敵艦隊前線泊地殴り込み(艦隊これくしょん)

登録日:2016/09/24 (土) 09:58:20
更新日:2023/04/23 Sun 23:23:57
所要時間:約 19 分で読めます







大淀「貴様らの泊地は一日で終りだ」



「それでも長すぎた!!」


前回→艦これ始まってない
次回→南方海域強襲偵察!

艦隊これくしょん -艦これ-』の2013年春に開催されたイベント。艦隊これくしょんで初めて行われたイベントである。

イベント期間は5/17~6/5の間。
当初はこれより短い期間だったが、難易度を上げすぎて攻略者がほとんど出なかったことと、サーバー不具合の補償として期間を延長、ゲームバランスの調整が行われた。

時は艦これ黎明期であり、現在の横須賀サーバーが名前をつけられる前、全ユーザー数も3万人いるかいないかと言われているなど、翌年の同時期からは考えられないほどゲームの規模は小さかった。


  • もくじ



 

新規深海棲艦
ゲーム内に初めて潜水艦と鬼、姫級の深海棲艦が参戦した。またボスの随伴としてたこ焼きでお馴染みの浮遊要塞が登場。
E3ボスは泊地棲鬼、E4ボスは泊地棲姫。アニメでも泊地棲姫は岩場に立っていたことや泊地水鬼の存在から基地系ボスに思えるかも知れないが、二人とも戦艦である。


 

海域解説
マップは全部で4つ。構成も極めてシンプルで、ボス前分岐があるだけのほとんど一本道構成。ボス前で逸れるマップはその先で100以上の燃料か弾薬を拾えるなど以降のイベントマップに比べると有情といえる。
ただしその一本道という都合上、道中の無慈悲な渦潮を避けることができず、ゲージ回復もある。どちらの要素も開始1週間後のメンテで弱体化した。
また、1度クリアしたマップにはE4以外再出撃不可能。そのため、ドロップ狙いの出撃は基本的に最終マップでのみ行えた。

モチーフは史実での真珠湾攻撃だが、前述のようにマップが一本道であるため、参加艦によるルート固定などはない。
新規艦娘はドロップで鬼怒、阿武隈、途中追加されたE4ボス限定の瑞鶴。報酬で翔鶴が仲間にできた。

 

E-1

 

E-2


 

E-3

 

E-4




大淀「殴り込みは失敗です」
大淀「今は遠い泊地に身を隠しましょう」








追記修正は一週間後にお願いします。







ここから先は、13年春イベントが開始して一週間の出来事と、当時の艦これがどのようなゲームであったかについて記述する。
なお、以下の記述は、当時の仕様と難易度を参加者が残していた発言や、検証した人達のレポートをもとに文章としてまとめたもので、艦隊これくしょんというゲームを貶める意図がないことは理解していただきたい。


◇一年越しに明かされた事実
このイベントが開始された時期だが、艦これサービス開始から一ヶ月ほどしかたっていなかった。そのため、
イベント当時、攻略に使えるゲーム内情報は一切存在していなかった。
さらに、運営もまだゲーム運営に慣れていなかったためか不具合も多く、建てられたばかりの艦隊これくしょん本スレでは阿鼻叫喚の様相を呈した。
運営サイドがゲーム運営そのものに不慣れで手探り状態であったのと同じくして、検証勢を含めた当時の艦これプレイヤー全員もまたマスクデータの多さが災いし手探り状態で、まともな情報が揃えるというのが無理難題なのである。
2014年春、本スレにて前年のイベントを振り返る話題が出た際、偶然にも震電改保有(13年春イベント完走)者や、当時のスクリーンショットを残していたプレイヤーが多数集まった。しかしそこで明かされた情報は、
最古参プレイヤーから満場一致でゲームにならないという評価を下された本イベントと、プレイヤーに厳しすぎる内容だった。
その主な理由は、まだ撤退令が出ていなかったイベント開始から一週間の内容にある。
たった2つのイベント要素について説明されただけで、参加意思を失う者が続出したのだ。
酷評原因の要素は3つあったにも関わらず。

