悠久山安慈(るろうに剣心)

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&font(#6495ED){登録日}:2009/10/01 Thu 19:28:35 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 12 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- #center(){ &bold(){&sizex(5){この子達が輪廻の環をくぐり再び転生するその時まで…}} &bold(){&sizex(6){“明王の安慈”は負けるわけにはいかぬのだ!}} } [[漫画]]『[[るろうに剣心>るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚-]]』の登場人物。 目次 #contents *【[[プロフィール]]】 生年月日:弘化2((西暦1845年))11月 年齢:34歳((満32歳)) [[身長]]:193cm   体重:110kg   [[血液型]]:A型 好きな言葉:救世 嫌いなこと:無益な殺生 [[CV>声優(職業)]]:原康義  演:丸山智己 *【概要】 [[志々雄真実]]が率いる「[[十本刀]]」の一人で異名は『“明王の安慈”』。駒形由美や[[瀬田宗次郎]]からは「安慈和尚」とも呼ばれている。 外見は目の下の隈と全身を覆う筋肉が特徴。 僧兵に似た服装をまとい、頭には白い布を巻いている。 元は東北地方にあった貧乏寺の和尚で、この頃の安慈は、現在とは同一人物とは思えないほどの、ひょろっとした体で怒ることも苦手な優男であった。 しかし、後述の悲劇からこの世に「救世」をもたらす目的で志々雄の十本刀になることを受け入れた。 また、京都へ向かう途中であった[[相楽左之助]]に&b(){「[[二重の極み]]」}を教えたのも彼。 左之助にとっては相楽総三に次ぐ第二の師匠とも言える人物。 *【人物】 仏門に身を置きながら、不殺生の戒律を破った破戒僧。 元々は心優しい人物であったが、過去の悲惨な事件(後述)以来、明治政府を激しく憎んでおり、明治政府の打倒という共通の目的から、「生殺与奪」((例え対象の殺害を命じられていても自分の判断で敵を生かしても良い))を条件に志々雄一派に与した。 過去の経緯もあってか、志々雄によると&b(){「十本刀中最も情け深い」}と評されているが、一方で&b(){「その情けを遥かに凌駕する憤怒をもって動いている」}とも評されている。 *【戦闘能力】 「十本刀」の中でも[[瀬田宗次郎]]、[[魚沼宇水>魚沼宇水(るろうに剣心)]]と並ぶ実力者であり、志々雄からも高く評価されている。 破壊の極意「二重の極み」を10年かけて会得しており、基本的に徒手空拳で戦闘を行う。 また、その分厚い筋肉の壁は[[相楽左之助]]の打撃をものともしないほどで、左之助との対戦では一撃必殺の威力を誇る二重の極みを何発も受けても戦闘を続行していた((ただしこれは精神が肉体を凌駕しているが故であり、同じ状態にあった左之助もまた左之助自身のそれを遥かに上回る安慈の二重の極みを受けても全く支障がなかった。正気の状態で食らった際には一撃で血を吐いて倒れた。この時は胸に忍ばせていた子供たちの位牌が盾になっており、それが無ければ倒れていたはずである))。 左之助は小回りが効かないと評していたが、パンチの速度は左之助よりも圧倒的に速いし、極み外しで難なく左之助の攻撃を無力化しており、&bold(){宗次郎と[[永倉新八]]の斬り合いを仲裁している}ことからも、優れた対応力があるのは確実であり、小回りがきかないとも一概に言えなくなっている。 &bold(){剣客兵器の土居潜具羅からも化け物と呼ばれた}。 **技 ・&bold(){[[二重の極み]]} #center(){ &bold(){&sizex(5){驕るな、小僧。お前に教えたのは基礎中の基礎。