ズラタン・イブラヒモビッチ

登録日:2010/08/16 (月) 22:27:05
更新日:2023/06/06 Tue 10:51:15
所要時間:約 7 分で読めます




ズラタン・イブラヒモビッチはスウェーデン出身のサッカー選手であり、長身変態キチガイ真性DQNである。
エールディヴィジ、セリエA、リーガ、リーグアンと4つのリーグで計12回*1のリーグ優勝を果たし5度得点王に輝いた、00~10年代を代表するスーパースター選手の1人。


【プレースタイル】
屈指のテクニックと超人的なフィジカルで半ば強引にゴールをこじ開けるFW。
フィジカルを生かしたポストプレーはもちろん、前線におけるほぼ全ての役割を一人でこなしてしまう。
一方195cmの長身ながら、ヘディングは見掛けほど得意ではない。
最も生きるのはワントップ。雑なボールでも、放り込めば取りあえず一人で何とかしてしまう。
また、テコンドーをやっていたためか、たまにどうみても蹴り技なモーションでパスを捌く。試合中、浮き玉を回し蹴りでパスしたりなんてのをよく見る。

その圧倒的な能力から、チームが勝てば「イブラに依存している」。負ければ「イブラは不調」という極端な評価を受けがち。古典的な『王様』タイプのFWでもある。


【キャリア】
母国スウェーデンのマルメでキャリアをスタートさせた後、オランダのアヤックスに移籍。
02-03シーズンに、チームのCLベスト8進出に貢献した事で、ヨーロッパ中のビッグクラブから注目を集める。
04-05シーズンにユベントスに移籍。開幕戦途中出場でゴールを奪うと、そのままエースのデル・ピエロをベンチに追いやりスタメンに君臨。
192センチのデカイ図体からは想像出来ない変態テクニックを連発、そして見た目通りのフィジカルの強さでセリエAのDF達を次々に叩きのめした。

また、この頃から

「俺は既に世界一の選手」

「デル・ピエロは並のプレイヤー」

「俺がいるクラブが世界一のクラブ」

とネジの外れたDQN発言を繰り返しキチガイ扱いされていた。
だが実力はあり、実際にチームを勝たせていたので、ユベンティーノはこれらの発言も笑いの種として流していた。
この時は主にトレゼゲと2トップ、もしくは3トップの右で使われていた。
05-06シーズンと合わせてチームのスクデット連覇に大きく貢献するが、カルチョスキャンダルによる降格処分を受けてインテルに移籍。
ヤツのDQN伝説の第二章の幕開けだった。
インテルに移籍後、今の言いたい放題、やりたい放題のキャラが確立する。
ユーベ時代に何かとやりあったマテラッツィと上手くいくか心配されたが、移籍早々に仲良くなり、史上最凶のコンビとなる。
また、この頃のインテルにはイブラやマテ兄貴の他に、フィーゴ、ヴィエラ、ヴェロン、サムエル、ブルディッソ、ミハイロビッチ等の強面系選手が多く在籍。
ヤクザかマフィアにしか見えない恐ろしいチームとなっていた。
そしてそんなチームにおいてもイブラはエースとして君臨する。
飛んできた雑なロングボールをいとも簡単に収めると、そのままゴール、もしくはアシストを決めてしまう。


放り込まれたボールを胸トラップ

ヒールキックで裏のスペースに

絶妙のタイミングで裏に抜けたクレスポが決める

なんてシーンが良く見られた。

そしてカルチョスキャンダル後の06-07シーズンは、文字通り圧倒的な強さでのスクデット獲得に貢献。
後にリーグ五連覇を成し遂げるインテルの基礎がここで築かれる。

同時に、インテルはサッカーの以外の面でも他のチームの脅威となった。
主にリアルファイト的な意味でだ。
ただでさえこんな強面のメンツなのに、マテ兄貴を始めDQN揃いなんだもん。
イブラもこの頃から本性を表し出した。
試合中に自分をマークした相手をニヤニヤと狂気染みた笑顔で見下ろす。そしてしれっと肘入れたりパンチしたりする。
もうヤバい。マジでビビる。あのガットゥーゾですら
「アイツには関わりたくない」
とか言う始末(後に最高の味方になるのだが)。