結果、2016年春イベントにて、バグで実際に攻略不可能となったイベントが起こるまで、このイベントは艦これ史上最悪難易度のイベントと呼ばれ続け、畏敬の念を持って語られることとなった。




◇2013年の艦隊これくしょんゲーム環境
ゲーム内情報が皆無ということは先に書いたが、具体的な現在との差異について記述する。

〇システムの差異
  • 自然回復と課金以外で資源を稼ぐ方法がない
遠征や任務の数が極めて少なかっただけでなく、収支の黒字も極めて少なかった。敵には潜水艦が導入されたがこちらには一人もいないためオリョクルも存在せず、一定の資材を得るには自然回復を待つか、課金に頼るしかなかった。
当時、既に効率のいい遠征である海上護衛任務や防空射撃演習は解禁されていたようだが、燃費の安い潜水艦が未実装でキラキラを付けての遠征が浸透する前であった事を鑑みると、収入としては赤字に近かったのだろう。
同様の理由でバケツを稼ぐ方法もないので、高速修復材も枯渇していた。だというのに……

こんなことが起ころうとは。後に現在まで赤城さんの印象を食っちゃ寝キャラとして決定付けることになった忌まわしきバグである。
少数ながら、似た話は当時の戦艦勢にもあるため、恐らく空母や戦艦全体で起こっていたのかもしれないが、入手の容易さから赤城さんが一番有名になったのだと思われる。
内容は、異常な資材消費量とハードコアでリアリティな修理時間。
レベル1で小破もしてないのに18時間寝ているのは空母のメンテナンス時間としては短いのかもしれないが、ゲームとしては長すぎた。結果、後のメンテナンスで改善された。

初の改二である北上、大井は春イベントより後のこと。
余談ではあるが、瑞鶴の改二実装の際、数名の横須賀提督から、13年春イベントでもようやく攻略可能になったという評価が出た。この言葉の理由は上記の酷評要素に関わるため、後に一括して説明する。

  • 重巡のステータス問題
完全に産廃というわけではないが、13秋頃まで重巡はダメージ仕様が現在と異なっており、戦艦の完全な下位互換だった。
重巡のテコ入れが入るまで重巡が「いらない子」だとか「器用貧乏」だとか言われていた事を含めると、春時点の重巡の立場はお察しである。
いて困るものではないものの、その戦力差はイベントにおいて致命的であり、重巡2隻を必須とするE2から難易度が大幅に上がる原因の1つともなってしまう。
また、調整後は好きな艦と一緒に攻略できるようになったのだが、E3以降は当初の仕様だと重巡を使っている余裕はまずなかった。この理由も上記の瑞鶴改二と共通するため後述する。

  • 連撃なし
そのままの意味。戦闘は大人子どもおねーさんおかーさんも空母以外はどの艦種もカットイン狙い。
まるゆもいないので、というか近代化改修にも問題があったので安定性はない。

  • レベル上げできる場所がない
イベント開始時に解放されていた最終海域は2-4までで、資源も稼げない状況ではそこまで行き着くことすら難しかった。
既に攻略したプレイヤーもいたにはいたが、重課金者がほとんど。
ただ、問題はそこではなく、イベントの推奨レベルが練度70以上と高すぎたことにある。
たびたび繰り返すが、当時はまだサービス開始から一ヶ月しかたっていない。今でこそ3-2や5-4などの育成場所が確立しているが、2-4までしか海域が広がっていなかった当時は、今以上にとにかく戦闘を繰り返し、塵を積んで山にする作業が必要だった。
これで一番損を被ったのはそこまで試行回数を取れない社会人提督であった。

  • 近代化改修の上昇値が低すぎた
これはおそらく、今でいう近代化改修のハズレにあたる確率が高かったのだと思われる。やるぐらいなら育てるという人が大半を占めていた。まあ、問題は上昇値ではなかったのだが……