}} &bold(){&sizex(6){“極める”とはこういう事だ}} } 安慈が10年かけて編み出した破壊の奥義。 大まかには一度目の打撃のみでは抵抗が生じて完全には破壊出来ないため(前述の通り岩だと砕けるだけに留まる)、 二重の極みにおいては、同じ個所へ超素早く二撃目を繰り出すことで完全に対象を破壊する…と言った趣旨の技。 作中では二撃目までの間は1/75秒とされている。 左之助は右手でしか(キネマ版では左手も)二重の極みを打てないが、安慈は全身の至る所で放つことができる。 作中では両手・両肩・両肘・両膝・両足で二重の極みを放っており、その気になれば頭突きでも放てると思われる(左之助の推測)。 再筆版ではなんと横隔膜でも二重の極みを使える。口から衝撃波を出すんだとか(炎を霧散させる対志々雄用の切り札)。 詳細は『[[二重の極み]]』の項目を参照。 ・&bold(){陸震} 携帯した三鈷剣を地面に突き刺し、二重の極みの衝撃を拡散させて破壊力と引き換えに広範囲への攻撃を可能とした技((ゲーム「炎上!京都輪廻」では左之助も二重の極みのミス演出としてこの遠当て攻撃を使える。))。 京都編では左之助と初めて出会ったとき・2度目は志々雄のアジトで左之助と再会して戦ったときに使用されているが、この時はまだ技としての名称はなく完全版が発行されたときの再筆において初めて名称が付けられた。 ・&bold(){空雷} 再筆で登場した二重の極みの応用。横隔膜で二重の極みを発生させることで口から衝撃波を放つ。対志々雄用の隠し球で、秘剣を破る奥の手。 ・&bold(){海鳴} 再筆で登場した二重の極みの応用。手に持っている羂索を使い、水中に二重の極みの衝撃波を伝播させる。 上記3つの技名は宇宙大帝ゴッドシグマの主役メカ、ゴッドシグマの合体ロボット3体(陸震王、空雷王、海鳴王)だと思われる。 ・&bold(){明王撃} PSP版ゲームでのオリジナル奥義。両手両足による二重の極みを放った後、最後に頭突きによる二重の極みを叩き込む五連撃。 ・&bold(){極み外し} #center(){ &bold(){&sizex(5){もう一度敢えて言おう。“極める”とはこういう事だ}} } 打ち込まれた二重の極みに対し、その真裏から正拳を自ら打ち込む事で衝撃の伝道の拍子を崩して二重の極みをただの2連撃に緩和する防御法。 衝撃を完全にゼロには出来ないが、これを使用することで本来受けるダメージを大幅に減少させることが出来る。 左之助に二重の極みを打ち込まれた際に使用し驚愕させたが、後に左之助自身も極み外しを繰り出すことに成功している。 なお、[[キネマ版>るろうに剣心-キネマ版-]]での話になるが要するに二重の極みの衝撃の伝道の拍子を崩せばいいので必ずしも真裏から正拳を打ち込まなければならないわけではない。 同作で剣心は相龍閃((原作における双龍閃。))で極み外しを行った他、同作の無敵鉄甲は極み外しを勝手に行えるような特性になっている((最後は強引に突破されたが。))。 ・&bold(){合掌} #center(){ &bold(){&sizex(5){南無阿弥陀仏}} } 両手の掌で相手の頭部を挟み込み押し潰す技。 ・&bold(){総身} 北海道編にて登場した技。合掌した状態で身震いを行い、自身に向かってくる対象物に&bold(){全身で}二重の極みの衝撃を与える。作中では左之助を庇い敵が飛ばした岩の破片を全て粉砕した。&s(){全身で二重の極みが放てると明言されていたが、本当に文字通り全身で出来るとは…。}しかも、これまでの描写から判断すると、安慈が収監中に二重の極みを練習した様子が全くないので、京都編の段階で既に習得していたと考えて良いだろう。 *【来歴】 **過去 元は東北地方にあった貧乏寺の和尚であり、身よりの無い子供達と一緒に過ごしていた。 しかし、廃仏毀釈((仏教排斥運動の総称。日本においては明治元年に発令された神仏分離令を指す。