そしてCLのバレンシア戦…
やらかしてくれた。
ラフプレーのオンパレードとなったこの試合で、イブラもやりたい放題。
ニヤニヤと笑いながらアルベルダをノックアウトさせたり、バラハ、カニサレスと取っ組み合いを始める。試合後には大乱闘になり、視聴者を大爆笑させた。

08-09シーズンに名将、モウリーニョが監督に就任、相変わらずチームの中心はイブラだった。
このシーズン、自身初の得点王を獲得するとバルセロナからのキチガイオファー(移籍金60億+江藤さん)に応じてバルセロナに移籍。チームメイトに

「CL決勝で待ってるぜ(キリッ」

と壮大な負けフラグを立てて移籍。


その後、開幕からしばらくは好調で、前半戦だけで12得点を奪うが、中盤戦以降は徐々にベンチが増える。
監督との確執や、思いの外チームにフィットしなかった事が原因である。
まぁファンからはそのプレースタイルから「クライファートの再来(悪い意味で)」と言われていたが。

CLでは決勝どころか予選、そしてベスト4で激突。トータルスコア1-3で破れて見事負けフラグを回収した。
そしてシーズン終了後、ACミランに移籍する。


ミランに移籍後、バルセロナ時代におさえていたDQN成分を解放。

「グアルディオラは俺にビビっていた」

「グアルディオラは賢人。自分を神か何かと勘違いしている」

「俺を220億で買って60億で売ったバルサは今頃大赤字だな」
と自虐ネタとも負け惜しみとも取れる発言を繰り返す。

ミランでのデビューは第二節のチェゼーナ戦。この試合こそ不発だったが、以降はチームの形が出来る11月までは文字通り独力でチームを勝たせた。
2トップを組むパトとの相性は全くもって悪いが、それでもチームを勝たせ続け、いつの間にかパトからエースの座を奪っていた。
ユニフォームの売り上げも今シーズントップを記録。特に日本での売り上げが好調だという。

フィオレンティーナ戦のバイシクルは当シーズンのベストゴールの一つだろう。
ガットゥーゾ、ピルロ、フラミニ等は異口同音に「イブラがチームを変えた」と口にしている。
イブラの勝利に対す貪欲さが、マンネリ感の漂うチームに刺激を与えたというのだ。監督のアッレグリもこの点を認めている。
また、ミラン移籍後は守備意識の向上も見られる。自分がボールを取られたら全速力で奪いに行くようになった。
そして終盤戦にDQN行為で計五試合の出場停止を食らうが、ミランは18回目のスクデットを獲得。自身もリーグ戦8連覇を達成した。


12-13シーズンはオイルマネーによって金満化したパリ・サンジェルマンへ移籍。最初のシーズンからリーグ戦34試合で30得点10アシストを記録し、クラブの19年ぶりとなるリーグ優勝に貢献。自身も得点王と最優秀選手賞を獲得するなど怒涛の活躍を見せた

その後も2015-16シーズンを最後に退団するまでに180試合で159得点60アシストを記録。クラブの得点記録を塗り替えるなど名実ともにパリの王として君臨していたが、本人は王と呼ばれることはお気に召さなかったようだ。
マッサージを受けている最中にテレビのスポーツリポーターがイブラについて「パリの王様」と形容した際、彼は顔を真っ赤にしてこう怒鳴った。
「王様だァ!?ふざけんじゃねぇ、俺様は神だろうが!!!」


2016-17シーズンはまさかのマンチェスター・ユナイテッドへ移籍。35歳という年齢で初のプレミアリーグ移籍に不安視する声もあったが、28試合で17得点を記録。

翌シーズンも活躍を期待されたが靭帯損傷の大怪我を負い、復調しないままシーズン途中でアメリカのLAギャラクシーへ移籍。
LAギャラクシーではデビュー戦から挨拶代わりに30m以上のロングシュートを叩き込み、その後も後ろ回し蹴りでのスーパーゴール、豪快なオーバーヘッド、オークランド・シティ戦でのハットトリックなどで、アメリカサッカー界でもその名を知らしめた。
「とりあえずイブラに放り込めば何とかなる」と言わんばかりに雑に蹴り込まれたロングボールを難なく収めて得点に繋げ、まさにチームのエースとして八面六臂の活躍。
結局2シーズンで58試合53得点という驚異的な成績を残した。

