メガドライブ

登録日:2019/06/18 Tue 23:49:17
更新日:2024/03/13 Wed 12:05:09
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『メガドライブ』は1988年10月29日にセガエンタープライゼス(現:セガゲームス)より発売された家庭用ゲーム機。
第4世代に属するゲームハードであり、その世代の中でも初めて16bitCPUを採用した据え置き型ゲーム機として知られている*1
その実績を誇るように、日本国内版ではハード前面にデカデカと16-BITと書いていたことでも有名。

国内では販売実績が358万台と、スーパーファミコンPCエンジンに次ぐ第3位のシェアに留まったが、北米(米国・カナダ)では『SEGA GENESIS』の名称*2で販売され、SNESをも抑えて、16bit機市場ではシェアの55%を達成してNo.1の売上を記録した。
北米市場では2,000万台を記録し、第5世代ハード全盛の90年代後半まで売れ続ける等、全世界で3,000万台以上を売上げて、セガハードでは最大のヒットとなった。


【概説】

セガがセガ・マークⅢ(北米ではマスターシステム)の後継機として投入した新機種である。
当初のコードネームはマークⅤで、1986年から開発計画がスタートしたとのこと。

ご存知の様にアーケードにも力を入れていたセガだが、市場に出しているセガ・マークⅢでは自社製品ですら不十分な移植しか達成出来ず、覇権ハードのファミリーコンピュータ(FC)も含めて発売から数年が経過し、第3世代ハードの性能の限界が見えていた所であった。

CPUには当初は実績があり安価で済む8ビットか、アーケードでは使用しているが家庭用では実績が非常に少なく、高価になることを予想される16ビットかの選択肢があり、最終的に16ビットでの開発が決定された。
セガは本体コストを抑える為に複数のメーカーを回る中でシグネティクスが68000CPUを利用したビジネスを模索しているとの情報を得る。
そこで1個400円で30万個の大量受注することを持ち掛け、受諾されたことから大量の高性能CPUを安価で手に入れられることとなった。

こうして、アーケードで使用しているSYSTEM16基板をベースに次世代機の設計が開始され、メインプロセッサに米国モトローラ製のMC68000*3、制御プロセッサにZ80Aが採用され、SYSTEM16基板のゲームをそのまま移植出来る程の性能を持ったゲームとして市場投入された。
こうした、CPUの役割を分ける設計は後継機にも引き継がれたセガの特徴とも言える。

メガアタプタを介してマークIII/SMSのゲームを起動出来る。これはサブCPUにZ80Aが積んであったからの機能であり、これを使っている間はZ80AがメインCPUに昇格する。GBAでGBのゲームを起動させる時と同じ状況。

前述のセガの努力もあり、希望小売価格は2,1000円と、初の16ビット採用の高性能機でありながら第4世代ハードの中でも、最も新品価格が抑えられた。

コントローラーは当時の常識であった四角いFC型とは違い、手にフィットすることを考えられたエルゴノミクスデザインを採用、ボタンも斜めに配置されている。
ある意味、PlayStation以降のグリップ型を先取った考え方であり、初期には左利き用に逆さに持ってのプレイも相当されてオプションで変更可能な対応ソフトまで発売されている。
しかし、初期型は斜めに入り易いという欠点があり、これを活かして『シャイニング フォース』で知られるクライマックスでは『ランドストーカー』を製作している。
十字キーの難点等は、後期型のファイティングパッドでは改善されており、ボタン配置も含めた機構は更に改善されてセガサターンのコントローラーにも引き継がれた。

音声チップにはヤマハ製YM2612が採用されており、テキサス・インスツルメンツ製SN76489相当の3ch+ノイズ1chの音を出せるDCSGから特徴的なメガドラサウンドが生み出された。


ソフトはカートリッジ式で、ソフト内でのバッテリーバックアップを採用。
当初は、CDロムを利用した拡張機器の構想は予定されていなかったが、将来のゲームデータの大容量化を想定して、必要な配線を拡張用スロットに引き出した設計にしていた。*4


