不殺主義

登録日:2012/09/16 Sun 02:57:59
更新日:2024/04/05 Fri 19:28:11
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概要

不殺主義とはフィクションにおいて殺害行為を拒否する思想・行動を指す造語である。
主にキャラクターの行動原理を解説するためのフィクション用語なので、厳密にはリアルの主義やイデオロギーとして使われる事はない。


示す内容は読んで字の如く


殺さない主義

である。……うん、まんまやね。



戦場や戦闘と呼ばれる特殊な環境・状況では、自分又はそれに連なる他者の命、財産を護る為に命のやり取りを強いられる。
そういう特殊な環境で護身の為に一番手っ取り早い方法はズバリ、「相手を無力化する事」にほかならない。

戦闘である以上、相手はこちらの都合など考えるわけもなく、抗える状況ならためらいなく引き金を引いてくる。
銃や手榴弾を持っていれば、たとえ一歩も動けない状態であっても指一本動けばそれだけでズドンということ。
必然的に、戦闘時における最も効率的な護身とは、「相手をぶっ殺す事」となる。
というのも、非致死性的な干渉は難しいが、致死性的な干渉は気遣う必要がなく簡単だからだ。
また、一対一など小規模ならば配慮しやすい場面も多いが、多対多となる戦場においては下手に敵を生き残らせることは危険を招くことになる。
  • 「身を護るためには撃て」
  • 「仲間を護るためには撃て」
  • 「家族を護るためには撃て」
こういうのは創作物でも結構描かれているのでなんとなくわかると思う。



こういったセオリーに対して、自身が危険な場面でも相手を殺さないのが「不殺主義」である。

しかし、上記の通り戦闘において意図的に相手を殺さず無力化する……「不殺」というのは非常に難しい事が分かるはず。
生物は出血だけであっさり死に至る以上、無力化には高度な技術か専用の道具を用いて拘束する・気絶させる程度に限られるが、
戦闘においてそれらを常備できている状況は限られる。それを以てしても当たり所や加減を誤ればあっさり殺してしまいかねない。
近代兵器をもってしても状況が限定されて難しいのだから、充分な近代化が済んでいない時代や地域では、なおさらである。

フィクションにおいても敵側の事情を察してあえて不殺の戦法を取った味方側のキャラクターに対しそれを知った敵が『あえて危険な手段を選んだのか』と関心する描写があるほど(皮肉でないのは、敵側も当該人物の精神性に感服したから)には困難である。

ちなみに出来れば生かして情報を得たい、戦略的に見過ごすなどの場合もあるので、戦場においても必ずしも殺害が正解というわけではないが、それは別に不殺ではなく「捕虜を取る(生け捕り)」を目的とした作戦・戦略であって不殺主義とは関係ない。


で、あるならば、「不殺主義は命のやり取りをする戦場において基本的に不合理である」という論調が当然出てくる。
ただし、そこはそれフィクションである以上、いつでもどんな状況でも殺しに拘ることは、フィクションであろうと危険人物として扱われやすい。



不殺主義の定義

「できるだけ殺さない」「戦いはするが殺したくない」という態度は、健康な人間にとって当たり前であり、別におかしなことではない。
それだけであれば不殺主義と呼ばれる事はまずない。

狭義の不殺主義はこうした欲求をさらに過激に解釈した「いかなる状況でも殺害を拒否」といった行動に対して用いられる。
更に突き詰めるなら、「相手の生命を重んじる」「殺人という行為そのものへの強い忌避」という動機の元、能動的にそれを一貫して実行する事を指す。

したがって、「殺しはしないが、明らかに死ぬより辛い拷問を与える」だとか、上述したように捕虜を取るための作戦といった場合には一般的に不殺主義とは言わない。

広義になると程度によって色々で、「人は絶対に殺さない」「民間人は殺さないが、戦闘員は殺す」「女は殺さない」「人は絶対殺さないがモンスターなら赤ん坊でも殺す」などに分かれていく。
そんななので、どこまでを不殺主義とするかは人によって解釈が大きく分かれる。



不殺主義ではない例

  • 警察等の治安機関が犯罪者を逮捕した

    • 不殺主義というより「職務執行」または「拘束」である…というか警察はこうした個人的な「主義」によって動いているわけではない。
      リアルな話をすると、治安維持を目的とする公的機関の対処法は、基本的には逮捕が正当である。法的根拠が無い限り、殺害は職務執行法違反になる。
      基本的な話になるが警察は犯罪を明らかにするための「ヒトやモノ」を 残さず確保すること が仕事で、それらを判断して本当に犯罪だったのかを判断するのは 後で他の人間が行う仕事 であり、容疑者でしかない人間を現場で殺してしまったら意味がないためである。
      これは基本的に戦場と違って命のやり取りをしているわけではないこと・職務であり、至極当然の行為なので不殺主義かどうかとは関係が無い。
      これらに関連して相手が銃を持ち続けるなど、命にかかわる(正当防衛となる)状況においての単純な射殺などは罪に問われることは少ない(※最初から殺害する意図があった・抵抗できなくなったことが分かってから止めを刺すなどすれば、罪に問われることが多い)。
      特別の例:ヒーローならパニッシャー、警察ならダーティハリーなど)


  • 良心的兵役拒否
    • 不殺ではあるが、これらは戦闘や暴力の行使自体を拒否する。不殺主義を内包してはいるが、非暴力主義(非暴力的抵抗)・平和主義の方がより正しい。


