうお兄さんの可愛さは異常 -- 名無しさん (2018-11-21 19:53:05) - だいすけお兄さんはちょいちょいゲストとして特番や映画で復帰している。 -- 名無しさん (2020-03-13 09:12:49) - やめた後はバラエティー出放題なので結構なハードスケジュールっぷりをぶっちゃけてくださる。たた「歌のおにいさん、おねえさん」「体操のお兄さん、おねえさん」経験者は、時間がたとうが子供の心をつかむスキルが格段に高いので子供イベントに出ると知らない子でもすぐ懐くというから凄い。 -- 名無しさん (2020-07-30 10:19:40) - 今井ゆうぞうさんが亡くなったそうです。ご冥福をお祈りします。 -- 名無しさん (2020-12-28 20:04:09) - シルエット博士、今度はファンターネのキャラクターと共演するようになったね -- 名無しさん (2022-04-26 08:09:44) - えっと?えっと?シルエット〜! -- 名無しさん (2023-10-03 10:50:25) - 恋愛禁止を否定するのに、既婚者を例に出すのはちょっと違くないか? -- 名無しさん (2023-10-11 13:36:07) - だいすけお兄さんはビットワールドに出てたりと今もEテレとの縁があるんだよね。あと、あの人の曲でバズドラアニメの主題歌になった「ハレルヤルーヤ」好きだわ。 -- 名無しさん (2024-01-21 05:51:51) #comment #areaedit(end) }
&font(#6495ED){登録日}:2013/06/19 Wed 10:43:08 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 38 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- 1959年に始まり、今や50年以上の歴史を持つNHKの子供向け番組『おかあさんといっしょ』。 その番組の顔としてお馴染みなのは「&font(red){うたのおねえさん}」と「&font(blue){うたのおにいさん}」なのは言うまでもないだろう。 実はその歴史を辿ると、番組が始まった当初は「うたのおにいさん」というポジションは存在せず、1970年代以降から始まっているのである。 この項目では、皆様の思い出に残っているであろう歴代&font(blue){うたのおにいさん}を、時代を追って紹介していく。 ---- #contents() ---- *幻の元祖: 高橋元太郎(ゲンちゃん) -担当年代: 1965年4月~1967年3月 ……いきなり冒頭の説明を覆す時代、それもまさかの人物が「うたのおにいさん」を務めていた事で「&big(){!?}」となった人も多いだろう。そう、あの『[[うっかり八兵衛>水戸黄門]]』こと高橋元太郎がうたのおにいさんだったのだ。 1976年3月までは、現在と違って曜日ごとに異なったコーナーが設けられていた。彼は1965年4月から毎週水曜日に放送されていた「うたいっぱい」というコーナーを担当していたおにいさんである。相方のおねえさんは『うたのえほん』の初代うたのおねえさん、真理ヨシコだった。 1980年代に登場した「たいそうのおねえさん」以外のおにいさん・おねえさんは、元々は別番組だった『うたのえほん』から代数カウントが始まっている為、別コーナーのおにいさんである元太郎さんは代数にはカウントされていない。 またこの当時は放送用VTRの再利用が一般的だった為、NHKにも当時の映像が残っておらず、人々の記憶から消し去られていたが、2014年に高橋自身が録画していたコーナー最終回のビデオテープの存在が判明したことにより、おにいさんとしての活躍が再確認された。 *初代: 田中星児お兄さん -担当年代: 1971年11月~1977年3月 『[[森永チョコボール>チョコボール(森永製菓)]]』のCMでお馴染み。 幼い頃から音楽に触れる事が多く、その中でめきめきと歌の実力を上げ、様々なコンクールを総なめにする実力派となっていた。 その実力が買われ、1971年から『おかあさんといっしょ』初の「うたのおにいさん」として登場する。番組内では自慢の歌唱力やギター演奏も行っていた。 ちなみに、うたのおにいさんのオーディションを受けた当時、同じくNHKで放送されていた若者向け音楽番組『ステージ101』の番組内グループ「ヤング101」のメンバーとして既にテレビ出演経験があり、うたのおにいさん在任中の1974年3月に『ステージ101』が終了するまで「ヤング101」メンバーとしての活動も行っていた。 2つの番組で活躍していた星児お兄さんは、子供達の人気者であると同時に、当時の若者の憧れの存在でもあったと言えるだろう。うたのおにいさんオーディションを受けたきっかけも、『ステージ101』の収録の為NHK局内に居た際に貼られていた募集案内を見た事であったという。 当初は森晴美おねえさんの後任という形で登場し、うたのおねえさんと隔週出演だったようだが、その後現在のおにいさん&おねえさんコンビでの登場となっている。 出演当時の映像も、この当時のVTR事情から現存するテープは全て家庭用ビデオデッキで録画された提供映像で、その一部は彼の母親が録画したものを後年本人がNHKに提供した物。 前述のゲンちゃんの紹介でも触れているが、1970年代も相変わらず放送用テープが高価な時代であり、漸く販売され始めた家庭用ビデオデッキ・テープも同様に当時としては相当な高級品だった。 その為、当時の家庭用ビデオデッキの機種の中には安価なタイプとして白黒映像でしか収録できない仕様になっている物も多かった。 出演当時、番組自体は既にカラー放送となっていたものの、こうした事情から白黒映像で録画された物が多く、彼の母親は少しでも多く息子の活躍を残す為、彼の出演していないパートは別の回や「ステージ101」等の他番組を上書き録画するなどして、彼の出演シーンを寄せ集めたテープにして保管していた為、番組としては断片的な映像になっている物が多い。 ちなみに、[[みんなのうた]]のイメージが強い「北風小僧の寒太郎」だが、実は初出は『&u(){おかあさんといっしょ}』。 「うたのおにいさん」登場に伴い、男性の低音ボイスで歌える「子供向けの演歌」として創られたと言う。 卒業後も抜群の歌唱力は健在で、現在もなお子供向けのコンサートなどで精力的に活動中。50周年記念コンサートでも北風小僧の寒太郎を歌いながら登場した。 『おかあさんといっしょ』以外では、『ビューティフル・サンデー』が著名だろう。 他にも『みんなのうた』で「ジャガイモジャガー」「エトはメリーゴーランド」などを熱唱しており、 作曲の「中山竜」というのは実は田中星児さんではないかとも言われている。 他にも、『[[GANTZ>GANTZ(漫画)]]』の「[[田中星人>田中星人(GANTZ)]]」のモチーフになったとのもっぱらの話。さすがにアニメ版では名前が変わっている。 