【ソフトの傾向】

前述のアーケードゲームにも採用されていた実績のあるMC68000基板の能力もあり、プロセッサー性能では多くの部分でメガドライブを上回ったスーパーファミコンより優れていた。
この為、元のセガソフトの傾向でもあるがサードパーティーからもシューティングや横スクロールアクションのラインナップが多かった。
最大のヒット作である『ソニック・ザ・ヘッジホッグ』のスピード感はスーファミには出せないもので、実際に宣伝文句としても使われている。
単体でのソフト売上を誇っているのは『ソニック2』だが、初代は同梱版を含めると1,500万本も売れており、メガドライブ(ジェネシス)の普及に大いに貢献した。
ソニックはマリオから卒業したい、ちょっと大人びたい子供達のヒーローとなり、メガドライブは日米共に硬派なゲーマーを魅了して、多くのセガっ子(セガ信者)を生むことになった。

……一方、当時の第4世代ハードの時代はRPGが大きく発展した時期でもある。
特に全盛時とも言われるスクウェアや、本家ドラクエのエニックスを擁するスーファミが国内での売上を伸ばしており、その点が国内での売上で苦戦した理由と分析されている。

また、同じく高速演算機能を持つ一方で、ファミコンから引き継いだ技術でソフト開発が出来るPCエンジンにもソフトのラインナップで苦戦し、セガにサードパーティーの重要性を認識させたとも言われ、初期のソフト不足に悩まされた。

(実際のところは上述の理由の方が大きいと思われるが)初期の苦戦は初年度のクリスマス商戦によりにもよってセガ自身が『おそ松くん はちゃめちゃ劇場』というお粗末なクソゲーを輩出してしまったのも原因と言われることもある。



【メガCD】

メガドライブに接続することでメガCD用ゲームをプレイ可能となり、オーディオCD等の再生も出来る拡張機器。
当初は販売価格を抑えるために2MビットRAMで設計されていたが、メガCD発表と共に参入を決めたゲームアーツの強い希望により6MビットRAMに改められて製作され、結果的に本体コストが10000円も増加した。
販売価格は49,800円と、安価なメガドライブ本体に比べて高価格で、後述の理由もあって普及は進まなかった。

しかし、メガCD自体にも本体よりも高性能な68000CPUが搭載されており、動画の展開と表示を並列的に実行可能で1時間もの動画を再生可能と、当時としては破格の性能を誇っていた。
その性能は、当時のCDゲーム機としての価値を独占していたPCエンジンの最終形態であるスーパーCD-ROM2をも凌駕していた。

また、ライバルのスーパーファミコンが得意としていた拡大縮小、回転機能を可能*5とするDSPが搭載されており、8音同時送出可能のPCM音源を搭載する等、多くの機能の向上が計られている。
その反面、本体との互換性を維持するべく、肝心の発色数やスプライトの増強は見送られており、独立したハードではない拡張機器ならではの弱点も指摘される。

また、開発に進言したゲームアーツの様に積極的にセガCDでの開発に乗り出したサードパーティーは少なく、まだまだ開発に慣れている本体カートリッジの可能性を考えるメーカーの方が圧倒的で、ソフト展開にも恵まれなかった。
初のメガCDソフトでビクターと協同して開発が進められたRPG『惑星ウッドストック ファンキーホラーバンド』が糞ゲー認定されてしまう等、初動に失敗したことは否めない。
当時のCDロム利用ソフトというと、大容量を活かしたアニメ等を活かしたものが多く、アクションやシューティングに慣れきった硬派なセガっ子には合わなかったのかもしれない。
後には実写やポリゴンを活かしたゲームが発売されたが売上には苦戦した*6

当時はアーケードでも家庭用でもゲームの大容量化が進み、国内覇権ハードのスーパーファミコン等も、アーケードとは大きく差がありながらもカートリッジの大容量(20M以上等の)が宣伝される程であったが、メガドライブの参加メーカーにはカートリッジの容量増加すら必要ないと語る者もいたという。
尚、遊ぶ際にはアダプターが両方に2つ必要である。

そして、海外初でメガドラ本体にカートリッジより少し大きい程度のアダプタを差し込むだけでメガCD(とSMS)のソフトが遊べるようになるMegaSDが2019年8月初週から発売開始とのこと*7
勿論、非公式ながら海外での根強い人気を感じさせる。


【スーパー32X】

1994年12月3日に販売された、メガドライブ最後の拡張機器にして、北米市場ですらユーザーを混乱させ、晩節を汚したとまで言われ、欧米では「拡張機器を使ったゲームハード延命・再起」戦略において何かと引き合いに出される代物。
メガドライブ(GENESIS)の国外展開に於いて大きな実績を持っていたセガ・オブ・アメリカの主導で作られた機器である。
メガCDまでは第4世代ハードだが、スーパー32Xは拡張機器ながら第5世代ハードに分類されている。