  • 殺す気、あるいは殺しても良かった攻撃が運良く止めにはならなかった・殺すより戦闘能力を奪う方が確実だった
    • 同じ不殺でも、不殺主義に基づく行動ではないことが理由。身も蓋も無く言えば『結果的に殺さなかっただけ』である。後述するジンベエを除き麦わらの一味はもろに前者である。(もっとも船長であるモンキー・D・ルフィは現実世界で付くであろう職業に人命を助ける職業である消防士が挙げられており、人が死ぬことは望んでいない節がある。ただ彼は手加減をしないので不殺主義者とはいえないが)ただし、不殺主義者でも同じような行動に出ることはあるので、状況と人物次第とも言える。また、味方からなじられた不殺主義者が味方への言い訳に使うケースもある。


  • 戦場においても殺すことに拘らず、むしろ負傷兵をなるべく増やす目的で攻撃する。
    • 主にフィクションだが、殺害よりも負傷兵の運搬や治療に人材と時間を要して場所も取られるから、という効率重視の意図で行われることがあり、人命を尊んで行動している訳ではないので基本的には不殺主義に当てはまらない。リアルでも同じ効果を狙った兵器として対人地雷があるが。ただし、一応不殺主義者が戦略も兼ねてやってもおかしくはない。


  • 戦闘狂なので再戦出来るように止めを刺さずに見逃すor精神的にダメージを与えたうえで見逃す(あるいはどうでも良かった)
    • 基本フィクションにおけるもの。結果だけ見れば不殺でも主義や過程などから不殺主義というわけではない。


  • 殺すとそこで終わりなので逆になまぬるいと考えたり、絶望を与え続けるためにあえて殺さない。
    • 要するに相手をより苦しめるために殺さなかったというだけの不殺。これは不殺主義というより復讐の一パターンや偏執狂の一種と考えた方がいいだろう。

  • 殺す気はあるが殺せない
    • ファンタジー色の強い作品でみられるパターンで、契約や呪いといったルールに縛られており相手を殺すことができない。殺害を試みても実行できなかったり、殺すこと自体は可能だがそれによるペナルティがあまりにも大きい(自分も死ぬ)など。殺意自体はあるので、ルールの盲点を突くことで殺害を試みたり、他人が目的の人物を殺すように仕向けるといった展開がお約束になっている。


なぜ不殺主義のようなものが生まれるのか

人間とは社会的動物であり、社会的立場を考えると単純な暴力行為は基本的にデメリットが大きい。
更に戦場など命のやりとりを経験する・しないなど環境によっても大きく変わるし、そういった体験を経たからこそ不殺主義に拘る人も居る。
殴って殴り返されると痛くて嫌だから…の様な動機の延長でも分かりやすい。
また前述しているが、状況と程度によるが不殺主義とは別におかしな考えではない。

一方で、状況に左右される面が大きいことに加え(戦争・正当防衛)、
育ちによって暴力行為への抵抗感が少ない・特に考えない人も居れば、心身症や心身障害などにもよって左右されたりする。
ストレスによって暴力的になることもある。

不殺主義とその程度・健常者・異常者の線引きを厳密に考えるのは難しい問題だと言える。




具体例を取りあげると、
例えば健常者でも戦争を割り切れる人も居れば、割り切れない人も居る。
そして兵士の場合、立場的に戦争は回避しようと思って出来るものではない。殺したくないという理由で逃亡すれば厳罰である。

割り切れて、尚且つ無事に生き残ることさえ出来れば、その後冷静に不殺主義になってもならなくても大きな問題はないが、
割り切れない人は当然割り切れる人よりも精神に大きな負荷がかかり、身体にも不調が表れ始める(つまり心身症になる)。戦争からの帰還兵が社会復帰に支障をきたす例もしばしば報告されている。
しかも戦場や戦闘など命が軽い環境では、普通は相手の事情など考えてはいられないし、下手に考えると自分どころか仲間の命までもが危ない。
そして周囲の環境と自分の欲求との間における矛盾を解消するために不殺主義に至る。

この例においては不殺主義は適応機制(adjustment mechanism)の一種とも言えるだろう。
(厳密には、適応機制の中の「昇華」 ―― 社会(環境)が認めない自分の欲求を、社会的に認められる形へと置き換えること ―― に当てはまるかもしれない。)
これは実際に兵士が患う「戦闘ストレス反応」(Combat Stress Reaction; CSR)として軍事心理学や軍事医学で研究されており、別段おかしくはない。



もっともこれは一例である。
こういった経験以外から不殺主義になることも、おかしいことではない。

世界が殺傷を許さない

「戦争を描きたい、国家間の戦争を描きたい、銃や戦車に乗る女の子を描きたい、でも作中可愛い女の子が傷つき倒れるのは嫌だしボロボロになるのは良くても流血までは見たくない」という作者と読者のワガママより、創造主たる作者が作中世界での殺し合いを許容しないという作品も多数存在する。
例えば、DOG DAYSという作品では、命を奪わない、特殊な「戦争」を行っており、
東方Projectでは、弾幕ごっこなる特殊なルールでの決闘を行っており、「食べる」「退治する」などもあくまで口上の脅してあり本当に殺すことはない。
無論、システムの穴を突いて強引に人を殺すという展開が描かれないわけでもないが、魔物娘と不思議な冒険〜力の宝珠と帰還の塔〜においてそれをやった魔物が超越者によって異世界に追放された