なお、あの[[グッチ裕三>ハッチポッチステーション]]は従弟である。 *2代: [[水木一郎]]お兄さん -担当年代: 1976年4月~1979年3月 ……「&big(){!?}」となった人も多いだろう。そう、あの『アニキ』こと水木一郎が二代目うたのおにいさんなんだ&font(b){ゼェェェット!}((この書き出しだと、この頃からあのキャラなのかと思われそうだが、勿論この当時は後年のバラエティー番組で見られるような「ゼェェェット!」を連発する様なキャラでは無く、所謂爽やか系のお兄さんだった。)) 登場時から1977年までは上記の星児お兄さんと、それ以降は後述のたいらいさおお兄さんと並行して活躍していた。 1000曲を超える歌のレパートリーには「ちょんまげマーチ」などおかあさんといっしょの楽曲も含まれている。 アニキバージョンの「ちょんまげマーチ」は現在と比べてかなりテンポが速いのが特徴。また、時には自作の遊び歌をギター片手に披露することもあった模様。 この当時は日本コロムビア専属という事もあり、当時の「おかあさんといっしょ」関連レコードの中でも日本ビクター版だと星児お兄さん、コロムビア版だとアニキみたいな具合に収録内容を聞けばどこのレコード会社の物かわかる様な状態だった。((この状態は坂田おさむお兄さん・神崎ゆう子お姉さん時代まで続き、速水けんたろうお兄さん・茂森あゆみお姉さん時代にポニーキャニオンと日本コロムビアの2社に集約され、次の杉田あきひろお兄さん・つのだりょうこお姉さん時代に「うたのおにいさん・おねえさんの楽曲はポニーキャニオン、人形劇関連は日本コロムビア」と棲み分けが確立する様になった。おさむお兄さん・ゆう子お姉さん時代までの楽曲にアレンジ違いが多いのはこれが原因である。)) その関係で、当時の体操「スイッチ・オン!」のコロムビア版のレコードにはアニキ歌唱版が収録されており、それ故に「アニキ版が放送で使われていた」という誤った情報が拡散される遠因にも繋がっている。 卒業後も、30周年記念コンサートやETV(教育テレビ)50周年特番などで番組に関わっている。 それ以外での活躍は言うまでもないが、担当していた時期はちょうど『超電磁ロボ コンバトラーV』や「がんばれ!ロボコン」のOPなどを歌っていた頃である。 なお、前者のコーラス(V!V!V!V!の部分)を担当しているザ・ブレッスンフォーは、おかあさんといっしょ内でも「ぞうさんのあくび」「パジャマでおじゃま」でお馴染み。 2022年12月6日、肺癌のため74歳で逝去。最晩年は癌の転移の影響で満足のいく歌唱ができない中ステージに上がり続け、亡くなる9日前までコンサートに出演し、文字通り生涯現役を貫いた。 *3代: たいらいさおお兄さん -担当年代: 1977年4月~1979年3月 ポップス歌手としてデビューした1年後、うたのおにいさんに選ばれた。担当期間は上記の水木一郎アニキと並行している。 卒業後も様々な節目に登場し、2013年5月のコンサートでは大々的にゲスト出演を果たしている。 たいらお兄さんの出演当時の映像は、紹介される機会が少なかった事もあってか、2010年代までは「へんてこ通り三番地」を歌っている映像と最終出演回の映像の2本以外が取り上げられる事が皆無だった。 その為、前後のお兄さんたちに比べ、残っている本数が更に少ないと見られていたが、2020年にBSプレミアムの『ワンワンパッコロ!キャラともワールド』で「うたのおにいさんスペシャル」と銘打った回が放送された際に「ええとええとのうた」と「ミスタージャガイモ」の2曲が紹介され、貴重な映像が再び日の目を見る機会を得ている。 卒業後はアニソン歌手としての活動を開始、『[[復活のイデオン(伝説巨神イデオン/OP)>伝説巨神イデオン]]』『[[銀河旋風ブライガー(銀河旋風ブライガー/OP)>銀河旋風ブライガー]]』『最強ロボダイオージャ(最強ロボダイオージャ/OP)』『&del(){猪}渚にひとり(魔境伝説アクロバンチ/ED)』など多数の曲を歌い上げている。 『[[超時空要塞マクロス]]』のOPも最初は彼が担当する予定だったと言う。 1986年からは童謡歌手としても活躍するようになり、後任のうたのおにいさんたちの楽曲をカバーする事も多い。 その功績を称えられ、1995年には日本童謡賞特別賞を受賞した。 2023年4月には、[[ホロライブ>ホロライブプロダクション]]所属VTuberの戌神ころねの4周年記念ライブにゲスト出演し、『銀河旋風ブライガー』と『復活のイデオン』をコラボ歌唱。実写でVTuberと同じステージで共演した事や、その衰えない歌唱力で話題となった。 *4代: 宮内良お兄さん -担当年代: 1979年4月~1981年3月 現在の目で見てもかなりの美形と美声の持ち主で、在任中の2年間は奈々瀬ひとみお姉さんとの美男美女コンビで人気を博した。 就任当時の彼は20歳で、就任当時の年齢が歴代最年少のうたのおにいさんであった。 ちなみにこのペア、『おかあさんといっしょ』のうたのおにいさん・おねえさんペアとしては珍しく、おねえさん側がおにいさんより年上という組み合わせになっており、ひとみお姉さんの方が2歳年上だった。 しかも、当時のたいそうのおにいさんの瀬戸口清文さんも年上、番組進行役だった元たいそうのおにいさんの輪島直幸さんも年上なので、「全出演者の中で最年少者がうたのおにいさん」というそれ以前も以後もあまり見受けられない布陣が取られていた事になる。 その就任時の若さと自身の後任お兄さん達が3人続けて年上((林アキラお兄さんは良お兄さんと同学年だが、良お兄さんが早生まれのため僅差でアキラお兄さんが年上))だった事から通常なら当時現役のお兄さんが当てはまるであろう「うたのおにいさん経験者の最年少者」が、就任から卒業を経て8代目の速水けんたろうお兄さんが登場するまでの14年間に亘り良お兄さんだったという珍しい記録を持つ。 ここからうたのおにいさんとおねえさんの交代時期が同じという場合が多くなっており、ひとみお姉さんとは同時登板し、同時降板した。 この頃より放送用VTRが一部ではあるが保管されるようになっているようで、本放送当時の画質で映像が現存している最初のうたのおにいさんでもある。 当時の代表曲には「ジャングルポケット」や「わらいねこハッピネス」など後々まで歌い継がれるものも数多い。&s(){「ジャングルポケット」は後に[[競走馬>ジャングルポケット(競走馬)]]の名前の由来となり、そこからから芸人・[[ウマ娘>ウマ娘 プリティーダービー]]にも派生したのは別の話} 卒業後も引き続き様々な番組に出演、「みんなのうた」でも自慢の歌声を披露している。 現在も歌手として活躍する一方、ミュージカル俳優や得意のタップダンスを活かした演技指導や歌唱指導など多方面で活動している。 また、2007~2009年にディズニー・チャンネルで、オーストラリアの人気お子さま向けバンドThe Wigglesが主演の子供向け番組『ザ・ウィグルス』『ウィグルス放送局』が放送された。 