とある少年と三人のおっさん

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&br() &br() うららかな春の日差しを浴びながら、ゆっくりとした歩調で道を進んでいく。 天気の良い日は、時間を見つけては散歩に出たくなってしまう。 生まれ育った町並みを見て、馴染みのある景色を見て。 そして、必ず通る場所が、小さな広場。 ここではいつも子供たちが遊んでいる。 そんな子供たちの楽しそうな声を聞きながら、お茶を飲んだり、本を読んだり。 そんな時間が気に入っている。 今日はお昼を過ぎた頃にその場所を通り、子供たちはキャーキャーとはしゃぎながら、何かの遊びをしているようだった。 「…………?」 立ち止まって、広場を見てしまう。 子供たちの輪から少し外れた所に、ポツリと佇んでいる少年が居た。 まだ年も幼いように見える。4つか、5つか。 どうしたんだろう?一緒に遊ばないんだろうか? 少年は口を強く結んで、眉をきゅっと寄せて、一人で手毬遊びをしていた。 なんか、嫌な気分。 心の中でため息を吐く。 どうして仲間外れなんかするんだろう? みんなで仲良く遊べば良いのに。 それに、少年も自分から「仲間に入れて」と言えばいいのに。 まだ喋ったことも無い、たまたま見かけただけの少年が、妙に脳裏に焼きついていた。 それから数日後。 あの広場の前は何度か通ったけれど、やはり少年は一人だった。 輪から外れて一人だった。 近くに沢山の子供たちが居るのに。 みんな仲良く遊んでいるのに。 今日はもう日が暮れて、子供たちは帰ってしまっただろう。 夕暮れの広場は閑散としていて、いつもより広く感じる。 「あっ……」 そこで見つけてしまった。 ポツリとした影。 いつも固く結ばれていた口は解け、寄せられた眉は下げられ…… 少年は、泣いていた。 一人で、静かに、静かに。 「ねぇ……どうしたの?」 放っておけなかった。 そのまま帰れなかった。 どうしても切なくて、こちらまで泣きそうで、話しかけることを止められなかった。 「……おまえ、誰だよ」 泣き顔を見られたのが不満なのか、ぐいっと目元をぬぐって顔をそらされてしまう。 「はじめまして。トウノです。君の名前は?」 「なんだっていいだろ」 私だって少年の名前を知りたかったわけじゃない。 友達になりたいかと言われたらそれも謎のままだ。 でも、あの涙を見てしまうと、居ても立っても居られなかった。 「どうして泣いていたの?」 「泣いてなんかねーよ!」 少年の心は固く閉ざされてしまっている。 少年にとっては、私の存在なんて邪魔なのかもしれない。 こうして話しかけたことも、気に入らないかもしれない。 私はおせっかいだったんだろうか? このまま立ち去った方が良いのではないかと考えていると、後ろから新しい声が生まれた。 「おやおや、こんばんは」 それはとても穏やかな声で、振り返ると小柄なおばあさんがこちらに向かっていた。 「こんばんは」 知り合いなんかではもちろん無い。今日が初対面。 でも、違和感無く挨拶が出来る。 それはこの国の風潮で、穏やかな人が多いからだと、むかし母から教えてもらった。 「坊や、こんばんは」 少年は応えない。 少年の心は、まだ固く閉ざされたままだ。 「坊やは甘いものは好きかい?ばあばがお菓子をあげよう。このお姉ちゃんと一緒に食べようねぇ」 そう言って、おばあさんは後ろで手を組みながら、広場にあるベンチに向かい歩き始める。 私は後を追いながら、後ろを振り返った。 しかめっ面のままだけれど、こちらへ来てくれた。 少し、安堵する。 「ほら、これはね、甘くて美味しいんだよ」 おばあさんがポケットから取り出した包み紙には、小さくてカラフルな四角いものが包まれていた。 「これはおばあさんが作ったの?」 私が聞くと、おばあさんはニコニコと笑いながら、「これは人を幸せにする魔法の飴だよ」と答えてくれた。 少年も素直に飴を受け取って口に含む。 「どうだい?甘くて美味しいだろう?」 「……うん」 少し、空気が和らいだ。 「坊やは友達と一緒に遊ばないのかい?」 