不殺主義の是非

肯定論も否定論もそれぞれ論拠はあるが、それ故に一般的には賛否両論と言える。

繰り返すが不殺主義の主張そのものはおかしくなく、真っ当と言える。
むしろ人間を殺すという行為を易々と出来るとそれはそれで問題とされる。



では不殺の否定がされるケースとは何か。

それは至極簡単な話で、不殺によって本来被るはずではなかった被害を生んだ場合・もしくは生みそうになった場合である。

不殺主義の程度にもよるが、テーマとして命のやり取りを扱うならばそんなことを言ってられない状況が多いことも事実であり、
更にその様な状況で完全に不殺主義を貫くことは、仲間を長く危険に晒す行為になりがちで、迷惑をかけることにまず繋がる。
敵も敵で命懸けなのでそんなこと関係無しに攻撃するわけで、更に不殺を貫けても敵が生き延びてまた危害を加えることにも繋がりやすい。
特にここらが批判の的となりやすい部分……というよりほぼこの一点に集約されるといっても過言ではない。


また、殺さないという事はそのリスクを負う事であるが、そもそも殺したくないのはたいてい誰でも同じである。
そして「自分はこんなに苦労して悩んで敵を倒したのに、なぜお前はそんな呑気なことを・・・!」や「味方がどうなってもいいのか!?」と非難する人が出るのは当然である。


前述の通り、自分や仲間に取り返しのつかない事態を引き起こしかねない、それこそが不殺主義のデメリットである。
繰り返すが、悪人に対して不殺やトドメを刺さなかった結果、自分や仲間だけじゃなく、無関係の人達さえ巻き込むことがあり得る。そうなったら最悪である。
何度もやって反省のない悪人に対して自分の手で殺さず、法でさばいてもらおうとした結果、逃げられてさらなる悪事やとんでもない厄災になるといった展開もある。そうなったら殺さなかった方が悪いという事もあり得る。
また、そうなった場合、本人の精神が逆に蝕まれる可能性もある。


話は少し変わるが、かつて『ZOIDSバトルストーリー』という作品において、戦時中に「開発された最新の義手義足を敵国にも配る」という行為がなされた事がある。

配った側の兵士が、
「これで帝国(相手国)の連中もまた子供を抱けたり恋人と手を繋いで歩いたり出来るもんだ!」
と嬉しそうに話すシーンがある。
そのすぐ後、別の兵士が不安げに
「でも……もしかしたらその腕でまた引き金を引くかも……」
と呟く。
それを聞き、配っていた兵士達は言葉を失ってしまう。

不殺主義とは異なるが、結果は同じく相手に未来を与えることであり、不殺主義と似ている。
不殺の理由が「余計なストレスや責任を負いたくない」でも「相手に情けをかける」でも、結果としては、敵の行動の許容である。
相手にまた引き金を引く可能性を与える以上、また味方や仲間を危険に晒す可能性がある。



不殺の利点

不殺にはもちろん欠点だけでなく利点もある。当然「本人の自己満足や精神安定」以外で。
それは、殺されなかった相手に与えられる未来である。
余程の奇人*1では無い限り、命が助かれば相手にとっては嬉しい事だろう。
また、場合によっては恩を感じたり、殺さない代わりに条件を付けることで、助けとなってくれる可能性もある。
現代ではあまり期待する様な話ではないが、戦国時代以前ならば、たとえ自分たちの軍に大きな損害を与えた敵の家臣が相手でも、今後は自分に仕えて能力を発揮するならば罪に問わないことは当たり前であった。
復讐心に燃えるなどして降伏を許さず殺していては、軍は優れた人材を吸収できず強くならないし、現地の占領統治をするにあたっても現地に詳しい敵の協力がないとうまくいかない。
それどころか、敵は「殺されないなら抵抗せず降伏するが、殺されるなら死に物狂いで最後の決戦を挑む」となり、自分たちの軍に大きな損害を与えてくることだって考えられる。
適切な不殺は、巡り巡って自分たちの命を守ることもある。

もっともこの例も内心では敵意を抱き続けていたと思われる例が多々あるため、やはりそう単純にはいかないのが厄介なところである。

他にも倒された相手が「戦場で死ぬことを許容する戦士としてのプライドや誇り」を持っていた場合、逆に敗北して「殺せ!」と叫んだとしても、殺されずに見逃されてしまい逆にプライドや矜持を砕かれて、ただ死ぬよりも辛い屈辱や恥辱を味わう場合もまたある。



不殺主義の条件

基本的には「相手より圧倒的に有利であること」である。
その中身としては「相手より圧倒的に実力がある」「相手のほうが実力があるが自分に勝機がある」等が考えられるが、
いずれにせよ相手に対する自分の優位はほぼ必須である。
仮に不利な状況で不殺主義を貫いた所で、大半は自身や仲間の死に繋がることになるだろう。


相手を生け捕りにすることを考えてみよう。相手は刃物を持って錯乱した恋人でも、牙や爪のある野生の希少動物でもいい。
殺したくなければ相応の実力や装備が必要になるのである。
相手も不殺主義で、しかも都合良く殺されずに済みましたなんて事はそうそう無い。(別の都合で捕虜になるなどもあるにはあるが)

自分も相手も護りたければ、尚更強さも必要となる。
これらのことから極力殺そうとはしないがやむを得ず殺した者に対して、『不殺への重みや説得力がない』などと批判するのもかえって説得力のない話になる。

