プロット(創作)

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&font(#6495ED){登録日}:2011/08/23 Tue 22:30:18 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 6 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- #center(){ ※注意※ この項目は例として幾つかの作品の[[ネタバレ]]を含んでいます。 } プロットとは、アニメや小説や映画などの物語やはては学術論文の創作において「ストーリーの設計図」となるもののことである。 語源は[[英語]]の「plot」。ちなみに陰謀や小区画という意味でもある。 グラフを描く際にグラフ用紙に「点を打つ」ことをプロットというが、 厳密には「○○の後××、その後△△…」という「単純なお話の流れを書いたもの」が「ストーリー(あらすじ)」であるのに対し、 「○○と行動したので××の状態になったので△△と…」と「作中の事物の因果関係を明確化して書いたもの」の形式で物語るのが「プロット」らしい。 類義語:「箱書き」 #Contents() *・プロットの作り方 ここではプロットの組み方を例を挙げつつ説明していく。 **◇1.テーマを決める まずプロットを作る前に「テーマ」を決める必要がある。 ではそのテーマとは何か?それは、物語の根底にある絶対条件……大仰に言い換えれば「そのお話で正義とされるもの」「そのお話で絶対に達成されなければいけないこと」である。 ライトノベル『[[生徒会の一存]]』を例にすると、テーマは「生徒会室で役員+αが駄弁る」である。 偶に関係ない挿話もあるが、このシリーズは基本的にこのテーマに沿って進行している。 ちなみに上記の文に言う「テーマ」は、厳密には「描きたいもの」のうちビジュアルや人員的な要素の面と言える。 石ノ森作品で言えば[[秘密戦隊ゴレンジャー]]や仮面ライダーシリーズはどちらも「[[変身>変身(ヒーロー)]]して戦う」という映像的要素がある。 しかし[[戦隊シリーズ>スーパー戦隊シリーズ]]は「最初から[[正義]]の集団」であることも普通だが、ライダーは「敵対組織と力の根源は同じ」という要素を抱えている事が多い(昭和の時点でも全てではないが、[[平成ライダーシリーズ]]に多く見られる要素でもある)。 このため、仮面ライダーの多くはテーマ性として、「悪と同質の力を振るう正義」を据えることにより逆説的に「善悪とは力そのものではなく、使い方によって決まる」ことを描いていると言え、これはキャラクターの年齢や性別等とは関係ない概念的要素である。 つまり作品を構築する基幹要素そのものは複数存在していると言え、場合によっては下記のようになる事もある。 作家「美少女が出したい!でも担当に戦闘モノって言われた・・・せや!だったら[[セラムン>美少女戦士セーラームーン]]みたいな美少女戦士にすればええんや!」 担当「(アクションをしっかり描いてくれるなら)ええんやで」 この場合、作家のビジュアル的テーマは「美少女」で、担当の求める概念的テーマは「戦闘」と言えるだろう。 その上でどシリアスに殺しあって[[まどマギ>魔法少女まどか☆マギカ]]みたいな事になるか、コメディタッチで[[百合]]モノっぽくなったりするか、といった部分はまた別の話。 年齢設定に関しても、『エヴァンゲリオン』のような「少年少女の主人公もの」には「ビジュアル的にそうなるべくしてなった設定」が用意されている事があったりなかったり。 『[[魔法陣グルグル]]』では「ミグミグ族の子供の頃の不安定なハート」が力の源となっており、完全に「ヒロインが特殊な力を使える年齢制限」がある。 しかし『[[蒼穹のファフナー]]』では「戦うための[[ロボット]]に適応するよう調整され生み出された子供たちだから」なので、主人公らは紛れもない強者だが彼らより年齢が高めのパイロットもいる。 このように、作中で主人公らがメインとして描かれる理由にも差があったりする事もある。 **◇2,キャラクターと世界観を作る こうしてテーマを決めたら、早速プロットを……といきたいところだが、次に「[[キャラクター>キャラメイキング(創作)]]」「世界観」を決める必要がある。 これは何故かというと、プロットとは言うなればキャラを動かすための「予定表」のようなもので、 予定を組むにはその対象となる人物と、それを組む前提となる状況が必要だからである。 ただしここで作るキャラや世界観は仮決定でも構わない。とかく必要なのは大前提である「テーマ」に必要な役者と舞台であり、これ以降必要に応じて修正が入るのは当然だからである。 つまり、プロットとは物語に対し脚本とほぼ同義なのである。 ではテーマが決まり、世界観を整え、登場するキャラが一通り揃ったら、ようやく本題のプロット作りである。 **3.プロットを作る プロット作りにおいてよく用いられる方法に「帰納法」と「演繹法」が挙げられる。 ***帰納法 帰納法とは、先に結論を用意し、そこに向かって式を組み立てていく方法。いわば「テーマ優先型」といえる。 例として『[[ロウきゅーぶ!]]』を基にしてみよう。 「高校生の指導の下、小学生の女子バスケ部が男子バスケ部に勝利する」という結論に至るため、 「なぜ試合するのか」「どうして主人公はコーチをしているのか」という風に、物語を遡って構築していくのが帰納法である。 この場合、キャラクターは後から必要に応じて組み立てたり組み替えてもよい。 ***演繹法 もう一つの演繹法とは、前提を基に結論を導き出す方法、いわば「キャラ・世界観優先型」である。 同じく『ロウきゅーぶ!』を解体していく。 「部長のロリコン騒動で休部中の主人公」(前提A)に「小学生女子バスケ部のコーチング」という依頼が来る。 ここで主人公は「一週間という期限つきで承諾」する(結論A)。 次に「一週間という期限」(結論A→前提B)に対し「コーチングが必要な理由を知る」というファクターが加わり、 「試合まで勝てる指導をする」と約束を交わす(結論B)……という風に、 玉突きのように前提から結論が産まれ、その結論が次の前提になるのが演繹法である。 こちらはキャラクターの思想や状況が結論を出すための条件になるため、事前にある程度確定して組み立てる必要がある。 こうしてプロットを組み立て、そこに肉付けして物語を作っていくのである。 *・シナリオの部分的プロット 先の例は物語の開始や主人公の行動の根源など、全体のバックボーンとなる部分の書き方である。 しかし[[漫画]]の週刊連載や[[なろう>小説家になろう]]小説の更新などは「このキャラを活躍させる」とか「このキャラは生かす」といった大雑把な事は決まっていても、 その回その回の詳細が決まってはいない事も普通であり、こうした場合にもプロットは存在しうる。 『[[うしおととら]]』の単行本版巻末漫画では、作者がプロットの例として「うしおたちがきけんなば所でわるものをたおす」と書いているネタがある。 これは前述の例で言えば「読者にスリルやアクションの爽快性を与えて楽しませる」という大きな概念的目的に対し組んだプロットと言える。 こうした考え方は映画などでも例える事が出来、エンターテインメントとしての要件を満たすための考え方と言える。 ここに盛り込む肉付けの要素をうまく組み換えれば、別の作品を作ることだって可能なのだ。 例:[[主人公>スティーヴン・セガール]]がきけんなば所([[乗っ取られた戦艦>アイオワ級戦艦]]=[[海]]の上の要塞状態で助けが来にくい)でわるもの(テロリスト)をたおす=「沈黙の戦艦」 ちなみに2作目は「高速で移動していて助けの来ない列車」が舞台。 これが「高空を飛んでいるから〜」となると「エアフォース・ワン」になる。うしとらで言うとふすまの回とか。 またこの舞台設定をしていく上で、「空を飛べるキャラクターが少ない」という世界観などがあると主人公の状況も変わってくる。 実例としては『[[HELLSING]]』では、敵の[[英国>イギリス]]襲撃作戦前に[[アメリカ>アメリカ合衆国]]議会で[[吸血鬼]]が暴れて大混乱を引き起こすなど「即時の援軍」を遮断しているところがある。 これは推理漫画における[[孤島もの>雪鬼伝説殺人事件(金田一少年の事件簿)]]にも類似点があり、特に現代においては警察の組織的・科学的捜査や、 法的根拠のある拘束力、複数の人間を監視下に置ける人員数などはどうしても「それがあれば事件が解決してしまう」ところがある。 それ自体はいいことなのだが、警察が機能する=主人公を活躍させるといったプロット上の前提との衝突が発生してしまう。 このため「すぐには警察の増援が来ない」という前提が必要となり、そのために雪崩先生や台風アニキにお出まし願うことになる。 (前述で言うと「民間人の主人公キャラを、警察の介入なく活躍させるには」を考えていく事で話が出来上がる演繹的な手法に当たるだろう。 「現代で」という前提を崩さない場合は自然災害が強いが、「民間人」のキャラだけを守りたいなら警察の科学捜査力が無い時代を選ぶというのも手である) 事件の重要参考人または少数の犯人候補を合法的に拘束したり、逆に「安全のため」という方便のもと監視を行うのは警察ならば可能である。 が、単なる民間人同士では現行犯逮捕しない限り、ただの名誉棄損を行った人間による違法な軟禁などになってしまう。 よほど強引で後先を考えない人間(か疑われた側が前科持ちなど相当疑われ易い存在)でもなければ「帰ったら訴訟する」という言葉の前に拘束は不可能となる。 だからこそ「こんな場所にいられるか!俺は部屋に帰らせてもらうぞ!」といったセリフと[[新たな死体が生まれたりするのだ・・・。>犠牲になったのだ]] TRPGの『[[ダブルクロス>ダブルクロス(TRPG)]]』には<瞬間退場>というエネミーエフェクトがある。 要するにルール上「この敵キャラクターは攻撃に当たらず一瞬で拠点などに帰れる」と定めてあり、必ず生還出来るようになっている。 (ちなみに「レネゲイドと言われるものにより特殊能力を得た超人がいる世界」など、基本的設定はゲーム側が提供している) このエフェクトは『我々に逆らう者の顔を見に来てやt「あ、スキルマシマシの全力攻撃でそいつ殴ります」ひでぶ!?』といったような悲劇を防ぐためのものである。 物語序盤でラスボスが死んでしまったら、ゲームマスター=シナリオ製作者は話を進めることが困難になってしまうからだ。 城から出て5分で[[ボス>バラモス(DQⅢ)]][[キャラ>ゾーマ(DQ)]]が死んでしまったら、最後の決戦に誰を出せばいいんだという話である。 これはプレイヤー側も必ずしもわざとやっている訳ではなく、後で出てくる中ボスだとウザいし数減らしておくか位の考えで殴ったら、 クリティカルヒットにより真の力を開放するなど段階的な強化をされていないラスボスがしんでしまいました。という感じである。 それを防ぐ設定上の能力により、射程外から煽り台詞を言った後で瞬間退場する事で「ボスっぽい空気を出しつつ死なない」みたいな行動が出来るようになっている。 GM「ぼ、ボスキャラが死んだーっ!?[[プロットダイーン!>クロコダイン(ダイの大冒険)]]」 となった後のゲームマスターは、誰もがアドリブの効く玄人ではない。初めてGMをやって、プロットが爆発四散し大混乱…そのままゲーム自体がグダグダ…という事もありうる。 というかそういう現象が実在したが故に、ゲームや会社の方針によって「ボス出オチ対策」が練られた結果である。 ただし項目最後のライブ派、すなわちある程度までの矛盾は気にしない(または考えている暇がなかった)というパターンも存在する。 (著名な作品として『[[北斗の拳]]』はそのように作られた面がある、と作者がインタビューで語っている) TRPGにおいても([[ラスボス]]が死んだようだな…じゃあ[[中ボス]]予定の奴を)「ふはは、奴など所詮小物。本当の黒幕は俺だ!」(ってことにしとこう) みたいな事をやって凌ぐことが出来る人もいる。 *◆有名な構造の作り方 **・起承転結/序破急 プロットを組む時、箇条書きで流れを書くのもよいが、それでは際限なく続いたりどうでもいい部分が増えることがある。 そこで情報を整理しシェイプアップするために、起承転結や序破急といった区切り、緩急を付けることが重要になってくる。 起承転結とは分かり易く言うと「[[4コマ漫画]]」構成である。 起で物語が始まり、承で発展し、転で最高潮を迎え、結で収束する。『[[涼宮ハルヒの憂鬱]]』をこれで分解すると、 起:[[涼宮ハルヒ]]という破天荒な少女が主人公の[[キョン>キョン(涼宮ハルヒシリーズ)]]に絡み始める 承:キョンの前にハルヒの望む[[宇宙人>長門有希]]・[[未来人>朝比奈みくる]]・[[超能力者>古泉一樹]]が現れ、彼女の特性が語られる 転:ハルヒは自らの能力で新たな世界を作り、そこにキョンも呼び出される 結:キョンは元の世界を望み、ハルヒと二人で帰還する と、こうなる。これをさらに「起の転」や「承の結」など細かく分け、16区切りにするとかなりすっきりする。スペースも取るし面倒なので16分割についての例は省略。 序破急は主に演劇などの分野で使われる言葉で、転を承と結に分割したと思えば分かり易い。 『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』を分解してみると、 序:人智を越えた「使徒」に対抗するため、[[碇シンジ]]がエヴァンゲリオンの操縦者となる 破:使徒を撃破する内に、その裏で蠢く陰謀や真実が少しずつ明かされる 急:遂に発動した人類補完計画。そこでシンジが選ぶ未来は―― もちろんこちらもさらに細かく9段階に分けることでより明確になる。が、やっぱり面倒なので省略。 三幕構成は主にハリウッド映画などで使われる言葉で、初めから1/4までが1幕で物語の前提を描写し、 1/4から3/4までが2幕で本題である事件を展開し、3/4から最後までが3幕で解決編となる。 2幕の中でも1/2時点の前後で流れが変わり、ここから解決までの方向性が定まると同時に危険も増すため、実質起承転結と等価と言えるかもしれない。 ハリウッド版『[[GODZILLA ゴジラ]]』を例に挙げると、 1幕:過去にブロディ一家を襲った事件と、真相究明に動くジョー、そして真相である[[ムートー]]が出現する 2幕前半:父に家族を守るように言われたフォードはサンフランシスコへ向かう作戦に参加するが、彼が時限装置をセットした核弾頭がムートーによって街に運び込まれてしまう 2幕後半:[[ゴジラ]]がムートーを殺し、フォードは核弾頭を街から引き離す 3幕:フォードは核爆発前に救出され、避難所で家族と再会する こちらも幕の中をさらに細かく分ける場合もある。 ||ビート・シート(Blake Snyder)|13フェイズ構造(金子満)|ライターズ・ジャーニーの12ステップ(クリストファー・ボグラー)|ヒーローズ・ジャーニーの神話類型(ジョゼフ・キャンベル)|昔話の構造31の機能分類(ウラジーミル・プロップ)| |第1幕|オープニングイメージ&br()設定&br()テーマの明示&br()触媒&br()選択 |(背景)&br()日常&br()事件&br()決意|1.平凡な日常:キャラクターの日常描写&br()2.非日常への誘い:日常から非日常へのきっかけの描写&br()3.非日常の拒絶:非日常に対する葛藤の描写&br()4.師との出会い:葛藤を克服し非日常へ移行する描写&br()5.事件の発端:非日常の本格的な到来の描写|冒険への召命&br()召命の辞退&br()超自然的なるものの援助&br()最初の境界の越境&br()鯨の胎内|1.家族の一人が家を留守にする(不在)&br()2.主人公にあることを禁じる(禁止)&br()3.禁が破られる(侵犯)&br()4.敵が探りをいれる(探りだし)&br()5.敵が犠牲者について知る(漏洩)&br()6.敵は犠牲者またはその持ち物を入手するために、相手をだまそうとする(悪計)&br()7.犠牲者はだまされて、相手に力を貸してしまう(幇助)&br()8.敵が家族のひとりに、害や損失をもたらす(敵対行為)&br()9.不幸または不足が知られ、主人公は頼まれるか、命じられて、派遣される(仲介・連結の契機)&br()10.探索者が反作用に合意もしくはこれに踏み切る(始まった反作用)&br()11.主人公は家を後にする(出発)&br()12.主人公は試練をうけ、魔法の手段または助手を授けられる(寄与者の第一の機能)&br()13.主人公は将来の寄与者の行為に反応(主人公の反応)&br()14.魔法の手段を主人公は手に入れる(調達)| |第2幕|Bストーリー&br()お楽しみ&br()中点&br()迫り来る悪い奴ら&br()全てを失って&br()心の暗闇 |苦境&br()助け&br()成長・工夫&br()転換&br()試練&br()破滅&br()契機|6.試練、仲間、宿敵との出会い:新しい世界での新しい経験の描写&br()7.ストーリーの深淵の描写:物語の大テーマの描写&br()8.最大のチャレンジ:試練の克服の描写&br()9.勝利:勝利の末、得た結果の描写|試練への道&br()女神との遭遇&br()誘惑者としての女性&br()父親との一体化&br()神格化&br()終局の報酬|15.主人公が探しているもののある場所に、運ばれ、つれて行かれる(二つの王国間の広がりのある転置、道案内)&br()16.主人公とその敵が直接に戦いに入る(戦い)&br()17.主人公が狙われる(照準)&br()18.敵が勝つ(敵の勝利)&br()19.初めの不幸または欠落がとりのぞかれる(不幸または欠落の除去)| |第3幕|フィナーレ&br()ファイナルイメージ|対決&br()排除&br()満足|10.帰路:日常の奪還の描写&br()11.復活:進化と再生の描写&br()12.帰路:エンディングの描写|帰還の拒絶&br()呪的逃走&br()外界からの救出&br()帰路境界の越境&br()二つの世界の導師&br()生きる自由|20.主人公は帰還する(帰還)&br()21.主人公は迫害や追跡をうける(迫害、追跡)&br()22.主人公は追跡者から救われる(救い)&br()23.主人公は、気付かれずに家または他国に到着する(気付かれない到着)&br()24.偽の主人公が、根拠のないみせかけをする(根拠のないみせかけ)&br()25.主人公に難題を課す(難題)&br()26.難題が解かれる(解決)&br()27.主人公が気付かれる(判別)&br()28.偽の主人公や敵、加害者が暴露される(暴露)&br()29.主人公に新たな姿が与えられる(姿の変更)&br()30.敵が罰される(罰)&br()31.主人公は結婚し、即位する(結婚もしくは即位のみ)| **・7つの型 ジョディ・アーチャーとマシュー・ジョッカーズの著作『ベストセラーコード』では売れるストーリーに7つのパターンがあるという。 1. ブッカーの喜劇 前半は主人公が困難からスタートし、状況が好転したときに悪いことが起こるが、後半は最終的に幸せになる。 2. ブッカーの悲劇 主人公が悲しい現実に置かれる。その後間違った判断をしてさらに事態が悪化する。主人公は最終的に厳しい現実を受け入れる境地に達する。 3. シンデレラストーリー 序盤で主人公の運命が好転するが、中盤に主人公が全てを失う。最後に主人公は絶望から這い上がり、平和に幕を閉じる。この過程で主人公は成長する。 4. 再生型/逆シンデレラ 序盤で主人公は変化を経験して価値観が揺さぶられる。中盤に新しい学びや経験や自己表現を得て感情が高まる。最後はバッドエンドになる場合が多い。 5. 旅と帰還 前半部分では主人公が全く異なる世界に直面するが、その後魅力を感じる。後半部分では主人公が試練を経験する。最終的に試練を克服して元の世界に戻る。 6. 探求型 主人公が何かを求めて冒険する。序盤、主人公は未知の場所でモンスターと戦い、感情が高まる。中盤、希望が打ち砕かれ、緩やかに感情が高まる。最後になんらかの形で旅が終わる。 7. モンスター退治 前半部分では主人公は悪役や脅威に立ち向かうことを余儀なくされる。後半部分では主人公はそれらを退治し、最終的に幸せに向かう。 *◆応用例 まず自分の書きたいものを書き出してみよう。物語や人物についてテーマソングを決めてもいいし、漫画なら描きたいコマの絵でもいい。思いついた単語を並べたり、人物に会話をさせて書き出してみるのでもいい。 このようにして作品の芯となるアイディアが決まったのであれば、次にそれを面白く脚色する方法を考える。思い付いたシーンを上述の起承転結/序破急や七つの型に当てはめていくだけでも、とりあえずの完成を見る事は十分可能なはずである。 その後、物語としての整合性を持たせ、具体的な描写によってリアリティを出し、受け手に余計な疑問を持たせないようにする。 余計な疑問があると観る際に違和感を覚えたり、より重要な情報に対する疑問を抱かなくなってしまったりして、途中で観るのをやめてしまう恐れがある。かと言って具体的な描写の多くはつまらないものであるので、短く簡潔に行う必要がある。 **引き付け より具体性を持たせるためには、「一目で分かる面白さ」が不可欠。 映画のような長編ではあらすじから興味を持ってもらうための「ログライン」が必要だし、SFやミステリーのような本格的な物語の場合は新規性のある「トリック」や「テーマ」が必要である。一次創作の場合、登場人物の魅力的な「[[キャラ性>前キャラクター態]]」も必要である。観察や取材に基づくリアリティのある描写をすることは、ログラインやキャラを作った後にはじめて可能となる。 これらのアイデアには新規性が求められる。特にSFや幻想文学系の作品では安易に設定を真似ると剽窃の謗りを受ける可能性があるため注意を要する。 ログラインやキャラのアイデアについて、さとうあきらは『マンガ脚本概論』の中でヤングの『アイデアのつくり方』を援用し、1. 資料を集める 2. 心の中でこれらの資料を組み合わせ、手を加える 3. 問題を放棄し自分の想像力や感情を刺激するものに心を移す…といったステップを提案し、第二のステップにおいては平凡なアイデアを次々と出していくことを勧めている。さとうはこの時の方法としてオズボーンのチェックリストやマンダラートなどを挙げている。 ***ログライン 作品を一行で説明した時に面白みが出るようにする。これにより作品全体の目的が定まり、客層や制作予算も予想しやすくなる。この時の要約されたあらすじを「ログライン」と呼ぶ。 ログラインは謂わば物語の面白いと思わせる部分を最初に決める方法であり、映画のプリビズのように最終的な演出などを考慮するものではない。 ログラインは主人公が皮肉な状況に陥るほど強度を増す。例えば弁護士を主人公にしたのであれば、その人物が嘘をつけなくなるという状況が皮肉であるから、そのように設定するのである。 あらすじや長々しいタイトルを用意する機会があるのなら真っ先にログラインが書かれるところだろう。同時に自他の作品のどこが面白いか・何故売れているのかを見極める観賞眼が試される場面でもある。鑑賞眼を鍛えるには、地道に作品を作り続けていくしかない。 ***キャラ性 詳細は[[キャラメイキング(創作)]]を参照。 登場人物には大きく、物語に長く出演する「主人公」「脇役」とその場限りで出演する「チョイ役」「エキストラ」とに分けられる。主人公や脇役は感情移入や好感を促すため、その思想や行動について具体的で意外性のある描写が伴う。チョイ役やエキストラは単に世界観を説明するためだけの役割だから、細かい過去や意外な性格といったものは必要ない。 東浩紀は登場人物(ないし世界観設定や登場人物同士の関係性)がストーリーと切り離され、データベースとして消費される点を指摘した。伊藤剛は、少女漫画と少年漫画の二次創作の違いに着目し、登場人物の外見的な部分([[キャラ>前キャラクター態]])と人間らしい部分(キャラクター)とを分けて考えた。 キャラは簡単な属性の組み合わせで表され、すぐに理解できる部分と言えるだろう。登場人物を類型的に捉えることができるので、弁護士ならば弁護士, 警官なら警官としての類型的な行動が既知のものとして受け手の頭に入っているし、ギャップや皮肉を簡潔に伝えることができる。 ・登場人物の役割 登場人物はまた、物語を解説し、スムーズに進める役割もある。少年漫画では主人公らが三人一組になる場合があるが、これは「ボケ」「ツッコミ」「読者の代理としてリアクションをとる人物」の三者を用意し、物語をテンポよく進めるためである。少女漫画には主人公と同年代の友人が描かれることがあるが、これは主人公との会話を通して読者に状況を端的に伝え、主人公が独り言がちになり話が重くなるのを防ぐためである。 登場人物は言動や周囲の対比からテーマを伝えることもある。主人公は敵と共通点を持ち、時として悪に染まる危うさがあるのである。ある人物は「主人公がこのまま変わらずにいた時に辿るであろう末路」なのだ。プロップやグレマスらは登場人物に「贈与者」や「偽の主人公」といった役割を設けたことで有名である。 // //登場人物は感情移入の対象である主人公や脇役と、単に世界観を解説するチョイ役やエキストラに大別される。後二者は類型的な人物であるのに対し、前二者はキャラとして立ち、物語を駆動するに十分な欲求や恐怖の描かれた存在であると良いことは言うまでもないだろう。 ・キャラの魅力 登場人物が敵との関わりの中でどのような相互作用をするのかに対する期待を持たせるために、登場人物には強さや技術などの持ち味を持たされることがある。特にそれが強さである場合は、咬ませ犬が用意されたり、咬ませ犬の咬ませ犬が用意されたりするようだ。特に主人公がこうしたかませ犬を倒す場合、周囲から最初侮られていればいるほど効果は大きくなる。周囲の反応を写すことによって読者/視聴者にどう思って欲しいのかをアピールすることも効果的だ。 視聴者は現代に生きる存在だから、登場人物への好感度にも現代の倫理観がある程度反映される。セクハラや盗みなどの行為が批判なく描写されることに抵抗を持つ視聴者もいる。このためたとえば古典をテーマにした作品等では、原典での盗みのシーンが映画化に際して削除されることがある。 ・世界観 「世界観萌え」という言葉があるように、データベースとしての魅力を持つのは登場人物だけではない。 世界観にもキャラと同様、視聴者に簡潔に概要を掴んでもらうための属性(=記号)が存在する。たとえば異世界モノで最初にゴブリンやオークなどの敵と戦うのは、そこが「みんなの知ってる異世界」であるとすぐに分かってもらうためのものとして大変効力があるからである。 ***テーマ 物語全体を通してのメッセージ(テーマ)を決めておくことで、その作品が何を語りたかったのか・どう語りたかったのかということについて、受け手は考えを巡らせ、再び話題にしたり、鑑賞したりしようとする。テーマは表紙に書くのでなく物語全体を通して具体的な描写を繰り返して提示することで受け手の疑問の余地を無くすことが可能となるため、テーマを盛り込むのは簡単にできることではない。テーマを盛り込む必要を感じない場合は、無理に入れる必要はない。「読者を楽しませること」がテーマであっても構わない。 ・トリック/ワンダー 受け手は鑑賞しているそれぞれの時点に於いて、その時の常識にそぐわない出来事を劇的に感じる。「布団が吹っ飛んだ」という駄洒落は、本来なら吹っ飛ぶはずのない重いものが吹っ飛ぶというインパクトがあり、次にその理由が発音の類似に由来するものであることが理解されるプロセスを経て笑いに繋がる。つまりまずそこにありそうにないものを置き((ディペイズマンと呼ばれる。))、SFならばその理由を解説し、前衛小説ならそのような組み合わせがあっても構わないのではないかと疑いの目を向けさせることによって、受け手に常識の新たな視点を与えるのである。これを異化またはワンダーと呼ぶ。 SFやミステリーは、最初に奇怪な状況を提示し、何が起こっているのか・なぜそうなっているのかという疑問を植え付けた上で、それが論理的に実現可能であるということを示し、読者に驚きを与える。ファンタジーの場合も、科学的には実現不可能であるが作中の技術を使えば可能だったりする。これらの「トリック」や「ワンダー」は作品全体の流れを厳密に決めておかないと整合性を損なってしまうので、登場人物の性格の整合性よりも優先される。 純文学や前衛的な作品では、答えのない、多義的な解釈を許す表現がしばしば用いられる。これは例えば椅子は座るためのものだが、そのような「使い方」の分からない表現を提示することによって、日常生活に新たな視点を持つことを促すものである。これは読者の意識を逸らしすぎてしまう危険性を孕むため、かなり難易度が高い。 異化されたものは繰り返し用いられることですぐに受け手にとって新たな常識となってしまう。アシモフの「われはロボット」を例にとると、「ロボットは人を襲うかもしれない」と考える読者に対して物語の最初で「ロボットは人を襲わない。なぜなら人を生かすようにプログラムされているから」と説得すればそれが異化になるだろう。しかし次の瞬間にそれは読者にとっての常識となり異化は継続しない。