国家神道の特別さを強調するため、神仏習合でグダグダになっていた神道と仏教をはっきり分けようという趣旨だったが、調子に乗った神官が煽ったり、神道原理主義的な面の強い尊王思想を抱いた思想家や地方官僚らが音頭を取ったりしたおかげで、全国的な仏教排斥運動にまで発展した。))により村長から立ち退きを迫られる。 村を去ること自体は承諾したが、安慈らが引っ越しをするよりも前に、「ぐずぐずしてると他の村に明治政府からの恩恵を持って行かれる」と入れ知恵された村長の手により、子供達のいる寺に放火された((史実でも明治政府からの今後の冷遇を恐れた旧幕府側藩、廃仏毀釈の最先鋒であった薩摩藩からの恫喝を恐れた周辺諸藩など、諸々の理由で徹底的な排斥運動を行った地域も存在した))。 この時、安慈は滝行に出ていたが寺が燃えてることに気づき、子供達を助けようとするも、村長の刺客に闇討ちされ、気絶してしまう。 #center(){ 御仏よ この子達は これまでずっと辛い思いをしてきた…… どうかこれからは 幸多い未来を…… どうかこの子達に 御加護を…… } しかし、安慈の祈りも虚しく次に目が覚めた時には既に手遅れで、子供達は無惨に焼け死んでいた((皮肉にも子供達が避難していた本堂の仏像はほぼ無傷で残っており、何故子供達を見捨てたのかと悲憤した安慈はこの仏像を殴りつけた。))。 このことにより"明王"の安慈が誕生することとなった。 その後5年に渡って体を徹底的に鍛え、村長を殺害し復讐を果たすが、事の発端でもある明治政府への恨みは晴れず、志々雄一派に加わる。 常に懐に持っている位牌は子供達のものであり、復讐の気持ちを忘れないための戒めである。 **作中の活躍 下諏訪の森で修行をしていた所、剣心を追って京都へ向かっていた左之助と出会う。 力を求める左之助に対し、同じく明治政府を憎む者のよしみで1週間以内(当初は1ヵ月だったが左之助が1週間で十分と豪語したため)に修得出来なければ死んでもらうという厳しい条件で自らの技「二重の極み」を伝授する事を決意。 1週間後、倒れている左之助を見つけ、激しい修行により命を落としたと思った安慈はせめて供養しようと試みる。 しかし意識が戻った左之助は石に二重の極みを放って見せた。 満身創痍ながらも二重の極みを習得した左之助に驚愕しつつも大した男だと称賛し、ヒヨッコだったのが今は巣立つ若鳥のようだと思いながら剣心の元へ向かう左之助を見送った。 その後、志々雄真実から召集を受けアジトに帰還。 志々雄一派による京都大火の際は、作戦を失敗に導いた巻町操を十本刀・魚沼宇水が殺害しようとした瞬間に登場し、二重の極みで宇水の槍を破壊。 志々雄真実から生殺与奪の権を得ている為、無益な殺生はさせぬと主張する。 そしておよそ半刻(現在の時間で約1時間)の睨み合いの末、両者は撤退。 安慈の存在によって操は九死に一生を得る事となった。 比叡山のアジトにて左之助と再会。 決闘の1番手として巨大な不動明王像が供えられた自らの部屋「衆合の間」にて待ち構える。 自ら名乗りを上げた左之助に対し、互いに「敵」であったことに驚きつつも、安慈は自らの思う「救世」について語った。 破壊によって明治政府を滅ぼし、1度世界を無に帰して救うべき者を救い、罰するべき者を罰し、まず人の心から再生を計る、と言う安慈を左之助は一蹴し、拳で語る事を選択した。 右手の拳でしか二重の極みを発動出来ない左之助に対し全身のあらゆる箇所で二重の極みを発動できる安慈は「極めるとはこういう事だ」と言い放ち、終始圧倒する。 しかし、安慈が腹部に打ち込んだ二重の極みに対し、左之助は打ち込まれた箇所の反対側から衝撃を加えることで二重の極みの威力を減少させる極み外しを咄嗟に繰り出し、これに動揺した安慈はその隙を突かれ倒れる。 致命的な一撃を受けた安慈だったが、懐に入れていた寺の孤児達の位牌を見て再び立ち上がる。 更に戦いは激化し、両者共に精神が肉体を凌駕している状態で二重の極みを打ち合うが、左之助の編み出した三重の極みを受け、「死んだ子供達は救世なんか望んじゃいない」「お前の流した血に濡れて痛いって泣いてるじゃねえか」という言葉を聞いて戦意を喪失。 