鳥山明

登録日:2019/05/21 Tue 19:28:25
更新日:2024/03/10 Sun 23:04:39
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鳥山明(とりやま・あきら)は、日本の漫画家・イラストレーターである。

目次

プロフィール

生年月日:1955年4月5日
没年月日:2024年3月1日(享年68歳)
出身地:愛知県名古屋市(晩年は同県の清須市に在住)
プロダクション:バードスタジオ
家族:妻、息子二人


概要

週刊少年ジャンプ』(以下『ジャンプ』)黄金期……どころか、日本を代表する漫画家の1人。
『ジャンプ』で連載していた『Dr.スランプ』と『ドラゴンボール』は言わずと知れた自身の代表作で、
『ドラゴンボール』連載中に『ジャンプ』は発行部数600万部突破という快挙を成し遂げており、2020年代の今なおこの記録は破られていない。
その影響力といったら、『ドラゴンボール』が連載終了した途端に『ジャンプ』の発行部数が急激に減少してしまったほど。
当時の編集長だった西村繁男氏をして、前述の快挙に関して「鳥山の破壊的なパワーを借りて実現した事は誰も否定できないだろう」と言わしめた。

漫画以外ではゲーム『ドラゴンクエストシリーズ』のキャラクターデザインを担当していたことでも知られる。
基本は堀井雄二氏の描いたラフ絵を元にデザインをしているが、完成デザインはほぼ鳥山氏のオリジナルとなっていた。
特に幽霊や怪物などの人外のデザインに定評があるので、同シリーズでは倒すべき相手でありながらもどこか愛嬌のある敵キャラを次々と生み出してきた。
特にスライムについては、水滴型のシンプルでなおかつ愛嬌のある絵柄で描いたことで、今までスライムになかったマスコット的な可愛らしいイメージと雑魚キャラのイメージを確立したことはもはや言うまでもないだろう。
一方で鳥山氏本人は「敵キャラクターのデザインは楽しいが主人公等メインの登場人物のデザインは余り楽しくなく、苦手」と語っていた。

なお集英社との契約の都合上*1、鳥山氏が描く『ドラクエ』キャラのイラストはゲームのパッケージと集英社が発行する書籍にのみ掲載されており、同社以外から刊行された書籍――公式ガイドブックにすら、鳥山氏のイラストは掲載されていない
そのため、多くの人が目にする『ドラクエ』のイラストは、実は別の漫画家やイラストレーターが鳥山氏の画風に寄せて描いたものである事が多い。

ガスマスク顔ロボットのようなキャラを自画像にしており、作者紹介や漫画にチョイ役で出演した時にそのイラストを使っている*2
「世間に顔が出ると仕事がしづらくなる」との理由から顔出しのメディア出演についてはほとんど無かったが、あの『徹子の部屋』には出演している。

鳥山氏の作風に影響を受けた漫画家は多く、尾田栄一郎真島ヒロなどもその1人である。

2024年3月1日、急性硬膜下血腫により死去したことが死去の一週間後に発表。
日本は言うまでもなく世界各国から追悼コメントが寄せられ、特に鳥山作品の人気が高いフランスではマクロン大統領・アタル首相の両名からコメントが発表された。


来歴

子供の頃から絵を描くのが好きで、小学生の頃は写生コンクールで数回入賞し、高校生の頃は美化キャンペーンのポスターを全国コンクールに応募して入賞を果たしている。
高校は愛知県立一宮起工科高等学校デザイン科に進学し、マンガ研究同好会に所属していた(しかしこの時点で漫画を描く機会はなかったらしい)。
卒業後はイラストレーター兼デザイナーとして地元の広告関係のデザイン会社に就職。
しかし、やりたい事がなかなか出来なかったことや、朝早く起きることができず遅刻を繰り返したこと・ついには新入社員とあまり給料が変わらなかったことへのショックもあり、約2年半で退職した。

