小島聡

登録日:2017/01/12 Thu 08:47:23
更新日:2022/10/16 Sun 19:01:10
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小島聡


小島聡(こじまさとし)は1970年9月14日生まれの日本の男性プロレスラー。東京都江東区出身。
所謂『新日本プロレス』の“第三世代”レスラーに属する一人。

団体の枠を越えて活躍した00年代を代表するトップレスラーであり、02年から参加した武藤体制の『全日本プロレス』ではエースとして活躍した。
『全日』マットは10年に退団。
現在はフリー参戦を経て古巣の『新日』マットに帰還している。
若手時代から一貫して持ち前の元気さを前面に打ち出したファイトスタイルを信条としており、年齢を重ねる中で緩急の利いた試合作りの技を身に付けた。
そのため、ベテランとなった現在でもコンディションが落ちたとは感じさせないが、他の第三世代レスラーと共に、一歩引いた立ち位置から『新日』マットの戦いを支えている。

【略歴】
高校卒業後、就職してサラリーマンとして働いていたが夢を諦め難く一念発起して「アニマル浜口ジム」でプロレスラーとしてのトレーニングを積む。
91年に、晴れて『新日本プロレス』に入門。
同期には山本広吉(天山広吉)、西村修らがいる。
一年後輩に永田裕志中西学、石澤常光(ケンドー・カシン)、大谷晋二郎といった面々がおり、彼らが長州体制で揉まれた、所謂“第三世代”と呼ばれる面々である。*1

94年のヤングライオン杯を全勝優勝で飾り海外修行へ出発。(決勝を戦った中西学も同じく海外修行へ。)

96年に凱旋帰国を果たすと、ヒール転向により悪のカリスマと化していた蝶野正洋率いる“NWO JAPAN”との抗争要員として駆り出され、前年に帰国して蝶野のパートナーとしてトップレスラーの仲間入りを果たしていた天山らと激闘を繰り広げる。
また、自身としても同年に帰国して中西学とのコンビ“ブルパワーズ”を結成してIWGPタッグ王座を獲得する等の活躍を見せるも、負傷欠場などの影響もあってかこの時期には有力な若手の域を出ない活躍のままだった。

小島の『新日』マットでの転機となったのは、98年の負傷欠場からの復帰後に後々にまで影響を受けることになる武藤敬司の誘いを受けてヒール転向を果たしてからである。
結成以来、一般層にまで浸透する知名度を得ると共に、ヒールでありながら興業の主役の地位を独占していたNWOであったが、リーダーの蝶野が首の再発により負傷欠場に追い込まれ、腹心として加担していた武藤が舵を取ることになったのだが、武藤が自らの独自色を出すためのパートナーとして呼び込んだのが小島だったのである。
チームの路線変更により、当初は天山やヒロ斎藤との軋轢を生むも後に解消。
……そして、この流れの中で生まれたのが今尚付き合いが続く『新日本プロレス』普及の名コンビ“テンコジ”であった。
結局、武藤NWOは本国との兼ね合いもあり、復活した蝶野の新チーム
“TEAM 2000”との抗争に敗れた末に吸収。
以降のテンコジは蝶野の指揮下にありつつも、本格的に頂点獲りを目指す第三世代の一員として戦っていることになる。

しかし、02年。
武藤がオーナーのアントニオ猪木の介入による坂口征二社長の解任以降、『新日』マットが純プロレス路線から乖離していたことへの不満から、大量離脱を引き起こしていた『全日本プロレス』への移籍に伴い、小島にも声を掛けて共に移籍。

03年以降、武藤全日マットのエースとなるべく、様々な経験を積まされると共に、本人もそれに応えていく。
愚零斗弧士にも変身した。
この時期には武藤全日所属として、『新日』マット以外の主要な団体には上がっていくスタンスであり、04年には旧全日四天王の象徴であった三沢光晴に古巣に呼び込む形で対戦を直訴。
破れるも、この試合で得た技を小島は自身のレパートリーとして大事に使用し続けている。

05年には、武藤と並ぶ重鎮として参戦していた川田利明を破り平成デビューのレスラーとして初めて三冠ヘビー級王座を獲得。
同年に、ガタガタの状態を経て再び純プロレス路線に回帰しようとしていた古巣の新日マットでIWGPヘビー級王座となっていた盟友、天山広吉とWタイトルマッチで対戦。
60分近い戦いの末に脱水状態に陥った天山を介錯して、史上初のIWGP&三冠ヘビー級王者となるも、結果に納得がいかないとしてIWGPベルトを巻かなかった。*2

06年にG1クライマックスに参戦。
決勝で天山に破れるも、漸くテンコジ対決の区切りを大団円で付けられた。

07年初頭の1.4では、故・橋本真也の追悼試合で武藤、蝶野組の対戦相手をテンコジが務めた。
しかし、その後は不調による失速を経て、当時の全日を賑わせていたVOODOO-MURDERS(VM)に加入する形でヒールターン。
このヒールとしての活動は約一年に渡って付けられたが、2年ぶりの参戦となったG1でVMと決裂。
同年、テンコジとして新日、全日、両団体でのタッグリーグを勝ち抜き優勝。

