フェルナンド・トーレス

登録日:2011/01/29(土) 04:18:20
更新日:2022/02/12 Sat 10:40:52
所要時間:約 5 分で読めます




本名:フェルナンド・ホセ・トーレス・サンス(Fernando José Torres Sanz)

1984年3月20日生まれの元サッカー選手。ポジションはFW。
スペインのマドリード州出身。

金髪ブロンドの長髪が似合うイケメン
愛称は、エル・ニーニョ、神の子、そばかす王子、トーなんとかさん、師匠、5000万ポンド…など。


クラブ経歴


アトレティコでは弱冠19歳でキャプテンを勤めた。
ダービー相手のレアル・マドリーとは相性が非常に悪く、最初に所属していたアトレティコ時代ではわずか1ゴール、0勝4分6敗と、一度も勝ち星を挙げられないまま終わる。
反対にバルサ相手には相性が良く、バルサがリーグ連覇した04-05シーズンと05-06シーズンはホーム&アウェーの4戦全てで得点するなど、07年4月までの計9戦で7得点を決めた。
しかし、最後の対戦で0-6の完敗を喫し、これが移籍を決断するきっかけとなった。

2007年よりプレミアリーグのリバプールへと活躍の場を移した。
加入直後からゴールを量産し、プレミアリーグ初挑戦外国人選手最高の24ゴールを記録。
KOP(リバプールサポーター)のアイドルとなる。

その後も低迷するチームの中でも獅子奮迅の活躍を見せるも、
いかんせん当時のリヴァプールは非常に厳しいチーム状況に置かれていたため、ジェラードとトーレス頼みのサッカーに終始していた。
負担が集中するトーレスは次第に負傷離脱を繰り返すようになり、得点源を失ったチームはさらに泥沼状態に。
しかし、彼自身は復調の兆しが見えながらも泥沼のクラブに失望し移籍志願。

2011年冬、移籍期間終了ギリギリでチェルシーへ移籍。
このときはヘリで飛んで交渉に訪れた。
移籍金は5000万ポンド(約70億円)、英国史上最高額となった。
ユニフォームの色が赤から青に変わっても、彼はゴールを決めてくれるさ。

……と思いきや、チェルシー移籍後は深刻なゴール欠乏症に陥り、移籍後14試合ノーゴールが続く。
しかし、第34節ウェストハム戦にてついに待望の初ゴールを記録。
このときのチェルシーサポーターの喜び方はもはや異常。
しっかり愛されてるじゃないか!
翌シーズンは動きのキレを取り戻し、マンチェスターU戦でのQBKなど、ネタを供給することを忘れない程度に活躍した。
特に11-12シーズンのCL準決勝において、バルサを敗退に追いやった試合終了間際のゴールを覚えている方も多いだろう。

後にチェルシー移籍について、当時のリバプールは主力選手をことごとく売り払い、若手中心のチームを作ろうとしていたことや、「当時のオーナーは嘘が多かったから、最終的に僕自身で道を見つける必要があった」と述懐している。*1
しかし結局、リバプール時代の輝きは戻らないままだった。
しかもキャリアにおいて一番タイトルに恵まれていた時期が、このチェルシー時代だったというのが皮肉である。

その後レンタル移籍したミランでも輝きは戻らなかったが、15年1月、古巣アトレティコへの復帰を発表。
クラブのアイドルの帰還に多くのファンが歓迎する中、トーレスもまた喜びの声を発した。
「子どもの頃から僕はアトレティコのファンなんだ。このクラブには特別な想いがあるんだ。他のクラブでプレーしたこともあったけど、アトレティコのようなクラブは他にはないんだ」
さらにこの頃のアトレティコはクラブのレジェンドであるチョロことディエゴ・シメオネ監督に率いられ、バルサやマドリーの後塵を拝するネタクラブからの脱却を遂げていた。
17-18シーズンにアトレティコはELを制覇。これにより、最愛のクラブで念願の初タイトルを獲得したのである。

