天覧試合(プロ野球)

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&font(#6495ED){登録日}:2011/06/25 (土) 14:57:30 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 4 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- 天覧試合とは、天皇陛下が観戦する試合競技のことである。 この項目では、2021年現在プロ野球史上唯一挙行された1959年の天覧試合について記述する。 ○経緯 かつてプロ野球は"職業野球"と呼ばれ、下賎な職業とされていた。 学生スポーツとして発展し、六大学野球が日本野球の頂点とされた時代は、現在では考えられないことだが「金を取って野球を見せるとは何事か」という蔑んだ目で見られていたのだ……。 この辛さから何としても解放されたい、プロ野球を認めてもらいたい。これが当時のプロ野球関係者の悲願だった。 読売巨人軍の創設者・正力松太郎氏は、こうした球界の表には出せない"見えざる総意"を叶えるべく天覧試合の実現に向け奔走、無事に天皇・皇后両陛下をお迎えすることに成功した。 プロ野球界にとって、天覧試合は&font(#ff0000){プロ野球が市民権を得るための千載一遇の好機}だったのである。 かくして、プロ野球の命運は1959年6月25日、巨人対阪神の伝統の一戦に託された。 ○試合 巨人・藤田元司、阪神・小山正明両エースの先発でプレイボール。 両軍とも緊張からか打線が機能せず、阪神は2回まで三者凡退、巨人も初回、2回と無死一塁を併殺で潰す。 3回表、一死二塁から投手の小山が中前タイムリー。阪神が1点を先制する。 対する巨人は5回裏、四番・長嶋茂雄のホームランで同点とすると、続く五番打者にも一発が飛び出し2対1と勝ち越しに成功する。 昭和天皇は試合前、侍従に「ホームランは出るかね」とお訊ねになったそうで、この2本でプロ野球はまず責任を果たした形だった。 この2発で両軍の硬さがとれ、試合が動き出した。6回表に阪神はタイムリーで同点。ここで四番の藤本勝巳が左へ2ランをたたき込み一気に4対2と逆転した。 しかし、巨人も粘る。7回裏、一死一塁から六番のルーキー・王貞治がライトスタンドに2ラン。一本足になる前、わずか19歳1ヶ月の一発で同点に追いついた。 ここで阪神は小山を諦め、5月の同カードで巨人打線を無安打に封じ完投勝利した新人・村山実をリリーフに指名。村山は後続をぴしゃりと抑えた。 しかし、前日も登板していた村山にとっては突如指示を受けた形であり、投球練習すらしないままの登板だった。 村山が冷えた肩のままマウンドに登ったことが結局、この試合の行方を運命づけることになる。 その後は巨人の好守などもあり両軍譲らず、試合は9回表まで終えた。 延長か? それより両陛下のお帰りの時間が迫っている。それは9時15分だった。もう時計は9時を回っている。 お帰りまでに決着がつかなければ、球界苦心の天覧試合も「日本人に認知させたい、市民権を得たい」という願いを叶えてくれるものにはならない――。 しかし9回裏、先頭打者の長嶋が村山の内角高めの直球をものの見事にレフトポール際へ運んだ。 #center(){&font(#ff0000){サヨナラホームラン!}} 5対4で巨人の勝利。時計は9時12分を指していた。 こうしてプロ野球史上唯一の天覧試合は、野球のあらゆるものを表したかのような理想的な試合展開で幕を閉じたのだった。 ○余談 ・この一戦は全国に生放送された。その効果は絶大で、プロ野球は真に市民権を得ることに成功し、後の隆盛へと進んでいくこととなった。 ・大学時代、ルーキーイヤーとスター街道を突き進んでいた長嶋は、この試合の大活躍によってスーパースターの座を不動のものとした。&br()「皇室御用達」とも言われた。 ・新人の王はこの年打率.161とさっぱり打てなかった。その王が天覧試合にスタメン起用され、しかも同点2ランと活躍したことに誰もが驚いた。 ・村山は亡くなるまで「あれはファウルだった」と言い続けた。&br()しかし当日出場していた阪神の左翼手や観客の証言、残された映像などからホームランだったのはほぼ確実である。 ・当時の阪神監督・"カイザー"田中義雄は日系二世で[[日本語]]が不得手だったため、リリーフに村山を指名した時も「あんた、ピッチいける?」としか言えなかったという。&br()これが村山が肩を作れなかった原因となった。 ・選手はじめ関係者には皇室の御紋入りの煙草が下賜された。だが実際に吸った人曰く「とても不味かった」とのこと。 ・試合開始は7時、前述したように9時12分に終了したため試合時間は2時間12分だった。3時間超えが当たり前となった今から見ると短く思えるが、当時としては長時間の部類((当時の平均試合時間は1時間45分。))。スポーツライターの二宮清純氏は&bold(){「プロ野球の面白い要素が凝縮された最高の試合」}と絶賛しており、この試合を引き合いに出してプロ野球の試合時間短縮を主張することが多い。 追記・修正は、野球愛溢れる方にお願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,2) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 村山さんの言い分も、それはそれで好き -- 名無しさん (2014-03-28 10:31:57) - この試合でホームランが出なかったらどんなことになってたんやろ? -- 名無しさん (2017-01-21 06:37:26) - 映像見てると打たれた瞬間ガックリしてるし村山さんもホームランだとわかってたような気がする。 -- 名無しさん (2017-01-21 08:59:58) - 今回に限らず皇室の恩賜タバコは勿体ぶって長期間取っとく人が多いので酸化しないように砂糖を入れないので風味がきついそうな -- 名無しさん (2020-05-28 00:31:59) #comment #areaedit(end) }
