海原雄山

登録日:2024/02/05 (Mon) 01:10:31
更新日:2024/04/05 Fri 16:23:26
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この海原雄山、天が下に恐れるもの一切無し!
ただ自らの芸術の完璧ならんことを追及するのみ!


海原雄山(かいばらゆうざん)とは、漫画『美味しんぼ』の登場人物。
CV:大塚周夫
演:原田芳雄、江守徹、松平健(テレビドラマ版)、三國連太郎(実写映画版)



【概要】


『美味しんぼ』の主人公・山岡士郎のライバルにして、本作を代表するキャラクター。
おそらく、日本の料理漫画では味皇と双璧をなす巨星の一角であろう。
いかにも厳格そうな顔付きをした初老の男性で、やや右側の前髪と耳の上から後頭部にかけて白髪が入っている。
名前は雅号かと思いきや、学生時代から雄山と名乗っているためどうやら本名らしい。
服装は濃い紫色の着物で通し、登場初期は杖をついていたが途中から普通に歩行するようになった。

士郎の実の父親でもあり、二人の確執がもたらす「究極対至高」の親子対決は本作の見所と言っても過言ではない。
一方で、時に敵視する士郎をも認める度量を持ち、一部ファンにはそうしたギャップから概念が誕生する以前から存在していた所謂ツンデレの先駆けとしても扱われ、「至高のメニュー」に準えて至高のツンデレとも呼ばれている。
モデルは芸術家の北大路魯山人。初期のエピソードや美食倶楽部の名称は彼にあやかっている。

【人物】


東京都の一等地に構えた会員制料亭「美食倶楽部」を取り仕切る主宰者。
食通の間で名の知れた美食家であり、美食倶楽部の会員や板前、使用人といった多くの人物から多大な尊敬を集め、主に「先生」と呼ばれている。
同時に陶芸、絵画、書道等の芸術を極めた類い稀な才能を持つ文化人で、人間国宝である唐山陶人に鍛えられ、拵えた陶器は徳利ですら最低100万は降らない高級品。
雄山を嫌悪する士郎も認めざるを得ず、性格に反した出来の良さを「芸術の魔性」とも語っている。
在日華僑の大物・周大人や、京都府きっての億万長者である京極万太郎といった財界の知り合いも多く、様々な祝いの場に美食家として声が掛かるが、会食で雄山を唸らせる事は難しく信頼を置いた相手の招待以外は極力受けたがらない。
移動にはもっぱら高級車のロールスロイスを愛用し、美食倶楽部主任の中川や秘書を連れて行動。

性格は傍若無人で頑固。誰に対しても高圧的な態度を崩そうとせず、貧しい駆け出しの二流芸術家だった頃から「人に頭を下げることができない」と自分で認めているほどである。
気分が高揚すると「ふはははははは」と高笑いを決め込むのが癖。

自身が気に入った相手には礼の限りを尽くすが、そうでない相手は歯牙にも掛けない。
特に士郎との仲は最悪で、勤務する東西新聞諸共「味も分からぬ山猿」「愚連隊」「与太者」「野良犬」「路傍の石にへばりついた虫けら」など、ありとあらゆる罵詈雑言を放ってきた。
連載初期から何度となく衝突し続けていたが、やがて東西新聞の「究極のメニュー」に対抗した帝都新聞の「至高のメニュー」にアドバイザーとして参加し、士郎&東西新聞と全面対決を繰り広げる事になる。

【美食家として】


日本を代表する当代随一の美食家。
様々な雑誌に連載コラムを持ち、テレビ出演の機会も多く、一般にも知名度は高い。
もちろんその肩書は伊達ではなく、鋭敏な味覚・嗅覚といった天性の感覚を持ち、美食の真髄を極めんと日々研鑽を重ね精進している。
「職人にカセットテープで天ぷらを揚げる音を聴かせて腕前を予測」「良い牛肉の判定に数頭の牛から選択しろと指示しながら自分はその中から選ばない」等、良く言えば常識に捉われない。

