関羽

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&font(#6495ED){登録日}:2009/12/10 Thu 08:10:00 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 28 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- #center(){&sizex(5){&font(b,#009900){「春風、桃花の頃に契りを結び、以来、大旱に雲霓を望み四十年。今、乱世に わが大王の道を拓く!!」}}} &sizex(5){&font(b,#009900){関羽}}、字は雲長、改名する前は長生と名乗っていた。愛称としては美髯公、大ヒゲ、武神、ヒゲの人等。 &bold(){[[劉備]]}の義弟であり、日本の[[横浜中華街>横浜市]]を始め世界各地に墓があることで有名。 とりあえずあやかっちまえ!といった具合に色々なものの神様にされている。 **【出自】 司隷河東郡解県の生まれ。 中国最大の塩湖である「解池」の近くであり、[[塩]]の密売に関わっていたという話もあるが、推測の域を出ない。 地元に伝わる伝承によれば、阿漕な塩商人を殺したことで官吏に目をつけられたため、幽州へ逃げることになったという。 赴く経緯がなんであれ、幽州に向かったことでそこで生涯の主君、劉備と義弟&bold(){[[張飛]]}と出会うこととなる。 演義においては有名な「桃園の誓い」の場面としてこの出会いは描かれることとなる。 その後、劉備を義兄また主君として立て、その生涯に亘って付き従うことになる。 **【デビュー】 演義においては特に関羽が衆目を集める場面として、&bold(){[[華雄]]}との戦いや&bold(){[[呂布]]}と三兄弟でわたり合った場面が描かれている。 特に華雄戦については[[華雄]]の項目の方が詳しいのでそちらを参照。 尤もこの時の劉備は史実に沿うならば[[公孫瓚]]の一部将でしかないため、史実においては特筆するような功績はないようである。 その後、紆余曲折を経て劉備は徐州を得るものの、傭兵として迎え入れた呂布の裏切りに会い徐州を失陥、&bold(){[[曹操]]}の元に厄介になることになる。 しかしながら董承らによる曹操暗殺計画に巻き込まれたため、&font(b,#042fc4){曹操}と&bold(){[[袁紹]]}の大戦が近づいたことを利用して&bold(){[[袁術]]}討伐に赴き、そのまま徐州刺史車冑を殺害。 曹操を裏切って袁紹と結び徐州に割拠する。 しかし曹操が攻めてきたことにより劉備は敗走、袁紹の元へ逃れ、下ヒにいた関羽は&font(b,#009900){曹操に投降する}。 その後白馬の戦いで、乱戦のさなか袁紹軍の&bold(){[[顔良>顔良/文醜]]}を突き刺して&font(b,#009900){討ち取った}。 この功績をもって、関羽の称号として有名な&font(b,#009900){漢寿亭侯}に封じられている。 こうしたこともあって曹操からの評価も高かったが、関羽としては恩返しが済めば劉備の元へ去るつもりであった。 実際曹操から与えられた恩賞も封をし、お礼の手紙を残して曹操の元を辞している。 曹操はその義に感じ入り、関羽を追ってはならないと言ったという。 三国志演義ではここで黄巾の残党で後の片腕となる[[周倉]]と[[廖化]]に出会う。 「五関一城の突破」も有名な創作物語で、実はこれは封神演義の「黄飛虎の五関一城の突破」をオマージュしたものらしい((「封神演義の五関一城」は重要な地理要素として何度も登場するのに対し、「三国演義の五関一城」はかなり唐突に差し挟まれる上に一度しか登場しないため、もともと五関一城は封神演義のほうで発展し、あとから三国演義が取り込んだのかもしれない。))。 **【ジャーン!ジャーン!ジャーン!】 その後、劉備と共に荊州に逃れるが、しばらくして荊州のドン&bold(){[[劉表]]}が死んだこともあり曹操が侵攻してくる。 この時は江陵へ逃れる劉備たちとは別行動をとり、漢津で再度合流、そのまま夏口までともに逃れることになる。 以降は演義ではかの有名な[[赤壁の戦い]]へと続く。 この赤壁のラストで曹操をげぇっ関羽させるも、かつての知遇の恩を振り切れなかった関羽が、苦境に陥っていた曹操を見逃すという、ある意味では愚かしくもどこまでも人間臭い、義理人情の深さが象徴されるエピソードが存在する。 %%他にはこれといって出番がないのは内緒。まあ赤壁では劉備軍自体が蚊帳の外だしね%% 曹操の撤退後は荊州平定に携わり、その功績でもって襄陽太守に任命。また、劉備の入蜀後は荊州を一手に引き受けることになる。 **【死亡フラグ】 しかし、「上の立場の人間がいなくなる」および「文官不足」がここにきて問題となってくる。 下にもあるが、関羽は同格の相手に対し傲慢に振舞うところがあった。([[諸葛亮]]や[[黄忠]]が登用されたときに不満を漏らしたことも、この性格の一端と見ることもできる) 今までは関羽を抑えられる劉備や諸葛亮がいたから良かったが、そういう人材が関羽のそばにいなくなってしまったのである。 特にまずい形でこの性格が表れたのは、&bold(){[[孫権]]}から申し出てきた子息の婚姻話を&font(b,#009900){本国に通しもせず蹴ってしまった}こと(孫権に「お前は俺より下だ」と言ったに等しい)であった。 ただし、&bold(){この話も創作説が付きまとう説ではある}。 関羽は劉備軍の重鎮とはいえ、孫権の義兄であり関羽の主君である劉備の頭越しに婚姻を進めることは不自然だし、それを撥ね付けるはずもない。 逆に、劉備軍団の半分を支配する関羽が、軽々しく孫権との縁談を結ぶというのも、下手をすれば劉備側からの離反や疑惑にさえつながりかねない危険行為である((当然ながら、リアルタイムで生きる劉備たちに「関羽が絶対謀反しない」と断定することはできない。現に劉備は諸葛亮を信任しながらも警戒していた。))。 儒教国家である漢の臣であり、兄である劉備をそこまで軽視しているなら、関羽はとっくに独立して荊州を乗っ取っているし、そもそも見限って曹操軍にいたはずである。 一応、この時点で関羽は荊州軍事総督・前将軍(劉備軍の軍位としては最高位((当時の劉備はまだ漢中王であり、漢の臣下と言う立場上より高位の「大将軍」「驃騎将軍」などは置いていなかった。)))であるため「現場の裁量で押し通してしまった」と言う可能性もなくはないのだが… それでも、「蹴とばした時に孫権を犬呼ばわりした」はさすがに創作だろう。 そもそも、一度劉備に妹を嫁がせる行為が失敗に終わっているのに未練がましくこんな事を繰り返す孫権の方が非常識であるともいえる。 **【面目躍如】 それはともかく、遠く漢中方面では劉備・&bold(){[[法正]]}・&bold(){[[黄忠]]}が魏軍の重鎮・&bold(){夏侯淵}&font(b,#458f25){を討ち取り}、続く&font(b,#458f25){曹操軍さえ撃退した}。 続けて劉備は「漢中王」の就任を宣言。この軍事面・外交面の勝利に応じて、関羽も&font(b,#458f25){樊城に侵攻}して守将・&bold(){曹仁}を圧倒し、援軍として駆け付けた于禁率いる七軍を撃破、 途中ホウ徳に額を射られるが武神だから関係なかった&bold(){(史実)}。 さらに各地で反乱を誘発させた。関羽自身が調略にどれだけ携わったかは不明だが、 候音らが地方で諸将を釘付けにし、魏の都・鄴で魏諷が決起寸前になるなど、魏の屋台骨をヘタすると粉砕するような事態となっていた。 その勢いは曹操に遷都を考えさせるほどだったが、とるものもとりあえずすっ飛んできた第二援軍の徐晃、趙ゲンの軍に苦戦し、怒涛の勢いがいったんストップしてしまう。 **【転落】 一進一退の攻防を繰り返しているうちに、前に後方支援に全力を尽くさなかったとして叱責した糜芳、傅士仁が&bold(){[[呂蒙]]}の説得により裏切った為に&bold(){本拠を失ってしまう}。 魏が曹操の代どころか曹丕の代での天下統一を投げ打つ程に呉に対し譲歩したことで、 呂蒙が天命を賭し、次代を引き継ぐ巨星[[陸遜]]と共に蜀の裏を取る荊州奪回策を神速で実行したために、虚を突かれる形になってしまった。 ここに至り、関羽は本拠を奪還するため、数倍の孫呉包囲網へと猛進。 物凄い勢いで包囲網を突破しようとしたが、潘璋配下の馬忠に捕らえられてしまう。 そのまま[[孫権]]から捕らえたら即時に首を落とすように言われていたために、&font(b,#ff0000){処刑される}。 呉は劉備の怒りをそらし尚且つ魏に恩義を売りつけるために首を魏に送りつけた。 しかし、それを見抜いていた(また、実際尊敬の念もあったのであろう)曹操は&font(b,#042fc4){諸侯の礼をもって関羽を葬った}。 劉備の怒りは張飛を殺した将が呉に逃げ込んだ故に更に燃え上がり、&font(b,#ff0000){夷陵の大戦}(そして大敗)へと続くことになる。 なお、荊州奪回策として仮病を使った呂蒙は直後に本当に病死した。 演義では祝杯をあげている時に関羽の怨霊に憑依され体中から血を流して変死というホラーな死に方をしたが、史実ではちゃんと遺言を残して平穏に死んだらしい。 関羽と言えば商業の神として有名であるが、盗賊や海賊が来ないように願掛けとして義と武勇に優れた関羽の像を置いたのが始まりだと言われる。 **【家族】 ●[[関平]] 演義では養子で序盤に出会い関羽と共に戦い共に死んだ。 正史だと実子だが、側室の子だと思われ、字は記録されていない。というか、「呉に捕まって殺された」位しか記録がない。 『覇~LOAD~』では聞いただけではなんだかわけのわからない出自になっている。 ●関興 実子。一応関羽死後にその跡を継いでいるが、正史では「二十歳で馬良の後任になるほど優秀だったが、数年後に死んだ」とあるのみ。 演義では割と活躍しているが、あくまで割と。 張飛の息子・張苞と義兄弟の契りを交わし、偃月刀を受け継ぐなどの次世代の武将的なイベントがあるが、 よく見ると諸葛亮の副将程度の描写しかなく、しかも次世代といいながら諸葛亮よりも早死にしてしまう。 ●[[関索]] 後世において関羽の子として創作された人物。詳細は当人の項目を参照。 ●関銀屏 『何がむむむだ!』の息子の嫁。 南蛮制圧で活躍(創作)。三国志大戦で登場して以来、爆発的にメディアへの露出が増えた。 **【人物】 三国志演義をはじめとする創作物では、&font(b,#009900){圧倒的な武勇}を誇る上に&font(b,#009900){劉備への忠誠心}を備え、また敵であれ&font(b,#009900){義理を通す}好人物として描かれている。 史実においても曹操が人材として惚れ込み、魏を震え上がらせているなど敵からも強敵と評価されていた人物であり、 演義のキャラ付けも史実とかけ離れたものではなかったと思われる。 武力方面はもちろんであるが、内政面においても諸葛亮が蜀に行った後の&font(b,#009900){荊州の内政運営は十分成功していた}。(呉の側からの正史に記述あり) 一説によると『[[春秋左氏伝>儒教]]』を好んで読み、ほぼ暗記してそらんじることができたらしく、当時の武辺者としては&bold(){珍しく}インテリな面も持っていた((ただし当時の知識人にとって、四書五経やら上記の春秋左氏伝含む九経やらは、読んでて当然のものであり暗誦できるのも普通であった。三国志に出てくる人物の多数はそういった知識人グループに含まれる。つまり関羽が特に「春秋左氏伝を好んで読み、暗記して暗誦できた」と書かれていることは、「彼がそういった知識人グループの外にいた、下に見られていた」ことの裏返しとも言える。))。 劉備の功業にとって、なくてはならなかった股肱の臣下だったことは間違いないであろう。 しかし、関羽は本来自身と同格に当たる相手に対してやたらと上から目線で接することが多かったとされる。 劉備への忠誠心故か、庶民から成り上がった自信故か、はたまたコンプレックス故か……。 劉備軍内部であれば、その地位の高さから上から目線であることはさして問題にならなかったし、むしろ尊大さは組織の引締めにも役立ったと考えられる。 だが、彼が荊州を治めるという時点で、それでは済まされなくなってしまった。 それが、呉との外交戦で最悪の形で噴出し、&font(b,#009900){呉を敵に回してしまった}。 呉と蜀は元々荊州をめぐって利害関係が微妙な間柄でもあったから、関羽でなくとも最後は同じであった可能性も否定はできないだろう。 それでも、魏を倒すためには協調してやっていかなければならない呉に対して、本国の許可もなく独断で横柄な態度をとったのは余りにも大きな失策だった。 この結果として、蜀と呉は潰し合い、その間に魏は態勢をしっかりと整えてしまった。 これでは諸葛亮や[[姜維]]がどう頑張っても魏の打倒などできるはずはなくなったのである((決定的なのは夷陵の戦いで蜀の軍隊と有能な官僚・武将が全滅したことだが))。 ただし、前述の通り孫権との婚姻話はどこまで本当かは不明瞭である。 もしこの婚姻話の独断が本当のことだとしても、荊州にも諸葛亮クラスとは言わなくとも、 きちんと補佐が出来る文官を置けない蜀の悲しいくらいの人材層の薄さこそが原因ともいえる。 真三國無双7のifルートでは龐統の生存が必須条件の1つだったが、例えば龐統の元で[[馬良]]ら文官勢をきちんと育成できていれば、違った未来もあったのかもしれない。 