開発のきっかけはセガ・エンタープライゼス社長の中山隼雄が、メガドライブから次世代機(SATURN)に移行する間に他のライバルハード(特に先陣を切った次世代機)にシェアを奪われない為の「繋ぎ」となるハードを米セガへ提唱したこととされる。
この時はサターンより安価で全く別の機種(JUPITER)とするつもりで、このJUPITERは開発も進められていたようなのだが、米セガ内部の反対で米セガ主導の下メガドライブの拡張機器に改められてProject MARSの名称で開発が進められた。

カートリッジ挿入部にこのブツを突っ込むことでメガドライブが32ビット機になるという夢の機械……だが、それぞれの理由で国内外の評価は芳しくなかった。

スーパー32Xを挿入したままで本体カートリッジとメガCDを遊ぶことも可能だが*8、初期型メガCDなら三台もの機器が重なったその結果SFアニメの生命維持装置めいた異様威容は侮蔑を込めてメガタワーメガドラタワーと呼ばれ、ネット世代のオタクに影響力のあるAVGNによって「二穴レ◯プ」という呼び名も使われるようになった。
後に、セガ自ら『セガガガ』でネタにしている他、声が鹿野優衣になった。
この最終形態はスーパー32XCDと呼ばれ、独自のハードとして、この形態のみの対応ソフトも発売されたが日本では発売すらされず、北米で5本、南米で2本と、全世界でも7本に留まった。
加えてこのスーパー32XCDを遊ぶ場合には本体と拡張機器両方でアダプターが3つ必要である。つまりテレビなどの映像出力機器とは別にコンセントを3つも占有する訳で、刺す場所に困ることに……

現在は先述のMegaSDをメガCDの代用とすることで1個アタプターは減るが、やはり2個必要になることは変わりなし…。

寂しい結果に終わったスーパー32Xだったが、推進された目的は、当然のことながら北米では覇権ハードに輝き、多くのメーカーやマイケル・ジャクソンの様な著名人にも愛されたメガドライブの延命の為であった。
しかし、日本市場では同世代でも三番手に過ぎないメガドライブに拘る理由は乏しく、なおかつ『Virtua Fighter』のヒットにも後押しされて、サターン販売計画が好調でいらない子。
おまけにカートリッジ式ではあるがサターンと同じく32ビットRISCのSH-2を2個搭載したスーパー32Xは「作った分だけサターンを作れない」という部品の食い合いまで起こしてしまう。
本命の北米では最初は当初の予定通りに高価な32ビット機の間を埋める機器として喧伝されてそこそこの売上を記録したものの、
当時からネットの発展もあって海外との情報共有が進み、日本での次世代ハード機戦争や任天堂の新ハードの情報が届いていたユーザーには買い控える者の方が多く、高い金を出してプレステやサターンを輸入するならスーパー32Xを買えとした『Game Pro』誌の煽りや、サターンの発売を遅らせてまでスーパー32Xを宣伝した米セガの思惑は外れることになった。

北米でスーパー32Xを推す理由にもなっていたのには、先行していたアタリジャガーや3DOといった32ビット機が市場で苦戦していたことも関係していたのだが、
それらのクソハードと違い、サターンやプレステの性能が次世代機の名に恥じない程に高いということが明らかになったのも痛かった。

米セガでは、スーパー32Xの性能が次世代機にも劣らない性能を誇るとしていたものの、サターンと比べると大きく劣る性能しかなく、特に新しいゲーム表現として注目されていた3D性能には適していないことが明らかになったからであった。*9
3DO社のトリップ・ホーキンスは後年、その性能や価格、ソフト開発の難度などを理由にスーパー32Xを「噛ませ犬」と評している。

一方、最初はスーパー32Xを推していたことは、北米でのサターンの販売計画に少なからず混乱を呼ぶことになってしまった。
当初の好評を受けて、セガでは一体化型のスーパー32Xとメガドライブ=SEGA NEPTUNEの開発も計画していたのだが、予定価格が200ドルであったのがコストを鑑みて400ドルに値上げされたことで、結局は次世代機と同じ値段となってしまい、方向性も値段も似たような商品を展開して市場を混乱させている、との批判を受けてしまった。