退職後はアルバイトでイラストを描く仕事をしていたが、
母親に小遣いをせびるも断られたので週刊少年マガジン』を読んでいた時に新人賞の作品募集の記事を見つけ、賞金目当てで漫画を描くことを決める。
しかしその賞の締め切りには間に合わず、結局『ジャンプ』の新人賞に作品『アワワワールド』を応募した。*3因みにギャグ漫画にしたのだが、それはストーリー漫画と賞金は同額なのにページ数は半分で良かったから……との事。
残念ながら受賞は逃すが、諦めずにまた作品を描き上げ、次は『謎のレインジャック』を応募する。
その作品を審査した編集者の鳥嶋和彦氏*4は、その漫画の作風*5から鳥山氏に光るものを感じ、『スターウォーズ』のパロディだったこともあって受賞は逃すも「今は下手だが続ければ何とかなるから、また描いて送ってほしい」との言葉を鳥山氏に贈っている。

その後は鳥嶋氏の下で漫画家の修行を始め、1978年に『ジャンプ』で読み切り『ワンダーアイランド』を発表し職業漫画家デビューを果たす。
しかし、『ジャンプ』編集部が読者からの反響を把握する手段として最も重視する読者アンケートではまさかの最下位であった。
それからしばらくは同誌や増刊号で短編作品を何度か発表するが、どれも人気は今一つだった。


『Dr.スランプ』大ヒットへ 人気漫画家に

その後試行錯誤を経て1980年に『Dr.スランプ』の連載にこぎつける。

当初はアラサー発明家の則巻千兵衛を主人公にし、則巻アラレは単なる1話のみのゲストキャラにするつもりだった。
……が、アラレを気に入った鳥嶋氏は「女性主人公の読切で増刊号3位以内になったら女性主人公でいこう」と提案した。
この提案の元、1979年に発表した読切『ギャル刑事トマト』の好評も受け、少女アンドロイドの則巻アラレを主人公に変更した『Dr.スランプ』は、瞬く間に大人気作品となる(タイトルは則巻千兵衛のあだ名を指したもので、その名残り)。
1981年には同作で小学館漫画賞少年少女部門を受賞。同年にはフジテレビ系で『Dr.スランプ アラレちゃん』のタイトルでテレビアニメ化される。
漫画界の超新星ともいえる「とんでもない才能」はここに出現したのだった(ちなみにこの頃はニューウェーブが騒がれていた時期。また、他誌では高橋留美子氏が活躍していた)。

『Dr.スランプ アラレちゃん』は最高視聴率36.9%を記録する大ヒットアニメとなり、鳥山氏自身の知名度も上昇。
だが、『Dr.スランプ』連載1年目は数日に1回の睡眠、6日連続徹夜など超多忙であったらしい。ストーリー漫画と違って毎話ギャグを考えるのも大変なため、当人としてはすぐに連載を辞めたがっていたという。
今では信じられないかもしれないが、当時の集英社では無料で放映されるアニメが注目されることによる漫画離れを危惧してか、メディアミックスに対して消極的な姿勢を取ろうとする気運が高く、本作の成功は現在に至るまで『ジャンプ』のメインストリームを担うメディアミックス路線の先駆けともなっている。

その漫画家としての画力、デザイン力、デフォルメ表現力の高さは漫画界のみならず後世に絶大な影響を及ぼし、
(分かりやすい例として「子供でもマネできる絵柄だがキャラの見分けがつく」「2頭身だけどベルトの穴はちゃんとある」)
またライターとしても優れ、高いセンスの持ち主で『Dr.スランプ』はまさしく新時代のギャグ漫画であった。
「んちゃ」「バイちゃ」「キーン」「ほよよ」「おはこんばんちは」など数々のアラレ語が流行語となった。

結果として、単行本発行部数で『ジャンプ』の新記録更新を重ね、同誌に女性読者を呼びひいては老若男女に愛され、またアニメ化に否定的だった『ジャンプ』編集部の意識を変え、変わったところでは「『ジャンプ』なのに少女が主人公」ということで話題になったり、よその業界で「眼鏡をかけたアンドロイド」の存在が議論になったりした漫画となった。


