罪と罰

登録日:2019/12/29 Sun 08:09:30
更新日:2024/04/09 Tue 13:57:25
所要時間:約 55 分で読めます





Преступление и наказание

と罰



罪と罰」とはフョードル・ドストエフスキーが1866年に雑誌「ロシア報知」で連載を開始した文学作品。
ドストエフスキー五大長編のひとつとされている。


●目次

【概要】


正義のためと信じて殺人を犯した主人公・ラスコーリニコフが様々な体験をしながら、自身を追う者たちに立ち向かう犯罪小説。


犯罪者を主人公としたピカレスクロマン、後述の『超人思想』をはじめとした登場人物の独特の思想、その独特の思想から生まれた登場人物たちの濃ゆいキャラクター性と
非常にエンターテインメント性の高い作風であることからドストエフスキー作品の中でも特に知名度の高い作品である。
「ドストエフスキーは知らないが『罪と罰』という名前は知っている」という方も多いだろう。

物語自体も犯罪小説、宗教小説、政治小説、恋愛小説、推理小説、など様々なジャンルをごった煮にしたにもかかわらず話として程よくまとまっており、さらに展開がテンポよくどんどん進んでいくために娯楽作品として非常に読みやすい。
すごい身もふたもないことを言うと「ドストエフスキー作品にしては哲学部分も易しいし(※当社比)厨二な主人公にエロいヒロインにかわいい妹出てくるしこれもうラノベなんじゃね?」と言い出す猛者は一定数いる。少なくとも連載当時はそういう扱いを受けていたところはある。

そのようなこともありドストエフスキー作品の中ではデビュー作『貧しき人々』と並んで入門書として扱われる作品である。間違っても『悪霊』とか最初に読むんじゃないぞ!*1
なお世界の十大小説にラインナップされているのは『罪と罰』ではなく『カラマーゾフの兄弟』の方である。娯楽性の『罪と罰』と完成度の『カラマーゾフの兄弟』といったところか。
とは言っても世界の十大小説は「ひとりの著者で1冊」という暗黙のルールがあるので、それさえなければラインナップされていたかもしれない。




本作の核となっているのは『超人思想』という考え方。ものによっては「凡人と非凡人」とも表現される。
ざっくり説明すると「多少の悪行は大義のためには正当化され、その大義を執り行えるものだけが真の天才である。それを持たない者は真の天才に従え」という考え方のこと。
ナポレオンをはじめとした歴史に名を遺す革命を行ったものは意識せずともこの考えを持ち実行できる、とラスコーリニコフも考えており、自身もその持ち主であると証明しようとする。そのため『ナポレオン思想』とも呼ばれている*2
タイトルの『罪と罰』はここから来ている。要するに「罪を犯したなら罰が必要であるが、法を超えるような天才であればそれは罪にならない」ということである。
法哲学の思想であるが本作ではさらに宗教哲学としてブラッシュアップされている。
「罰が当たる」というのは言い換えれば神様が良いことと悪いことを判断しているということだが、それを超越した超人思想であれば、神を超えたと言うことも出来るのである。
こうした超人思想は、実存主義哲学として、ハイデガー、ニーチェ、ヒトラーらに形を変えながら引き継がれ歴史に大きな影響を残した。


【あらすじ】


主人公のラスコーリニコフは常々『超人思想』の考え方に憑りつかれていた。
考えているだけで実行には移せなかったラスコーリニコフであるが、大学を辞め貧乏でいることへのコンプレックス、それにより生じた心の病、何より郷里の・ドゥーニャが貧乏をしのぐために無理矢理結婚させられそうになったということが重なり、ついに超人思想を基にした計画を動かすことを決意する。


ラスコーリニコフの近所にはアリョーナという高慢でがめつい高利貸しの老婆がいた。彼女のようながめつい悪人が金を持っているよりも、妹たちのような貧しい人間のために金を使うことができればそれは正義であると考える。アリョーナの住むアパートに彼女以外誰もいなくなる時間があることを調べたアリョーシャはを使い、見事アリョーナを殺害し金品を奪うことに成功する。
しかしすべてが終わり、逃げようとしたところでアクシデントが発生する。誰もいないはずのアパートに、偶然アリョーナの妹であるリザヴェータが訪れたのだ。予想外の事態にパニックになったラスコーリニコフは衝動的に彼女も殺害する


殺人を犯してしまったこと、さらにはそのうちひとりは超人思想に反する殺人であったことから少しずつラスコーリニコフの心は蝕まれていく
そんな中、自身を追う予審判事ボルフィーリー、ドゥーニャを追ってきたスヴィドリガイロフ、そして貧乏でありながらもを信じ続けるソーニャ、様々な人間に出会いながらラスコーリニコフは少しずつ変わっていくことになる。




【登場人物】


ロシア文学だけあって名前が似ているなど非常にややこしいので実際に読む際は登場人物名をメモすることをお勧めする。ついでにロシアの他人への呼びかけ方は地の文、仲のいい人、知人などで全く異なるルールをもつためややこしさに拍車をかけている。
そのため日本語訳する場合、呼び方を統一すると原語の微妙なニュアンスが失われるリスクがあり、呼び方を原語に忠実にすると誰が誰をどう呼んでいるか理解することが大変。分かりやすいように一覧がつけられている翻訳版もある。

とりあえずカッコ内は(ある程度ポピュラーな)地の文での呼ばれ方。


◆主要人物


◇ロジオン・ロマーヌイチ・ラスコーリニコフ(ラスコーリニコフ)
23歳の主人公。仲の良い人間からは「ロージャ」と呼ばれている。地の文を信じるのならば切れ長の黒目に長身のイケメン曰くやや女顔でそこらの女よりも美人らしい。
現在は郷里に母と妹を残しペテルブルグ市の汚い下宿の屋根裏部屋に住んでいる。
そこそこ優秀な大学生であったが学費滞納のため半年前に除籍された。家賃も数か月滞納している。よく忘れられるがまだ20代前半である。
除籍される直前に『犯罪思想』についての論文を執筆して以来*3その巻末に書いた『超人思想』に憑りつかれることになる。
度重なる不幸の結果極貧生活であり、さらに郷里の実家も仕送りがほとんど送れないほどの貧困であるため精神的に疲労しており躁鬱病の気がある。
そんな彼であるが本来は高慢でプライドの高い性格。斜めに構えた見方をしており、他人を内心見下すことも少なくない。ルージンやスヴィドリガイロフなど明確に敵意を持った人間相手であれば平気で皮肉を投げかける。その反面非常に繊細な心の持ち主であり自己嫌悪に陥りがち。あと眠ると大体悪夢を見る。しかしマルメラードフ家など惨めな境遇の人間を見ると後先考えずに手を差し伸べてしまう優しさを持つ。
卑屈な性格と自身の惨めな境遇が合わさり、当時にしては珍しく無神論者。故に自分以上に惨めな境遇でも神を捨てずにいるソーニャには強い興味を抱いている。
また論文が高く評価されていることからもうかがえるように天才肌でインテリな人間。無神論者でありながら聖書の内容を大体言える程度には博識である。
さらに自身を犯人と疑う予審判事ボルフィーリーによる二重三重の罠が仕掛けられた口論でも最終的打ち勝っている。腹の探り合いをしながら慎重に意見をぶつけていく二人の口論は必見。
天才的な頭脳に加え容姿端麗という完璧超人であり、冷静沈着でやや皮肉屋な犯罪者ではあるがそれでいて案外お人好しで困っている人を捨てることができず特に身内には甘くややヘタレという人間臭さから、当時から現在に至るまで『罪と罰』の人気キャラクターである。


◇ソフィヤ・セミョーノヴナ・マルメラードワ (ソーニャ)
本作のヒロイン娼婦であり聖女。おそらく18歳。童顔であるらしい。ラスコーリニコフに殺害されたリザヴェータとは友人だった。
飲んだくれの父親のせいで家は常に貧乏であり、いかがわしい店で体を売って家族を養い続けている。劇中の描写を見るにかなりの低賃金で娼婦をやっているらしい。
聖書を愛読しているなど非常に高い信仰心を持っている。娼婦として働くみじめな生活の中でも信仰心を自身の軸としており、狂うことなく自分を保ち続けていた。また目の前の人間がどんな罪を犯していようとも(例:飲んだくれの父、友人殺しのラスコーリニコフ)自分の苦しみを一切表に出さず、ただ相手に同情するという聖女のような気質を持つ。しかし不安がないというわけでもなく、ラスコーリニコフに近い将来貧困から一家そろって破滅するという現実を突きつけられ、「そんな不幸な人間がいるくらいだから神は実在しないかもしれない」と言われた際には涙を流していた。だがその涙を流す清らかさがラスコーリニコフの心を動かすことになる
絶望的な状況であり自身と同じく罪人という立場でありながらも芯を持った生き方をしているという点から、ラスコーリニコフは彼女にシンパシーを感じており少しずつ惹かれていった。ある場面では「ぼくには、もう、きみひとりしかいない」とまで言っている。そのため彼女はラスコーリニコフが自身の犯罪を告白する最初の人物である。ラスコーリニコフ自身、後半で窮地に陥ったソーニャを助けるために大立回りを演じるなどかなり彼女のことを気に入っているらしい。というか話が進むにつれてバカップル度が上がっている気がする。
一見ロシア正教を体現した聖女だが、実はそれを成立させた歪な暗黒面があり、あと設定上多いエロ要素から彼女も彼女で結構人気。
自身の罪を告白したラスコーリニコフとそれを断罪するソーニャの会話は本作屈指の名場面。