&font(#6495ED){登録日}:2011/06/25 (土) 14:57:30 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 4 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- 天覧試合とは、天皇陛下が観戦する試合競技のことである。 この項目では、2021年現在[[プロ野球]]史上唯一挙行された1959年の天覧試合について記述する。 *経緯 かつてプロ野球は"職業野球"と呼ばれ、下賎な職業とされていた。 学生スポーツとして発展し、六大学野球が日本野球の頂点とされた時代は、現在では考えられないことだが「金を取って野球を見せるとは何事か」という蔑んだ目で見られていたのだ……。 この辛さから何としても解放されたい、プロ野球を認めてもらいたい。これが当時のプロ野球関係者の悲願だった。 [[読売巨人軍>読売ジャイアンツ/読売巨人軍]]の創設者・正力松太郎氏は、こうした球界の表には出せない"見えざる総意"を叶えるべく天覧試合の実現に向け奔走、無事に天皇・皇后両陛下をお迎えすることに成功した。 プロ野球界にとって、天覧試合は&font(#ff0000){プロ野球が市民権を得るための千載一遇の好機}だったのである。 かくして、プロ野球の命運は1959年6月25日、巨人対[[阪神>阪神タイガース]]の伝統の一戦に託された。 *試合 巨人・藤田元司、阪神・小山正明両エースの先発でプレイボール。 両軍とも緊張からか打線が機能せず、阪神は2回まで三者凡退、巨人も初回、2回と無死一塁を併殺で潰す。 3回表、一死二塁から投手の小山が中前タイムリー。阪神が1点を先制する。 対する巨人は5回裏、四番・長嶋茂雄のホームランで同点とすると、続く五番打者にも一発が飛び出し2対1と勝ち越しに成功する。 昭和天皇は試合前、侍従に「ホームランは出るかね」とお訊ねになったそうで、この2本でプロ野球はまず責任を果たした形だった。 この2発で両軍の硬さがとれ、試合が動き出した。6回表に阪神はタイムリーで同点。ここで四番の藤本勝巳が左へ2ランをたたき込み一気に4対2と逆転した。 しかし、巨人も粘る。7回裏、一死一塁から六番のルーキー・王貞治がライトスタンドに2ラン。一本足になる前、わずか19歳1ヶ月の一発で同点に追いついた。 ここで阪神は小山を諦め、5月の同カードで巨人打線を無安打に封じ完投勝利した新人・村山実をリリーフに指名。村山は後続をぴしゃりと抑えた。 しかし、前日も登板していた村山にとっては突如指示を受けた形であり、投球練習すらしないままの登板だった。 村山が冷えた肩のままマウンドに登ったことが結局、この試合の行方を運命づけることになる。 その後は巨人の好守などもあり両軍譲らず、試合は9回表まで終えた。 延長か? それより両陛下のお帰りの時間が迫っている。それは21時15分だった。もう時計は21時を回っている。 お帰りまでに決着がつかなければ、球界苦心の天覧試合も「日本人に認知させたい、市民権を得たい」という願いを叶えてくれるものにはならない――。 しかし9回裏、先頭打者の長嶋が村山の内角高めの直球をものの見事にレフトポール際へ運んだ。 #center(){&font(#ff0000){サヨナラホームラン!}} 5対4で巨人の勝利。時計は9時12分を指していた。 こうしてプロ野球史上唯一の天覧試合は、野球のあらゆるものを表したかのような理想的な試合展開で幕を閉じたのだった。 *余談 ・この一戦は全国に生放送された。その効果は絶大で、プロ野球は真に市民権を得ることに成功し、後の隆盛へと進んでいくこととなった。 ・大学時代、ルーキーイヤーとスター街道を突き進んでいた長嶋は、この試合の大活躍によってスーパースターの座を不動のものとした。&br()「皇室御用達」とも言われた。 ・新人の王はこの年打率.161とさっぱり打てなかった。その王が天覧試合にスタメン起用され、しかも同点2ランと活躍したことに誰もが驚いた。 ・村山は亡くなるまで「あれはファウルだった」と言い続けた。&br()しかし当日出場していた阪神の左翼手や観客の証言、残された映像などからホームランだったのはほぼ確実である。 ・当時の阪神監督・"カイザー"田中義雄は日系二世で[[日本語]]が不得手だったため、リリーフに村山を指名した時も「あんた、ピッチいける?」としか言えなかったという。&br()これが村山が肩を作れなかった原因となった。 ・選手はじめ関係者には皇室の御紋入りの煙草が下賜された。だが実際に吸った人曰く「とても不味かった」とのこと。 ・試合開始は19時で、前述したように21時12分に終了したため試合時間は2時間12分だった。3時間超えが当たり前となった今から見ると短く思えるが、当時としては長時間の部類((当時の平均試合時間は1時間45分。))。スポーツライターの二宮清純氏は&bold(){「プロ野球の面白い要素が凝縮された最高の試合」}と絶賛しており、この試合を引き合いに出してプロ野球の試合時間短縮を主張することが多い。 追記・修正は、野球愛溢れる方にお願いします。 #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,2) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 村山さんの言い分も、それはそれで好き -- 名無しさん (2014-03-28 10:31:57) - この試合でホームランが出なかったらどんなことになってたんやろ? -- 名無しさん (2017-01-21 06:37:26) - 映像見てると打たれた瞬間ガックリしてるし村山さんもホームランだとわかってたような気がする。 -- 名無しさん (2017-01-21 08:59:58) - 今回に限らず皇室の恩賜タバコは勿体ぶって長期間取っとく人が多いので酸化しないように砂糖を入れないので風味がきついそうな -- 名無しさん (2020-05-28 00:31:59) #comment #areaedit(end) }

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