ワラキア公ヴラド3世

登録日:2016/10/26(水) 03:25:28
更新日:2024/02/26 Mon 23:14:09
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ワラキア公ヴラド3世(1431年~1476年、在位:1447年、1456年~1462年、1476年)とは、15世紀のルーマニア南部・ワラキア公国を治めていた貴族
大国の狭間にあって、領土を守るべく悪鬼羅刹と化し戦った暴君にして守護者、後に怪物のモデルとされた人物である。
あだ名はツェペシュ、カズィクル・ベイ(串刺し公)、ドラキュラ(小竜公、小悪魔公)。


生涯

1431年11月10日、ヴラド2世の次男としてトランシルヴァニアのシギショアラに生を受けた。
ヴラド2世は神聖ローマ帝国よりドラゴン騎士団の騎士に叙任されており、ドラクル(竜公)の異称を持っていた。
後に子である3世がドラキュラと呼ばれたのは父の異称に由来する。

1444年、ワラキアも参加したヴァルナ十字軍がオスマン帝国の前に大敗。臣従を余儀なくされたため、ヴラド3世は弟とともに人質としてオスマン帝国に送られることとなった。
オスマン帝国は傀儡政権の長としてヴラドや弟のラドゥを育成するつもりだったらしく、二人はそこそこの扱いを受けつつ、当時最先端にいたオスマン帝国の様々な学問、戦術、帝王学に触れる機会を得た。
しかし、まさかこのことが後々オスマン帝国を苦しめるとは、誰も思いもしなかったのである。

1447年、父ヴラド2世と長兄ミルチャが暗殺されワラキア公が空位となった。
ここでハンガリーの有力者フニャディ・ヤーノシュはヴラドの又従兄弟に当たるヴラディスラフを立てた。
が、オスマン帝国はこの日のために育成していたのだと言わんばかりにヴラドを送り込み、ヴラディスラフを排除し一時的ワラキア公に据えることに成功した。
しかし、フニャディ・ヤーノシュの支援を受けたヴラディスラフの逆襲に遭い、ヴラドはモルダヴィアに亡命することとなった。

1451年、モルダヴィア公が暗殺され居場所を失うと、ヴラディスラフと険悪になりつつあったフニャディ・ヤーノシュのもとに身を寄せる。当時からバルカン半島の難しい情勢は変わらないようである。
1456年には、ハンガリーから独立しようと画策したヴワディスラフを排除したフニャディ・ヤーノシュによってワラキア公として擁立されることとなった。
1453年にコンスタンティノープルが遂に陥落し、バルカン半島に直接影響が及ぶようになったため、オスマン帝国がいよいよ本格的に制覇を志向する時代となっていた。
このように難しい情勢の下、大国とぶつかるためにヴラドは難しい舵取りを余儀なくされていた。

そもそも、ワラキアに限らず当時の東欧は有力貴族による連合政権と言った色合いが強く、それ故か纏まりがなく有力者の胸先三寸で公の地位すら変わる有様であった
そこで、ヴラド3世はまず貴族統制に出た。方法?逆らったら殺す。以上。
そうして有力者を排除し集権体制をあっという間に固めると、ワラキア軍を貴族連合軍から公の直轄部隊とし戦術実行能力を高めるなど軍制改革を行った。
そうこうしているうちに、オスマン帝国からは人頭税やイェニチェリ*1用の子供を寄越すよう要請が飛んできた。要は臣従してしまえということだが無論拒絶した。
……オスマン帝国はいわば育ての親で色々育成されたはずなのだが、人質時代にとても嫌なことでもあったのだろう。きっと。
ちなみにこのオスマン帝国とのやり取りには奮ったエピソードが伝えられており、

ヴラド3世「おい、そこの使者ターバンは取らんのか?無礼では…ないのか?」
使者「ターバンを付けるのはこっちの礼儀である!取る理由がないのである!」
ヴラド3世「…ほう、そうかそうか。感心なことだな。」
使者「……?」
ヴラド3世「ならば、その礼儀をよりしっかり守れるよう私が手を貸してやろう(釘を取り出す)」
使者「!?な、何をするのである!私はオスマン帝国のしsyギャアアアアアアアアアアアアア(ターバンごと頭に釘ぶっ刺し)」
ヴラド3世「これでより礼儀正しくなったな(ニッコリ)」