また、仮に殺さなかった後、反省もせず悪事をしたり、厄災になった時に責任取って対処(または今度こそ殺害)し、被害者に贖罪と賠償を行う覚悟も必要。自身の不殺が裏目に出て、その後を対処できない者はただの無能かつ、偽善者にしかすぎず、周りからしたら害悪でしかないのである。


実際問題完全に不殺に拘ろうとすると、かなり難しい。
例えば刀どころか模造刀一本だけでも、頭部や首などへの攻撃は命に関わるし、一生動けなくなってもおかしくなく、突きにいたっては素材と形状から普通に刺し貫けてしまう。

現実においても、不殺のための武器であるテーザー銃やゴム弾などを用いても、死んでしまうという事故は後を絶たない。
また、これらは比較的防御しやすかったり、射程などの使用条件がなかなかクリア出来なかったりするため、まだまだ課題が多い。


フィクションの不殺主義

「相手が悪人であっても命までは奪わない」というスタンスの人物が主人公の作品は多い。
特に現代風の作品で容赦なく人を殺すキャラが主人公サイドでは読者や視聴者に受け入れられにくいという面は否めない。
例を挙げると「」という漫画では元々の設定では学生の主人公が日本刀を武器にして戦う予定だったのだが、「真剣で学生同士が戦うのはNG」という編集部の意向で切れない刀を使う形に修正されたというエピソードがある。

舞台が戦国時代や中世、西部劇、宇宙や異世界だとそこまで配慮されないことが多いが、それでも「機動戦士ガンダム 鉄血のオルフェンズ」において
「子どもが視聴する時間帯のアニメ番組で、主人公の少年が無抵抗の捕虜や敵兵を射殺するシーンがあった。タイトルを見て、子ども向け番組だと思って視聴した子どもも多いと思う。どうしても放送したいなら年齢制限を設けてほしい。」
という意見がBPOに届いた例もある。

初代ウルトラマンの脚本家の金城哲夫氏は「ウルトラマンは怪獣の殺し屋ではない。怪獣を諭しているが、それでも暴れるから懲らしめているだけ」とコメントしており、実際に高原竜ヒドラをはじめ、スペシウム光線を撃たなかった怪獣も存在する。


『ガンダム』シリーズから。立場・経験から殺人を嫌い、コクピット以外だけを破壊する。
広義の意味ではキラ・ヤマトキンケドゥ・ナウトビア・アロナクスロラン・セアック達も不殺が不可能な状況ならば殺すに至るものの、出来る限りは不殺主義的な行動を貫いている。
ちなみに不殺主義的行動をしているからと言って不殺主義を表明しているとは限らない。やむを得ないことがあることを承知しているからだろう。
非常に賛否両論で作中でも批判されるキャラもいるが、彼らのスタンスが事態の解決へ繋がることもある。
…実は二次被害も在ったりする。

同じく『ガンダム』作品。
本編中ではそこまでは拘っていなかったが、『EW』においては敵兵の境遇と自分達を重ね、
またここでの戦いは首謀者デキム一人の野望の意味合いが強かったため、無駄死にさせないようにと考え、不殺に至る。
カトルら3人が合流したが敵の猛攻の開始や増援もあり不利な状況下になったがそれでも不殺に拘った。
ちなみに不殺でなければ余裕で残りの250機全てを撃破可能。事実、カトルら3人が来るまでの間、ゼクスとノイン二人で250機近くを不殺で機体のみを戦闘不能にしている。

同じく『ガンダムW』から。戦士としての印象が強いが、「俺は弱い者と女は殺さない」と言っていたように、狭義の意味では不殺主義者。
ただし、女であるノインやレディは見逃しているものの、MSなどを持っている場合は当然ながら弱者とはみなさないので、男の兵士には基本問答無用。
というかこの発言をした時点で男の軍人ではあるが 宿舎で寝ているところを狙って建物ごと吹き飛ばしている ので正々堂々と戦うことにこだわっているわけでもない。
しかも軍人ではあるが彼らはパイロット候補生でまだ戦場には出ていない者たちだった。
五飛の心情は慣れないとわかりにくいので知りたい場合は彼の項目や他の解説も参照。

麦わらの一味に加わった新たな船員にして明確な不殺主義者。
(一時期はゾロが女子供相手には峰打ちで済ませるため不殺主義者として扱われていたが彼は「女だろうと容赦なく斬る」と断言しており、「手加減できない範囲の女性とたまたま戦ってない」だけという側面が強いため不殺主義者ではない)
彼はフィッシャー・タイガーの遺した思いを受け、彼の人間との共存と不殺の意志を受け継いだ。
麦わら一味はルフィが前述した通り人が死ぬことを望んでいない節が見受けられたり、ゾロが女子供は「なるべく斬りたくない」というスタンスであること。
またサンジが女を蹴れなかったりと様々な事情を抱えており、ジンベエも他のクルーのスタンスに干渉することはしないため彼のスタンスは概ね受け入れられている。
食い患いという精神疾患を抱え、厄災レベルの力を持つビッグ・マムはそんな彼でも例外扱いせざるを得なかったようだが結局は未遂で終わっている。

職業暗殺者「リコリス」でありながら命大事にをモットーに、相手を殺さないよう高価なゴム弾を使って戦う異端のリコリス。
過去に病気で死にかけ、そこから生還した経験から「殺す」=「他人の時間を奪う」行為を何より嫌っており、相手の傷の度合いによっては手当てを施す程徹底している。

