ナナシの手記

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&br() &br() "彼らの戦術はあまりにも古すぎた" 誰もがそう記し、誰もがそう述べる"彼ら"の能力。 言葉のままに信じていれば良かった。否、信じるべきであった。 これは研究などではなく、ただの戯言と流されればそれで良い。 "彼ら"を詮索してはいけない。 これは、名も無き学者の、手記である。 『ナナシの手記』 まず私は、"彼ら"の力の源に疑問を抱いた。 遠い昔にあったとされる戦争で、"彼ら"はあまりにも強すぎた。 多くの学者達は、"彼ら"の強さを、自己暗示によるものとした。 そして"彼ら"の武器は戦力として偉大であった。 だから誰も疑問になど思うはずも無かった。 "彼ら"の使う、"魔法"の存在。 私は、"彼ら"の強さは、実は魔法にあるのではないかと考えた。 しかし、文字を持たない"彼ら"である。 その魔法も、私たちの理解を超えるものであろうと予想できた。 "彼ら"――――そう、体育会系民族は、本当に魔法を必要としていなかったのか? 彼らの戦闘は、本当に自己暗示と高度な武器による力のみだったのか。 そこに疑問を抱いた私は、彼らの"儀式"について、調べた。 勿論文献は存在せず、己の目で見る以外での確認方法はない。 私は、フィールドワークと称し、彼らの国まで足を運んだ。 敵対しない人間とは友好的な関係を保とうとする。この記述は正しく、私に敵意が無い事が伝わると、彼らは快く私を迎え入れてくれた。 彼らの生活。 それは、とても原始的で、知能はそれほど高くないように思える。 自給自足の生活。必要最低限の狩猟に、自家栽培での野菜。漁もすると聞いた。 彼らは当然のように火を使うが、火の使い方一つとっても原始的であり、手動での火起こしを未だに使用していた。 彼らの食事は肉に野菜、魚と種類は豊富であった。 言葉は特に難しくなく、多少の訛りはあるがコミュニケーションは自由に取ることができた。 滞在して三日。彼らの信仰について、いくつか解ったことがある。 彼らは自然崇拝で、特に精霊を信仰している。 自然には精霊や神が宿ると考え、精霊や神々を信仰している。 精霊や神々の言葉を聴ける者は一部の役職者のみであった。 彼らは"ドルイド"と呼ばれ、精霊や神々の言葉を聴き、皆に伝える役割を持つと同時に、権力者でもあった。 その役職者と話す機会もあったが、直接的な対話ではなく、私を迎え入れてくれた家の者たちと、役職者の言葉を聴くだけのものに留まった。 こちらで言う、ミサと同じようなものであろう。 予言的な言葉が出てきた。精霊の言葉を伝える彼らの言語は難しく、全てを理解することは出来なかった。 そして、彼らの言動を紙に残すことは咎められた。 「心で聴くのです。貴方の魂に刻みなさい。そうすれば、記録は必要無いでしょう」 そう言う彼の顔は穏やかで、多くは語らないが、強い信念を感じた。 文字を嫌う傾向は、日常生活の中でも何度か確認出来た。 それもそのはずで、外から来た私がメモを片手にうろつくものだから、彼らはいい顔はしなかった。 しかし、それを暴力的な方法で解決しようという気配は見られなかった。 普段は穏やかな民族のようだ。 滞在して五日目に、彼らの儀式に立ち会うことが出来た。 この時点で、私はメモを取るという行動を既に諦めていた。 ただ、なるべく詳細に記憶し、後の研究へと繋がればと、記憶のみでの記録を試みた。 私は外から来た訪問者であるから、儀式に参加する必要も無ければ、戦いに加わる必要も無いのだと説明された。 ならば見学も駄目なのかと尋ねると、快く承諾してくれた。 私は礼を言い、彼らの儀式を見学させてもらった。 儀式を執り行うのは、精霊の言葉を伝える役職者であった。 その役職者に、彼らは何の為に儀式を行うのか?