これに続けざまに「ロボットが壊れた」という更なる情報を与えることで読者はその理由を探すことになり、最後にその意外な理由を与えられることで読者にはまた新たな異化が与えられるのである。 // //特に受け手に何かを伝えることが優先される映像作品等では神話系, ナラティブ, レシの三種類を理解する必要がある。神話系とは主にテーマやトリックのことであり、ナラティブはそれを具体的に伝えるプロット, レシは表現技法を表す。 //例えばこれが洗剤のCMであるならばまず頑固な汚れという問題があることを視聴者に伝え、それを打破するために新しい洗剤を買うべきだというメッセージを伝える必要がある。このように映像を通して視聴者に伝えられるメッセージは神話系((厳密には神話系は神話素とそれ以外とに分かれる。神話素は例えば性的役割分業のような社会規範を前提としたいわゆる視聴者と共有された常識であり、神話系はそれに対して視聴率に提示される新たな常識である。後者はテーマのようなものである。))と呼ばれる。物語ならば単にメッセージだけでなく、例えば科学技術による社会体制の変化があるという予言や、哲学的な問いなども含むことだろう。 //神話系を効率的に伝えるには視聴者に映像を分かりやすくインパクトのある方法で伝えなければならない。このため実例としてストーリーが用いられるのだ。 //ナラティブは、物語世界での時系列順の出来事(=イストワール)と、それを語る段階で起承転結などの形に構成し直したもの(=ディスクール)に分けられる。推理小説で例えるなら、最初に被害者の死体という結果が先に示されてからそこまでに至る経緯が後から説明されることがあるが、これは時系列順に物語が進んでいるとは言えない。犯人が被害者を殺害し、探偵が解決するまでを記すのがイストワールであり、それを視聴者にわかりやすく構成しなおしたものがディスクールである。プロットと呼ばれるものはイストワールを指している場合が多い。 //レシは、それを表現する演出や演技の方法。映像表現では[[モンタージュ>モンタージュ(映像表現)]], 文章では比喩や[[話法>物語論]]がこれにあたる。 //特に、ドキュメンタリーなどではノートの右側にディスクールを、左側にレシを書いていく方法が提唱されている。 **現前性・整合性 こと創作において、動作には必ず理由がなければならない。「ふと立ち上がる」ということは許されず、「トイレに行くために立ち上がる」というように、あらゆる動作には目的があるのである。また登場人物が周囲に流されるまま、自分の力を使わず常に偶然事件を解決していくようでは共感を得ることはできない。 //イストワールを駆動するのは登場人物の強い感情(=動機)である。主人公の感情にはボルテージがあり、これが物語の進行とともに上下することにより読者は続きを読みたいと思うようになる。ずっと明るい話であるよりも、暗い話から明るい話に入った方がカタルシスがあるということである。((この辺に関しては本によって言っていることがバラバラであるため、自分の望むジャンルの作家の出した本を参考にした方がいいだろう。たとえば少年漫画家である[[荒木飛呂彦]]は主人公は基本的には幸福に向かい、最後に何かを得なければならないとしているし、少女漫画家の松元美智子は登場人物の気持ちは上下するものとしている。)) 主人公に対するハードルが高ければ高いほど、それを自らの手で解決した時のカタルシスは大きなものとなる。ストーリーにおいてキャラが重要であるという所以はこのハードルを描くことにあるだろう。蜘蛛が苦手な主人公が蜘蛛のいる場所に赴くというのであれば、主人公にとって蜘蛛がどのような存在であり、どういう風に怖く思えるのかということを、実例を交えて丁寧に説明し、読者の疑問が挟まる余地をなくさなければならない。ここで重要なことは、その描写がどれだけ現実らしいか、ということではなく、どれだけその世界と合っているか、ということに近い。例えば物語世界に魔法が存在するような場合でも、事前にそのように伝えられていれば読者にとってそれが真となる。ご都合主義な展開とは往々にしてこの事前の説明がされていないか、読者に理解されていないことによって生じている。ただし、その作品がどれだけ「現実らしいか」ということ(リアリティライン)に沿わない説明はリアリティのない説明だと思われてしまい、受け手は現実に引き戻されてしまう。ある時点で「現実っぽい」描写をした場合、他の部分で「デフォルメされた」表現を使うとその部分をリアルに感じにくい(例えば、必殺技を放つときに技名を叫ぶ作品に、史実や科学考証に基づく設定が提示された場合とされていない場合とでは、むしろ後者の方がリアルに感じやすい。((またこうした「現実っぽい」描写は登場人物が端的にどのような人物なのか説明するのにも有用である。「子供のような大人」であることを説明するのに大人という外見だけでは足りない場合、子供のやる「あるある」をその人物に取らせることでその人物の説明をすることができる。)) 推理小説などにおいて、事件やそのトリックは可能性のある出来事から順に起こるものとして推理される必要がある。例えば密室殺人において犯人が超能力を使えるような場合は可能性がかなり低いと考えられるので、それよりも高い可能性のあるトリックをその場の状況から導き出すのが優先されるだろう。超能力が考慮されるのは密室に秘密の抜け穴があったという可能性を潰してからだし、抜け穴があった可能性が考慮されるのは他のあらゆる可能性を潰してからなのである。探偵や読者は今までにあったヒントだけからまず推理を行うし、作者も読者にとってヒントとなる出来事を意識はされないまでも十分に覚えさせておく必要があるだろう。これを「フェアである」という。 //****■レシ //神話系(テーマ)やナラティブを表すために表現技法もまた用いられることがある。 //・芝居 //人物の芝居は観察力が要求される。視聴者は作者の観察力に対ししばしば称賛を送るが、この称賛と作品の評価とは区別できない場合が多い。 //・サブテキスト //登場人物の会話を通して複数の出来事を伝える方法。人は言葉通りのことを意図して発言しているとは限らず、暗に伝えようとしていることがある。サブテキストはこれを利用したものである。例え「テストの点は?」と聞かれて「時間が足りなかったんだ」と答えるだけで、結果が芳しくないだろうことに加え、話し手の人柄まで仄めかすことができる。次のような文を考えてみよう。 //A「レモンいかが?」 //B「酸っぱいのは苦手だ」 //BはAに対して暗にレモンはいらないとしている。実際の言葉に対して話し手が暗に意味しようとしているものを推意という。推意には推意前提と推意結論があり、この会話における推意前提とは「Bはレモンを酸っぱいものだと思っている」であり、推意結論は「Bはレモンを食べたくない」である。このように単一の発話は三つの情報を込めることができるのである。 //・-発語媒介行為 //もちろんAとBが異なる前提を持っていれば話は変わってくる。レモンと酸っぱいものが結びつくのは、酸っぱいものとして前後の文脈からもっとも関連性の高いものがレモンだからだし、苦手だから食べたくないと言っているように聞こえるのは、直前に食べるかどうかを聞かれているからである。Bがもしレモンを酸っぱいものだと認識しておらず、直前により酸っぱいものを食べていてレモンの甘さでそれを中和しようとしているような存在であり、Aがしかもそのことを知らずにいたならば、AとBはお互いに勘違いをしたまま会話することになるだろう。 //こうしたまるでアンジャッシュのような状態では相手の前提としているものをはかりかねた一方の人物が口を滑らせて墓穴を掘ったり、もう一方の考えを意図せず変えてしまうこともあり得る。伝達を目的とした「発語行為」やそれにより相手に要求などの意図を伝える「発語内行為」といったものに対し、発話の影響により相手の行動を変化させることを「発語媒介行為」という。 //・話法 //報道番組等にも言えることだが、特に小説において物語は誰が話しているかも重要な要素である。語り手が嘘を言っている場合もあるし、意図的に事実を隠している(叙述トリックを行なっている)場合もある。三人称の小説においても、ある時には誰かの気持ちを代弁し、またある時には誰かの意図しない心の中までも客観的に説明する場合もある。 //物語は全てが虚構ではあるもののその虚構においてさえ「虚構的に真」なるものが存在している。語り手の欺瞞を見抜き、物語の核心に迫るには再現性の高い表現を見つけなければならない。それは小説においては鉤括弧「」で括られたセリフだし、報道においては「直接話法」と呼ばれる生の言葉である。 //地の文において、たとえば何回も続いた動作の中からある一つを抜き出し、それについてコメントすれば、その一つの出来事が他の出来事よりも特別なもののように扱われるだろう。語り手にとってその出来事が特別に感じられたということである。また語り手が突然登場人物について詳細に語り出したなら、その人物をよく見る余裕ができたということである。このように、語りを通しても登場人物の人となりを説明することはできるのである。 ***空所 物語の受け手がその先を読みたいと思う推進力となるのは空所の存在である。たとえば「ルパン三世」を例に挙げれば「ルパンは何を/どのように盗むのか」という問いがまず受け手に与えられることになる。受け手はストーリーを追うことでこの謎を解決しようとする。そこで更にお宝が提示されたなら、なぜそれがそこにあるのか, なぜそれほどの価値があるのか…といった謎が次に生起するため、読者は継続して物語を読み進めることができる。 すなわち、最初に何が起こっているか分からない状況を提示したり、どうなるか分からない興味深い世界観を提示したりすることて受け手の注意を引いて、名前を出したり説明を加えたりするのはその後に行う(とくに2010年代以降の作品では娯楽が多様化しているため、視聴者層・読者層の望むものをピンポイントで提示しつつ、こうした引き付けを行うことが望ましいとされる)。 空所/謎には未来に関する「サスペンス」(主人公はどうなるのか)と現在/過去に関する「ミステリー」(何が起こっているのか/なぜ今の状況が発生しているのか)がある。もちろん、サスペンスとミステリーの組み合わさったものも存在する(謎を解かなければ主人公の身に危険が及ぶ場合など)。 サスペンスは強い推意(=意味の伝わりやすい仄めかし)によって成り立つことが多く、ミステリーは弱い仄めかし(=意味の伝わりにくい仄めかし)によって成り立つことが多いようだ。 ・サスペンス サスペンスは、何らかの問題が提示され、主人公がそれを解決したところで次の問題が発生し…というループで物語を構成する。苦難の末に問題が解決されたときの達成感を「カタルシス」と呼ぶ。大きな問題が発生する場合、それらは必然的である方が良い。 アニメ監督の高畑勲は主人公に危機や異変が起こっていることを読者/視聴者にだけ見せておき、主人公には隠しておく手法がサスペンスの定石であるとした。 ただし、緊張した場面がずっと継続すると読者は疲れてしまう。バトル系の話でもアニメに日常回があり、ラノベの最初や最後に日常に戻るのはそのためである。石ノ森章太郎はシリアスなシーンにギャグを挟むことで劇的な効果を上げることができると主張している。『[[ゴールデンカムイ]]』でしばしばギャグや登場人物同士の「わちゃわちゃする」シーン等の後に凄惨なシーンが来るようにしてあるのは有名である。 逆に、読者にだけ登場人物の優位性を示し、他の人物には知らせないでおくことによって、主人公への期待をより高めることができるだろう。 事前に頼りになる味方キャラを描いておいて、その味方キャラを特定の場所に配置し、何か事件を起こす場合にその場所と近いところで起こしたりするのは典型的な方法かもしれない。 この場合、味方キャラと関連性の高い事物が示されたことによって、その味方キャラが問題を解決してくれることを読者・視聴者は期待する。その期待を裏切るべきか裏切らないべきかは、個別の事例を見ていくしかない。 ****チェーホフの銃 謎は解決のときを待っている。登場人物がいる場所が分からずに話を進めると、読者はその謎に気を取られてしまうし、曖昧な比喩表現による情景の説明は、描写される対象を同定するまでは読者は他の物事に注意を払う余力を持つことができない。謎を抱えたままの読者はストーリーを謎と関連づけて考えてしまうため謎と無関係な出来事を頭に入れることが難しく、そのような情報が与えられ続ければ読者は読むのに疲れ、退屈してしまう。チェーホフの銃と呼ばれる現象である。 ゆえに、特別な意図がない限り、多くの作品では誰が何をしているのか、いつどこなのか、主人公はどういう身分なのか、どういうリアリティラインなのか(その作品がどれだけ「現実らしい」のか)、を最初に提示しておき、主人公の現状と関係の深い物事について読者が謎を抱かないようにする。 [[異世界モノ]]でゴブリンやドラゴンといった、いわばテンプレ設定が用いられるのは今いる場所が現実世界ではないということを端的に示す目的がある。SFやファンタジーではあまり重要でない設定は最初から全てを説明していたのではテンポを損ねてしまうため、まず名前や周囲の反応等によってそれがどういうものかざっくりと示唆しておき、必要になった段階で初めて詳細な説明を加える。これを「後説」という。 ・叙述トリック 複数の謎を展開させるときは二つ目以降の謎を読者にそれと気づかれないようにし(もしくはそれほど重要でない出来事だと思わせて)、後からそれが(重要な)謎であることが明かされるような仕組みが必要である。具体的には、たとえば「人間ではない主人公はどんな存在なのか」「主人公の相方はどんな存在なのか」という二つの謎を用意した場合には、まず主人公が人間ではないという事実を隠し人間であるように振る舞わせておいてから、主人公の相方に対する謎を与えて読者に先を読み進めさせ、相方に対する謎が解決してきた段階で主人公の人間である可能性に疑念を持たせるというやり方である。これを叙述トリックと呼ぶ。 叙述トリックは言語学における語用論によって説明できる。まず語り手と聞き手は多くの文脈(=推意前提)を共有している。語り手が何かについて語るとき、聞き手はそのことと関係のある出来事を頭の中に呼び出している。たとえば比喩や皮肉は、具体的なことを言わないのに婉曲的に語り手の暗に意味するところが分かるが、これはこの仕組みによる。だが語り手と聞き手の持つ前提が違う場合には齟齬が起きる。語り手の意図していることが分からないような仄めかしのことを「弱い推意」と呼ぶ。 叙述トリックの最初の段階に於いて、聞き手たる読者/視聴者は語り手と自分とが同じ前提を共有していると思い込んでいる。