クリスティアーノ・ロナウド

登録日:2023/06/17 Sat 19:17:01
更新日:2023/06/24 Sat 19:33:46
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クリスティアーノ・ロナウド・ドス・サントス・アヴェイロ(Cristiano Ronaldo dos Santos Aveiro)は、ポルトガルのサッカー選手。
2010年代前後のサッカー界においてリオネル・メッシと共に頂点の座に君臨し続けた、サッカー史上最高とされるストライカーの一人である。

※本項目名の通り、ほとんどの場において彼の名前は「クリスティアーノ・ロナウド」と扱われる。
しかし、クリスティアーノもロナウドも、ポルトガル語圏でポピュラーな名前*1である。
単に「ロナウド」と呼ばれることが多いが、同じく史上最高峰のストライカーである“怪物”ロナウド(ロナウド・ルイス・ナザリオ・デ・リマ)と混同されてしまう難点がある。
“怪物”をその背番号から「R9」として、同じく背番号を以て「CR7」と呼ばれることも多い。なお、本名は同じくロナウドだがそんなに混同のリスクはないロナウジーニョが同様の命名で「R10」となる。
日本では日本的な略し方をした「クリロナ」が定着しているが、グローバルな呼び方でないため濃いサッカーファンになるほど使いたがらない傾向にある。
以降は基本的に「ロナウド」を用いる。


選手としての特徴

正統派フィジカルモンスターであり、スピード・パワーの両面において圧倒的な能力を持つ。
身長は185cmほどで際立って高いわけではないが、NBA選手並と言われるほどの驚異的跳躍力との合わせ技により空中戦にも極めて強い
さらにドリブルテクニックも抜群で、キレッキレのフェイクを連発する。
というか若い頃はむしろ典型的なドリブラースタイルのウイングであり、年齢を重ねるにつれてフィニッシュ重視のセンターフォワード寄りの選手となっていった。
全盛期であるマドリー時代も基本的にカリム・ベンゼマが中央、ロナウドが左という配置でプレーしている。

このあらゆる位置から点を取るに適する基礎能力、そしてそれに見合った絶対的決定力を有している。
定量化し難い能力であるが、当然、ストライカーにとって最も必要な能力である。
PKもメッシと違って上手い。
FKにも定評があるのだが、こちらは晩年には成功率がガタ落ちしており「ロナウドを入れると(ロナウドに「入らねーんだからキッカー代われ」って言える人間などいないので)直接FKは無駄になる」ハンデ扱いされることも……。

そのうえでロナウドを究極のフットボーラー足らしめたのは、その恐るべき継続性の高さである。
数多のエピソードが語り継がれる尋常ならざるストイックさによる自己管理もあり、20代前半から10年以上にわたってフットボーラーの頂点の座に立ち続けたまさしく鉄人。
同じロナウドでも、R9が怪我のため、R10が性格のために衰えが激しかったのとは対照的。
負傷もかなり少なく、シーズンあたりの出場数が40を割ったのがプロ初シーズンの02-03、マドリー移籍直後の09-10、ユナイテッド帰還後の21-22だけで、
このうち負傷が主な原因なのは09-10くらいであり、そしてこれらのシーズンでも30試合以上は出ている。

ジャンプして半回転、着地と共に「Siiiiii*2」と叫びながら四肢をハの字に伸ばし仁王立ちするゴールパフォーマンスも有名。


来歴

幼少期

1985年2月5日、ポルトガルの本領から大きく南西に離れたマデイラ諸島にて生まれる。
1995年には地元の有力クラブであるCDナシオナルに入団、そして1997年にポルトガル3強の一角スポルティングCPのトライアルを受け、入団。
(本人は同じ3強でもスポルティングじゃなくてベンフィカのファンだったそうだが)
スポルティングのユースで順調にキャリアを積み、2002年に17歳の若さでトップチームデビューを果たした。

マンチェスター・ユナイテッド

2003年、当時栄華を誇るマンチェスター・ユナイテッドとの親善試合で存在感を見せたことで、ユナイテッドによるロナウド獲得に向けた話が急速に進む。
リヴァプールやアーセナルも獲得に動いていたが、1224万ポンドの移籍金で獲得に成功。
10代の選手への移籍金としては当時イングランド史上最高額であった。