と尋ねた。 外来者が疑問を抱くのは当然らしく、こちらも快く答えてくれた。 「祭りが行われるのです」 短的な解答だったが、私の背筋は凍えた。 彼らの儀式については、事前に知識を持っていたからである。 彼らは好戦的な民族であり、死を恐れず、敵の首を狩る。 死を恐れぬ理由は、彼らの存在は魂にあり、肉体はいわば鎧のようなもの。 肉体が滅んでも、彼らの魂は滅びない。 肉体から離れた魂は、別の肉体へと宿り、また生きる。 だから彼らは、肉体の滅びを恐れない。 肉体の滅びを死と考えない故に、死を恐れることなく敵陣へ向かう事が出来るのだ。 狩った敵首は特別な霊力の宿る存在として、家に持ち帰り飾ると言う。 そんな血生臭い戦いへと挑もうとした時、彼らから出た言葉は「祭り」であった。 神に捧げる行為だと、彼らは言い切ったのだ。 本当は帰りたい気持ちで一杯だったが、ここで引き返したら本来の目的が達成できないと、自らを奮い立たせ、儀式を見学させてもらった。 どこから見ても良いと言われたので、私は大変不躾に、色々な角度から彼らを観察した。 流石にこれには彼らの怒りを買うかと思ったが、儀式が始まると、まるで私の存在など無いように彼らは振る舞い、儀式は滞りなく進行していった。 儀式の内容は次の通りである。 これは記憶を頼りに後に文章化したものであり、確実な情報とは言えないと忠告しておく。 まず、役職者が戦いへ向かう男の額に傷を付ける。 何かの木の枝のように見えたが、彼らの信仰から推測すると、宿り木の可能性が高い。 額から流れた血を、顔や体に広げる「血化粧」が行われる。 「血化粧」は女が担当し、この時に血化粧をする女は、血縁関係があるものか、婚姻関係にある女が担当する決まりだそうだ。 化粧と同時に、女や子供たちが組み木の準備を行う。 化粧が終わった男たちもそれを手伝っていた。 そして火を起こし、儀式が行われる。 私はなるべく遠くの、高いところで全体を見ようとした。 少し先に小高い丘があったので、そちらを観察の場とした。 中央に儀式の炎が天高く燃えている。 彼らにとって炎は特別なもので、日常で使う火以外は神聖な意味を持つという。 炎はあらゆる厄災を払い、浄化するものとされていた。 戦いの前に炎を燃やすのは、体から不浄なものを払う意味が強い。 炎を囲むように、男が二週、輪を作る。 男の体には己の血を使った文様が刻まれていた。 彼らはそれを"儀式"と呼ぶが、私にはそうは思えなかった。 彼らの体に刻まれた文様は、どんな書物にも記されていない、彼ら独自の"文字"に見えたのだ。 男から少し離れた場所に、女も輪を作る。 儀式は音と共に進行するが、女は一人一人が全く異なる動きをしていた。 私はその女の動きも、"文字"に見えて仕方が無かった。 女の大きな輪の外に、四人の役職者が座り、言葉を紡ぐ。 役職者の位置は東西南北にそれぞれ一人ずつ。 何かの神を模したものなのかもしれない。 四人の役職者について尋ねた。 彼らは"バルド"と呼ばれていた。"吟遊詩人"という役職者らしい。 吟遊詩人の紡ぐ詩は、法律や道徳によるものが多い。 普段は音に乗せて、国や世界の法則を皆に伝えるが、この時紡がれる詩の、音色がどうも引っかかる。 "普段"と"儀式"では、微妙に音色が変わっていた。 私は彼らの儀式を、ただの儀式として見られなかった。 観察場所に高い場所を選んだのは正解だろう。 何故なら……彼らは…… "己の肉体を使い、大きな魔方陣を動かしていた" 炎を中心に置き、二つの小さな円で文字を表現する。 これが中心魔法となる。 少し離れた大きな円は、その魔法をより強力にするための補助効果の文字となる。 四方に位置したバルドの詩は小さな円と大きな円の中間へ流れ、体で表現した文字と共に動かすことにより、魔方陣は発動する。 