◇アヴドーチヤ・ロマーノヴナ・ラスコーリニコワ(ドーニャ)
本作のもうひとりのヒロインでありラスコーリニコフの妹。かわいい。20歳前後。
郷里でスヴィドリガイロフ家の住み込み家庭教師をしていた。しかし変態主人と不倫関係があることを疑われ(もちろん冤罪)、スヴィドリガイロフ夫人に家を追い出されさらに村八分の扱いを受けてしまう。その後主人本人の証言によってなんとか無罪であることが証明されたのだが、誤解を解く過程で出会った中年の成金弁護士であるルージンに求婚されることとなる。そして本人は悩んだ末に「自分を犠牲にして金持ちと結婚すれば兄の将来の助けになれる」と考え承諾してしまう。
ラスコーリニコフはこのことを母からの手紙で知ったのだが、後述のソーニャの父の件と合わせ彼に強い衝撃を与えた。これがラスコーリニコフの老婆殺害のトリガーのひとつとなる。
兄妹だけあってラスコーリニコフに似ており、さらに直情的にしたような勝ち気で血気盛んな性格をしている。要するに結構強情で意地っ張り。ソーニャと同じかそれ以上に芯が強く、たとえ自分のことが大好きな変態によって密室に閉じ込められようとも臆せず屈することはない。結構たくましく勇ましい。
だが悩みながらも兄のために結婚を了承した件からも分かるように根は穏やかで優しい兄想いの少女。。かわいい
兄のことを心配して母と共に都会に出てくるのだが、自分に目を付けた変態が追ってきたことにより彼女も物語に巻き込まれることになる。


◇アルカージイ・イワーノヴィチ・スヴィドリガイロフ(スヴィドリガイロフ)
本作の(一応)ラスボスである存在。そして変態
第3章のラストシーンで、ラスコーリニコフが悪夢から目覚めると勝手に部屋の中に入っていたという何ともインパクトの強い登場をする。不法侵入です。
前述のドゥーニャが住み込みで家庭教師をやっていた家の主人とは彼のこと。マルメラードワの遺児たちを自腹で孤児院に入れるなど人格者。
……ここまでならマトモだが、その実態は二回り年下のドゥーニャのことが大好きな変態である。そもそもラスコーリニコフに会いに来たのは大好きなドゥーニャが無理矢理結婚させられることが許せず、結婚破棄を彼に手伝わせるためである。しかもそのための契約金として1万ルーブル*4を提示した。
ちなみに妻はごく最近に事故で亡くなっている。これについてラスコーリニコフは彼がドゥーニャと結ばれるために邪魔だから殺したと考えており、そしておそらくその推測は正しい。
その後ラスコーリニコフが殺人犯であることを知った際には速攻でドゥーニャと結ばれるためのダシに使う辺り筋金入りである。
自身の罪で亡くなった人物の霊が見えるという能力を持ち、現在は妻の姿が見えているらしい。


◆周辺人物


◇ドミートリィ・プロコーフィチ・ウラズミーヒン(ラズミーヒン)
ラスコーリニコフの大学の親友。とにかくいい奴
ひたすらいい奴であり、貧乏なくせに人付き合いを嫌い人を見下す傲慢なラスコーリニコフとも気さくに接していた。その誰に対しても分け隔てなく接する態度からラスコーリニコフにとって家族以外で心を開ける数少ない存在である。
退学したラスコーリニコフのことを未だに気にかけており、何かと世話を焼いている。今回の事件で少しずつ憔悴していく彼を見ても、疑問には思いつつも深くは追及せずに親身に寄り添っていた。
中盤に出会ったドゥーニャに対して一目惚れをし、守りたいと強く考えるようになった。そして両想いである。兄から見てもお似合いだと思ったのか、自分が家族の元から去ろうと決心した際には、後のことを全てラズミーヒンに任せようとしていた。スヴィドリガイロフざまぁ。


◇ポルフィーリー・ペトローヴィチ(ポルフォーリー)
ラズミーヒンの親戚である予審判事。結構優秀であるらしい。
今回の老婆殺しの担当をしている。その中でラスコーリニコフの僅かな挙動から彼が犯人であることを推測し、彼を追うようになる。
物的証拠はほぼ無いにもかかわらず(せいぜいラスコーリニコフとアリョーナが面識あったくらい)大胆な戦術と巧みな話術でラスコーリニコフを精神的に追い詰め続けた。
物語中でラスコーリニコフとぺルフィーリーは合計3度対決することになる。


◇セミョーン・ザハールイチ・マルメラードフ(マルメラードフ)
ソーニャの父。前述のとおり飲んだくれでありソーニャが水商売をしなければならない元凶である。しかもソーニャがせっかく稼いできたお金をせびって酒を買うという人間の屑。
しかし本人は柔和で腰が低く、聖書を愛読しているという一見好々爺。ただし口を開くと屑なことしか言わない。また金を使いきったことを妻になじられた際に「これも、わたしにゃ、快感なんです!」と言い出すなど変態の気がある。


◇カテリーナ・イワーノヴナ・マルメラードワ(カテリーナ)
マルメラードフの妻でソーニャの母。
昔は貴族女学校で主席を取るエリートであったが、こんな屑と結婚したのが運の尽き。極貧生活にあえぎ家族に癇癪を起こす毎日である。それでも過去にはエリートであったという想いを捨てきることができず機会さえあればまた成り上がろうとしている。


◇ピョートル・ペトローヴィチ・ルージン(ルージン)
ドゥーニャの婚約者である地方弁護士。神経質で面倒くさいやつ。
高慢な男でドゥーニャを支配しようとしている。かませキャラ。
根っからの悪人ではないのだが、プライドが高すぎる男。


◇アリョーナ・イワーノヴナ(アリョーナ)
ラスコーリニコフに殺害された老婆。貧乏人から足元見て契約する悪徳高利貸しとして知られている。
ちなみに劇中の彼女の言葉によると金貸しの利子が月利10%というヤクザも真っ青な悪徳っぷりである。


◇リザヴェータ・イワーノヴナ(リザヴェータ)
アリョーナの義理の妹。アリョーナと二人暮らしをしている。高慢な姉とは違い、気弱で穏やかな性格。神を信じ、ソーニャとは友人関係であった。


【ストーリー】


『罪と罰』は全6部+エピローグという構成である。


ストーリーは大まかに分けて、
①殺人を犯したラスコーリニコフが心を蝕まれながらソーニャに救いを求めるストーリー
②兄のために結婚を了承したドゥーニャとルージンの対決のストーリー
③過去の殺人から救いを求めようとドゥーニャを狙うスヴィドリガイロフのストーリー


の3つが複雑に絡み合った群像劇になっている。
そのためただでさえややこしい物語がさらにややこしくなっている。読むときはこのことも念頭に置く方がいいだろう。



◆1部


1865年7月の暑い夏の日のことだった。
夕刻、ラスコーリニコフは高利貸しであるアリョーナのアパートに向かっていた。表向きの目的は質草として父の形見の時計を預けること。しかし真の目的はアリョーナ殺害の下準備であった。
彼は前々から『超人思想』の名のもとにアリョーナを殺害し、奪った金品を貧しい人々のために役立てる計画を立てていた。
ラスコーリニコフは時計を極端に安く売られようとしながらも、部屋の内装やアパート全体の構造を調べ上げるなど着々と準備を進めていた。


しかし取引の終わった直後、彼の心の中の小さな恐怖心が唐突に増幅された。要するに怖気ついてしまったのだ。怖くなったラスコーリニコフは計画を止めることを決意する。
しかし計画は精神的に疲れていた彼の心のよりどころであったそれが壊れたラスコーリニコフは途方に暮れてしまう。
どうしようもなくなった彼は下町の酒場でやけ飲みをするのだった。


黙々と飲んでいたラスコーリニコフであったが、突然マルメラードフと名乗る退役軍人風の男に話しかけられた。明らかに酒慣れしていないラスコーリニコフの姿を見て興味を抱いたらしい。
彼は奇妙な変人であり、聞きもしないのに娘のソーニャが娼婦をしていることをはじめとして自身のせいで家庭内崩壊が起こっていることを嬉々として話し始めた。宗教や哲学を嗜んでいる彼にとってはこれが高尚に見えるらしい。
ソーニャを捨て石にして自分はのうのうと生きているというマルメラードフの生き方に嫌悪感を抱く。


