ナナシの手記


※上記の広告は60日以上更新のないWIKIに表示されています。更新することで広告が下部へ移動します。





"彼らの戦術はあまりにも古すぎた"

誰もがそう記し、誰もがそう述べる"彼ら"の能力。
言葉のままに信じていれば良かった。否、信じるべきであった。
これは研究などではなく、ただの戯言と流されればそれで良い。

"彼ら"を詮索してはいけない。

これは、名も無き学者の、手記である。





『ナナシの手記』



まず私は、"彼ら"の力の源に疑問を抱いた。
遠い昔にあったとされる戦争で、"彼ら"はあまりにも強すぎた。
多くの学者達は、"彼ら"の強さを、自己暗示によるものとした。
そして"彼ら"の武器は戦力として偉大であった。
だから誰も疑問になど思うはずも無かった。
"彼ら"の使う、"魔法"の存在。



私は、"彼ら"の強さは、実は魔法にあるのではないかと考えた。
しかし、文字を持たない"彼ら"である。
その魔法も、私たちの理解を超えるものであろうと予想できた。
"彼ら"――――そう、体育会系民族は、本当に魔法を必要としていなかったのか?
彼らの戦闘は、本当に自己暗示と高度な武器による力のみだったのか。
そこに疑問を抱いた私は、彼らの"儀式"について、調べた。
勿論文献は存在せず、己の目で見る以外での確認方法はない。
私は、フィールドワークと称し、彼らの国まで足を運んだ。

敵対しない人間とは友好的な関係を保とうとする。この記述は正しく、私に敵意が無い事が伝わると、彼らは快く私を迎え入れてくれた。
彼らの生活。
それは、とても原始的で、知能はそれほど高くないように思える。
自給自足の生活。必要最低限の狩猟に、自家栽培での野菜。漁もすると聞いた。
彼らは当然のように火を使うが、火の使い方一つとっても原始的であり、手動での火起こしを未だに使用していた。
彼らの食事は肉に野菜、魚と種類は豊富であった。
言葉は特に難しくなく、多少の訛りはあるがコミュニケーションは自由に取ることができた。

滞在して三日。彼らの信仰について、いくつか解ったことがある。
彼らは自然崇拝で、特に精霊を信仰している。
自然には精霊や神が宿ると考え、精霊や神々を信仰している。
精霊や神々の言葉を聴ける者は一部の役職者のみであった。
彼らは"ドルイド"と呼ばれ、精霊や神々の言葉を聴き、皆に伝える役割を持つと同時に、権力者でもあった。
その役職者と話す機会もあったが、直接的な対話ではなく、私を迎え入れてくれた家の者たちと、役職者の言葉を聴くだけのものに留まった。
こちらで言う、ミサと同じようなものであろう。

予言的な言葉が出てきた。精霊の言葉を伝える彼らの言語は難しく、全てを理解することは出来なかった。
そして、彼らの言動を紙に残すことは咎められた。
「心で聴くのです。貴方の魂に刻みなさい。そうすれば、記録は必要無いでしょう」
そう言う彼の顔は穏やかで、多くは語らないが、強い信念を感じた。

文字を嫌う傾向は、日常生活の中でも何度か確認出来た。
それもそのはずで、外から来た私がメモを片手にうろつくものだから、彼らはいい顔はしなかった。
しかし、それを暴力的な方法で解決しようという気配は見られなかった。
普段は穏やかな民族のようだ。

滞在して五日目に、彼らの儀式に立ち会うことが出来た。
この時点で、私はメモを取るという行動を既に諦めていた。
ただ、なるべく詳細に記憶し、後の研究へと繋がればと、記憶のみでの記録を試みた。