〇プレイヤーの経験由来
  • 建造レシピ、開発レシピがない
各マップの艦種の縛りに関わった。
艦これサービス開始一ヶ月後という早期に開催されたイベントであったが故に、今日ほど建造/開発レシピの検証も進んでいなかった事に起因する部分も大きい。
悲劇が起きたのはE1。千歳と千代田は最後まで改装すると艦種が変わるが、必要なのは水母。既に二人を改装していた提督は、いきなりイベント参加資格を剥奪された。当時秋津洲がいればこんなことにはならなかったかも。
そう簡単に出会える二人ではなく、建造レシピを求める提督でごった返すことに。運営にもイベント直後から意見が多く寄せられ、調整後は水母ではなく千歳か千代田と制限が改められた。


雑誌が「轟沈の分水嶺は中破」とデマを発信してしまったり、13年秋アイアンボトムサウンドで否定されるまで主流だった説だけに知っているプレイヤーも多いと思われる。
要は中破が出たら即帰還ということ。当然試行回数も増え、資材消費も上がる。
ただ、E3を突破できなかったプレイヤーから、当時既に否定意見が多く出ていた。
アイアンボトムサウンドがそうであったように、ボスにもたどり着けないことで半ばヤケクソになって女神を載せて特攻したプレイヤーが多数いたためである。
E1の報酬で全員応急修理女神をもらっていたこともあり、横須賀鎮守府では中破で轟沈することはないと気づくプレイヤーは少なくなかった。


艦隊これくしょん2013春イベント 敵艦隊前線泊地殴り込み
時代の差を抜きにしても、長らく攻略不可能と言われてきた2013年春イベント。その評価を受けた2つの要素がある。
1つは無慈悲な渦潮
もう一方はゲージ回復である。


無慈悲な渦潮
本イベントでのみ存在したマップ上トラップ。いつもの渦潮同様燃料か弾薬を削ってくるのだが、削られる量が尋常ではない。少なくとも100以上の燃料や弾薬を奪われる。
マップが一本道の仕様上絶対に回避できず、しかもE-2、E-3はこれが2つもある。道中の戦闘消費も合わせると、ボス戦では必ず燃料と弾薬が枯渇。当時の参加者が計算したデータによると、ボス戦では強制で火力は60%も低下させられる
第一艦隊の燃料残量0、弾薬残量30%強でボス戦スタートとなる16年夏イベントと比較しても尋常ではなく、速吸登場から2年も前なのにやりすぎではなかろうか。
これだけでも目を覆いたくなるが、トドメのように電探で被害軽減ができない。というのも、当時はまだ電探の緩和効果がなかったため。一週間後メンテナンスでは奪われる資材の量が減らされ、電探を装備していれば被害を抑えられるように改善された。
そうしたらそうしたで、今度はレシピがないから電探を誰も持っておらず、3個も持ってるなんて米帝という発言が生まれたり、みんな五十鈴に頼ることになったりしたが。




ゲージ回復
13年参加提督達のトラウマ、ゲージ回復も当然この時から存在した。
一番有名なゲージ回復は、やはり13年秋のE-4 アイアンボトムサウンドだろう。
どの戦闘でも一発退場させられる可能性が高い上に、完全にランダムな羅針盤、劣性になると逃げるボスと合わさったゲージ回復はトラウマとなるに十分すぎた。
アイアンボトムサウンドでは、一時間あたりのゲージ回復量は全体の約2.1%。およそ2日で完全回復する仕様だったが、13年春はどうだったのかというと、その5倍である。













残念ながら見間違いではない。


ゲージは1時間で10%回復する。



しかも全マップに実装されている。


当時は参加者が他のことで疲弊しすぎていて、「すっげー早いな」とか、「7時間睡眠したら全回復した」とか程度の感想しかなかったが、14年春に動画サイトに残っていた僅かな動画から興味を持った検証勢がやめときゃいいのに検証、驚異の回復力が判明した。
容易に完全回復するゲージに対し、ダメージで減らせる量はどれくらいだったのか。
知っての通り、ゲージが最も削られるのはボスを撃破した場合であり、現在もボスを最低何回倒したらゲージが破壊できるかは難易度の基準の1つになっている。
もう分かっているとは思うが、このときはその削減量も低かった。
とてつもなく低かった。
ボスを撃破して7%しか減らせなかった。
ボスにダメージがあったとしても、今と違ってピクセル単位でしか減らせなかった。
この場合の変化量と吹雪改二の下着、どちらが見えるかって勝負ができるほど減少量が分からない。
しかも、そんな条件でも1時間たってしまったら10%ゲージが回復してしまうので、1時間に最低2回はボスを撃破できなくては完全に詰む。
仮にボスの撃破をこの2回/hで攻略する場合、1時間で減らせる量は4%。ゲージ破壊には25時間かかる。
この場合、25時間分の回復量も減らさないといけないので、初期値にゲージ量250%が加算、突破するには
350%分のゲージを削らなければならない。ボスの撃破回数換算にして50回!!