関羽の敗戦後呉に仕え、高い評価を受けた潘濬と折り合いの良くない関羽に文官重用が出来たかは不明だが… またこの孫権の攻撃と関羽の破滅の結果、「東西の両方面で攻撃して曹魏の戦力を分散させ、圧倒的な国力差を覆す」という 「天下三分の計」の戦略目標((この目標は魯粛も同じ意見であった。魯粛は呂蒙の関羽攻撃の三年前に死んでいる))が破綻したのだが、&bold(){これはそのまま孫権側にも跳ね返る指摘である}。 呉といえども魏との国力差は倍以上開いており、本来の敵は関羽ではなく曹操だった。 その関羽が、漢中の戦勝に呼応して荊州で戦っていたという当時の状況は、圧倒的に強い魏が弱まり、呉にも回天のチャンスが巡っていた千載一遇の好機だった。 ここで、合肥に出るなり北上して徐州を狙うなりせず、関羽を討って&bold(){壮大な足の引っ張り合いをした}時点で、呉が魏に逆転するチャンスもなくなってしまったのだ((もともとは周瑜が唱え魯粛が無理と蹴っ飛ばした「天下二分の計」、すなわち魏呉の2大勢力で天下を分けるという策があったらしい。呂蒙と陸遜もこれを採用していたと言う説もある))。 関羽が外交戦に失敗したのは事実だが、だからといって孫権の行動にも問題がないとは言えないだろう。 とはいえ&b(){孫権、ひいては呉にとって長江流域である荊州南部の確保は最重要課題であった}ことに注意((呉の勢力範囲は長江以南であり長江がそのまま防衛線である。川といえど幅は1キロ前後あり、歩いての渡河は不可能。軍団が渡るには水軍をもって「制河権」を確保して船で輸送するしか無い。そして船の陸上輸送がほぼ不可能である以上、長江流域に存在する都市=造船工場を全て勢力下に置けば相手は水軍を持つことができないため、侵攻は事実上不可能なのだ。つまり長江流域やその都市が存在する荊州南部を、同盟国とはいえ他国が支配している状態というのはよろしくない。しかもそこを支配している関羽が横柄で脅しをかけてくるともなれば自国の安全保障上大問題と言える))。 「関羽が抑えている江陵は長江の上流であり」「水軍を育てており((樊城の戦いにおいて豪雨に乗じて于禁の支援軍を包囲する際に水軍を使用している))」「その関羽は呉を下に見ており、孫権を侮辱している」。 更に樊城の戦いの最中に兵糧が足りなくなった関羽は、呉の領内で略奪をしているのだ。 この状態で合肥を攻めにでも行ったら、関羽の水軍が呉領内に攻め込んでくるかもしれない… 孫権やその家臣がそういう心配をしたとしてもおかしくはないだろう。 それでも、天下を統一すると言う強い目的意識があれば、関羽を放置する危険を冒してでも魏を攻めると言う選択肢はありえたかもしれない。 だが、呉は強力な私兵を擁する豪族の寄合い所帯のようなものである。 実際、官渡の戦いの前の群雄割拠の時代においても強く外征に出た勢力は少なく、 多くの豪族にとっては「迂遠な中華の統一よりもまず自領土の保全」という思考が出てくるのも無理はない。 彼らがまず自領土を保全するために関羽を攻めたいと言えば孫権と言えど抑えきれなかっただろう。 下記の部下へのパワハラも含めて関羽は他人の感情や敵の国内事情を推し量る能力に欠けていたのかもしれない。 逆に言えばそれを理解でき、関羽に進言できる部下がいれば… なお、関羽は部下には優しかったと言われるが、糜芳・士仁への叱責が原因で呉への内通が発生したとされており(一説には「こいつらを始末しなければならない」と物騒なことを言ったとか)、一方的に優しかった訳ではない。 とはいえ、叱責の内容は失火を出したことや兵站サボりという&b(){叱責・処罰が当然なもの}であり、しいて関羽の落ち度と言えるかは微妙である((しかし本拠地から樊城まで数百キロの兵站線を維持するというのは並大抵のことではない。当時は車など存在しないため主に馬車で運んでいたのだが、当然馬や輜重兵も飯を食うので一定以上の距離の兵站輸送は不可能なのだ(積んだ兵糧を全て食べてしまうため)。おまけに呉に調略された野盗や野盗に偽装した呉軍の妨害もあっただろう。兵站をサボったと言うより無理・不可能であった可能性もある))((当時の軍隊の主な補給は侵略先からの略奪である。これは侵攻すればするほど新たに兵糧を手に入れられるという点で合っているが、侵攻がストップした瞬間から兵糧不足になるという弱点もある。そして当時の関羽軍は樊城を落とすのに手間取っていた。前述の補給の困難さも合わせて半ば詰み状態であったと言えるかもしれない。事実上記の通り兵糧不足に苦しんだ挙げ句、付近の呉の領土で略奪するという大悪手をしている))。 上記の始末も関羽には劉備と親戚関係であった糜芳((劉備の妻は糜芳の妹。また兄の麋竺は諸葛亮より席次上位の重臣でもあった。))を勝手に始末する権限はないし、本気だったなら幽閉するか劉備に事情話して後送していた筈である意味ボヤキに近い言い方だったのかもしれない。 …とはいえ言っていい言葉と悪い言葉というものがあるのは確かである。 ちなみに張飛は上にはペコペコしながら部下にはパワハラする性格が原因で暗殺されており、&bold(){関羽と対}なのは皮肉である。 結果として&font(b,#009900){劉備の功業を立てたのも関羽なら、潰したのも関羽だった}、というべきだろうか。 そのくらい戦術級・戦略級の存在としては卓越しており、前半期の劉備軍で主力を任されたのは大体関羽。 関羽生存時は諸葛亮も魏での知名度は高くなく((徐庶など諸葛亮同門が魏にも仕えていたことから存在は認識されていたと考えられるが、内政担当である諸葛亮をあえて「警戒対象」にする理由は当時の魏にはなかったと言える。))、&bold(){「関羽が死んだら蜀の残りは小物しかいないので怖くない(意訳)」}とまで言われていたのである。 実際、魏に決定的な打撃を与える事ができたのは関羽の北上の際に反乱が頻発していた時期位しかない。 当時は劉備も60歳近く、関羽や張飛も50歳を回っていたと考えられ、当時の寿命を考えると彼らが病気や寿命で引退と言う事態すら起きかねない年で、 仮に樊城で裏切りを食らっていなくても時間切れが間近だった。 例えば、対魏の最前線である漢中太守に[[魏延]]を抜擢した人事だが、有力視されていた重鎮の張飛が不満を漏らすことはなかったのは、 張飛の荊州派遣や張飛を連れての劉備自身の荊州入りを視野に入れていたから、と見る向きもある。 何にせよ呂蒙の天命を賭した神速の荊州奪回によりその芽は潰されてしまったが… **【創作作品における関羽】 呉から関羽の首が送られてきたとき、曹操が劉備の怒りの矛先から逃れるためもあって王侯への礼を以て葬儀が営まれ、個人的な敬意の表れとして廟を建立した。 すると曹操の意向を忖度した者達によって魏の国のあちこちに関羽の廟が建てられたらしい。 その後、歴代の王朝が北方から圧迫された時、北方の敵と戦った武神として国家的に祈祷される。 また、郷里の塩商人からは裏表のない性格の関羽は商業道徳に適う神として商業の神とも崇められた。 歴史書『三国志』は晋時代に編纂されたもので、魏から禅譲を受けた以上その魏が正統でないと困るので魏正統の立場で書かれているが、 編纂者の陳寿自身は蜀出身であり、諱を避けたり死亡の際の表現を変えるなどで蜀の正統性も強調している。 (あと、司馬昭が魏の皇帝を弑逆しちゃったため魏からの禅譲ではなく正統である蜀を倒して興った国ということにしようとする考え方も後世には出てきたらしい) %%全然関係ないのに絡んできたみたいな扱いされている呉によって%%非業の死を遂げた関羽は『演義』において&font(b,#009900){「義絶(義の極み)」}とその義を讃えられ、&bold(){[[道教]]}において神格化された。 かくして完成した「&font(b,#009900){関帝廟}」には、%%ブレーキ役%%[[関平]]と[[周倉]]を従えている。 ***&font(b,#009900){◆六朝~隋代 ~仏教の守護神~} 三国時代から五斗米道など初期道教が発達しているが、 南北朝期には、劉備や曹操、諸葛亮・[[司馬懿]]・[[徐庶]]たち各国トップ・文官勢が神として祀られる中で、関羽や張飛は神に数えられてはいない。 神格化は仏教の方が早く、隋代の智顗(天台宗開祖)に僧坊を提供し、守護神となったとする話が記録されている。 ***&font(b,#009900){◆唐代~北宋代 ~南の武神~} 忠義に厚い関羽は&font(b,#009900){為政者からの人気を集めた}。%%軽んじていた[[儒教]]的士大夫層から人気という訳の分からない事態になったが。%% 最初に為政者から祀られたのは唐代の&bold(){安史の乱}の時。[[武成王>太公望]]廟六十四将の一人として従祀されたが、このときは数ある名将の一人ぐらいの扱いだった。 ちなみに三国時代からは魏から二名・蜀から二名・''呉から四名''というチョイス。 五代から北宋にかけて、道教では元帥神という武神の信仰が広まり、関羽は南方を守護する関元帥として四大元帥に数えられるようになる。 [[趙公明>趙公明(藤崎竜版封神演義)]]とかと同格。 五行説において南を意味する「赤」から赤兎馬との関係が生まれたらしい。 北宋代の称号…忠恵公・武安王・義勇武安王 南宋代の称号…壮繆義勇王・壮繆義勇武安英済王 ***&font(b,#009900){◆元代 ~そして伝説へ~} [[伝説上の息子>関索]]の奇想天外な活躍が物語られるなど、&font(b,#009900){どんどん人間離れしていく}。 ついでに「旗揚げするにあたり未練を断ち切るためお互いの家族を張飛と交換殺人」というとんでもない設定になってたりもするが… 『三国志平話』では鍛冶屋が刀を打っているときに青龍が飛び込んで一体化し、青龍偃月刀となったという伝説が描かれ、 『花関索伝』では大岩をどかして青龍偃月刀を手に入れ、最期の時には水の神に赤兎馬と青龍偃月刀を返して[[天に還る>ラオウ(北斗の拳)]]という どこの[[エクスカリバー]]かと思うような伝説的人物となった。 若干余談だが、この時代ごろから&bold(){上司だった[[太公望]]を抜いて}中国史の武神筆頭になってしまう。 元代の称号…顕霊義勇武安英済王 ***&font(b,#009900){◆明~清代 ~財神関帝~} 関羽の故郷、山西省の解県には、解池という塩湖があり、中国内陸部における最大の製塩所であった。 生命の必需品である塩の取引が盛んであり、この地の商人達は関羽が琢軍へ行った理由も塩の密売で追われていたためであったとして信仰していた。 さらに、曹操から貰った宝物を全て返した話を『&font(b,#009900){算盤や出納張の起源}』と盛られ、関帝は&font(b,#009900){財神}としての面も持つことになった。 なおこの逸話は赤壁の戦いの後『平話』では曹操は不思議な霧によって関羽から逃げたのが 『演義』になってこのときの恩義によって曹操を見逃すという話になり、関羽の義理堅さを強調している。 &font(#0000ff,u){&font(#ffffff){経緯を見ると孔明の「天命によって曹操はどうせ殺せない」が結構な[[メタ発言]]に聞こえてくる}} また清の袁枚が編纂した怪力乱神集『子不語』にも関帝廟絡みの話が収録されており、 「呂蒙が拓いた土地に関帝廟を置くと騒音が起きる」 「関帝廟が多すぎるので、小さな関帝廟には窓口だけが設置されている」 「飢えによって起こした盗みの真相が関帝廟で占われるが、本当のことを言えば犯人は主人に殺されるので、下宿を追い出されるだけで済む知事に濡れ衣を着せる」など %%なんか俗っぽい%%神としての信仰を集めていたことがうかがえる。 明代の称号…壮繆義勇武安顕霊英済王・三界伏魔大帝神威遠鎮天尊関聖帝君・三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君 清代の称号…忠義神武霊祐関聖大帝・忠義神武霊祐仁勇関聖大帝・忠義神武霊祐仁勇威顕関聖大帝・忠義神武霊祐仁勇威顕護国関聖大帝・忠義神武霊祐仁勇威顕護国保民精誠綏靖関聖大帝・忠義神武霊祐仁勇威顕護国保民精誠綏靖翊徳関聖大帝・忠義神武霊祐仁勇威顕護国保民精誠綏靖翊賛宣徳関聖大帝 ***&font(b,#009900){◆現代 ~Dynasty warriors~} 三国志演義において、他人の功績を関羽に移植するなど、関羽の功績を強調するため様々な脚色が行われた。 孫堅の功績である華雄を斬るシーンを関羽に変えるなど、もっぱら呉の被害が大きい(『SDガンダム三国伝』では販促のために孫堅が倒してるけど)。 何しろ、劉備や孔明に次いで&font(b,#009900){関羽も諱を避けているのだ}。(因みに張飛は呼び捨て。まあ尊敬というより親しみ深いキャラだし) 演義の設定が含まれているため演義完成後に生まれたと思われる『三国故事』という伝承も各地で語られている。 **◆各作品での関羽 フィクション作品では[[長柄武器>ポールウェポン]]「青龍偃月刀」(銘「冷艶鋸」)を愛用しているが、 実は関羽の時代よりずっと後に発明されたものなので、正史の関羽には&bold(){縁が無かった}。 ※ネタバレあり **●漫画・アニメ ***『横山光輝三国志』 従来のイメージを踏襲。日本人の持つ関羽さん男前!のイメージの根源。 全体的に黒いイメージ、服と烏帽子と髭的な意味で。初期のほうでは剣の使い手であった。 ***『天地を喰らう』 肝と小便と一緒に瓦礫の誓いをした。 未完。 ***『[[蒼天航路]]』 「いかな乱世であれ、この邪な所業!関雲長が許さぬ!」 呂布と並んで最強武将扱い、まさに武神ってかチート。%%初期はだるまの妖怪みたいだった。%% 最終二巻位の実質主人公。馬に乗って空を飛び、暴れに暴れてプロットごと潰しにかかる。 ***『sweet三国志』 武器が青龍偃月刀じゃなく、住友重工産の形状記憶合金製の剣。 ***『STOP!