前述の様に本物の次世代機の実力が知れ渡ってからはサードパーティーもサターンに移り、ソフトにも恵まれないままにスーパー32Xは切り捨てられることになった。*10
一方、こうした展開の中で北米市場でのセガへの信用度はダダ下がることとなり、結果的にはサターン(日本セガ)とスーパー32X(米セガ)の共倒れとなってしまい、GENESIS展開初期からあった両者の対立が決定的になってしまった。
米セガ社長のカリンスキはこの時のことを振り返り、日米セガの対立がセガ全体の零落を招いた、と発言している。

これによって、北米市場は日本と同じくプレステと、日本ではサターンが僅かに上回っていた64に奪われることになり、中山退任後のドリームキャスト投入でも取り戻せなかった。


【プロモーション】

当時のセガは『ファミ通』の様な雑誌への情報を提供しておらず、各部署が独自の宣伝を出し、ユーザーは広告やCMとセガへの全面的な信仰心のみで購入を決めなければならず、このことも国内展開に於いてマイナスに働いた。
こうした傾向は93年に入社した竹崎忠により改められ、広報の一本化がされると共に、半年後に漸く『ファミ通』での情報公開や特集記事が出るようになった。

尚、時代を先取るセガでは、月額800円で電話回線を利用した『ゲーム図書館』が配信されていた。
メガモデムを利用することでオリジナルゲームをダウンロード可能で、セガ・ネット・ニュースでセガの情報を得ることも出来た。
メガアンサーを用いればホームバンキングシステムを利用した通信も可能で、ゲームによってはマイク・スピーカーを通じて通話も可能だった。

また、ケーブルTV回線では『セガチャンネル』が配信されており、此方ではサードパーティーも含む過去ソフトや学習ソフトの配信がされていた。


【ライセンス事業】

メガドライブ/ジェネシスでは殆どのパーツを世界共通規格としており、コントローラーが往年のATARIハードで使えたりする。
リージョンコードは基板上で判断されるようになっており、通常は日本のメガドライブではジェネシスソフトをプレイ出来ないが、改造や輸入品の中間アダプターでプレイ出来た。

また、国によってはライセンス製造を認めており、ブラジルのTectoyは2015年にもメガドライブ互換機を製造しており、関税がかかり高額となる輸入品ハードよりも安い自国商品として、南米での市場を伸ばし続けていたことがニュースになったばかりである。


【主なメガドライブファミリー】


メガドライブ

  • 1988年10月29日発売
  • 21,000円
初期型。AV端子の音声出力がモノラルしかなく、本体の接続端子からヘッドフォンでステレオ音声を聞くことが出来るが、初期のものは音が荒れていた。

テラドライブ

  • 1991年5月発売
  • 148,000円*11
メガドライブをIBMパソコンに内蔵した物で、信者も認めるバカハードだが、それがいい。
PC側が既に型落ちしていたCPUを使っていたりと、値段に見合わぬ低スペックが話題を呼んだ。
メガドラのソフトなんか作れません。

ただ、RGB出力の付いたメガドライブとしては非常に優秀で、メガドライブ側のクロックアップは後のメガドライブミニ開発へ活かされている。

メガCD

  • 49,800円
  • 1991年12月12日発売
詳細は前述の項目を参照。

ワンダーメガ

  • 1992年4月1日発売
  • 79,800円
セガとビクターからそれぞれに発売された、メガドライブとメガCDの一体化型機器。
本体とメガCDを別々に買うよりも高価で、当然のように全く売れなかった。
しかし、高くなっている分だけMIDI出力、S端子を備える等、高性能である。

後に、ビクターよりMIDIを廃した廉価版のワンダーメガM2が1993年7月2日に発売、59,800円。
それでも、少し前に発売されたメガドラ2とメガCD2を合わせた値段より高い。
また、スーパー32Xを装着するにはビクターに送って改造してもらう必要があった。
具体的にいうとCDドライブの蓋が干渉するので交換してもらう必要があった。

現在は一部のソフトでセーブデータが破損することやMegaSDに対応していない点に注意*12
ただしMEGACD+S32Xが要求されるゲームであればワンメガ+S32X+MegaSDで起動する模様。

メガドライブ2

  • 1993年4月23日
  • 12,800円
廉価版の本体で、小型化してセガ・マークⅢと初代との互換性は無改造では無くなったが、AV端子がステレオ対応してヘッドフォン端子が排除される等、機能が洗練されている。
後期型の6ボタン対応のコントローラーパッドが付属している。