そうこう飲んでいるうちにマルメラードフは酔いつぶれてしまう。流石に見捨てておけなくなったラスコーリニコフは彼を家に届ける。しかしマルメラードフ家はまた彼が金を酒代にしたことで地獄絵図になっていた。居たたまれなくなったラスコーリニコフは先ほど借りた金を全額マルメラードフに渡した
そして自分も貧困であることを思い出し、何故渡してしまったのかと自己嫌悪に陥るのだった。


翌朝、郷里の母から手紙が届いていた。
妹のドゥーニャがスヴィドリガイロフ家で家庭教師をしていた時に、主人との不倫疑惑をかけられたのだが、なんとか冤罪であることを証明し助けてもらった45歳の弁護士ルージンと婚約することになったらしい。
式はラスコーリニコフの住むペテルブルグで執り行われる予定なので近々会いに来るとのこと。



おれが生きている限り、断じてこんな結婚はさせない、ルージン氏なぞくそくらえだ!
だって、この結婚、あまりに見え透いているじゃないか



ラスコーリニコフはすぐにこの手紙の裏を見抜いた。ドゥーニャは自分のため、金と引き換えに無理をして結婚を受けることを決意したのだ。そして彼はルージンを下種だと断罪する。
そして「ドゥーニャが自分ための捨て石になるのなら、見下していたマルメラードフと変わらないのではないか?」という葛藤に襲われるのだった。
「救うべき貧しき人々=ドゥーニャ達」という明確なビジョンが見えたラスコーリニコフはもう一度計画の実行を決意する。


……しかし精神に変調をきたしたラスコーリニコフは河原で馬が無残に殺される生々しい悪夢を見たことで怖気づき、また計画を断念するのだった。
またかよ、は禁句。


計画は忘れようといっそ清々しい気持ちになっていたラスコーリニコフであったが、市場でアリョーナの義妹のリザヴェータが話しているのを聞く。
それはリザヴェータが明日の7時過ぎに家を空けるということだった。つまり明日のその時間は家にいるのはアリョーナだけ。
計画のために都合のいい情報であった。自分に老婆殺害をさせるため、なにか大きな力が働いていると考えたラスコーリニコフは今度こそ計画の実行を決意した。


次の日、小さなを持ってアリョーナのアパートに訪れていた。話に聞いていた通りリザヴェータはいなかった。
高級な銀を持ってきたと嘘をつき、彼女が油断している隙を突いて背後から脳天に斧を叩きつける。小さな悲鳴を上げ老婆は即死した。
本人は気が付いていなかったがラスコーリニコフの手は震えていた。
そして急いで金庫にあった金品をポケットに詰めていたラスコーリニコフであったが、そこで思わぬアクシデントが発生する。


「……義姉さん?」


想定よりも早くリザヴェータが帰ってきてしまったのだ。彼女は呆然として殺された姉を見下ろしていた。そしてラスコーリニコフの姿を見つける。
パニックになったラスコーリニコフは咄嗟に斧をリザヴェータの脳天に叩き落とすのだった


もう一刻の猶予もないことに気が付いたラスコーリニコフ。
恐怖で息絶え絶えになり、その後もアパートの住人に見つかりかけるなどアクシデントに見舞われるがなんとか帰宅し証拠隠滅するのだった。


◆2部


次の日、ラスコーリニコフは下宿の女中に声をかけられ目を覚ました。
なんでも、警察から出頭命令が出たらしい。早くも見つかってしまったのか、と焦りを抱く。


だが覚悟を決めて向かってみると、事務官のザメートフから単に家賃滞納の厳重注意を受けただけであった。
家賃について再契約のサインをしていたところ、警官たちが何か話しているのを耳にする。
それは昨夜の事件についてだった。「犯人はアリョーナに金を借りていた人物」とまで絞り込まれている(まあ当たり前だが)と聞きまたパニックを起こして倒れてしまった。


介抱された彼は昨夜の行動について根掘り葉掘り聞かれ、疑われているのかもしれないと疑心暗鬼になってしまう。
そして見つかることを恐れたラスコーリニコフは盗んだ金品を近所の空き地の石の下に隠すのだった。



証拠がなくなった! あんな石の下を探しにこようなんて、どこのだれが思いつくもんか? あの石はひょっとすると、あのアパートを建てられたときから転がっているはずだ。

たとえ見つかったとしても、だれがこのおれに疑いをかける? これでいっさい片がついた! 証拠がないんだから!



勝ち誇っていたが、計画の発端を考えればまったくの本末転倒であることに気がつけなかった。それほどまでに錯乱していた。


その後あてもなくふらついていたラスコーリニコフは気まぐれでラズミーヒンの家を訪ねる。しかし発狂したラスコーリニコフはわけのわからないことを数言残し倒れてしまうのだった。
それから彼は約4日間熱病で寝たきりとなる。




意識を戻すとラズミーヒンに35ルーブルを渡された。郷里の母が久しぶりに仕送りを届けてくれたらしい。
その後この数日間彼を診察していたゾシーモフも加わり、たわいのない雑談が始まる。
話のタネはよりによって老婆殺害事件。しかしラスコーリニコフはこの4日間で起こった意外な展開について聞く。
なんともう既に犯人が捕まっているらしい。もちろんラスコーリニコフではない。


犯人の名はミコライ。事件当日にアパートにいたペンキ職人であったが、先日アリョーナのものと思わしき金品(ラスコーリニコフが焦ってアパートで落としたもの)を質屋に売り払いに来たらしい。それを怪しまれ逮捕された。
しかしラズミーヒンは親戚の予審判事ポルフィーリーの言葉から真犯人が別にいると考えていた。


そこに荒々しく新しい男が登場する。ドゥーニャの婚約者であるルージンだった。兄であるラスコーリニコフに挨拶に来たとのこと。
ラスコーリニコフが敵意むき出しで睨んでいたため、ルージンは機嫌を悪くする。そして2人は自然と経済、宗教、自然など様々なことで議論*5し、ヒートアップし、最終的にラスコーリニコフが打ち勝った。しかしそれに怒ったルージンが彼の母のことを揶揄したためにキレたラスコーリニコフがルージンを追い出すのだった。


憂鬱になり2人を追いだしたラスコーリニコフはなんとなく散歩に向かっていた*6
歩いていると大通りで馬車の交通事故が遭ったと耳にする。向かってみると被害者はなんとマルメラードフだった*7
ラスコーリニコフは急いで彼を家に運び、医者を呼ぶ(金はラスコーリニコフが払った)。しかし医者の言葉は無慈悲にも「ご臨終」。絶望的な気分になるが、その時奇跡的にマルメラードフは意識を取り戻す。まるで神が家族と最後の別れを交わさせるための慈悲を与えたようだった。
その中にはソーニャもいた。程なくしてマルメラードフはこと切れた。
仮にもマルメラードフは一家の中ではソーニャに次ぐ働き手である。今後を哀れんだラスコーリニコフは全財産である仕送りの残りを渡すのだった。
そして「あの男は死んだが、まだ自分は生きているじゃないか」と少し勇気づいていた。


途中ラズミーヒンと合流し、下宿に帰ると何故か部屋に明かりが灯っていた。
不審に思いながらも入ると、母と妹が待っているのだった


◆3部


ラスコーリニコフはドゥーニャに婚約を破棄するように宣告する。しかし熱のためか呂律が回らず、論理的にも話せなかったことで寧ろ訝しがられてしまう。



いいか、ドゥーニャ。この結婚は、卑劣だ。ぼくは卑怯者でもいい、でも、おまえはそうなっちゃだめだ……ふたりのうちどっちかだ……

たとえぼくが卑怯者でも、卑怯な妹を妹だとは思わないからな……。ぼくか、ルージンかだ! さあ、もう行くんだ……



ルージンと結婚したら縁を切ると言うラスコーリニコフの言葉に場はパニックになる。
特に母は泣き叫び今日はこの部屋に泊まりたいと言い出したが、ラズミーヒンが彼の様子を2人に逐一報告することを約束し場を収めた*8
そして道で雑談をする中、ラズミーヒンはドゥーニャの気品の高さに一目ぼれする。ドゥーニャもラズミーヒンの信頼できる人柄に惹かれていた。


次の日、ラズミーヒンはドゥーニャ達にここ数年のラスコーリニコフの様子について説明していた。
そんな最中ルージンからの手紙が届く。内容は酷いものだった。


  • 今夜、私と会食しませんか?
  • ただし、私に無礼を働いたラスコーリニコフが来ていた場合は即刻帰る。
  • それはそうと、昨日ラスコーリニコフがいかがわしい女(ソーニャ)に大金を渡していたがあれがどういうつもりだ? 貧乏だと聞いていたがだましていたのか?