日本初のTV特撮ヒーロー。
作者である川内康範先生の思想的なものと、「月光菩薩」がモチーフということもあり、「憎むな、殺すな、許しましょう」のスローガンを掲げて戦った。
月光仮面は「正義 の味方 」を自称しているが、「正義」とは悪を裁いて 適切な罰を与える 存在であり
自分は正義ではないが正義の味方だ、という直接悪を成敗するわけではないことを明確にしている。
月光仮面のヒットで後発のヒーローにも「正義の味方」を自称しつつ悪人を自ら裁く者もいたりする
後に森進一との一件後は流石に川内先生も「許しましょう」とはならなかったらしく、「憎むな、殺すな、糺(ただ)せよ」に変更されている。

慈愛の戦士。怪獣も一つの命として扱い、全ての命を護る為に戦う。怪獣でない際は結構な数を・・・。
コスモス自身は、かつては命を奪うことにそれほど躊躇することはなかったのだが、
ムサシの信念に動かされ、全生命の共存という理想に向かって共に歩き続けることとなる。

  • 大空大地&ウルトラマンエックス
ある意味、ムサシとコスモスの後継者であるウルトラマン*2
大地の「たとえ今はスパークドールズと言う形じゃないと無理であっても、いつかは何らかの方法で怪獣とだって共存できるはずだ」という考えにエックスも共感。
一部の例外はあったが、基本的にはダイナミック麻酔銃ザナディウム光線で一時的に鎮静化・スパークドールズ化させるにとどめ、共存の道を探すのに協力することとなる。

逆刃刀を持つ流浪人。
過去に人斬りとして数多の命を奪ってきたことへの後悔から、不殺主義を貫くようになった。
しかし剣の道一本で生きて来たため、「刀は所詮人殺しの道具にすぎないのか」という問いは、彼が心の奥底で常に抱え続ける疑問であり、『るろうに剣心』という作品自体のテーマでもある。
説得で戦闘を避ける、命に関わらない部位を狙う、敵の体が頑丈なのでそれを見越して攻撃?(ないしは手加減する余裕がない)などで不殺を実現している。
冷静に見ると明らかに後遺症や致命傷になりそうなものも多いが、それは剣心の剣術の技量あってのものだろう…という点は北海道編で明確に「逆刃刀が不殺の武器になりえるのは剣心が人斬り時代に培った技量によるもの」と明言されている。殺しに慣れているからこそ不殺が得意とはある意味皮肉な話である。
逆に剣心が不殺の後継者と見込んで逆刃刀を譲り渡した弥彦は竹刀剣術を極めてきたため、竹刀の扱いが流用出来ない逆刃刀との相性は最悪*3という皮肉な事になっている。
なお、一部の仲間が「敵の殺害もやむなし」という信念を抱えている事は「あまり殺し過ぎるなよ」と釘を刺しつつも否定は一切していない。
また、自分の目の前で仲間が戦闘能力を失った敵を殺そうとした際は止めに入った事がある一方で、「仲間がその場で敵を殺さないと他の仲間が危なかった」という緊急事態の際は一切咎めていなかったり
自分が戦えば味方を救える状況で故意に戦わずに死なせた場合は 自分が能動的に殺したのと同じ と考えているにもかかわらず
それでも仲間の心意気を汲み戦いを預けるなどのある程度は自分の不殺の信念と他者の信念を両立させている。

詳しくは彼の歌を聞け!

人体錬成の失敗他多くの経験から、命の重さを知り「殺さない覚悟」を持つ。

誰よりも強く、誰よりも優しい最強のガンマン。
嘲笑され罵倒され踏みにじられ傷つけられ裏切られ大切なモノを奪われようとも彼は人を救うために今日も銃を構える。
幼少期の壮絶な経験、生い立ちにより不殺の道を進むことになったが、その徹底した生き方は既に狂人の域を軽く踏み越えている。

  • 蘇芳・パブリチェンコ
命を奪うことへの嫌悪から遂に誰も撃たなかった。


映画でもお馴染み、アメコミ史上最も冷酷な男にして鉄の不殺主義者。
両親が悪人に銃殺されたために、悪人と同時に「銃」「殺害」を強く憎み、自身は決して銃を使わず、殺人も犯すまいと戒めている。ただし、「悪人に恐怖心を仕込み悪の心を挫く」ことを目的としているだけあって、悪人に死ぬより辛い制裁を加えることはある。
この誓いが狂人と言われつつも精神の安定を保つ働きをしており、バットマンとジョーカーとの唯一にして絶対の違いである。


シックスとの最終決戦時の回想にて「極力殺さない事にしている」と明かした。
この発言には弥子も少し意外そうにしていた。
殺さない理由は「一度敗れても生きてさえいれば、再び立ち上がり、(食糧となる)謎を作るかもしれないから」。

「一度折れた心にこそ強くなるチャンスがある」とも語っており、
敵対者シックスの「一度折れたらその折り目は絶対に消えない。折り目がついた時点で同胞の資格は無い」という発言と対をなしている。

「自分が命を繋ぐ食糧のため」という打算的な理由で不殺主義を貫く異端のキャラ。それゆえ他の不殺主義者とは違い、うっかりしていた場合、止むを得なかった場合、自身の生命に害を及ぼす場合には一切容赦せず殺害したりもする。
再犯をしてほしいが故に罪を軽くするような行為でもあるので、倫理観も多分そんなに無い。