このように、使者を殺して要求を蹴っ飛ばしたのであった。

こんなことをしでかした以上、当時世界に冠たる大国に成長しつつあったオスマン帝国がキレないはずもない。
コンスタンティノープルを落とした征服王・メフメト二世は大軍を発し1462年にワラキア公国に侵攻。あっという間に首都トゥルゴヴィシュテに迫った。
これに対しヴラド3世は大規模な夜襲を敢行。メフメト二世の首めがけてワラキア公直属の精鋭が突撃するも流石にメフメト二世を討ち取ることはできなかった。
しかし、大量の捕虜を得て意気揚々と帰還。夜襲自体は大成功となった。
これにはメフメト二世も激怒。軍を再編するとトゥルゴヴィシュテに突撃。一気に落とす算段であったが、メフメト二世が見たものは変わり果てた異様な都市であった……
すなわち、焦土戦術により焼き払われ、物資の一切が失われたトゥルゴヴィシュテと、夜襲で囚われたオスマン帝国兵*2が生きたまま串刺しにされ苦悶の表情で死んでいる姿。
しかも井戸という井戸にはを投げ込まれていたせいで飲水の確保すら出来ず、一説によれば串刺しの林の中で食事をするという挑発行為を行ったヴラド3世の姿に、兵士はもちろんメフメト二世以下将軍たちすら士気を失ったという。

こうして、オスマン帝国軍は撤退。怯え切ったオスマン帝国兵が名付けたのがカズィクル・ベイ(串刺し公)という異名である。
東方正教のヴラドに、普段は仲の悪いカトリック国から賛辞やなんかが殺到したほどの圧勝っぷりであった。

オスマン帝国は真っ向からこんなフリークスと戦ってられるか!と言わんばかりに戦術を変更した。
無理な中央集権でアンチが山のようにいたため、ヴラドの弟にそのアンチヴラド貴族を糾合させてヴラドを追い落とす作戦に出たのだ。
これは見事に成功し、あっという間に追い落とされると北のトランシルヴァニアに逃げ込むが、フニャディ・ヤーノシュの息子であるハンガリー王マーチャーシュ1世にオスマン帝国に協力したという嫌疑をかけられ逮捕され幽閉の憂き目に遭う。ここまで1462年の出来事である。
一言でまとめると「キリスト教国の英雄から扇動された弟に、公爵位を奪われ濡衣を着せられ幽閉の身に転落した件」。そのまんまラノベのタイトルになりそうな流れだが事実である。これがわずか一年で起きたのだからジェットコースターにもほどがある。

マーチャーシュ1世がなぜ濡衣を着せたかというと、神聖ローマ帝国ら西欧のカトリック国からイスラム教との戦争の最前線にいるハンガリーへ十字軍を行うことへの期待が高かったことや、
強大すぎてまともに戦える訳がないオスマン帝国へのご機嫌取りの折り合いを付けるために、対オスマン帝国戦争で絶大な戦果を上げたヴラドを貶めたことでカトリック国に「英雄がこんなんじゃ戦争できません!」という言い訳とオスマン帝国に「こいつうちらで〆ときますんで戦争は勘弁してくださいよぉウヘヘ……」という言い訳を両立させた、という説が有力らしい。
理想だけじゃ飯は食えないし国も守れないが、なんともなあという感じである。
とは言え、幽閉と言ってもそこまで自由を奪ったわけではなくそこそこ自由にさせていたらしい。

