オレグ・ベルニャエフ

登録日:2016/08/18 Thu 15:45:30
更新日:2022/04/10 Sun 15:25:55
所要時間:約 7 分で読めます






オレグ・ベルニャエフ(Oleg Yuriyovych Vernyayev*1, 1993年9月29日~)は、ウクライナの体操選手。


経歴


ウクライナ東部の大都市・ドネツク出身。9歳から体操を始める。
ウクライナ軍所属で2015年より活動の拠点を首都キエフに移した。

情勢の複雑な母国からの支援を受けられず、ベルニャエフは劣悪な環境で練習することを強いられた。
床を修理できない、器具が壊れて負傷するリスクがある、テーピング代を稼ぐのすらやっと―ベルニャエフは怪我をしないことを最優先に練習に取り組んだ。
拠点を国外に移す選手や国籍そのものを変更する選手もいる中、それでも彼がこういった状況下での活動を続ける道を選んだのは、自らの力で母国を勇気づけたいという思いがあったからであった。


ロンドンオリンピックまで


2010年代に入りベルニャエフは国際大会に姿を見せるようになる。

  • 2011年
夏季ユニバーシアード*2(中国・深セン):団体総合5位、跳馬7位
世界体操競技選手権(東京):団体総合5位

  • 2012年
AT&T アメリカンカップ(ニューヨーク):6位
ヨーロッパ男子体操競技選手権(フランス・モンペリエ):団体総合5位、平行棒銀メダル
ロンドンオリンピック:団体総合4位、個人総合11位、跳馬11位

ロンドンでの団体総合でメダルを獲得したのは上位から順に中国、日本、イギリス。
ウクライナは銅メダルのイギリスと僅か0.185点差の4位であった。


2013年~リオデジャネイロオリンピックまで


20代に入ってから、ベルニャエフは表彰台の常連となる。

  • 2013年
AT&T アメリカンカップ(マサチューセッツ州ウースター):銀メダル
ヨーロッパ男子体操競技選手権(ロシア・モスクワ):個人総合銅メダル、跳馬6位、平行棒5位
夏季ユニバーシアード(ロシア・カザン):団体総合銀メダル、個人総合銅メダル、平行棒銅メダル
世界体操競技選手権(ベルギー・アントワープ):個人総合15位*3、跳馬8位

  • 2014年
ヨーロッパ男子体操競技選手権(ブルガリア・ソフィア):団体総合銅メダル、あん馬5位、跳馬銅メダル、平行棒金メダル
世界体操競技選手権(中国・南寧):個人総合4位、平行棒金メダル

  • 2015年
AT&T アメリカンカップ(テキサス州アーリントン):金メダル
ヨーロッパ男子体操競技選手権(フランス・モンペリエ):個人総合金メダル、平行棒金メダル
ヨーロッパ競技大会(アゼルバイジャン・バクー):団体総合銀メダル、個人総合金メダル、跳馬金メダル
夏季ユニバーシアード(韓国・光州):団体総合銅メダル、個人総合金メダル、ゆか銀メダル、つり輪銅メダル、跳馬銅メダル、平行棒金メダル
世界体操競技選手権(イギリス・グラスゴー):個人総合4位、あん馬6位、跳馬4位、平行棒銀メダル

  • 2016年
ヨーロッパ男子体操競技選手権(スイス・ベルン):団体総合4位、ゆか7位、跳馬金メダル、平行棒銀メダル、鉄棒7位


年を経るごとに成績は右肩上がりに伸び、平行棒を中心に多くの表彰台を経験してきた。
そして2016年夏に控えるオリンピックにも、ウクライナ代表の有力メダル候補として満を持して参加することとなった。


リオデジャネイロオリンピックでの活躍


2016年8月10日、体操男子個人総合決勝。
予選を首位で通過したベルニャエフは、前回のロンドン大会に続きこの種目連覇を狙い、ブラジルでポケモンGOをやり過ぎてパケ死した2日前には団体総合で金メダルを獲得した内村航平の前に立ちはだかることになる。

あん馬とつり輪で内村に差をつけ、得意の平行棒では16.100という高得点を叩き出した。
最後の鉄棒を残して2位の内村に0.9点差をつけトップに立った。
日本のファンの中には、この時点ではベルニャエフが優勝だなと思った人も少なくなかったようである。

暫定順位 氏名 ゆか あん馬 つり輪 跳馬 平行棒 鉄棒 合計
1 オレグ・ベルニャエフ 15.033 15.533 15.300 15.500 16.100 77.466
2 内村航平 15.766 14.900 14.733 15.566 15.600 76.565

そして運命の鉄棒。
逆転のためには高得点が必須の内村は攻めの演技で15.800点を叩き出す。
一方のベルニャエフは、守りに入り技の難易度を落としたことと着地がやや乱れたのが祟ってか、まさかの14.800点*4
このスコアを見た彼はさすがに残念そうな表情を見せた。