話を進めていくうちに読者は前提が異なることに気が付き、実は話し手が「弱い推意」を行っていたことに気がつくのである。通常、それが弱い推意であることが明らかでない仄めかしは「伏線」、明らかなものは「布石」と呼ばれることが多いだろう。 物語の初め、まず異化をもたらし謎を提供する布石が出されて読者は物語に引き込まれる。最初の謎が解決した時、あるいはなんとなく察しがついた時や慣れてきた時、隠された第二の謎すなわち伏線の存在が明らかになる場合がある。叙述トリックもそのひとつである。 表現は単にその裏の意図だけでなく、その表現そのものの別の観点における重要度も隠していることがある。たとえばお色気シーンだと思っていたら後でそれが重要な手がかりにつながるシーンだとわかるのはその典型例だし、ギャグ的な発言だと思っていたら重い過去を表す発言だったりといったダブルミーニングもこうした効果の恩恵を受けていると思われる。 //前述した弱い推意とハッキリとした発言との間には「強い推意」も存在する。それ自体が仄めかしではあるものの、受け手と充分に前提が共有されており、ある程度語り手の言わんとしていることが特定できる場合である。「布団が吹っ飛んだ」の例であれば「発音が似ている」というのが「強い推意」であると言えるだろう。「こういう見方もあるかもしれないよね」と暗に教えるのである。直接言うのが野暮に感じられるようなものでも推意によって暗に伝えることで受け手が物語の空所を補い、完成させることができるのである。 // ・サブテキスト 受け手の意識を逸らすことなく情報を与える方法の一つに、台詞や芝居に複数の意味を込めること(サブテキスト)が挙げられる。サブテキストは推意前提を共有している受け手に「明言はしないもののそう取ることもできる」という仄めかし、すなわち「強い推意」を与えることで成立する。 たとえば余裕そうな表情をさせつつ手の動きを見せれば、暗にその人物の抱く不安を描くことができるし、[[3分間待ってやると言った後に銃弾を詰め直せば>ムスカ]]人物の周到さを描くことができるだろう。漫画なら髪の毛や目の動きに直前の動作を仄めかすことができる。 [[けものフレンズ(アニメ)]]では背景に置かれた人工物から様々な考察がなされた。細かな設定をいちいち説明していたのではテンポが悪くなったり、ともすれば野暮に感じたりするような場合でも、映像表現ならば背景に溶け込ませてしまえる。 [[新世紀エヴァンゲリオン]]では明らかに時間内に聞かせるつもりのない難解な台詞を用いることで、作中世界観の近未来性を演出するとともに「考察するために繰り返し観る視聴者を作る」というまるで詩のような作品である。 また、具体的な情報だけでなく、作品のテーマや主人公の辿る運命の暗示といったメタファー(=文隠喩)をサブテキストで伝えることができる。 [[装甲騎兵ボトムズ]]第一話では味方のはずのスコープドッグ達が一斉に主人公の方を向くという半ばホラーめいた演出で、人物同士の関係性や主人公の置かれた立場を暗示している。 [[少女☆歌劇 レヴュースタァライト(アニメ版)]]や[[アイドルマスター シンデレラガールズ(アニメ)]]のように、メタファーとなる道具を背景に置いたりするのもよくとられる手法である。 文章では、とくに語り手が主人公の身になって語っている場合、言葉の内容に加えて、「なぜ語り手はそれを見たのか」「なぜそのように見えたのか」「なぜそのように語っているのか」といったいったことによっても主人公の心理状態を示すことができる。たとえば、それまで容姿の説明がされなかった人物に対して急にその人物の説明が行われたなら、主人公はその人物を真っ向から見ているということになる。 ・ライトノベル的な手法 後説とは逆に、説明を次々と加えることで読者の興味を持続させる場合がある。小説のように長い説明が可能な媒体で発達したと思われる。作品内の世界に実在感を出すためにその世界の実例を交え読者のいる世界との共通項を出したり、もしくは科学的に見える(嘘でも構わない)説明を説得力があるように語ったりすることで、共感を生み出す手法である。前者は世界観を広げ、後者は新たな知識を授けそれが意外な場所で使われているということによって異化をもたらすが、同時に、脇道に逸れることで読者の注意を削ぐ恐れもある。 ・心理学が応用されていると思われる場面 たとえば最初、幽霊が出て、その問題の原因に思い至る直前に別の幽霊が出たとしよう。このとき、視聴者は二つの幽霊を関係のあるものとして見るはずである。このとき、視聴者は主人公が原因に思い至ろうとしたということを一時的に意識から外す可能性がある。人は過去の出来事に変更が加えられるとその間にあった出来事を忘れる習性があるからである。 ***ジャンルの問題 タイトルやあらすじ等で読者は事前にジャンルを意識している。読者が望んでいるものを提示しなければ顰蹙を買ってしまうだろう。眼鏡ヒロインとの絡みを望んでいたのにヒロインが眼鏡を外すような話を提示されたのでは面白くない。読者に対する裏切りは、この「ジャンル」に無関係な範囲で行わなければならない。 曖昧さは芸術性を生むとされているが、ある程度の確実さがないとそうした劇的な効果を上げることはできない。また[[シャーロック・ホームズ]]シリーズにおけるワトソンの存在は、単なる解説役以上にホームズの凄さを強調し、言語化する側面もあるだろう。視聴者に強い感情を持ってもらうには誘導が必要なのだ。同様のことはジャンルの問題にも言える。 例えば三島由紀夫は『文章読本』の中で感情はダイレクトに書かなければならないと言っているし、また少女漫画家の松本美智子は『少女マンガの作り方』の中で、恋愛漫画は必ず最後に言葉で気持ちを伝えなければならないとしている。前述した叙述トリックの存在により、「もしかしたら嘘かもしれない」という疑いを読者に抱かせてしまうのを防ぐためである。ジャンルによって読者の求めるものに対してはハッキリとした言葉遣いが求められるのだ。 **・媒体ごとの違い ***商業漫画/小説の場合 商業作品ではページ数が決められているため描きたい話が大体何ページで終わるのか掴んでおく必要がある。例えばSFならば必然的に要求されるページ数が多くなるし、絵本のようなファンタジーでは複雑な設定が必要とならないかもしれない。 ***報道やCMの場合 遠藤大輔は『ドキュメンタリーの語り方: ボトムアップの映像論』において、映像には「直接話法」「間接話法」「言説話法」の三種類が存在するとしている。直接話法はその名の通り、出来事を直接撮影した一次情報である。間接話法はその状況を目にした人の言葉であり、言説話法は、それらを元に作成した再現VTRのようなものである。言うまでもなく直接話法はほぼ疑いのない事実であるが、映像を作る者は自身の提示したい神話系に応じて映像を切り抜くため注意が必要である。 *・プロットを組むメリット/デメリット なぜここまで手間をかけてプロットを組み立てるのか? 一つは、こうすることで物語を矛盾なく進めることができるということ。 気分でつらつらと書いた文章は時に前後で致命的な矛盾を抱えることがあるが、そういうミスを少しでも減らすため。 もう一つは、あらかじめ予定を組むことで時間的にも内容的にも無駄なく創作するため。 逆に問題点としては、キャラクターが突然予定外の行動を取り始める、所謂「一人歩き」の妨げになること。 その回限りのゲストキャラに予想外の人気が集まって活躍させざるを得なくなった、などといった例もよくあることである。 もしそういう場面に向き合ったら、無理やり元の道を歩ませるのではなくキャラクターの歩く先にゴールが来るようプロットを修正するほうが、 キャラクターの魅力や作品の味が出たりとプラスになることが多い。 &font(l){逆にキャラクターの演出に力を入れ過ぎると『[[DRAGON BALL>ドラゴンボール(DRAGON BALL)]]』の鳥山明先生みたいに毎週「次回はどうなるんだ?!」という思いと戦いつつ、行き当たりばったりの矛盾だらけの展開を開き直って出さなければならなくなるが} 例を挙げると『[[あしたのジョー]]』のライバル、[[力石徹]]は元々プロボクシングには参加しない予定だった為、主人公のジョーよりかなり大柄に描かれていた。 しかし読者からの人気が予想以上だったため、彼がプロボクサーとなってジョーと戦う展開に変更することになったのだが、前述の通り大柄に描かれていたことで プロボクシングでは避けては通れない「体重差があり過ぎるのでジョーと同じ階級で戦えない」という問題が発生してしまう。 この問題を解決する為に力石を13㎏近く減量させてウェルター級からバンタム級に変えるという常識的に考えてあり得ない方法を取らざるを得なかった。 (ジョーを太らせる手もあったが、太ったジョーと痩せた力石が戦っても絵にならないと判断された) 結果、無理にも程がある減量が原因でガリガリとなった力石はジョーとの試合後に死亡することになる。 (試合中に頭を打ったことが直接的な死因ではあるが、減量によって弱っていたことも要因なのは明らかであり、プロのトレーナーは力石のような減量をしたら間違いなく死ぬと断言している) プロットの甘さが原因で力石は死ぬ形になったが、そのヒロイックな死も彼が人気となる要素となっている。 (ちなみに編集部やテレビ局の人間は「力石を殺さない方がいい」と進言したらしいが、ちばてつや先生は彼の死を押し通したとのこと。飲み屋で力石の件で言い争いになった際に「(力石は)絶対に殺す!」と大きな声を挙げたことで通報されたというエピソードが残っている。) 創作の技巧は十人十色で、ライブ派とかライブ型とか呼ばれる、プロでもプロットを組まない人もいる。(代表例の一人が名探偵浅見光彦シリーズの作者の故内田康夫先生で、しばしばその作品の後書きで、「プロットを作らず創作していて、書いている途中まで自分でも事件の真相が分からない」旨を何度か記している。) 起:項目が建てられた 承:たくさんの人が読んだ 転:誤字や不適切な表現が見つかった 結:追記・修正で事なきをえた #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,14) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 文芸部で作品書いてるけど、正直これが無いとキツいな -- 名無しさん (2013-11-11 13:33:33) - いくら構想しようがコレが無いならどうしようもない、たまに思い付きで書くこともあるが長編には欠かせない -- 名無しさん (2013-11-11 14:08:51) - 自分は立てると周囲の評価ひっくい駄作しか産み出さないからいつしか立てるのやめたな -- 名無しさん (2013-11-11 20:27:42) - 何年も練り上げたプロットより5分で考えた話の方が面白かった時の虚しさよ。 -- 名無しさん (2014-05-28 21:24:50) - ↑確かに…… -- 名無しさん (2014-06-07 12:08:16) - ↑↑何時間も会議やっててロクな企画が出てこない→休憩中とか飲み会の雑談で凄くいいネタが出てきた→それ採用、みたいなもんかw -- 名無しさん (2014-06-07 14:03:23) - プロットは終わりを考えて逆算するやり方で書いてる。終わりが見えてないとグダグダになり作者自身も飽きる -- 名無しさん (2014-06-07 14:09:55) - ↑ただ人によっては諸刃の剣で、終わりまで頭の中で完結してるから途中で自己完結して飽きる場合もある -- 名無しさん (2014-06-07 14:44:18) - ↑あと商業作品の場合、「打ち切られた場合の終わり方」「延長させられた場合どうするか」も考えなくてはならない。 -- 名無しさん (2015-04-30 23:08:54) - うまくプロットができたときの気持ちよさは最高だよ -- 名無しさん (2016-06-17 22:39:30) - 小説の書き方の指南書はあるのにプロットの書き方の指南書がないのは何故だろう。プロットが上手く書ければ小説を書きやすくなるから指南書欲しいです -- 名無しさん (2016-06-17 23:32:09) - ゼロの使い魔はヤマグチノボルさんがこれを残していたから志瑞佑さんが代筆で残り二巻を書けたんだよな。起承転までは出来ていたから結だけ書けばいいのもあるが -- 名無しさん (2017-09-30 11:21:17) - ↑2 あるよ、アマゾンでプロットで検索してみ -- 名無しさん (2017-10-03 15:54:26) - 慣れてくると登場人物が勝手に歩き出して「プロット?奴は死んだよ」とか言い出すから困る それが面白いんだけども -- 名無しさん (2017-10-26 21:35:53) - ↑それができる人カッコいいよな -- 名無しさん (2018-11-14 20:15:28) - 「帰納的」「演繹的」って実際にある言い回しなの? 本来の意味からだいぶ外れてると思うんだけど -- 名無しさん (2020-02-26 13:06:53) - ↑3 バカめ、 -- 名無しさん (2020-04-29 22:19:45) - ↑7 一種の戦術と戦略みたいなものかもね。小説の書き方が戦術で、プロットが戦略。で、基本的に読者が見たり求めているのは前者の方だからそこばかり重要視されてしまう。だから戦略=プロットが立てられておらず読者が注目しそうなシーンばかり考えていると行き当たりばったりになったり、話の収拾がつけられず必要以上に物語が長くなってしまう。 -- 名無しさん (2022-06-19 15:32:40) - 若い頃はプロット?何それ?で成功を収める創作家は居るが…加齢により発想などが衰えても、なおこれをやろうとして酷い事になってる事例は現実に結構ある -- 名無しさん (2022-06-22 08:05:09) - なんか自分は作品からこういうプロット部分を読み解いて、その構成がいかにうまく出来てるかに魅力を感じる所があるな。ただ、読み手としては若干邪道な楽しみ方な気もするし、連載作品で途中まではいい具合に積み重ねて行ってると感じてたのに、肝心のクライマックスで崩壊してた時のガッカリ感が酷い。商業作品だと崩壊の原因が作者以外の部分にありそうな事例も少なくないけど。 -- 名無しさん (2022-07-05 06:27:31) - 漫画家だと松井優征先生あたりが上手い印象 週刊誌っていういつ打ち切りが決まってもおかしくない中で「いつ終わってもいいように」構成してるというか -- 名無しさん (2023-02-15 03:12:01) #comment #areaedit(end) }