そんな中でもシックスに対してだけは明確な「自分の食糧源を荒らす害悪」と見做して殺意を向けている。もっとも、シックス自身が自らを「元人間の新種の生物」と捉えているので、それに倣っているとも取れる。

  • ミヤモトムサシ
命を奪うことへの嫌悪から麻酔弾等で相手を無力化するスタイルをとっている。
実弾じゃなくても頭に当たれば危険だとか、そもそも麻酔そのものもかなり危険だとか言わないで

  • 香瑩
読みは「シャンイン」。『シティーハンター』のパラレル続編『エンジェル・ハート』の主人公にて冴羽 獠の義理の娘。
元々「正道会」という裏組織の実行部隊朱雀の伝説のエースの殺し屋「グラス・ハート」だったが、
殺しに心身を蝕まれ身投げ、死亡したが槇村香の心臓を移植され第二の人生を歩むことになり、殺しが出来ない体質になった。
また、香瑩の無意識にいる香の意思もストッパーになっている。
余談だが『エンジェル・ハート』は銃撃戦がかなり多いものの、メインキャラ達が極力殺しを避けているためか病死や老衰以外で死者がほとんど出ない作風である。

双子の傭兵三条姉弟の姉。弟の方は不殺主義者ではない。
「初めて殺すのは好きな男」と決めているから殺さないという、不殺主義者…?
ちなみに、現実でも初めて殺人をする事を実際に「童貞を捨てる」ようなたとえをする事もある。
ただし女同士はノーカンらしく、相手が明確に女と分かっている場合は本気で殺しにかかる。

フリーランスの召喚師の主人公。召喚師としての腕前はトップクラス...どころか「召喚師」はおろか「人間」と言う枠組みで作中で彼を超えるのは片手で数えるほど。
どのような激戦でも敵を殺すことなく倒し、悲劇に巻き込まれたヒロインを救う姿勢をどんなときでも必ず崩さないことから召喚師としての通り名は『不殺王(アリス(ウィズ)ラビット)』と呼ばれている。

  • 市村鉄之助(『PEACE MAKER鐵』)
両親の仇を討つため新選組に入隊した少年。
しかしいざ人が斬り殺される場面を見てから思い悩み始め、最終的に「強くなりたかったのは仇を討つためではなく弱い自分を殺すため」だったと気づく。
以来、自分は殺さないと物語のヒロイン沙夜に誓い、戦闘では腕や足などを斬るだけに止めていた。
しかし後の会津での激戦から生還した彼は、死んだ目で生かした敵の両の手の指を切り落として戦力を奪うという行為を行うようになっていた。

20世紀からGGの舞台に飛ばされてきたタイムスリッパ―。
普段はいい加減な楽天家だが、相手がどんな悪党だろうと決して死による制裁を下すことはない。
本編開始前には、街に平和を取り戻すため自らギャングの世界に身を投じ、持ち前の高い身体能力を駆使してわずか半年でギャングの抗争を敵味方共に誰一人の死者を出すことなく平定した。
不殺を貫くきっかけは、イギリスのスラム街で生まれ、絶えることのないギャングの抗争で毎日のように誰かが命を落とすという環境の中で育ち、「死」の存在を激しく嫌うようになったため。

  • バルサ(『守り人』シリーズ)
ある事情で幼くして王族から刺客を差し向けられた彼女を、地位も名誉も捨てて守り育ててくれた今は亡き養父に恩を返すため、バルサは養父の殺した追手と同じだけの7人の人間を助けるという誓いを立てている。
そして「誰かを守るために他の誰かを殺してちゃしょうがない」という理由で、護衛対象を殺しに来た者であっても手にかけようとはしない。
それどころか、護衛中に傷付けてしまった相手も助ける人数のノルマに加算し続けているため、もはや今の護衛相手が何人目なのかも分からなくなっており、本人も「今日一日を生きてるだけさ」と自嘲する程。
またアニメ版では負かした相手が屈辱を感じで復讐しに来るなど、負の側面も背負っている。

「空を飛ぶ」事をパイロットとしての一番の目的としている主人公で、戦闘機バルキリーに乗ったのはヒロインとの縁で守った際に搭乗。
その操縦性に惹かれたという面が大きく、パイロットとして訓練は受けたものの、殺害を行う事については拒否を明言している。
もっともこれ自体は他のパイロットも概ね目標にしたり実行しており、その理由も「大部分は敵の策によって強制的に操られている者」を止めるためというもので、作中の環境においておかしい主張というわけではない。
僚機が危機に陥った時にはやむを得ず撃破したものの、その後は技量や経験の向上もあってコクピット以外の破壊を狙って成立させている場面がみられる。


エイジの単独項目にもそのまま書いてある。不殺なのは性格もあるが侵略国=メイン敵であるグラドスの血が流れているというのもあろう。
米兵が米軍の主義主張を嫌ったからといって、米軍人すべてを喜々として射殺するか?というような話である。
1話でパイロットを殺したくない、と部位破壊を狙う直前に会話しているのもグラドスでの先輩キャラ。

  • 桃太郎(『桃太郎伝説』シリーズ)
鬼ヶ島へ鬼退治へ旅立つが、鬼達をこらしめて愛と勇気を伝えることを目的としている。
新桃太郎伝説でも冒頭の負けイベントを経て天の仙人から鬼達が憎いだろうと問われるが、それでも愛と勇気を伝えることを選ぶ。というか憎いと答えると人気を下げられた上に無限ループになるため結局は選ばされるわけだが