この事実に直面した時の私の衝撃は、それこそ文字で表現することは難しく、首狩りを祭りと知った時とは比べ物にならないくらい、震えと鳥肌が治まらなかった。 更に恐怖したのは、バルドの紡ぐ音色である。 古い文献を読み漁り、私はルーン文字から"音素"という概念に辿り着いた。 話者が認識している言語音の事を"音素"と表記するが、音素は使う物が理解していなければその意味を成さない。 バルドの紡ぐ音色は、少し音節の付いた政治や宗教の伝承に聞こえる。 "本当の意味を理解していない者には"そう伝わるだろう。 しかし、バルドは知っている。その音に含まれる本当の意味を。その言葉を、その音色で紡ぐ本当の意味を。 そうでなければ、魔法など発動しないのだ。 何故彼らの世界でバルドが権力を有し、役職者となっているのか。 知識が必要だからだ。 言葉で飾った音の本質を、理解して紡いでいるからだ。 彼らの中の一文字でも欠ければ、役職者が音素を理解していなければ、魔法など使える訳が無い。彼らの中に魔法は存在しない。 しかし私は見てしまった。この目で、現実を。 彼らは確かに魔法を使っていた。 強大な魔方陣を発動させていた。 彼らの血化粧に、同じ文様は一つも無い。 そして彼らは、部族単位で生活している。 部族が違えば、化粧も変わる。 踊りも変わる。 発動する魔法も……変わる。 私たちは文系民族の魔法を強大なものとして警戒してきた。研究も進めてきた。 しかし私がみたあの魔方陣はなんだ? あれほどまでに強大な魔方陣。 誰も欠けてはいけない儀式。 完成された大きな魔方陣。 それを見た時、私は戦慄で身を震わせた。 何故なら………… "彼らは魔法を使っているという自覚が無い" 儀式だと、伝統だと、彼らは言う。 誰もが決まり事だと認識し、伝えられたとおりに儀式を行う。 彼らは、知らない。 彼らが作っている円こそが魔方陣だと。 彼らは、知らない。 彼らの踊りが、文様が、文字なのだと。 彼らの儀式こそが、魔法を発動させる儀式なのだと、彼らは知らない。 文字を嫌う。当たり前の事だった。 文字に残しても意味が無い。 あの魔方陣を発動させる為に必要な"キー"は、"音"だ。 何故地を踏む?何故舞を舞う?何故詩を紡ぐ? 全ては、"キー"だからだ。 文字に残したところで、発動はしない。そこに"音"が存在しなければ。 音を残したところで、発動はしない。音の"本来の意味"を理解していなければ。 好戦的で野蛮だとされる彼らがどうして秩序的なのか。何故穏やかに他の民族と接することが出来るのか。 彼らには秩序が存在するのだ。 役職者によって。 そして役職者は、我が国の学者以上の知識と知能を有している。 だから優遇される。だから特別視される。 当然の摂理だ。 何故、気付かなかった。 どうして彼らを野蛮人と決め付けた。 …………気付かなくても良いことだ。 彼らは好戦的で、血生臭く、野蛮な民族だ。 それでいい。 そうでなければならないのだ。 彼らの魔法を認め、研究をすることは、神への冒涜に値する。 彼らの魔法を認めることは、ミトアヌス様の御力を否定することになる。 人が魔法を作り、人が魔法を動かしている……? 認められるわけが無い。 私はここで手を引こう。 彼らの儀式を再現する為に記した"魔方陣もどき"は、友人に託すことにする。 そう、これは全て私の憶測であり、真実は何一つ記されていないのだ。 研究のし過ぎで気の振れた学者の妄言だと、どうか嗤って欲しい。 神への冒涜行為をした私に待つのは、孤独な死であろう。 しかし、真実は何も無かったのだ。 彼らは、好戦的で、血生臭く、野蛮な民族だ。 彼らを詮索してはならない。 私は、国を出ることにしよう。 &br() &br() &br() [[エピローグ>http://www49.atwiki.jp/alhigh/pages/52.html]]