私の疑問を簡単に投げかけるおばあさんに少し驚いたが、その声はとても穏やかで、嫌味は欠片も感じられなかった。 「いらないよ。友達なんて。あいつら、意地悪するんだ」 「おやおや、それは困った友達だねぇ」 少年の心が少しずつほぐれて行くのを感じながら、口に含んだ飴を転がす。 私は何の役にも立たないだろうけど、きっとここに居ても、おばあさんは許してくれるんだろう。 人を幸せにする魔法は、口の中で少しずつ溶けて、体中に広がっていくような気がした。 「どうして意地悪するんだろうね?」 この問いには、少し間があった。 「……俺ンち、父ちゃん居ないから」 「お父さんを知らないのかい?」 「小さい頃は居たって。でも、早くに死んじゃったって」 カランコロンと飴を転がすたびに、幸せになる魔法は広がっていく。 「お母さんは好きかい?」 「母ちゃんは優しいよ。でも、仕事が忙しいから、一人で遊ばなくちゃいけないんだ」 少年は孤独だったんだろう。 遊びたい盛りの年に、父親も居なく、母親も忙しく。 父親が居ないことで、仲間に入れてもらえなかったのか。 けれど、それは子供の世界の話であって、私にはどうすることも出来ない。 首を突っ込んだところで、やはり、邪魔をしてしまうだろう。 「お父さんが居ないのは寂しいかい?」 「よくわかんない」 そう、少年は父親を知らないから。 物心付いた頃にはもう居なくなってしまった父親の存在に対し、寂しと考えることも出来なかったんだ。 「坊や、こういう話しを知っているかい?」 「なぁに?」 少年が、少年らしくなった瞬間だった。 おばあさんのくれた幸せの魔法は、確実に効いてきている。 「この世界はね、三人のおっさんが作ってくれた世界なんだ」 「なんでー、ソレ。昔話?ガキ扱いすんなよ!」 「いいから、お聞きって」 おばあさんはどもまでも穏やかで、どんな反応に対しても笑顔で応えていた。 「力強いおっさん、賢いおっさん、早いおっさんがこの世界を作ってくれたんだよ」 「だからなんだよ」 「人は死ぬとね、おっさんが迎えに来てくれるんだよ」 「……それ、母ちゃんから聞いたことがある」 「うん、そうだね。この世界はおっさんが作ってくれた世界だからね」 この国に産まれた人間は誰もが知っている、そんな昔話だった。 「坊やのお父さんは、何の月に産まれたか聞いたことは無いかい?」 「知ってる。秋の月だって。母ちゃんが教えてくれた」 それを聞いて、おばあさんは「そうかい、そうかい」とニコニコと笑う。 しわくちゃの顔がよりくちゃくちゃになって、愛嬌が深まる。 「じゃあ坊やのお父さんは、早いのおっさんが迎えに来てくれたんだね」 「そんな事まで分かるの?」 始めは否定していた彼も、今は興味を持ったようで、真剣に話しを聞いていた。 私もこの話しを聞くのは久しぶりで、いつか、このおばあさんのように、私も誰かに……自分の子供や、知り合った子達に、話せたらいいな。そんな事を思いながら耳を傾ける。 「秋になると強い風が吹くだろう?早いおっさんが動くとね、風が生まれるんだよ」 「父ちゃんは?父ちゃんは風のおっさんの所で何をしているの?」 どんなに強がっても、自分で平気だと言い聞かせても、心の中の寂しさは誤魔化せない。 「坊やのお父さんもね、早いおっさんと一緒に風を起こしているんだよ。だから風が吹いたら、坊やの直ぐ近くに、お父さんが来ている合図なんだよ」 「最近、風が強いよ?」 「そうだね。坊やが寂しがってるんじゃないかな?元気にしているかな?ちゃんとご飯を食べているかな?って、お父さんは心配なのかもしれないねぇ。坊やのお父さんは、坊やの事が大好きみたいだね」 その時、強い風が吹き抜けた。 「……今の、父ちゃん?」 「そうだよ。こうやって坊やの事を見に来てるんだ。それにね、風は色んな場所から色んな種を運んで来るんだよ。この広場にも綺麗な花が沢山あるねぇ。この花の種を運んできたのは、坊やのお父さんかもしれないねぇ」 少年の顔からは完全に曇りが消え、おばあさんも相変わらずニコニコ笑っていた。 「他のおっさんは?他のおっさんは何をしてくれるの?他のおっさんの所に行った人はどうなるの?」 「そうだねぇ……」 三人のおっさん。 