己の救世という暴走が、最も大切に思っていた子供たちをも苦しめているということを悟り、敗北を認めた。 志々雄の死後は警察に出頭。 剣心たちの嘆願もあり死刑は免れたものの懲役25年の判決を受けて北海道の仮設集治監で服役している。 作者は彼にはかなりの思い入れがあるらしく(その証拠に読み切り版では、彼に似た人物が何回か登場した)、 単行本の13巻の「制作秘話」にて、彼の後日談を書きたいとも言っていた。 ただし、北海道編で後日談が描かれた場合、死んでしまうはずだった。 そもそも左之助戦も別の展開が用意されていたらしいが「長くなりすぎる」という理由でカットされたという。 ……そして本当に[[北海道編>るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚・北海道編-]]が開始し、安慈も登場しているため死亡フラグが立った状態になっているが、果たして。   *【主な人間関係】 ・&bold(){椿(つばき)} CV:平松晶子 僧侶時代に世話をしていた孤児達の内の1人。 安慈の目の下に塗られたススは彼女の遺体の物であり、10年以上経った北海道編でも未だに煤が取れないのは剣心の十字傷と同じく強すぎる念を込めて付けられたためだと思われる。 また安慈が手首に付けている細めの数珠は彼女の遺品((旧アニメ版では元々安慈が最初に送ったものという設定だった。))。 安慈とは対照的に子供達には厳しく𠮟り、安慈に対しても「怒るときは心を鬼にして怒らなきゃ!和尚様はただでさえ人一倍優しい顔付きなんだから!」とはっきり言う快活な少女であった。 父親は戊辰戦争で政府軍と敵対していた元幕府側の村長だった為、政府からも冷遇されていたようで明治政府派の村長一味から「村の疫病神」と呼ばれその影響が安慈や一緒に暮らす孤児達にも及んでいることに心を痛めていた。対して安慈は彼女の父も時代を良くしようと尽力したのだから謝るなと諭した。 そして村長一味による放火事件を経て、上記の椿の言葉が奇しくも優しい和尚様であった安慈を「明王の安慈」に変貌させる引き金となってしまった。 安慈には想いを寄せていたような様子もあり、旧アニメ版では他の子供達にそのことを茶化されるシーンがある。 ・&bold(){[[相楽左之助]]} 弟子もどき。アジトでの決闘で「明王の安慈」としての人生に終止符を打った人物でもある。 二重の極みを伝授した。 左之助が森に迷い込んで来た時は食事を提供したり彼のボケや軽口に律儀に突っ込んだり、二重の極みを習得した際には笑みを見せその成長に感慨を抱く等、彼との交流では憤怒に満ちた「明王の安慈」とは少し違った一面も見える。 ・&bold(){[[志々雄真実]]} 安慈が所属する志々雄一派のボス。 明治政府打倒という共通の目的から傘下に入った。 安慈を十本刀3強の1人に数え「安慈と戦ってタダで済む人間は居ない」と評してアジトでの決闘の1番手に抜擢し、彼の部屋も用意する等、直接的な交流は少ないが%%本来なら彼より格上の宇水よりずっと%%高く評価されている。 *【実写映画】 実写映画版では丸山智己氏が演じる。 京都大火編から登場しているが、本格的な活躍は伝説の最期編。 煉獄に乗り込んできた左之助と対峙。尚、本作では修行エピがない為、新京都編と同じく左之助とはこれが初対面である。 端的に言えば、[[戌亥番神]]の上位互換と言うべき戦闘力を誇り、単純な格闘で左之助を半死半生にまで追い込んだ。 左之助の首を極め、トドメを刺そうとするが、咄嗟の機転で左之助は傍にあった油を頭から被り、尚且つ安慈の脇を擽るという方法で拘束から抜け出す。 隙の出来た安慈の股間にアッパーカットを決められる。安慈「アッーーーーーー!!」  そのまま安慈はトドメのスープレックスをかまされ失神。なんとも締まらない最後であった。 その後、立ち去る間際、捨て台詞をはこうとした左之助の目前で警官隊の放った砲弾が炸裂。