史上最高額の触れ込みこそあるが、この時点ではまだ、リーグレベルでは1ランク落ちるポルトガルにありがちな「新進気鋭の若手」の一人にすぎなかったと言える。
こういった選手は毎年のようにいるものであり、メガクラブに招かれてもその後トップリーグの選手に留まることすらできず凋落する選手なんて山程いる。
この時、彼が将来世界最高のストライカーの座につくと信じていた者はそこまで多くはないだろう。

背番号はちょうどデイビッド・ベッカムがレアル・マドリードに移籍して空いた7番を与えられる。
この頃はウイングの選手であったことを考えれば不自然な背番号でもないが、ストライカーにはやや不適正なこの背番号は後に彼の代名詞になることとなる。

移籍直後はさすがに主力とはいかなかったものの、それでもスタメンとリザーバーを行き来して出場。
ユナイテッドを率いる“サー”アレックス・ファーガソンには真摯に扱われ、着実に成長していった。

その才能が真に開花したのは4シーズン目、06-07シーズンから。
06年W杯ではチームメイトでイングランド代表のウェイン・ルーニーと対立する一幕もあり*3緊張の走ったシーズンであったが、
ユナイテッドがリーグ優勝を果たすこのシーズンでリーグ戦17ゴール14アシストを記録し、3つの年間最優秀選手賞を全て受賞。バロンドール投票でもカカに次ぐ2位につけた。
その後も躍進は止まらず、07-08シーズンはリーグ戦31ゴール、優勝したUEFAチャンピオンズリーグでも8ゴールでダブル得点王。初のバロンドールを獲得した。


レアル・マドリード

この活躍によってレアル・マドリードが本格的にロナウド獲得に動くが、オファーを出す前に獲得秒読みかのような発表をしたことで不義理からの大騒動になる。
マドリーに強い興味を持っていたロナウドも正直なところ心が揺れていたが、ファーガソンの説得もあり、ひとまず移籍は破談ということで落ち着き、
08-09シーズンではリーグ戦18ゴールとややトーンダウンしたものの十分な活躍をし、ユナイテッドのプレミア3連覇に貢献。
シーズン終了後、改めてマドリーへの移籍を決断、実行された。
移籍金は当時の史上最高額、8000万ポンド。

マドリーではクラブの象徴にして長年7番を背負っているラウール・ゴンサレスがいたため、9番となる。ちなみにベッカムも同じ理由で7番を背負えなかった。
ラウールは翌10-11シーズンにマドリーを離れたため、それ以降はCR7になった。

全盛を迎えたロナウドがマドリーで過ごした9シーズン、その活躍はもはや筆舌に尽くし難い。
宿敵バルセロナでエースとしての評価を確たるものとし始めたメッシとの熾烈な争いと共に時代を築き上げ、
マドリー時代の通算成績、438試合450得点132アシスト1試合1点取り続ける男である。
当然……と言っていいと思うが、マドリー史上最多得点記録となった。
2位がラウールの323得点で、しかもラウールは17シーズン在籍したうえでの数字(741試合出場)。ロナウドは9シーズンでこの数字を叩き出しているので到底比較にならない。
アベレージの面で見ると6位フェレンツ・プスカシュの262試合242得点くらいしか同じ土俵に立てない。
そして4度(ユナイテッド時代含めて5度)のバロンドールに輝いた。

なお、こんなメチャクチャをやっていながら、ラ・リーガで得点王になったのは9シーズン中3回に留まる。原因はお察しください。*4
11-12シーズンに至っては46ゴールしたのに得点王になれないというサッカー史上最も頭のおかしい得点王争いを演じるハメになった。
一方でUEFAチャンピオンズリーグでは、ロナウド在籍中のマドリーがCL絶対強者だったので敗退で試合数を損ないにくかったとはいえ6シーズン連続得点王(および7シーズン連続2桁得点)という信じ難い実績を残している。
ちなみにユナイテッド時代にも1回得点王になっているためCL得点王は通算7回。

しかしマドリー(ひいては会長のフロレンティーノ・ペレス)に対して様々な待遇面で不満を抱いており、退団を決断することとなる。
その後、マドリー移籍の同期ながら常にロナウドの影に徹していたベンゼマがストライカーとして覚醒するのはまた別の話。