こうして話は語り継がれ、次の世代へと引き継がれていく。 「力強いおっさんは、大地を作ったんだ。今見えるこの地面が、力強いおっさんが作った大地だよ」 幸せになる魔法は、口の中で完全に溶けて無くなった。 けれどこの魔法は、溶けてからが効果を見せる魔法のようだった。 「力強いおっさんの所に行った人はね、大地を潤すお手伝いをするんだ。お母さんは畑仕事をするかい?」 「うん、麦を作っているよ」 「その麦が沢山作れるのも、力強いおっさんと、力強いおっさんの所に行った人たちのおかげだね」 「うんうん、それで?」 昔話だと馬鹿にしていた少年が、今は前のめりに聞いている。 だって、昔話と言ってもそれは実話で、本当にあったお話なのだから。 「賢いおっさんは、時を作ったんだね。夕方に帰らないといけないだろう?それを知ることが出来るのも、賢いおっさんのおかげだね」 私たちの住む国、そして世界が、おっさんと、おっさんの元に行った人たちで造られている。 「賢いおっさんの所に行った人たちはね、賢いおっさんのお手伝いをするんだ。みんなが賢くなりますようにってね。坊やはもう文字は書けるかい?」 「ちょっとだけ書けるよ。まだ難しいけど」 「じゃあこれからも沢山沢山、賢いおっさんの力を借りないとね。坊やが沢山の字を書けるように、沢山の字を読めるように、賢いおっさんの所に行った人たちも応援してるよ」 だからね、とおばあさんは続ける。 「坊やは何も寂しいことは無いんだ。三人のおっさんと、そのおっさんの所に行った人たちに見守られている。お父さんだって、ちゃんと風になって坊やに会いに来てくれているじゃないか」 「寂しくないの?」 「寂しいかい?」 力強く、少年は首を横に振った。 「俺、大丈夫。父ちゃんに心配かけないように、もう泣かないよ」 「友達とも仲良くならないとねぇ」 「えー!あんな奴ら!」 そこは少年も譲れないところらしい。すこし笑ってしまった。 「悪い子はおっさんが迎えに来てくれないよ?」 「迎えに来ないとどうなるの?」 少年の声に、少し恐怖が混ざる。 「それはね、"無"なんだよ。何も無い。どこにも行けない。誰にも気づいてくれない。どんなに声を出しても、どんなに動いても、世界は何も動かない。孤独で、一人で、寂しいよ」 うわぁ……と、少年が小さく悲鳴を上げた。 「お、俺、ちゃんとおっさんに迎えに来てもらえるように良い子になるよ!友達も沢山作るよ!そうしたら、おっさんは迎えに来てくれる?もう悪い子だから、迎えに来てくれない……?」 「大丈夫。おっさんはみんな優しいから、ちゃんといい子にして、友達といっぱい遊べば、ちゃんと迎えに来てくれるよ」 ニコニコと笑ったおばあさんが、しわくちゃの手で少年の頭を撫でる。 彼の知っている母親の手とも違う、彼の想像する父親の手とも違う、その小さくてしわくちゃな手は、見ているだけの私でも、温もりを感じ取ることが出来た。 おばあさんの手。それは……少年が笑顔になる魔法。 元気よく挨拶をして帰っていく少年を見送りながら、私もおばあさんに頭を下げる。 「私、なんにも出来なくて。でも、最後まで居ちゃって。ごめんなさい」 その場にふさわしくないような、私だけ浮いているような、ほんの少しだけ孤独感。 「優しい気持ちをこれからも忘れないようにね。優しい優しいお嬢ちゃん、きっとお嬢ちゃんが坊やに話しかけなかったら、こんなばあばとあの坊やが、話すことも無かったよ」 また一緒に飴を食べようね、と言って、おばあさんも帰っていった。 私も家路につこう。 なんだか、とても幸せな時間を過ごせた気がする。 「幸せになる魔法……」 私も、そんな魔法を使えるように頑張ります。賢いおっさん、見ていてくださいね。 それからまた数日後。 いつものお散歩コースで、いつもの広場の前を通った。 ここではいつも子供たちが遊んでいる。 仲間外れはもう居ない。 一人ぼっちも、もう居ない。 みんなで輪になって、キャーキャーとはしゃいでいる。 その輪の中に、楽しそうな少年の姿を見つけて、私はそのまま広場を通り過ぎた。 三人のおっさん、見てますか? 今日も、世界は平和ですよ。 END.