この日本語吹替え版ではグループのメインボーカル、要は現地版うたのおにいさんとも言えるグレッグ・ページ氏役を担当。 大柄な白人男性であるグレッグから良お兄さんの声というインパクトもさることながら、番組内の楽曲も原則吹替えだったため実質宮内良アワーとなっていた。 おかあさんといっしょ以外のアニメ楽曲では『黄金戦士ゴールドライタン』のOPが有名だろう。ほかに『タイムブックの歌(アニメ親子劇場/OP)』も代表作。 *5代: かしわ哲お兄さん -担当年代: 1981年4月~1983年3月 担当当時は後述の林アキラお兄さんや、歌のお姉さんのしゅうさえこさん(さっこおねえさん)と言うトリオバンド形式で番組の進行を担当していた。 うたのおにいさんになる前はシンガーソングライターとして活躍していた経歴を持ち、「きみのなまえ」「どんなかお」「スズメがサンバ」などの楽曲の作詞・作曲を手掛けている。 通称「てっちゃん」と呼ばれており、「〇〇お兄さん」と呼ばれる事の多いうたのおにいさんの中ではかなり珍しい、ニックネームが呼び名となっているお兄さんだった。 番組卒業後もロックバンドのメンバーなど精力的に音楽活動を続け、『[[みんなのうた]]』へ曲を提供した事もある。 おかあさんといっしょ50周年記念特集では久々に3人が集まっている。 2020年8月、番組に久しぶりに楽曲提供した。タイトルは「ブー!スカ・パーティ!」。2021年に同楽曲の登場人物の被り物をした特集が放送された際に顔出しで出演もしている。 *6代: 林アキラお兄さん -担当年代: 1981年4月~1985年3月 上記のてっちゃんと同時に登場。 最初はトリオ編成だったのだが、1983年以降は新任の森みゆきお姉さんとのコンビ体制となった。 代数カウントの際には、かしわ哲さんと同時就任である事から5代目を2人としてカウントし6代目を欠番とするケースと、卒業時期が後であるアキラお兄さんを6代目とするケースが見受けられるが、周年記念の特別編成やコンサートではアキラお兄さんを「6代目うたのおにいさん」として扱うケースが多い為、本項でも6代目として扱うこととする。 幼い頃からエレクトーンやミュージカルなど様々な音楽の分野に携わっており、『おかあさんといっしょ』の楽曲の作曲を多数担当している。 「こねこのパンやさん」「ほしぞらカーニバル」「ブラボー!ブレーメン」「そよかぜスニーカー」など現在でも有名な曲もアキラお兄さんの作品である。 卒業後も引き続きミュージカルや歌唱指導、そして歌手など多方面で活躍中。 現在は演じる役柄の傾向などもあり口髭がトレードマークになっているが、うたのおにいさん当時のイメージを守る為、卒業後の番組へのゲスト出演など「うたのおにいさん」要素が絡む仕事の際には髭を剃った姿で出演している。 直近では、2020年度にファミリーコンサートが新型コロナウイルス感染症拡大防止の為に全公演中止になった事で、代替として企画されたスタジオライブで楽曲のピアノ編曲を担当。 4回目からは自らピアノ伴奏として出演して当時の歌のお兄さん、お姉さんのゆういちろうお兄さん・あつこお姉さんペアと共演しており、翌年度のファミリーコンサート再開後の最初の公演のゲストとしても登場するなど、再び番組との関わりが深くなっている。 ちなみに現在恒例になっている引退時の引き継ぎ出演は、このアキラお兄さんの発案によるものだと言うが、4代目うたのおねえさんである水谷玲子おねえさんも同様のことを行っていたとする見解もあり、元祖であるかは不明である。 しかし、アキラお兄さんの卒業以降は出演者交代の際に引き継ぎ出演が定型化したのは確かな様で、以降の出演者交代があった年度では、最終日やファミリーコンサートなど、何らかの形で新旧出演者の共演が行われている。 そして、彼から「うたのおにいさん」を引き継いだのは…… *7代: 坂田おさむお兄さん -担当年代: 1985年4月~1993年3月 「うたのおにいさん」と聞いてこの人を思い浮かべる方はかなり多いのではないだろうか。 足掛け8年の担当期間は&bold(){歴代2番目に長く}、その後も楽曲提供など様々な形で「おかあさんといっしょ」に関わり続けている。 87年までは森みゆきお姉さん、それ以降は神崎ゆう子お姉さんとコンビだった。 ちなみに、おさむお兄さん本人が後年聞いた話によると、みゆきお姉さん卒業の際、就任から2年しか経っていないおさむお兄さんも同時に卒業する案があり、一度はその方向で大筋が決まりかけた。 しかし、その話し合いの場に同席していた作曲家で、当時うたのおにいさん・おねえさんの選考オーディションや歌唱指導を担当していた福田和禾子先生が「坂田君はまだ2年目だし、もっと伸びるはずだからもう少し歌ってもらいませんか」と進言した事により続投が決定。最終的にそこから6年間続投する事になった。 これがきっかけとなったかは不明だが、それまで2〜3年おきに行われていたうたのおにいさん・おねえさんの交代がこの時期を境に交代までのスパンが長くなり、4人のおにいさん・おねえさんの組み合わせが同一メンバーで5年前後続く事も増えている。 この頃から収録VTRの保管が一般的になり始めた為、出演当時の映像がほぼ全放送回現存する最初のうたのおにいさんであるが、全てが放送用VTRというわけではない。 出演初期の1985年4月からの3ヶ月程度の一部放送、及び1990年度以降の全放送回とファミリーコンサートなどの一部特別版等を除くと、当時の送出状況確認用に使用していた家庭用ビデオでの録画映像から抜粋という形での全編現存という形になっている為、一部は当時のニュース速報テロップが重畳されていたり、番組自体の休止で欠落している可能性がある放送回もあるとみられる。 その一方で、出演末期の1年半においては、ファミリーコンサートが試験放送用にハイビジョン映像での収録が実施されている為、30年以上前のおさむお兄さんの映像が当時としては異例の高画質で現存していたりもする。 なお、卒業後もBSの姉妹番組『あさごはんだいすき!』でうたのお兄さんを担当。 [[ニャンちゅう]]が登場する番組にもおにいさん時代を含めて2年間レギュラー出演し、以降も2005年春頃まで時々出演していた。 また、50周年記念コンサート「星空のメリーゴーランド」では自称&b(){真打}など、偉大さは大きい。 そして、テレビ放送こそ無い為ファミリーコンサート程の知名度は無いのだが、「おかあさんといっしょ」には現在放送中の人形劇キャラクターと「おかあさんといっしょ」や他のステージショー・子供向け番組の歴代おにいさん・おねえさんが登場するステージイベントツアーが長年存在しており、おさむお兄さんは&b(){2020年現在でも}うたのおにいさんとして参加してるバリバリ現役のうたのおにいさんなのである。 その為、見方によってはおさむお兄さんを知る世代は潜在的には今現在の子供達も…と言う事にもなり得るのだ。 一方で50周年時に放送された特別番組では隕石にぶつかり記憶喪失になり、歌が好きということ以外すべて忘れたため、どーもくんと共犯して歌のカプセルを窃盗したことがある。 