私は外から来た訪問者であるから、儀式に参加する必要も無ければ、戦いに加わる必要も無いのだと説明された。
ならば見学も駄目なのかと尋ねると、快く承諾してくれた。
私は礼を言い、彼らの儀式を見学させてもらった。
儀式を執り行うのは、精霊の言葉を伝える役職者であった。
その役職者に、彼らは何の為に儀式を行うのか?と尋ねた。
外来者が疑問を抱くのは当然らしく、こちらも快く答えてくれた。
「祭りが行われるのです」
短的な解答だったが、私の背筋は凍えた。
彼らの儀式については、事前に知識を持っていたからである。
彼らは好戦的な民族であり、死を恐れず、敵の首を狩る。
死を恐れぬ理由は、彼らの存在は魂にあり、肉体はいわば鎧のようなもの。
肉体が滅んでも、彼らの魂は滅びない。
肉体から離れた魂は、別の肉体へと宿り、また生きる。
だから彼らは、肉体の滅びを恐れない。
肉体の滅びを死と考えない故に、死を恐れることなく敵陣へ向かう事が出来るのだ。
狩った敵首は特別な霊力の宿る存在として、家に持ち帰り飾ると言う。
そんな血生臭い戦いへと挑もうとした時、彼らから出た言葉は「祭り」であった。
神に捧げる行為だと、彼らは言い切ったのだ。

本当は帰りたい気持ちで一杯だったが、ここで引き返したら本来の目的が達成できないと、自らを奮い立たせ、儀式を見学させてもらった。
どこから見ても良いと言われたので、私は大変不躾に、色々な角度から彼らを観察した。
流石にこれには彼らの怒りを買うかと思ったが、儀式が始まると、まるで私の存在など無いように彼らは振る舞い、儀式は滞りなく進行していった。

儀式の内容は次の通りである。
これは記憶を頼りに後に文章化したものであり、確実な情報とは言えないと忠告しておく。

まず、役職者が戦いへ向かう男の額に傷を付ける。
何かの木の枝のように見えたが、彼らの信仰から推測すると、宿り木の可能性が高い。
額から流れた血を、顔や体に広げる「血化粧」が行われる。
「血化粧」は女が担当し、この時に血化粧をする女は、血縁関係があるものか、婚姻関係にある女が担当する決まりだそうだ。
化粧と同時に、女や子供たちが組み木の準備を行う。
化粧が終わった男たちもそれを手伝っていた。
そして火を起こし、儀式が行われる。

私はなるべく遠くの、高いところで全体を見ようとした。
少し先に小高い丘があったので、そちらを観察の場とした。

中央に儀式の炎が天高く燃えている。
彼らにとって炎は特別なもので、日常で使う火以外は神聖な意味を持つという。
炎はあらゆる厄災を払い、浄化するものとされていた。
戦いの前に炎を燃やすのは、体から不浄なものを払う意味が強い。

炎を囲むように、男が二周、輪を作る。
男の体には己の血を使った文様が刻まれていた。
彼らはそれを"儀式"と呼ぶが、私にはそうは思えなかった。
彼らの体に刻まれた文様は、どんな書物にも記されていない、彼ら独自の"文字"に見えたのだ。

男から少し離れた場所に、女も輪を作る。
儀式は音と共に進行するが、女は一人一人が全く異なる動きをしていた。
私はその女の動きも、"文字"に見えて仕方が無かった。

女の大きな輪の外に、四人の役職者が座り、言葉を紡ぐ。
役職者の位置は東西南北にそれぞれ一人ずつ。
何かの神を模したものなのかもしれない。

四人の役職者について尋ねた。
彼らは"バルド"と呼ばれていた。"吟遊詩人"という役職者らしい。
吟遊詩人の紡ぐ詩は、法律や道徳によるものが多い。
普段は音に乗せて、国や世界の法則を皆に伝えるが、この時紡がれる詩の、音色がどうも引っかかる。
"普段"と"儀式"では、微妙に音色が変わっていた。

私は彼らの儀式を、ただの儀式として見られなかった。
観察場所に高い場所を選んだのは正解だろう。
何故なら……彼らは……

"己の肉体を使い、大きな魔方陣を動かしていた"


炎を中心に置き、二つの小さな円で文字を表現する。
これが中心魔法となる。
少し離れた大きな円は、その魔法をより強力にするための補助効果の文字となる。
四方に位置したバルドの詩は小さな円と大きな円の中間へ流れ、体で表現した文字と共に動かすことにより、魔方陣は発動する。