09年、高山善廣を破り三冠王座を奪還。
10年に角界出身の新鋭、浜亮太に破れ王座を失い退団。
同年、G1への参戦直訴を機にフリーとして再び新日を主戦場に。
決勝で棚橋弘志を破り一応は外敵としてG1を奪取。
更に、10月には真壁刀義を破りIWGP王座も奪取するも、翌11年の1.4で棚橋に破れて王座を失う。

11年に鈴木みのるに追われる形で外敵軍から追放。
真壁とタッグ結成。
8月のG1で天山と戦い負傷し、長期欠場に。

12年9月に復帰と共に新日マットへの再入団を発表。
真壁とのタッグも継続していたが、飯塚高志の襲撃を受けまくっていた天山を救けたのが縁で久々に天コジ復活。
以降、たまに仲違いしつつもコンビは継続している他、自身も現NWA王座の奪取する等の活躍を見せる。

16年にはG1出場が決定していたものの、出場枠を訴える相棒の天山に対してNEVER無差別級6人タッグ王者奪取直後に出場枠を譲ることを表明。
セコンドとして、現世代に食らいつく相棒の戦いを見守った。

その後しばらくは一歩引いた立場で試合を続けていたが、2021年1月の東京ドーム大会では代理であるもののIWGP・USヘビーの挑戦権利書をめぐり保持者のKENTAとシングルマッチを繰り広げた。

2022年
一時疎遠になりながらも再び交流を開始したNOAHに、
“史上最大のX”として久しぶりに参戦。当然あまりにも煽りすぎたために、幾度もNOAHに参戦した小島がXだったことに賛否両論がおきた
時のGHCヘビー級王者、潮崎豪に挑戦表明した。
同年6月12日。
NOAHをはじめDDTなどサイバーエージェントグループに属する団体が一堂に帰した「CyberFightFes2022」に新日本プロレスの選手として唯一にして初の参戦。*3
豪華な入場演出や中嶋勝彦の張り手で遠藤哲哉が失神KOなど様々な話題を提供した大会のメインイベントに出場。
小橋建太の遺伝子を受け継ぐ潮崎・新日本出身ながらスタン・ハンセンの流儀を受け継ぐ小島の剛腕対決は開催前から注目を集め、最後には一瞬の隙をつき小島のウエスタン・ラリアットが炸裂!
GHCヘビー級王座を奪取するとともに、史上4人目*4のメジャー3団体完全制覇(グランドスラム)を達成した。*5

その後はNOAHに継続参戦し、外敵ではあるものの若い世代の選手や自分と同世代の高いコンディションを維持するベテラン選手*6を前に獅子奮闘。NOAHマットでの戦いに積極的に打ち解け、ファンの支持も厚い。
新日本プロレスへの参戦は一部を除いて減少したものの、王座戴冠時にサプライズ参戦した際は、NOAHのオフィシャルTシャツを着用し話題を集めた。解説席のミラノコレクションATからはボヤかれてたが。

結局、GHCヘビー級王座は一度も防衛することのないまま、7月16日の日本武道館決戦で挑戦者の前哨戦でのプッシュアップ対決が話題になった拳王に明け渡したものの、そのままNOAH最強を決めるシングルリーグ戦「N-1VICTORY」に出場。最終戦で清宮海斗に敗れたものの、相変わらずの高いコンディションを発揮。決勝戦の行われた大阪大会をキッカケに同い年の杉浦貴とタカアンドトシ「タカ&サトシ」を結成し、GHCタッグのベルトを狙う…。



【主な得意技】

■ぶん殴りラリアット
以前の小島のラリアットがこう呼ばれる。
若手時代から使用していたが、若手時代には走り込んで『バカヤロー!!』等と絶叫しながら腕を叩き込むだけのスタイルで、自ら「世界一のラリアット」を自称しつつも、凡百な使い手の域を越えず、フィニッシャーとしての説得力も持たせられていなかった。
本人の中でも必殺技としての意識が高まってきたのはヒールターンして以降で、この頃から試合中での乱用を避け、フィニッシュの際には体全体を浴びせて薙ぎ倒してフォールを奪う等、より気持ちを込めた使い方をされていく様になった(G1では決勝を逃すも武藤と蝶野の両方からピンを奪うことに成功したのもこの頃)。