&br() &br() うららかな春の日差しを浴びながら、ゆっくりとした歩調で道を進んでいく。 天気の良い日は、時間を見つけては散歩に出たくなってしまう。 生まれ育った町並みを見て、馴染みのある景色を見て。 そして、必ず通る場所が、小さな広場。 ここではいつも子供たちが遊んでいる。 そんな子供たちの楽しそうな声を聞きながら、お茶を飲んだり、本を読んだり。 そんな時間が気に入っている。 今日はお昼を過ぎた頃にその場所を通り、子供たちはキャーキャーとはしゃぎながら、何かの遊びをしているようだった。 「…………?」 立ち止まって、広場を見てしまう。 子供たちの輪から少し外れた所に、ポツリと佇んでいる少年が居た。 まだ年も幼いように見える。4つか、5つか。 どうしたんだろう?一緒に遊ばないんだろうか? 少年は口を強く結んで、眉をきゅっと寄せて、一人で手毬遊びをしていた。 なんか、嫌な気分。 心の中でため息を吐く。 どうして仲間外れなんかするんだろう? みんなで仲良く遊べば良いのに。 それに、少年も自分から「仲間に入れて」と言えばいいのに。 まだ喋ったことも無い、たまたま見かけただけの少年が、妙に脳裏に焼きついていた。 それから数日後。 あの広場の前は何度か通ったけれど、やはり少年は一人だった。 輪から外れて一人だった。 近くに沢山の子供たちが居るのに。 みんな仲良く遊んでいるのに。 今日はもう日が暮れて、子供たちは帰ってしまっただろう。 夕暮れの広場は閑散としていて、いつもより広く感じる。 「あっ……」 そこで見つけてしまった。 ポツリとした影。 いつも固く結ばれていた口は解け、寄せられた眉は下げられ…… 少年は、泣いていた。 一人で、静かに、静かに。 「ねぇ……どうしたの?」 放っておけなかった。 そのまま帰れなかった。 どうしても切なくて、こちらまで泣きそうで、話しかけることを止められなかった。 「……おまえ、誰だよ」 泣き顔を見られたのが不満なのか、ぐいっと目元をぬぐって顔をそらされてしまう。 「はじめまして。トウノです。君の名前は?」 「なんだっていいだろ」 私だって少年の名前を知りたかったわけじゃない。 友達になりたいかと言われたらそれも謎のままだ。 でも、あの涙を見てしまうと、居ても立っても居られなかった。 「どうして泣いていたの?」 「泣いてなんかねーよ!」 少年の心は固く閉ざされてしまっている。 少年にとっては、私の存在なんて邪魔なのかもしれない。 こうして話しかけたことも、気に入らないかもしれない。 私はおせっかいだったんだろうか? このまま立ち去った方が良いのではないかと考えていると、後ろから新しい声が生まれた。 「おやおや、こんばんは」 それはとても穏やかな声で、振り返ると小柄なおばあさんがこちらに向かっていた。 「こんばんは」 知り合いなんかではもちろん無い。今日が初対面。 でも、違和感無く挨拶が出来る。 それはこの国の風潮で、穏やかな人が多いからだと、むかし母から教えてもらった。 「坊や、こんばんは」 少年は応えない。 少年の心は、まだ固く閉ざされたままだ。 「坊やは甘いものは好きかい?ばあばがお菓子をあげよう。このお姉ちゃんと一緒に食べようねぇ」 そう言って、おばあさんは後ろで手を組みながら、広場にあるベンチに向かい歩き始める。 私は後を追いながら、後ろを振り返った。 しかめっ面のままだけれど、こちらへ来てくれた。 少し、安堵する。 「ほら、これはね、甘くて美味しいんだよ」 おばあさんがポケットから取り出した包み紙には、小さくてカラフルな四角いものが包まれていた。 「これはおばあさんが作ったの?」 私が聞くと、おばあさんはニコニコと笑いながら、「これは人を幸せにする魔法の飴だよ」と答えてくれた。 少年も素直に飴を受け取って口に含む。 「どうだい?甘くて美味しいだろう?」 「……うん」 少し、空気が和らいだ。 「坊やは友達と一緒に遊ばないのかい?」 私の疑問を簡単に投げかけるおばあさんに少し驚いたが、その声はとても穏やかで、嫌味は欠片も感じられなかった。 「いらないよ。友達なんて。