ユヴェントス

そんなわけで望み通りに2018年夏、セリエAで絶賛連覇中の名門ユヴェントスへの移籍がまとまる。
移籍金はセリエA史上最高額の1億ユーロ
当代最高のストライカーに払うと言えば納得のいく金額ではあるのだが、この時点でロナウド33歳である。
このレベルの金額は普通、マドリー移籍時のロナウドのような即戦力かつ未来もある選手に積む額で、完全にベテランに入った選手に積まれるのは破格と言えよう。

そんな評価に応え、30代半ばに達そうとするロナウドは3年にわたる在籍で134試合101ゴール23アシストと見事な健在っぷりを見せつけた。
だが、守備の免除を始めとしたピッチ内外での「特別扱い」がクラブにとってマイナスであるという声も多く聞かれることとなり、
特に最終年となった20-21シーズンは10連覇ならずインテルにスクデットを譲ってしまったため、ロナウドへの風当たりも強くなった。
……このシーズンはリーグ戦29ゴールで得点王だったのに叩かれるってのもすごい話だが。


ユナイテッド再び

CF不足という課題を抱えていたマンチェスター・シティへの移籍の噂が浮上。
だがこの移籍、もしも実現したら、今となってはマドリーのイメージが強いと言っても「ロナウドはわしが育てた」と思ってるユナサポはブチギレ不可避。
マンチェスターの平和のためにはぜひとも破談になるべき移籍で、そもそもシティ関係者のコメントが微妙だったりして本気で検討していたかはかなり疑わしい。
そんな感じの中で、恩師ファーガソンを筆頭にユナイテッドが万が一の事態を阻止すべく動いた結果、すんなりとユナイテッドへの復帰が決まることに。
移籍金はボーナス込み2300万ユーロとされる。もう36歳なのでこれでも十分高い方。

もっともファーガソンは既に監督を勇退しており、この時の監督は前ユナイテッド時代の同僚*5でもあるオーレ・グンナー・スールシャールだった。
しかし解任論が浮上するたびに勝ち始める男スールシャールは直後に命運尽きて解任されてしまい、その後「暫定監督」となったのがラルフ・ラングニック。
現代的な激しいプレッシングサッカーで知られるやり手の指導者であり、停滞し後退していたユナイテッドに新風を吹かせようという意図は明らかだったが、この時誰もが思った。
ロナウド獲っておいてラングニック流プレッシングは無理じゃね?」と……。


無理である。

しかし、ラングニックの指導が全体で上手くいっていなかったのもあり、結局「ロナウド無しでハイプレス」より「ロナウド以外でハイプレス」の方が明らかに戦績が良かった。
そのため戦術の完成度を下げてでもロナウドを使い続ける形をやめられず、シーズンを終えてラングニック政権は予定通り終了。
ロナウドはリーグ戦30試合18ゴール3アシスト、CLでは7試合6ゴールと、使われるだけの結果を出していた。

22/23シーズンはオランダで実績を積んできたエリック・テン・ハフが正式に後任となったが、テン・ハフもプレッシングサッカーを志向する指揮官。
そのうえ、前シーズンを6位で終えてしまったため、第一次ユナイテッド期から常に出続けて通算得点数ダントツの大記録を築き、その名誉の象徴となっていたCLに出られないこともロナウドのモチベーションを大きく下げた。
そのため移籍を視野に入れ、CLに出れるビッグクラブにオファーしまくるが、長年の相棒にしてサッカー界に名高き敏腕代理人ジョルジ・メンデスの力を以てしても他クラブとの契約には至らなかった

ラングニックやテン・ハフのように明白なスタイルでなくとも、2022年の今、全員守備の価値観はトップレベルで当然のものであった。
現実的にその責務を免除できるのはほんの一握りの別格のアタッカーだけであり、それでも批判の声は上がるほどである。
全盛期のロナウドなら間違いなくその領域にあっただろう。だが、37歳のロナウドはもう「別格」と言える域にはなかった。
そして、そこらのエース級の数倍を要求される給与を始めとした*6、ピッチ内外での「特別扱い」を求められることのリスクは非常に大きい。
言葉を選ばず言えば使えば足を引っ張り、使わなければ不和の種となる可能性は、ここまでの晩年のロナウドを見ていれば到底否定はできないだろう。
要は損得勘定で見合わないと見做されてしまったのだ。
「特別扱い」はロナウド自身が妥協できれば……たとえば途中出場要員としての運用を受け入れたりすれば話も変わってくるが、「CR7」の誇りとブランドは簡単に捨てられるものではないであろうし、捨てて良いものでもなかった。