ちなみにメガアダプタは「物理的に干渉するので使えない」というだけで、コネクタに下駄を噛ませて延長したり、ガワを壊して端子をむき出しにしたりすると無理やり接続可能だったりする。
海外ではジェネシス2専用にマイカード対応をオミットしたパワーベースコンバーター2が発売されている。

メガCD2

  • 1993年4月23日発売
  • 29,800円
メガドライブ2に合わせて小型化されて登場。
CDドライブをトップローディングに変更することでコストダウンを図った。
初代と違い横並びになる、一応メガドラ1を接続することも出来るが、横にはみ出す。そのため専用のベースが付属している。

メガジェット

  • 1994年3月10日発売*13
  • 15,000円
本体と6ボタンコントローラーの一体型。
元々はセガと日本航空の協力によって、機内の貸出サービス品として開発されたものだった。
一見すると携帯機然としているが、一般販売価格からも解るようにモニターは付いておらず、電池もバッテリーの類も存在していない。
ただ本機種の改良ないし派生としてNomadという携帯機が北米で出た。スーパー32Xが大ゴケした後に。
このNomad、ジャンパによってリージョンと出力形式を切り替えてるらしく、その部分のパターンを切断してDipスイッチを付けることにより、グローバル化するとか。

携帯機として使えない問題はカーAV機器メーカーアルパインよりACアダプタをシガーアダプタに交換する形で強引に解決させた車載用セットが販売された。

レーザーアクティブ

  • 1993年8月20日発売
  • 89,800円(本体のみ)
パイオニア製作の多機能レーザーディスクプレーヤーで、PCエンジン&スーパーCD-ROM2と共に、メガドライブ&メガCDの機能も内蔵されている。

メガCDラジカセ

  • 1994年9月1日発売
  • 45000円
国内での最後の互換機となったアイワ製のバカハード。
もうサターン出るよ!?という時期に、ほぼ同じ値段で登場、当然のように売れなかった。
尚、ラジカセ型の癖に内蔵スピーカーの音質は最悪だったそうな。

スーパー32X

  • 1994年12月3日発売
  • 16,800円
詳細は前述の項目も参照。
開発理由は先の通りで次世代機を買うよりは安かったのに、諸々の理由で売れずに値段も高額扱いである。
MegaSDでSMSソフトを動かそうとすると動かないので、S32Xを外して、SDを直にメガドラに指す必要がある模様。

【余談】


  • 2014年にもなって『トランスフォーマー』とコラボ。メガドライブメガトロンが発売されておるぞ愚か者メガ!

  • セガゲーム機器の美少女擬人化企画『セガ・ハード・ガールズ』ではメガドライブ(CV:井澤詩織)・メガCD(CV:大空直美)・メガドライブ2(CV:山岡ゆり)・メガCD2(CV:金魚和嘉菜)・スーパー32X(CV:鹿野優以)・テラドライブ(CV:井上麻里奈)・ジェネシス(SEGA GENESIS CV:田野アサミ)と7人もメガドライブファミリーが美少女化していた。


  • 2018年に「セガフェス2018」にて、誕生30周年を記念してメガドライブミニの年内発売が決定された。
    ……が!日本のみの発表だったために、前述の様に日本よりも遥かに市場が大きかった北米と欧州のファンから一斉にブーイングが起こり、年内発売を撤回。
    それから数ヵ月後の平成最後の4月に、セガは予定されていた仕様を変更し、海外向けにも対応して令和の新ハードとして、年内発売を宣言した。
    新ハードというだけあって、収録タイトルには厳選された名作40本に、「AC版テトリスを目コピした」新規移植版『テトリス』と*14、「ダラIIみたいにアレンジを加えたらこうなるだろう」という妄想から生まれた『ダライアス』の新作となるということ。
    仕様地毎にゲームラインナップと本体が異なるため、全部で6バージョンある。ゲーム自体は本体の刻印を気にしなければ3つでコンプリート可能。

  • 例の如く(?)メガドラ型のミニに合わせて、機能追加や性能向上とは無関係な装飾品として、カートリッジ、ロックオンカートリッジ、メガCD、スーパー32Xの、装着するとメガドラタワーが再現出来るセットも発売されることが決定している。流石はセガだぜ。しかもソフトの開発を担当しているM2社にすらこの話は伝わっておらず、セガの現場のスタッフのノリでいつの間にかこちらの発売が決定されたそうな。令和になっても相変わらずのセガであった。