■小島式ウェスタン・ラリアット
全日マットに移籍し、引退していたスタン・ハンセンから直接伝授を受けて以降のラリアットで、現在のフィニッシュムーヴにして、代名詞。
小橋健太の剛腕に対して豪腕ラリアットと呼ばれたり、継承ウェスタン・ラリアット等と呼ばれる場合もあるが、呼び名はイマイチ統一されていない。*7
小島曰く、ハンセンから伝授されたのは「一発で決めるという気持ち」との事だが、実際にはラリアットの打ち方その物も変化しており、以前のラリアットが多くの使い手のように叩き下ろすか、横方向にぶん殴る形だったのに対し、伝授後は元祖のハンセン同様に相手を無理なくカチ上げるようにして腕を振り抜いていくスタイルに変化している。使用頻度を少なくすることでフィニッシャーとしての説得力を得ている。ラリアットを放つ際は右腕につけているサポーターを外すのがお約束。
走り込んでのラリアットが基本だが、カウンター式やショートレンジ、敵のラリアットをラリアットで封じるパターン、後頭部や左腕で放つものなど打ち出し方にも幅が増え、特にハンセンを思わせる居合い抜きのようなショートレンジやカウンター式も強力で、一発で劣勢をひっくり返すばかりか、そのまま決着がついてしまうこともある。
ハンセンから盗んだレスラーは数多いが、本人の引退後とはいえ直接伝授されたり、元祖の打ち方まで再現したのは小島のみである。

■串刺しエルボー
コーナーに振った相手に、勢いよくジャンプしながらエルボーを叩き込む。
その後、マットに相手を転がし“いっちゃうぞエルボー”に繋ぐ。

■いっちゃうぞエルボー
『いっちゃうぞバカヤロー!!』と見栄を切って叫んだあとに放つダイビングエルボードロップ。
若手時代からの小島の代名詞であり、会場も一緒になって叫ぶのが定番だが、ヒール時には無言で放ったり、叫んでもブーイングが起こる。
蝶野は「ブッチャー(橋本真也)のダイビングフットスタンプや小島のアレみたいに特別な技術も要らないのに痛いだけの技は嫌だ」と語っている。

■ローリングエルボー
以前から単発では使用していたが、三沢との対戦を機にコンビネーションで使うようになった。

■コジマカッター(コジコジカッター)
所謂ダイヤモンドカッター。
掴んで叩きつける技が欲しいという事で流行を取り入れた。
使用開始直後はフィニッシャーとしていたのだが、ラリアットへの拘りからか後に繋ぎ技となった。
自然発生的にコジコジカッターと呼ばれていたのだが、本人が恥ずかしいと訴えた事でコジマカッターという半端な名前になってしまった。

■ライディーンバスター
開脚式スパインボム。
主にカウンターとして用いられる。
特にフィニッシャーが無い時代の決め技の一つ。

■CCD
コジ・クラッシュ・ダイナマイトの略。
三沢のエメラルドフロウジョンにインスパイアされた垂直落下技。
基本はエメラルドフロウジョンを左右反転させた形だが、微妙に入りかたや形が違うパターンもある。

■コジMAXホールド
うつ伏せ状態の相手の左腕を右足で固め、右腕を両腕で絞り上げていく変形羽根折り固め。
後に後藤洋央紀がほぼ同型の技を昇龍結界として公開している。

■川田殺し
その名のように川田との三冠戦を前に、師匠のアニマル浜口のアドバイスを受けて開発。
長座位(ハーフダウン)状態の相手の左腕を左足で固定し、右腕をV1アームロックに取る。

■レッグ&ネックロック
ヤングライオン杯全勝優勝をもたらした若手時代の必殺技。
うつ伏せの相手の片足を正面から折り畳むようにして押さえ込み、首を固めていく。
コーチ役の佐々木健介が考案し伝授した技。

■コジメ
右腕を利用したフェースロック。

【余談】

  • トレードマークともなっている鼻のクリップは、鼻炎持ちの為に付けていたという実用的な理由からである。

  • デビュー戦の相手でもある相棒の天山のプロレス人生に蝶野の大きな影響が指摘されるのと同様に、小島には武藤の影響が大きいとして語られる。

  • 極度の虫嫌いなのだが、イタズラ好きの橋本に寮の部屋を蝉まみれにされたことがある。

  • テンコジと言えば……の10倍発言は、数学関連が苦手な為に起きてしまった予期せぬ事故であるらしい。
本人も今になってまでイジられているのを気にしているらしいのでイジるのはやめてさしあげよう。


天山「俺達がチャンピオンだ!追記・修正のな!」
小島「1+1は2じゃないぞ。俺達は1+1で200だ!10倍だぞ10倍!」

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最終更新:2022年10月16日 19:01

*1 ※大谷を除く永田ら92年組は年齢が小島らより上で、アマレスでの輝かしい実績を持ったエリートであった。

*2 ※後に後悔したと語っている。

*3 同日に新日本プロレスは大阪城ホールで興行を行なっている

*4 高山善廣、佐々木健介、武藤敬司

*5 なお同日には先のグランドスラム達成者であり、小島と行動をともにした武藤敬司が来場。2023年の春ごろを目処に引退すると宣言し、世間に衝撃が走った。

*6 杉浦貴、藤田和之、望月成晃、田中将斗など

*7 ※剛腕は小島自身のニックネームでもある。