この時点でも表向きはロナウドへのリスペクトを公言していたテン・ハフだったが、彼はロナウドの出場機会を減らすことにも躊躇はなかった。
これから訪れる「運命の日」まで、スタメン4試合、途中出場6試合、ベンチ入りしたまま出番なしが2試合。
ロナウドもあからさまに不満を溜めている様子をしばしば見せ、関係の悪化はもはや明らかであった。


そして、W杯への招集が決まった直後の11月13日。
ロナウドはイギリスの名物記者ピアーズ・モーガンからのインタビューを受けた。


「(スールシャールについて)彼からはリスペクトを感じた」

「(ラングニックについて)監督ですらない*7、聞いたこともない*8人間がどうやってユナイテッドの監督を務めるっていうんだ?」

「(テン・ハフについて)彼は僕をリスペクトしていない。だから僕も彼をリスペクトしない」

「(ルーニーについて)なぜ僕をここまで批判しているのか分からない。
僕は今でもトップレベルでプレーしているが、彼はもう引退してしまったからかもしれない。
僕の方がいい男だからかもしれない。それは事実だけど」

なんでや!ルーニー関係ない*9し顔面関係ないやろ!

「(クラブについて)サー・アレックスが去ってから、このクラブは何も進化していない。
そして、テン・ハフだけではなく何人かの幹部たちも僕を追い出そうとしていた」


このような言いたい放題をクラブとして許容できるわけもなく、クラブは22日にロナウドの契約解除を発表
さすがにこうなることは覚悟していただろうが、ロナウドは無職でW杯を迎えることとなった。まあ昨年はメッシが無職でコパアメリカ出てたけどな

W杯でも決勝トーナメントではスタメンから外れることとなり、結果ベスト8で敗退。
同じ「30代後半で最後のW杯と目される絶対的スター」として、フル出場して優勝を飾ったメッシ、次いでほぼフル出場で連続ベスト4入りを果たしたルカ・モドリッチと対照的になってしまった感は否めなかった。
W杯明けのユナイテッドも好調な滑り出しとなり(最終的には3位でCL圏を取り戻している)、なんとも皮肉な感じになってしまった。


そうしてW杯を終えると共に、改めて新天地の選択を迫られる。
望み通りの新天地をすんなり決められるならとっくに移籍していたわけで、妥協は避け難い。
「チームの中での最前線である」ことを捨てて、トップレベルでリザーバーに甘んじるか、
「最前線のレベルでプレーする」ことを捨てて、頂点で居られるレベルのクラブを選ぶかの2択というところであった。
ロナウドは選んだのは後者。近年急激にサッカーへの投資を続けているサウジアラビアのアル・ナスルへ、超高額給与のおまけつきで移籍することとなった。
当然、アジア(AFC)管轄であるため結局CLには出られない。この選択に失望する声も多いが、ユナイテッド末期やカタールW杯への反応を見ても「控えのロナウドを見たくない」という者も多数いるのは明らかで、どちらがマシと一概には言えない。
つまりはAFCチャンピオンズリーグでJリーグのクラブがロナウドと戦わされるという可能性が生まれてしまったわけだが。
なお、超高額給与がどのくらい超高額かというと、年俸にして日本円換算で300億円弱とされる。とっくに超高額と言われるレベルだったこれまでのロナウドの給与から桁が一つ上がってしまった。限度があるだろ限度が。


ポルトガル代表

決してタイトルには恵まれておらず、ワールドカップは初出場した06年の第4位が最高。
勝ち取ったタイトルはEURO2016と18-19年のUEFAネーションズリーグの2つである。
が、そもそもポルトガル代表が国際大会で優勝したこと自体、この2回だけである。
ワールドカップも66年には第3位につけているが、この2回の準決勝進出が最高成績。ポルトガルは今では列強国扱いだが、その中では新興勢力にすぎない。