この事実に直面した時の私の衝撃は、それこそ文字で表現することは難しく、首狩りを祭りと知った時とは比べ物にならないくらい、震えと鳥肌が治まらなかった。

更に恐怖したのは、バルドの紡ぐ音色である。
古い文献を読み漁り、私はルーン文字から"音素"という概念に辿り着いた。
話者が認識している言語音の事を"音素"と表記するが、音素は使う物が理解していなければその意味を成さない。
バルドの紡ぐ音色は、少し音節の付いた政治や宗教の伝承に聞こえる。

"本当の意味を理解していない者には"そう伝わるだろう。

しかし、バルドは知っている。その音に含まれる本当の意味を。その言葉を、その音色で紡ぐ本当の意味を。
そうでなければ、魔法など発動しないのだ。
何故彼らの世界でバルドが権力を有し、役職者となっているのか。
知識が必要だからだ。
言葉で飾った音の本質を、理解して紡いでいるからだ。

彼らの中の一文字でも欠ければ、役職者が音素を理解していなければ、魔法など使える訳が無い。彼らの中に魔法は存在しない。
しかし私は見てしまった。この目で、現実を。
彼らは確かに魔法を使っていた。
強大な魔方陣を発動させていた。

彼らの血化粧に、同じ文様は一つも無い。
そして彼らは、部族単位で生活している。
部族が違えば、化粧も変わる。
踊りも変わる。
発動する魔法も……変わる。

私たちは文系民族の魔法を強大なものとして警戒してきた。研究も進めてきた。
しかし私がみたあの魔方陣はなんだ?
あれほどまでに強大な魔方陣。
誰も欠けてはいけない儀式。
完成された大きな魔方陣。

それを見た時、私は戦慄で身を震わせた。
何故なら…………

"彼らは魔法を使っているという自覚が無い"


儀式だと、伝統だと、彼らは言う。
誰もが決まり事だと認識し、伝えられたとおりに儀式を行う。
彼らは、知らない。
彼らが作っている円こそが魔方陣だと。
彼らは、知らない。
彼らの踊りが、文様が、文字なのだと。
彼らの儀式こそが、魔法を発動させる儀式なのだと、彼らは知らない。

文字を嫌う。当たり前の事だった。
文字に残しても意味が無い。
あの魔方陣を発動させる為に必要な"キー"は、"音"だ。
何故地を踏む?何故舞を舞う?何故詩を紡ぐ?
全ては、"キー"だからだ。
文字に残したところで、発動はしない。そこに"音"が存在しなければ。
音を残したところで、発動はしない。音の"本来の意味"を理解していなければ。

好戦的で野蛮だとされる彼らがどうして秩序的なのか。何故穏やかに他の民族と接することが出来るのか。
彼らには秩序が存在するのだ。
役職者によって。
そして役職者は、我が国の学者以上の知識と知能を有している。
だから優遇される。だから特別視される。
当然の摂理だ。
何故、気付かなかった。
どうして彼らを野蛮人と決め付けた。

…………気付かなくても良いことだ。
彼らは好戦的で、血生臭く、野蛮な民族だ。
それでいい。
そうでなければならないのだ。

彼らの魔法を認め、研究をすることは、神への冒涜に値する。
彼らの魔法を認めることは、ミトアヌス様の御力を否定することになる。
人が魔法を作り、人が魔法を動かしている……?
認められるわけが無い。

私はここで手を引こう。
彼らの儀式を再現する為に記した"魔方陣もどき"は、友人に託すことにする。
そう、これは全て私の憶測であり、真実は何一つ記されていないのだ。
研究のし過ぎで気の振れた学者の妄言だと、どうか嗤って欲しい。
神への冒涜行為をした私に待つのは、孤独な死であろう。
しかし、真実は何も無かったのだ。
彼らは、好戦的で、血生臭く、野蛮な民族だ。

彼らを詮索してはならない。



私は、国を出ることにしよう。






エピローグ