『ドラゴンボール』大ヒットへ 海外でも人気に

その後はアイデアの不足という理由により『Dr.スランプ』の連載終了を決める。
編集部から「3ヵ月後に新連載を始めるなら終わってもいい」と言われたので、『Dr.スランプ』の終了後に 『ドラゴンボール』の連載を開始した。

当初は『西遊記』をモチーフにした冒険活劇だったが、読者にあまり受けず人気が落ちてしまう*6
そこで鳥嶋氏の提案で『天下一武道会編』への突入を期に、何名かのキャラの出番を減らすとともにバトル漫画にシフトチェンジ。次々と現れる強敵を倒していくストーリーにしたことで人気が急上昇、『ジャンプ』の押しも押されぬ看板漫画へと成長。
1986年に『Dr.スランプ』の後番組としてテレビアニメ化。以後『ドラゴンボール』の人気は右肩上がりとなり、最終的に日本を飛び出し世界的人気を誇るメガヒット作品となる。
1995年に連載が、1997年にアニメが終了しているが、現在でもゲームなどの関連作品や続編アニメが次々と作られており、その人気は衰える様子を見せない*7
ちなみに最終回巻頭カラーは『リングにかけろ』以来2作目。

『ドラゴンボール』連載終了後はイラストレーターとしての活動がメインとなり、漫画家としてはデザイナー業の合間に時折短編を執筆するというスタイルに落ち着く。

人気ゆえになかなか連載終了が許されず、自身の意に反して引き延ばしさせられ、そのために殺人的な多忙を経験したことから、連載終了時には「もう『ドラゴンボール』に関わらなくて済む」と安堵すらしたという。
が、あの実写映画『DRAGONBALL EVOLUTION』の出来栄えを見て、己の作品への愛着を思い出し、『ドラゴンボール超』の企画に携わっていく。


作風

シンプルでありながらも洗練された絵柄が特徴で、あの手塚治虫に「上手過ぎる」と言わしめたほどの画力・画才の持ち主。
特にお化けや怪獣、モンスターなどの人外キャラを得意としており『ドラゴンクエストシリーズ』でも個性豊かなモンスターたちのデザインを手掛けている。
キャリア後期には、強敵には黒い角や沢山の角と牙を生やすことが多かった。
他にも自動車バイクロボットを描くのが大好きで、またプラモデル作りも趣味。その反映で『Dr.スランプ』『ドラゴンボール』の作中に様々なメカを登場させていた他、扉絵にも車やバイク、精緻でオリジナリティのあるメカをよく描いていた。これらは近年フィギュア化が続いている。
メカ以外にも動物が好きで、作中に動物型の人間を出したり背景に恐竜を描いたりなどしている。

若い頃に広告関係のデザイン会社で仕事をしたことも無駄になったわけではなく、この仕事を通じて人のポーズを3次元的に捉えられるようになり、『ドラゴンボール』での躍動感と立体感あふれる戦闘シーンが生み出されたという。

非常にめんどくさがりな性格として有名で、鳥山氏が描く漫画にもその性格が大きく表れている。
例えば『Dr.スランプ』は「背景がシンプルだから」という理由で、都会ではなく村が舞台となっている。
『ドラゴンボール』では「描くのが面倒だから」という理由で、市街地等で戦闘になるとすぐに登場人物に街をフッ飛ばさせ、背景を描く手間を省いている。
また同作に登場する「超サイヤ人」を金髪にしたのは、登場人物の黒髪をベタ塗りする時間を節約するためである。
さらに言うとあの悪役の代名詞「フリーザ」の第四形態のシンプルな見た目は、
ものぐさな作者が「描くのが面倒くさい」という理由でデザインしたものだったりする。*8
そんな性格なため複雑な上に全身斑点だらけという悪夢のようなデザインのセルは描くのが死ぬほど面倒だったらしく*9、連載終了後のインタビューでは「二度と描きたくない」とまで発言し、実際セルのイラストは殆ど手掛けなかった。