同作の主人公である少女娼婦。全身を炎に焼かれ死にかけたところを委任事件担当捜査官ドクター・イースターと意思を持つネズミ型万能兵器ウフコック・ペンティーノに救出され、
自分を消そうとした犯人を立証するために、禁じられた科学技術で作られた金属繊維の皮膚を移植されて命を取り留める。
その際に金属繊維とウフコックに由来する超人的な力を手に入れ、敵の刺客を撃退する際、今まで虐げられてきた境遇の反動で暴力に溺れ、刺客たちを弄ぶように殺してしまう。
しかし、その後は様々な人物と出会う中で「力に伴う責任」「暴力に依らない心の強さ・勇気」などを学び、
最終的に、自分と同じ禁断の科学技術で武装した敵を前に「殺さない、殺されない、殺させない」という信条を掲げるに至った。
このバロットのポリシーは、次回作「アノニマス」の登場人物にも影響を与えている。

あらゆる武器に「タミタヤ」という魔法が組み込まれており、モンスターを倒しても「はじまりの森」に送り返すだけで命は奪っていないという設定。
シリーズの世界では標準装備であるらしく、投げ技や投擲、武器ですらない農具などでモンスターを倒した場合も発動している。
人間相手には効果が無いが殺害までに至った例はなく、シリーズ通じて不殺を継続している。
獣型モンスターが毛皮、魚型モンスターが古代魚の骨をドロップするなど、明らかに致命傷を与えていそうな場合もあるのはご愛敬。

キン肉マンことスグルから深い影響を受けた正義超人の一派。彼らの理念として戦いの目的は相手を倒すのではなく分かり合うためというものがあり、それは負けたら自害する掟を持つ完璧超人相手であっても例外ではない。そういった理念を強く体現した技が相手に自害すら不可能なほどのダメージを与えつつも決して命は奪わず、尚且つその完成度故に食らった相手も感服してしまうというキン肉族奥義の一つ「マッスルスパーク」である。もちろん全ての正義超人が不殺主義者という訳ではなく、残虐超人のように相手の殺害を厭わない正義超人も存在する。

人を撃てないスナイパーでワールドトリガーのヒロイン。
本作の模擬戦やランク戦の仕様として、「戦闘体は痛覚ほぼ無し(あるいは全く無し)」「致死ダメージを受けても死なずに控室に送られる」といった仕様なので仲間同士で殺し合いを行うのがこの作品での主な訓練方法なのだが、それでも人を撃つのを恐れている。
正確には攻撃でダメージを与えるのを恐れており、意図的に撃った時や誤爆で倒した時などは顔を青ざめていた。
しかし相手にダメージを与えない、体に重石を発生させる鉛弾(レッドバレット)は普通に撃つことができる。
この鉛弾による拘束や、作中最高の火力を活かした狙撃銃による砲撃での地形の破壊などでチームの勝利に貢献している。
しかし、一部の仲間から「人が撃てないのではなく撃ちたくない(人が撃てないとは言ってない)のでは?」と言われている。

人が撃てないスナイパーその2
狙撃の腕前は作中トップクラスなのだが人が撃てないため相手の武器を狙撃で破壊していた。
しかし、一度だけ人に当ててしまった時は、ゲロを吐いて寝込むなど猛烈な拒否反応を起こしていた。
鉛弾による狙撃は鳩原が考案したのだが、彼女のトリオン(作中の生体エネルギー)量では、実用に至らなかった。


ゲームプレイヤーによる「不殺」

近年、「相手を殺すことが出来るが、見逃すことも出来る」ということをプレイヤーに選ばせるゲームが多数発売された。
基本的に、相手との和解や屈服のためにひと手間かけるよりも、相手を殺した方が早いしお金や経験値も手に入ってお得という意味で楽ではある。
しかし、その手のゲームには敵を誰一人として殺さないことでのみ展開されるストーリーがあったり、特別な称号、実績が手に入ったりする。どちらかというと、「プレイヤーへの挑戦状」といった立ち位置だろうか。
勿論、逆も然りであり…

「不殺」が可能なゲーム

  • LIVE A LIVEの幕末編(人間キャラを1人も殺さない「0人斬り」プレイが可能*4
  • UNDERTALE(制作者のToby Fox氏は、上の「LIVE A LIVE」幕末編0人斬りからも影響を受けたと語っている)
  • SHRIFT(R18ゲームにつき注意)
  • Dishonored (「悪徳政治家のスキャンダル追及」などの社会的抹殺手段が用意されている)
  • メタルギアシリーズ(体力の代わりにスタミナを削って倒すことで殺害数にカウントされない*5。ただボス敵は倒された後自殺するため、殺していないかと言われると…)
  • スプリンターセルシリーズ(殺さなかった相手には、然るべき法の裁きを与えることが出来る)
  • 師父-Sifu-(相手を殺さず心を折ることが、武術の真髄であり、徳である)

逆に主人公・味方役に殺し有りの設定がある場合

不殺主義の主人公・味方役を嫌う人は不殺主義の防止のために主人公・味方役に殺し有りの設定にすればいいのでは?と考えるかもしれないが実際にはその考えも必ずしも良い結果を生むとは限らない。