あいつら、意地悪するんだ」 「おやおや、それは困った友達だねぇ」 少年の心が少しずつほぐれて行くのを感じながら、口に含んだ飴を転がす。 私は何の役にも立たないだろうけど、きっとここに居ても、おばあさんは許してくれるんだろう。 人を幸せにする魔法は、口の中で少しずつ溶けて、体中に広がっていくような気がした。 「どうして意地悪するんだろうね?」 この問いには、少し間があった。 「……俺ンち、父ちゃん居ないから」 「お父さんを知らないのかい?」 「小さい頃は居たって。でも、早くに死んじゃったって」 カランコロンと飴を転がすたびに、幸せになる魔法は広がっていく。 「お母さんは好きかい?」 「母ちゃんは優しいよ。でも、仕事が忙しいから、一人で遊ばなくちゃいけないんだ」 少年は孤独だったんだろう。 遊びたい盛りの年に、父親も居なく、母親も忙しく。 父親が居ないことで、仲間に入れてもらえなかったのか。 けれど、それは子供の世界の話であって、私にはどうすることも出来ない。 首を突っ込んだところで、やはり、邪魔をしてしまうだろう。 「お父さんが居ないのは寂しいかい?」 「よくわかんない」 そう、少年は父親を知らないから。 物心付いた頃にはもう居なくなってしまった父親の存在に対し、寂しと考えることも出来なかったんだ。 「坊や、こういう話しを知っているかい?」 「なぁに?」 少年が、少年らしくなった瞬間だった。 おばあさんのくれた幸せの魔法は、確実に効いてきている。 「この世界はね、三人のおっさんが作ってくれた世界なんだ」 「なんでー、ソレ。昔話?ガキ扱いすんなよ!」 「いいから、お聞きって」 おばあさんはどもまでも穏やかで、どんな反応に対しても笑顔で応えていた。 「力強いおっさん、賢いおっさん、早いおっさんがこの世界を作ってくれたんだよ」 「だからなんだよ」 「人は死ぬとね、おっさんが迎えに来てくれるんだよ」 「……それ、母ちゃんから聞いたことがある」 「うん、そうだね。この世界はおっさんが作ってくれた世界だからね」 この国に産まれた人間は誰もが知っている、そんな昔話だった。 「坊やのお父さんは、何の月に産まれたか聞いたことは無いかい?」 「知ってる。秋の月だって。母ちゃんが教えてくれた」 それを聞いて、おばあさんは「そうかい、そうかい」とニコニコと笑う。 しわくちゃの顔がよりくちゃくちゃになって、愛嬌が深まる。 「じゃあ坊やのお父さんは、早いのおっさんが迎えに来てくれたんだね」 「そんな事まで分かるの?」 始めは否定していた彼も、今は興味を持ったようで、真剣に話しを聞いていた。 私もこの話しを聞くのは久しぶりで、いつか、このおばあさんのように、私も誰かに……自分の子供や、知り合った子達に、話せたらいいな。そんな事を思いながら耳を傾ける。 「秋になると強い風が吹くだろう?早いおっさんが動くとね、風が生まれるんだよ」 「父ちゃんは?父ちゃんは風のおっさんの所で何をしているの?」 どんなに強がっても、自分で平気だと言い聞かせても、心の中の寂しさは誤魔化せない。 「坊やのお父さんもね、早いおっさんと一緒に風を起こしているんだよ。だから風が吹いたら、坊やの直ぐ近くに、お父さんが来ている合図なんだよ」 「最近、風が強いよ?」 「そうだね。坊やが寂しがってるんじゃないかな?元気にしているかな?ちゃんとご飯を食べているかな?って、お父さんは心配なのかもしれないねぇ。坊やのお父さんは、坊やの事が大好きみたいだね」 その時、強い風が吹き抜けた。 「……今の、父ちゃん?」 「そうだよ。こうやって坊やの事を見に来てるんだ。それにね、風は色んな場所から色んな種を運んで来るんだよ。この広場にも綺麗な花が沢山あるねぇ。この花の種を運んできたのは、坊やのお父さんかもしれないねぇ」 少年の顔からは完全に曇りが消え、おばあさんも相変わらずニコニコ笑っていた。 「他のおっさんは?他のおっさんは何をしてくれるの?他のおっさんの所に行った人はどうなるの?」 「そうだねぇ……」 三人のおっさん。 こうして話は語り継がれ、次の世代へと引き継がれていく。 「力強いおっさんは、大地を作ったんだ。