&br() &br() "彼らの戦術はあまりにも古すぎた" 誰もがそう記し、誰もがそう述べる"彼ら"の能力。 言葉のままに信じていれば良かった。否、信じるべきであった。 これは研究などではなく、ただの戯言と流されればそれで良い。 "彼ら"を詮索してはいけない。 これは、名も無き学者の、手記である。 『ナナシの手記』 まず私は、"彼ら"の力の源に疑問を抱いた。 遠い昔にあったとされる戦争で、"彼ら"はあまりにも強すぎた。 多くの学者達は、"彼ら"の強さを、自己暗示によるものとした。 そして"彼ら"の武器は戦力として偉大であった。 だから誰も疑問になど思うはずも無かった。 "彼ら"の使う、"魔法"の存在。 私は、"彼ら"の強さは、実は魔法にあるのではないかと考えた。 しかし、文字を持たない"彼ら"である。 その魔法も、私たちの理解を超えるものであろうと予想できた。 "彼ら"――――そう、体育会系民族は、本当に魔法を必要としていなかったのか? 彼らの戦闘は、本当に自己暗示と高度な武器による力のみだったのか。 そこに疑問を抱いた私は、彼らの"儀式"について、調べた。 勿論文献は存在せず、己の目で見る以外での確認方法はない。 私は、フィールドワークと称し、彼らの国まで足を運んだ。 敵対しない人間とは友好的な関係を保とうとする。この記述は正しく、私に敵意が無い事が伝わると、彼らは快く私を迎え入れてくれた。 彼らの生活。 それは、とても原始的で、知能はそれほど高くないように思える。 自給自足の生活。必要最低限の狩猟に、自家栽培での野菜。漁もすると聞いた。 彼らは当然のように火を使うが、火の使い方一つとっても原始的であり、手動での火起こしを未だに使用していた。 彼らの食事は肉に野菜、魚と種類は豊富であった。 言葉は特に難しくなく、多少の訛りはあるがコミュニケーションは自由に取ることができた。 滞在して三日。彼らの信仰について、いくつか解ったことがある。 彼らは自然崇拝で、特に精霊を信仰している。 自然には精霊や神が宿ると考え、精霊や神々を信仰している。 精霊や神々の言葉を聴ける者は一部の役職者のみであった。 彼らは"ドルイド"と呼ばれ、精霊や神々の言葉を聴き、皆に伝える役割を持つと同時に、権力者でもあった。 その役職者と話す機会もあったが、直接的な対話ではなく、私を迎え入れてくれた家の者たちと、役職者の言葉を聴くだけのものに留まった。 こちらで言う、ミサと同じようなものであろう。 予言的な言葉が出てきた。精霊の言葉を伝える彼らの言語は難しく、全てを理解することは出来なかった。 そして、彼らの言動を紙に残すことは咎められた。 「心で聴くのです。貴方の魂に刻みなさい。そうすれば、記録は必要無いでしょう」 そう言う彼の顔は穏やかで、多くは語らないが、強い信念を感じた。 文字を嫌う傾向は、日常生活の中でも何度か確認出来た。 それもそのはずで、外から来た私がメモを片手にうろつくものだから、彼らはいい顔はしなかった。 しかし、それを暴力的な方法で解決しようという気配は見られなかった。 普段は穏やかな民族のようだ。 滞在して五日目に、彼らの儀式に立ち会うことが出来た。 この時点で、私はメモを取るという行動を既に諦めていた。 ただ、なるべく詳細に記憶し、後の研究へと繋がればと、記憶のみでの記録を試みた。 私は外から来た訪問者であるから、儀式に参加する必要も無ければ、戦いに加わる必要も無いのだと説明された。 ならば見学も駄目なのかと尋ねると、快く承諾してくれた。 私は礼を言い、彼らの儀式を見学させてもらった。 儀式を執り行うのは、精霊の言葉を伝える役職者であった。 その役職者に、彼らは何の為に儀式を行うのか?と尋ねた。 外来者が疑問を抱くのは当然らしく、こちらも快く答えてくれた。 