皮を剥がされて丸揚げにされた野鳥を見ただけで、それが狩猟を禁止されたツグミと見分けるほどの知識もある。鳥類学者でも無理だぞ*1

基本的に料理は信頼を置く美食倶楽部の板前に任せているが、気に入らない料理には椀を投げ飛ばし自分が納得するまで作り直しを強要する等、病的なまでに厳格。
この対象は美食倶楽部の板前のみならず一般の料理屋にも及び、気に入らなければ「女将を呼べ!」等と怒鳴りつけ、自身が納得するまで料理を投げ捨て周囲を心底恐怖させる。
「美食倶楽部の板前は雄山の足音で機嫌を察する」というほど、怒鳴り込みは日常風景と化している。
一方で、何度作り直そうとチャンスを与え最終的に自身を満足させると素直に賞賛して板前と会いたがるほど高揚し、士郎が言うほど「嫌がらせのための作り直し」を強要しているわけではない模様。
格式や伝統に捉われず、セオリーを無視した料理や献立でも味や調理法が目を見張るものなら自分への挑戦と受け取り、予想を超えるような料理人には最大限の賞賛を送っている。
そんな熱い信念と優れた見識、そして才能から、取り巻きの食通や美食倶楽部の面々を始めとして雄山を慕い尊敬する者は後を絶たない。

食文化に対する嗜好は士郎同様作者の思想を強く受けており、数十年もの長期連載のため主張が変化しやすい。
普段から日本料理を好み、贅沢の限りを尽くした美食に慣れ親しんでいるが、根本的に高級志向と言うほどではなく、海原家では美食倶楽部の板前が作る日はあっても大半は妻のとし子が作る家庭料理を食べていた。
庶民的な料理を研究すべく餃子のチェーン店に入ったり、ラーメンを啜った時には見事な食べっぷりと周囲を感心させた。
雄山の下で缶焚きを務めた本村の「家で米粒を一粒ずつ吟味し調理した白米」といった、素朴な食事を磨き上げる手間を絶賛し、味噌汁を「簡単」と称した士郎と対決させもてなしの心を学ばせるといった一面も持ち合わせている。

【トラブルメーカー】


とは言え、に妥協を許さないあまり、行く先々でトラブルを起こす事が少なくない。
特に初期は「食と芸術のためならパワハラ・モラハラ・DV等は当たり前」という有様で、渋滞に捕まるや「必要もない連中が車に乗るからだ!馬鹿どもに車を与えるな!」と一般市民を侮辱し、時には特定の民族を貶める発言すら吐くなど、現在はもちろん当時ですら炎上しかねない危険な言動も少なくなかった。

例として単行本3巻収録の「料理のルール」では、フレンチレストランの招待を受けたにもかかわらず和食の調理法を高説してフランス料理をこき下ろし、鴨の血のソースを否定し、自らが持ち込んだわさび醤油を披露して悦に浸る*2という姿を見せ、アニメ版の次回予告ではゆう子にすら批判された。
そして食文化の違いを尊重せず懐石料理を持ち上げる雄山に怒りを覚えた士郎に想定外の方法で刺身の新しい味を提示された上で論破され、「カツオは生姜醤油で食べる、それが決まりなんだ!!」と逆ギレし、観客を罵倒した上で逃げるように立ち去るという醜態を見せている。
(ただ、ゆう子や谷村部長の見立てではフランス料理も認める気になったようで、士郎との勝負後に改めてレストランに赴き、シェフと和解しフランス料理を激賞したと報じられた)

しかし、こうした非道な面は連載が進むに連れて薄れていき、徐々に大物然とした風格を見せるようになる。
「究極対至高」の始動後は最大のライバルかつ超えるべき壁として、士郎の成長に一役買う事も多くなった。
丸くなってからも怒りを露わにする場面もそれなりにあるが、「相手が芸術や食文化を貶めた」など相応の理由がある場合が殆どで、初期のような極端な理不尽さは見せなくなっている。
東日本大震災後の東北取材の際は、失われてしまった人々の生活を思い人前で涙を流す一面も見せ、士郎を驚かせた。

初期の傍若無人な言動は、「ほぼあらゆる存在に噛み付いていた」と言われる魯山人の言動に極めて近い。
作中でもたびたび魯山人への敬意を表明するほか、後述の通り彼にとって魯山人は師の師に当たるため、必要以上にリスペクトとエミュレートをしていたのかもしれない。女癖の悪さはさすがに真似していないようである。
師匠である陶人に対しては敬意と尊敬を持ちながらも性格を熟知し、ベタ褒めしまくって貴重な皿を借り受ける等、ちゃっかりした一面も持っている。