結果、内村は大逆転でトップに立ちこの種目で連覇を果たしたのである。
2位のベルニャエフとの差は僅か0.099、まさに死闘と言うに相応しいトップ争いであった。

最終順位 氏名 ゆか あん馬 つり輪 跳馬 平行棒 鉄棒 合計
1 内村航平 15.766 14.900 14.733 15.566 15.600 15.800 92.365
2 オレグ・ベルニャエフ 15.033 15.533 15.300 15.500 16.100 14.800 92.266

ベルニャエフの鉄棒の得点が不当に低いのではないかと考えた観客も多く、得点が表示された後にはブーイングも起こった。
しかし直後彼らが見たのは笑顔で互いの健闘を称え合ったベルニャエフと内村の姿。ブーイングの音量も幾分小さくなった。
とにもかくにもベルニャエフにとっては初めてのオリンピックの表彰台となったのである。


表彰式の後、内村、ベルニャエフ、そして本種目銅メダルのマックス・ウィットロック(イギリス)*5が共同で記者会見に臨んだ。
そこで、内村にこんな質問がなされたのである。


「あなたは審判に好かれているからいい得点が取れると感じているのか」


内村は怪訝な表情を見せ、「まったくそんなことは思ってない。皆さん公平にジャッジをしてもらっている」と答えた。



すると、そこにベルニャエフが割って入ったのである。


「審判も個人のフィーリングは持っているだろうが、スコアに対してはフェアで神聖なもの」
「コウヘイサンはキャリアの中でいつも高い得点を取っている。その質問は無駄だと思う


更に、銅メダルのウィットロックも「素晴らしい、彼は皆のお手本だ。何年も見てきた」と彼に同調し内村を称賛した。
そんな2人の言葉に内村は素直に嬉しそうな表情を見せた。

ベルニャエフの本心は量りかねるが、彼やウィットロックにとって内村はリオでのライバルである以前に、世界選手権で常に頂点に立ってきたという憧れていた存在・追いつきたい存在・敬意の対象であったのかもしれない。

惜敗してなお勝者への敬意を忘れなかったベルニャエフの振る舞いは日本でも反響を呼び、SNS等には彼を称賛する書き込みが相次いだ他、在日ウクライナ大使館にも同じ主旨の電話やメール、更には恵まれない環境で練習する彼への寄付の申し出さえあったという。










そして、内村と熾烈なトップ争いを繰り広げた6日後。

オリンピックの女神はベルニャエフにも微笑んだのである。










体操男子平行棒
金メダル オレグ・ベルニャエフ 16.041点





種目別にも出場した彼は得意の平行棒で再び16点台を記録し、ついに悲願であった表彰台の頂へ到達した。
彼の演技には、同種目に出場した加藤凌平*6の応援のために観客席にいた内村も笑顔で拍手を贈っていた。

表彰台で笑顔を見せる彼にメダルを授与したのは、同じくウクライナ出身でかつての棒高跳びの名選手セルゲイ・ブブカ*7
リオオリンピックウクライナ選手団初の金メダルは、まさしくかつての英雄から現代の英雄に渡ったのであった。
多くの日本人が彼の金メダルを祝ったのは言うまでもないだろう。


そしてウクライナオリンピック委員会によると、本大会で競技に利用された器具がウクライナへ寄贈されることが決まった。慈善事業に積極的なことでも知られるブブカの掛け合いにより実現したとのことである。
年齢的に2020年の東京オリンピックでも活躍が期待されるベルニャエフを取り巻く環境が少しでも改善されることを願うばかりである。




近年の外国人オリンピック選手と言えば、圧倒的な実力を誇る競泳のマイケル・フェルプスや陸上短距離のウサイン・ボルトなどが日本でもしばしば取り上げられる。
しかしリオ大会では、大会前には日本語版Wikipediaの記事がなく体操に詳しい人以外には知る由もなかったオレグ・ベルニャエフがある意味彼ら以上に大きな注目を集めたのである。


余談


○個人総合銅のウィットロックもその後種目別に出場し、床とあん馬で金メダルを獲得した。オリンピックの女神は彼にも味方していたのだ。
母国開催であったロンドン大会では団体総合とあん馬で銅メダルを獲得していたが、彼もまたリオで表彰台の頂を初めて経験することができたのである。
内村・ベルニャエフ・ウィットロックの個人総合メダリスト3人は結果的に全員金メダリストとなった。
ちなみにウィットロックもベルニャエフと同じ1993年生まれで、彼にも東京オリンピックでの活躍の期待がかかる。

○身長は160cm、体重は55kg。







追記・修正は負けた時にも美しく振る舞える方のみにお願いします。


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最終更新:2022年04月10日 15:25

*1 言語によってVerniaievなど様々な表記がある

*2 学生のためのオリンピックとも呼ばれる大会

*3 世界選手権の個人総合は2009年から内村航平が6連覇している

*4 予選では15.133点を記録していたが、過去に15点以上を出した経験がほとんどなく、相対的に苦手種目であったとも言える

*5 6種目計90.641点。内村とベルニャエフの得点は他の選手より頭一つ抜けていた

*6 団体総合で内村らと共に金メダルを獲得。平行棒は7位であった

*7 現在はIOCの理事、国際陸上競技連盟、ウクライナオリンピック委員会会長を務めている