さすがにそこまで非効率なことをしたプレイヤーがいたとは思えないが、攻略に相当の時間がかかったのは事実である。
「7%削れるなら15回倒せば突破できるか」
「15回でクリアできるなんて雪風じゃねえとできねえよ」
といった会話が出たのは詰まるプレイヤーが増え始めたころのこと。実際には1時間で15回もボスを撃破するのは物理的に不可能なのだが。
その後、メンテナンスでゲージ回りの仕様も大幅に弱体化。
  • ゲージ回復はE-3、E-4だけに
  • 回復量が1時間に2%に
  • ダメージと撃破での減少量の増加
といった改善が見られた。
「9回ボスを倒しただけでゲージが壊せた!前は15回必要だったのに」
という当時のスレの発言が、どれ程ゲージ回復が苦痛であったかを物語っている。


第三の要素 こんなの産まれました
ここまでの説明で、戦力を低下させる無慈悲な渦潮と、試行回数を増やすゲージ回復がイベントの難易度を上げていたのは理解していただけただろう。
そして、同時に疑問を抱く提督も少なくないだろう。

これだけで攻略不可能と言えるだろうか?と

戦闘を有利に進めるシステムや装備も増え、艦娘も増えたのに、瑞鶴が改二になる2015年秋まで、当時の艦娘や装備をもってしても攻略が疑問視されていたのは何故か。
それは、重視されていたのがステータスではなく、いかに早く戦闘を終わらせられるかだったからである。
つまり、敵の砲雷撃戦前に空母の先制攻撃で大打撃を与えようということ。本格的な砲雷撃戦前に敵に攻撃できる空母は、少しでも戦闘にかかる時間を減らすために必須だったのだ。
そうしなければ、もしくはしたとしても、無駄に終わることがあまりに多すぎたからである。

ここで、少しゲーム人口について話をさせてもらいたい。
艦隊これくしょんというゲームは、当初、2万人集まればいいね、という考えで作られた。
他の大手オンラインゲームを見てみると、CAPCOMのモンスターハンターフロンティアが13年春当時約3万人いたと考えると、十分な人数に思えるだろう。その当初の予定は、イベント時には達成されていた。
察しのいい方はもうお分かりだろう。それはイベント前からずっと提督と一緒にいたが、数々の負荷と、イベントに伴うアクセス集中により成熟、ついに名前を得た。

エラー爆☆誕☆





画像出典:艦隊これくしょん -艦これ-ゲーム内スクリーンショットより (C)2013 - 2016 DMM.com/KADOKAWA GAMES All Rights Reserved

イベントは始まり、ついにエラー娘/エラー猫が本気を出した。
渦潮は無慈悲だった。
ゲージは何度もベホマを唱えた。
だが、エラーによって無に帰った回数に比べれば微々たるもの。それほどまでにエラーは強かった。つまり、このイベントの難易度は敵の強さだけでも、マップ仕様の凶悪さだけでもない。


エラーでゲーム自体プレイできなかったのだ。



太平洋の嵐が比較に出た理由はここにある。

主な被害

〇エラーの原因と症状
サービス開始時の艦これサーバーはとにかく脆弱で、ことあるごとにエラーでゲームを中断された。理由は現在とはデータ管理方法が違うことによる。
大雑把な説明になるが、13年春時点では、艦これの大元サーバーでゲームに関わる全てのデータを管理していた。
それにはタイトル画面から所属する艦娘、装備や家具の一つ一つまでであり、画面内に変化が起きるたびに情報をサーバーに送信→サーバーから結果を送信→画面の変化が完了というあまりにも迂遠な方法をとっていた。
当然、サーバーには尋常ではない負荷がかかっていた。ゲーム動作も遅いなんてものではなく、
  • ゲームを始めるたびに100MBの読み込みが発生。30秒またされるかエラー。
  • 装備を変えようとしたら読み込みが発生、待つかエラー。
  • 海に出たら
  • 戦闘に入ったら
と、もはやクリックしたらエラーが起きると言い換えられるほど。
特に酷かったのは負荷の増える情報量が多いページで、近代化改修のページと、辞典は任意でエラーを起こせたと言われるほど。近代化改修が嫌われた理由はこれである。