口調こそ丁寧だがラスコーリニコフに対する恨みのこもった手紙であった。
3人は事態が深刻であることに気が付く。結局ラズミーヒンの提案でラスコーリニコフも交えて相談することになった。
ラスコーリニコフが怒鳴ったため、一度は相談はめちゃくちゃになる。
しかしラズミーヒンがなんとかまとめ、話し合いの末にラスコーリニコフ、そしてラズミーヒンが会食に出席することになった。嘘やこびへつらいをせずに行こうと決めて。


話がまとまったところに、ソーニャが訪問する。マルメラードフの葬儀にラスコーリニコフを招きたいらしい。ルージンの手紙に出てきたいかがわしい女の登場にドゥーニャ達は最初こそ警戒するも、彼女の素朴な人柄、何よりあのラスコーリニコフが見下したりせず普通に接していたことで心を許すのだった。


その後時間の空いたラスコーリニコフはラズミーヒンの紹介で、今回の事件の予審判事であるポルフィーリーの元を訪ねようとしていた。彼が自分をどこまで疑っているのかを知りたかった。


流石に正面から切り出すわけにはいかないので、やはり世間話から始まった。そんな中ポルフィーリーはラスコーリニコフが以前書いた犯罪論についての論文の話題を出す*9



しかし……、じつのところ、わたしがいちばん興味をもったのは、あなたの論文のその箇所じゃないんですね、
そうじゃなくて、ある思想です、論文の終わりにさりげなく書いてある思想でして、ただ残念ながら、たんにほのめかしてあるだけです、

あいまいにね……要するに、覚えておられるでしょうか、こういうほのめかしです、
この世にはどんな無法行為だろうと、犯罪だろうと、それを行うことのできる人間が存在するという点…

いや、できるなんてもんじゃなく、完全な権利をもつ人間が存在する、そういう人間には法律も適用されないという



そしてポルフィーリーが「あなたはこの『殺人の肯定』を実行したのでは?」と問いかけ、ラスコーリニコフは犯人と疑われていることを確信する。
そこから2人の犯罪についての議論が始まった。表向きには犯罪論についてだが、実際には議論中の僅かな言葉から相手の腹の探り合いをしていた。
だが会食の時間が近づいてきたことで、議論は中断される。


議論に疲れたラスコーリニコフは下宿でうたたね寝をしてしまう。
しかし疲労した精神からか、あの日に戻り何度老婆を殺しても老婆は笑い続けるという悪夢を見たことですぐに起きてしまうのだった。


そして目を覚ますと部屋の中に見知らぬ男がいた。
男はスヴィドリガイロフと名乗った。


◆4部


スヴィドリガイロフが部屋に入ってきたのはラスコーリニコフにとある依頼をするためだった。
ドゥーニャとは縁を切るつもりだが、ルージンなどという下種と結婚するのは許せない。だから何とかして婚約破棄させてほしい。成功すれば1万ルーブル渡す、とのことだった。
ルージンのことは嫌いだが、それはそれとしてスヴィドリガイロフのことも嫌うラスコーリニコフは食ってかかる。「妻を殺したという噂だが?」と聞いても「あれは不幸な事故だった」とどこ吹く風。
最終的にスヴィドリガイロフは自分が近くに泊まっていること、そして妻の遺言で近々ドゥーニャに300ルーブルが贈られることを伝えると去って行った。


そしてその夜、ホテルには約束通りルージンが訪れた。
最初に話題に上がったのはやはりふたりの接点となったスヴィドリガイロフのことだった。ルージンが今後の法手続きについて話す中、ラスコーリニコフは先ほど彼に会ったこと、そしてドゥーニャは3000ルーブルを手に入れる権利があると言い出す。
これはルージンにとって悪い報せだった。彼はドゥーニャを金で支配しようと考えていたので、彼女に金が入るのは好ましくなかった。焦ったルージンは高圧的な態度を見せるようになり、つい兄を侮辱する言葉を口走ってしまう。
もちろんそれを聞き逃すドゥーニャではなかった。その言葉を訂正するように言い、高いプライドからそれを認められないルージンと口論が始まる。
結果的にルージンが押し負け、捨て台詞を残して出ていくのだった。最後までドゥーニャを支配できると思っていたための敗北だった。
ちなみにこのシーンのブラコンっぽい台詞交えて啖呵を切るドゥーニャはかっこいいので必見


ただ、ルージンの中に僅かだがドゥーニャへの同情心があったのも事実だった。


ルージンの支配から抜けられる。
そんな明るい雰囲気の中、ラズミーヒンは小さな出版社を立ち上げようとしており、そこに3人を招待したいということを伝える。ラスコーリニコフから見てもいいアイデアと思えるものだった。


楽しそうな3人を見て、ラスコーリニコフも珍しく笑顔を浮かべる。そしてゆっくりと席を立った。
ラズミーヒンがいれば、この家族には自分がいなくてももう大丈夫、そんな想いからだった。
ラスコーリニコフは去ろうとするが、やはりそこにラズミーヒンが追いかけてきた。



追いかけてくると思ったよ。ふたりのところにもどって、いっしょにいてやってくれ……明日もいっしょにな……これからもずっとだ。

ぼくも……もしかしたら……寄ってみる……できたら。じゃあね!


おい、どこへ行く? どうしたんだ? 何があったっていうんだ? こんなことがあっていいのか?


これが最後だ。ぜったいに何も聞くな。答えることなんて何もない……。ぼくのところにも来ないでくれ。
ぼくからここに来るかもしれない……ぼくをひとりにしてくれ、でも、あのふたりは……見捨てないでくれ。言ってること、わかるな?



彼の意を汲んだラズミーヒンは2人の元に戻り、ラスコーリニコフをしばらく自由にさせるよう説得したのだった。


そしてこの日ラズミーヒンは、ドゥーニャと家族になった。
どういうことかって? 野暮なことは聞くなよって地の文にも書いているだろ




その後ラスコーリニコフは日付が変わる直前だったがソーニャの家に向かっていた。父を失ってもなお希望を失わないソーニャに興味を持っていたのだった。
ソーニャは快く迎えてくれた。


ソーニャと話しているうちに、ラスコーリニコフは彼女の異常性に気が付く。
ソーニャは神に対する信仰心が高すぎた。彼女は常々母に虐待まがいのことをされているにもかかわらず愛し続けており、
また働き手がソーニャだけという状況でも「神は私たちを見捨てるはずがない」と言っている。
神はいない、それ故に罪は罪とならない。それがラスコーリニコフの持論であった。
それ故に、娼婦という罪を抱えながらも神を信じるソーニャというのはラスコーリニコフにとっては気味が悪いとすらいえる者だった。


気が付くとラスコーリニコフはソーニャの足元に跪いていた。



どうなさったの、どうしてこんなことを? こんなわたしに!


きみにひざまずいたんじゃない、人間のすべての苦しみにひざまずいたんだ



こんな厨二台詞が許されるのはコイツくらいである。
その後彼女に聖書を音読してもらい、自身の考えに確信を持つ。ある程度教育がありプライドもあるはずのソーニャがこの状況で発狂しなかったのは彼女の根幹に信仰心があったからであると。
そして超人思想で自身を保つラスコーリニコフと信仰心で自身を保つソーニャはほぼ同類であり、同じく罪人であると結論を出した
今のラスコーリニコフにとって共に歩けると言えるのは家族でも親友でもなく、同類のソーニャであった。



ぼくは今日、肉親を捨てた。母と妹をね。もう、あのふたりのところには行かない。あそこで、全部縁を切ってきた


なぜです?


ぼくには、もう、きみひとりしかいない。いっしょに行こう……
ぼくはきみのところに来た。ぼくらはふたりとも呪われたもの同士だ。だからいっしょに行こう!