このときは[[じゃじゃまる、ぴっころ、ぽろり>にこにこぷん]]に「どこかで見たことある」と言われていた。 元はシンガーソングライターであり、現在に至るまで多数の楽曲を提供している。 そもそも、おさむお兄さんと「おかあさんといっしょ」の繋がり自体もうたのおにいさん就任前の1983年、知り合いの作詞家(番組で長年放送された体操「ぞうさんのあくび」を作詞した遠藤幸三氏)の紹介で、当時の「おかあさんといっしょ」番組プロデューサーに楽曲の売り込みに行った際に楽曲提供を勧められた事から始まっている。 その為、前任のアキラお兄さんや共演者となるみゆきお姉さんとは、うたのおにいさん就任以前に楽曲提供者の「坂田修先生」としてレコーディングスタジオで対面したのが最初の出会いだった。この時はその「坂田先生」ことおさむお兄さんが、アキラお兄さんの後任のお兄さんとなるとは誰も思っていなかったはずなので、まさに運命の不思議さを感じさせるエピソードであると言えるだろう。 就任後、そして番組卒業後も数々の曲を書き下ろしては番組に提供しており、「どんな色が好き」「ぼくらのロコモーション」「にじのむこうに」「あしたははれる」「公園にいきましょう」など、現在童謡のスタンダードになっている曲も数多い。 詳細は&font(b,u){[[単独項目>坂田おさむ]]}を参照。 *8代: 速水けんたろうお兄さん -担当年代: 1993年4月~1999年3月 こちらもうたのお兄さんの代表格として思い浮かべる人はかなり多いだろう。 長身の爽やかなスタイルと、それに負けない美声で、茂森あゆみお姉さんと共に数多くの曲を歌い上げた。 特に「[[だんご3兄弟]]」は爆発的な人気を博した事でも知られている。卒業直後にはこの歌で紅白に出場。 ほかに人気だった曲は元祖「[[おかあさんといっしょのトルコ行進曲]]」、卒業直前の今月の歌で、自身が作詞作曲した「あつまれ!笑顔」といったところか。 一方でこの頃からダンスも本格化し始め、歌のPVにおいて様々な着ぐるみを着たり、コスプレしたりする機会も多くなっている。また、体操のお兄さん、ダンスのお姉さんがバックダンサーとして踊ることも増えた。 中でも「イカイカイルカ」はもはや伝説だろう。((この伝説はだいすけお兄さん、あつこお姉さんペアおよび、ゆういちろうお兄さん、まやお姉さんペアで再現された。)) 同期の茂森あゆみお姉さんや佐藤弘道お兄さん、1年遅れて1994年から登場した松野ちかお姉さんの4人組の中で最も年上だった事から、現役当時は地方コンサートのミニミュージカルで弘道お兄さんから「若年寄」と呼ばれるなどの年長者イジリネタが織り込まれたりもしていた。 しかし、実際には公私共々頼れる兄貴分として慕われている様で、後述のTwitterでは現在も芸能活動をしているけんたろうお兄さん・あゆみお姉さん・弘道お兄さん間で度々仲睦まじいやり取りが繰り広げられている。 元は「谷本憲彦」名義で歌手として活動しており、デビュー当時はムード歌謡歌手、後にアニソン歌手に転向した。しかし、なかなかヒット作に恵まれない時期を過ごしていた中で1992年に歌手デビュー当時にお世話になったレコード会社の宣伝マンに再会。 その方は「おかあさんといっしょ」のプロデューサーとの付き合いが有り、同時期にうたのおにいさんの選考オーディションの予定がある事を聞かされていた事から、けんたろうお兄さんにその話を勧めてきた。 丁度この時期にけんたろうお兄さんの息子さんが番組を視聴していた事もあって、父親として番組の存在を認知していたけんたろうお兄さんは「こういう歌の世界もあるのか」とオーディションに参加し、見事うたのおにいさんに合格。 余談だが、これと前後して息子さんの為にと番組収録に応募していたハガキが当選するミラクルが発生しており、時期がもう少しずれていたら前代のおさむお兄さんに続き2代連続で「就任直後に自身の子供とスタジオ共演」という珍事が発生する所であった。 当選ハガキに書かれた収録日はおさむお兄さんとゆう子お姉さんが卒業目前の時期だった事からこれは実現しなかったものの、同時期に新しいお兄さん・お姉さん達は研修期間としてスタジオに来た子供達のお世話係を務めていた((この研修は歴代おにいさん・おねえさんが必ず通る道らしく、歴代出演者が卒業後にこの研修を当時のエピソードとして語るケースも少なからずある))為、収録現場には父親であるけんたろうお兄さんも居合わせており、その時の事を覚えていた息子さんが、新年度の放送でおさむお兄さんに新しいうたのおにいさんとして紹介される父親の姿を見て「パパだけまた行っててズルい」と怒っていたと言う何とも微笑ましいエピソードがあったりする。 なお、けんたろうお兄さんの在任中にもう1人息子さんが産まれており、大人になった現在は「隆成」の芸名でシンガーソングライターとして活動している。 隆成さんのYouTubeチャンネルでは、一般人である兄と父親であるけんたろうお兄さんの3人で撮影した動画もアップされている。 就任初期の頃は「うたのおにいさん」と「アニソン歌手」との棲み分けを考えていた節があるようで、うたのおにいさんは「速水けんたろう」、アニソン歌手としては「谷本憲彦」と2つの名義を2年ほど使い分けていた期間がある。 実際にうたのおにいさんの初期と並行して放送されていた『[[疾風!アイアンリーガー]]』では後者名義で主題歌を歌っていた。 その後、うたのおにいさん就任から2年経った1995年に放送された『超力戦隊オーレンジャー』や、番組卒業直後の1999年放送の『燃えろ!!ロボコン』などではお馴染みの「速水けんたろう」名義で統一している。 2010年11月のコンサートではかまだみき共々ゲスト出演した。 2011年7月に交通死亡事故を起こしたため、2011年7月から2012年4月の間は活動を自粛していたが、その直前までは声優としてアニメ出演もしていた。 復帰後は舞台や各地のコンサートで顔を見せている。なお現在の所属事務所は[[れっしー>中尾隆聖]]やガタラットの中の人達がいる81プロデュース。 元々声優以外の活動はお兄さん当時から個人事務所で行っており、81プロデュースとは声優活動のための「声のみ預かり」の形での所属となっていたが、復帰に先駆けて2011年時点で正式な所属となっている。 2015年からは本格復帰となり、2015年5月のコンサートではポコポッテイトのメーコブのそっくりさん、ダンの声を担当したり(なお、メーコブの声もひなたおさむお兄さんなので、このペアは歌要素が強かった)、2016年4月の歌「あおうよ!」の作曲を担当したりするなど、再びおかあさんといっしょに関わっている。 前代のおさむお兄さん同様に、歴代おにいさん・おねえさんが出演するステージイベントにも出演しており、その時にコンビを組むうたのおねえさんは、これまた知名度抜群、歌唱力抜群の[[はいだしょうこ]]お姉さんなので、見応えはお墨付きと言っていいだろう。 ファンの念願かなって、懐かしのNHKの出演者やキャラクターがゲストとしてやってくる「ワンワンパッコロ!