劉備くん』 素手で槍を掴み取ってへし折る程の比類なき豪傑であるが義に篤く、老人や子供に弱い。「あんまり血を見るのも好きじゃないんだよね」とか言っちゃう。 戦う最中でも美しい花は踏まずに避け、顔良・文醜が家族のために働いている姿を見て戦うのを躊躇うなど優しい人物。 貂蝉ちゃんラヴ。 最期は史実通り呂蒙に敗れ晒首にされるが、曹操から「不気味」という理由で&bold(){コギャルの携帯の如くデコられてしまい}、曹操を呪殺した。 ***『覇〜LOAD〜』 主君が日本人で坊主頭。 貂蝉の処女を貰った。 ***『一騎当千』 四川高校(埼玉県)3年、同校の事実上の番長(総長は眼鏡っ娘劉備だが非好戦的)。 褐色肌を持ち踝まで届くほどのロングヘアースタイルの美少女で、どう見ても高校生の風格ではない(本作だとよくあること)。 右目が常に隠れている。172㎝もの長身に加え爆乳、筋肉も凄い。 裾もスカートも丈がハンパなく短く、常にルーズソックスを履いている。 (知名度補正もあってか)作中では一番人気。人気すぎてアニメ第2期では勝手に主役になっていた(表向きは原作主人公・孫策とのW主人公だが)。 死亡したと思いきや決死の治療により復活。 ガチレズ。 figmaの一騎当千シリーズでは一番最初に登場した。 ***『マンガ三国志・水滸伝の英傑たち』 台湾の鬼才・蔡志忠による4コマギャグ漫画では準主役として登場。 悪人を斬って指名手配されていた所を張飛・劉備と出会うが、その懸賞金額が低廉だったことを嘆いて流浪の身となった。 作中のネタはこんな感じ。 劉備「せっかく誓いを立てたんだから旗を作ろうぜ」 関羽「ボクは顔が赤い」 張飛「俺は色黒だ」 劉備「私は色白だ。&bold(){[[このマンガの第2話にもそう書いてある>メタ発言]]くらいだからな}」 張飛「俺、絵が得意だから三人のカラーを合わせた旗を作ってみるぜ」 (数分後) 張飛「できたぜ」 関羽「おお、見事な赤白黒…ってこれ&bold(){イラクの国旗じゃねーか}」 このマンガ、他にも「中国共産党のシンパだったことはないか」とか「中国兵が絶対いない所に逃げねば! よし靖国神社に行こう」などネタがギリギリすぎる。 ***『ランペイジ』 相変わらずのチートっぷり。張飛を殺したくて殺したくて仕方がない。 未完だったが最近ネットで続きを描いている。 ***『ブレイド三国志』 出ていたかどうか… 打ち切りのためなんとも… ***『DRAGON SISTER』 本当は男として生まれる筈が張角のどうしようもない呪いのせいで黒髪美女に生まれた。 華雄戦を除けば演義のような強さはみせなかったが、潜在能力が高い。 ***『新SD戦国伝 地上最強編』 関羽モチーフとして、&ruby(エイブラム){影武乱夢}編の登場人物・&ruby(セキリュウガンダム){赤龍頑駄無}が登場。演者はレッドウォーリア。 異国から来たとされる謎の武者で、&ruby(セイリュウガンダム){青龍頑駄無}(張飛モチーフ)とは義兄弟の契りを結んでいる。 文武両道に長け、義勇軍では軍師としても活躍。&ruby(ハクリュウガンダム){白龍頑駄無}(劉備モチーフ)と共に、&ruby(オウコジオング){黄虎璽}率いる黄虎賊(黄巾賊モチーフ)に立ち向かう。 三叉の[[槍]]・火炎戟が武器で、槍先から燃える火炎弾を繰り出す「灼熱弾」が必殺技。 後に、&ruby(ガリュウガンダム){臥龍頑駄無}から空駆ける馬・龍馬「&ruby(クレナイ){紅}」を得るが、これは裏モチーフが赤兎馬とされている。 続編の『伝説の大将軍編』にも登場。&ruby(コウリュウガンダム){紅龍頑駄無}と名を変え、頑駄無白竜大帝に仕えていた。 ***『SDガンダム三国伝』 演者は[[ΖΖガンダム]]。 鬼面を始めとする鬼の意匠から「鬼の関羽」、それに加え%%ガンダムなのに%%黒く長い髯から「鬼髯の大武勇」の異名を持つ。通称「鬼ヒゲ」、または単に「ヒゲ」。 昔は「長生」を名乗っており楼蘭という恋人もいたが、彼女を呂布トールギスに殺されたために鬼面を被り名も「関羽」に改めたという設定。 最年長という事もあって義兄弟の中では常識人兼ツッコミ役に回る事が多い。 また武器や必殺技にはいずれも「&ruby(オーガ){鬼牙}」というSDガンダムらしいステキな読みの単語が入っており、アニメ版では「&ruby(オーガそう){鬼牙装}」というパワーアップ形態も貰った。 ***『[[SDガンダムワールド 三国創傑伝]]』 演者は[[νガンダム]]。 パワーキャラっぽくない機体((νガンダムはパワーが恐竜的進化を遂げていた第4世代全盛期の機体ながら、アムロのニュータイプ能力を活かす為にはそうしたパワー偏重の能力は不要ということで実質第2世代機だったりする。))からの選抜となった。 元はラクヨウで暮らしていたが、悪政を敷く董卓[[プロヴィデンスガンダム]]にうんざりし、董卓を打倒すべく張飛[[ゴッドガンダム]]と共にドラゴンズ・ウォッチ(蜀)に加入した。 武を極めた事で武聖関羽νガンダムとなる。 **●ゲーム ***『コーエー三国志シリーズ』 間違いなく最強武将の一角。 全体的に高ステータスであることが多く、その中でも武力・統率・魅力の三つが特に高い。 &bold(){というか大抵の作品では総合能力トップ10に入る。}もう君主にしてもいいくらい。 一番の目玉は何といっても武力。基本的に&font(b,#ff0000){97~99のカンスト間近}であり、呂布・張飛に次いで&bold()全武将中3位というのが定番。 その武力に一騎討ち補正が加わるので一騎討ちではまず負けない。単独で戦局をひっくり返せる、まさに一騎当千の勇者である。 知力や政治力は年を追うごとに弱体化されているが、それでも60~70台で、高くはないが安定した数値。%%少なくとも張飛よりは格段に%%序、中盤の放浪時代は内政もこなせる存在として劉備を支える。 劉備との相性も極めて良好(作品によっては兄弟扱いのこともある)。義理も基本最高であり、余程忠誠が落ちなければまず裏切ることはない。 さらに隠しパラメータでも「冷静」な性格であることが多く、知力の高さと相まって計略にもひっかかりにくい。 ただこれだけ強いということは、&bold(){敵に回すと恐ろしい}ということでもある。 正面からではまず勝てない、計略も効く保証が無い、寝返ってくれる可能性はゼロに近い…… 斬るには惜しいが捕まえたら処断も考えよう。七縦七擒なんて余裕をこいていられる敵では無い。 作品によっては関羽にしかない特殊能力を持たされていたり、関羽を斬ると「呪い」で隠しパラメータの「寿命」が下がったりと、何かと特別・優遇されていることが多い。 さすがは神として祀られるようになった男といったところか。 ***『真・三國無双シリーズ』 格闘ゲーム時代からのシリーズ皆勤キャラクターの一人。 [[こちら>関羽(三國無双)]]を参照。 ***『三国志大戦』 三国志主役級の人物の一人のため、実に多くのカードが出ている。 どれもが高コスト、高武力、文武両道として描かれてるがコストのせいで義兄弟たち同居するには微妙に相性が悪い。 ゲーム内最強クラスのスペックを持ち、武力では呂布に今一歩及ばないものの、殆どが味方を率いる指揮官としての側面を強く出されており、呂布とは対照的なカードになっている。 龍玉キャンペーンで兵士服が出た、前の曹操の出来の悪さと比べるとびっくりな位の出来。 マッチング画面はかわいい。 ***『LoV』 上記三国志大戦とのコラボで登場。 出てきたのは知る人ぞ知る三国志大戦・天に登場した『裁きの神雷』の関羽。 ***『恋姫無双』 本作のメインヒロインの一人で、真名は&bold(){愛紗}(アイシャ)。巨乳。アニメ版第一期では&bold(){主人公}。 一騎当千同様烏の濡れ羽色の美髪を有する「黒髪の山賊狩り」。普段はサイドテールにしており、釣り目や雪のように白い肌もあって精悍な印象を受ける。 …が、上記の噂に尾ひれがつきすぎて「そんなに美人でもねーじゃん!!」とか言われるのがアニメ版のお約束(第2期では「またそれか…」的な反応までしていた)。 年齢不詳だが多分20歳前後、よく「張飛の母親?」とか言われる。 『真』以降は劉備の登場と各勢力のルート追加により、劉備・曹操・孫権の三人がメインヒロインとして扱われ始め、 蜀ルートでは劉備と共にメインヒロインを務めるが、若干影が薄くなった。 FD『萌将伝』ではまさかの&bold(){ルート無し}という冷遇を受け、全国のご主人様たちを激怒させる事態に。 なお、ギガパルスの18禁フィギュアの恋姫無双シリーズでは一番に出た。 ***『十三支演義~偃月三国伝~』 一騎、恋姫同様にやっぱり美少女で、やっぱりこちらでも&bold(){主人公}。しかもこのゲームは女性向け恋愛ゲーム(乙ゲー)。ただし女性向けの恋愛ゲームなので女体化してるのは関羽と呂布のみ。 猫族と呼ばれる猫の耳を持った亜人族の少女で、弟分の張飛、族長の劉備と共に中原の覇者へと進んでいく。(ちなみにしっぽは無い。) しかし、張飛同様茶髪なのはちょっと残念。 ドラマCDでのイケメン武将たちの「関羽とデートできたら一日どう過ごすか妄想してみようシリーズ」は腹筋崩壊もの。 ***『[[ウルトラマン英雄伝]]』 U40の力の賢者[[ウルトラマンタイタス]]が演じている。 知的マッチョということでぴったりの配役であり、黒く長いヒゲまで生やしている。 ***『[[真・女神転生デビルサマナー~悪魔召喚士~]]』 道教で神格化された姿で登場。名義は「&ruby(カンテイセイクン){関帝聖君}」。 ゲーム中盤の極悪MAPとして今でも語り草である異界化されて[[ダンジョン]]化した中華街、 その中心部にある関帝廟で不完全な召喚で暴走状態になり、ボスとしてプレイヤーと戦うことになる。 この関羽に勝利すれば彼は正気を取り戻して立ち去り、地獄の中華街イベントはやっと終わり。お疲れ様。 その後、メインストーリークリア適性Lvをずっと上回るLvで英雄合体で仲魔としてお迎えする事が可能。 レシピは造魔Lv65以上と龍神Lv78「&ruby(ショクイン){燭陰}」。高レベルで無垢の&ruby(ホムンクルス){人造悪魔}に霊峰鍾山の化身の龍神を合体させると関羽が出来るという、なんとも夢のある仕様である。 正直ヨシツネほど爆発的な強さではないが、バランス良好で使いやすい。 **●演劇 ***歌舞伎『関羽』 歌舞伎十八番の1つ。 源頼朝の弟・源範頼が帝位に就こうとしているという(どう考えても無謀な)噂を聞きつけた 平家の荒武者・平景清が範頼の館に&font(b,#cc4300){&bold(){なぜか}張飛のコスプレをして}忍び込み さらにたまたま源氏の忠臣・畠山重忠も&font(b,#009900){&bold(){なぜか}関羽のコスプレをして}馬で登場、 2人で範頼の野望を諫めるというわけのわからない話。 江戸時代には既に公演が絶えており詳細は不明だが、長い髭に青龍偃月刀の見事な関羽(のコスプレ)を描いた浮世絵は残されている。 **京劇 顔を「棗のような」赤一色に塗って演じる。この赤は演義を表現している。 だが神である関羽の顔そのものを再現するのは畏れ多いとして隈取には必ず欠陥を入れる。 &font(b,#009900){「Wiki籠りの半数を倒せばわれらの勝ち」} &font(b,#009900){「追記・修正をすればおまえたちの勝ちと定める」} &font(b,#009900){「天よ、地よ、われらがアニヲタWikiを愛おしみたまえ」} #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,12) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 捏造だらけの三国演技で孔明程じゃないが美化されたり他の武将の功績を自分のものにされて知らない部下や息子付けられるのはかなり恥ずかしがってそうだ。 -- 名無し (2013-10-15 12:45:10) - 対人関係だと 張飛より悪そうな -- 松永さん (2013-11-24 16:20:15) - ↑実は下っ端には優しいが、同格に近い武将とは折り合い悪くて孔明とかが仲裁したりと苦心したらしい。 -- 名無し (2013-11-27 01:22:27) - その同僚との折り合いの悪さが死亡の原因みたいなもんだしね -- 名無しさん (2013-11-27 01:32:33) - 同僚にはいてほしくないタイプ・・・刑州失陥は外交のツケの総決算である。 -- 名無しさん (2014-01-07 11:32:03) - てゆーか この人 童貞? -- 名無しさん (2014-01-07 11:59:34) - こいつよりチートなのは三国志時代にチラホラいたのに神になっちゃったからな。 -- 名無しさん (2014-02-08 20:15:08) - 彼の最期は外交上のツケの総決算だったな・・・ -- 名無しさん (2014-02-17 22:53:03) - ↑×3 息子(正史では実子)の関平がいるから非童貞なのは確実。蜀が滅ぶまでは一族も存続してた模様(ただし関羽が殺した武将の子孫に皆殺しにされたらしい) -- 名無しさん (2014-03-22 00:03:15) - この記事を見てると -- 名無しさん (2014-07-21 10:34:17) - ↑ミス -- 名無しさん (2014-07-21 10:35:43) - ↑×2 関興って息子もいたよ。 -- 名無しさん (2014-07-21 10:45:58) - 関索は男だからメアリー・スーではなく「ゲイリー・ストゥー」と書いた方が正しいと思う -- 名無しさん (2014-08-14 22:02:44) - 覇の関平は、趙雲と呂布の間に生まれ、典韋に武芸を教わり、関羽の養子となったスーパーエリート -- 名無しさん (2014-09-18 00:26:53) - 諸葛亮からもらった『馬超より髭殿(関羽)の方が上です』という手紙を来客全員に得意げに見せてた。