ラスコーリニコフは明日もし会えたらリザヴェータ殺しの犯人の正体を教えると告げると出ていった。




ラスコーリニコフが次に向かったのはポルフィーリーの家だった。
老婆への質入れ品の受け取り手続きを取るため、そしてポルフィーリーと決着をつけるために。


ポルフィーリーの攻め方は相変わらず陰湿かつ用意周到だった。どの言葉が罠であるのか全く分からない状況に、ただでさえ精神的に疲弊していたラスコーリニコフは追い詰められていく。
ついには「疑っているなら、はっきりそう言え! 逮捕したらどうだ!」などと大声を上げてしまった。
敗北ほぼ一歩手前となったラスコーリニコフ。しかしそこにラスコーリニコフはおろか、ポルフィーリーですら予想外の人物が飛び込んできた。


飛び込んできたのはミコライ。老婆殺しの容疑者として逮捕されたはずの人物だった。
ミコライは逮捕され、警察からの圧力に耐えきれず無実にもかかわらずついに「自分がやった」と言ってしまったのだった。
法的に犯人が決まってしまった以上、ポルフィーリーがいくら疑っていたとしてもラスコーリニコフを捕まえることはできない。予想外の第三者からの手とはいえ、ポルフィーリーの敗北であった。
勝利を確信したラスコーリニコフは悠々と帰宅した。


◆5部


数日後、ソーニャの家ではマルメラードフの葬儀と会食が行われていた。ラスコーリニコフも出席していた。
そしてこの会食はカテリーナにとってはチャンスと言えるものだった。葬式となれば上級階級の人間も出席してくれるかもしれない。そうすれば夫のせいで落ちぶれた生活を建て直せる。
そんな野望に燃えていた。
しかしそれは大それた野望としか言えないものであった


そもそもカテリーナは若いときにほんのわずかな時期だけ有名になった人物。さらに亡くなった夫はほぼ無名の人物である。
葬式とはいえ、そんな場所に上級階級の人間が来るはずもなかった。
結局身内以外で葬式に来たのは会食目当てでやって来た浮浪者まがいのハゲタカたち。
そしてそんな奴らしかやってこないというのは、カテリーナの価値はその程度しかないということを突きつけることと同じだった


それを知ってしまい発狂して来場者に掴みかかろうとするカテリーナ。しかしそこにひとりの男が乱入してきた。それはルージンだった。またお前か。


ルージンがいきなりやって来た目的は、ソーニャへの糾弾だった。
彼曰く、自分の100ルーブリ紙幣がソーニャに盗まれてしまったらしい。
もちろんソーニャには覚えがない。
この日ルージンは友人であるレベジャートニコフの部屋で金の勘定をするために紙幣を広げていた。そんな時ソーニャがやって来たのだ。
この時はルージンが彼女たちに何か援助が出来ればと自分から呼び出していた。
そしてせめて何かに使えればとソーニャに10ルーブリを渡したのだが、彼女が帰ってから計算しなおしてみると100ルーブリ紙幣が消えていた。


10ルーブリを貰ったのは事実だが、盗んだことはないとソーニャが反論したことで彼女の身体検査をすることになる。
一切身に覚えのないはずのソーニャだったが……なんと、ポケットから100ルーブリが出てきたのである。

やはり盗んだんじゃないか、と糾弾する来場者たちと、ソーニャはそんなことができる人間ではないと弁護するカテリーナによって部屋は大混乱になった。


なんて卑劣な! なんて卑劣な話なんだ!



そこに飛び込んできたのは、ルージンの話にも出てきたレベジャートニコフだった。
彼の話ではここまでのルージンの言葉は真っ赤な嘘で、誹謗中傷に過ぎないと言う。

事件があった時間、部屋には(当たり前だが)レベジャートニコフも同席していた。
そこでルージンとソーニャの話を聞いていたわけなのだが、その時ルージンが彼女に10ルーブリを渡すと同時にこっそり100ルーブリをしのばせるのも見てしまったのである。
人のいいレベジャートニコフは何かわけがあるのだろうと自己解釈していたが、今ルージンがソーニャを糾弾しているのを見て飛び込んできたのだ。


自分がやった動機がないと反論するルージン。確かにこれにはレベジャートニコフも言い返すことはできなかった。
しかしそこにラスコーリニコフが口論に割り込む。自分ならその動機を説明できると。
ルージンの大本の狙いはラスコーリニコフ自身にあった。先日ルージンはラスコーリニコフが仕送りを娼婦のソーニャに全て渡したことを証拠に彼自身をけなした。苦労して母が捻出した金を娼婦に金を渡すような人でなしであると。そしてソーニャの人柄を知るドーニャたちは彼のやったことが正しいことだと反論し、ルージンは敗北したのである。
その状況でソーニャが金を盗んだということになれば、当然ソーニャは「はしたない娘」ということになり、ラスコーリニコフの行動が不当であったと証明される。
そうなれば、ドーニャたちをまた見返すことができる。そのためにルージンはこのような芝居を打ったのだった。


しかし真実も、動機も見破られてしまった以上ルージンには勝ち目がない。
そのまま逃げだし、その日のうちにペテルブルグを去ってしまった。




ひと騒動あり、すっかり疲れてしまったソーニャは部屋に戻っていた。ついでにラスコーリニコフもついてきていた。

約束通り、自分の罪を明かそうとしたのだ。



でも、どうして知ってらっしゃるの?

知っているのさ

見つけたんですね、その人を?

いや、見つけたんじゃない

じゃ、どうして知ってらっしゃるの?

当ててごらん


そしてソーニャは、ラスコーリニコフの言動からついに彼が犯人であるということに気が付いてしまうのだった。


何故殺したのか、と問われお得意の超人思想を説明するラスコーリニコフ。超人思想のこと、凡人と非凡人のこと、そして超人にとってあんな老婆は「しらみ」に過ぎないということ。
……しかし説明をしているうちにここ数日の出来事が思い返され、言葉にできない憂鬱感に苛まれたラスコーリニコフは、ソーニャに当たり散らすように叫びだしてしまう


ああ、ほんとうに、苦しいのね


これからどうしたらいい、さあ、言ってくれ!


どうしたらいいって!

さあ、立って! いますぐ、いますぐ、十字路へ行ってそこへ立つの。そこにまずひざまずいて、あなたが汚した大地にキスをするの。

それから世界中に向かって、四方にお辞儀して、みんなに聞こえるように、『わたしは人殺しです』って、こう言うの。

そうすれば、神様がもう一度あなたに命を授けてくださる。行くわね? 行くわね?


きみが言うのは、懲役のことかい、ソーニャ? 自首しろっていうのかい?


苦しみを受け、苦しみを罪であがなう、そうすることが必要なの



自分の中にある苦しみを必死で否定してこようとしてきたラスコーリニコフ。
それに対しソーニャは苦しみを受け入れることこそが必要であると説いたのだ。


ソーニャはもしもラスコーリニコフが監獄に入ったとしても、自分はついて行くだろうと告げた。


ラスコーリニコフは自分に対しいかに大きな愛が注がれているのかを知り、そして自分のこの先全てがソーニャに託されているような気がして、そのことに苦しみを覚えるのだった。


ラスコーリニコフはこの言葉で近いうちに自首することを決める。「しらみ」を殺したことが悪だとは毛頭思っていないが、ソーニャの信念に負け罪を償うと決意したのだった。

そこに突然、レベジャートニコフがやってくる。
空気読め。


なんとカテリーナが発狂してしまったらしい。
自分が貴族だと思い込み、近くに住む上級階級の家へ訪問に回っていた。……今日の事件でもう彼女の精神は限界を迎えていたのだ。
カテリーナはどこか嬉しそうに歌いながら、道を歩いていた。皮肉にもその姿はいつもよりも楽しそうであった。

慌ててソーニャは彼女を追いかけに行く。だが追いついたときにはカテリーナは血を吐いて倒れていた。
ソーニャが急いで部屋で寝かせるも、ほどなくして死亡した。


その頃、ラスコーリニコフは偶然スヴィドリガイロフと出会っていた。彼のことがあまり好きではないラスコーリニコフはそそくさと立ち去ろうとする。
しかしいきなりスヴィドリガイロフが語りだしたのは……超人思想についての話だった。しかも「しらみ」など、つい先ほどラスコーリニコフがソーニャに使った言い回しばかりを使っていた。
慌てて問いただすがスヴィドリガイロフは多くは語らず、ただ自分のアパートの部屋がソーニャの隣であること、そしてあのアパートは壁が薄く隣の声が聞こえやすいことだけを言うと去って行った。
それはよりによってスヴィドリガイロフに自身が殺人犯であると知られてしまったということだった。


◆6部


ある日、ポルフィーリーがラスコーリニコフの部屋を訪ねてきた。最後の話し合いをしたいらしい。
彼はミコライが犯人であると信じていなかった。ミコライの人柄、そしてポルフィーリー自身がラスコーリニコフに近いものを感じているということから、まだラスコーリニコフが犯人であると疑っていた。というよりも確信していた。
そして命を粗末にするなと彼に自首することを勧めた。
ポルフィーリーからラスコーリニコフを陥れようとする気配は感じられなかった。ただ、
まだ2、3日は様子を見る、それ以降であればこっちから捕まえに行く、もしも自殺をするというのであれば遺書に少しでいいから犯人であると認めてほしい、それだけ言うとポルフィーリーは部屋から去って行った。


これを聞いたラスコーリニコフはまずスヴィドリガイロフに会いに行った。
現状彼が犯人だと知っているのはスヴィドリガイロフとソーニャの2名だけである。それならばルージンの自信ありげな態度はやはりスヴィドリガイロフから聞いたものだとしか思えなかった。
それをダシにまたドゥーニャに迫る可能性もあり、その事態だけは避けたかった。


