上厚内駅

登録日:2016/11/25 Fri 01:06:24
更新日:2023/10/04 Wed 06:26:55
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かみあつない
   上厚内 K41
<● Kami-atsunai ●>
うらほろ   あつない
Urahoro     Atsunai

(建て主撮影)

上厚内駅とは素敵な木造駅舎のある秘境駅である。

  • 概要
根室本線にある駅の一つ(無人駅)。
ちょうど十勝地方と釧路地方の境目にあたる場所で、その証拠に上厚内-帯広間と上厚内-釧路間は運賃が同額(1270円)だったりする。
一応所在地は浦幌町であり、すなわち十勝地方ということになる。ただし十勝にある根室本線の他の駅と違い、山間部にある駅である。*1
十勝平野をずっと走り抜けてきた列車が山を登りだす(下り)、あるいは太平洋を見た列車が方向を変えて山の方へ走り出す(上り)、その先でこの上厚内駅は待っている。
そうやって山を登ってきた列車を出迎えてくれるのは、貫禄ある木造駅舎に土のホームと国鉄時代の雰囲気を色濃く残す駅設備だ。
時間があれば車窓から眺めるだけでなく降りてみて欲しい。そうすれば駅の魅力をより知ることができるだろう。
跨線橋のある意外に広いホームに降り立つと、まず木製の扉と改札の名残が訪問者を駅舎の中へ招き入れる。
中で待つのはなかなかの広さを持つ待合室。板で塞がれてしまっているかつての窓口。その板に張られたJRのお知らせや有志の写真など。そして秘境駅にお約束の駅ノートもある。
しかしこれだけの立派な駅設備があってなぜ秘境駅なのか? それは駅前を見れば分かるだろう。
集落高台にある駅から見渡せる光景はそれなりの規模の集落……の痕跡である。人の気配がある家はごくわずかで、ほとんどが廃屋だ。
かつての賑わいを偲ばせる駅設備、60年以上の時が刻まれた木造駅舎、そして駅前に広がるほぼ廃村……それらの取り合わせにより非常に名高い駅である。

そんな風情も駅の裏手すぐを通る国道(よりによって帯広と釧路を結ぶ主要道路である国道38号)の車の通過音がぶちこわしていくわけだがな!

  • 駅とその周辺
まずホームに降り立つと、迎えてくれるのは舗装されていない土のホームだ。たださすがにへりの部分は補強されてはいるが。
そして特記すべきこととして意外に広く長い。さすがに特急を停車させるには厳しいものの、せいぜい1-2両編成の普通列車しか停車しない閑散駅にしては宝の持ち腐れ立派である。
また線路を挟んで駅舎の反対側にもう一つホームがある。そちら側へは構内踏切ではなく跨線橋で向かい側のホームで渡ることとなる。
この跨線橋、写真撮影において非常に都合がいい。上り下りともに線路が伸びていく情景が見渡せる。やってきた列車と一緒に駅舎を撮れば、きっと素敵な写真になるだろう。

さあ、いよいよ駅舎に入ってみよう。
引き戸はアルミサッシに取って代わられていない、希少な木製だ。
内部は外から見た大きさに違わず結構広い。半分は元・駅員専用エリアの窓口内で閉鎖されているが、残された待合室だけでも閑散駅に似つかわしくない広さである。
また木造駅舎に似合わない鮮やかな色のプラスチック製ベンチもある。ちょっと風情はそがれるが、備えつけてある座布団と併わせてありがたい休憩所だ。
かつてあった二つの窓口は今では塞がれ、掲示板の代わりとなっている。一つの窓口跡には運賃表、時刻表などのJRからのお知らせが張られている。
そしてもう一つの窓口跡はファンたちの場所となっている。「あー故郷と上厚内」なる詩あり、写真あり、カレンダーあり、駅ノートあり……。
その駅ノートは最新のものだけでなく、かなり昔に書かれたものも残されている。昔から人気の高い駅だったようで、古いものでは1998年の記載もある。更に壁にある落書きにはそれどころか昭和のものと考えられるものまであったりするのだ。

国鉄時代の雰囲気が残された駅構内、集落の静かさ、そして何より重厚で美しい木造駅舎が鉄オタの間で高く評価されている。
その結果、秘境駅ランキング79位(2016年度)というなかなかの順位を得て、その手のマニア向けに様々なメディアで紹介されている。
また地元でも博物館主催のイベントにおいて「鉄道史跡」として列車で訪れていたりする。
更には2012年には「北海道デスティネーションキャンペーン*2」の一環として運行された臨時急行「北海道一周狩勝号」が停車したこともあるようだ。なんでや!