実際相手してたら結構めんど臭い人みたい・・・ -- 名無しさん (2014-10-12 16:45:50) - 算盤作ったから商業の神様じゃなかったっけ -- 名無しさん (2014-10-12 16:59:57) - 岳飛と並んで中国の二大武神。 -- 名無しさん (2014-11-28 09:13:25) - サターンのデビルサマナーにも出てる。関帝聖君、または関聖帝君と申し上げなさい。 -- 名無しさん (2014-11-28 14:19:41) - どこからの導入か知らんけど「劉備に出会う前は寺子屋的な私塾を開いて子供に読み書きを教えていた」って話もあり、そこから「子供の守り神」や「学問の神」ともされている。 -- 名無しさん (2014-11-28 14:32:22) - たまに、刑州には張飛残した方が良かったんではと思わんでもない -- 名無しさん (2015-02-02 20:19:17) - ↑酒で失敗して荊州奪われる未来しか浮かばない。 徐州での前例もあるし -- 名無しさん (2015-02-02 20:59:41) - ↑趙雲だったら……少なくとも人格面の問題はないし、統率力も高いだろうし、外交に関しても本人が怪しくとも髭みたいに独断専行はしなさそうだし……まあ最良はトップにしろ補佐役にしろ、諸葛亮がいる事だろうけどなぁ -- 名無しさん (2015-06-03 14:33:14) - ↑趙雲が荊州の守備任されたら髭の嫉妬がやばそう -- 名無しさん (2015-06-03 19:31:11) - 趙雲に領土運営できるとはとても思えんけど -- 名無しさん (2015-06-03 23:57:19) - 趙雲は演義で大分誇張されてるしな。史実でも名将だけど、政治家としての事跡は特にない。漢中太守の魏延の方が活躍してる。 -- 名無しさん (2015-06-04 00:09:36) - 誰が関羽のポジションについて例えヘマしなくても結局の処適当ないちゃもんつけられて荊州取られてた気はするな。魏に近づいて荊州取る気満々の呂蒙が軍事のトップに立った時点で呉は方針固まってたし。 -- 名無しさん (2015-06-04 08:52:21) - ↑×3本人のそっち方面の能力が怪しくとも、そこんとこは出来る人間(理想は諸葛亮)に任せそう。まあ↑の言う通り荊州のトップが関羽だろうと張飛だろうと趙雲だろうと諸葛亮だろうと、呉が魏と組んで荊州を奪いに動く地点で詰んでいたかな -- 名無しさん (2015-06-04 09:34:05) - あの状況で曹操に遷都ちらつかせるほどビビらせるだけで大したもんだわ -- 名無しさん (2015-08-11 21:34:12) - 某動画の解説見たやっぱとんでもねー強さだな -- 名無しさん (2015-11-29 00:26:35) - 人形劇三国志では呂蒙をド外道悪役にしてほぼ全ての泥を被ってもらったとはいえ、これでも外交下手(荊州南部譲渡突っぱね)は描写されてたな… -- 名無しさん (2015-12-08 01:47:12) - 仮面ライダーゴーストの青龍刀眼魔が、どうみても関羽。だが、声が呂布。 -- 名無しさん (2015-12-11 19:25:39) - なぜ、関羽の女キャラは大抵黒髪なのか。 -- 名無しさん (2015-12-17 17:31:11) - ↑黒い髭の代わりに黒髪何だろ(適当) -- 名無しさん (2015-12-17 18:42:52) - 中国の、五関突破をモデルにした関羽主役のアクション映画が面白かった。 -- 名無しさん (2016-01-04 11:45:43) - 一騎当千でも十三支でも白井式でも恋姫でも殊更に曹操は「関羽絶対手に入れるマン」に描かれてたな…。 -- 名無しさん (2016-02-11 17:11:08) - SD三国伝の関羽ZZ、もし赤壁後も話が続いてたらどうなってたんだろうか? 史実を覆せるか、それとも……? -- 名無しさん (2016-02-11 17:46:57) - なんだこれ… -- 名無しさん (2016-05-07 22:34:23) - ↑2 アニメが赤壁で終わっただけで、漫画版ではその後の展開も描かれてる。関羽は闇に操られた呂蒙を救うための戦いで重傷を負い、五誇将で唯一の戦死者となった。 -- 名無しさん (2016-06-07 23:51:27) - 二言目には創作創作って寒い記事だな。演義と史実を分けて書くくらいすりゃいいのに -- 名無しさん (2016-06-08 00:21:50) - たぶん記事の立て主は呂蒙のファンなんでしょ -- 名無しさん (2016-06-08 00:37:02) - 関羽や張飛のような古参で戦闘特化の人間を重用してる所に、蜀という国の限界を感じる -- 名無しさん (2016-08-02 00:37:30) - NHKドラマの陸樹銘+石塚運昇の関羽はまさにこれ以上ないぐらいの適役だった -- 名無しさん (2016-09-10 22:08:31) - 呉とうまくやっていくつもり呂蒙が立場持った時点で詰み、その後どう動くにしても、蜀に対応できる人材がいない -- 名無しさん (2016-10-23 06:14:27) - 外交云々はなんかむしろ呉が関係絶つつもりで最初から断られるの承知で送ってきた感 -- 名無しさん (2017-02-24 14:43:25) - ↑それでも蜀の勢力上、宥めて丸めこんで、ちょっとでも有利な条件維持しないといけなかった -- 名無しさん (2017-02-24 20:32:52) - 義の人だからな(悪く言えばヤクザだけど)、主君の劉備を置いて子供を結婚させて義兄弟になろうぜっていうのは腹が立ったのだろう -- 名無しさん (2017-03-22 20:51:25) - いや、よく考えたらこの頃劉備と孫権は義兄弟かな? やっぱりなんで断ったんだろう?(連投スマヌ -- 名無しさん (2017-03-22 21:02:34) - あくまで政治ありきの義兄弟ではある、隙みせたら切る・切られるほうが悪い的なやつ、切っても別にかまわん呉に乗せられた髭って絵が基本図面 -- 名無しさん (2017-03-22 21:10:49) - 他の三国志人物記事がかなり細かく、史実と創作における扱いの歴史まで描かれてるだけに悪目立ちしちゃってるな>二言目には創作 -- 名無しさん (2017-04-06 23:23:16) - カンヌカンヌうるさいが廖化のページ(タイトル名が「凡将」にされてた)と同じ人が書いたのか? -- 名無しさん (2017-04-09 22:30:19) - 蒼天航路の原作の人(中国の人)が、三国志を描くに辺り関羽を神棚に祀って手を合わせたって言ってた。三国志の英雄の中でも扱いは別格と言うか。 -- 名無しさん (2017-04-10 10:14:12) - スパロボUXでの関羽ガンダムは三国伝キャラで唯一中・遠距離攻撃を持たないためやや使いづらい。張飛がヒーローマンとのクロスオーバーで活躍する一方目立った出番もなく、強制出撃もほとんどないのでシナリオでも地味で、劉備と張飛のおまけといった感じの印象。だが戦闘アニメの出来は他の三国伝キャラと同様に気合が入っており、オリジナルの必殺技も用意されている -- 名無しさん (2017-04-14 22:08:13) - 二言目には創作言いまくって不快な記事だ -- 名無しさん (2017-06-21 13:41:19) - 曹操のルイズコピペ改変見に来たのに無くなってる・・・ -- 名無しさん (2017-06-25 00:54:11) - 妻四人と共に暮らすメアリースーと書かれてる関索リスペクトの水滸伝の病関索・楊雄は、水滸伝にはよくいるNTR被害者なんだよなあ…。「病」がつくだけでこの違いである -- 名無しさん (2017-06-25 11:29:14) - ↑3 実際創作がほとんどだしなあ・・・記録だけ見てると神と崇められるほど別格だったというのが不思議なもんだが当代の人には何か訴えかけるものがあったのかしらん -- 名無しさん (2017-07-12 14:29:20) - なんで蜀アンチが作った記事みたいだな -- 名無しさん (2017-08-25 09:19:43) - 演義では蜀が過剰に持ち上げられてるからその反動もあるかもね -- 名無しさん (2017-08-25 09:58:58) - 反動というとそうなんだろうけど、そこから過剰に魏を持ち上げ蜀を貶めるのが「通」だと勘違いしてる馬鹿が一定数いるからなあ -- 名無しさん (2017-08-25 11:28:21) - すごい読みにくいな。ヘタレ連呼してる書いた本人は満足してるのかもしれないけど誰の事を指してるのかすら分かりずらいし -- 名無しさん (2017-12-20 17:51:00) - 初期の頃に立った項目はこんなのあるなあ。今の凝った記事を書いてる人に助けを求めたいところだが -- 名無しさん (2017-12-20 21:05:41) - 後漢には闇塩なんてないぞ。塩の専売制を廃止したから -- 名無しさん (2017-12-24 01:14:00) - 創作における関羽はそういう伝承も多いけど、史実寄りのつもりで書いてるように思うのにその辺腋が甘く感じるというか>闇塩 -- 名無しさん (2018-01-24 19:08:56) - 改めて調べると関羽の活躍場面は「創作」と切り捨ててるのに関羽をけなせる要素は創作でも取り入れてるな。これは酷い。ちょっと「人物」以前に大きく手を入れてみます。 -- 名無しさん (2018-04-06 12:00:45) - おお、かなり読みやすい記事になってる -- 名無しさん (2018-04-09 11:42:26) - ちょっと前に見たときは読みにくい、ダブスタ、同じ単語連呼、編者の感情剥き出しと三国志武将記事の中で駄作要素だらけだったけど程よく整ったな -- 名無しさん (2018-04-24 12:34:04) - 絶対に同僚にいてほしくないお方 -- 名無しさん (2018-04-26 21:36:05) - 張飛のほうがやだ -- 名無しさん (2018-04-27 00:40:00) - なんか急に「実は演義の孔明は正史の未来からタイムスリップしてきた未来人なんだよ!」とかいう電波を受信した -- 名無しさん (2018-05-05 19:10:41) - 色とか付けてみました。あと若干追記…… -- 名無しさん (2018-06-12 10:26:53) - 曹操にとっての夏候惇 孫一家にとっての周瑜 そして劉備にとっての関羽 といった感じか the・ナンバー2の男 -- 名無しさん (2018-06-20 23:35:30) - ちなみに神格化の過程でヒゲに龍神が宿っていて、死ぬ前夜に夢の中で暇乞いされて、朝目覚めると一番長かったヒゲが抜けていた、という逸話もある -- 名無しさん (2018-08-05 20:02:16) - 関羽を諫言にてやり込めた費詩のような人物が傍にいなかったのが残念(馬良では押しが弱い) -- 名無しさん (2018-09-10 09:28:55) - ↑3 その3人では結局夏侯惇が一番主君と長く一緒にいた辺り、国の運命を反映してるな…魏は呉滅亡より先に晋になりはしたが -- 名無しさん (2019-11-24 23:53:44) - 無双でも三人の息子の一人称が「私」で「父上」と呼んでいるので、厳格な家庭であることがうかがえるな…… -- 名無しさん (2020-03-05 09:19:45) - 演技だと、赤兎馬での曹操とのやり取り、劉備の跡継ぎ関係での口出し、孫権との縁談を蹴った話など、よく言えば実直、悪く言えば空気が読めない一面が強調されていた印象があったなあ。そこが魅力であり欠点でもあるんだけど。 -- 名無しさん (2020-07-15 19:41:08) - 呉で略奪云々言われてるけど、歴史系まとめサイトのコメ欄ではそれ自体が事実か怪しいとか言われてた。というかなんで蜀の事跡は疑う癖に関羽関連は呉書の内容鵜呑みなんだよという不公平さをなじってる -- 名無しさん (2020-10-25 00:32:37) - 当時は略奪なんて敵地どころか自国内ですらあったと思われる。特に雑兵は字すら読めなくてもおかしくない=命令を行き届かせるのも難しい時代なわけだし。むしろ略奪が全くない方が褒められる時代じゃないか。 -- 名無しさん (2020-10-28 17:47:34) - 絶対に裏切らない当代屈指の名将且つ豪勇無双の猛将 敵対したらなんとしてでも殺さないといけない手合いですな -- 名無しさん (2021-09-20 11:48:58) - 正史でも普通にスゲー武将と評価されてるし、演義でさえ性格的な欠点はそれとなく描かれてるし、そういう意味では蜀将としては最もブレてない確立したものがあると言えそう -- 名無しさん (2023-01-05 00:33:18) - 歌舞伎の関羽だけどインパクト最優先の意味不明歌舞伎は他にも結構あるから仕方ないね、てかよっぽどこっちの方が現代ナイズして再現できそうだなw -- 名無しさん (2023-01-06 20:54:51) - 蔡志忠の漫画はいくつか読んだけど、三国志もあったのか。他の作品は、こんなにきわどいネタは無かったと思う。 -- 名無しさん (2023-07-13 18:30:11) #comment #areaedit(end) }