幸いにもすぐスヴィドリガイロフを見つけることができた。
共に入った料亭でラスコーリニコフは「もしも妹にあいかわらず同じ野心を抱いて、そこでここんところの発見をちょっとでも利用なさるおつもりなら、あなたがぼくを監獄にぶち込む前に、こっちがあなたを殺します。ぼくの言うことに嘘はありません」と告げた。
この時のラスコーリニコフは不安で「殺られる前に殺れ」と考える程度に疲れていた。


そしてそこでスヴィドリガイロフは自分の考えを初めて告げる。
自分の女好きは罪だがもはや仕事のようなものだ、だから道徳や社会に囚われずに生きていくことに決めておりその権利を持っているはずであると。
この考え方は色情魔と殺人者という違いはあれど、社会に囚われない非凡人を目指すという意味ではラスコーリニコフと全く同じものであった
その上でドゥーニャは今まで見たこともないほどに美しく純潔であり、そんな彼女の愛を手に入れることができれば、自分はきっと救われるはずであると
それ故に彼はドゥーニャを狙っていた。


それから少しして、ドゥーニャはスヴィドリガイロフの部屋に訪れていた。。
「貴方の兄は殺人犯である」という手紙が届いたのだ。彼には近づきたくないが、行かないというわけにはいかなかった。


スヴィドリガイロフはラスコーリニコフが一連の事件の犯人であると告げる。
ドゥーニャはなんとか反論しようとするも、彼の論理に押されてしまい、最終的には倒れるようにしてへたり込んでしまった。
ドゥーニャは逃げようとするも、部屋には鍵がかけられていた。事案です。


弱りはてた彼女にスヴィドリガイロフは「ドゥーニャが愛してくれるというのであれば、兄を国外逃亡させてもいい」と提案する。
ここまでやるのもただ、ドゥーニャの愛を手に入れたいからだった。



ラズミーヒンがなんだっていうんです? わたしだってあなたが好きだ……かぎりなく愛している。
どうか、ワンピースの裾にキスさせてください。お願いです、お願いだから!

その、さらさらという音がたまらない。さあ、なにかしろって言ってください。すぐに実行します! なんでもします。できないこともします!

あなたの信じることを、わたしも信じる、なんでもする、なんだって! ああ、どうかそんな目で見ないで、
そんなふうに見ないで! いいですか、あなたは、わたしを生殺しにしているんです……


おまわりさん、こっちです。


じわじわと彼女に近寄るスヴィドリガイロフだが、そこでドゥーニャがある物を取り出す。
それは拳銃だった。死の直前のスヴィドリガイロフの妻から受け取っていたのだ。


なるほど、で、お兄さんはどうなさいます? 好奇心で聞くだけですが?

密告したければするがいい! そこから動くな! 動かないで! 撃つわよ!
あんた、奥さんを毒殺したんでしょ、ちゃんと知ってる、あなたが人殺しなのよ……!



近づいてきたスヴィドリガイロフにドゥーニャは発砲する。しかし恐怖と震えからか、当たりはしなかった。何発撃とうとも、当たることはない。
そうするうちに、ドゥーニャに手が届く位置まで近づいてしまった。
スヴィドリガイロフは嬉しそうにドゥーニャの腰に手を回す。


放して!


ドゥーニャが小さく、祈るように叫ぶ。
小さな声ではあったが今までとは違い明確な拒絶の意志があった
そして銃を投げ捨てた。


そしてその言葉に、スヴィドリガイロフはドゥーニャが自身に愛を与えることは絶対にないと気が付いてしまった


じゃ、愛してないのかい?

で……愛せないんだね? ……これからも?


そうよ!



ドーニャは救いを与えない。自分は救われない
彼にとってはそれだけで十分だった。
虚ろな動作でドゥーニャに鍵を渡し、彼女を追っ払ってしまった。


それからスヴィドリガイロフは正気を失ったような言動を繰り返していた。
突如としてアメリカに向かおうと準備をはじめ、ソーニャや見知らぬ人に金を配っていった。
泊まったホテルでは5歳程度の少女を犯す夢を見た。……妻の件を考えると、これも彼の過去の罪という可能性もある。

そしてその日、スヴィドリガイロフは拳銃自殺した


数日後、ラスコーリニコフは母のホテルに向かっていた。自首する前に最後の挨拶をしておきたかった。幸か不幸かドーニャはいなかった。
母はもう大方の事情は理解している様子だった。ラスコーリニコフは簡単な挨拶をすると、ホテルを去って行った。


ある程度荷物を整理しようと下宿に向かうと、いつかの日のようにドゥーニャが待っていた。
ラスコーリニコフの犯罪にまだ納得できないでいるドゥーニャに対し、「戦争で罪のない命が奪われるのは許されて、害のある命を奪うことは許されないのか。僕は老婆を殺したが、犯罪だとは思わない」などと語り、別れを告げて去る。
ちなみにドゥーニャが動機について聞くまではいいムードだったのだが、聞いた途端ラスコーリニコフがキレたためなんとも言えない雰囲気になった。


そしてソーニャの部屋に向かい、少し話をした後についに共に警察署へ向かう。
一度は「スヴィドリガイロフが自殺した」と聞き怖気ついて帰ってしまおうとするも、ソーニャの強い瞳を見て、今度こそ自分の敗北を認め出頭するのだった。


あれは、ぼくが、あのとき、

役人の未亡人のおばあさんと妹のリザヴェータを斧で殺し、盗みました



ラスコーリニコフは自供をくり返した……

◆エピローグ


ラスコーリニコフが隠すことなく自分の行ったことを正確に淡々と言ったため、逮捕から裁判までは円滑に行われた。

裁判において、最初こそ量刑は厳しいものになるかと思われた。

しかしラズミーヒンたちが必死に弁護したこと、ソーニャの一家に全財産を明け渡したと証言されたこと、大学を辞めざるを得ないほどの極貧生活であったと認められたこと、
何より超人思想が「常人には理解できない狂人のそれ」と解釈されたこと。またポルフィーリーが減罪に協力的だったこと。
これらが組み合わさり「温厚で聡明な青年が極貧生活により精神を病み、『超人思想』などと訳の分からないことを考えて殺人を犯した」というストーリーがつくられ、2人殺した強盗殺人にもかかわらず流刑地・シベリアで8年生活という判決となった。
これはドストエフスキー作品の流刑者の中で最も刑期が短い。


その後ラズミーヒンとドーニャは結婚。
母は少しずつ気がくるっていき、まもなく死亡。


ソーニャは約束通りラスコーリニコフと共に流刑地に向かっていた。
その慈悲深さから流刑地の囚人たちにも親しまれていた。
ソーニャママ


ラスコーリニコフは罪を認めていないため反省もするはずなく、流刑地では心を閉ざし少しずつ体調を崩していった。
何故スヴィドリガイロフのように自殺の道を選ばなかったのか、ということにすら悩んでいた。



体調も良くなったある日、ラスコーリニコフは作業場で物思いにふけっていたが、気が付くと隣にソーニャが佇んでいた。
無言で佇んでいたふたりだったが、ふとソーニャがおずおずと手を差し伸べる。ラスコーリニコフはそんな彼女の手を取ると次の瞬間足下に身を投げて彼女の両膝を抱き号泣してしまっていた。
彼もどうしてこんなことをしたのかよくわかっていなかった。しかしこの瞬間ラスコーリニコフはソーニャへの愛に気が付いてしまった


そしてソーニャは福音書を彼に手渡す。
今まで無神論者故に、こんなものは読もうと思えなかった。
だが今のラスコーリニコフは違った。


彼女の信じることが、いまこのおれの信じることじゃないなんてことがありうるのか? 