「祭りが行われるのです」 短的な解答だったが、私の背筋は凍えた。 彼らの儀式については、事前に知識を持っていたからである。 彼らは好戦的な民族であり、死を恐れず、敵の首を狩る。 死を恐れぬ理由は、彼らの存在は魂にあり、肉体はいわば鎧のようなもの。 肉体が滅んでも、彼らの魂は滅びない。 肉体から離れた魂は、別の肉体へと宿り、また生きる。 だから彼らは、肉体の滅びを恐れない。 肉体の滅びを死と考えない故に、死を恐れることなく敵陣へ向かう事が出来るのだ。 狩った敵首は特別な霊力の宿る存在として、家に持ち帰り飾ると言う。 そんな血生臭い戦いへと挑もうとした時、彼らから出た言葉は「祭り」であった。 神に捧げる行為だと、彼らは言い切ったのだ。 本当は帰りたい気持ちで一杯だったが、ここで引き返したら本来の目的が達成できないと、自らを奮い立たせ、儀式を見学させてもらった。 どこから見ても良いと言われたので、私は大変不躾に、色々な角度から彼らを観察した。 流石にこれには彼らの怒りを買うかと思ったが、儀式が始まると、まるで私の存在など無いように彼らは振る舞い、儀式は滞りなく進行していった。 儀式の内容は次の通りである。 これは記憶を頼りに後に文章化したものであり、確実な情報とは言えないと忠告しておく。 まず、役職者が戦いへ向かう男の額に傷を付ける。 何かの木の枝のように見えたが、彼らの信仰から推測すると、宿り木の可能性が高い。 額から流れた血を、顔や体に広げる「血化粧」が行われる。 「血化粧」は女が担当し、この時に血化粧をする女は、血縁関係があるものか、婚姻関係にある女が担当する決まりだそうだ。 化粧と同時に、女や子供たちが組み木の準備を行う。 化粧が終わった男たちもそれを手伝っていた。 そして火を起こし、儀式が行われる。 私はなるべく遠くの、高いところで全体を見ようとした。 少し先に小高い丘があったので、そちらを観察の場とした。 中央に儀式の炎が天高く燃えている。 彼らにとって炎は特別なもので、日常で使う火以外は神聖な意味を持つという。 炎はあらゆる厄災を払い、浄化するものとされていた。 戦いの前に炎を燃やすのは、体から不浄なものを払う意味が強い。 炎を囲むように、男が二周、輪を作る。 男の体には己の血を使った文様が刻まれていた。 彼らはそれを"儀式"と呼ぶが、私にはそうは思えなかった。 彼らの体に刻まれた文様は、どんな書物にも記されていない、彼ら独自の"文字"に見えたのだ。 男から少し離れた場所に、女も輪を作る。 儀式は音と共に進行するが、女は一人一人が全く異なる動きをしていた。 私はその女の動きも、"文字"に見えて仕方が無かった。 女の大きな輪の外に、四人の役職者が座り、言葉を紡ぐ。 役職者の位置は東西南北にそれぞれ一人ずつ。 何かの神を模したものなのかもしれない。 四人の役職者について尋ねた。 彼らは"バルド"と呼ばれていた。"吟遊詩人"という役職者らしい。 吟遊詩人の紡ぐ詩は、法律や道徳によるものが多い。 普段は音に乗せて、国や世界の法則を皆に伝えるが、この時紡がれる詩の、音色がどうも引っかかる。 "普段"と"儀式"では、微妙に音色が変わっていた。 私は彼らの儀式を、ただの儀式として見られなかった。 観察場所に高い場所を選んだのは正解だろう。 何故なら……彼らは…… "己の肉体を使い、大きな魔方陣を動かしていた" 炎を中心に置き、二つの小さな円で文字を表現する。 これが中心魔法となる。 少し離れた大きな円は、その魔法をより強力にするための補助効果の文字となる。 四方に位置したバルドの詩は小さな円と大きな円の中間へ流れ、体で表現した文字と共に動かすことにより、魔方陣は発動する。 この事実に直面した時の私の衝撃は、それこそ文字で表現することは難しく、首狩りを祭りと知った時とは比べ物にならないくらい、震えと鳥肌が治まらなかった。 