&font(#6495ED){登録日}:2009/12/10 Thu 08:10:00 &font(#6495ED){更新日}:&update(format=Y/m/d D H:i:s) &new3(time=24,show=NEW!,color=red) &font(#6495ED){所要時間}:約 28 分で読めます ---- &link_anchor(メニュー){▽}タグ一覧 &tags() ---- #center(){&sizex(5){&font(b,#009900){「春風、桃花の頃に契りを結び、以来、大旱に雲霓を望み四十年。今、乱世に わが大王の道を拓く!!」}}} &sizex(5){&font(b,#009900){関羽}}、字は雲長、改名する前は長生と名乗っていた。愛称としては美髯公、大ヒゲ、武神、ヒゲの人等。 &bold(){[[劉備]]}の義弟であり、日本の[[横浜中華街>横浜市]]を始め世界各地に墓があることで有名。 とりあえずあやかっちまえ!といった具合に色々なものの神様にされている。 **【出自】 司隷河東郡解県の生まれ。 中国最大の塩湖である「解池」の近くであり、[[塩]]の密売に関わっていたという話もあるが、推測の域を出ない。 地元に伝わる伝承によれば、阿漕な塩商人を殺したことで官吏に目をつけられたため、幽州へ逃げることになったという。 赴く経緯がなんであれ、幽州に向かったことでそこで生涯の主君、劉備と義弟&bold(){[[張飛]]}と出会うこととなる。 演義においては有名な「桃園の誓い」の場面としてこの出会いは描かれることとなる。 その後、劉備を義兄また主君として立て、その生涯に亘って付き従うことになる。 **【デビュー】 演義においては特に関羽が衆目を集める場面として、&bold(){[[華雄]]}との戦いや&bold(){[[呂布]]}と三兄弟でわたり合った場面が描かれている。 特に華雄戦については[[華雄]]の項目の方が詳しいのでそちらを参照。 尤もこの時の劉備は史実に沿うならば[[公孫瓚]]の一部将でしかないため、史実においては特筆するような功績はないようである。 その後、紆余曲折を経て劉備は徐州を得るものの、傭兵として迎え入れた呂布の裏切りに会い徐州を失陥、&bold(){[[曹操]]}の元に厄介になることになる。 しかしながら董承らによる曹操暗殺計画に巻き込まれたため、&font(b,#042fc4){曹操}と&bold(){[[袁紹]]}の大戦が近づいたことを利用して&bold(){[[袁術]]}討伐に赴き、そのまま徐州刺史車冑を殺害。 曹操を裏切って袁紹と結び徐州に割拠する。 しかし曹操が攻めてきたことにより劉備は敗走、袁紹の元へ逃れ、下ヒにいた関羽は&font(b,#009900){曹操に投降する}。 その後白馬の戦いで、乱戦のさなか袁紹軍の&bold(){[[顔良>顔良/文醜]]}を突き刺して&font(b,#009900){討ち取った}。 この功績をもって、関羽の称号として有名な&font(b,#009900){漢寿亭侯}に封じられている。 こうしたこともあって曹操からの評価も高かったが、関羽としては恩返しが済めば劉備の元へ去るつもりであった。 実際曹操から与えられた恩賞も封をし、お礼の手紙を残して曹操の元を辞している。 曹操はその義に感じ入り、関羽を追ってはならないと言ったという。 三国志演義ではここで黄巾の残党で後の片腕となる[[周倉]]と[[廖化]]に出会う。 「五関一城の突破」も有名な創作物語で、実はこれは封神演義の「黄飛虎の五関一城の突破」をオマージュしたものらしい((「封神演義の五関一城」は重要な地理要素として何度も登場するのに対し、「三国演義の五関一城」はかなり唐突に差し挟まれる上に一度しか登場しないため、もともと五関一城は封神演義のほうで発展し、あとから三国演義が取り込んだのかもしれない。))。 **【ジャーン!ジャーン!ジャーン!】 その後、劉備と共に荊州に逃れるが、しばらくして荊州のドン&bold(){[[劉表]]}が死んだこともあり曹操が侵攻してくる。 この時は江陵へ逃れる劉備たちとは別行動をとり、漢津で再度合流、そのまま夏口までともに逃れることになる。 以降は演義ではかの有名な[[赤壁の戦い]]へと続く。 この赤壁のラストで曹操をげぇっ関羽させるも、かつての知遇の恩を振り切れなかった関羽が、苦境に陥っていた曹操を見逃すという、ある意味では愚かしくもどこまでも人間臭い、義理人情の深さが象徴されるエピソードが存在する。 %%他にはこれといって出番がないのは内緒。まあ赤壁では劉備軍自体が蚊帳の外だしね%% 曹操の撤退後は荊州平定に携わり、その功績でもって襄陽太守に任命。また、劉備の入蜀後は荊州を一手に引き受けることになる。 **【死亡フラグ】 しかし、「上の立場の人間がいなくなる」および「文官不足」がここにきて問題となってくる。 下にもあるが、関羽は同格の相手に対し傲慢に振舞うところがあった。([[諸葛亮]]や[[黄忠]]が登用されたときに不満を漏らしたことも、この性格の一端と見ることもできる) 今までは関羽を抑えられる劉備や諸葛亮がいたから良かったが、そういう人材が関羽のそばにいなくなってしまったのである。 特にまずい形でこの性格が表れたのは、&bold(){[[孫権]]}から申し出てきた子息の婚姻話を&font(b,#009900){本国に通しもせず蹴ってしまった}こと(孫権に「お前は俺より下だ」と言ったに等しい)であった。 ただし、&bold(){この話も創作説が付きまとう説ではある}。 関羽は劉備軍の重鎮とはいえ、孫権の義兄であり関羽の主君である劉備の頭越しに婚姻を進めることは不自然だし、それを撥ね付けるはずもない。 逆に、劉備軍団の半分を支配する関羽が、軽々しく孫権との縁談を結ぶというのも、下手をすれば劉備側からの離反や疑惑にさえつながりかねない危険行為である((当然ながら、リアルタイムで生きる劉備たちに「関羽が絶対謀反しない」と断定することはできない。現に劉備は諸葛亮を信任しながらも警戒していた。))。 儒教国家である漢の臣であり、兄である劉備をそこまで軽視しているなら、関羽はとっくに独立して荊州を乗っ取っているし、そもそも見限って曹操軍にいたはずである。 一応、この時点で関羽は荊州軍事総督・前将軍(劉備軍の軍位としては最高位((当時の劉備はまだ漢中王であり、漢の臣下と言う立場上より高位の「大将軍」「驃騎将軍」などは置いていなかった。)))であるため「現場の裁量で押し通してしまった」と言う可能性もなくはないのだが… それでも、「蹴とばした時に孫権を犬呼ばわりした」はさすがに創作だろう。 そもそも、一度劉備に妹を嫁がせる行為が失敗に終わっているのに未練がましくこんな事を繰り返す孫権の方が非常識であるともいえる。 **【面目躍如】 それはともかく、遠く漢中方面では劉備・&bold(){[[法正]]}・&bold(){[[黄忠]]}が魏軍の重鎮・&bold(){夏侯淵}&font(b,#458f25){を討ち取り}、続く&font(b,#458f25){曹操軍さえ撃退した}。 続けて劉備は「漢中王」の就任を宣言。この軍事面・外交面の勝利に応じて、関羽も&font(b,#458f25){樊城に侵攻}して守将・&bold(){曹仁}を圧倒し、援軍として駆け付けた于禁率いる七軍を撃破、 途中ホウ徳に額を射られるが武神だから関係なかった&bold(){(史実)}。 さらに各地で反乱を誘発させた。関羽自身が調略にどれだけ携わったかは不明だが、 候音らが地方で諸将を釘付けにし、魏の都・鄴で魏諷が決起寸前になるなど、魏の屋台骨をヘタすると粉砕するような事態となっていた。 その勢いは曹操に遷都を考えさせるほどだったが、とるものもとりあえずすっ飛んできた第二援軍の徐晃、趙ゲンの軍に苦戦し、怒涛の勢いがいったんストップしてしまう。 **【転落】 一進一退の攻防を繰り返しているうちに、前に後方支援に全力を尽くさなかったとして叱責した糜芳、傅士仁が&bold(){[[呂蒙]]}の説得により裏切った為に&bold(){本拠を失ってしまう}。 魏が曹操の代どころか曹丕の代での天下統一を投げ打つ程に呉に対し譲歩したことで、 呂蒙が天命を賭し、次代を引き継ぐ巨星[[陸遜]]と共に蜀の裏を取る荊州奪回策を神速で実行したために、虚を突かれる形になってしまった。 ここに至り、関羽は本拠を奪還するため、数倍の孫呉包囲網へと猛進。 物凄い勢いで包囲網を突破しようとしたが、潘璋配下の馬忠に捕らえられてしまう。 そのまま[[孫権]]から捕らえたら即時に首を落とすように言われていたために、&font(b,#ff0000){処刑される}。 呉は劉備の怒りをそらし尚且つ魏に恩義を売りつけるために首を魏に送りつけた。 しかし、それを見抜いていた(また、実際尊敬の念もあったのであろう)曹操は&font(b,#042fc4){諸侯の礼をもって関羽を葬った}。 劉備の怒りは張飛を殺した将が呉に逃げ込んだ故に更に燃え上がり、&font(b,#ff0000){夷陵の大戦}(そして大敗)へと続くことになる。 なお、荊州奪回策として仮病を使った呂蒙は直後に本当に病死した。 演義では祝杯をあげている時に関羽の怨霊に憑依され体中から血を流して変死というホラーな死に方をしたが、史実ではちゃんと遺言を残して平穏に死んだらしい。 関羽と言えば商業の神として有名であるが、盗賊や海賊が来ないように願掛けとして義と武勇に優れた関羽の像を置いたのが始まりだと言われる。 **【家族】 ●[[関平]] 演義では養子で序盤に出会い関羽と共に戦い共に死んだ。 正史だと実子だが、側室の子だと思われ、字は記録されていない。というか、「呉に捕まって殺された」位しか記録がない。 『覇~LOAD~』では聞いただけではなんだかわけのわからない出自になっている。 ●関興 実子。一応関羽死後にその跡を継いでいるが、正史では「二十歳で馬良の後任になるほど優秀だったが、数年後に死んだ」とあるのみ。 演義では割と活躍しているが、あくまで割と。 張飛の息子・張苞と義兄弟の契りを交わし、偃月刀を受け継ぐなどの次世代の武将的なイベントがあるが、 よく見ると諸葛亮の副将程度の描写しかなく、しかも次世代といいながら諸葛亮よりも早死にしてしまう。 ●[[関索]] 後世において関羽の子として創作された人物。詳細は当人の項目を参照。 ●関銀屏 『何がむむむだ!』の息子の嫁。 南蛮制圧で活躍(創作)。三国志大戦で登場して以来、爆発的にメディアへの露出が増えた。 **【人物】 三国志演義をはじめとする創作物では、&font(b,#009900){圧倒的な武勇}を誇る上に&font(b,#009900){劉備への忠誠心}を備え、また敵であれ&font(b,#009900){義理を通す}好人物として描かれている。 史実においても曹操が人材として惚れ込み、魏を震え上がらせているなど敵からも強敵と評価されていた人物であり、 演義のキャラ付けも史実とかけ離れたものではなかったと思われる。 武力方面はもちろんであるが、内政面においても諸葛亮が蜀に行った後の&font(b,#009900){荊州の内政運営は十分成功していた}。(呉の側からの正史に記述あり) 一説によると『[[春秋左氏伝>儒教]]』を好んで読み、ほぼ暗記してそらんじることができたらしく、当時の武辺者としては&bold(){珍しく}インテリな面も持っていた((ただし当時の知識人にとって、四書五経やら上記の春秋左氏伝含む九経やらは、読んでて当然のものであり暗誦できるのも普通であった。三国志に出てくる人物の多数はそういった知識人グループに含まれる。つまり関羽が特に「春秋左氏伝を好んで読み、暗記して暗誦できた」と書かれていることは、「彼がそういった知識人グループの外にいた、下に見られていた」ことの裏返しとも言える。))。 劉備の功業にとって、なくてはならなかった股肱の臣下だったことは間違いないであろう。 しかし、関羽は本来自身と同格に当たる相手に対してやたらと上から目線で接することが多かったとされる。 劉備への忠誠心故か、庶民から成り上がった自信故か、はたまたコンプレックス故か……。 劉備軍内部であれば、その地位の高さから上から目線であることはさして問題にならなかったし、むしろ尊大さは組織の引締めにも役立ったと考えられる。 だが、彼が荊州を治めるという時点で、それでは済まされなくなってしまった。 それが、呉との外交戦で最悪の形で噴出し、&font(b,#009900){呉を敵に回してしまった}。 呉と蜀は元々荊州をめぐって利害関係が微妙な間柄でもあったから、関羽でなくとも最後は同じであった可能性も否定はできないだろう。 それでも、魏を倒すためには協調してやっていかなければならない呉に対して、本国の許可もなく独断で横柄な態度をとったのは余りにも大きな失策だった。 この結果として、蜀と呉は潰し合い、その間に魏は態勢をしっかりと整えてしまった。 これでは諸葛亮や[[姜維]]がどう頑張っても魏の打倒などできるはずはなくなったのである((決定的なのは夷陵の戦いで蜀の軍隊と有能な官僚・武将が全滅したことだが))。 ただし、前述の通り孫権との婚姻話はどこまで本当かは不明瞭である。 もしこの婚姻話の独断が本当のことだとしても、荊州にも諸葛亮クラスとは言わなくとも、 きちんと補佐が出来る文官を置けない蜀の悲しいくらいの人材層の薄さこそが原因ともいえる。 真三國無双7のifルートでは龐統の生存が必須条件の1つだったが、例えば龐統の元で[[馬良]]ら文官勢をきちんと育成できていれば、違った未来もあったのかもしれない。 関羽の敗戦後呉に仕え、高い評価を受けた潘濬と折り合いの良くない関羽に文官重用が出来たかは不明だが… またこの孫権の攻撃と関羽の破滅の結果、「東西の両方面で攻撃して曹魏の戦力を分散させ、圧倒的な国力差を覆す」という 「天下三分の計」の戦略目標((この目標は魯粛も同じ意見であった。