12年間の幽閉と2年の雌伏を経て、1476年に再びワラキア公に復位するが、自由と引き換えの条件で東方正教会からカトリックに改宗。マーチャーシュ1世の妹を後妻として娶っていたが、これが東方正教の国ワラキア公国では大不評で、民衆の支持も失ってしまう。
最期は復位後すぐにオスマン帝国との戦闘中に戦死、とされているが恨みを抱えたワラキア貴族が暗殺したとも言われる。
苛烈に戦い一度はオスマン帝国の大軍を寡兵で退けた「キリスト教の英雄」であったが、最期は物寂しいものであった……。
その首はオスマン帝国に送られ塩漬けにされた後、コンスタンティノープルで晒されたという。


評価

彼をモデルの一つとしたブラム・ストーカーの「ドラキュラ」やそこから派生した様々な物語で喧伝された吸血鬼というイメージが強い上に
マーチャーシュ1世がバラまいた貶めるためのパンフレットによる誇張・捏造された残虐行為喧伝の影響でしばらく残虐極まる暴君という扱いであった。
が、今では勇猛果敢にオスマン帝国と寡兵ながら戦い抜き、ワラキアの独立を保とうと小国の誇りを見せつけたルーマニアの英雄という評価に回復しつつある。
……抵抗勢力を皆串刺しにしたり貧民や病人、ロマ(ジプシー)を建物に集めて焼き殺したりしたのは事実らしいが。残虐苛烈には替わりはないようである。
もっとも、そこまで苛烈に糾合し戦わねば勝てない相手であったことも事実。

ちなみに悪評っぷりにはあだ名のドラキュラも影響しているらしい。というのも、ドラゴンは悪魔と同一視されることもあったので、マーチャーシュのパンフレットと合わせて父が得た称号のドラクル≒悪魔公とされたのも痛かったようだ。


創作における彼

前述のブラム・ストーカーの「ドラキュラ」から派生したキャラが非常に多く列挙するのも大変なくらいであるが
ブラム・ストーカーは吸血鬼ドラキュラ=ヴラド3世とは言っていない。
あくまで串刺し公の伝説と、スラヴ民族に伝わる吸血鬼ヴァンピールやアイルランドの吸血鬼伝説などと結びつけたものがブラム・ストーカー版の吸血鬼ドラキュラ伯爵で、ヴラドが変質したものではない。
そもそも公爵から格下げされているじゃないか。無礼だぞ!

しかし悪魔城ドラキュラやフランシス・フォード・コッポラ版ドラキュラなんかのようにモデルのヴラド3世と結びつけ、ヴラド3世自体が変質して吸血鬼となったという設定を追加した作品が多いので吸血鬼=ヴラド3世というイメージを持つ方は多いのではなかろうか。
さらに吸血鬼としてのキャラ付けにはブラム・ストーカーの先輩が書いた吸血鬼小説「カーミラ」の影響が大きく、このカーミラはオーストリア伯爵夫人のため一説によればバートリ・エルジェーベトがモデルらしい。ああ、100年位時代が離れてるのにおじ様ってそういう……

ちなみに、吸血鬼ではないヴラド3世をきちんと描いた創作はそう多くない。
日本だと『Fate/Apocrypha』の黒のランサーがまともに統治者としてのヴラドを描いている方になっちゃうかもしれない。そんな感じである。

御城プロジェクト:RE~CASTLE DEFENSE~』では、ヴラド3世の居城「ポエナリ城」が美少女擬人化して登場している。
ヴラド3世のエピソードを彷彿とさせる物騒なセリフが散見されるが、基本的には話が通じるし貫禄と豪胆さを兼ね備えた統治者風のキャラ付けがなされている。
そして不敵な高笑いが似合う悪の女幹部風コスチューム

名探偵コナン』の『服部平次と吸血鬼館』では、ヴラド3世と同じく多くの人々を串刺しにして殺害したとされている「串刺し大名」が登場。
こちらは側室を死に追いやった人間達を、木に串刺しになって死亡した側室に見立て串刺しにしたという復讐者である。
この他、ヴラド3世の名前も作中に登場している。


追記修正は抵抗勢力を皆串刺し刑に処してからお願いします。

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最終更新:2024年02月26日 23:14

*1 皇帝直属の精鋭部隊。征服した地の若者をイスラム教徒に改宗させて登用していた。

*2 一説によれば2万人……!