さて駅は集落を見守るかように高台にある。次は外に出て集落を眺めてみよう。
駅前通りには数軒の家屋が立ち並んでいる。人が住んでいるだろうと思われるものはそのうちわずかだ。ほとんどの家は潰れ、わずかな残骸のみが家の存在を示しているというものすらある。駅前通り以外にも家はあるが、やはり人気のない廃屋だらけだ。
かつては多いとは言わないまでも結構な数の人がいた集落だったのであろう。それを証明するものとして駅の近くに小学校の跡地もある。この地で育った子供達がそれなりにいたのだ。
しかしその頃の賑わいはどこへやら。今ではひっそりと静まり返ってしまっている。
そしてその静寂を打ち砕くのは高速で走り抜ける自動車の轟音……。

そうだ、忘れてはならないのが駅裏の国道38号であろう。
道央と道東をつなぐ大動脈である国道38号は非常に長い国道である。上厚内があるのはそのうち帯広と釧路を結んでいる特に重要な箇所だ。
それゆえ通過する車の数は非常に多い。2010年度の記録によれば24時間で5500台ぐらい。確かにこれだけの車が通れば秘境駅の雰囲気も台無しである。
そして上厚内を訪れる旅人は列車ではなく車やバイクを使うことの方が遥かに多い。JR側の公表した利用者数の割に駅ノートの書き込みがやたら多いことはその証拠だろう。
その訪れた理由は最初からこの駅が目的だったもの、たまたま見た駅舎に興味がわいたというもの、休憩できそうだったからというもの、他にも様々なものがある。駅ノートにはその旅人達の記憶も色々綴られている。ちなみに徒歩旅をしているという猛者すらいたらしい。
このように国道を行く様々な旅人が集ったその様は「道の駅かみあつない」といったところか。ただし食料・水分の補充はよそで行わないとならないが。

  • 歴史
1903年、浦幌の地に十勝で初めてとなる鉄道が敷かれた。北海道官設鉄道釧路線が東から延伸してきたのだ。この時にできたのが浦幌駅と厚内駅、上厚内駅の両隣である。
そして7年後の1910年、この二つの駅間に上厚内信号所(のちに信号場)が開設される。更に16年後の1926年に駅に昇格した。
その後順調に駅となってから四半世紀が過ぎ、1953年に駅舎が改築されている。これが今の駅舎であり、集落の入り口として今なお上厚内のシンボルであり続けているものだ。
こうして建てられた駅舎は少しずつ補修されながらも大きくは変わらず、往年の人で賑わった国鉄の駅の面影を今に伝えている。
その全盛期は60世帯ほどが暮らしていたそうな。具体的には林業者や国鉄関係者など。なるほど国鉄時代の山中の駅周辺集落らしい内訳である。

ところで、駅裏の国道38号であるが何も最初からここを通っていたではない。
国道38号が制定されたのは1952年であるが、当時は釧路側から海沿いに進み峠を越えて浦幌の西(駅でいうなら新吉野駅の辺り)へ至るルートであった(今では道道1038号となっている)。
それが1965年に切り替えられ、上厚内付近を通る今のルートになったのだ。
では、その前は? かつては列車に乗り根室本線を伝っていくのが上厚内への唯一のアクセスであったのだろう。*3
鉄路でのみ行くことのできる集落の駅……鉄オタならあの幻の駅を思い出すかもしれない。そう、神路駅だ。どちらも本線と名がつく路線の山中にある駅であり、後に集落と国道とがつながったという共通点もある。
だが集落と国道をつなぐ橋がなくなり消滅した神路に対して、この上厚内は今も国道とつながっている。
とはいうものの、上厚内も今では……。
駅から集落を見渡せば分かる通り、住人のほとんどが去ってしまった。
栄えていただろう駅前通りには廃屋が立ち並ぶ。形を残す建物すら数少ない。もちろん人通りは全くない。代わりに栄えているのは自然だ。人の歩くことがなくなった歩道ではアスファルトを割って草が繁茂している。生活の痕跡も少しずつ自然に帰ろうとしている。
もはや地域住民はわずか数名を残すのみ。このまま上厚内は……。悲しいが、近い将来『そうなる』のだろう。