魯粛は呂蒙の関羽攻撃の三年前に死んでいる))が破綻したのだが、&bold(){これはそのまま孫権側にも跳ね返る指摘である}。 呉といえども魏との国力差は倍以上開いており、本来の敵は関羽ではなく曹操だった。 その関羽が、漢中の戦勝に呼応して荊州で戦っていたという当時の状況は、圧倒的に強い魏が弱まり、呉にも回天のチャンスが巡っていた千載一遇の好機だった。 ここで、合肥に出るなり北上して徐州を狙うなりせず、関羽を討って&bold(){壮大な足の引っ張り合いをした}時点で、呉が魏に逆転するチャンスもなくなってしまったのだ((もともとは周瑜が唱え魯粛が無理と蹴っ飛ばした「天下二分の計」、すなわち魏呉の2大勢力で天下を分けるという策があったらしい。呂蒙と陸遜もこれを採用していたと言う説もある))。 関羽が外交戦に失敗したのは事実だが、だからといって孫権の行動にも問題がないとは言えないだろう。 とはいえ&b(){孫権、ひいては呉にとって長江流域である荊州南部の確保は最重要課題であった}ことに注意((呉の勢力範囲は長江以南であり長江がそのまま防衛線である。川といえど幅は1キロ前後あり、歩いての渡河は不可能。軍団が渡るには水軍をもって「制河権」を確保して船で輸送するしか無い。そして船の陸上輸送がほぼ不可能である以上、長江流域に存在する都市=造船工場を全て勢力下に置けば相手は水軍を持つことができないため、侵攻は事実上不可能なのだ。つまり長江流域やその都市が存在する荊州南部を、同盟国とはいえ他国が支配している状態というのはよろしくない。しかもそこを支配している関羽が横柄で脅しをかけてくるともなれば自国の安全保障上大問題と言える))。 「関羽が抑えている江陵は長江の上流であり」「水軍を育てており((樊城の戦いにおいて豪雨に乗じて于禁の支援軍を包囲する際に水軍を使用している))」「その関羽は呉を下に見ており、孫権を侮辱している」。 更に樊城の戦いの最中に兵糧が足りなくなった関羽は、呉の領内で略奪をしているのだ。 この状態で合肥を攻めにでも行ったら、関羽の水軍が呉領内に攻め込んでくるかもしれない… 孫権やその家臣がそういう心配をしたとしてもおかしくはないだろう。 それでも、天下を統一すると言う強い目的意識があれば、関羽を放置する危険を冒してでも魏を攻めると言う選択肢はありえたかもしれない。 だが、呉は強力な私兵を擁する豪族の寄合い所帯のようなものである。 実際、官渡の戦いの前の群雄割拠の時代においても強く外征に出た勢力は少なく、 多くの豪族にとっては「迂遠な中華の統一よりもまず自領土の保全」という思考が出てくるのも無理はない。 彼らがまず自領土を保全するために関羽を攻めたいと言えば孫権と言えど抑えきれなかっただろう。 下記の部下へのパワハラも含めて関羽は他人の感情や敵の国内事情を推し量る能力に欠けていたのかもしれない。 逆に言えばそれを理解でき、関羽に進言できる部下がいれば… なお、関羽は部下には優しかったと言われるが、糜芳・士仁への叱責が原因で呉への内通が発生したとされており(一説には「こいつらを始末しなければならない」と物騒なことを言ったとか)、一方的に優しかった訳ではない。 とはいえ、叱責の内容は失火を出したことや兵站サボりという&b(){叱責・処罰が当然なもの}であり、しいて関羽の落ち度と言えるかは微妙である((しかし本拠地から樊城まで数百キロの兵站線を維持するというのは並大抵のことではない。当時は車など存在しないため主に馬車で運んでいたのだが、当然馬や輜重兵も飯を食うので一定以上の距離の兵站輸送は不可能なのだ(積んだ兵糧を全て食べてしまうため)。おまけに呉に調略された野盗や野盗に偽装した呉軍の妨害もあっただろう。兵站をサボったと言うより無理・不可能であった可能性もある))((当時の軍隊の主な補給は侵略先からの略奪である。これは侵攻すればするほど新たに兵糧を手に入れられるという点で合っているが、侵攻がストップした瞬間から兵糧不足になるという弱点もある。そして当時の関羽軍は樊城を落とすのに手間取っていた。前述の補給の困難さも合わせて半ば詰み状態であったと言えるかもしれない。事実上記の通り兵糧不足に苦しんだ挙げ句、付近の呉の領土で略奪するという大悪手をしている))。 上記の始末も関羽には劉備と親戚関係であった糜芳((劉備の妻は糜芳の妹。また兄の麋竺は諸葛亮より席次上位の重臣でもあった。))を勝手に始末する権限はないし、本気だったなら幽閉するか劉備に事情話して後送していた筈である意味ボヤキに近い言い方だったのかもしれない。 …とはいえ言っていい言葉と悪い言葉というものがあるのは確かである。 ちなみに張飛は上にはペコペコしながら部下にはパワハラする性格が原因で暗殺されており、&bold(){関羽と対}なのは皮肉である。 結果として&font(b,#009900){劉備の功業を立てたのも関羽なら、潰したのも関羽だった}、というべきだろうか。 そのくらい戦術級・戦略級の存在としては卓越しており、前半期の劉備軍で主力を任されたのは大体関羽。 関羽生存時は諸葛亮も魏での知名度は高くなく((徐庶など諸葛亮同門が魏にも仕えていたことから存在は認識されていたと考えられるが、内政担当である諸葛亮をあえて「警戒対象」にする理由は当時の魏にはなかったと言える。))、&bold(){「関羽が死んだら蜀の残りは小物しかいないので怖くない(意訳)」}とまで言われていたのである。 実際、魏に決定的な打撃を与える事ができたのは関羽の北上の際に反乱が頻発していた時期位しかない。 当時は劉備も60歳近く、関羽や張飛も50歳を回っていたと考えられ、当時の寿命を考えると彼らが病気や寿命で引退と言う事態すら起きかねない年で、 仮に樊城で裏切りを食らっていなくても時間切れが間近だった。 例えば、対魏の最前線である漢中太守に[[魏延]]を抜擢した人事だが、有力視されていた重鎮の張飛が不満を漏らすことはなかったのは、 張飛の荊州派遣や張飛を連れての劉備自身の荊州入りを視野に入れていたから、と見る向きもある。 何にせよ呂蒙の天命を賭した神速の荊州奪回によりその芽は潰されてしまったが… **【創作作品における関羽】 呉から関羽の首が送られてきたとき、曹操が劉備の怒りの矛先から逃れるためもあって王侯への礼を以て葬儀が営まれ、個人的な敬意の表れとして廟を建立した。 すると曹操の意向を忖度した者達によって魏の国のあちこちに関羽の廟が建てられたらしい。 その後、歴代の王朝が北方から圧迫された時、北方の敵と戦った武神として国家的に祈祷される。 また、郷里の塩商人からは裏表のない性格の関羽は商業道徳に適う神として商業の神とも崇められた。 歴史書『三国志』は晋時代に編纂されたもので、魏から禅譲を受けた以上その魏が正統でないと困るので魏正統の立場で書かれているが、 編纂者の陳寿自身は蜀出身であり、諱を避けたり死亡の際の表現を変えるなどで蜀の正統性も強調している。 (あと、司馬昭が魏の皇帝を弑逆しちゃったため魏からの禅譲ではなく正統である蜀を倒して興った国ということにしようとする考え方も後世には出てきたらしい) %%全然関係ないのに絡んできたみたいな扱いされている呉によって%%非業の死を遂げた関羽は『演義』において&font(b,#009900){「義絶(義の極み)」}とその義を讃えられ、&bold(){[[道教]]}において神格化された。 かくして完成した「&font(b,#009900){関帝廟}」には、%%ブレーキ役%%[[関平]]と[[周倉]]を従えている。 ***&font(b,#009900){◆六朝~隋代 ~仏教の守護神~} 三国時代から五斗米道など初期道教が発達しているが、 南北朝期には、劉備や曹操、諸葛亮・[[司馬懿]]・[[徐庶]]たち各国トップ・文官勢が神として祀られる中で、関羽や張飛は神に数えられてはいない。 神格化は仏教の方が早く、隋代の智顗(天台宗開祖)に僧坊を提供し、守護神となったとする話が記録されている。 ***&font(b,#009900){◆唐代~北宋代 ~南の武神~} 忠義に厚い関羽は&font(b,#009900){為政者からの人気を集めた}。%%軽んじていた[[儒教]]的士大夫層から人気という訳の分からない事態になったが。%% 最初に為政者から祀られたのは唐代の&bold(){安史の乱}の時。[[武成王>太公望]]廟六十四将の一人として従祀されたが、このときは数ある名将の一人ぐらいの扱いだった。 ちなみに三国時代からは魏から二名・蜀から二名・''呉から四名''というチョイス。 五代から北宋にかけて、道教では元帥神という武神の信仰が広まり、関羽は南方を守護する関元帥として四大元帥に数えられるようになる。 [[趙公明>趙公明(藤崎竜版封神演義)]]とかと同格。 五行説において南を意味する「赤」から赤兎馬との関係が生まれたらしい。 北宋代の称号…忠恵公・武安王・義勇武安王 南宋代の称号…壮繆義勇王・壮繆義勇武安英済王 ***&font(b,#009900){◆元代 ~そして伝説へ~} [[伝説上の息子>関索]]の奇想天外な活躍が物語られるなど、&font(b,#009900){どんどん人間離れしていく}。 ついでに「旗揚げするにあたり未練を断ち切るためお互いの家族を張飛と交換殺人」というとんでもない設定になってたりもするが… 『三国志平話』では鍛冶屋が刀を打っているときに青龍が飛び込んで一体化し、青龍偃月刀となったという伝説が描かれ、 『花関索伝』では大岩をどかして青龍偃月刀を手に入れ、最期の時には水の神に赤兎馬と青龍偃月刀を返して[[天に還る>ラオウ(北斗の拳)]]という どこの[[エクスカリバー]]かと思うような伝説的人物となった。 若干余談だが、この時代ごろから&bold(){上司だった[[太公望]]を抜いて}中国史の武神筆頭になってしまう。 元代の称号…顕霊義勇武安英済王 ***&font(b,#009900){◆明~清代 ~財神関帝~} 関羽の故郷、山西省の解県には、解池という塩湖があり、中国内陸部における最大の製塩所であった。 生命の必需品である塩の取引が盛んであり、この地の商人達は関羽が琢軍へ行った理由も塩の密売で追われていたためであったとして信仰していた。 さらに、曹操から貰った宝物を全て返した話を『&font(b,#009900){算盤や出納張の起源}』と盛られ、関帝は&font(b,#009900){財神}としての面も持つことになった。 なおこの逸話は赤壁の戦いの後『平話』では曹操は不思議な霧によって関羽から逃げたのが 『演義』になってこのときの恩義によって曹操を見逃すという話になり、関羽の義理堅さを強調している。 &font(#0000ff,u){&font(#ffffff){経緯を見ると孔明の「天命によって曹操はどうせ殺せない」が結構な[[メタ発言]]に聞こえてくる}} また清の袁枚が編纂した怪力乱神集『子不語』にも関帝廟絡みの話が収録されており、 「呂蒙が拓いた土地に関帝廟を置くと騒音が起きる」 「関帝廟が多すぎるので、小さな関帝廟には窓口だけが設置されている」 「飢えによって起こした盗みの真相が関帝廟で占われるが、本当のことを言えば犯人は主人に殺されるので、下宿を追い出されるだけで済む知事に濡れ衣を着せる」など %%なんか俗っぽい%%神としての信仰を集めていたことがうかがえる。 明代の称号…壮繆義勇武安顕霊英済王・三界伏魔大帝神威遠鎮天尊関聖帝君・三界伏魔大帝神威遠震天尊関聖帝君 清代の称号…忠義神武霊祐関聖大帝・忠義神武霊祐仁勇関聖大帝・忠義神武霊祐仁勇威顕関聖大帝・忠義神武霊祐仁勇威顕護国関聖大帝・忠義神武霊祐仁勇威顕護国保民精誠綏靖関聖大帝・忠義神武霊祐仁勇威顕護国保民精誠綏靖翊徳関聖大帝・忠義神武霊祐仁勇威顕護国保民精誠綏靖翊賛宣徳関聖大帝 ***&font(b,#009900){◆現代 ~Dynasty warriors~} 三国志演義において、他人の功績を関羽に移植するなど、関羽の功績を強調するため様々な脚色が行われた。 孫堅の功績である華雄を斬るシーンを関羽に変えるなど、もっぱら呉の被害が大きい(『SDガンダム三国伝』では販促のために孫堅が倒してるけど)。 何しろ、劉備や孔明に次いで&font(b,#009900){関羽も諱を避けているのだ}。(因みに張飛は呼び捨て。まあ尊敬というより親しみ深いキャラだし) 演義の設定が含まれているため演義完成後に生まれたと思われる『三国故事』という伝承も各地で語られている。 **◆各作品での関羽 フィクション作品では[[長柄武器>ポールウェポン]]「青龍偃月刀」(銘「冷艶鋸」)を愛用しているが、 実は関羽の時代よりずっと後に発明されたものなので、正史の関羽には&bold(){縁が無かった}。 ※ネタバレあり **●漫画・アニメ ***『横山光輝三国志』 従来のイメージを踏襲。日本人の持つ関羽さん男前!のイメージの根源。 全体的に黒いイメージ、服と烏帽子と髭的な意味で。初期のほうでは剣の使い手であった。 ***『天地を喰らう』 肝と小便と一緒に瓦礫の誓いをした。 未完。 ***『[[蒼天航路]]』 「いかな乱世であれ、この邪な所業!関雲長が許さぬ!」 呂布と並んで最強武将扱い、まさに武神ってかチート。%%初期はだるまの妖怪みたいだった。%% 最終二巻位の実質主人公。馬に乗って空を飛び、暴れに暴れてプロットごと潰しにかかる。 ***『sweet三国志』 武器が青龍偃月刀じゃなく、住友重工産の形状記憶合金製の剣。 ***『STOP!劉備くん』 素手で槍を掴み取ってへし折る程の比類なき豪傑であるが義に篤く、老人や子供に弱い。「あんまり血を見るのも好きじゃないんだよね」とか言っちゃう。 