【家族関係】


幾度となく争う山岡士郎は雄山の実子であり一人息子。
巨人の星』の星一徹、『グラップラー刃牙』の範馬勇次郎と同じく、親父でありながら主人公と敵対しそのライバルを務めた。

幼い頃から美食倶楽部の跡取りとすべく厳しく接し、士郎が不注意で雄山の皿を割った際には「お前にはこの皿一枚の価値も無い。死ね、お前なんか死んでしまえ!」とまで言い放ったほどだった。
士郎が成長して家を飛び出す際に雄山の作った芸術作品を片っ端から壊していったのはこの意趣返しか

士郎は雄山の素質を受け継ぎ食の英才教育を受けながらも、母親への扱いに端を発する性格の不一致が積み重なり、大学生の頃には実家を出て陶人の家に下宿するようになる。
そして体の弱かった母親──つまり雄山の妻・とし子の死去を機に親子仲は修復不可能なほど決裂し、陶芸家として雄山が手掛け実家に保存していた陶器をことごとく破壊し絶縁。
士郎は雄山との繋がりを徹底的に嫌い、母親の旧姓である「山岡」を名乗るようになった*3
単行本1巻「油の音」/アニメ版2話「士郎対父・雄山」で再会するまで一切の関係を絶っていたが、双方と面識のあった京極を通じて士郎が東西新聞で働いている事を知り、直々に乗り込んで挑発。以後、幾度となく骨肉の争いを展開するようになる。

お互いの思想を否定し合う仲ではあるが、士郎は雄山から「食に対し病的にこだわらずにいられない」という性質を受け継いでしまった事を強く自覚しており、時折自己嫌悪に陥る。
また、叩き込まれた知識や学んだ技術も未だ衰えておらず、借家には料理人顔負けの調理道具が揃っている。
一方、雄山は全編を通して士郎の成長を望んでいる節があり、一度縁を切った手前素直に褒めようとせず、自分1人の時に陰ながら成長を喜ぶ。
士郎が作ったと知らずに料亭の料理を褒めちぎった際は指摘された途端に掌を返して罵倒し始めたほどだった。

長期連載により雄山の性格が変化すると、尊大に振る舞いながらも状況を打開するヒントを与えたり、利害の一致により共闘する場面も増加し、正面対決で凹ませて勝つよりも勝ちを譲るような負け方や引き分けにシフト。
幾多の料理勝負を通じて歩み寄りの姿勢を見せるようになり、士郎は無意識の内に「親父」と呼んだり、雄山は面と向かって士郎の実力を認める事も増えていく。

士郎とゆう子の結婚後には初孫にも恵まれ、流石の雄山も純粋に好意を寄せる孫には顔をよじ登られ叩かれようと怒鳴ったりせず、それどころかまだ見ぬ初孫のため、自ら焼いた食器を孫が産まれる3ヶ月も前から用意するほどのジジ馬鹿ぶりを見せた。

誰の目にも明らかなほど親子関係が修復された後も互いに素直になれずにいたが、やがて雄山が折れる形で歩み寄り和解。
連載開始から数十年を掛けた親子喧嘩の決着という事もあり、一大ニュースとして各種メディアに取り上げられるほど話題となった。

妻・とし子との関係は、士郎は「さんざん虐め抜いた末に死に追いやった」と考えていたが、実際は険悪なものではなくお互いに支え合っていた夫婦だった──という形で落ち着いた。
海原雄山という男の理解者として奉仕する事自体が幸せという人物で、病弱の身でありながら士郎を産んだのは「後世に血筋を残したい」という思いから来るものであり、雄山は体を気遣って子供を残す事は重視していなかった。
「病弱だったとし子が長く生存したのは雄山の成功を支えにしたから」という医者の証言もあり、生き甲斐だった事が窺える。