&font(#6495ED){登録日}:2011/08/23 Tue 22:30:18 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 6 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- #center(){ ※注意※ この項目は例として幾つかの作品の[[ネタバレ]]を含んでいます。 } プロットとは、アニメや小説や映画などの物語やはては学術論文の創作において「ストーリーの設計図」となるもののことである。 語源は[[英語]]の「plot」。ちなみに陰謀や小区画という意味でもある。 グラフを描く際にグラフ用紙に「点を打つ」ことをプロットというが、 厳密には「○○の後××、その後△△…」という「単純なお話の流れを書いたもの」が「ストーリー(あらすじ)」であるのに対し、 「○○と行動したので××の状態になったので△△と…」と「作中の事物の因果関係を明確化して書いたもの」の形式で物語るのが「プロット」らしい。 類義語:「箱書き」 #Contents() *・プロットの作り方 ここではプロットの組み方を例を挙げつつ説明していく。 **◇1.テーマを決める まずプロットを作る前に「テーマ」を決める必要がある。 ではそのテーマとは何か?それは、物語の根底にある絶対条件……大仰に言い換えれば「そのお話で正義とされるもの」「そのお話で絶対に達成されなければいけないこと」である。 ライトノベル『[[生徒会の一存]]』を例にすると、テーマは「生徒会室で役員+αが駄弁る」である。 偶に関係ない挿話もあるが、このシリーズは基本的にこのテーマに沿って進行している。 ちなみに上記の文に言う「テーマ」は、厳密には「描きたいもの」のうちビジュアルや人員的な要素の面と言える。 石ノ森作品で言えば[[秘密戦隊ゴレンジャー]]や仮面ライダーシリーズはどちらも「[[変身>変身(ヒーロー)]]して戦う」という映像的要素がある。 しかし[[戦隊シリーズ>スーパー戦隊シリーズ]]は「最初から[[正義]]の集団」であることも普通だが、ライダーは「敵対組織と力の根源は同じ」という要素を抱えている事が多い(昭和の時点でも全てではないが、[[平成ライダーシリーズ]]に多く見られる要素でもある)。 このため、仮面ライダーの多くはテーマ性として、「悪と同質の力を振るう正義」を据えることにより逆説的に「善悪とは力そのものではなく、使い方によって決まる」ことを描いていると言え、これはキャラクターの年齢や性別等とは関係ない概念的要素である。 つまり作品を構築する基幹要素そのものは複数存在していると言え、場合によっては下記のようになる事もある。 作家「美少女が出したい!でも担当に戦闘モノって言われた・・・せや!だったら[[セラムン>美少女戦士セーラームーン]]みたいな美少女戦士にすればええんや!」 担当「(アクションをしっかり描いてくれるなら)ええんやで」 この場合、作家のビジュアル的テーマは「美少女」で、担当の求める概念的テーマは「戦闘」と言えるだろう。 その上でどシリアスに殺しあって[[まどマギ>魔法少女まどか☆マギカ]]みたいな事になるか、コメディタッチで[[百合]]モノっぽくなったりするか、といった部分はまた別の話。 年齢設定に関しても、『エヴァンゲリオン』のような「少年少女の主人公もの」には「ビジュアル的にそうなるべくしてなった設定」が用意されている事があったりなかったり。 『[[魔法陣グルグル]]』では「ミグミグ族の子供の頃の不安定なハート」が力の源となっており、完全に「ヒロインが特殊な力を使える年齢制限」がある。 しかし『[[蒼穹のファフナー]]』では「戦うための[[ロボット]]に適応するよう調整され生み出された子供たちだから」なので、主人公らは紛れもない強者だが彼らより年齢が高めのパイロットもいる。 このように、作中で主人公らがメインとして描かれる理由にも差があったりする事もある。 **◇2,キャラクターと世界観を作る こうしてテーマを決めたら、早速プロットを……といきたいところだが、次に「[[キャラクター>キャラメイキング(創作)]]」「世界観」を決める必要がある。 これは何故かというと、プロットとは言うなればキャラを動かすための「予定表」のようなもので、 予定を組むにはその対象となる人物と、それを組む前提となる状況が必要だからである。 ただしここで作るキャラや世界観は仮決定でも構わない。とかく必要なのは大前提である「テーマ」に必要な役者と舞台であり、これ以降必要に応じて修正が入るのは当然だからである。 つまり、プロットとは物語に対し脚本とほぼ同義なのである。 ではテーマが決まり、世界観を整え、登場するキャラが一通り揃ったら、ようやく本題のプロット作りである。 **3.プロットを作る プロット作りにおいてよく用いられる方法に「帰納法」と「演繹法」が挙げられる。 ***帰納法 帰納法とは、先に結論を用意し、そこに向かって式を組み立てていく方法。いわば「テーマ優先型」といえる。 例として『[[ロウきゅーぶ!]]』を基にしてみよう。 「高校生の指導の下、小学生の女子バスケ部が男子バスケ部に勝利する」という結論に至るため、 「なぜ試合するのか」「どうして主人公はコーチをしているのか」という風に、物語を遡って構築していくのが帰納法である。 この場合、キャラクターは後から必要に応じて組み立てたり組み替えてもよい。 ***演繹法 もう一つの演繹法とは、前提を基に結論を導き出す方法、いわば「キャラ・世界観優先型」である。 同じく『ロウきゅーぶ!』を解体していく。 「部長のロリコン騒動で休部中の主人公」(前提A)に「小学生女子バスケ部のコーチング」という依頼が来る。 ここで主人公は「一週間という期限つきで承諾」する(結論A)。 次に「一週間という期限」(結論A→前提B)に対し「コーチングが必要な理由を知る」というファクターが加わり、 「試合まで勝てる指導をする」と約束を交わす(結論B)……という風に、 玉突きのように前提から結論が産まれ、その結論が次の前提になるのが演繹法である。 こちらはキャラクターの思想や状況が結論を出すための条件になるため、事前にある程度確定して組み立てる必要がある。 こうしてプロットを組み立て、そこに肉付けして物語を作っていくのである。 *・シナリオの部分的プロット 先の例は物語の開始や主人公の行動の根源など、全体のバックボーンとなる部分の書き方である。 しかし[[漫画]]の週刊連載や[[なろう>小説家になろう]]小説の更新などは「このキャラを活躍させる」とか「このキャラは生かす」といった大雑把な事は決まっていても、 その回その回の詳細が決まってはいない事も普通であり、こうした場合にもプロットは存在しうる。 『[[うしおととら]]』の単行本版巻末漫画では、作者がプロットの例として「うしおたちがきけんなば所でわるものをたおす」と書いているネタがある。 これは前述の例で言えば「読者にスリルやアクションの爽快性を与えて楽しませる」という大きな概念的目的に対し組んだプロットと言える。 こうした考え方は映画などでも例える事が出来、エンターテインメントとしての要件を満たすための考え方と言える。 ここに盛り込む肉付けの要素をうまく組み換えれば、別の作品を作ることだって可能なのだ。 例:[[主人公>スティーヴン・セガール]]がきけんなば所([[乗っ取られた戦艦>アイオワ級戦艦]]=[[海]]の上の要塞状態で助けが来にくい)でわるもの(テロリスト)をたおす=「沈黙の戦艦」 ちなみに2作目は「高速で移動していて助けの来ない列車」が舞台。 これが「高空を飛んでいるから〜」となると「エアフォース・ワン」になる。うしとらで言うとふすまの回とか。 またこの舞台設定をしていく上で、「空を飛べるキャラクターが少ない」という世界観などがあると主人公の状況も変わってくる。 実例としては『[[HELLSING]]』では、敵の[[英国>イギリス]]襲撃作戦前に[[アメリカ>アメリカ合衆国]]議会で[[吸血鬼]]が暴れて大混乱を引き起こすなど「即時の援軍」を遮断しているところがある。 これは推理漫画における[[孤島もの>雪鬼伝説殺人事件(金田一少年の事件簿)]]にも類似点があり、特に現代においては警察の組織的・科学的捜査や、 法的根拠のある拘束力、複数の人間を監視下に置ける人員数などはどうしても「それがあれば事件が解決してしまう」ところがある。 それ自体はいいことなのだが、警察が機能する=主人公を活躍させるといったプロット上の前提との衝突が発生してしまう。 このため「すぐには警察の増援が来ない」という前提が必要となり、そのために雪崩先生や台風アニキにお出まし願うことになる。 (前述で言うと「民間人の主人公キャラを、警察の介入なく活躍させるには」を考えていく事で話が出来上がる演繹的な手法に当たるだろう。 「現代で」という前提を崩さない場合は自然災害が強いが、「民間人」のキャラだけを守りたいなら警察の科学捜査力が無い時代を選ぶというのも手である) 事件の重要参考人または少数の犯人候補を合法的に拘束したり、逆に「安全のため」という方便のもと監視を行うのは警察ならば可能である。 が、単なる民間人同士では現行犯逮捕しない限り、ただの名誉棄損を行った人間による違法な軟禁などになってしまう。 よほど強引で後先を考えない人間(か疑われた側が前科持ちなど相当疑われ易い存在)でもなければ「帰ったら訴訟する」という言葉の前に拘束は不可能となる。 だからこそ「こんな場所にいられるか!俺は部屋に帰らせてもらうぞ!」といったセリフと[[新たな死体が生まれたりするのだ・・・。>犠牲になったのだ]] TRPGの『[[ダブルクロス>ダブルクロス(TRPG)]]』には<瞬間退場>というエネミーエフェクトがある。 要するにルール上「この敵キャラクターは攻撃に当たらず一瞬で拠点などに帰れる」と定めてあり、必ず生還出来るようになっている。 (ちなみに「レネゲイドと言われるものにより特殊能力を得た超人がいる世界」など、基本的設定はゲーム側が提供している) このエフェクトは『我々に逆らう者の顔を見に来てやt「あ、スキルマシマシの全力攻撃でそいつ殴ります」ひでぶ!?』といったような悲劇を防ぐためのものである。 物語序盤でラスボスが死んでしまったら、ゲームマスター=シナリオ製作者は話を進めることが困難になってしまうからだ。 城から出て5分で[[ボス>バラモス(DQⅢ)]][[キャラ>ゾーマ(DQ)]]が死んでしまったら、最後の決戦に誰を出せばいいんだという話である。 これはプレイヤー側も必ずしもわざとやっている訳ではなく、後で出てくる中ボスだとウザいし数減らしておくか位の考えで殴ったら、 クリティカルヒットにより真の力を開放するなど段階的な強化をされていないラスボスがしんでしまいました。という感じである。 それを防ぐ設定上の能力により、射程外から煽り台詞を言った後で瞬間退場する事で「ボスっぽい空気を出しつつ死なない」みたいな行動が出来るようになっている。 GM「ぼ、ボスキャラが死んだーっ!?[[プロットダイーン!>クロコダイン(ダイの大冒険)]]」 となった後のゲームマスターは、誰もがアドリブの効く玄人ではない。初めてGMをやって、プロットが爆発四散し大混乱…そのままゲーム自体がグダグダ…という事もありうる。 というかそういう現象が実在したが故に、ゲームや会社の方針によって「ボス出オチ対策」が練られた結果である。 ただし項目最後のライブ派、すなわちある程度までの矛盾は気にしない(または考えている暇がなかった)というパターンも存在する。 (著名な作品として『[[北斗の拳]]』はそのように作られた面がある、と作者がインタビューで語っている) TRPGにおいても([[ラスボス]]が死んだようだな…じゃあ[[中ボス]]予定の奴を)「ふはは、奴など所詮小物。本当の黒幕は俺だ!」(ってことにしとこう) みたいな事をやって凌ぐことが出来る人もいる。 *◆有名な構造の作り方 **・起承転結/序破急 プロットを組む時、箇条書きで流れを書くのもよいが、それでは際限なく続いたりどうでもいい部分が増えることがある。 そこで情報を整理しシェイプアップするために、起承転結や序破急といった区切り、緩急を付けることが重要になってくる。 起承転結とは分かり易く言うと「[[4コマ漫画]]」構成である。 起で物語が始まり、承で発展し、転で最高潮を迎え、結で収束する。『[[涼宮ハルヒの憂鬱]]』をこれで分解すると、 起:[[涼宮ハルヒ]]という破天荒な少女が主人公の[[キョン>キョン(涼宮ハルヒシリーズ)]]に絡み始める 承:キョンの前にハルヒの望む[[宇宙人>長門有希]]・[[未来人>朝比奈みくる]]・[[超能力者>古泉一樹]]が現れ、彼女の特性が語られる 転:ハルヒは自らの能力で新たな世界を作り、そこにキョンも呼び出される 結:キョンは元の世界を望み、ハルヒと二人で帰還する と、こうなる。これをさらに「起の転」や「承の結」など細かく分け、16区切りにするとかなりすっきりする。スペースも取るし面倒なので16分割についての例は省略。 序破急は主に演劇などの分野で使われる言葉で、転を承と結に分割したと思えば分かり易い。 『[[新世紀エヴァンゲリオン]]』を分解してみると、 序:人智を越えた「使徒」に対抗するため、[[碇シンジ]]がエヴァンゲリオンの操縦者となる 破:使徒を撃破する内に、その裏で蠢く陰謀や真実が少しずつ明かされる 急:遂に発動した人類補完計画。そこでシンジが選ぶ未来は―― もちろんこちらもさらに細かく9段階に分けることでより明確になる。が、やっぱり面倒なので省略。 三幕構成は主にハリウッド映画などで使われる言葉で、初めから1/4までが1幕で物語の前提を描写し、 1/4から3/4までが2幕で本題である事件を展開し、3/4から最後までが3幕で解決編となる。 2幕の中でも1/2時点の前後で流れが変わり、ここから解決までの方向性が定まると同時に危険も増すため、実質起承転結と等価と言えるかもしれない。 ハリウッド版『[[GODZILLA ゴジラ]]』を例に挙げると、 1幕:過去にブロディ一家を襲った事件と、真相究明に動くジョー、そして真相である[[ムートー]]が出現する 2幕前半:父に家族を守るように言われたフォードはサンフランシスコへ向かう作戦に参加するが、彼が時限装置をセットした核弾頭がムートーによって街に運び込まれてしまう 2幕後半:[[ゴジラ]]がムートーを殺し、フォードは核弾頭を街から引き離す 3幕:フォードは核爆発前に救出され、避難所で家族と再会する こちらも幕の中をさらに細かく分ける場合もある。 ||ビート・シート(Blake Snyder)|13フェイズ構造(金子満)|ライターズ・ジャーニーの12ステップ(クリストファー・ボグラー)|ヒーローズ・ジャーニーの神話類型(ジョゼフ・キャンベル)|昔話の構造31の機能分類(ウラジーミル・プロップ)| |第1幕|オープニングイメージ&br()設定&br()テーマの明示&br()触媒&br()選択 |(背景)&br()日常&br()事件&br()決意|1.平凡な日常:キャラクターの日常描写&br()2.非日常への誘い:日常から非日常へのきっかけの描写&br()3.非日常の拒絶:非日常に対する葛藤の描写&br()4.師との出会い:葛藤を克服し非日常へ移行する描写&br()5.事件の発端:非日常の本格的な到来の描写|冒険への召命&br()召命の辞退&br()超自然的なるものの援助&br()最初の境界の越境&br()鯨の胎内|1.家族の一人が家を留守にする(不在)&br()2.主人公にあることを禁じる(禁止)&br()3.禁が破られる(侵犯)&br()4.敵が探りをいれる(探りだし)&br()5.敵が犠牲者について知る(漏洩)&br()6.敵は犠牲者またはその持ち物を入手するために、相手をだまそうとする(悪計)&br()7.犠牲者はだまされて、相手に力を貸してしまう(幇助)&br()8.敵が家族のひとりに、害や損失をもたらす(敵対行為)&br()9.不幸または不足が知られ、主人公は頼まれるか、命じられて、派遣される(仲介・連結の契機)&br()10.探索者が反作用に合意もしくはこれに踏み切る(始まった反作用)&br()11.主人公は家を後にする(出発)&br()12.主人公は試練をうけ、魔法の手段または助手を授けられる(寄与者の第一の機能)&br()13.主人公は将来の寄与者の行為に反応(主人公の反応)&br()14.魔法の手段を主人公は手に入れる(調達)| |第2幕|Bストーリー&br()お楽しみ&br()中点&br()迫り来る悪い奴ら&br()全てを失って&br()心の暗闇 |苦境&br()助け&br()成長・工夫&br()転換&br()試練&br()破滅&br()契機|6.試練、仲間、宿敵との出会い:新しい世界での新しい経験の描写&br()7.ストーリーの深淵の描写:物語の大テーマの描写&br()8.最大のチャレンジ:試練の克服の描写&br()9.勝利:勝利の末、得た結果の描写|試練への道&br()女神との遭遇&br()誘惑者としての女性&br()父親との一体化&br()神格化&br()終局の報酬|15.主人公が探しているもののある場所に、運ばれ、つれて行かれる(二つの王国間の広がりのある転置、道案内)&br()16.主人公とその敵が直接に戦いに入る(戦い)&br()17.主人公が狙われる(照準)&br()18.敵が勝つ(敵の勝利)&br()19.初めの不幸または欠落がとりのぞかれる(不幸または欠落の除去)| |第3幕|フィナーレ&br()ファイナルイメージ|対決&br()排除&br()満足|10.帰路:日常の奪還の描写&br()11.復活:進化と再生の描写&br()12.帰路:エンディングの描写|帰還の拒絶&br()呪的逃走&br()外界からの救出&br()帰路境界の越境&br()二つの世界の導師&br()生きる自由|20.主人公は帰還する(帰還)&br()21.主人公は迫害や追跡をうける(迫害、追跡)&br()22.主人公は追跡者から救われる(救い)&br()23.主人公は、気付かれずに家または他国に到着する(気付かれない到着)&br()24.偽の主人公が、根拠のないみせかけをする(根拠のないみせかけ)&br()25.主人公に難題を課す(難題)&br()26.難題が解かれる(解決)&br()27.主人公が気付かれる(判別)&br()28.偽の主人公や敵、加害者が暴露される(暴露)&br()29.主人公に新たな姿が与えられる(姿の変更)&br()30.敵が罰される(罰)&br()31.主人公は結婚し、即位する(結婚もしくは即位のみ)| **・7つの型 ジョディ・アーチャーとマシュー・ジョッカーズの著作『ベストセラーコード』では売れるストーリーに7つのパターンがあるという。 1. ブッカーの喜劇 前半は主人公が困難からスタートし、状況が好転したときに悪いことが起こるが、後半は最終的に幸せになる。 2. ブッカーの悲劇 主人公が悲しい現実に置かれる。その後間違った判断をしてさらに事態が悪化する。主人公は最終的に厳しい現実を受け入れる境地に達する。 3. シンデレラストーリー 序盤で主人公の運命が好転するが、中盤に主人公が全てを失う。最後に主人公は絶望から這い上がり、平和に幕を閉じる。この過程で主人公は成長する。 4. 再生型/逆シンデレラ 序盤で主人公は変化を経験して価値観が揺さぶられる。中盤に新しい学びや経験や自己表現を得て感情が高まる。最後はバッドエンドになる場合が多い。 5. 旅と帰還 前半部分では主人公が全く異なる世界に直面するが、その後魅力を感じる。後半部分では主人公が試練を経験する。最終的に試練を克服して元の世界に戻る。 6. 探求型 主人公が何かを求めて冒険する。序盤、主人公は未知の場所でモンスターと戦い、感情が高まる。中盤、希望が打ち砕かれ、緩やかに感情が高まる。最後になんらかの形で旅が終わる。 7. モンスター退治 前半部分では主人公は悪役や脅威に立ち向かうことを余儀なくされる。後半部分では主人公はそれらを退治し、最終的に幸せに向かう。 *◆応用例 まず自分の書きたいものを書き出してみよう。物語や人物についてテーマソングを決めてもいいし、漫画なら描きたいコマの絵でもいい。思いついた単語を並べたり、人物に会話をさせて書き出してみるのでもいい。 このようにして作品の芯となるアイディアが決まったのであれば、次にそれを面白く脚色する方法を考える。思い付いたシーンを上述の起承転結/序破急や七つの型に当てはめていくだけでも、とりあえずの完成を見る事は十分可能なはずである。 その後、物語としての整合性を持たせ、具体的な描写によってリアリティを出し、受け手に余計な疑問を持たせないようにする。 余計な疑問があると観る際に違和感を覚えたり、より重要な情報に対する疑問を抱かなくなってしまったりして、途中で観るのをやめてしまう恐れがある。かと言って具体的な描写の多くはつまらないものであるので、短く簡潔に行う必要がある。 **引き付け より具体性を持たせるためには、「一目で分かる面白さ」が不可欠。 映画のような長編ではあらすじから興味を持ってもらうための「ログライン」が必要だし、SFやミステリーのような本格的な物語の場合は新規性のある「トリック」や「テーマ」が必要である。一次創作の場合、登場人物の魅力的な「[[キャラ性>前キャラクター態]]」も必要である。観察や取材に基づくリアリティのある描写をすることは、ログラインやキャラを作った後にはじめて可能となる。 これらのアイデアには新規性が求められる。特にSFや幻想文学系の作品では安易に設定を真似ると剽窃の謗りを受ける可能性があるため注意を要する。 ログラインやキャラのアイデアについて、さとうあきらは『マンガ脚本概論』の中でヤングの『アイデアのつくり方』を援用し、1. 資料を集める 2. 心の中でこれらの資料を組み合わせ、手を加える 3. 問題を放棄し自分の想像力や感情を刺激するものに心を移す…といったステップを提案し、第二のステップにおいては平凡なアイデアを次々と出していくことを勧めている。さとうはこの時の方法としてオズボーンのチェックリストやマンダラートなどを挙げている。 ***ログライン 作品を一行で説明した時に面白みが出るようにする。これにより作品全体の目的が定まり、客層や制作予算も予想しやすくなる。この時の要約されたあらすじを「ログライン」と呼ぶ。 ログラインは謂わば物語の面白いと思わせる部分を最初に決める方法であり、映画のプリビズのように最終的な演出などを考慮するものではない。 ログラインは主人公が皮肉な状況に陥るほど強度を増す。例えば弁護士を主人公にしたのであれば、その人物が嘘をつけなくなるという状況が皮肉であるから、そのように設定するのである。 あらすじや長々しいタイトルを用意する機会があるのなら真っ先にログラインが書かれるところだろう。同時に自他の作品のどこが面白いか・何故売れているのかを見極める観賞眼が試される場面でもある。鑑賞眼を鍛えるには、地道に作品を作り続けていくしかない。 ***キャラ性 詳細は[[キャラメイキング(創作)]]を参照。 登場人物には大きく、物語に長く出演する「主人公」「脇役」とその場限りで出演する「チョイ役」「エキストラ」とに分けられる。主人公や脇役は感情移入や好感を促すため、その思想や行動について具体的で意外性のある描写が伴う。チョイ役やエキストラは単に世界観を説明するためだけの役割だから、細かい過去や意外な性格といったものは必要ない。 東浩紀は登場人物(ないし世界観設定や登場人物同士の関係性)がストーリーと切り離され、データベースとして消費される点を指摘した。伊藤剛は、少女漫画と少年漫画の二次創作の違いに着目し、登場人物の外見的な部分([[キャラ>前キャラクター態]])と人間らしい部分(キャラクター)とを分けて考えた。 キャラは簡単な属性の組み合わせで表され、すぐに理解できる部分と言えるだろう。登場人物を類型的に捉えることができるので、弁護士ならば弁護士, 警官なら警官としての類型的な行動が既知のものとして受け手の頭に入っているし、ギャップや皮肉を簡潔に伝えることができる。 ・登場人物の役割 登場人物はまた、物語を解説し、スムーズに進める役割もある。少年漫画では主人公らが三人一組になる場合があるが、これは「ボケ」「ツッコミ」「読者の代理としてリアクションをとる人物」の三者を用意し、物語をテンポよく進めるためである。少女漫画には主人公と同年代の友人が描かれることがあるが、これは主人公との会話を通して読者に状況を端的に伝え、主人公が独り言がちになり話が重くなるのを防ぐためである。 登場人物は言動や周囲の対比からテーマを伝えることもある。主人公は敵と共通点を持ち、時として悪に染まる危うさがあるのである。ある人物は「主人公がこのまま変わらずにいた時に辿るであろう末路」なのだ。プロップやグレマスらは登場人物に「贈与者」や「偽の主人公」といった役割を設けたことで有名である。 // //登場人物は感情移入の対象である主人公や脇役と、単に世界観を解説するチョイ役やエキストラに大別される。後二者は類型的な人物であるのに対し、前二者はキャラとして立ち、物語を駆動するに十分な欲求や恐怖の描かれた存在であると良いことは言うまでもないだろう。 ・キャラの魅力 登場人物が敵との関わりの中でどのような相互作用をするのかに対する期待を持たせるために、登場人物には強さや技術などの持ち味を持たされることがある。特にそれが強さである場合は、咬ませ犬が用意されたり、咬ませ犬の咬ませ犬が用意されたりするようだ。特に主人公がこうしたかませ犬を倒す場合、周囲から最初侮られていればいるほど効果は大きくなる。周囲の反応を写すことによって読者/視聴者にどう思って欲しいのかをアピールすることも効果的だ。 視聴者は現代に生きる存在だから、登場人物への好感度にも現代の倫理観がある程度反映される。セクハラや盗みなどの行為が批判なく描写されることに抵抗を持つ視聴者もいる。このためたとえば古典をテーマにした作品等では、原典での盗みのシーンが映画化に際して削除されることがある。 ・世界観 「世界観萌え」という言葉があるように、データベースとしての魅力を持つのは登場人物だけではない。 世界観にもキャラと同様、視聴者に簡潔に概要を掴んでもらうための属性(=記号)が存在する。たとえば異世界モノで最初にゴブリンやオークなどの敵と戦うのは、そこが「みんなの知ってる異世界」であるとすぐに分かってもらうためのものとして大変効力があるからである。 ***テーマ 物語全体を通してのメッセージ(テーマ)を決めておくことで、その作品が何を語りたかったのか・どう語りたかったのかということについて、受け手は考えを巡らせ、再び話題にしたり、鑑賞したりしようとする。テーマは表紙に書くのでなく物語全体を通して具体的な描写を繰り返して提示することで受け手の疑問の余地を無くすことが可能となるため、テーマを盛り込むのは簡単にできることではない。テーマを盛り込む必要を感じない場合は、無理に入れる必要はない。「読者を楽しませること」がテーマであっても構わない。 ・トリック/ワンダー 受け手は鑑賞しているそれぞれの時点に於いて、その時の常識にそぐわない出来事を劇的に感じる。「布団が吹っ飛んだ」という駄洒落は、本来なら吹っ飛ぶはずのない重いものが吹っ飛ぶというインパクトがあり、次にその理由が発音の類似に由来するものであることが理解されるプロセスを経て笑いに繋がる。つまりまずそこにありそうにないものを置き((ディペイズマンと呼ばれる。))、SFならばその理由を解説し、前衛小説ならそのような組み合わせがあっても構わないのではないかと疑いの目を向けさせることによって、受け手に常識の新たな視点を与えるのである。これを異化またはワンダーと呼ぶ。 SFやミステリーは、最初に奇怪な状況を提示し、何が起こっているのか・なぜそうなっているのかという疑問を植え付けた上で、それが論理的に実現可能であるということを示し、読者に驚きを与える。ファンタジーの場合も、科学的には実現不可能であるが作中の技術を使えば可能だったりする。これらの「トリック」や「ワンダー」は作品全体の流れを厳密に決めておかないと整合性を損なってしまうので、登場人物の性格の整合性よりも優先される。 純文学や前衛的な作品では、答えのない、多義的な解釈を許す表現がしばしば用いられる。これは例えば椅子は座るためのものだが、そのような「使い方」の分からない表現を提示することによって、日常生活に新たな視点を持つことを促すものである。これは読者の意識を逸らしすぎてしまう危険性を孕むため、かなり難易度が高い。 異化されたものは繰り返し用いられることですぐに受け手にとって新たな常識となってしまう。アシモフの「われはロボット」を例にとると、「ロボットは人を襲うかもしれない」と考える読者に対して物語の最初で「ロボットは人を襲わない。なぜなら人を生かすようにプログラムされているから」と説得すればそれが異化になるだろう。しかし次の瞬間にそれは読者にとっての常識となり異化は継続しない。これに続けざまに「ロボットが壊れた」という更なる情報を与えることで読者はその理由を探すことになり、最後にその意外な理由を与えられることで読者にはまた新たな異化が与えられるのである。 // //特に受け手に何かを伝えることが優先される映像作品等では神話系, ナラティブ, レシの三種類を理解する必要がある。神話系とは主にテーマやトリックのことであり、ナラティブはそれを具体的に伝えるプロット, レシは表現技法を表す。 //例えばこれが洗剤のCMであるならばまず頑固な汚れという問題があることを視聴者に伝え、それを打破するために新しい洗剤を買うべきだというメッセージを伝える必要がある。このように映像を通して視聴者に伝えられるメッセージは神話系((厳密には神話系は神話素とそれ以外とに分かれる。神話素は例えば性的役割分業のような社会規範を前提としたいわゆる視聴者と共有された常識であり、神話系はそれに対して視聴率に提示される新たな常識である。後者はテーマのようなものである。))と呼ばれる。物語ならば単にメッセージだけでなく、例えば科学技術による社会体制の変化があるという予言や、哲学的な問いなども含むことだろう。 //神話系を効率的に伝えるには視聴者に映像を分かりやすくインパクトのある方法で伝えなければならない。このため実例としてストーリーが用いられるのだ。 //ナラティブは、物語世界での時系列順の出来事(=イストワール)と、それを語る段階で起承転結などの形に構成し直したもの(=ディスクール)に分けられる。推理小説で例えるなら、最初に被害者の死体という結果が先に示されてからそこまでに至る経緯が後から説明されることがあるが、これは時系列順に物語が進んでいるとは言えない。犯人が被害者を殺害し、探偵が解決するまでを記すのがイストワールであり、それを視聴者にわかりやすく構成しなおしたものがディスクールである。プロットと呼ばれるものはイストワールを指している場合が多い。 //レシは、それを表現する演出や演技の方法。映像表現では[[モンタージュ>モンタージュ(映像表現)]], 文章では比喩や[[話法>物語論]]がこれにあたる。 //特に、ドキュメンタリーなどではノートの右側にディスクールを、左側にレシを書いていく方法が提唱されている。 **現前性・整合性 こと創作において、動作には必ず理由がなければならない。「ふと立ち上がる」ということは許されず、「トイレに行くために立ち上がる」というように、あらゆる動作には目的があるのである。また登場人物が周囲に流されるまま、自分の力を使わず常に偶然事件を解決していくようでは共感を得ることはできない。 //イストワールを駆動するのは登場人物の強い感情(=動機)である。主人公の感情にはボルテージがあり、これが物語の進行とともに上下することにより読者は続きを読みたいと思うようになる。ずっと明るい話であるよりも、暗い話から明るい話に入った方がカタルシスがあるということである。((この辺に関しては本によって言っていることがバラバラであるため、自分の望むジャンルの作家の出した本を参考にした方がいいだろう。たとえば少年漫画家である[[荒木飛呂彦]]は主人公は基本的には幸福に向かい、最後に何かを得なければならないとしているし、少女漫画家の松元美智子は登場人物の気持ちは上下するものとしている。)) 主人公に対するハードルが高ければ高いほど、それを自らの手で解決した時のカタルシスは大きなものとなる。ストーリーにおいてキャラが重要であるという所以はこのハードルを描くことにあるだろう。蜘蛛が苦手な主人公が蜘蛛のいる場所に赴くというのであれば、主人公にとって蜘蛛がどのような存在であり、どういう風に怖く思えるのかということを、実例を交えて丁寧に説明し、読者の疑問が挟まる余地をなくさなければならない。ここで重要なことは、その描写がどれだけ現実らしいか、ということではなく、どれだけその世界と合っているか、ということに近い。例えば物語世界に魔法が存在するような場合でも、事前にそのように伝えられていれば読者にとってそれが真となる。ご都合主義な展開とは往々にしてこの事前の説明がされていないか、読者に理解されていないことによって生じている。ただし、その作品がどれだけ「現実らしいか」ということ(リアリティライン)に沿わない説明はリアリティのない説明だと思われてしまい、受け手は現実に引き戻されてしまう。ある時点で「現実っぽい」描写をした場合、他の部分で「デフォルメされた」表現を使うとその部分をリアルに感じにくい(例えば、必殺技を放つときに技名を叫ぶ作品に、史実や科学考証に基づく設定が提示された場合とされていない場合とでは、むしろ後者の方がリアルに感じやすい。((またこうした「現実っぽい」描写は登場人物が端的にどのような人物なのか説明するのにも有用である。「子供のような大人」であることを説明するのに大人という外見だけでは足りない場合、子供のやる「あるある」をその人物に取らせることでその人物の説明をすることができる。)) 推理小説などにおいて、事件やそのトリックは可能性のある出来事から順に起こるものとして推理される必要がある。例えば密室殺人において犯人が超能力を使えるような場合は可能性がかなり低いと考えられるので、それよりも高い可能性のあるトリックをその場の状況から導き出すのが優先されるだろう。超能力が考慮されるのは密室に秘密の抜け穴があったという可能性を潰してからだし、抜け穴があった可能性が考慮されるのは他のあらゆる可能性を潰してからなのである。探偵や読者は今までにあったヒントだけからまず推理を行うし、作者も読者にとってヒントとなる出来事を意識はされないまでも十分に覚えさせておく必要があるだろう。これを「フェアである」という。 //****■レシ //神話系(テーマ)やナラティブを表すために表現技法もまた用いられることがある。 //・芝居 //人物の芝居は観察力が要求される。視聴者は作者の観察力に対ししばしば称賛を送るが、この称賛と作品の評価とは区別できない場合が多い。 //・サブテキスト //登場人物の会話を通して複数の出来事を伝える方法。人は言葉通りのことを意図して発言しているとは限らず、暗に伝えようとしていることがある。サブテキストはこれを利用したものである。例え「テストの点は?」と聞かれて「時間が足りなかったんだ」と答えるだけで、結果が芳しくないだろうことに加え、話し手の人柄まで仄めかすことができる。次のような文を考えてみよう。 //A「レモンいかが?」 //B「酸っぱいのは苦手だ」 //BはAに対して暗にレモンはいらないとしている。実際の言葉に対して話し手が暗に意味しようとしているものを推意という。推意には推意前提と推意結論があり、この会話における推意前提とは「Bはレモンを酸っぱいものだと思っている」であり、推意結論は「Bはレモンを食べたくない」である。このように単一の発話は三つの情報を込めることができるのである。 //・-発語媒介行為 //もちろんAとBが異なる前提を持っていれば話は変わってくる。レモンと酸っぱいものが結びつくのは、酸っぱいものとして前後の文脈からもっとも関連性の高いものがレモンだからだし、苦手だから食べたくないと言っているように聞こえるのは、直前に食べるかどうかを聞かれているからである。Bがもしレモンを酸っぱいものだと認識しておらず、直前により酸っぱいものを食べていてレモンの甘さでそれを中和しようとしているような存在であり、Aがしかもそのことを知らずにいたならば、AとBはお互いに勘違いをしたまま会話することになるだろう。 //こうしたまるでアンジャッシュのような状態では相手の前提としているものをはかりかねた一方の人物が口を滑らせて墓穴を掘ったり、もう一方の考えを意図せず変えてしまうこともあり得る。伝達を目的とした「発語行為」やそれにより相手に要求などの意図を伝える「発語内行為」といったものに対し、発話の影響により相手の行動を変化させることを「発語媒介行為」という。 //・話法 //報道番組等にも言えることだが、特に小説において物語は誰が話しているかも重要な要素である。語り手が嘘を言っている場合もあるし、意図的に事実を隠している(叙述トリックを行なっている)場合もある。三人称の小説においても、ある時には誰かの気持ちを代弁し、またある時には誰かの意図しない心の中までも客観的に説明する場合もある。 //物語は全てが虚構ではあるもののその虚構においてさえ「虚構的に真」なるものが存在している。語り手の欺瞞を見抜き、物語の核心に迫るには再現性の高い表現を見つけなければならない。それは小説においては鉤括弧「」で括られたセリフだし、報道においては「直接話法」と呼ばれる生の言葉である。 //地の文において、たとえば何回も続いた動作の中からある一つを抜き出し、それについてコメントすれば、その一つの出来事が他の出来事よりも特別なもののように扱われるだろう。語り手にとってその出来事が特別に感じられたということである。また語り手が突然登場人物について詳細に語り出したなら、その人物をよく見る余裕ができたということである。このように、語りを通しても登場人物の人となりを説明することはできるのである。 ***空所 物語の受け手がその先を読みたいと思う推進力となるのは空所の存在である。たとえば「ルパン三世」を例に挙げれば「ルパンは何を/どのように盗むのか」という問いがまず受け手に与えられることになる。受け手はストーリーを追うことでこの謎を解決しようとする。そこで更にお宝が提示されたなら、なぜそれがそこにあるのか, なぜそれほどの価値があるのか…といった謎が次に生起するため、読者は継続して物語を読み進めることができる。 すなわち、最初に何が起こっているか分からない状況を提示したり、どうなるか分からない興味深い世界観を提示したりすることて受け手の注意を引いて、名前を出したり説明を加えたりするのはその後に行う(とくに2010年代以降の作品では娯楽が多様化しているため、視聴者層・読者層の望むものをピンポイントで提示しつつ、こうした引き付けを行うことが望ましいとされる)。 空所/謎には未来に関する「サスペンス」(主人公はどうなるのか)と現在/過去に関する「ミステリー」(何が起こっているのか/なぜ今の状況が発生しているのか)がある。もちろん、サスペンスとミステリーの組み合わさったものも存在する(謎を解かなければ主人公の身に危険が及ぶ場合など)。 サスペンスは強い推意(=意味の伝わりやすい仄めかし)によって成り立つことが多く、ミステリーは弱い仄めかし(=意味の伝わりにくい仄めかし)によって成り立つことが多いようだ。 ・サスペンス サスペンスは、何らかの問題が提示され、主人公がそれを解決したところで次の問題が発生し…というループで物語を構成する。苦難の末に問題が解決されたときの達成感を「カタルシス」と呼ぶ。大きな問題が発生する場合、それらは必然的である方が良い。 アニメ監督の高畑勲は主人公に危機や異変が起こっていることを読者/視聴者にだけ見せておき、主人公には隠しておく手法がサスペンスの定石であるとした。 ただし、緊張した場面がずっと継続すると読者は疲れてしまう。バトル系の話でもアニメに日常回があり、ラノベの最初や最後に日常に戻るのはそのためである。石ノ森章太郎はシリアスなシーンにギャグを挟むことで劇的な効果を上げることができると主張している。『[[ゴールデンカムイ]]』でしばしばギャグや登場人物同士の「わちゃわちゃする」シーン等の後に凄惨なシーンが来るようにしてあるのは有名である。 逆に、読者にだけ登場人物の優位性を示し、他の人物には知らせないでおくことによって、主人公への期待をより高めることができるだろう。 事前に頼りになる味方キャラを描いておいて、その味方キャラを特定の場所に配置し、何か事件を起こす場合にその場所と近いところで起こしたりするのは典型的な方法かもしれない。 この場合、味方キャラと関連性の高い事物が示されたことによって、その味方キャラが問題を解決してくれることを読者・視聴者は期待する。その期待を裏切るべきか裏切らないべきかは、個別の事例を見ていくしかない。 ****チェーホフの銃 謎は解決のときを待っている。登場人物がいる場所が分からずに話を進めると、読者はその謎に気を取られてしまうし、曖昧な比喩表現による情景の説明は、描写される対象を同定するまでは読者は他の物事に注意を払う余力を持つことができない。謎を抱えたままの読者はストーリーを謎と関連づけて考えてしまうため謎と無関係な出来事を頭に入れることが難しく、そのような情報が与えられ続ければ読者は読むのに疲れ、退屈してしまう。チェーホフの銃と呼ばれる現象である。 ゆえに、特別な意図がない限り、多くの作品では誰が何をしているのか、いつどこなのか、主人公はどういう身分なのか、どういうリアリティラインなのか(その作品がどれだけ「現実らしい」のか)、を最初に提示しておき、主人公の現状と関係の深い物事について読者が謎を抱かないようにする。 [[異世界モノ]]でゴブリンやドラゴンといった、いわばテンプレ設定が用いられるのは今いる場所が現実世界ではないということを端的に示す目的がある。SFやファンタジーではあまり重要でない設定は最初から全てを説明していたのではテンポを損ねてしまうため、まず名前や周囲の反応等によってそれがどういうものかざっくりと示唆しておき、必要になった段階で初めて詳細な説明を加える。これを「後説」という。 ・叙述トリック 複数の謎を展開させるときは二つ目以降の謎を読者にそれと気づかれないようにし(もしくはそれほど重要でない出来事だと思わせて)、後からそれが(重要な)謎であることが明かされるような仕組みが必要である。具体的には、たとえば「人間ではない主人公はどんな存在なのか」「主人公の相方はどんな存在なのか」という二つの謎を用意した場合には、まず主人公が人間ではないという事実を隠し人間であるように振る舞わせておいてから、主人公の相方に対する謎を与えて読者に先を読み進めさせ、相方に対する謎が解決してきた段階で主人公の人間である可能性に疑念を持たせるというやり方である。これを叙述トリックと呼ぶ。 叙述トリックは言語学における語用論によって説明できる。まず語り手と聞き手は多くの文脈(=推意前提)を共有している。語り手が何かについて語るとき、聞き手はそのことと関係のある出来事を頭の中に呼び出している。たとえば比喩や皮肉は、具体的なことを言わないのに婉曲的に語り手の暗に意味するところが分かるが、これはこの仕組みによる。だが語り手と聞き手の持つ前提が違う場合には齟齬が起きる。語り手の意図していることが分からないような仄めかしのことを「弱い推意」と呼ぶ。 叙述トリックの最初の段階に於いて、聞き手たる読者/視聴者は語り手と自分とが同じ前提を共有していると思い込んでいる。話を進めていくうちに読者は前提が異なることに気が付き、実は話し手が「弱い推意」を行っていたことに気がつくのである。