戦う最中でも美しい花は踏まずに避け、顔良・文醜が家族のために働いている姿を見て戦うのを躊躇うなど優しい人物。 貂蝉ちゃんラヴ。 最期は史実通り呂蒙に敗れ晒首にされるが、曹操から「不気味」という理由で&bold(){コギャルの携帯の如くデコられてしまい}、曹操を呪殺した。 ***『覇〜LOAD〜』 主君が日本人で坊主頭。 貂蝉の処女を貰った。 ***『一騎当千』 四川高校(埼玉県)3年、同校の事実上の番長(総長は眼鏡っ娘劉備だが非好戦的)。 褐色肌を持ち踝まで届くほどのロングヘアースタイルの美少女で、どう見ても高校生の風格ではない(本作だとよくあること)。 右目が常に隠れている。172㎝もの長身に加え爆乳、筋肉も凄い。 裾もスカートも丈がハンパなく短く、常にルーズソックスを履いている。 (知名度補正もあってか)作中では一番人気。人気すぎてアニメ第2期では勝手に主役になっていた(表向きは原作主人公・孫策とのW主人公だが)。 死亡したと思いきや決死の治療により復活。 ガチレズ。 figmaの一騎当千シリーズでは最初に登場した。 ***『マンガ三国志・水滸伝の英傑たち』 台湾の鬼才・蔡志忠による4コマギャグ漫画では準主役として登場。 悪人を斬って指名手配されていた所を張飛・劉備と出会うが、その懸賞金額が低廉だったことを嘆いて流浪の身となった。 作中のネタはこんな感じ。 劉備「せっかく誓いを立てたんだから旗を作ろうぜ」 関羽「ボクは顔が赤い」 張飛「俺は色黒だ」 劉備「私は色白だ。&bold(){[[このマンガの第2話にもそう書いてある>メタ発言]]くらいだからな}」 張飛「俺、絵が得意だから三人のカラーを合わせた旗を作ってみるぜ」 (数分後) 張飛「できたぜ」 関羽「おお、見事な赤白黒…ってこれ&bold(){イラクの国旗じゃねーか}」 このマンガ、他にも「中国共産党のシンパだったことはないか」とか「中国兵が絶対いない所に逃げねば! よし靖国神社に行こう」などネタがギリギリすぎる。 ***『ランペイジ』 相変わらずのチートっぷり。張飛を殺したくて殺したくて仕方がない。 未完だったが最近ネットで続きを描いている。 ***『ブレイド三国志』 出ていたかどうか… 打ち切りのためなんとも… ***『DRAGON SISTER』 本当は男として生まれる筈が張角のどうしようもない呪いのせいで黒髪美女に生まれた。 華雄戦を除けば演義のような強さはみせなかったが、潜在能力が高い。 ***『新SD戦国伝 地上最強編』 関羽モチーフとして、&ruby(エイブラム){影武乱夢}編の登場人物・&ruby(セキリュウガンダム){赤龍頑駄無}が登場。演者はレッドウォーリア。 異国から来たとされる謎の武者で、&ruby(セイリュウガンダム){青龍頑駄無}(張飛モチーフ)とは義兄弟の契りを結んでいる。 文武両道に長け、義勇軍では軍師としても活躍。&ruby(ハクリュウガンダム){白龍頑駄無}(劉備モチーフ)と共に、&ruby(オウコジオング){黄虎璽}率いる黄虎賊(黄巾賊モチーフ)に立ち向かう。 三叉の[[槍]]・火炎戟が武器で、槍先から燃える火炎弾を繰り出す「灼熱弾」が必殺技。 後に、&ruby(ガリュウガンダム){臥龍頑駄無}から空駆ける馬・龍馬「&ruby(クレナイ){紅}」を得るが、これは裏モチーフが赤兎馬とされている。 続編の『伝説の大将軍編』にも登場。&ruby(コウリュウガンダム){紅龍頑駄無}と名を変え、頑駄無白竜大帝に仕えていた。 ***『SDガンダム三国伝』 演者は[[ΖΖガンダム]]。 鬼面を始めとする鬼の意匠から「鬼の関羽」、それに加え%%ガンダムなのに%%黒く長い髯から「鬼髯の大武勇」の異名を持つ。通称「鬼ヒゲ」、または単に「ヒゲ」。 昔は「長生」を名乗っており楼蘭という恋人もいたが、彼女を呂布トールギスに殺されたために鬼面を被り名も「関羽」に改めたという設定。 最年長という事もあって義兄弟の中では常識人兼ツッコミ役に回る事が多い。 また武器や必殺技にはいずれも「&ruby(オーガ){鬼牙}」というSDガンダムらしいステキな読みの単語が入っており、アニメ版では「&ruby(オーガそう){鬼牙装}」というパワーアップ形態も貰った。 ***『[[SDガンダムワールド 三国創傑伝]]』 演者は[[νガンダム]]。 パワーキャラっぽくない機体((νガンダムはパワーが恐竜的進化を遂げていた第4世代全盛期の機体ながら、アムロのニュータイプ能力を活かす為にはそうしたパワー偏重の能力は不要ということで実質第2世代機だったりする。))からの選抜となった。 元はラクヨウで暮らしていたが、悪政を敷く董卓[[プロヴィデンスガンダム]]にうんざりし、董卓を打倒すべく張飛[[ゴッドガンダム]]と共にドラゴンズ・ウォッチ(蜀)に加入した。 武を極めた事で武聖関羽νガンダムとなる。 **●ゲーム ***『コーエー三国志シリーズ』 間違いなく最強武将の一角。 全体的に高ステータスであることが多く、その中でも武力・統率・魅力の三つが特に高い。 &bold(){というか大抵の作品では総合能力トップ10に入る。}もう君主にしてもいいくらい。 一番の目玉は何といっても武力。基本的に&font(b,#ff0000){97~99のカンスト間近}であり、呂布・張飛に次いで&bold()全武将中3位というのが定番。 その武力に一騎討ち補正が加わるので一騎討ちではまず負けない。単独で戦局をひっくり返せる、まさに一騎当千の勇者である。 知力や政治力は年を追うごとに弱体化されているが、それでも60~70台で、高くはないが安定した数値。%%少なくとも張飛よりは格段に%%序、中盤の放浪時代は内政もこなせる存在として劉備を支える。 劉備との相性も極めて良好(作品によっては兄弟扱いのこともある)。義理も基本最高であり、余程忠誠が落ちなければまず裏切ることはない。 さらに隠しパラメータでも「冷静」な性格であることが多く、知力の高さと相まって計略にもひっかかりにくい。 ただこれだけ強いということは、&bold(){敵に回すと恐ろしい}ということでもある。 正面からではまず勝てない、計略も効く保証が無い、寝返ってくれる可能性はゼロに近い…… 斬るには惜しいが捕まえたら処断も考えよう。七縦七擒なんて余裕をこいていられる敵では無い。 作品によっては関羽にしかない特殊能力を持たされていたり、関羽を斬ると「呪い」で隠しパラメータの「寿命」が下がったりと、何かと特別・優遇されていることが多い。 さすがは神として祀られるようになった男といったところか。 ***『真・三國無双シリーズ』 格闘ゲーム時代からのシリーズ皆勤キャラクターの一人。 [[こちら>関羽(三國無双)]]を参照。 ***『三国志大戦』 三国志主役級の人物の一人のため、実に多くのカードが出ている。 どれもが高コスト、高武力、文武両道として描かれてるがコストのせいで義兄弟たち同居するには微妙に相性が悪い。 ゲーム内最強クラスのスペックを持ち、武力では呂布に今一歩及ばないものの、殆どが味方を率いる指揮官としての側面を強く出されており、呂布とは対照的なカードになっている。 龍玉キャンペーンで兵士服が出た、前の曹操の出来の悪さと比べるとびっくりな位の出来。 マッチング画面はかわいい。 ***『LoV』 上記三国志大戦とのコラボで登場。 出てきたのは知る人ぞ知る三国志大戦・天に登場した『裁きの神雷』の関羽。 ***『恋姫無双』 本作のメインヒロインの一人で、真名は&bold(){愛紗}(アイシャ)。巨乳。アニメ版第一期では&bold(){主人公}。 一騎当千同様烏の濡れ羽色の美髪を有する「黒髪の山賊狩り」。普段はサイドテールにしており、釣り目や雪のように白い肌もあって精悍な印象を受ける。 …が、上記の噂に尾ひれがつきすぎて「そんなに美人でもねーじゃん!!」とか言われるのがアニメ版のお約束(第2期では「またそれか…」的な反応までしていた)。 年齢不詳だが多分20歳前後、よく「張飛の母親?」とか言われる。 『真』以降は劉備の登場と各勢力のルート追加により、劉備・曹操・孫権の三人がメインヒロインとして扱われ始め、 蜀ルートでは劉備と共にメインヒロインを務めるが、若干影が薄くなった。 FD『萌将伝』ではまさかの&bold(){ルート無し}という冷遇を受け、全国のご主人様たちを激怒させる事態に。 なお、ギガパルスの18禁フィギュアの恋姫無双シリーズでは一番に出た。 ***『十三支演義~偃月三国伝~』 一騎、恋姫同様にやっぱり美少女で、やっぱりこちらでも&bold(){主人公}。しかもこのゲームは女性向け恋愛ゲーム(乙ゲー)。ただし女性向けの恋愛ゲームなので女体化してるのは関羽と呂布のみ。 猫族と呼ばれる猫の耳を持った亜人族の少女で、弟分の張飛、族長の劉備と共に中原の覇者へと進んでいく。(ちなみにしっぽは無い。) しかし、張飛同様茶髪なのはちょっと残念。 ドラマCDでのイケメン武将たちの「関羽とデートできたら一日どう過ごすか妄想してみようシリーズ」は腹筋崩壊もの。 ***『[[ウルトラマン英雄伝]]』 U40の力の賢者[[ウルトラマンタイタス]]が演じている。 知的マッチョということでぴったりの配役であり、黒く長いヒゲまで生やしている。 ***『[[真・女神転生デビルサマナー~悪魔召喚士~]]』 道教で神格化された姿で登場。名義は「&ruby(カンテイセイクン){関帝聖君}」。 ゲーム中盤の極悪MAPとして今でも語り草である異界化されて[[ダンジョン]]化した中華街、 その中心部にある関帝廟で不完全な召喚で暴走状態になり、ボスとしてプレイヤーと戦うことになる。 この関羽に勝利すれば彼は正気を取り戻して立ち去り、地獄の中華街イベントはやっと終わり。お疲れ様。 その後、メインストーリークリア適性Lvをずっと上回るLvで英雄合体で仲魔としてお迎えする事が可能。 レシピは造魔Lv65以上と龍神Lv78「&ruby(ショクイン){燭陰}」。高レベルで無垢の&ruby(ホムンクルス){人造悪魔}に霊峰鍾山の化身の龍神を合体させると関羽が出来るという、なんとも夢のある仕様である。 正直ヨシツネほど爆発的な強さではないが、バランス良好で使いやすい。 **●演劇 ***歌舞伎『関羽』 歌舞伎十八番の1つ。 源頼朝の弟・源範頼が帝位に就こうとしているという(どう考えても無謀な)噂を聞きつけた 平家の荒武者・平景清が範頼の館に&font(b,#cc4300){&bold(){なぜか}張飛のコスプレをして}忍び込み さらにたまたま源氏の忠臣・畠山重忠も&font(b,#009900){&bold(){なぜか}関羽のコスプレをして}馬で登場、 2人で範頼の野望を諫めるというわけのわからない話。 江戸時代には既に公演が絶えており詳細は不明だが、長い髭に青龍偃月刀の見事な関羽(のコスプレ)を描いた浮世絵は残されている。 **京劇 顔を「棗のような」赤一色に塗って演じる。この赤は演義を表現している。 だが神である関羽の顔そのものを再現するのは畏れ多いとして隈取には必ず欠陥を入れる。 &font(b,#009900){「Wiki籠りの半数を倒せばわれらの勝ち」} &font(b,#009900){「追記・修正をすればおまえたちの勝ちと定める」} &font(b,#009900){「天よ、地よ、われらがアニヲタWikiを愛おしみたまえ」} #include(テンプレ2) #right(){この項目が面白かったなら……\ポチッと/ #vote3(time=600,12) } #include(テンプレ3) #openclose(show=▷ コメント欄){ #areaedit() - 捏造だらけの三国演技で孔明程じゃないが美化されたり他の武将の功績を自分のものにされて知らない部下や息子付けられるのはかなり恥ずかしがってそうだ。 -- 名無し (2013-10-15 12:45:10) - 対人関係だと 張飛より悪そうな -- 松永さん (2013-11-24 16:20:15) - ↑実は下っ端には優しいが、同格に近い武将とは折り合い悪くて孔明とかが仲裁したりと苦心したらしい。 -- 名無し (2013-11-27 01:22:27) - その同僚との折り合いの悪さが死亡の原因みたいなもんだしね -- 名無しさん (2013-11-27 01:32:33) - 同僚にはいてほしくないタイプ・・・刑州失陥は外交のツケの総決算である。 -- 名無しさん (2014-01-07 11:32:03) - てゆーか この人 童貞? -- 名無しさん (2014-01-07 11:59:34) - こいつよりチートなのは三国志時代にチラホラいたのに神になっちゃったからな。 -- 名無しさん (2014-02-08 20:15:08) - 彼の最期は外交上のツケの総決算だったな・・・ -- 名無しさん (2014-02-17 22:53:03) - ↑×3 息子(正史では実子)の関平がいるから非童貞なのは確実。蜀が滅ぶまでは一族も存続してた模様(ただし関羽が殺した武将の子孫に皆殺しにされたらしい) -- 名無しさん (2014-03-22 00:03:15) - この記事を見てると -- 名無しさん (2014-07-21 10:34:17) - ↑ミス -- 名無しさん (2014-07-21 10:35:43) - ↑×2 関興って息子もいたよ。 -- 名無しさん (2014-07-21 10:45:58) - 関索は男だからメアリー・スーではなく「ゲイリー・ストゥー」と書いた方が正しいと思う -- 名無しさん (2014-08-14 22:02:44) - 覇の関平は、趙雲と呂布の間に生まれ、典韋に武芸を教わり、関羽の養子となったスーパーエリート -- 名無しさん (2014-09-18 00:26:53) - 諸葛亮からもらった『馬超より髭殿(関羽)の方が上です』という手紙を来客全員に得意げに見せてた。