キャラともワールド」にも出演し、あゆみお姉さんとも久々の共演が実現した。 60周年記念コンサートにもゲスト出演し、この時は過去の周年記念で定型となっていた直近の歴代おにいさん・おねえさんから順に登場する形ではなく、あゆみお姉さん共々、歴代おにいさん・おねえさんの先陣を切って最初のゲスト出演者として登場。 かつて子供時代にけんたろうお兄さん・あゆみお姉さんを見ていたであろう客席のお父さん・お母さん達から歓声が上がった。 2020年からは出演時期が異なる「おかあさんといっしょ」のおにいさん・おねえさん4人(たいそうのおにいさんの天野勝弘お兄さん、けんたろうお兄さん、うたのおねえさんのつのだりょうこお姉さん、「ズーズーダンス」・「ゴッチャ!」のおねえさんのいとうまゆお姉さん)で『みんなで健康になる』事をコンセプトとしたYouTubeチャンネル「けんこうらんど」を立ち上げた。動画内では様々な企画で身体を張っている姿を見せている。 また、同じ2020年にTwitterを始めたのだが、時折「こんなん出てきた。」という一言と共にうたのおにいさん当時の懐かしい写真やグッズを撮影して投稿することがあり、往年のファンを懐かしくさせてくれることがある。 特にその第1弾で『虫歯建設株式会社』の実写版クリップを撮影した際の虫歯菌コスの写真を投稿した時には、それを見たあゆみお姉さんが便乗して同じクリップでの自身の写真を投稿。更にそれを見た弘道お兄さんは毛色を変えて、このクリップ撮影から数年後にゆうぞうお兄さん・しょうこお姉さん時代の地方コンサートでやったミニミュージカルで演じた虫歯菌の写真を投稿し、1993年就任の同期兄姉3人による「虫歯建設株式会社」リレーが実現して話題となり、ネットニュースに取り上げられる事態となった。 2020年4月、新型コロナウイルスに感染してしまうが、5月上旬に無事回復。 2024年1月にはフジテレビの昼の生番組「ぽかぽか」にあゆみお姉さん・あつこお姉さんと共にゲスト出演。民放バラエティに久方ぶりの出演だったが、お兄さん時代のエピソードで盛り上げたのはもちろん、カラオケ採点で、1コーラス歌って何点取れるのかを出演者と観客が予想する企画では、桑田佳祐の「明日晴れるかな」を歌い、点数が低くなりがちな1コーラス歌唱で91.435点という高得点をマークし、うたのおにいさんとしての面目躍如ぶりを見せた。 *9代: 杉田あきひろお兄さん -担当年代: 1999年4月~2003年3月 劇団四季出身というミュージカル肌のお兄さん。 歴代でも珍しい低音ボイスが特徴的で、それを活かした曲も多い。 この頃には「かっぱなにさま?かっぱさま!」や「たこやきなんぼマンボ」などがヒットしている。 卒業後も各地のコンサートやミュージカルで自慢の美声や演技力を披露しており、同期だったつのだりょうこお姉さんとの共演も多い。 あきひろお兄さんが登場した1999年は、「おかあさんといっしょ」の放送開始から40周年を迎える事を受けての大規模リニューアルが敢行された年。 このリニューアルによって、うたのおにいさん・おねえさんの出演時間が従来より激増し、オープニング後から歌のコーナーが始まる編成がスタートすることになった。 さらに2000年には、1997年以降段階的に行われた放送時間の前倒しにより、従来の「こんにちは〜!」の挨拶が時間帯的に合わない(当時の本放送時間は朝8:30~8:59)事から、「みんな、元気〜?」とテレビの前やスタジオに来た子供達に呼びかけるスタイルの挨拶((あきひろお兄さん・りょうこお姉さん当時は現在と若干異なり、あきひろお兄さんが「やっ!みんな」と声をかけてから2人で「元気〜?」と呼びかけるかなり気さくな形式で、後任のゆうぞうお兄さん・しょうこお姉さん時代前期の2004年度辺りまではこの形が踏襲されていた。))がスタートし、おにいさん・おねえさんが進行役を務める日替わりコーナーがスタート。 就任前期に、2021年現在の「おかあさんといっしょ」の形式を確立させたお兄さんでもあるのだ。 ちなみにかなりの&font(b){色黒}であり、卒業後に「VS嵐」にゲスト出演した際は[[嵐>嵐(アイドルグループ)]]の面々にも突っ込まれていた。 当初は他のお兄さんを意識した姿だったが、色黒になったりさらに髪を伸ばして茶髪になったりするなど、チャラいお兄さんとなった。ただ、チャラそうなのはあくまで見た目だけであり、番組内での振る舞いは自然体そのものだったことも追記しておく。 なお、この頃からコンサートも歌のみならずミュージカルやダンス要素もかなり多くなってきたためか、あきひろお兄さん以後のうたのおにいさんはBS勢も含めて「劇団」経験者が続いている。 2016年4月14日、覚せい剤を所持していた疑いで逮捕されてしまった。先代のけんたろうお兄さんとは罪のレベルが違いすぎるため、NHKの復活は難しいのではないかと思われていた。 しかし、2019年の60年スペシャルではゲスト出演こそ無かったが、ゲスト出演したりょうこお姉さんの自己紹介や当時の映像であきひろお兄さんの事が紹介されており、60周年記念のCDアルバムにも歌唱曲が収録されてジャケット写真にもおにいさん当時の写真が使われるなど、あきひろお兄さんがうたのおにいさんだったと言う事が「無かった事」扱いされなかったのは救いと言える。 裁判で執行猶予付きの有罪判決が出た後は、依存症リハビリの為、長野県の依存症回復施設「長野ダルク」に入所しリハビリを行いながら、長野県内でコンサートを行うなど歌手活動を再開した。 2019年には執行猶予が明けた事から長野ダルクを退所。引き続き長野県内に生活拠点を置き、自身の経験を活かして依存症予防教育アドバイザーとしての活動も行う一方、介護士の資格取得に向けて介護施設でも勤務し、歌手活動も継続する二足の草鞋ならぬ三足の草鞋で活動。 2019年6月からTwitterを始めた。また、2021年3月の厚生労働省の生配信ライブの際に久しぶりに相方のつのだりょうこお姉さんと再会し、ニュースにもなった。 この再会がきっかけで、りょうこお姉さんのYouTubeチャンネルでリモートコラボの形で「銀ちゃんのラブレター」を歌う動画がアップされ、あきりょうコンビの復活が実現した。 同年には生活拠点を再び東京に戻し、歌手活動を本格化させた。 活動再開以来無所属での活動だったが、2022年8月に事務所所属となった事、同時に喉頭癌を患っていることをTwitterで告白。 同月末より入院・通院で放射線と抗癌剤による化学療法での治療を開始し、公表時点でステージⅢに進行していた癌であったものの治療の甲斐あって10月から活動再開できるまでに回復し、再び精力的に活動している。 また、2023年には前年に所属した事務所がある兵庫県神戸市に生活拠点を移す事を公表。新たな地で更に活動を活発化させている。 そして同年9月、恒例の秋のNHKホールのコンサートにてあきりょうコンビがゲスト出演する事が発表。流石に声のみでの参加となるが再びおかあさんといっしょへ携わる事になり、往年のファンを喜ばせた。 *10代: 今井ゆうぞうお兄さん -担当年代: 2003年4月~2008年3月 [[はいだしょうこ]]お姉さんと合わせて美男美女コンビ(とはいえ、髭面の眼鏡姿も目撃されており、オンとオフのギャップが大きい)。 元は劇団四季やディズニーランドのパレードダンサーとして活躍していただけあって、ダンスなどの動きが非常に綺麗。 宝塚出身のしょうこお姉さんと合わせて、PVやコンサートなどでその腕前を存分に発揮している。 独特の歌声や良くも悪くも自然体なスタイルは色々と賛否両論のようだが、歌に関してはあの「[[地球ネコ>平沢進]]」をお姉さんと一緒に歌い上げたと言う実力を忘れてはならない。 現在の番組を代表するナンバー「ぼよよん行進曲」は、ゆうぞうお兄さん・しょうこお姉さん時代の初出で、2019年の60年スペシャルにゲスト出演した際にも自己紹介でその事に触れ、各地のイベントでも度々歌っていたりと、出演当時の代表曲として知られている。 &font(10,l){ちなみに絵は[[かなり上手い>スプーのえかきうた事件]]。} 卒業後はドラマなどに多数出演し、各地での舞台やファミリーコンサートでの活躍もしていたが、2020年12月、脳出血により43歳という若さでこの世を去った。 亡くなる2週間前、地元の徳島で開催されたコンサートの最中にステージから転落するハプニングが発生しており、更に亡くなる数日前にはブログで目の充血といった不調を記してブログの更新を控えると投稿していた矢先の訃報だった。 他のおかあさんといっしょのお兄さん、お姉さんともプライベートで交流があり、多くの仲間達はもちろん、ゆうぞうお兄さん時代の番組を見て育った当時の子どもたちや、親たちが追悼コメントを出すほど愛されていたお兄さんだったことがうかがえる。合掌。 逝去後の2021年4月にはメモリアルブック「ありがとう 今井ゆうぞうお兄さん」が出版された。 *11代: 横山だいすけお兄さん -担当年代: 2008年4月~2017年3月 子供の頃から音楽が好きで、合唱団や音楽学校などで少しづつ腕を上げる中で、子供たちに音楽の楽しさを伝える「うたのおにいさん」を目指すようになった。 その後も音楽大学や劇団四季などに在籍したり、自らうたのおにいさんのなり方を調べてレポートを書いたりと、絶え間ない努力を続けた結果、見事に夢を叶えたと言う凄い人である。 また、うたのおにいさんの&b(){一次募集を見落としてしまった}が、ダメ元でNHKに確認を入れたら、&b(){ちょうど追加募集が決まった}ところだったという強運の持ち主でもある。運も実力のうち。 同じくおかあさんといっしょファンだったと言う三谷たくみお姉さんとの名コンビは、2015年度まで8年間続き、2016年4月からも続投したためその任期はおさむお兄さんを超えた&b(){歴代最長の9年間}となった。 また、たくみお姉さんとの共演記録も、歴代お兄さん&お姉さんコンビでは最長。 2016年4月からは小野あつこお姉さんという、新しいうたのおねえさんとのコンビとなり、うたのおにいさんとしては、坂田おさむお兄さん以来となる2人のお姉さんとペアを組んだお兄さんとなった。 あつこお姉さんとのペアは、翌年のだいすけお兄さんの卒業で1年限りとなったものの、これ以降も60周年コンサートや映画「おかあさんといっしょ」の第2作目などでだいすけお兄さんがゲスト出演する形で時折復活している。 「ドンスカパンパンおうえんだん」が着うたを中心に大ヒットを記録した他、「ドコノコノキノコ」など様々な名曲が生まれている。 なお後者の曲では、ビューティフルサンデーで現役最終年度の1976年に出場した星児お兄さん、番組を卒業した1999年にご存知だんご3兄弟で出場したけんたろうお兄さんに次ぐ、3度目のうたのおにいさんの紅白出演となった(但し、番組内企画コーナーへの出演の為正規出場としてはカウントされていない)。 -「リンちゃんどうする?」でリンに正体を見破られて妖怪の着ぐるみ姿になったり(たくみお姉さんも同様) -「シンデレラのスープ」でスープを飲んでシンデレラになってしまっただけでなくガラスの靴がぴったりなのがまさかの自分だったというオチがあったり -「歌い亭だいすけ」という高座名を持っていたり((この高座名は、2013年新春特別編で番組に長年レギュラー出演していた落語家の古今亭志ん輔師匠を司会に迎え、[[笑点]]の大喜利のパロディ企画を敢行した際に名乗ったもの。因みに、だいすけお兄さんはその5年後、番組卒業翌年の2018年正月に本家本元の笑点お正月スペシャルにて振袖大喜利の座布団運びを務めており、本家笑点メンバーとも共演した。特に、本家座布団運びの[[山田隆夫]]さんは1980年度に『どんどんどん』と言う土曜日の『おかあさんといっしょ』で放送されていた野外遊びコーナーのお兄さんを務めていた経歴がある為、本編では触れらていないが密かに『おかあさんといっしょ』のお兄さんOB同士の共演が実現していた。)) …と、同期の体操のお兄さんである小林よしひさ共々、ネタ路線も強い。 ただ、出演当時あまりにその路線が強すぎた故に、「おかあさんといっしょのお兄さんお姉さん=変顔」というステレオタイプ染みた印象が持たれてしまったらしく、番組卒業後の民放バラエティ出演の際、度々変顔を要求される事態にも陥っていた。 2013年4月から2017年3月まで、『かぞえてんぐ』とか言うお兄さんそっくりの謎の天狗が番組内で目撃されていた。特徴としては数を数えることが大好き、「てんにちは」と挨拶する、「ナ~ッハッハッハ!」と笑うとの情報が寄せられている。 よくミーニャと数を数えていたが、2016年4月からはイメチェンしてチョロミーと数を数えているようだ。 なお、彼の家庭生活も公開されていて、家でも数を数えまくっているらしい。 2017年2月に同年3月いっぱいでの番組卒業を発表し、かつ他のレギュラー陣は続投するため、この番組では珍しく独りだけで巣立つことになった。同時に先述の謎の天狗も旅に出てしまったらしく、番組から姿を消した。 しかし、コーナー終了後に実際にいろんな場所で数えながら旅をしている様子がDVD化され、以降も事あるごとに年1ぐらいのペースで何かしらの形で目撃されるなど、だいすけお兄さんに負けず劣らずな人気者ぶりを見せている。 卒業時はおそらく、ほかのどの歌のお兄さんよりも惜しまれたであろう。卒業直後にAmebaで公式ブログを始めたが、本人も驚くほどアクセスが集中し、読者も爆発的に増えた。 また、たくみお姉さんに次いで卒業アルバム「だいすけお兄さん、ありがとう、また会う日まで」が発売された。 卒業直後の仕事としては舞台版「[[魔女の宅急便]]」でオキノ役を務めたり、2017年の映画「[[トムとジェリー]] 夢のチョコレート工場」でウィリー・ウォンカの声を担当したりしている。 また、バラエティ番組にも引っ張りだこ状態。最近ではスペシャルキャスターとして月1回、日本テレビの「news every.」