その後、再びアトレティコとの別れが訪れた。
新たなフィールドとして彼が選んだ、そのクラブとは……






Jリーグ
サガン鳥栖






キャリア最後の地となった日本での経験を、彼はこう振り返っている。
「プライバシーと人々のリスペクトのおかげで、信じられないほど豊かな個人的な経験になった」
「ショッピングセンターに行ったり、通りを歩いたり、自転車に静かに乗ったりできた。ここ(スペイン)ではできない」
一方でJリーグでのプレーについては、「トップレベルではない相手に、どのようにプレーしていいかわからなかった」「そうしたサッカーをする準備ができていなかったから、1年しか滞在しなかった」と吐露。
それでも、日本での1年は心に残るものだったのは確かなようで、「選手としては引退するが、クラブを離れるつもりはない。アドバイザーとして残り、サガンの、そして日本のサッカーを世界に広げていくことに貢献したい」とも答えている。*2


プレースタイル

特筆すべきはそのスピード。
圧倒的な加速力を生かしてスペースに飛び込み、ゴールを陥れる典型的なカウンター型のストライカー。
スピーディーな展開が特徴のプレミアリーグはまさにトーレス向きのリーグと言えよう。

リバプール時代はジェラードとの連携でゴールを量産、彼が居るのと居ないのとでは大きな違いが生まれた。
フィニッシュのパターンも豊富で空中戦もわりと得意。


一方、彼の弱点として、
怪我がち(スペ体質)な事とテクニックがさほど無いことが上げられる。

前述でゴールを量産とは書いたが、怪我がち。でも試合に出れば決めてくれる。
ちなみに怪我の頻度も怪我の大きさもロッベン程ではない。きっと。

テクニックに関しては、トラップが残念だったり、囲まれるとそのまま取られたり。
DFを背負ってのポストプレーや細かいパス交換からの突破はあまり得意ではない。
まあ下手ではないが決してして上手くはない。

前述のようにスペースがあってこそ力を発揮するタイプのため、2トップよりも1トップ向き。


また、スペイン代表ではポゼッションを重視するチームの戦術上、トーレスが走り込むスペースが前線にないことも珍しくなく、実力を発揮しきれていない。


名前が先行していることもあり、一般人には
トーレス>ビジャ
と、思われてるが監督の1stチョイスはビジャ。
トーレスが完全に劣ってる訳ではなく、戦術上の理由も少なからずあるだろう。


カウンターサッカーならトーレス
ポゼッションサッカーではビジャ
大まかに言えばこんな感じ。




代表メンバーではセルヒオ・ラモスと特に仲がよろしいご様子。
勝利の喜びを分かち合うとき、優勝トロフィーは掲げるときは大抵この二人はセット。


トーレス師匠の2010ワールドカップ全成績

2008年10月11日 WC2010.予選 [エストニア]  フル出場 ノーゴール
2008年10月15日 WC2010.予選 [ベルギー]  16分出場 ノーゴール
2009年03月28日 WC2010.予選 [トルコ]  88分出場 ノーゴール
2009年04月01日 WC2010.予選 [トルコ]  86分出場 ノーゴール
2009年09月05日 WC2010.予選 [ベルギー]  66分出場 ノーゴール
2009年09月09日 WC2010.予選 [エストニア]  57分出場 ノーゴール
2009年10月10日 WC2010.予選 [アルメニア]  55分出場 ノーゴール

2010年06月16日 WC2010.GL [スイス]  29分出場 ノーゴール
2010年06月21日 WC2010.GL [ホンジュラス]  70分出場 ノーゴール
2010年06月25日 WC2010.GL [チリ]  55分出場 ノーゴール
2010年06月29日 WC2010.R16 [ポルトガル]  59分出場 ノーゴール
2010年07月03日 WC2010.QF [パラグアイ]  57分出場 ノーゴール
2010年07月07日 WC2010.SF [ドイツ]   9分出場 ノーゴール
2010年07月11日 WC2010.F [オランダ]   24分出場 ノーゴール




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最終更新:2022年02月12日 10:40