更に恐怖したのは、バルドの紡ぐ音色である。 古い文献を読み漁り、私はルーン文字から"音素"という概念に辿り着いた。 話者が認識している言語音の事を"音素"と表記するが、音素は使う物が理解していなければその意味を成さない。 バルドの紡ぐ音色は、少し音節の付いた政治や宗教の伝承に聞こえる。 "本当の意味を理解していない者には"そう伝わるだろう。 しかし、バルドは知っている。その音に含まれる本当の意味を。その言葉を、その音色で紡ぐ本当の意味を。 そうでなければ、魔法など発動しないのだ。 何故彼らの世界でバルドが権力を有し、役職者となっているのか。 知識が必要だからだ。 言葉で飾った音の本質を、理解して紡いでいるからだ。 彼らの中の一文字でも欠ければ、役職者が音素を理解していなければ、魔法など使える訳が無い。彼らの中に魔法は存在しない。 しかし私は見てしまった。この目で、現実を。 彼らは確かに魔法を使っていた。 強大な魔方陣を発動させていた。 彼らの血化粧に、同じ文様は一つも無い。 そして彼らは、部族単位で生活している。 部族が違えば、化粧も変わる。 踊りも変わる。 発動する魔法も……変わる。 私たちは文系民族の魔法を強大なものとして警戒してきた。研究も進めてきた。 しかし私がみたあの魔方陣はなんだ? あれほどまでに強大な魔方陣。 誰も欠けてはいけない儀式。 完成された大きな魔方陣。 それを見た時、私は戦慄で身を震わせた。 何故なら………… "彼らは魔法を使っているという自覚が無い" 儀式だと、伝統だと、彼らは言う。 誰もが決まり事だと認識し、伝えられたとおりに儀式を行う。 彼らは、知らない。 彼らが作っている円こそが魔方陣だと。 彼らは、知らない。 彼らの踊りが、文様が、文字なのだと。 彼らの儀式こそが、魔法を発動させる儀式なのだと、彼らは知らない。 文字を嫌う。当たり前の事だった。 文字に残しても意味が無い。 あの魔方陣を発動させる為に必要な"キー"は、"音"だ。 何故地を踏む?何故舞を舞う?何故詩を紡ぐ? 全ては、"キー"だからだ。 文字に残したところで、発動はしない。そこに"音"が存在しなければ。 音を残したところで、発動はしない。音の"本来の意味"を理解していなければ。 好戦的で野蛮だとされる彼らがどうして秩序的なのか。何故穏やかに他の民族と接することが出来るのか。 彼らには秩序が存在するのだ。 役職者によって。 そして役職者は、我が国の学者以上の知識と知能を有している。 だから優遇される。だから特別視される。 当然の摂理だ。 何故、気付かなかった。 どうして彼らを野蛮人と決め付けた。 …………気付かなくても良いことだ。 彼らは好戦的で、血生臭く、野蛮な民族だ。 それでいい。 そうでなければならないのだ。 彼らの魔法を認め、研究をすることは、神への冒涜に値する。 彼らの魔法を認めることは、ミトアヌス様の御力を否定することになる。 人が魔法を作り、人が魔法を動かしている……? 認められるわけが無い。 私はここで手を引こう。 彼らの儀式を再現する為に記した"魔方陣もどき"は、友人に託すことにする。 そう、これは全て私の憶測であり、真実は何一つ記されていないのだ。 研究のし過ぎで気の振れた学者の妄言だと、どうか嗤って欲しい。 神への冒涜行為をした私に待つのは、孤独な死であろう。 しかし、真実は何も無かったのだ。 彼らは、好戦的で、血生臭く、野蛮な民族だ。 彼らを詮索してはならない。 私は、国を出ることにしよう。 &br() &br() &br() [[エピローグ>http://www49.atwiki.jp/alhigh/pages/52.html]]

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