にも出演しており、ニュースからバラエティまで幅広くこなすファミリー層向けマルチタレントの地位を確立。 本業の歌手・俳優としてもCDリリースや舞台出演など、出来る仕事はなんでも来いと言わんばかりの活躍を見せている。2022年にはAmazonプライムの動画「The Masked Singer 2」にも出演した。 卒業会見の際に、番組60周年(2019年)を控える中で新しいお兄さんに引き継いでいきたいと番組の今後を考えての申し出だった事を明かすなど番組への想いは現役当時から強く、その60周年イヤーの特別編成の収録の席で5代目の哲ちゃんことかしわ哲さんが何気なく発した一言を実現する為に奔走し、2021年に哲ちゃん、おさむお兄さん、けんたろうお兄さん、だいすけお兄さんの4人で「Oh!23's」なるユニットを組んで「うたのお兄さん'sファミリーコンサート」を開催。 元々歴代出演者の繋がりが深い「おかあさんといっしょ」の中でも、一際それを大事にしている様子が窺われる。 *12代: 花田ゆういちろうお兄さん -担当年代: 2017年4月~ 2023年9月末現在のうたのおにいさん。 引き継ぎ式に登場したときは、だいすけお兄さんたちと「にじのむこうに」を歌った。 初めての今月の歌「そよかぜスニーカー」で早速ロケをする、就任初日から早速日替わりコーナー「しりとりれっしゃ」の新人車掌として活躍と、早速視聴者に強い印象を残した。 1年先輩であるあつこお姉さんとのハーモニーは、年数を重ねるごとに魅力を増し、童謡や番組発祥の歌に留まらず、2020年度に放送されたスタジオライブでは普段の放送では流れないようなJ-POPのナンバーも歌い上げるなど、まさにベストマッチと言えるレベルにまで進化している。 2021年度からは、6年間出演した番組を卒業するあつこお姉さんに代わって登場するながたまやお姉さんとペアを組む事になり、先代のだいすけお兄さん同様、最初にペアを組んだお姉さんを見送って新たなお姉さんと共に続投している。 ルックスの爽やかさと表情豊かな語り口で人気な一方、番組内では少々ヘタレキャラな一面を見せる事があり、お化けが絡んでくると物凄く怖がってしまうというシーンが多々見られる。親近感が求められるうたのおにいさんとしては、それもまた良さだったりする。 だいすけお兄さんと同じ国立音大声楽科を卒業((先述のながたまやお姉さんも国立音大出身で在学中にオーディションを受け、就任直前に同大学を卒業している為、大学の先輩後輩同士のペアとなっている。))後、戦前から続く劇団文学座の研究所に在籍していたことから、歌唱力に加えて演技力もお墨付きであり、うたのおにいさん就任前までは舞台・ミュージカル・ソロライブなどマルチに活躍していた経歴を持つ。 番組内では坂田おさむお兄さんが作った「すてきな言葉」を自らピアノ伴奏仕様に編曲し、弾き語りで披露するという曲作りの才能が垣間見える一面を見せた事もあるので、もしかしたら歴代先輩達同様に番組の為に曲を作って披露してくれる日が来るかもしれない。 なお、このクリップは最新ソングブック「ブー!スカ・パーティ!」に収録されている。 登場早々、ゆういちろうお兄さんそっくりの不審者の目撃情報が寄せられた。 シルクハットに眼鏡をかけ、ちょび髭を生やした男とのことで、影が大好きだという。そしてその男は「シルエット博士」と名乗っている。 目撃者であるムームーの証言によると、「突然這いつくばって僕の影を見てきた」とのこと。 そのムームーは彼との交流を重ねるにつれ、博士のトリコになり、博士もまた彼の熱意を認めたのか、出会って1年程でムームーは弟子となり、博士のシルエット博物館の合鍵を預けられる程の信頼を得た後、ガラピコぷ〜終了目前の2021年度最終回でとうとうムームーも博士になった。 2022年度からは、ファンターネ!のメインキャラクター3人が交代で博士のところにやってきている。 2022年度からゆういちろうお兄さんに声がそっくりなピンク色の知りたがりなカエルの「けけちゃま」なるキャラクターも登場しているが、こちらとの関係性は不明らしい…。 彼は非常に知りたがりで、週替わりでまやお姉さん、まことお兄さん、あづきお姉さんとトークしている。 なお、2022年8月に三人と同時にトークした時は、「ゆういちろうちゃまとはまだお話したことがない」と語っていることから、一応けけちゃまとゆういちろうお兄さんは別人扱いである模様。2023年1月のお正月スペシャルで遂に共演が実現。『はじめて はじめまして』をデュエットした。 *BS版: ひなたおさむお兄さん -担当年代: 2002年4月(番組開始)~2010年3月(番組終了) かつてNHK BS2で放送されていた『BSおかあさんといっしょ』のうたのおにいさん。 幼い頃から少年合唱団に所属していた実力派で、大学時代には抜群の歌唱力が買われてあの劇団四季から直々にスカウトされたほど。 その後も多方面で活躍を続ける中、憧れであった「うたのおにいさん」のオーディションに見事合格した。 番組内では「うたのおねえさん」であるかまだみきお姉さんを始め、「たいそうのおにいさん」恵畑ゆうお兄さんと共演する事も多く、実質トリオ体制で活躍していた。 特にゆうお兄さんは元々うたのおにいさん志願だった事もあり、男声デュエットで歌いあげる事も多かった。 卒業後も活躍を続けているが、特に有名なのは人形劇「ポコポッテイト」のメーコブ役だろう。 歴代うたのおにいさんがこういう形で再登板するのは初の出来事で、メーコブとしても美声を披露し続けた。 各地の地方コンサートではもう一人の「おさむお兄さん」である坂田おさむさんとの共演も多い。 *◆うたのおにいさんのリアル 「うたのおねえさん」は、一部例外はあるが現役音大生や音大卒生と言った新人声楽家がオーディションで選ばれる傾向があるが、「うたのおにいさん」については、これまでの歴代おにいさんの紹介で述べてある通り、就任前の経歴が「うたのおねえさん」に比べ多種多様に及ぶ。 まず、応募者を募る際には「うたのおねえさん」同様音楽大学やミュージカル劇団に募集がかかる場合が多い。このパターンの例としてはアキラお兄さんが該当し、大学4年当時にオーディションを受け大学卒業と同時にうたのおにいさんに就任した。 その一方で、一郎お兄さんやおさむお兄さんのように、既に歌手として活動している人にオファーが来ることもあり、音大卒の学歴を有しているお兄さんでも、だいすけお兄さんやゆういちろうお兄さんの様に劇団で活動してキャリアを積んだ状態でオーディションを受けた例も存在している。 こうした事情もあってか、けんたろうお兄さんまでのうたのおにいさんの中には「おかあさんといっしょ」出演中に他の芸能活動を並行していたおにいさんも多かった。 募集が数年に一度、合格枠はそれぞれ1人分だけということを鑑みれば予想はつくが、大変な難関であり、その倍率はおよそ&font(b){600倍}と言われている。((因みに『サラリーマン金太郎』や「特命係長 只野仁』で知られる俳優の高橋克典は、かつてうたのおにいさんのオーディションを勧められて受けるもあっさり落ちたというエピソードを明かしている。