死生観

登録日:2016/09/13 (火曜日) 15:09:08
更新日:2022/09/15 Thu 11:54:05
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不老不死でない限り、生きている者は必ずぬ。
その事についてどのように考えているか、ということが死生観である。
生と死というテーマは、宗教・種族・戦闘などに左右されやすいため創作物においてよく世界観の一端となる。


一般的な認知


宗教によるもの


現代人がこれらのことを考える時、主に認識するのは宗教などによって違いがあるという事だろう。
仏教の創始者である仏陀は輪廻の輪にあることを苦しみと考えているが、逆に言えば仏教は基本からして輪廻という概念がある。
しかし逆にイスラム教は、そうした概念をもつ宗派自体がかなり少数派のようである。

そして現代日本人には「死んだら何にもならない。無だ。魂なんてない」と思っている人もいるだろう。
それは科学的にものを見ているからかも知れないし、前世が悪くて云々とか言い出すカルト宗教の勧誘を嫌悪したせいかも知れない。
また割と宗教がチャンポンなお国柄ゆえ「天国または地獄に行く」「生まれ変わる」「仏様になる」「幽霊になってこの世をさまよう」等、実に様々な意見が個人間(下手すりゃ同一人物)で飛び交うだろう。

つまり「人間は死んだらどうなるの?」という質問に対し、宗教や宗派などの考えが違うと回答も違うのである。


例えば映画「アンナと王様」(1999)では
仏教徒は輪廻転生を繰り返して過ちを学ぶ」
キリスト教徒には一度きりの人生ですわ」
と、人種・宗教の違う男女の会話で違いを描写する台詞がある。


日本人で日本文化に生きてきたwiki読者には「悪いことをしたら虫に生まれ変わる」みたいな事を言われた人もいるかも知れない。
または昔の日本童話などで、動物に生まれ変わってしまい〜といった話を見た人もいるだろう。

だがキリスト教系の学校に通っていて、親も仏教徒じゃなかったので聞いた覚えがないという人もいる可能性がある。
そして前述のように宗教的世界観自体を否定的に見ていれば「死=無」と見做しているから、輪廻とも死後の世界とも無縁となる。

このように、上のようなちょっとした疑問、誰もがいつかは直面する事についても差異が存在しているのだ。
なお自国の宗教が浸透してる国では当然それの教えが根付きやすいため日本ほど個人レベルで生死感のズレは発生しないそうな。

ちなみに某国では現在進行形で人命が軽視される理由は、歴代の皇帝や権力者が軒並み宗教を弾圧し続けてきたために、天国や地獄、前世や来世といった宗教に基づく死生観が人々に根付くことがなかったからだという説がある。


時代や環境によるもの


一般人もよく目にするのは、概ね戦国などを描いた大河ドラマや映画の話であると思われる。
責任を取るために腹を切るとか、自分が死んでもお家が残ればいいとか、そういった考えの侍が出るからだ。

侍が潔く死ねと命じても、部下が普通の農民などであれば嫌がるといった描写もある。
またそうした時代にあって、武家の妻だがキリシタンなので自害が出来ない、という意識を持った人物が出る事もある。
こういった形で、時代や思想ごとの死に対する思考の違いというものは一般作品でも描かれることがある。


また危険のない先進国と戦乱の途上国や、富裕層と貧困層における寿命差など、そういったものを描く時にも差は出る。
HUNTER×HUNTERのような作品や、リアル寄りで社会の闇を描くような作品であればありうる。

アフリカで少年兵にされた子供が死を恐れない台詞を吐くような映像などは、それだけで見るものの子供時代との違いを浮き彫りにする。
と思いきや、軍国少年だった老人などであれば第二次大戦期くらいに似たような思考をしていた可能性もある・・・。