この時に死亡した可能性が高い。 残念ながら二重の極みは使用せず(それっぽい攻撃は一度あったが)。 その代りなのか、志々雄が左之助に二重の極みらしき技を使った。 実写版の左之助にとっては二人目の聖職者との勝負だったりする。 本人も「キリシタン(番神)とやったことはあるけどよ、坊さんと戦うのは初めてだぜ」と自嘲している。 *【余談】 作者も公言しているがモデルはアンジーというバンドのヴォーカル水戸華之介であり、 水戸華之介は目の回りを黒くメイクしバンダナを着用。 ちなみに名前も「アンジー」→「あんじ」→「安慈」である。 キャラデザに関しては早くから素案があったものの一つを採用しており、本編以前の読み切りにも酷似したデザインのモブ敵が登場している。   彼のテーマソングは「心は傷つき過ぎて」。安慈に相応しい、堪えきれない悲しみを表す曲である。流石は阿久悠先生 Wiki篭もりがこの項目を閲覧し、追記・修正するその時まで明王の安慈は負ける訳にいかぬのだ! #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,35) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #lsd() #comment_num2(num=30) }
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同作で剣心は相龍閃((原作における双龍閃。))で極み外しを行った他、同作の無敵鉄甲は極み外しを勝手に行えるような特性になっている((最後は強引に突破されたが。))。 ・&bold(){合掌} #center(){ &bold(){&sizex(5){南無阿弥陀仏}} } 両手の掌で相手の頭部を挟み込み押し潰す技。 ・&bold(){総身} 北海道編にて登場した技。合掌した状態で身震いを行い、自身に向かってくる対象物に&bold(){全身で}二重の極みの衝撃を与える。作中では左之助を庇い敵が飛ばした岩の破片を全て粉砕した。&s(){全身で二重の極みが放てると明言されていたが、本当に文字通り全身で出来るとは…。}しかも、これまでの描写から判断すると、安慈が収監中に二重の極みを練習した様子が全くないので、京都編の段階で既に習得していたと考えて良いだろう。 *【来歴】 **過去 元は東北地方にあった貧乏寺の和尚であり、身よりの無い子供達と一緒に過ごしていた。 しかし、廃仏毀釈((仏教排斥運動の総称。日本においては明治元年に発令された神仏分離令を指す。国家神道の特別さを強調するため、神仏習合でグダグダになっていた神道と仏教をはっきり分けようという趣旨だったが、調子に乗った神官が煽ったり、神道原理主義的な面の強い尊王思想を抱いた思想家や地方官僚らが音頭を取ったりしたおかげで、全国的な仏教排斥運動にまで発展した。))により村長から立ち退きを迫られる。 村を去ること自体は承諾したが、安慈らが引っ越しをするよりも前に、「ぐずぐずしてると他の村に明治政府からの恩恵を持って行かれる」と入れ知恵された村長の手により、子供達のいる寺に放火された((史実でも明治政府からの今後の冷遇を恐れた旧幕府側藩、廃仏毀釈の最先鋒であった薩摩藩からの恫喝を恐れた周辺諸藩など、諸々の理由で徹底的な排斥運動を行った地域も存在した))。 この時、安慈は滝行に出ていたが寺が燃えてることに気づき、子供達を助けようとするも、村長の刺客に闇討ちされ、気絶してしまう。 #center(){ 御仏よ… この子達は…これまでずっと辛い思いをしてきた… どうかこれからは…幸多い未来を… どうかこの子達に…御加護を… } しかし、安慈の祈りも虚しく次に目が覚めた時には既に手遅れで、子供達は無惨に焼け死んでいた((皮肉にも子供達が避難していた本堂の仏像はほぼ無傷で残っており、何故子供達を見捨てたのかと悲憤した安慈はこの仏像を殴りつけた。))。 このことにより"明王"の安慈が誕生することとなった。 