とは言え、妻の手料理でも容赦なく投げ捨て、気に入るまで作り直しを要求し、病に臥せている時でさえ横暴に振る舞い体を気遣う素振りすら表立って見せなかったため、幼少期から毎日のようにそれを見せられた士郎から恨まれるのも致し方ない。
回想でとし子が登場する「ほうじ茶の心」では、士郎が取材先の気分屋な小説家の旦那に同じような心持ちで奉仕する妻の気苦労に同情するも、逆に奉仕の精神を説かれ、理解できず、母親が雄山が好むほうじ茶を心を込めて淹れていた記憶を思い出していた。

とし子はともかく雄山は本心を伝える努力すら怠り厳しく突き放したため、士郎の雄山に対する怒りと憎悪は作中で幾度となく描写されている。
しかし、雄山も士郎に対して愛情を持っていなかったわけではなく、「食に関してはなんでも教えてくれた(しかし同じ質問を3回すると殴られた)」という証言や、幼い頃は牛肉などが食べられなかった士郎のために食べられるように工夫した料理を出していたなど、並々ならぬ期待を掛けていた事が窺え、作中でも厳しい口調に反して親心を覗かせる場面は多い。
士郎が意識不明の重体で入院すると悪態を吐きながらもあれこれ理由をつけながら病院まで出向き、雄山が危篤に陥った際には士郎の「親父」という一言で復活、美食倶楽部の危機には板場に立つ場面もあり、表には出さないものの親子の縁や情が確かに存在する事が描かれている。

【美食倶楽部】


海原雄山の知識と経験を用いた料理の数々を味わえる会員制倶楽部。
高級料亭顔負けの美食の数々は折り紙付きで、親交の深い京極は「豪壮、奔放、鮮烈、自由闊達。決まりや約束事に捉われんのや」と大絶賛を送り、訪れる客は後を絶たない。
料理には雄山の陶器が提供され、見た目の美しさも非常に評価が高い。
入会には厳しい審査を通過してなお通常5~6年もの順番待ちが発生する格式高い場所であり、角丸副総理のような政界の大物も籍を置いている。ただ、会員が友人を連れてきて相伴する事は可能。
尤も雄山は「美味いものを食べながら政治の話をするなんて一番不純でしょう」と、政治を持ち込む事は良しとしない。政治家もあくまでも一個人として会員となれるだけなのである。
かつては東西新聞の大原社主も会員だったが、士郎が作った料理を雄山が知らずに絶賛した事を指摘し八つ当たりに近い形で脱会させられた。

料理については言わばプロデューサー役で、具体的な調理は基本的には中川や良三をはじめとする門下の料理人に任せている。
門下の料理人達も雄山のお眼鏡に適うほどの選抜を受けた者だが、それでもその実力不足を雄山が嘆く事は多く、実際士郎と比べてしまうと一段劣ってしまう料理人が多い。
中にはハンバーガーでパンを軽視するというちょっと素人すぎる失態をやらかした奴もいたが

しかし雄山の美食倶楽部の運営に関する意識はまさに真剣勝負そのもの。
人手不足に陥った際には自ら調理場に立っただけでなく、交通事故で重傷を負い命すら危ぶまれる状態でなお「自分でなければ食材を扱えない」として調理場に立とうとしたほど。

食には妥協を許さず傍若無人な雄山だが、美食倶楽部の板前や仲居に対しても彼なりに気にかけ、決して冷酷無比な訳ではない。
板前の宇田が自身の反対を押し切ってハンバーガー屋を開店した際には、門外漢のジャンクフードを食べに行き、ハンバーガーを貶しながらも売り物として成立しない事を指摘。
後日改善したハンバーガーを中川の頼みで食し、「手が汚れてしまった。二度とこんな物私の食卓に出すな!」と怒鳴りつつ完食。付け合わせに丁度いいと宇田が在籍時に保存したピクルスを「責任を取らせる」という名目で門出祝いに自ら赴いて送りつけた。
仲居の鈴子が職場恋愛のもつれで自殺未遂を起こした際には、全国から食材を集めて自ら指揮を執り、快復を願う料理を用意する気遣いを見せている。中川の証言では自殺未遂と衰弱に随分責任を感じていた模様。しかし結果的にはここで士郎に一本取られてしまった
美食倶楽部の板場にゴキブリが発生した疑惑が浮上した際には調理場の全員を叱りつけ、一旦は掃除当番の宮井を突き放しながらも原因の昆布を自ら調査して仕入れ先へ出向き、自身の勘違いに気付くと「お前がおらんで誰が私に茶を淹れる」と復帰を促す言葉を掛けている*4