ほかにも、歴史を振り返ると人命よりも集団や国益を重視していた時代や国家が存在し、その結果として人の死や命が軽んじられ、それによる悲劇が起きたことも多い。
それを最もドラスティックに実行したのは冷戦時代の東側諸国だろう。例を挙げれば

  • 反対派の粛清、強制収容所への投獄によって2000万人近い死者を出したソ連

  • わかっているだけで自国民全体の4分の1近い人数である200〜300万人を4年という短期間で殺害したカンボジア

  • トップの政策の結果、8桁近い数の自国民を死なせ、さらにその後の政策で2000万近い数の国民を殺害した中国

といった痛ましすぎるものが多い。
ここでは詳しくは記さないが、当時の東側諸国ではこれ以外にも国の施策によって多くの人命が失われた事例は多い。
その淵源にあるものは上に述べたような人命よりも国益重視という考えで国が動いていたというのも確かにあるだろうが、そのなかには国益というよりは、明らかにその国の権力者自身の欲望のため、あるいは自身が助かるためであれば国民などいくら死のうが構わないという自己保身の行動に由来しているものが存在するのだからやるせないことこのうえない。





アニヲタ的な話


種族などによるもの


アニヲタ的な話になってくるとエルフは寿命を迎えると木として自然に還るといった設定の作品があったり、
10回や20回死んでも死ねないので、そのうち登場人物はリセットを始めた・・・というパターンもある。
ドラゴンなど長命種が人間を蔑んでいたり、逆にあくせく生きているのを見て楽しむといった描写があることもある。
人間側も、長命種に対してはコンプレックスなりを抱いていたりもする。

この項目の最後にある台詞などは、典型的な「長命で強大な存在に歯向かう定命のもの」の例の一つであろう。
一瞬・・・だけど閃光のように!

現実の地球上では、死生観といった概念レベルの議論が出来る他の種族は存在しない。こういう話もあるけど。
いつかイルカやゾウなどのコミュニケーションの解析が進んだら、こういう話も出来るのであろうか?

だが今のところ宇宙人や地球動物との議論は成功していないため、「寿命や死にやすさ」と言った問題を描くことは
フィクションの思考実験が定番になるのである。

なおイギリスのSFドラマ『宇宙船レッド・ドワーフ号』には、「ロボットは死ぬとロボットの天国に行く」と思い込んでいる(実は科学者によってそう思い込まされている)ロボットが登場し、
では人間に死後の世界があると思うかと聞かれると
「まさか!! 誰かが、人間が死ぬことを怖がらないように嘘を教え込んだんですよ!!」
と答えるという、トンデモないブラックギャグが出てきた。


個人の性格



この台詞を発した時、アカギ、わずか13歳。伝説の男の名台詞集の幕開けであった・・・

アカギはこの発言に象徴されるように、常識では考えられないほど「保身」というものに拘らない。
侍や兵士と違うのは、こうした保身に対する意識の薄さは純粋にアカギ個人の性格によるものであること。
保身なき零距離(訓練や改造がないとは言っていない)は、時に周囲の非人道的な行いがまともな人間を歪めた結果であることがある。
しかしアカギは年齢や経歴にそうした要素がない。だからこそ「なんでこの子こんななの・・・」と見ている者も呑まれるのである。


逆に生き汚さに全振りした、とにかくそのためだけに狂った事をやろうとする悪役は多い。
永遠の命を、永遠の若さを、死にたくない、もっと楽しんでいたい。

個体としての生物の本能であり、原始的な欲求ではある。
だからこそ、そのために社会の敵と化す様は生半可ではなく醜悪になると言える。

他者と妥協する、欲望を抑えるといった社会性を全部無視しながら社会は利用する。だからこそラスボスとして死ぬべきだと誰もが思う。
こういったキャラクターもまた、人間の生き死にに対する考え方の描写のかたちである。


私はこの記事により、永遠の存在とな・・・つ、追記、修正だとぉ!?や、やめ・・・

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最終更新:2022年09月15日 11:54