その後5年に渡って体を徹底的に鍛え、村長を殺害し復讐を果たすが、事の発端でもある明治政府への恨みは晴れず、志々雄一派に加わる。 常に懐に持っている位牌は子供達のものであり、復讐の気持ちを忘れないための戒めである。 **作中の活躍 下諏訪の森で修行をしていた所、剣心を追って京都へ向かっていた左之助と出会う。 力を求める左之助に対し、同じく明治政府を憎む者のよしみで1週間以内(当初は1ヵ月だったが左之助が1週間で十分と豪語したため)に修得出来なければ死んでもらうという厳しい条件で自らの技「二重の極み」を伝授する事を決意。 1週間後、倒れている左之助を見つけ、激しい修行により命を落としたと思った安慈はせめて供養しようと試みる。 しかし意識が戻った左之助は石に二重の極みを放って見せた。 満身創痍ながらも二重の極みを習得した左之助に驚愕しつつも大した男だと称賛し、ヒヨッコだったのが今は巣立つ若鳥のようだと思いながら剣心の元へ向かう左之助を見送った。 その後、志々雄真実から召集を受けアジトに帰還。 志々雄一派による京都大火の際は、作戦を失敗に導いた巻町操を十本刀・魚沼宇水が殺害しようとした瞬間に登場し、二重の極みで宇水の槍を破壊。 志々雄真実から生殺与奪の権を得ている為、無益な殺生はさせぬと主張する。 そしておよそ半刻(現在の時間で約1時間)の睨み合いの末、両者は撤退。 安慈の存在によって操は九死に一生を得る事となった。 比叡山のアジトにて左之助と再会。 決闘の1番手として巨大な不動明王像が供えられた自らの部屋「衆合の間」にて待ち構える。 自ら名乗りを上げた左之助に対し、互いに「敵」であったことに驚きつつも、安慈は自らの思う「救世」について語った。 破壊によって明治政府を滅ぼし、1度世界を無に帰して救うべき者を救い、罰するべき者を罰し、まず人の心から再生を計る、と言う安慈を左之助は一蹴し、拳で語る事を選択した。 右手の拳でしか二重の極みを発動出来ない左之助に対し全身のあらゆる箇所で二重の極みを発動できる安慈は「極めるとはこういう事だ」と言い放ち、終始圧倒する。 しかし、安慈が腹部に打ち込んだ二重の極みに対し、左之助は打ち込まれた箇所の反対側から衝撃を加えることで二重の極みの威力を減少させる極み外しを咄嗟に繰り出し、これに動揺した安慈はその隙を突かれ倒れる。 致命的な一撃を受けた安慈だったが、懐に入れていた寺の孤児達の位牌を見て再び立ち上がる。 更に戦いは激化し、両者共に精神が肉体を凌駕している状態で二重の極みを打ち合うが、左之助の編み出した三重の極みを受け、「死んだ子供達は救世なんか望んじゃいない」「お前の流した血に濡れて痛いって泣いてるじゃねえか」という言葉を聞いて戦意を喪失。 己の救世という暴走が、最も大切に思っていた子供たちをも苦しめているということを悟り、敗北を認めた。 志々雄の死後は警察に出頭。 剣心たちの嘆願もあり死刑は免れたものの懲役25年の判決を受けて北海道の仮設集治監で服役している。 作者は彼にはかなりの思い入れがあるらしく(その証拠に読み切り版では、彼に似た人物が何回か登場した)、 単行本の13巻の「制作秘話」にて、彼の後日談を書きたいとも言っていた。 ただし、北海道編で後日談が描かれた場合、死んでしまうはずだった。 そもそも左之助戦も別の展開が用意されていたらしいが「長くなりすぎる」という理由でカットされたという。 ……そして本当に[[北海道編>るろうに剣心 -明治剣客浪漫譚・北海道編-]]が開始し、安慈も登場しているため死亡フラグが立った状態になっているが、果たして。   *【主な人間関係】 ・&bold(){&ruby(つばき){椿}} CV:平松晶子 僧侶時代に世話をしていた孤児達の内の1人。 安慈の目の下に塗られたススは彼女の遺体の物であり、10年以上経った北海道編でも未だに煤が取れないのは剣心の十字傷と同じく強すぎる念を込めて付けられたためだと思われる。 また安慈が手首に付けている細めの数珠は彼女の遺品((旧アニメ版では元々安慈が最初に送ったものという設定だった。))