【関係人物】


  • 山岡士郎
上述の通り、唯一の子であり食の真髄を教え込んだ弟子。
東西新聞と帝都新聞の「究極対至高」を中心とした料理勝負を通じてその実力を認め合い、最終的に和解した。
私生活では相棒格の栗田ゆう子と結婚し、雄山の孫にあたる遊美、陽士、遊璃にも恵まれる。

  • 栗田(山岡)ゆう子
士郎の同僚で本作のヒロイン。
士郎と共に究極のメニューの担当者として雄山とは幾度となく対決。
傲慢だった雄山のキャラ変に伴い理解者寄りとなり、意固地な山岡を諌める立場を取った。
雄山もゆう子の所作や食へのスタンスを認め、時と場合によっては彼女の言う事を聞き入れている。
陶人・中川夫妻と同様に雄山と士郎の和解を願っていた一人で、その場に立ち会った際には陰ながら涙し心から喜んだ。

  • 唐山陶人
雄山の陶芸における師匠。
優れた陶芸の技術は人間国宝に認定され、焼き物の価値は雄山の手掛けた作品すら上回る。
私生活では年齢差のある妻と結婚したプレイボーイだが夫婦仲は大変良好。
「究極対至高」では京極と共に審査員を務める。
雄山が心から敬意を払い接する数少ない人物で、親戚関係に謎が多い士郎にとっては気の良い祖父代わりでもあり、両者の対立に特に気を揉んでいた。
作中では北大路魯山人の弟子という設定で、雄山は魯山人の孫弟子にあたるが、彼自身が魯山人を語る事はほとんど無かったりする。

  • 中川得夫
美食倶楽部の調理場を取り仕切る主任。
傍若無人な雄山に付き従う苦労人で、冷や汗をかきながら申し訳なさそうに後ろから付いて歩いている。
雄山と士郎の和解を願い、会う度に海原邸への帰還を求めている。

  • 中川チヨ
中川得夫の妻で、美食倶楽部の仲居を務める。
流産経験があるなど、あまり体が丈夫ではない方だが、振る舞いは豪快で夫はおろか士郎も全く頭が上がらない存在。
雄山の個展を仕切るなど*5、雄山からも強く信頼されている。
体の弱かったとし子に代わって士郎の面倒を見ており、その関係は士郎が出奔した後も続いた。

  • 岡星良三
山岡が信頼する料理人・岡星精一の弟であり、美食倶楽部の将来有望な板前。作中では椀方*6になっている。
雄山の名言として特に知られる「このあらいを作ったのは誰だあっ!!」の原因になったあらいを作った張本人であり、これは良三が調理前に緊張をほぐすため吸ったタバコの匂いをあらいから感じ取り激怒したのが理由。
「腕の良し悪し以前の問題だ、貴様には料理をする資格がない」となじられるも、士郎の助けでピンチを乗り切り、雄山にも見直され、至高のメニューを請け負うほどに大きく成長する。
採用試験の際に50倍と言われる倍率を勝ち抜き、6度も吸い物の作り直しを受けた料理人が登場した一方、あらいの件まで文句も出なかった点からして、元々優れた才能がある料理人だった事は確か。
それだけでなく、手習いとして始めた陶芸の才能を雄山から認められ、手本として雄山の師匠の陶人が焼いた陶器を渡される*7
そして作り上げた陶器が「もう少しで店に出せる(雄山作の陶器に並べても見劣らないレベルに近い)」と評価され、陶人が思わず雄山に嫉妬する*8と非常に高く評価されている。