通常、それが弱い推意であることが明らかでない仄めかしは「伏線」、明らかなものは「布石」と呼ばれることが多いだろう。 物語の初め、まず異化をもたらし謎を提供する布石が出されて読者は物語に引き込まれる。最初の謎が解決した時、あるいはなんとなく察しがついた時や慣れてきた時、隠された第二の謎すなわち伏線の存在が明らかになる場合がある。叙述トリックもそのひとつである。 表現は単にその裏の意図だけでなく、その表現そのものの別の観点における重要度も隠していることがある。たとえばお色気シーンだと思っていたら後でそれが重要な手がかりにつながるシーンだとわかるのはその典型例だし、ギャグ的な発言だと思っていたら重い過去を表す発言だったりといったダブルミーニングもこうした効果の恩恵を受けていると思われる。 //前述した弱い推意とハッキリとした発言との間には「強い推意」も存在する。それ自体が仄めかしではあるものの、受け手と充分に前提が共有されており、ある程度語り手の言わんとしていることが特定できる場合である。「布団が吹っ飛んだ」の例であれば「発音が似ている」というのが「強い推意」であると言えるだろう。「こういう見方もあるかもしれないよね」と暗に教えるのである。直接言うのが野暮に感じられるようなものでも推意によって暗に伝えることで受け手が物語の空所を補い、完成させることができるのである。 // ・サブテキスト 受け手の意識を逸らすことなく情報を与える方法の一つに、台詞や芝居に複数の意味を込めること(サブテキスト)が挙げられる。サブテキストは推意前提を共有している受け手に「明言はしないもののそう取ることもできる」という仄めかし、すなわち「強い推意」を与えることで成立する。 たとえば余裕そうな表情をさせつつ手の動きを見せれば、暗にその人物の抱く不安を描くことができるし、[[3分間待ってやると言った後に銃弾を詰め直せば>ムスカ]]人物の周到さを描くことができるだろう。漫画なら髪の毛や目の動きに直前の動作を仄めかすことができる。 [[けものフレンズ(アニメ)]]では背景に置かれた人工物から様々な考察がなされた。細かな設定をいちいち説明していたのではテンポが悪くなったり、ともすれば野暮に感じたりするような場合でも、映像表現ならば背景に溶け込ませてしまえる。 [[新世紀エヴァンゲリオン]]では明らかに時間内に聞かせるつもりのない難解な台詞を用いることで、作中世界観の近未来性を演出するとともに「考察するために繰り返し観る視聴者を作る」というまるで詩のような作品である。 また、具体的な情報だけでなく、作品のテーマや主人公の辿る運命の暗示といったメタファー(=文隠喩)をサブテキストで伝えることができる。 [[装甲騎兵ボトムズ]]第一話では味方のはずのスコープドッグ達が一斉に主人公の方を向くという半ばホラーめいた演出で、人物同士の関係性や主人公の置かれた立場を暗示している。 [[少女☆歌劇 レヴュースタァライト(アニメ版)]]や[[アイドルマスター シンデレラガールズ(アニメ)]]のように、メタファーとなる道具を背景に置いたりするのもよくとられる手法である。 文章では、とくに語り手が主人公の身になって語っている場合、言葉の内容に加えて、「なぜ語り手はそれを見たのか」「なぜそのように見えたのか」「なぜそのように語っているのか」といったいったことによっても主人公の心理状態を示すことができる。たとえば、それまで容姿の説明がされなかった人物に対して急にその人物の説明が行われたなら、主人公はその人物を真っ向から見ているということになる。 ・ライトノベル的な手法 後説とは逆に、説明を次々と加えることで読者の興味を持続させる場合がある。小説のように長い説明が可能な媒体で発達したと思われる。作品内の世界に実在感を出すためにその世界の実例を交え読者のいる世界との共通項を出したり、もしくは科学的に見える(嘘でも構わない)説明を説得力があるように語ったりすることで、共感を生み出す手法である。前者は世界観を広げ、後者は新たな知識を授けそれが意外な場所で使われているということによって異化をもたらすが、同時に、脇道に逸れることで読者の注意を削ぐ恐れもある。 ・心理学が応用されていると思われる場面 たとえば最初、幽霊が出て、その問題の原因に思い至る直前に別の幽霊が出たとしよう。このとき、視聴者は二つの幽霊を関係のあるものとして見るはずである。このとき、視聴者は主人公が原因に思い至ろうとしたということを一時的に意識から外す可能性がある。人は過去の出来事に変更が加えられるとその間にあった出来事を忘れる習性があるからである。 ***ジャンルの問題 タイトルやあらすじ等で読者は事前にジャンルを意識している。読者が望んでいるものを提示しなければ顰蹙を買ってしまうだろう。眼鏡ヒロインとの絡みを望んでいたのにヒロインが眼鏡を外すような話を提示されたのでは面白くない。読者に対する裏切りは、この「ジャンル」に無関係な範囲で行わなければならない。 曖昧さは芸術性を生むとされているが、ある程度の確実さがないとそうした劇的な効果を上げることはできない。また[[シャーロック・ホームズ]]シリーズにおけるワトソンの存在は、単なる解説役以上にホームズの凄さを強調し、言語化する側面もあるだろう。視聴者に強い感情を持ってもらうには誘導が必要なのだ。同様のことはジャンルの問題にも言える。 例えば三島由紀夫は『文章読本』の中で感情はダイレクトに書かなければならないと言っているし、また少女漫画家の松本美智子は『少女マンガの作り方』の中で、恋愛漫画は必ず最後に言葉で気持ちを伝えなければならないとしている。前述した叙述トリックの存在により、「もしかしたら嘘かもしれない」という疑いを読者に抱かせてしまうのを防ぐためである。ジャンルによって読者の求めるものに対してはハッキリとした言葉遣いが求められるのだ。 **・媒体ごとの違い ***商業漫画/小説の場合 商業作品ではページ数が決められているため描きたい話が大体何ページで終わるのか掴んでおく必要がある。例えばSFならば必然的に要求されるページ数が多くなるし、絵本のようなファンタジーでは複雑な設定が必要とならないかもしれない。 ***報道やCMの場合 遠藤大輔は『ドキュメンタリーの語り方: ボトムアップの映像論』において、映像には「直接話法」「間接話法」「言説話法」の三種類が存在するとしている。直接話法はその名の通り、出来事を直接撮影した一次情報である。間接話法はその状況を目にした人の言葉であり、言説話法は、それらを元に作成した再現VTRのようなものである。言うまでもなく直接話法はほぼ疑いのない事実であるが、映像を作る者は自身の提示したい神話系に応じて映像を切り抜くため注意が必要である。 *・プロットを組むメリット/デメリット なぜここまで手間をかけてプロットを組み立てるのか? 一つは、こうすることで物語を矛盾なく進めることができるということ。 気分でつらつらと書いた文章は時に前後で致命的な矛盾を抱えることがあるが、そういうミスを少しでも減らすため。 もう一つは、あらかじめ予定を組むことで時間的にも内容的にも無駄なく創作するため。 逆に問題点としては、キャラクターが突然予定外の行動を取り始める、所謂「一人歩き」の妨げになること。 その回限りのゲストキャラに予想外の人気が集まって活躍させざるを得なくなった、などといった例もよくあることである。 もしそういう場面に向き合ったら、無理やり元の道を歩ませるのではなくキャラクターの歩く先にゴールが来るようプロットを修正するほうが、 キャラクターの魅力や作品の味が出たりとプラスになることが多い。 &font(l){逆にキャラクターの演出に力を入れ過ぎると『[[DRAGON BALL>ドラゴンボール(DRAGON BALL)]]』の鳥山明先生みたいに毎週「次回はどうなるんだ?!」という思いと戦いつつ、行き当たりばったりの矛盾だらけの展開を開き直って出さなければならなくなるが} 例を挙げると『[[あしたのジョー]]』のライバル、[[力石徹]]は元々プロボクシングには参加しない予定だった為、主人公のジョーよりかなり大柄に描かれていた。 しかし読者からの人気が予想以上だったため、彼がプロボクサーとなってジョーと戦う展開に変更することになったのだが、前述の通り大柄に描かれていたことで プロボクシングでは避けては通れない「体重差があり過ぎるのでジョーと同じ階級で戦えない」という問題が発生してしまう。 この問題を解決する為に力石を13㎏近く減量させてウェルター級からバンタム級に変えるという常識的に考えてあり得ない方法を取らざるを得なかった。 (ジョーを太らせる手もあったが、太ったジョーと痩せた力石が戦っても絵にならないと判断された) 結果、無理にも程がある減量が原因でガリガリとなった力石はジョーとの試合後に死亡することになる。 (試合中に頭を打ったことが直接的な死因ではあるが、減量によって弱っていたことも要因なのは明らかであり、プロのトレーナーは力石のような減量をしたら間違いなく死ぬと断言している) プロットの甘さが原因で力石は死ぬ形になったが、そのヒロイックな死も彼が人気となる要素となっている。 (ちなみに編集部やテレビ局の人間は「力石を殺さない方がいい」と進言したらしいが、ちばてつや先生は彼の死を押し通したとのこと。飲み屋で力石の件で言い争いになった際に「(力石は)絶対に殺す!」と大きな声を挙げたことで通報されたというエピソードが残っている。) 創作の技巧は十人十色で、ライブ派とかライブ型とか呼ばれる、プロでもプロットを組まない人もいる。(代表例の一人が名探偵浅見光彦シリーズの作者の故内田康夫先生で、しばしばその作品の後書きで、「プロットを作らず創作していて、書いている途中まで自分でも事件の真相が分からない」旨を何度か記している。) 起:項目が建てられた 承:たくさんの人が読んだ 転:誤字や不適切な表現が見つかった 結:追記・修正で事なきをえた #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,15) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 文芸部で作品書いてるけど、正直これが無いとキツいな -- 名無しさん (2013-11-11 13:33:33) - いくら構想しようがコレが無いならどうしようもない、たまに思い付きで書くこともあるが長編には欠かせない -- 名無しさん (2013-11-11 14:08:51) - 自分は立てると周囲の評価ひっくい駄作しか産み出さないからいつしか立てるのやめたな -- 名無しさん (2013-11-11 20:27:42) - 何年も練り上げたプロットより5分で考えた話の方が面白かった時の虚しさよ。 -- 名無しさん (2014-05-28 21:24:50) - ↑確かに…… -- 名無しさん (2014-06-07 12:08:16) - ↑↑何時間も会議やっててロクな企画が出てこない→休憩中とか飲み会の雑談で凄くいいネタが出てきた→それ採用、みたいなもんかw -- 名無しさん (2014-06-07 14:03:23) - プロットは終わりを考えて逆算するやり方で書いてる。終わりが見えてないとグダグダになり作者自身も飽きる -- 名無しさん (2014-06-07 14:09:55) - ↑ただ人によっては諸刃の剣で、終わりまで頭の中で完結してるから途中で自己完結して飽きる場合もある -- 名無しさん (2014-06-07 14:44:18) - ↑あと商業作品の場合、「打ち切られた場合の終わり方」「延長させられた場合どうするか」も考えなくてはならない。 -- 名無しさん (2015-04-30 23:08:54) - うまくプロットができたときの気持ちよさは最高だよ -- 名無しさん (2016-06-17 22:39:30) - 小説の書き方の指南書はあるのにプロットの書き方の指南書がないのは何故だろう。プロットが上手く書ければ小説を書きやすくなるから指南書欲しいです -- 名無しさん (2016-06-17 23:32:09) - ゼロの使い魔はヤマグチノボルさんがこれを残していたから志瑞佑さんが代筆で残り二巻を書けたんだよな。起承転までは出来ていたから結だけ書けばいいのもあるが -- 名無しさん (2017-09-30 11:21:17) - ↑2 あるよ、アマゾンでプロットで検索してみ -- 名無しさん (2017-10-03 15:54:26) - 慣れてくると登場人物が勝手に歩き出して「プロット?奴は死んだよ」とか言い出すから困る それが面白いんだけども -- 名無しさん (2017-10-26 21:35:53) - ↑それができる人カッコいいよな -- 名無しさん (2018-11-14 20:15:28) - 「帰納的」「演繹的」って実際にある言い回しなの? 本来の意味からだいぶ外れてると思うんだけど -- 名無しさん (2020-02-26 13:06:53) - ↑3 バカめ、 -- 名無しさん (2020-04-29 22:19:45) - ↑7 一種の戦術と戦略みたいなものかもね。小説の書き方が戦術で、プロットが戦略。で、基本的に読者が見たり求めているのは前者の方だからそこばかり重要視されてしまう。だから戦略=プロットが立てられておらず読者が注目しそうなシーンばかり考えていると行き当たりばったりになったり、話の収拾がつけられず必要以上に物語が長くなってしまう。 -- 名無しさん (2022-06-19 15:32:40) - 若い頃はプロット?何それ?で成功を収める創作家は居るが…加齢により発想などが衰えても、なおこれをやろうとして酷い事になってる事例は現実に結構ある -- 名無しさん (2022-06-22 08:05:09) - なんか自分は作品からこういうプロット部分を読み解いて、その構成がいかにうまく出来てるかに魅力を感じる所があるな。ただ、読み手としては若干邪道な楽しみ方な気もするし、連載作品で途中まではいい具合に積み重ねて行ってると感じてたのに、肝心のクライマックスで崩壊してた時のガッカリ感が酷い。商業作品だと崩壊の原因が作者以外の部分にありそうな事例も少なくないけど。 -- 名無しさん (2022-07-05 06:27:31) - 漫画家だと松井優征先生あたりが上手い印象 週刊誌っていういつ打ち切りが決まってもおかしくない中で「いつ終わってもいいように」構成してるというか -- 名無しさん (2023-02-15 03:12:01) #comment #areaedit(end) }

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