今見えるこの地面が、力強いおっさんが作った大地だよ」 幸せになる魔法は、口の中で完全に溶けて無くなった。 けれどこの魔法は、溶けてからが効果を見せる魔法のようだった。 「力強いおっさんの所に行った人はね、大地を潤すお手伝いをするんだ。お母さんは畑仕事をするかい?」 「うん、麦を作っているよ」 「その麦が沢山作れるのも、力強いおっさんと、力強いおっさんの所に行った人たちのおかげだね」 「うんうん、それで?」 昔話だと馬鹿にしていた少年が、今は前のめりに聞いている。 だって、昔話と言ってもそれは本当にあったお話なのだから。 「賢いおっさんは、時を作ったんだね。夕方に帰らないといけないだろう?それを知ることが出来るのも、賢いおっさんのおかげだね」 私たちの住む国、そして世界が、おっさんと、おっさんの元に行った人たちで造られている。 「賢いおっさんの所に行った人たちはね、賢いおっさんのお手伝いをするんだ。みんなが賢くなりますようにってね。坊やはもう文字は書けるかい?」 「ちょっとだけ書けるよ。まだ難しいけど」 「じゃあこれからも沢山沢山、賢いおっさんの力を借りないとね。坊やが沢山の字を書けるように、沢山の字を読めるように、賢いおっさんの所に行った人たちも応援してるよ」 だからね、とおばあさんは続ける。 「坊やは何も寂しいことは無いんだ。三人のおっさんと、そのおっさんの所に行った人たちに見守られている。お父さんだって、ちゃんと風になって坊やに会いに来てくれているじゃないか」 「寂しくないの?」 「寂しいかい?」 力強く、少年は首を横に振った。 「俺、大丈夫。父ちゃんに心配かけないように、もう泣かないよ」 「友達とも仲良くならないとねぇ」 「えー!あんな奴ら!」 そこは少年も譲れないところらしい。すこし笑ってしまった。 「悪い子はおっさんが迎えに来てくれないよ?」 「迎えに来ないとどうなるの?」 少年の声に、少し恐怖が混ざる。 「それはね、"無"なんだよ。何も無い。どこにも行けない。誰にも気づいてくれない。どんなに声を出しても、どんなに動いても、世界は何も動かない。孤独で、一人で、寂しいよ」 うわぁ……と、少年が小さく悲鳴を上げた。 「お、俺、ちゃんとおっさんに迎えに来てもらえるように良い子になるよ!友達も沢山作るよ!そうしたら、おっさんは迎えに来てくれる?もう悪い子だから、迎えに来てくれない……?」 「大丈夫。おっさんはみんな優しいから、ちゃんといい子にして、友達といっぱい遊べば、ちゃんと迎えに来てくれるよ」 ニコニコと笑ったおばあさんが、しわくちゃの手で少年の頭を撫でる。 彼の知っている母親の手とも違う、彼の想像する父親の手とも違う、その小さくてしわくちゃな手は、見ているだけの私でも、温もりを感じ取ることが出来た。 おばあさんの手。それは……少年が笑顔になる魔法。 元気よく挨拶をして帰っていく少年を見送りながら、私もおばあさんに頭を下げる。 「私、なんにも出来なくて。でも、最後まで居ちゃって。ごめんなさい」 その場にふさわしくないような、私だけ浮いているような、ほんの少しだけ孤独感。 「優しい気持ちをこれからも忘れないようにね。優しい優しいお嬢ちゃん、きっとお嬢ちゃんが坊やに話しかけなかったら、こんなばあばとあの坊やが、話すことも無かったよ」 また一緒に飴を食べようね、と言って、おばあさんも帰っていった。 私も家路につこう。 なんだか、とても幸せな時間を過ごせた気がする。 「幸せになる魔法……」 私も、そんな魔法を使えるように頑張ります。賢いおっさん、見ていてくださいね。 それからまた数日後。 いつものお散歩コースで、いつもの広場の前を通った。 ここではいつも子供たちが遊んでいる。 仲間外れはもう居ない。 一人ぼっちも、もう居ない。 みんなで輪になって、キャーキャーとはしゃいでいる。 その輪の中に、楽しそうな少年の姿を見つけて、私はそのまま広場を通り過ぎた。 三人のおっさん、見てますか? 今日も、世界は平和ですよ。 END.

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