  • 海原とし子
雄山の妻。旧姓は「山岡」。作中では既に故人だが、士郎が大学に行くあたりまで生きていたらしい。
心臓の病気を患っていたが、文化人として生きる雄山を支える事に喜びを見い出し、病弱な体を押して一人息子の士郎を出産。
美食倶楽部の面々や雄山への食事作りを生き甲斐としたが、徐々に病気の悪化により床に臥せる事も増え、死去。それをきっかけに元々悪かった雄山と士郎の親子仲が絶望的に悪化し、長きに渡る確執が始まってしまった。
士郎目線ではDVにしか見えなかった度重なる料理の作り直しは夫婦のコミュニケーションとして扱われ、最終的には士郎の誤解という形で納めた。
実際、雄山の作り直し要求は美食倶楽部の料理人達が悲鳴を上げるもので、雄山の作り直し要求に応え続けた彼女の腕は相当なものだったと思われる。
命日には雄山1人で墓参りに出向き、それほどかけがえのない存在であった事が示されている。

【余談】


  • その強烈極まるキャラクター性から『美味しんぼ』のパロディでは高確率で登場し、士郎とセットでネタの対象になる事も少なくない。
    • ただ、ネタになるのは初期の「傲慢なクレーマー」としての面が多く、中期以降の「厳格ながらも筋の通った人格者」という面はあまりネタにならない。
    • 地獄先生ぬ~べ~』のぬ~べ~と無限界時空、『ぷりぷり県』のつとむと幼次郎など、親子対決の王道として本作から影響を受けたような作品も散見される。

  • 声優の海原エレナは「海原」という芸名を雄山から取ったそうだ。
    • ただし苗字を拝借しただけで特に関わりがあるわけではない。

  • 当時人気のあったクイズ番組『マジカル頭脳パワー!!』とのコラボで「アニメの流用に新規作画を加えて『美味しんぼ』のキャラ達がクイズを出題する」というものがあった。
    • 出題内容は「究極の買い物対至高の買い物」として、双方がそれぞれの買い物について発表する場から始まる。
    • 雄山「店員は商売のために客に頭を下げる。近頃は客の方も店員にぺこぺこと頭を下げ返す者もいるようになった。私はそんなことはせん。こちらは客なのだから頭など下げず堂々と買って帰れればいいのだ」
      • 思いっきりふんぞり返って店員から品物を受け取る海原雄山のイメージ画と共に。堂々とした買い物ぶりに審査員も感心。誰かつっこめよ
    • 士郎「例外もあるぞ!どんな人物だろうが頭を下げなければ買えないものがある。」果たしてそんなものがあるのだろうか?
+ 「なんだと!そんなものがあるというのなら見せてみろ!」
自動販売機、特に缶飲料を売る販売機は構造上筐体の最下部に商品を排出するため、体を屈めて頭を下げないと商品を取れない。
現在はバリアフリー対応などで排出位置が異なる自販機もあるが、当時は出回ったばかりだった。

自販機でジュースを買い、それを取るために頭を下げるところを見られ、つい 赤面してしまう 新規カットを描かれてしまい、一本取られた雄山は無言で立ち去るのだった。
自販機でジュース買うだけで笑いが取れる男


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最終更新:2024年04月05日 16:23

*1 日本のツグミが猟法に関わらず捕獲を禁止されたのは1960年代なので当時の雄山の年齢ならば合法的に食べた経験があってもおかしくない。もちろん海外の同種の鳥を輸入して食べる事も可能。

*2 モデルである魯山人氏が渡仏した際にトゥール・ダルジャンを訪れ、無理を言って鴨を丸ごと出してもらい持ち込んだわさび醤油で食べたというエピソードがある。当時は日本人が海外に行くことは珍しく、見慣れぬ食材で鴨を食べる姿に従業員一同が集まったという。

*3 通称名ではなく、戸籍から山岡姓のようなのだが、親と絶縁したからと言って名字は変えられないのでどうして山岡姓なのかは不明。母の実家に養子に入るなどの手もなくはないが……。

*4 アニメのみ。原作では雄山の勘違いを明らかにした後しれっと復帰していた。

*5 ただし、体調を崩してしまい結果的にゆう子が代役となった。

*6 椀ものを扱う。椀ものは和食において料理人の腕が最も試される分野である。

*7 料理について長く雄山の弟子であり、雄山作を渡すと雄山の模倣しかできなくなる事が懸念されたため、陶人作が渡された。

*8 元々陶人は長期に及ぶ陶芸家人生の中で満足行く腕の弟子が雄山しかいない、と弟子不足を士郎にぼやく程の状態であった