それはともかくとして、ポルトガル代表としての試合出場数(2022年までで196)は歴代最多。
得点数(同時点で118)に至っては圧巻のダブルスコアにして、全世界の代表選手としても歴代最多に到達している。
W杯においては、史上初の5大会連続ゴールを記録。なお、5大会連続出場自体も達成時点で7人しかいない。


人物・エピソード

基本的に良い意味でスーパースター然とした男である。
前述の通り徹底してストイックなアスリートで、その度合は元同僚のパトリス・エブラが語ったところによると
「彼の自宅でのランチに招かれたが、出てきたのはプレーンなチキンとサラダと水だけ」というレベル。
だが、余暇の中ではわりと遊ぶ。サッカー以外で好きなスポーツは卓球だとか。
ユナイテッド時代にリオ・ファーディナンドと卓球対決して敗れた結果、負けず嫌いが発動しわざわざ自費で卓球台を購入、猛特訓し2週間後にリベンジを果たしたというエピソードも。
また、若い頃には女性関係のゴシップも大変多く、子供たちの母親が公表されてなかったりする。

2014年に日本で行われたとあるイベントで、ポルトガル語で質問しようとして緊張から周囲の笑いを買った少年を見て
なぜ笑うんだい? 彼のポルトガル語は上手だよ」と神対応したエピソードが日本のインターネット上では(下手したらロナウドより)有名。*10
なお全くの余談となるが、この少年・岩岡遼太はサッカーを続け、20-21年の第99回全国高校サッカー選手権大会にて山梨学院の一員として全国優勝を果たして再び話題となった。ロナウドの耳にも届いていてほしいものである。

頂点に立ってきたが故の揺るがぬ自信、そのあまりに高すぎる注目度のため、それなりに騒動は起こしている。
EURO2020のインタビューの際に、アスリートたるものジュースなど言語道断*11という価値観だからって目の前にあったコカコーラ(大会スポンサー商品)をあからさまに退けて、その結果コカコーラの株価が下落したり。
ユナイテッド退団までの経緯はその最もたるものとなってしまった。

周囲の誰もが認める終生のライバルであるロナウドとメッシだが、本人らがお互いの話をすることは少なく、2019年の時点で「一緒にディナーをしたことはない」などと言っていたり、交流は少ないようだ。
言及する時には総じてお互いにリスペクトし合っており、バチバチではない程よい距離感と言うべきか。


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最終更新:2023年06月24日 19:33

*1 「ファーストネーム・セカンドネーム」であり両方とも「名」。

*2 スペイン語の「はい/Yes」。「Siuuuuu」と表記されることも多いのだが、意味合いを考慮すると誤りである。なお、ポルトガル人なのにスペイン語なのはマドリー時代に始めたパフォのため。

*3 後年にはお互い「メディアが対立を煽っていた」と否定的な態度をとっており、真相は謎である。

*4 メッシに阻まれたのは5回。あと1回はルイス・スアレスだが、スアレスのこともメッシが助けていると考えると実質6回全部とも言える。

*5 スールシャールは故障に悩まされた晩年期で、共にプレーする機会は限られたが。

*6 給与に関しては、ユナイテッド側が一定以上持つ形での契約も提案したという噂があるが……

*7 実際、彼はどちらかというと監督以外の役職を本職としているので、それを揶揄しているのであって「あいつは監督失格のカス」と言っているわけではないと思われる。

*8 名前はかなり売れているので、本当に聞いたことがなかったらそれはちょっとどうかと思うが……

*9 ルーニーは選手としてユナイテッドを去って以来クラブの要職等にはついていないため、この流れで殴られるのは流れ弾と言わざるを得ない。

*10 ただ、記者達の笑いも嘲笑というよりはたどたどしいながらも懸命に想いを伝えようとする少年の姿を微笑ましく見ていたニュアンスとも思われるが、ロナウドはそう感じなかった故の対応だろう。

*11 普段の食事やトレーニング後には健康管理のためにオレンジジュースを時に1リットルほど飲むこともある。果汁100%ならOKなのだろう。