年齢と芸能活動のキャリア等から恐らくけんたろうお兄さんが合格した1992年頃のオーディションの話だった模様。)) 更にそれだけの志願者がありながら、交代記者会見まで出演者の交代予定は秘匿にされる為、一般向けにオーディション情報が公にされる事はまず無い。「うたのおにいさん オーディション」とかでネット検索かけたら募集要項が見つかるなんて事は100%あり得ないのだ。 もし「うたのおにいさん」を目指すなら、恐らく募集案内が来る可能性が高い歴代出演者の出身音大に進学して情報を得るか、歌手・俳優として芸能事務所所属になった上で、事務所からオーディションの情報を斡旋してもらうか、だいすけお兄さんのようにNHKに問い合わせを入れ続けて運良くスタッフルームに繋いでもらい直接情報を得る位しか情報を得る方法が無いのである。 その為、ただでさえ狭き門なのにそのスタートラインにすら立てない志願者も多数いるのは想像に難くないと言える。 そんな狭き門をくぐり抜けて選ばれた後も大変なハードスケジュール、かつ制約の多い生活であり、 -&font(b){3ヶ月で歌のレパートリーを1000曲に増やす} -恋愛禁止 -運転禁止 -海外旅行禁止 -&font(b){他番組(特にバラエティ)への出演禁止} …など、なまじのアイドルより禁欲的な生活を求められる。((ただ、これらの縛りは噂の範疇を出ないものも多い。恋愛禁止にしても、うたのおにいさんに関しては就任前から既婚or子持ちというケースが複数あり、海外旅行に関してはだいすけお兄さんが制限されていなかったと否定している。この中で実際に言われているのは事故等の不祥事に繋がりやすい運転禁止程度であるらしい。)) また、出演中はNHK以外の放送局に出演する事が事実上不可能など、『おかあさんといっしょ』外での活動にも(多忙故か)制約が多い。 在任中に「超力戦隊オーレンジャー」やリメイク版「マッハGOGOGO」の主題歌を歌ったけんたろうお兄さんを最後に、在任中NHK外での芸能活動を行ったお兄さんが存在しないのもこうした事情故な面が多い((そのけんたろうお兄さんですら、就任と同時期にオファーが来た「疾風!アイアンリーガー」の主題歌では、うたのおにいさんとアニソン歌手とのイメージ両立と言った面や様々な事情が重なり、就任前に名乗っていた谷本憲彦名義で歌唱している。どうやら、両立すると言っても案外一筋縄では行かない部分があった模様。))。 ここまでやっても、月収はわずか30万円程度、しかも彼らは&b(){契約社員扱い}である。つまり、代替わりすれば何の保証もなく無職に戻るのだ。 月給取りの一般人から見ればどう考えても割に合わない仕事であるが、そもそも彼らは芸能人であり、もとより安定とは無縁のフリーランスである。 むしろ、ラジオ英会話の講師などのように「&font(u){NHKの番組を任された}」という経歴は非常に高いステータスになるので、その後の活動にも大きなプラスとなる。 やりがいやあこがれだけではなく、実利面を鑑みても、目指すだけの価値はある仕事なのだ。 12代目のうたのおにいさんについて重点的に、追記・修正をお願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,10) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 杉田あきひろお兄さんの「くれよんロケット」という歌が好きだった。 -- 名無しさん (2013-11-06 11:55:55) - けんたろうお兄さんが地元に来てコンサートやってたなぁ -- 名無しさん (2013-11-06 19:29:17) - うたコナ -- はいだしょうこ今井ゆうぞう (2013-11-12 07:30:33) - ゆうぞうお兄さんマダムキラーww -- 名無しさん (2015-01-22 21:33:09) - ネッキー………いや、何でもない -- 名無しさん (2015-01-22 22:06:09) - マグナム兄さん &br()み、みちひろおにいさ~ん!! -- 名無しさん (2015-01-24 18:30:33) - 前々から思うけど何故運転禁止ですか -- 名無しさん (2015-12-06 12:02:50) - 万が一にも事故でも起こして、出演できなくなる事態がないように、ということらしい。 -- 名無しさん (2015-12-10 12:03:05) - 所で今の二人って人気あるのですか? -- 名無しさん (2015-12-10 12:10:13) - だいすけお兄さんがおさむおにいさんを抜いた。ただし、ひなたお兄さんはメーコブと合わせて13年間だね。 -- 七誌さん (2016-04-04 14:42:28) - 何でお姉さんの項目が無いのですか? -- 名無しさん (2016-04-14 20:48:46) - 打ったのお兄さん?(すっとぼけ) -- 名無しさん (2016-04-15 20:24:29) - けんたろうお兄さんしかよく知らない・・・。丁度その世代だったこともあるけど、あの渋さと爽やかさ、そして優しさを兼ね備えた声が今も強く印象に残ってる。 -- 名無しさん (2016-12-06 22:00:40) - 今のゆういちろうお兄さんの可愛さは異常 -- 名無しさん (2018-11-21 19:53:05) - だいすけお兄さんはちょいちょいゲストとして特番や映画で復帰している。 -- 名無しさん (2020-03-13 09:12:49) - やめた後はバラエティー出放題なので結構なハードスケジュールっぷりをぶっちゃけてくださる。たた「歌のおにいさん、おねえさん」「体操のお兄さん、おねえさん」経験者は、時間がたとうが子供の心をつかむスキルが格段に高いので子供イベントに出ると知らない子でもすぐ懐くというから凄い。 -- 名無しさん (2020-07-30 10:19:40) - 今井ゆうぞうさんが亡くなったそうです。ご冥福をお祈りします。 -- 名無しさん (2020-12-28 20:04:09) - シルエット博士、今度はファンターネのキャラクターと共演するようになったね -- 名無しさん (2022-04-26 08:09:44) - えっと?えっと?シルエット〜! -- 名無しさん (2023-10-03 10:50:25) - 恋愛禁止を否定するのに、既婚者を例に出すのはちょっと違くないか? -- 名無しさん (2023-10-11 13:36:07) - だいすけお兄さんはビットワールドに出てたりと今もEテレとの縁があるんだよね。あと、あの人の曲でバズドラアニメの主題歌になった「ハレルヤルーヤ」好きだわ。 -- 名無しさん (2024-01-21 05:51:51) #comment #areaedit(end) }

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