宮市亮

登録日:2011/09/04 (日) 23:58:25
更新日:2024/04/04 Thu 14:09:30
所要時間:約 4 分で読めます




宮市(みやいち)(りょう)は、Jリーグ・横浜Fマリノス所属のプロサッカー選手。
愛知県岡崎市出身。
ポジションは主にウイングやサイドハーフで、海外での愛称はリオ。


経歴

2011-2015 アーセナル
2011    フェイエノールト(レンタル)
2012    ボルトン (レンタル)
2012-2013 ウィガン(レンタル)
2014-2015 トゥウェンテ (レンタル)
2015-2021 FCザンクトパウリ
2021-   横浜F・マリノス



高校時代にアルセーヌ・ベンゲルからのスカウトを受け、卒業後Jリーグを経由せずそのままプレミアリーグの名門・アーセナルFCへ加入した。
しかし、イギリスの労働ビザ取得するには

  • 過去2年のA代表公式戦のうち75%以上出場している。
  • 将来有望な若手プレイヤーである【特例】

のうち、どちらかの条件を満たさなければならないが、高校生だった宮市に代表歴はなく、将来有望であると認めさせる実績もなかった。

そのため、宮市はレンタル移籍されることとなった。
その移籍先となったのが、当時降格も危惧されていたオランダの名門・フェイエノールトである。

フェイエノールトに移籍すると、すぐさま当時同クラブを率いていたマリオ・ビーン監督の信頼を得てレギュラーポジションを獲得。
フェイエノールトは宮市加入後から徐々に順位を上げていき、
宮市自身も12試合で3得点3アシストと終盤には攻略されていたものの結果を残し、低迷していたチームを18チーム中10位にまで導いた。

シーズン終了後、再びイギリスに渡った宮市はアーセナルのプレシーズントレーニングをこなし、一方でアーセナルは宮市の労働ビザを再申請。

そして2011.8。オランダでの活躍が認められ、“将来有望な若手”という特例により無事に労働ビザが発行され、晴れてアーセナルの一員となった。
(発行されていなければ再びレンタルに出される事は確実であった)

だが、戻ってすぐに試合に出ることはできず、しばらくはFA杯や練習試合で地道に経験を積み、
アルシャビンやファンペルシー、往年の名プレイヤーであるアンリらと練習を重ね自身のレベルアップに努める日々が続く。
2012.2。宮市は再びレンタルで、同じプレミアリーグのボルトンに移籍(ちなみにボルトンには過去に中田英寿も所属したことがある)。
移籍してすぐのリーグ戦で途中出場すると、自慢の快速でピッチを疾走。チャンスを演出し、自らもゴールに迫り、惜しいシュートを放つなど奮闘した。
この試合で宮市はボルトンのファン、選手、監督の信頼を掴み取る。
続くFA杯、初先発した宮市は開始4分に味方の素早いリスタートからイングランドでの公式戦初ゴールを決める。
スピードとシュートテクニックを活かした、宮市らしいゴールであった。


……が、この頃からとある問題が浮上する。それが驚異的なスペランカー体質である。
靭帯や筋肉系怪我はスピード型の宿命とも言えるが、彼は離脱頻度・期間ともに深刻であり、ヨーロッパでのキャリアにおいて常にこの問題がついて回ることになる。


ボルトンへのレンタルを終えた12-13シーズン、今度はウィガンへレンタル。チェルシーへ移籍したビクトル・モーゼスに代わる戦力として加入したが、出場機会にはあまり恵まれず、そのまま退団。

2014年夏の移籍市場でオランダのFCトゥエンテへまたレンタル移籍となり、出場機会には恵まれたものの目立っった活躍を見せられず、そのシーズンを最後に残念ながらアーセナルとの契約も解除される。

翌シーズンからドイツ・ブンデスリーガ二部のFCザンクトパウリへフリー移籍。
開幕前の親善試合に左膝の靭帯を損傷するという事態に見舞われ、スタメン出場はシーズン最終戦までお預けとなったが、その試合で2ゴール1アシストを記録。
その後は度々怪我に見舞われながらもチームの重要な戦力として6シーズン活躍した。


そして2021年夏、ザンクトパウリとの契約解消と共にJリーグ・横浜Fマリノスへの移籍が決定。
彼はヨーロッパでのキャリアを振り返りこう述べている。

「正直なところ、18歳でアーセナルと契約した時に思い描いていたキャリアではないです。ただ、今は本当に幸せです。この10年間、引退かという時もあったので、今思い返せば苦しいこともありましたけど、それを経て、本当にサッカーができる喜びというか、プロ選手でいられるありがたみ、それは誰よりも感じているところだと思います。

18歳の時はそんなことも思っていなかったというか…。サッカーができること、健康でいることが当たり前で、ベーシックなところに感謝できていなかった自分が正直いたと思うので。キャリアの面では、ヨーロッパで成功したとは言えないと思いますけど、今の自分は好きですし、マリノスに移籍してまたプレーする機会をいただいたので、このチームのために全力でやりたいと思います」

日本復帰当初はチームの層の厚さもあり出場機会が限られるも、徐々に活躍を見せ始める。
その甲斐あってか2022年にはE-1サッカー選手権に出場する日本代表の一員になんと約10年ぶりに選出され、3563日ぶりの代表戦出場を果たす。
しかし彼に再度の悲劇が襲う。同大会にて右膝前十字靭帯断裂(全治8か月)の重傷を負ってしまったのだ。
いよいよ日本国内でのキャリアが軌道に乗ろうかというタイミングでの事態に、ファンのみならず本人ですら心が折れかかったという。
だが、同僚たちやサポーターからのエールを受けて再起を誓うと、懸命なリハビリの末復帰。
「宮市の分まで」と奮起しリーグ優勝を果たしたチームメイトに報いるべく、連覇を目指すマリノスの一員として戦う。



プレースタイル

一言で言うとドリブル大好き。

最速100m10秒84というスピードを生かし、サイドを切り裂く快足ウィンガー。
その快足で相手を置き去りにしてサイドを突破していきクロスを上げたり、また、快足とテクニックを駆使して中に切り込んでいくプレースタイル。
一方で、足元で貰いたがることとポジショニング、オフザボールの動きに難が指摘されてきた。

183cmという体格を活かしたプレーもしばしば見受けられる。


その他

愛称であるリオはフェイエノールト在籍時につけられたもの。
オランダ語において“ryo”はりょうではなくリオと読まれるためである。
また、ブラジル代表・ロナウジーニョをもじってリオジーニョとも呼ばれた。


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最終更新:2024年04月04日 14:09