もし主人公・味方役を殺し有りの設定にしてしまった場合、それはそれで説得力のあるしっかりした理由づけが求められる。

当たり前の事だがいかなる理由があっても人を殺す事は悪である。実際は「殺してもいい存在と殺してはいけない存在の境界線」などなく「殺す必要があるかもしれないか殺す必要がないかの境界線」があるだけである。

「相手が敵だから」「相手が悪い奴だから」「相手が自身を殺そうとしたから」「相手が悪い事をしたから」「相手が殺人をしたから」という理由だけでは相手を殺す説得力が十分に生まれるとはいえず下手をすれば読者・視聴者から説得力のない正当化をしてると悪い印象を抱かれる事もある。

「主人公・味方役が敵よりも強い」「敵が根は悪人じゃない」「敵である悪役が改心するかもしれない」「敵にも事情がある」などの描写が強く描かれれば描かれる程、相手を殺す事に説得力を持たせる事が困難になる。

作風によっては「主人公・味方役が人を殺した事による罪悪感・苦悩・責任を背負う」「主人公・味方役が人を殺した事で責められたり恨まれたりする」「主人公・味方役が人を殺した報いを受ける」などの描写も必要になるかもしれない。

上記のように殺し有りの設定をした場合は物語の展開的に「殺さずにすんだ敵を殺してしまう事」や読者・視聴者から見て「本当に殺す必要があったのか?」と思わせる殺人が起きてしまう事もある。そうなれば何かしらのフォローの描写をいれなれけばならないが主人公・味方役をサイコパスキャラクターにしてしまった場合はフォローをしきれなくなる。

中にはあえて援護しきれない殺人を行う事で人気を得る主人公・味方役もいるがもちろんそれは飽くまでも悪役や否定的に描かれる役といったアンチヒーローとして人気を得ているのであって決して王道の主人公のような扱いをする事はできない。

主人公・味方役に殺し有りの設定を付ける際にやり方を間違えれば「主人公・味方役の悪役化・サイコパス化」が起きたり主人公・味方役を絶対正義・絶対善として扱いすぎる作風になってしまったり「ただ登場人物の命を軽視するだけの作風」になってしまったりして作品そのものが嫌われてしまう事になる。

数多くの殺し有りの主人公の中でも特に物議を醸している主人公なのが『ありふれた職業で世界最強』の南雲ハジメである。南雲ハジメは敵味方思考の極地にいる人物で敵と認識した相手は「自身と相手の実力差」、「相手の善悪」、「相手の事情」、「殺人以外の方法」というのを一切考慮せず殺害しようとし、怒りや憎しみに駆られた場合はわざと過剰に残忍な殺人を行う事もある。もちろん南雲ハジメは殺人に対する良心や罪悪感は全くないデミサイコパスである。これだけを見れば立派な悪役主人公・アンチヒーローだが南雲ハジメはヒロインなどの周りからは称賛されるばかりで南雲ハジメの殺人などの非道な行いを非難される事は基本的になく物語そのものが南雲ハジメを絶対正義・絶対善のように扱いすぎている有様になっている。南雲ハジメを主人公にした事によって『ありふれた職業で世界最強』で数多くの弊害が発生した事や元々『ありふれた職業で世界最強』がなろう系である事なども相まって『ありふれた職業で世界最強』は数多くのフィクション作品の中でも屈指の嫌われている作品となっている。

不殺主義のキャラやなるべく殺さないキャラにする設定は上記の主人公・味方役に殺し有りの設定をつける事による問題を生まない機能もあったので主人公・味方役にむやみに殺人をさせれば良いというものではない事はよく分かるだろう。

主人公・味方役に殺し有りの設定をつけるのならそれに見合った描き方が必要なのである。

最後に

繰り返しになるが、不殺主義は賛否両論である(完全不殺主義だけは絶対に殺した方がいい時がある以上、否定意見が多めであるが)。
そのため、賛成・反対の双方で議論が荒れる場合があるが、お互い冷静に尊重して作品や場を荒らさない様に注意しよう。




追記・修正は誰も殺さない方にお願いします









前述した『ZOIDSバトルストーリー』の義手義足の話だが、兵士が不安を述べた後、その場にいた看護婦の女性は引き金を引く未来を強く否定しこう述べている。
「だって私達……人間ですもの……!」
それを聞いた兵士達は安堵し、全ての義手義足を配り終えた。


相手も同じ人間で、同じ命なのだからと、人に未来を与える道を選択している。


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最終更新:2024年04月05日 19:28

*1 死にたがりや極度の全体主義者

*2 制作陣が「ムサシやコスモスを客演させちゃうと大地が(鏑矢諸島や惑星ジュランという形で)「探している答え」をすんなり知って物語が成り立たなくなる。そのためコスモスの単独客演回はやらず、ギンガが客演した時に「コスモスから聞いた話」を語らせる形にとどめた」と発言したあたり、気を遣っていた模様。

*3 弥彦曰く「一生をかければ極められるだろうが、その頃には爺さんになっている」

*4 なお、不殺対象は人間限定で妖怪などはいくら倒そうがセーフ、また味方になるカラクリ丸がイベントで壊れた際に巻き込まれて死ぬ人達はおぼろ丸が命じて殺したわけではないのでセーフ。

*5 作品によって不殺判定がガバガバなことも多く、MGS3では「毒蛇を投げつけて相手がかまれて死んだ場合は不殺」「乗り物の運転者に麻酔銃を撃って相手を事故死させた場合は不殺」「同じく麻酔銃を撃って相手が転落死や溺死した場合は不殺」という仕様だった。