  • 3D復刻プロジェクト等のSEGAAGES系のMD移植ゲームは、一からプログラムを書き直すのではなく、仮想メモリを増やしたりBG面を増やしたりという改造エミュレーターで移植されている。そのため理論上は新筐体のメガドライブとして出すことも可能。
    上のメガドラミニも実はSEGAAGESの開発と同じ会社(有限会社M2)が、新規に作成したボーナス2本を除く40本はフルエミュレーションで移植している。
    …んでそのメガドラミニに入っていたダライアス、なぜかパワーアップしてMD用の実ロムが発売された。
    ただ、セガ側ではメガドラの保守や苦情に対応出来ないことから「メガドライブ用ではなくMD(エムディー)用という似た物。たとえメガドライブに挿して起動しても偶然です」というスタンス。
    実際ROMの基板が若干厚いらしく、元々コネクターが緩いNOMADや、使い古してコネクターが緩んだメガドラでないと刺さらないとか。

  • SG-1000Ⅱ、セガ・マークⅢ、そしてメガドライブは石川雅美氏がたった一人で設計・開発をしていた。

  • セガが93年から販売していた幼児向け知育玩具「キッズコンピュータ・ピコ」はメガドライブをベースに開発された。
    ゲーム機がサターン、ドリキャスと世代交代し、そしてセガがゲームハードから撤退する一方、こちらはマイナーチェンジをしながらも根強くラインナップに残り続け、2005年に後継機の「アドバンスピコ・ビーナ」が登場するまで売れ続けるロングセラーであった。
    こちらもROMカセット方式だが絵本を模した独自形式なので、言うまでもなくメガドラのソフトとの互換性は無い。しかし最初期のモデルにはメガドラコントローラー用のものと同規格の接続端子があったりと、セガハードの名残が垣間見られる。

  • セガのアーケードゲーム基板、システムCはメガドラの設計を利用して開発された。「ぷよぷよ」等のメガドライブへの移植前提タイトルはもとよりポップコーンマシンなど児童向けアーケード機にも使われたが、特筆すべきはアトラスと共同開発し大ヒットした「プリント倶楽部」(初代)にも使われたことであろう。

追記・修正はメガドラタワーを眺めつつお願いします。

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最終更新:2024年03月13日 12:05

*1 16bitCPUを採用したゲーム機自体は1980年にマテル(日本ではバンダイ)が発売した「インテレビジョン」が先。また、ホビーパソコンも含めると1982年にトミーより発売された「ぴゅう太」にも16bitCPUが採用されている。

*2 欧州では日本と同じく『MEGA DRIVE』として販売。

*3 他にもSNKネオジオ、シャープX68000等で採用された、実際には32bit相当のCPU。

*4 この設計は一人により行われ、ヤマハが書き直して使っている。

*5 メガドライブ本体では不可能、または半端にしか表現が出来なかった…が、国内盤はCD、海外版はROMで発売されたとあるゲームは、ROM単体でCD版のアクションを完全再現しており驚愕された。

*6 とはいえ、海外においてはMDのシェア自体が大きかったことに加え同世代のCD-ROM搭載ハード(CD-ROM2、CD-i)があまり普及しなかったため、この世代では実質的にメガCDがCD-COMハードとしては一番手ではあった。

*7 ちなみに同社はPCEに接続することでPC-ROM2+アーケードカード+ターボグラフィックスのエミュレーションを行うシステムも制作してたりする、大のレトロゲームフリークである

*8 一部のゲームは起動しないので32Xを外す必要あり。

*9 後に、同じ理由で『FF』等がプレステに行ってしまい、サターンが敗れたのは皮肉である。

*10 サターンに一本化するためにスーパー32Xを含む旧セガハードは生産終了となった。…一応、後から出たのに。

*11 モデル1の価格。モデル2は188,000円、モデル3は248,000円。尚、専用ディスプレイは79,800円。専用マウスは6,800円で別売である。

*12 MegaSDがMegaCDをつけたままだと起動しないが、ワンダーメガの場合CD部分を外せないので起動させることが出来ない。

*13 一般販売開始日。

*14 なのでSEGAAGES2500に入っていたMD版テトリスとは全く違う物。