実際相手してたら結構めんど臭い人みたい・・・ -- 名無しさん (2014-10-12 16:45:50) - 算盤作ったから商業の神様じゃなかったっけ -- 名無しさん (2014-10-12 16:59:57) - 岳飛と並んで中国の二大武神。 -- 名無しさん (2014-11-28 09:13:25) - サターンのデビルサマナーにも出てる。関帝聖君、または関聖帝君と申し上げなさい。 -- 名無しさん (2014-11-28 14:19:41) - どこからの導入か知らんけど「劉備に出会う前は寺子屋的な私塾を開いて子供に読み書きを教えていた」って話もあり、そこから「子供の守り神」や「学問の神」ともされている。 -- 名無しさん (2014-11-28 14:32:22) - たまに、刑州には張飛残した方が良かったんではと思わんでもない -- 名無しさん (2015-02-02 20:19:17) - ↑酒で失敗して荊州奪われる未来しか浮かばない。 徐州での前例もあるし -- 名無しさん (2015-02-02 20:59:41) - ↑趙雲だったら……少なくとも人格面の問題はないし、統率力も高いだろうし、外交に関しても本人が怪しくとも髭みたいに独断専行はしなさそうだし……まあ最良はトップにしろ補佐役にしろ、諸葛亮がいる事だろうけどなぁ -- 名無しさん (2015-06-03 14:33:14) - ↑趙雲が荊州の守備任されたら髭の嫉妬がやばそう -- 名無しさん (2015-06-03 19:31:11) - 趙雲に領土運営できるとはとても思えんけど -- 名無しさん (2015-06-03 23:57:19) - 趙雲は演義で大分誇張されてるしな。史実でも名将だけど、政治家としての事跡は特にない。漢中太守の魏延の方が活躍してる。 -- 名無しさん (2015-06-04 00:09:36) - 誰が関羽のポジションについて例えヘマしなくても結局の処適当ないちゃもんつけられて荊州取られてた気はするな。魏に近づいて荊州取る気満々の呂蒙が軍事のトップに立った時点で呉は方針固まってたし。 -- 名無しさん (2015-06-04 08:52:21) - ↑×3本人のそっち方面の能力が怪しくとも、そこんとこは出来る人間(理想は諸葛亮)に任せそう。まあ↑の言う通り荊州のトップが関羽だろうと張飛だろうと趙雲だろうと諸葛亮だろうと、呉が魏と組んで荊州を奪いに動く地点で詰んでいたかな -- 名無しさん (2015-06-04 09:34:05) - あの状況で曹操に遷都ちらつかせるほどビビらせるだけで大したもんだわ -- 名無しさん (2015-08-11 21:34:12) - 某動画の解説見たやっぱとんでもねー強さだな -- 名無しさん (2015-11-29 00:26:35) - 人形劇三国志では呂蒙をド外道悪役にしてほぼ全ての泥を被ってもらったとはいえ、これでも外交下手(荊州南部譲渡突っぱね)は描写されてたな… -- 名無しさん (2015-12-08 01:47:12) - 仮面ライダーゴーストの青龍刀眼魔が、どうみても関羽。だが、声が呂布。 -- 名無しさん (2015-12-11 19:25:39) - なぜ、関羽の女キャラは大抵黒髪なのか。 -- 名無しさん (2015-12-17 17:31:11) - ↑黒い髭の代わりに黒髪何だろ(適当) -- 名無しさん (2015-12-17 18:42:52) - 中国の、五関突破をモデルにした関羽主役のアクション映画が面白かった。 -- 名無しさん (2016-01-04 11:45:43) - 一騎当千でも十三支でも白井式でも恋姫でも殊更に曹操は「関羽絶対手に入れるマン」に描かれてたな…。 -- 名無しさん (2016-02-11 17:11:08) - SD三国伝の関羽ZZ、もし赤壁後も話が続いてたらどうなってたんだろうか? 史実を覆せるか、それとも……? -- 名無しさん (2016-02-11 17:46:57) - なんだこれ… -- 名無しさん (2016-05-07 22:34:23) - ↑2 アニメが赤壁で終わっただけで、漫画版ではその後の展開も描かれてる。関羽は闇に操られた呂蒙を救うための戦いで重傷を負い、五誇将で唯一の戦死者となった。 -- 名無しさん (2016-06-07 23:51:27) - 二言目には創作創作って寒い記事だな。演義と史実を分けて書くくらいすりゃいいのに -- 名無しさん (2016-06-08 00:21:50) - たぶん記事の立て主は呂蒙のファンなんでしょ -- 名無しさん (2016-06-08 00:37:02) - 関羽や張飛のような古参で戦闘特化の人間を重用してる所に、蜀という国の限界を感じる -- 名無しさん (2016-08-02 00:37:30) - NHKドラマの陸樹銘+石塚運昇の関羽はまさにこれ以上ないぐらいの適役だった -- 名無しさん (2016-09-10 22:08:31) - 呉とうまくやっていくつもり呂蒙が立場持った時点で詰み、その後どう動くにしても、蜀に対応できる人材がいない -- 名無しさん (2016-10-23 06:14:27) - 外交云々はなんかむしろ呉が関係絶つつもりで最初から断られるの承知で送ってきた感 -- 名無しさん (2017-02-24 14:43:25) - ↑それでも蜀の勢力上、宥めて丸めこんで、ちょっとでも有利な条件維持しないといけなかった -- 名無しさん (2017-02-24 20:32:52) - 義の人だからな(悪く言えばヤクザだけど)、主君の劉備を置いて子供を結婚させて義兄弟になろうぜっていうのは腹が立ったのだろう -- 名無しさん (2017-03-22 20:51:25) - いや、よく考えたらこの頃劉備と孫権は義兄弟かな? やっぱりなんで断ったんだろう?(連投スマヌ -- 名無しさん (2017-03-22 21:02:34) - あくまで政治ありきの義兄弟ではある、隙みせたら切る・切られるほうが悪い的なやつ、切っても別にかまわん呉に乗せられた髭って絵が基本図面 -- 名無しさん (2017-03-22 21:10:49) - 他の三国志人物記事がかなり細かく、史実と創作における扱いの歴史まで描かれてるだけに悪目立ちしちゃってるな>二言目には創作 -- 名無しさん (2017-04-06 23:23:16) - カンヌカンヌうるさいが廖化のページ(タイトル名が「凡将」にされてた)と同じ人が書いたのか? -- 名無しさん (2017-04-09 22:30:19) - 蒼天航路の原作の人(中国の人)が、三国志を描くに辺り関羽を神棚に祀って手を合わせたって言ってた。三国志の英雄の中でも扱いは別格と言うか。 -- 名無しさん (2017-04-10 10:14:12) - スパロボUXでの関羽ガンダムは三国伝キャラで唯一中・遠距離攻撃を持たないためやや使いづらい。張飛がヒーローマンとのクロスオーバーで活躍する一方目立った出番もなく、強制出撃もほとんどないのでシナリオでも地味で、劉備と張飛のおまけといった感じの印象。だが戦闘アニメの出来は他の三国伝キャラと同様に気合が入っており、オリジナルの必殺技も用意されている -- 名無しさん (2017-04-14 22:08:13) - 二言目には創作言いまくって不快な記事だ -- 名無しさん (2017-06-21 13:41:19) - 曹操のルイズコピペ改変見に来たのに無くなってる・・・ -- 名無しさん (2017-06-25 00:54:11) - 妻四人と共に暮らすメアリースーと書かれてる関索リスペクトの水滸伝の病関索・楊雄は、水滸伝にはよくいるNTR被害者なんだよなあ…。「病」がつくだけでこの違いである -- 名無しさん (2017-06-25 11:29:14) - ↑3 実際創作がほとんどだしなあ・・・記録だけ見てると神と崇められるほど別格だったというのが不思議なもんだが当代の人には何か訴えかけるものがあったのかしらん -- 名無しさん (2017-07-12 14:29:20) - なんで蜀アンチが作った記事みたいだな -- 名無しさん (2017-08-25 09:19:43) - 演義では蜀が過剰に持ち上げられてるからその反動もあるかもね -- 名無しさん (2017-08-25 09:58:58) - 反動というとそうなんだろうけど、そこから過剰に魏を持ち上げ蜀を貶めるのが「通」だと勘違いしてる馬鹿が一定数いるからなあ -- 名無しさん (2017-08-25 11:28:21) - すごい読みにくいな。ヘタレ連呼してる書いた本人は満足してるのかもしれないけど誰の事を指してるのかすら分かりずらいし -- 名無しさん (2017-12-20 17:51:00) - 初期の頃に立った項目はこんなのあるなあ。今の凝った記事を書いてる人に助けを求めたいところだが -- 名無しさん (2017-12-20 21:05:41) - 後漢には闇塩なんてないぞ。塩の専売制を廃止したから -- 名無しさん (2017-12-24 01:14:00) - 創作における関羽はそういう伝承も多いけど、史実寄りのつもりで書いてるように思うのにその辺腋が甘く感じるというか>闇塩 -- 名無しさん (2018-01-24 19:08:56) - 改めて調べると関羽の活躍場面は「創作」と切り捨ててるのに関羽をけなせる要素は創作でも取り入れてるな。これは酷い。ちょっと「人物」以前に大きく手を入れてみます。 -- 名無しさん (2018-04-06 12:00:45) - おお、かなり読みやすい記事になってる -- 名無しさん (2018-04-09 11:42:26) - ちょっと前に見たときは読みにくい、ダブスタ、同じ単語連呼、編者の感情剥き出しと三国志武将記事の中で駄作要素だらけだったけど程よく整ったな -- 名無しさん (2018-04-24 12:34:04) - 絶対に同僚にいてほしくないお方 -- 名無しさん (2018-04-26 21:36:05) - 張飛のほうがやだ -- 名無しさん (2018-04-27 00:40:00) - なんか急に「実は演義の孔明は正史の未来からタイムスリップしてきた未来人なんだよ!」とかいう電波を受信した -- 名無しさん (2018-05-05 19:10:41) - 色とか付けてみました。あと若干追記…… -- 名無しさん (2018-06-12 10:26:53) - 曹操にとっての夏候惇 孫一家にとっての周瑜 そして劉備にとっての関羽 といった感じか the・ナンバー2の男 -- 名無しさん (2018-06-20 23:35:30) - ちなみに神格化の過程でヒゲに龍神が宿っていて、死ぬ前夜に夢の中で暇乞いされて、朝目覚めると一番長かったヒゲが抜けていた、という逸話もある -- 名無しさん (2018-08-05 20:02:16) - 関羽を諫言にてやり込めた費詩のような人物が傍にいなかったのが残念(馬良では押しが弱い) -- 名無しさん (2018-09-10 09:28:55) - ↑3 その3人では結局夏侯惇が一番主君と長く一緒にいた辺り、国の運命を反映してるな…魏は呉滅亡より先に晋になりはしたが -- 名無しさん (2019-11-24 23:53:44) - 無双でも三人の息子の一人称が「私」で「父上」と呼んでいるので、厳格な家庭であることがうかがえるな…… -- 名無しさん (2020-03-05 09:19:45) - 演技だと、赤兎馬での曹操とのやり取り、劉備の跡継ぎ関係での口出し、孫権との縁談を蹴った話など、よく言えば実直、悪く言えば空気が読めない一面が強調されていた印象があったなあ。そこが魅力であり欠点でもあるんだけど。 -- 名無しさん (2020-07-15 19:41:08) - 呉で略奪云々言われてるけど、歴史系まとめサイトのコメ欄ではそれ自体が事実か怪しいとか言われてた。というかなんで蜀の事跡は疑う癖に関羽関連は呉書の内容鵜呑みなんだよという不公平さをなじってる -- 名無しさん (2020-10-25 00:32:37) - 当時は略奪なんて敵地どころか自国内ですらあったと思われる。特に雑兵は字すら読めなくてもおかしくない=命令を行き届かせるのも難しい時代なわけだし。むしろ略奪が全くない方が褒められる時代じゃないか。 -- 名無しさん (2020-10-28 17:47:34) - 絶対に裏切らない当代屈指の名将且つ豪勇無双の猛将 敵対したらなんとしてでも殺さないといけない手合いですな -- 名無しさん (2021-09-20 11:48:58) - 正史でも普通にスゲー武将と評価されてるし、演義でさえ性格的な欠点はそれとなく描かれてるし、そういう意味では蜀将としては最もブレてない確立したものがあると言えそう -- 名無しさん (2023-01-05 00:33:18) - 歌舞伎の関羽だけどインパクト最優先の意味不明歌舞伎は他にも結構あるから仕方ないね、てかよっぽどこっちの方が現代ナイズして再現できそうだなw -- 名無しさん (2023-01-06 20:54:51) - 蔡志忠の漫画はいくつか読んだけど、三国志もあったのか。他の作品は、こんなにきわどいネタは無かったと思う。 -- 名無しさん (2023-07-13 18:30:11) #comment #areaedit(end) }

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