彼女の感じること、彼女の意志、それだけでも……



ラスコーリニコフはソーニャの愛によって、ようやく救いを得られたのだった。

めでたしめでたし。


【評価や解説など】


◆執筆までの経緯


もともと『罪と罰』のたたき台になったと言われているのは執筆から数年前に構想していたらしい『酔いどれ』という中編小説。こちらも犯罪小説であったらしい。出版社に持ち込みをすることもあったが、実際に執筆されることはなかった。


それはそれとして、ドストエフスキーは当時借金に苦しんでいた
当時連載していた雑誌『世紀』が廃刊となり、ギャンブル中にとんでもない負けをし、悪徳高利貸しに騙され……とにかく不幸が重なり、金がない状況であった。
債権者から逃げるために国外逃亡をしたほどである。また当時知人に送った手紙には「ホテルを一歩も出られない。八方塞がりだ」だの「即金で300ルーブル送ってくれるところがあれば、どこでもいいから契約したい」だの悲惨極まりないことが書かれている。
そんな彼が目を付けたのが前述のとおり『罪と罰』を掲載することになる『ロシア報知』だった。


『ロシア報知』という雑誌は現代で言うジャンプのアンケートシステムに近いものを採用していた。
要するにつまらなければ即打ち切りを食らってしまうというシステムである。逆に言えば多少行き当たりばったりで話を書いていたとしても面白ければ生き延びられ金が入ってくる。
文学のスキルを持っており、今すぐにでもお金が欲しいドストエフスキーにとってはこれ以上なく便利なシステムであった。『罪と罰』でサブキャラのストーリーなど横道の話が多いのも、言ってしまえば迂回ルートということになる。まあそれが群像劇風となって面白さになっているのも事実だが。


また『罪と罰』自体の直接のヒントになったのは1865年の1月に新聞に掲載された老女連続殺人事件の裁判の記事であると言われている。
ロシア正教古儀式派の青年が金品強奪のために老婆2人を殺害した事件であり、何より本作は1865年の出来事を表記されている。確かに『罪と罰』との共通点は多い。
ちなみに古儀式派はロシア語で「ラスコーリニヒ」である。


これらのことを知ったドストエフスキーの行動は早かった。
知り合いのロシア報知の編集者に手紙を送り新作のアピールを続けた。それにより作品が載せられることが決定し、ドストエフスキーは借金返済のために作品執筆を開始したのだった。


こうして稀代の傑作『罪と罰』はちょっと締まらない経緯で誕生することとなった。
なお上述の言葉通りドストエフスキーは第1回の執筆をホテルの部屋の中で借金取りから隠れるようにしてやっていた。そして自分の作品が雑誌に載っているのをホテルの部屋で確認していた。
そしてまた別の金銭問題でやらかして異例の執筆方法で新作『賭博者』を創作するが、また別の話である。


このように金遣いの荒い人間でありとあるインタビューにおいて「自身に最も影響を与えた本は何ですか?」という質問に対し「そりゃ通帳だよ」と返したことがあるらしい。
一応フォローしておくとジョークとして言っているだけである。実際に強く影響を受けているのは父との不和でふさぎ込んでいた時に母からプレゼントされた聖書。

◆当時の評価


すごい身もふたもないことを言うとラノベみたいな娯楽小説として扱われていた節がある
まあ当時のロシア報知の扱いでちょっと察していた人もいるかもしれないが……。


実際本作は上述したように娯楽要素は強い。ポルフィーリーとの対決、ソーニャとの恋愛、次から次に起こる予想外の事件など見ている者を飽きさせない。
あとエロいヒロインとかかわいい妹とか萌え要素も完備されている。
そしてまあ、どんな要素が面白いかは時代を経てもそんなに変わらないものである。そういう意味では『罪と罰』は確実に娯楽作品だった。


じゃあ宗教・政治要素が多いのはどうしてなの? と思われるかもしれないが、これに関しては19世紀ロシアの時代性があった。

当時のロシアは後進国であり、ちょうど列強が国に来訪していた時代であった。
まあ日本で例えるなら黒船が来たようなものである。国民はひっくり返るような騒ぎとなった。
国が今後どうなるか分からない、そのため国民、特に若者たちはよく政治・宗教について話し合うことが多くなっていた。
その中でもそれらについて自分なりの解釈を交え、仲間同士で議論するというのは当時の若者たちにとってこれ以上ない娯楽であった


ようするにそんな娯楽を物語の中に落とし込んだのが『罪と罰』ということである。
実際本作の中で語られている政治・宗教についての解釈は評価が高く、特に宗教についての正確さ・ユニークさについては、なんと本物のロシア正教に認められているほどである。

前述の当時のドストエフスキーの貧困生活を考えるに「とりあえずオタクが好きなもの詰め込んどけば金になるだろ!」と彼が考えたことは正直否定できない。


◆打ち切り説?


このように『ロシア報知』はジャンプのシステムにちょっと似ているが、『罪と罰』自体も打ち切りだったのではないかという説がある。

根拠とされているのはエピローグについて。
短さもさることながら、内容は出来過ぎていると言われている。本編に比べるとエピローグはかなり話がとんとん拍子で進む。文体も要約的であり、特にラスコーリニコフが流刑地についてから救いを得るまでの流れは駆け足であるようにも見える。

このことから全8章構成であり、残り2章はそれぞれ裁判編、流刑地編であったのではないかと考察されている。
実際ドストエフスキーは『カラマーゾフの兄弟』において20ページにわたって間の文無しでひたすら弁護文を話し続ける弁護士が登場しており、これだけ描ける技量があれば裁判編も十分書けたはずであろうと考えられている。

そして終盤のスヴィドリガイロフのロリファックをほのめかす描写は最終回を伸ばすためのテコ入れであるとよく言われる。


◆同じ畑のイチゴ


『罪と罰』が考察されるとよく主題に上がるのがラスコーリニコフとスヴィドリガイロフの対称性。
スヴィドリガイロフは徹底した無神論者であり、それにより(やや無意識ながらも)超人思想を抱いており、過去に犯した罪に心を蝕まれているなど、「もうひとりのラスコーリニコフ」と言えるほどによく似たキャラクター性になっている。
本人たちも自覚しており、スヴィドリガイロフは初対面時に「私たちは同じ畑のイチゴだ」と言っていた。この言葉は古めの日本訳版では「ひとつの森の獣」というこれまた厨二な表現されている。
ラスコーリニコフが結局スヴィドリガイロフを嫌うのは自身の掲げる超人思想が結局色欲を満たすためということに直面したからである。
ちなみにスヴィドリガイロフが妻を殺害したのはラスコーリニコフがアリョーナを殺害したのと同日だったのではないかという考察がある。明言こそされていないが、一応その考え方でつじつまは合う。


そう考えると面白いのが、結局対照的な2人のうちラスコーリニコフは更生しスヴィドリガイロフは自殺したが、彼らに「救い」があったのか無かったのかが命運を分けたということである。
ソーニャはラスコーリニコフをどこまでも愛し続け救いを与えたが、ドゥーニャは銃を捨てスヴィドリガイロフをどこまでも拒絶する意思を示したことで救いを奪った。
そして救いを手にしたラスコーリニコフは生きることを選び、失ったスヴィドリガイロフは死を選んだ。
言ってしまえばこの差だけが2人の結末の差になったのである。本当に似ている2人であるが故に、最後のヒロインたちの行動が真逆の結末を生んだ。
そういう意味ではソーニャとドゥーニャも対照的なヒロインであると言えるだろう。「誰かのために捨て石になろうとする」など根っこの部分では結構似ている。


逆に言えば(まあまずあり得ないが)ラスコーリニコフが救いを得られず、逆にスヴィドリガイロフが救いを得ていれば、ふたりの結末は真逆になった可能性もあると言える。


アメリカの有名なノンフィクション作家ことトルーマン・カポーティも自身の代表作『冷血』において「同じ家で生まれた。一方は裏口から、もう一方は表玄関から出た」という「同じ畑のイチゴ」によく似たことを言っている。


◆ミステリーへの影響


『罪と罰』は殺人犯であるラスコーリニコフの視点で話が進み、事件を捜査するポルフォーリー予審判事との対決が大きな山場となっている事から「世界初の倒叙物ミステリー」と評される事もある。
実際、ポルフィーリーの独特のスタイルは後の倒叙物における探偵役像に多大な影響を与えており、
ドラマ『刑事コロンボ』の脚本家リチャード・レヴィンソンは影響を受けた小説の一つとして『罪と罰』を挙げている。

また、余談だが、世界初の長編推理小説とされている『ルルージュ事件』が発表されたのは本作と同じ1866年である。
つまり本作がミステリーの一種であるなら、本作は倒叙物としてだけでなく、長編ミステリー小説としても世界最古の部類に入る事になる。


◆ラスコーリニコフと夜神月


なんでいきなり!?と思われたかもしれないが、日本の物語のキャラクターで最もラスコーリニコフに似ている……というかオマージュしていると言われているのは彼である。


薄々感じている人もいるかもしれないが、月は超人思想の持ち主である。
月は「ルールは選ばれたものが作るべきである」や「なぜ害のある人間を殺すのが罪になるのか」など超人思想を意識したような言葉が多い。
またキラ活動の動機のひとつである「結局罪の意識に耐えられなくなった」はまんまラスコーリニコフのもの。これは月ではないがニアに人殺しであることを突き付けられ自殺したCキラはそれこそ「罪の意識に耐えられなくなった」存在であると言えるだろう。
あと微妙に煽り耐性がない。


さらに概要で少し触れたように『罪と罰』には『超人思想→法に反することができる存在である→法を決定しているのは最終的には神様である→超人思想を成す者は神に反し、越えた者である』という理論が根底にある。
そういう意味ではLの「もしキラがあの中にいるのならキラの精神は既に神の域に達している」という言葉は割と的を射ている。
ジャンルの違いはあれど、月は「しらみ」を殺すことについてラスコーリニコフと違い外面上は殆ど動揺はなかったと言える。