ただ、これらの「手の込んだ手抜き」の背景には、人間関係を苦手としていた鳥山氏が、当時アシスタントをひすわし1人しか雇っていなかったのでアシスタントの負荷を軽くするため、という理由もある。
他にも漫画を描くのに付きものであるスクリーントーンも「切ったり貼ったりするのが面倒」
「トーンを切り貼りするのは漫画を描く作業じゃない」という理由であまり使用しておらず*10
デビューして数年後には「3回も描くのが面倒」という理由で、ネームを描かずに下書きから始める手法をとっていた。

『ドラゴンボール』連載終了後にパソコンを導入しており、ゲームのデザイン画にはペンタブレットを使用していた。
ただ元々デザイン関係の仕事をしていただけあってカラーイラストを描くのは好きなようで、
原稿の合間を縫って息抜きがてら描いていたと明かされており、彼の描くカラーイラストは独特な色彩や塗りが高く評価されている。*11

また人間ドラマの描写が得意ではなく、特に恋愛ドラマが苦手。
「ラブコメ漫画は読めない」と語った事もあるほど恋愛ものに抵抗があり、作中で登場人物が結婚する話もあっさりと済ませている。
『ドラゴンボール』においてもラブコメ好きの鳥嶋氏は悟空とブルマをくっつけさせたがっていたが、鳥山氏はあくまで突っ撥ね続けていたらしい。

作中に伏線を張る事は少なく、長期連載となった『ドラゴンボール』も実は行き当たりばったりで描いていたらしい。
例えば「悟空は満月を見ると大猿に変身する」や「その理由はサイヤ人だから」という理由も後付け設定で、他にもこういった後付け設定がいくつか存在する。*12
実は凝り性でもあるようで、後年の雑誌『最強ジャンプ』などでドクター・ゲロ息子サイヤ人S細胞の設定について明かしているなど、連載を無理に引き延ばしさせられながらも大きな破綻もなく『ドラゴンボール』をまとめあげた手腕がうかがえる。


余談

忘れっぽく、自分の描いた漫画のことですら忘れていたことも。
『Dr.スランプ』では、Dr.マシリトがキャラメルマン8号として「世界一つおいのだーれだ大会!!」に登場した際、観客の一人からナンバリング違いを指摘され、顎に描かれた8に×印をつけて9号に無理やり変えた。
また、学校生活をあまり描かないせいか、本来なら既に卒業しているはずの空豆タロウと摘鶴燐は通わなくて良い学校に2年も通う羽目になってしまった。

『ドラゴンボール』では、旧コミックス版の背表紙にヤジロベーをうっかり2回出すという珍事をやらかし、後に謝罪文を出している。
また尾田栄一郎との対談で「桃白白には衝撃を受けました」と言われた際に「誰だっけ?」と素で答え、
尾田先生を驚かせている(もっともすぐに思い出したので、存在を完全に忘れていたわけではないようである)。
その席で語るところによると、忘れっぽいのと同時に忘れていた設定を発掘するのも好きで、尾田氏も当時驚いたというドクター・ゲロもそうだったらしい。

他にもピラフ一味のキャラの名前を「ソバ」と名付けていたが、そのことをすっかり忘れていて、アニメ化の際に新たに「シュウ」という名前にしてしまうというミスも。
その後は原作とアニメでは「シュウ」に統一されたが、後に出たコミックスの完全版ではソバに戻るなど表記が一定していない。

天邪鬼な一面があり、周囲から「こうしてほしい」「○○はしないで」と言われると、その逆の展開の漫画を描くこともあった。
例えば『ドラゴンボール』の連載中、天下一武道会で「どうせ悟空が優勝するんでしょ」と言われると2回連続で優勝を逃す展開にしたり、「ベジータを殺さないで」とファンからメッセージを貰うと、その逆でベジータが死亡する展開を描いたりしているなど。