〇夜、休日の艦これ
これだけサーバーが脆弱だったため、アクセス集中でエラーが多発したわけだが、それはイベントだけに限らなかった。
夜間や、仕事のない土日祝日などはやはりエラーが多発している。特に帰宅民が家に落ち着く平日夜7時前後は魔の時間帯と呼ばれ、ログインできないし強制ログアウトされると話題になっている。
そしてイベント時、エラーはこの要素を取り込んで進化した。


最高にハイなエラーの図



夜と休日まともにプレイできないということは、平日、昼の間にゲージを破壊できなければ絶対に勝てないということである。


負荷がかかれば落としてログインさせない


海域に挑めばボス前でそらす


ボスにたどり着いても渦潮の余波で火力が足りない


夜まで耐えれば全回復させられる


時間さえかければゲージは回復する。その時間稼ぎの手段が見事に揃い、ほとんどのプレイヤーはまともにゲームをすることも出来ず、ただエラーの顔を眺めるだけだった。


エラーの終焉と一週間後メンテナンス
イベント開始から一週間たち、攻略できたのはわずか30人しかいなかった。
運営はアンケートを行い、意見をもとにイベントの難易度を低下させるメンテナンスを行った。同時にサーバーの強化と今日の基準となっているデータ管理方式への転換が行われ、サーバーにかかる負荷は減少。エラーの頻度は目に見えて低下した。
そしてプレイヤーの目に写ったのは、


全回復したゲージの姿だった。


つまり、エラーが起きてログインできないというのはサーバーが落ちているためで、その間にたった時間に比例してゲージは回復していた。
時間がたちさえすれば、それがエラーでもメンテナンスでも区別はなかったのである。
こうして多くのプレイヤーは再びイベントに挑み、今度こそ海域突破を成し遂げたのだった。


◇最後に
考察において瑞鶴がずいぶんもてはやされたが、これはおそらく13年春時点では雷巡と味方潜水艦が存在せず、敵に先制攻撃できる方法が空母しかなかったことから出た発言だと思われる。
さらに、16年夏には五十鈴を始めとした対潜値100以上の艦娘が先制対潜水攻撃を行えるようになったため、恐れられていた難易度は完全に過去のものと言っていいだろう。





追記修正は折れない心でお願いします。















ヤバいな……

「◇最後に」とキッパリ言ったばかりなのに…

スマン、ありゃウソだった。


あのイベントから3年。奴らは帰って来た。
舞台をアーケードゲーム「艦これアーケード」に移し、艦これ初のイベントは帰って来たのである。

ボスは同じく泊地棲鬼(及び姫)。
難易度は甲はなく丙と乙のみだが、乙作戦に関しては 丙作戦を全攻略しなければ受けられない 仕様になっている。
その代わり乙作戦を解放した後はどちらを攻略する事も可能。
また、最低条件として鎮守府海域を完全攻略しておく必要がある。

今回のイベント報酬艦は翔鶴・瑞鶴・瑞鳳。E-4突破後の「掃討戦」を攻略する事でいずれか一人を入手する事が出来る。入手後もE-1からやり直せば再び入手可能。
また、祥鳳も海域ドロップとして追加されている。

イベントの基軸は似たような感じである為、ここでは海域の簡単な紹介にとどめる事にする。

E-1

E-2

E-3

E-4



追記修正は伊勢型改と扶桑型改と千歳型のカードをコンプし、戦艦と重巡に三式弾を積み込んで乙作戦に挑んでからお願いします。

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最終更新:2023年04月23日 23:23
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