そして19-20シーズン途中、まさかのACミラン復帰が発表される。
38歳という年齢からやはり不安視する声が聞かれたが、蓋を開けてみればシーズン後半だけで2桁ゴールを記録。
彼が去った翌年を最後に優勝どころかEL出場を争う程度まで落ちぶれていたミランを復活させた立役者として讃えられ、そのまま契約を延長。
2020-21シーズンもミラノダービー最年長ゴール、セリエA最年長二桁ゴールなどあらゆるリーグの最年長記録を塗り替えるなど、年齢を感じさせない活躍を見せる。
故障が目立ったため結局半分程度しか稼働できなかったものの、リーグ19試合で驚異の15ゴール。ミランも一時は優勝かという勢いを見せ(2位)CL権を獲得、当然契約も延長となり、何事もなければ40歳までプレーすることが確定した。
2020年11月にはミランの全選手にPS5をプレゼントし、ピッチ外でもチームの神となっていた。
21-22シーズンも膝を痛め、シーズン後半は「半年間左膝の前十字靭帯が無いままプレーしていた」という状態で交代要員となっており、通算8ゴールに留まった。さらに長年代理人を務めていたミーノ・ライオラ氏が逝去するという悲しみも味わった。
だがその一方でミランは11年ぶりのスクデットを獲得。プレーでの貢献は限られても(まあ8ゴールの時点で割と貢献してるが)、チームの精神的支柱としての「神」の恩恵を認めない者はいなかった。
優勝セレモニーにはなんと葉巻をくゆらせながら入場とらしさ全開。また、ドレッシングルームでチームに向けて行ったスピーチも語り草になっている。

「『ミラノはACミランのもの』じゃない。『イタリアはACミランのもの』だ!!」(ひっくり返されるテーブル)

その直後左膝の手術を行ったことで、翌22-23シーズンの前半戦は丸々欠場となる。それでも年明けの復帰後にはチームの最年長出場記録やリーグの最年長ゴール記録を塗り替え、不惑を迎えても「神」はまだまだ健在......かと思われた。

が、シーズン最終戦当日に現役引退を電撃発表。ミランが契約を延長しないことを表明していたこともあり、この決断に至ったようだ。
試合後のセレモニーでは、客席に「(GOODではなく)GOD BYE」のコレオグラフィーが出現。
ズラタンを愛したミラニスタ達だけでなく彼を慕うサンドロ・トナーリも涙し、更にはズラタン本人の目にも光るものが。「『神』の目にも涙」である。

最後になるが、ファンの皆には心から感謝をする。
あなたたちは両手を広げて俺を歓迎してくれた。
俺は生涯ミラニスタであり続けるだろう。
フットボールに別れを告げる時が来たが、あなたたちに別れを告げることはない。
難しすぎるし、感情が溢れすぎている。
運が良ければまた会おう。
Forza Milan!
さようなら。


【その他】

サッカー界屈指のマジキチであり、そうしたエピソードは事欠かない。


◇06-07シーズンのCLでバレンシアと乱闘騒ぎを起こす。キレながら狂人の如く笑うその姿にバレンシアの選手は恐怖した。

◇07-08シーズンのミラノダービーでミランのロナウドを舐め回すように見つめる。ニヤニヤと薄気味悪い視線に、ロナウドは怯えていた。

◇09-10シーズン終了後にピケとのホモ疑惑が浮上。
 この画像が出回った時、Googleのアクセスランクでギリシャの経済問題や英国総選挙を差し置いて1位を獲得した。

◇ミラン移籍後、グアルディオラを侮辱する発言を繰り返し、代理人と共にバルセロナから訴えられた。

◇10-11シーズン。優勝が決まり、皆がはしゃいでる中、何を血迷ったのかカッサーノにハイキックをお見舞い。カッサーノの頭にタンコブが出来た。



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最終更新:2023年06月06日 10:51

*1 カルチョスキャンダルによる取り消しも含めると14回