『ウルトラシリーズ』と『スーパー戦隊シリーズ』のファン。
『Dr.スランプ』ではウルトラマンや、バルタン星人などのウルトラ怪獣を何度も出しており、アラレ達に科学特捜隊の格好をさせた事もある。
ウルトラ怪獣以外にもゴジラガメラギロンなどが登場していた。
『ドラゴンボール』に登場するギニュー特戦隊はスーパー戦隊のパロディ*13であり、
超サイヤ人のアイデアは「戦う前に変身する」というヒーローもののお約束が元ネタとなっている。
模型が趣味で、作中にズゴックやザブングルが出てくるので多分ロボットアニメも好き。
前述の『謎のレインジャック』はR2-D2ストームトルーパー等『スター・ウォーズ』のキャラを出し過ぎたことが災いして選外であるパロディ作品扱いとなったという逸話もある。
また何故かモヒカン男を何人も生み出しているので、きっとモヒカンも大好きなのだろう。

鳥山氏の作品は巻頭カラーやセンターカラー等カラー原稿が多いが、これは作品の人気もさることながら、
上述の通りカラーイラストを息抜きに仕上げていたので、定期的にカラーイラストを描かせてあげないと、
原稿そっちのけでカラーイラストばっかり描きはじめてしまうから編集部が優先的に枠を回していた、という逸話がある。

意外に裏設定に凝る方であることを『テレビアニメ完全ガイド Dragonball Z 孫悟空伝説』での中鶴勝祥氏との対談中に語っていた。
「説明っぽくなるので殆ど漫画にはしなかったが、頭の中にはあったおかげでストーリーを思い付きで進めても破綻は少なかった」とのこと。
基本的にメモに残すことはないが、中鶴氏によればアニメスタッフへの説明で資料が送られてきたことがあったという。

主な作品

漫画


キャラクターデザイン


メカデザイン

  • 空想科学世界ガリバーボーイ
  • 超速変形ジャイロゼッター




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最終更新:2024年03月10日 23:04

*1 雑誌の柱などに散見される「○○先生の漫画が読めるのはジャンプだけ!」という売り文句が未だ脳裏に焼き付いている人も多いのではなかろうか。

*2 昔はサングラスにマスク姿や、サングラスをかけた擬人化された鳥などもあった。

*3 当時の鳥山氏は漫画を描く手順はおろかGペン等必要な画材すら知らず、原稿用紙に下描き無しでボールペンとサインペンでいきなり描き込んで仕上げるというとんでもない事をしている。

*4 後にDr.マシリトのモデルとなった。

*5 描き文字にアルファベットを使用、丁寧な描写など。

*6 といっても当時の『ジャンプ』の掲載順を調べてもらえばわかるが、『Dr.スランプ』と比べたら、ということ。

*7 ただし、1997年に格闘ゲームが発売されてから2003年まではゲームボーイカラー用ソフトが1本出たぐらいで、アニメ・ゲームどちらもほぼ展開が無かった。そのためこの時期に幼少期を過ごした人達には「『ドラゴンボール』を知ってはいるが読んだり観たりしたこともない」という人が多い。

*8 当時のバトル物作品では、ラスボスの最終形態と言えば『見た目が派手になって超パワーアップ!』というパターンが定番で、一見シンプルな見た目にそぐわない凄まじい強さという二面性は衝撃的だった。もっとも鳥山氏本人は「シンプルな分、迫力のあるアクションシーンを表現するのが却って難しかった(意訳)」と懐述しているが。

*9 当初は斑点無しだったが、デザイン段階で地味さが目立ったため斑点を足したという経緯がある。

*10 ただし、興味自体はあったようでいつか使ってみたいとも語っていた。

*11 ちなみにアナログでのカラーイラストは「通常の絵の具を買いにいくのが面倒だから」と、サインペンのインクを絵皿に水で溶かして使用していたとインタビューで語っている。

*12 尤もこういった逸話は『キン肉マン』や『北斗の拳』など多くの『ジャンプ』漫画(のみならず週刊連載形式の創作物)も該当しているが。

*13 『地球戦隊ファイブマン』を息子が観ていたのがきっかけ、というのが定説。ちなみにファイブマンには悪の戦隊「銀河戦隊ギンガマン」が登場する。