産業や交通網の変化あり、国鉄の合理化あり……かくして人々は集落を離れていった。
そして……。

  • QHK(急に廃止が決まったので)
それは2016年の10月も始まったばかりの頃だった。
地元の新聞にこの知らせが書かれたのだ。「上厚内駅、来年廃止の見通し」と……。

9月末の美々駅の廃止決定時、追加の廃止候補として北星駅や稲士別駅などの名が挙がっていたが、更なる追加がくるとは予想していなかった。
もちろんJRの「利用者のいない駅は容赦なく廃止」方針や利用者数を考えてみればいつ廃止になってもおかしくはない。のだが、まさか廃止までに半年を切った10月に決まるとは……。

確かに上厚内地区は過疎化の著しい集落だ。残った地域住民だけでは目を付けられない程度の利用者数を稼ぐのは人口的に考えても厳しいし、そもそも皆さん自家用車を使っている。
鉄オタ? もちろんほとんど車で訪問していますよ。国道沿いだし。列車で来るのは運転免許を持たない少数派か、鉄路を使うことをよしとする原理主義者ぐらいである。
そんなこんなな理由が重なり、上厚内駅は利用人数1日1人以下の「極端にご利用の少ない駅」となり廃止が決定したのである。

これに対し各自色々思う所はあるだろう。
また素敵な秘境駅が……。
むしろここまで廃止されずによくもったな。
3年前に駅舎などのお色直しをしたばかりなのでもったいない。
先に廃止報道が出たのに忘れられた稲士別カワイソス……などなど。

一応2線ある駅なので、廃止後も信号場として残る可能性が大きい。つまり1926年より前に戻るだけ……だと思う(周囲の人口はともかく)。
ただ、自慢の木造駅舎がどうなるのかは不明である。
信号場に格下げされた他の駅を見るに、保線作業員の詰め所としてなら駅舎はなんとか残るかもしれない。
だが必要な設備以外は取り壊されている駅も多い。ひどいものだと駅であった痕跡すらなくなっている場合もある。
木造駅舎や隣の便所を含めて国鉄の駅形態をとどめた貴重な駅であるから「線路などの交換設備以外は跡形もなく破壊」はなんとか避けて欲しいものである。廃止撤回までは望まないとしても。

レトロな木造駅舎ゆえに訪問鉄および撮り鉄、あと廃墟・廃校訪問家にとって巡礼したい駅の一つに数えられた上厚内駅は、かくして葬式鉄の巡礼対象にも加えられた。
それからというものの、廃止を惜しむファン達が訪れるようになり訪問者は増えた。特に週末になれば全盛期ほどではないが人で賑わう。
国道沿いという(自動車を使うのであれば)アクセス抜群な場所ゆえ、相変わらず自動車で訪れる者も多い。
でもせっかくなので一度は列車で行ってあげて下さい。廃止となるその日まで、列車が停まり客の乗降を扱う現役の駅なのだから。

国鉄時代からほぼ変わらない駅の形、駅舎内に置かれた訪問者の思い出の品々、年期の厚みを感じさせる駅ノートや落書き……。
そして駅前集落の過疎化・高齢化、対比的な国道の喧噪、地域住民や訪問者の鉄道より自家用車優先使用……。
上厚内駅は集落の記憶や旅人の思い出、国鉄時代の面影を残す駅であると同時に、その身一つで北海道の鉄路の問題点を象徴する駅……なのかもしれない。


追記・修正は素敵な駅舎を愛でながらお願いします。



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最終更新:2023年10月04日 06:26

*1 もっとも、駅の標高としては実は新得の方がかなり高い(上厚内:54m、新得:188m)。とはいえ新得は平野の高い所といった趣で山の感じはあまりないのだが。

*2 JRと自治体が共同で行う大型観光キャンペーン。ちなみにこの北海道のものは2012年7-9月に行われた。

*3 一応、林道や獣道を行くという方法も考えられるが……大きな荷物の輸送は難しいし、まして自動車などの車両は無理である。