。 安慈とは対照的に子供達には厳しく𠮟り、安慈に対しても「怒るときは心を鬼にして怒らなきゃ!和尚様はただでさえ人一倍優しい顔付きなんだから!」とはっきり言う快活な少女であった。 父親は戊辰戦争で政府軍と敵対していた元幕府側の村長だった為、政府からも冷遇されていたようで明治政府派の村長一味から「村の疫病神」と呼ばれその影響が安慈や一緒に暮らす孤児達にも及んでいることに心を痛めていた。対して安慈は彼女の父も時代を良くしようと尽力したのだから謝るなと諭した。 そして村長一味による放火事件を経て、上記の椿の言葉が奇しくも優しい和尚様であった安慈を「明王の安慈」に変貌させる引き金となってしまった。 安慈には想いを寄せていたような様子もあり、旧アニメ版では他の子供達にそのことを茶化されるシーンがある。 ・&bold(){[[相楽左之助]]} 弟子もどき。アジトでの決闘で「明王の安慈」としての人生に終止符を打った人物でもある。 二重の極みを伝授した。 左之助が森に迷い込んで来た時は食事を提供したり彼のボケや軽口に律儀に突っ込んだり、二重の極みを習得した際には笑みを見せその成長に感慨を抱く等、彼との交流では憤怒に満ちた「明王の安慈」とは少し違った一面も見える。 ・&bold(){[[志々雄真実]]} 安慈が所属する志々雄一派のボス。 明治政府打倒という共通の目的から傘下に入った。 安慈を十本刀3強の1人に数え「安慈と戦ってタダで済む人間は居ない」と評してアジトでの決闘の1番手に抜擢し、彼の部屋も用意する等、直接的な交流は少ないが%%本来なら彼より格上の宇水よりずっと%%高く評価されている。 *【実写映画】 実写映画版では丸山智己氏が演じる。 京都大火編から登場しているが、本格的な活躍は伝説の最期編。 煉獄に乗り込んできた左之助と対峙。尚、本作では修行エピがない為、新京都編と同じく左之助とはこれが初対面である。 端的に言えば、[[戌亥番神]]の上位互換と言うべき戦闘力を誇り、単純な格闘で左之助を半死半生にまで追い込んだ。 左之助の首を極め、トドメを刺そうとするが、咄嗟の機転で左之助は傍にあった油を頭から被り、尚且つ安慈の脇を擽るという方法で拘束から抜け出す。 隙の出来た安慈の股間にアッパーカットを決められる。安慈「アッーーーーーー!!」  そのまま安慈はトドメのスープレックスをかまされ失神。なんとも締まらない最後であった。 その後、立ち去る間際、捨て台詞をはこうとした左之助の目前で警官隊の放った砲弾が炸裂。この時に死亡した可能性が高い。 残念ながら二重の極みは使用せず(それっぽい攻撃は一度あったが)。 その代りなのか、志々雄が左之助に二重の極みらしき技を使った。 実写版の左之助にとっては二人目の聖職者との勝負だったりする。 本人も「キリシタン(番神)とやったことはあるけどよ、坊さんと戦うのは初めてだぜ」と自嘲している。 *【余談】 作者も公言しているがモデルはアンジーというバンドのヴォーカル水戸華之介であり、 水戸華之介は目の回りを黒くメイクしバンダナを着用。 ちなみに名前も「アンジー」→「あんじ」→「安慈」である。 キャラデザに関しては早くから素案があったものの一つを採用しており、本編以前の読み切りにも酷似したデザインのモブ敵が登場している。   彼のテーマソングは「心は傷つき過ぎて」。安慈に相応しい、堪えきれない悲しみを表す曲である。流石は阿久悠先生 Wiki篭もりがこの項目を閲覧し、追記・修正するその時まで明王の安慈は負ける訳にいかぬのだ! #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,35) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #lsd() #comment_num2(num=30) }

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