そして『罪と罰』の登場人物を無理やり『DEATH NOTE』に当てはめると……
ラスコーリニコフ→月
ポルフィーリー→そのままL
ソーニャ→月と同じ野望を持っているが、飽くまでも正攻法で新世界を作ろうとする(そしてその矛盾した考えから興味を持たれる)
スヴィドリガイロフ→デスノートを持っているが、自身の性欲を満たすためだけに使っているので月に嫌悪される


こんな感じか。無理矢理にではあるが。
そもそも『罪と罰』と『DEATH NOTE』は片や心理小説、片やサスペンス漫画と全く毛色が違うので比べ切れないが。

ちなみに月にはリュークという曲がりなりにも本物の死神がいるため、仮にソーニャと出会っていてもそこまで心を動かされなかったであろうという悲しい考察がある。


そして夜神月もある意味超人思想の持ち主であるが、彼とラスコーリニコフではひとつだけ大きな違いがある。
それは別にラスコーリニコフは正義を成したいとかそういうことはほとんど考えていない、ということである。
ストーリーを見れば分かるように、ラスコーリニコフにとって大切なのは「自分が超人思想を成すことができる人間だと証明すること」だけである。老婆殺し、もっと言えば「世間的には犯罪であるが、個人にとって正義である」ようなことを行ったのも単純にそれが超人思想を証明する手っ取り早い方法だったに過ぎない。


なお、正体を隠すダークヒーローかつ完璧超人なのに計算外の事態にはヘタレで身内には甘いという点からルルーシュに似ているとも言われている。


◆創作ノートの存在


ドストエフスキーは本作を執筆するにあたって、創作ノートを残していた。
プロットというほどのものではないが、筋を考えるための簡単なメモとして残していたらしい。
彼がどのようにして着想を固めていったのか、という考察材料になるため多くの研究者に重宝されている。

この内容を見るに最初は三人称ではなく、ラスコーリニコフの一人称小説であったり、第3の殺人が起こっていたり、結構相違点があったらしい。
またノートの時点ではポルフィーリーは存在しなかった。


その中でも特筆すべきはクライマックスの展開である。
ノートの時点では結末でラスコーリニコフがどうなるか考えられていなかった
逃亡、自殺、懺悔の3種類のプランがあり、ノートには「ラスコーリニコフは自殺する」と書かれていた。「同じ畑のイチゴ」ことスヴィドリガイロフの結末を最初は選んでいたわけである。

しかしノートの結末は成し遂げられなかった。ドストエフスキー自身、ラスコーリニコフが懺悔するような人間ではないと知っていたからである。
ようするにこのラスコーリニコフという男、生みの親にすら「こいつクズだし反省しないだろうから、自殺なんてもってのほかだろうな……」と思われたわけである。


結局本稿ではラスコーリニコフが懺悔するきっかけをつくるだけ、という結論になる。
彼が自首したのは単にソーニャの信念に負けたと感じただけで罪の意識は全くなく、ソーニャの愛に救われ、懺悔するかもしれないというところで物語が終わる。……というのが『罪と罰』だ。


◆日本への影響


なんとなく予想がついている人も多いだろうが、日本ではヘタな純文学よりも、アニメや漫画などのエンタメ作品のほうがよっぽど影響を受けている。
日本の燃え・萌え要素の大半は『罪と罰』などのドストエフスキー作品にあると言える程である。

例えば前述のラスコーリニコフとスヴィドリガイロフの「根幹は似た存在でありながらも周囲の環境によって真逆の人間性になる」という関係性は宝生永夢檀黎斗カイジ一条の関係性によく似ている。
所謂「もうひとりの主人公」や「鏡のように瓜二つな存在」とか言われているものである。
最近の作品であれば主人公ヒロインに「生きることを許される」という救いを与えられ、もうひとりの主人公愛する人に「死ぬことを許されない」と救いを奪われた、というまさに『罪と罰』にアレンジを加えたような例がある。
この世に生まれたことが消えない罪で、生きることが背負いし罰な奴もいるが


それ以外にも
  • 根底は違うが目的は同じであったラスコーリニコフとソーニャのカップリング
  • 親友と妹というサブキャラの意外なカップリング
  • 美人で天才だが繊細でどこか破滅的なラスコーリニコフの強いキャラクター性
  • ソーニャとカテリーナに代表される明確なキャラの対比
  • ラスコーリニコフVSポルフィーリーの対等な天才同士の腹を探る頭脳戦
  • ラスコーリニコフとラズミーヒンの凸凹な親友関係
  • というかラズミーヒン×ラスコーリニコフは腐ったお姉さま方に世界的な人気
  • 気品高いが家庭の事情でエロ同人みたいなことを強いられるソーニャ
  • 硬い言葉で濁しているが要するにロリコンのスヴィドリガイロフ


などなど現代でも通用するような萌え要素・燃え要素は多く、まさに現代のオタク業界のバイブルであるだろう。


そもそも日本のオタク業界の原点と言える手塚治虫はドストエフスキーとディズニーの影響を強く受けている作家であるため、これはある意味当然のことであると言えるだろう。

なお、こち亀のある回でロシア文学を猛勉強した両さんから「ギャンブルに大負けして借金を重ねるドストエフスキーに涙を禁じ得ない」と親近感を覚えられていた。


【映像作品】


◇映画


◆ラスコーリニコフ(1923年、ドイツ)

◆罪と罰(1935年、アメリカ)

◆罪と罰(1935年、フランス)

◆罪と罰(1956年、フランス)

◆罪と罰(1958年、アメリカ)

◆罪と罰(1970、ソビエト)

◆罪と罰(1983年、フィンランド)

◆罪と罰(2003年、イギリス)

ドストエフスキー作品の中でも特に映像化が多い。

◇テレビドラマ



◆罪と罰(2007年、ロシア)


【オマージュ・パロディ】


知名度の高い作品であることや、厨二かっこいいタイトルのおかげでオマージュ・パロディ作品の数はかなり多い。


◆罪と罰
著者・手塚治虫
大のドストエフスキー好きである手塚治虫によるコミカライズ。
子供向けでありかつページ数の関係でややダイジェスト気味ではあるが、それでも分かりやすく話の筋をきちんととらえて描いている。
いきなり小説は……という人にオススメ。

◆罪と罰
著者・漫F画太郎
みんな大好き漫☆画太郎による罪と罰のパロディ作品。表紙詐欺で知られている。
超人思想を持つラスコーリニコフ(っぽい不潔そうな男)が金貸しのアリョーナ(っぽい汚いババア)を殺して金を奪い取ろうとする。しかし実は彼が計画を立てたこと自体がアリョーナの計画のうちであり、罠にかけられたラスコーリニコフは四肢切断され、ババアに逆レイプされそうになる……というを見たソーニャ(っぽい娼婦)はそれが正夢であることに気が付き、事態を解決するべく奔走することになる。要するにいつもの漫☆画太郎。

◆罪と罰 A Falsified Romance
著者・落合尚之
現代日本を舞台に再構築された『罪と罰』。ドラマ化もされた。
大筋以外はかなりアレンジされており、別物になっている。

◆破戒
著者・島崎藤村
部落社会について取り扱った日本の文学作品。
大幅にアレンジされているが、登場人物をはじめとする一部部分が『罪と罰』にかなり影響を受けていると言われている。






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最終更新:2024年04月09日 13:57

*1 名作であるのだが、重要人物の来歴とプロフィールを数十ページに渡ってだらだらと開陳する読者バイバイな序盤を皮切りに、重要な事件が画面外で起こる複雑な構成、何より宗教知識がある程度ないとおいてけぼりされる内容から正直上級者向け

*2 現代でこそわかりにくいが19世紀におけるナポレオンの影響は非常に大きかった。ラスコーリニコフも劇中で「1人殺せば殺人者、100万を殺せば英雄というのは矛盾している」とチャップリンじみたことを言っている。世界の十大小説のひとつである『赤と黒』なども顕著

*3 ちなみにこの論文は評価が高かったらしくとある雑誌に掲載されている

*4 当時の1ルーブルは大体1000円くらいの価値

*5 気に入らない相手がいればとりあえず何か議論をし、論破しようとするのがロシア流である。これは同作者の『悪霊』や『カラマーゾフの兄弟』でも受け継がれている

*6 ちなみにラズミーヒンはまだ体調の悪いラスコーリニコフがいなくなったことで血相を変えて町中を探していた

*7 自殺だったのではないかという考察がある

*8 そのためラズミーヒンはこの夜2人の泊まるホテルと下宿を往復し続ける羽目になった。またその夜彼主催のパーティーがあったがキャンセルした

*9 ちなみにラズミーヒンは親友の論文が雑誌に載ったことを知り「ブラボー! ラスコーリニコフ!」と大いに喜んでいた